【第50回目の記録】いい人ってどんな人だろう?

 ちょうど第50回目に当たる人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は3回目である。

 平成29年4月14日(金)午後7時からスタートしたが、男性4名、女性4名、合計8名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①めんどうくさいって何だろう?
②友だちとは何か?
③国って何だろう?
④天職って何だろう?
⑤いい人ってどんな人だろう?
⑥人間関係とはどうあるべきか?
⑦キムタクは悪者か?
⑧かわいいって、なーに?

 この中から今回は「いい人ってどんな人だろう?」がメインテーマとして選ばれた。

 「いい人」とは多義的な言葉である。ポジティブに使われる場合もあれば、若干揶揄的にネガティブに使われる場合もある。単にお人よしで、他人にいいように使われている人を指す場合もありそうである。
 この曖昧さから、適当に使われる言葉であり、多用もされている。
 もちろん素直にポジティブに使われ、自分に対して言ってくれると、うれしくなったりする。だから、できるなら明るくいい方に使いたいものである。

 

【第49回目の記録】なぜ人は学ぶのか?

 第49回人生カフェは平成29年4月8日(土)、14名(男性7名、女性7名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「なぜ人は学ぶのか?」であった。
 最初に、参加者からテーマに関する自らの問いを出してもらった。
 「学びって何?なぜ必要とおもうのかな?」
 「学ぶとどうなる?」「勉強に何を期待しているのか?」「「学ぶ」ことで得られるもの、失くすもの……はあるのか?」
 「学びと勉強は違う意味?」「勉強と習慣の違いは?」
 「学ぶことは苦しいか?楽しいか?」「学ぶことの辛さは楽しさを導くか?」
 「人から押しつけられると学ぶのがつまらなくなるのはなぜか?」「「自分の頭で考える」とはどういうことか?」
 「どういう時に学びたくなるのか?」「学ぶことが大事だと思ったことはあるか?どんな時か?」
 「学びたいと思うジャンルはどう変わるのか?」「目的は学び自体か?(プロセス?) 学ぶ内容が大事か?」
 「人により学ぶ量や深さに違いが出るのはなぜか?(違いがないかもしれませんが)」「博識の人ほどより学びたがるのはなぜだろう?」「学ばない人はいるのか?」
 「役に立たないことを学ぶ意味は?」「答えのない問題をどう学ぶか?」「高度産業社会の中で、人文学(文学、哲学、歴史学、宗教学)を学ぶことの意義・意味は何か?」
 「なぜ『もっと違う考え方がある』と思ってしまうのか?」「できないこと、できなかったことになぜ挑むのか?」
 「学びのない読書は無駄か?」
 「学校での勉強は嫌い、でも人生上の勉強、学びは好きかも?習うは一生!」

 以上の中で、まずは「役に立たないことを学ぶ意味は?」という問いに注目が集まった。大学の人文系の学部が社会にあまり役に立っていないのではないかということで、廃止や縮小の対象とされてきている。果たしてこれでいいのだろうか?あまりに短期的な視点に立っての役に立つか立たないかの判断になっていないか?現在の社会の知の枠組みそのものを問う人文系の学問は長期的に見れば、大いに人間や社会の役に立つものである。

 後半は、メインテーマ「なぜ人は学ぶのか?」を再び意識して、このテーマを軸に対話を展開した。今回はホワイトボードに発言された考えを書くなど、思考の流れをグラフィカルに見える工夫もしてみた。

 なぜ学ぶのかという理由に関しては、ひとつは生物として環境に適応していくため、あるいは人間として社会に適応していくためということがあります。一方で、個人として、自由を求め、個性を発揮していくために学ぶということもある。両者は時に対立し、葛藤する。これをさらなる学びによって克服していくことはできるだろうか?

 最後に一人一人にフリップに書いてもらった。
 「気づいたこと:学びのイメージ=勉強」
 「学びのイメージは勉強のイメージが強い。好奇心で学びをするというイメージはあまりない」
 「真理は汝を自由にする」
 「遊び心(心の余裕)をずっと持ち続けていたい。「自由」のために学び(学習)をしている/きた人のことを覚えていたい」
 「「生きづらさ」と「学び」も結びつくのかぁ……! という気づきのような、再確認のような」
 「生きづらさからの解放の手立ては「学び」だけ?」
 「学びとは、何かしらの変化を企図すること」
 「全知全能ではない私たちは、学び続ける宿命なのか?」
 「思考を深めるのは楽しい」
 「自分がイメージしていた「学ぶ」とはの対話とは違っていましたが、それだけに新鮮でした。若いと思っていても、ますます高齢者の学習に近い……?!笑」
 「学びながら遊び、遊びながら学ぶ。中高年の人生カフェは私にとっての習慣なり!」
 「過学習、偏学習は専門バカにする?」
 「エントロピーを増大させない→「あこがれ」  ファシリテーション・グラフィックを勉強しよう」
 「生物学的に環境に適応するとはどんなことか」
 「「よい教育とは何か」 なぜ自己否定(苦しさ、知的好奇心の枯渇)を深めてしまう「教育」になってしまうのか。またどのような教育であれば、それを出さずにすむか。Personalisedされた教育はそれを克服することはできるが、逆に失われるものは何か?」

【第48回目の記録】人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

 第48回人生カフェは平成29年3月25日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。

 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は3人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマやサブテーマを掲げる。)
①中高年が働くとは?
 やる気(モティベーション)、職場の人間関係、職場での伝え方……
②人間の意識とは?
 霊とか、魂とか……
③仕事による自己疎外(自己否定)とは?

 悩みを語ってくれた人には、自分を出してくれたことに感謝したい。また、聞く側も聞く姿勢を持っていたので、話す方もそれなりに話しやすかったと思う。
 このような話やその後の対話といった展開は、普段の日常のなかではなかなかできないことである。家族や友だち同士なら、ある程度できると思われるが、お互いによくは知らなく、意見や考えがそれなりに異なる人たちの間でするというのはなかなかない。
 この場は意見や考えは異なるかもしれないが、ただ人の話をよく聞く、という姿勢は持ち続けている。この安全、安心の場を作っていることの意義は大きい。この共通認識があるから、人は自らの悩みもある程度話をすることができる。

 短い時間ではあったが、上記のテーマについて対話ができたことはとてもよかった。それは悩みを話した人も、聞き役だった人もそうであったと思う。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
「考えるということはどういうことか。知、情、意の集合体が意識であるとすれば、意識のありようが大切」
「社会とどう関わるか(ボランティアや社員として)、見えない領域とどう関わるか(心霊や探求)、という共通の悩みがあるように思えました。対立をどう克服するか、もしくは克服しない方がよいのか、対立したままにすべきなのか、と思いました」
「働くこと、意識、魂、霊……。疎外から学べ!疎外を感じ続けろ!」
「心は死んでいるが、実存は失っていない!」
「決心した時から、新しいスタートができる(切れる)」
「対話をするにはボキャブラリーが多い方が伝わるなぁ……と思いました」
「こういうところでお話をすると、自分のしゃべり方、考え方のクセが自分でよく分かります。それが自己分析や今後の大きなヒントになります」
「«仮面の告白»に耳を傾けてもらえるのは有難いものである」
「かたりあい、ききあい、つたえあい が自由にできた場!」
「悩むより思い、思うより考える。素直に人の話が聞けるのがよいかなぁ?」

【第47回目の記録】働く意味って何だろう?

 第47回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は2回目である。

 平成29年3月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性5名、女性4名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①なぜテレビドラマは刑事もの、弁護士もの、病院ものが多いのか?
②なぜテレビドラマは勧善懲悪を好むのか?
③なぜテレビドラマはサクセスストーリーを好むのか?
④自己顕示欲は悪いことか?
⑤日本は宗教的寛容があるのに、同調圧力が強いのはなぜか?
⑥働く意味って何だろう?
⑦人生の生きがいとは?
⑧いいコミュニケーションって何だろう?
⑨言いっぱなし、聞きっぱなしのコミュニケーションって何だろう?
⑩なぜ人はウソをつくのか?

 今回は以上の中から、「働く意味って何だろう?」を後半の対話のテーマに選んだ。
 働くことの基底には、働くことから得る収入ということがある。経済的な自立をするためのお金のことである。このことを改めて認識しておくことから対話は展開していった。
 働くことによって、収入以外に本人にとってよいこととしては、例えば、能力が高まる、人間的な成長を得られる、新しい経験をできる、やりがいや生きがいを持てるなどがある。また、社会の一員として、社会への貢献をしているという面もある。
 一方で、やりがいを持てないといったことも起きる。仕事が忙しすぎたり、ルーティンワークばかりの仕事だったり、自分の能力よりはるかに低い仕事しか与えられなかったりとか、現実には生きがいに繋がらない仕事をせざるを得ない状況に追い込まれている場合も多い。厳しい現実がある。
 仕事にやりがいを持つことは理想である。しかし、仕事にやりがいを持てないからといって、その人の全人格が否定されるわけではない。仕事以外に生きがいを持っても、それはそれでOKである。周囲もそれを認める必要もある。

 最後に、一人一人、気づいたことや新たな問いや感想などを述べてもらった。
 その中で、「人や会社は変わらない。自分が変わることが出発点」という発言もあった。

【第46回目の記録】伝えるとは何か

 第46回人生カフェは平成29年3月11日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。

 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「伝えるとは何か」であった。
 伝えるということは、「伝承」や「教える」といった意味合いなども含むものであるが、今回は主に日常的な人間関係の中で生じる会話とか対話とかいったレベルの話がなされた。
 伝えるというのは相手がいることである。相手が聞き、受け入れなければ、伝わったことにならない。
 相手が望まないことを一方的に伝えようとしていないか?伝えようとしていることが相手に対して暴力的になっていないか?このような疑問から対話はスタートした。
 伝えるということも、聞くや質問するといったこととともに、コミュニケーションを形成している。そのコミュニケーションがよくなされている場合には、そこに「共感」というものがありそうである。この共感というキーワードをめぐっても対話は展開した。
 伝えるということは、単に話し方のスキル(技術)を上げればうまくできるというものではない。伝えあうためには、お互いに聞きたいこと、話したいことの内容や気持ちをすり合わせていく努力も必要である。

 このようなことを自分の体験を交えて対話していくと、あっという間に3時間半が過ぎた。フリップに書くというような作業も行わずに、シンプルにただじっくりと対話をしたという感じであった。各人が新たに生じてきた問いを抱えつつ、会を終えた。

【第45回目の記録】幸せになる勇気

 第45回人生カフェは平成29年2月25日(土)、11名(男性2名、女性9名)の参加によって実施された。

 今回は、『幸せになる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
「人間知」(37)
「尊敬とはありのままにその人を見ること」(40)
「どのような意味を与えるか」(61)
「悪いあの人、かわいそうなわたし」(69)
「共同体感覚は「身につける」ものではなく、己の内から「掘り起こす」もの」(148)
「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを「自立」と呼びます」(152)
「わかり合えない存在だからこそ信じるしかない」(211)
「何もないところから築き上げるからこそ、愛のタスクは困難」(227)
「運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げる」(267)
「幸せになりたかったのです」(269)
「最良の別れ」(277)
「いま、ここを真剣に生きる」(278)
……(他にもいくつかありました。)

 以上について、いくつか対話を展開した後、次に、この本について気になったこと(疑問に思ったこと)を挙げてもらった。
「どうしてほめてはいけないのか?」
「叱責はダメ」
「普通であることの勇気」
「「勇気」ということば」
「利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです」
「最良の別れ」
……その他、「青年の立場」になって疑問を発し続けることや、この本を読んでいない人に接する場合の困難さなどが出ました。

 以上を踏まえて、フリーに対話をしたのだが、そのうちいくつかを紹介する。
 「ほめる」ことが禁止されているのが引っかかる。アドラーが言わんとしているのは、上下関係の上から目線で、競争意識をあおるようなほめ方はよくないということらしい。対等の仲間意識を大切にするという姿勢である。だから、例えば仲間同士で、励まし合うような「ほめる」はよさそうな気がする。
 幸せになることと「楽になること」との関係について。単に、楽に、楽にということでは幸せとは言えないかもしれない。それなりの苦労(苦味)が幸せを豊かにする。でも、楽にではなく、楽しいということなら、これはそれほど悪くないかもしれない。
 やはり多くが語られたのは、この本が説くところのアドラーの考え方の実行性である。この理論に一定程度共感していても、実際に行動することは難しいことが多い。この本でも、シンプルに継続して実行することはたいへんであると述べている。

 最後に、一人ずつ、フリップに書いて発表してもらった。
「愛⇒自分を好きになれば人も好きになれる。今日参加してくれた方々に感謝し、尊敬します。いま、ここ、幸せかなあ?」
「人は誰でもいまこの瞬間から幸せになることができる」
「本を読んで、いろいろなことが分かったような気がしたが、やはり分からなくなった。(愛するとは、どういうことか?)」
「わかったような、わからないような、モヤモヤ…感。実践は困難…」
「アドラー心理学ほど…(8P) とあるように難しく自分自身には理想かな?と思った。また、最良の別れ、死については、もっと話したいと思った」
「理論⇔実践 往復運動・らせん運動 それが自己啓発」
「アドラーに感銘を受けた理由が、私が「自己啓発」好きだからだと、今日分かった!」
「アドラーは私に勇気を与えてくれた」
「『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』大好き」
「しっかり本を読んできた人どうしのこの会を通じて、それぞれのとらえ方は本当に違うなーと再認識しました」
「不思議な集まりだった。 (頭の中の対話)→人との交流へ。 楽しかったです」

【第44回目の記録】尊重するって、どういうことか?

 第44回人生カフェは、初めての試みで、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。

 平成29年2月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性7名、女性10名、合計17名もの人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①対等な人間関係とは何か?
②共依存とは何か?
③愛とは何か?
④尊重するって、どういうことか?
⑤文化と教養の違いは何か?
⑥教養は必要なのか?
⑦自殺はどうしてだめなのか?
⑧命は何よりも重いのか?
⑨運命って何だろう?
⑩恨みって何だろう?
⑪豊かさとは何か?
⑫人生の後半の生きがいって何だろう?
⑬仕事をする上でお金より大切にしている価値観とは?
⑭アメリカとは何か?

 この中から一つにテーマを絞っていく。今回は大きく分類すると、「人間関係」「文化・教養」「命」「その他人生一般」となるとの指摘があり、新たに「よい人間関係とは何か?」「死とは何か?」といった問いも提案された。その上で、大き過ぎでもなく、小さ過ぎでもなく、参加者が話しやすそうなテーマとして「尊重するって、どういうことか?」が選ばれた。

 後半はこのテーマに沿って、フリーに対話が展開した。
 自分を尊重することができて、他人も尊重できるということがあった。しかし、他人のことなど大体がよく分からないではないか。他人を尊重する基底には信頼関係というものがありそうだ。他人をよく分からなくても、尊重しようとする姿勢そのものが大切……。

 最後に、一人一言ずつ、気づいたこと、新たな問い、感想などを述べてもらった。
 動物でなく、人間だけが尊重ということができそうだ。「他者」というものが改めて気になってくる……。
 こんなことを述べた人もいた。「主に自分の考えを話す人がいる。主に自分のことを話す人がいる。」……

 初の試みであったが、2時間があっという間に過ぎた充実した時間であった。

 

【第43回目の記録】「問う」とはどういうことだろう?

   第43回人生カフェは平成29年2月4日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。

 今回は本間が進行役(ファシリテーター)だった。前半は机を使い、フリップに書いてもらうなどをし、後半は机を使わず、全員が椅子に輪になって座り対話をした。
 今回のテーマは「「問う」とはどういうことだろう?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「「問う」ことは、まさに「考える」こと?」
 「答えのないものに対しては、「問う」という形で、まず始めていくしかないのか?」
 「問い、好奇心、興味、どう違うの?」
 「問いを立てると、問いかけるはどのように違うのだろう…?」「「自分に問う」と「他者に問う」はどう違うか?どちらが必要か?」
 「「問う」ことは、聴くことの積極的な態度か?」
 「問いの種類はどのようなものか?どれくらいあるのだろう…?」「(問うとき)答えをどこに求めるか?」
 「疑問を持つ人生と持たない人生、どちらが幸せか?」「「問い」によって、悩みが増えるか?」「迷いが大きくならないか?選択肢が増えることが、かえって安心するかも」
 「「問い」と「答え」、どっちが大切か?」「問いと答え、どっちが大事? 答えがないことが多いように思います。そのプロセスも大切にしたいかなと」
 「問う⇒問い⇒考えること 聞いて、みて、考え わからないことを教えてもらうことかなぁ?」
 「何故問うのか?」「問わなかったら、どうなるか?」「問わずに幸せに生きられないか?」

 この後、フリーに対話した。
 問いのレベルとして、「頭」のレベル、「感情」のレベル、そして「腹のレベル」というものがありそうだという話になった。一般には「頭」のレベルで、問いを立て、論理的に考えるというように見る。しかし、「感情」のレベル、さらに「腹」に落ちるレベルの問いと答えというものも大切である。特に、「怒り」や「悲しみ」といった感情から起こる「問い」に注目が集まった。
 「なぜ問うのか」ということは基底となる問いである。 
 これは人生が謎であり、不条理であるからである。問わざるを得ないのである。そして、近代人は、問う⇒考える⇒答える⇒考える⇒問う⇒…… これを繰り返さないと、すなわち思考停止になると生きていけないのである。コマのように、常に問いと答えの回転をし続けることによって、自分を自立させているのである。

【第42回目の記録】人とつながっていないといけないのか?

 第42回人生カフェは平成29年1月28日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。

 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「芸術の価値とは何か?」「人はなぜ美を感じるのか?」「美を感じる基準は何か?」
 「日本社会・日本人は本当に近代社会・近代人か?」
 「何故、法律を守るのか?」
 「「わいせつ」とは何か?」
 「人はなぜ楽しい事、好きな事だけして生きていかないのか?」
 「必要以上の謝罪をどう思いますか?」
 「謙虚とは?心づかいとは?」
 「疲れたなぁと思ったら、どうしますか?」
 「男脳、女脳とは?」「男性と女性では物のとらえ方はどう違うのか?」
 「お金で買えないものとは何か?」
 「人生が二度あったら…どんな人生を送りたいか?」
 「もし不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?」
 「運がいいとか、悪いとかとはどういうことなのか?」
 「強いアメリカとはどんな事か?」
 「面倒くさい人とは?」
 「エリートとは何か?」
 「なぜスマップは解散したのか?」
 「可能性とは何か?」
 「(必ず)人とつながっていないといけないか?」「フェイスブック、ブログ、ツイッター、ライン…など、人はなぜ繋がりたいのか?」「それでも仲良くしなくてはいけない時って、どんな時ですか?」

 これらの中から、今回は対話のテーマを「人とつながってないといけないか?」に決めた。

 このメインテーマに対して、参加者からサブテーマに当たるものをいくつか出してもらった。
 「独身者は社会の中でなぜある種の引け目を感じざるを得ないのか?」
 「「お前は友達がいないだろ」はなぜ最強の侮辱となるのか?」
 「おひとりさまの死とは?」
 「なぜ自分のプライバシーを明かしてまでネットでつながろうとするのか?」
 「どうして会話をしている相手ともSNSで会話するのか?Facebook,Twitter…」
 「人と人とは良いときでも、悪いときでもつながっていた方がよいような気がするのはだめでしょうか?」
 「淋しいのは嫌だが、人とつきあうのはわずらわしいいのはなぜか?」
 「つながりの強制は無いか?」
 「一個人として、人とつながっていくことをどう思うか?」
 「「つながってる」とは、どこで誰が判断するか?
 「つながる事で、どんな状態を期待するか?」

 これらをもとにして、後半はフリーに対話した。今回は机を使わずに、椅子だけで全員が輪になって対話をした。

 最後に、参加者に、今日気づいたこと、新たに生じた問い、感想などを聞いた。(今回はフリップに書かず、口頭で述べてもらった。)

 

【第41回目の記録】き(聴)くってなんだろう…?

 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。

 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

【第40回目の記録】幸福シート

第40回人生カフェは平成28年12月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。

 今回は「幸福シート」の作成が課題である。 
 幸福シートとは、下に掲げるような項目のものなのだが、要は過去、現在を振り返りながら、未来へ向けての夢を描くものである。この師走の時期だから、主に来年の夢を考えた。見栄を張ったり、気負いすぎては、よくないだろう。どちらかというと、ゆるゆると、素直に表現するのがいい。
〈幸福シートの項目〉
今、わたしにとって大切な人【現在】
1.家族
2.友人
3. 職場(学校)
4. その他

今までで感謝したい人【過去】

当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】

中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】

どのような人生を送りたいですか【未来】

もう少し幸福について考えてみましょう!

 これからの自らの幸福の実現のために、目標(今後やりたいこと)や課題について書いてみてください。

【場面ごとに】

◎家族の面

◎友人の面

◎職場(学校)の面

◎その他

【要因ごとに】

◎健康の面

◎お金の面

◎趣味の面

◎その他

 上記の前半と後半に分けて、それぞれ参加者に、差支えのない範囲で発表してもらった。そして、お互いに簡単な質問や感想を言い合った。

 夢とは、実現へ向けての「過程」こそが楽しいのかもしれない。
 また、自分の夢と他人との関係も話題になった。他者への貢献が幸せや夢に繋がっていくのではないか?

【第39回目の記録】私は特別な存在なのか?

 第39回人生カフェは平成28年12月10日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「私は特別な存在なのか?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「私は誰にとって特別な存在なのか?」「「特別な存在」とは、誰が、どのように決めるのか?」
 「「特別な存在」って、どんな人?」
 「そもそも特別な存在って何?」
 「特別な存在と思われるために必要なものは?」
 「運のよい特別扱いをされることは良いことか?悪いことか?」
 「すべての人は「私」である以上、「私」にとって「私」は特別な存在なのではないか?」
 
 この後、何人かの人に、テーマに関連した体験事例を発表してもらった。「どのような時に私は特別な存在と思ったか?」という問いに答えてもらうような形で事例を述べてもらった。
 具体的事例などを参考にしながら、対話は続いた。

 「特別」というのは、普通ではないということである。だから悪いことの例も考えられる。しかしながら、今回はいいこと、ポジティブに捉えるという方向で話が進んだ。
 特別な存在とは、かけがえのない存在、代わりのきかない存在という意味合いで捉える人が多かった。
 他者が私のことを特別な存在と認めてくれているように感じることはある。家族から、友人から、職場の人たちから……、そして大きくは社会から認められている存在の人もいるだろう。
 また、神や天が私を特別な存在と認めるということもあるかもしれない。また、運命が認めるかもしれない。
 そして、何よりも私が私を特別な存在と認めるということ、さらに言えば、私と自己との関係がそもそも特別だという言い方も成り立つだろう。
 私の感覚は私のものである。私の感情は私のものである。私の行動は私のものである。私を私として認知しているのは私だけである。私がせいぜいコントロールできるのは私だけである。一方で、私だけが私自身を外から見ることができない存在である……。
 私が生まれ、私が死ぬ。誰も代わってくれない。私は、私の人生の最後の人間である。
 これらだけのことからしても、私は特別な存在だと言えるかもしれない。

 最後に一人ずつフリップに書いたものを発表してもらった。
 「生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのも「私」のみ。その意味でも「私」は「私」にとって、特別な存在であるような気がする」
 「生まれるのも一人 死ぬのも一人 与えられた人生そのものがかけがえのないものと感じました。大切なことはみえにくいな~。程々…幸せ!」
 「生まれてきたこと、生きていることに対して「特別な存在である」ということを、子どもの頃からさまざまな形で教えられてきたことを思い出しました」
 「この世に生まれてきた事 一度やめた仕事に復職 一度別れた人と復縁 幸せと思うとともに、ありがたいと感謝 やっぱり私は特別な存在かなぁ?」
 「自分の存在そのものが特別という視点は新しい発見だった。と同時に「存在しているだけで特別」なのだろうか?という疑問も残った」
 「私がいなくなれば世界はなくなる?だから私は特別である?」
 「そもそも「特別な存在」って何?モヤモヤした感じがいくらか鮮明になった感じがして、一安心です」
 「はじめて参加させていただきましたが、とてもたのしかったです。自分だけは特別な存在?それは、自分の眼だけでは、自分のことだけは見ることができないから?ということは感覚(五感)のなかで、視覚は特別?」
 「私は遅れて到着しましたが、それ以前に出た話題が紙に書かれ、かつていねいに説明されたことで、加わりやすくなり、感謝いたします」

 

【第38回目の記録】嫌われる勇気
 第38回人生カフェは平成28年11月26日(土)、8名(男性2名、女性6名)の参加によって実施された。

 今回は、『嫌われる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教え~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
 「原因論と目的論」(28)
 「なにが与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか」(44)
 「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」(107)
 「課題の分離」(147、153)
 「自由とは、他者から嫌われること」(162)「嫌われることを怖れるな」(163)
 「より大きな共同体の声を聴け」(193)
 「肯定的なあきらめ」「「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める」(228)

 上記について、しばらく対話した後に、次に、この本の中で気になった個所(疑問に思った個所)を挙げてもらった。
 「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」(70)~自分自身だけの悩みというのもあるのではないか?
 「論理の言葉を信じる」(106)~論理だけを信じるということはできるのか?
 「誰の課題なのか?」(140)
 「信用と信頼」(231)
 「他者貢献・他者信頼」(237)~信頼と貢献ということがとても重要なことであるとは思うが、それらがストンと胸に落ちない。
 「題名と青年の突然の気づき」~本のタイトルはしっくりこない。最後に青年が突如として悟ったような感があり、そこに違和感を覚える。

 以上を踏まえて、さらにこの本についての対話は続いた。
 この本には対になるキーワードがいくつかある。
 原因論~目的論
 縦の関係(上下)~横の関係(対等)
 ほめる・叱る~喜ぶ・感謝・お礼
 他者からの承認~他者への貢献
 依存~自由
 行為のレベル~存在のレベル

 現状は上記の左の方の考え方に支配されている。それを右の方の考え方に変えていこうというのがこの本の主張である。納得のいく強い主張であるが、極端に右の方にいくと問題も起きそうである。

 対話の中で、「自然に」「素直に」誉めたり、怒ったりすることができれば、それはそれでいいのではないかという話も出た。また、「自由」になる勇気が、幸せと関係しているのではないかという話も。さらに「勇気」ということがこの本の底に流れるテーマではないかという話も出た。

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
 「〈嫌われる勇気〉 素直な自由 素直な勇気 素直な嫌われかた 素直に幸せになれる勇気!!」
 「素直に、率直に、ほめる、叱る、ことについて? 「勇気」について?」
 「人はいま、この瞬間から幸せになることができる(250)←を、信じて、いまできることを真剣かつ丁寧にやって(生きて)いきたい。(272)」
 「みんなの意見を聴けて良かった。誰の課題なのか?10年前のことを思い出しました。今のままで幸せ!!」
 「この本は何度も読み込んで来たが、他の人の話を聞いて自分の思い込みで読んで来たなと気づかされる点がいくつもあった。本も思い込みで読んでいることに気づけたことも大きな収穫でした。ありがとうございました。」
 「また、この本についてか、次の『幸せになる勇気』の会を作って欲しいと思いました」
 「このような形の会に初参加だったのですが、皆さんの経験に基づく考えを聴かせていただけて、一人で本を読むのとは別の楽しさに出会うことができました。ありがとうございました。」

【第37回目の記録】なぜ私たちは対話するのか? 第37回人生カフェは平成28年11月12日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「なぜ私たちは対話するのか?」である。
 対話とは何か、ということでいくつかの定義はあるが、今回は一応、ここでは対話とは異なる考えや価値観を持つ者同士が話をすることを指すとした。同じような考えや価値観を持っておしゃべりをする「会話」とは異なるとした。
 まずはメインテーマに対しての自分なりのサブテーマ(問い)を出してもらうことから始めた。
 「「会話」ではなく、「対話」から得られるものは何か?」「対話によって何を得たいのか?(ゴールは?)」
 「なぜ対話に拘るのか?(対話でなくてもいいじゃないか?)」「対話とコミュニケーションとの違いとは?(対話とコミュニケーションは同じかなあ?」「ネットで対話はできるか?(顔が見えることが条件か?)」「文字だけで対話できないか?(顔を隠してできるか?)」「話せなくなったら対話はできないか?」
 「対話をしないで生きていくことはあるか?(可能か?)」「対話は問題解決のベストな方法になるか?」「対話は分断を癒せるか?」「なぜ対立するのか?」
 「対話に必要なスキル・態度は何か?」「相手への想いや、継続の中で、対話は形成されていくのではないか?」
 「対話している様で、そうではないことが多いのではないか?」「対話(する)において「心の境界線」は必要か?」
 「大切なのは、結論か?過程か?」

 この後、今回は全員に「なぜ私は対話するのか?」に答えてもらった。(「私は」であって、「私たち」ではない。)
 「①情報収集 ②自分の考えを広め、深める ③人を理解する」
 「対話する相手が好きだから」「相手を理解するため」「「相手」(自分)を愛するため」
 「自分を変えるため。対話することにより、人の話を聞けるようになった」「自分自身の許容範囲を広げるため」「自分の信念に揺さぶりをかけるため」「自分が有利になりたいから」
 「会話は楽しいが物足りない。対話のなかにこそ、何か(気づき、ヒント)を見出せるような気がするから」「自分の考えの普遍性を確かめるため(対話の場でないと聞いてくれない!)」
 「キャリア相談の場面で、対話的支援が必要だから」

 この後、テーマに沿って、フリーに話をし合う。
 ひとつ人種、民族、言語、宗教などが異なる者同士の対話をイメージする。そこではお互いが争わないために、トラブルを起こさないようにするために、あるいはトラブルが起きたときにうまく解決するために……、すなわちお互いを理解し、仲よく暮らしていくために、対話は必要のようである。究極的には、対話は殺し合わないために必要である。
このように対話は異なる者同士が共存していくために必要なものとして、捉えられる。
 一方で、対話により、共同で真理を探究しようとする営みがある。一人では容易ではないが、集団で普遍性を追究する。これは贅沢な行為のようであるが、不確実、不透明な時代においては特に求められるものである。
 上の2者の底に流れているのは、お互いに共通な、確固としてものを見つけようとする意識である。共通基盤が見つかれば、それを拠り所にして、みんなが協力して先に進めるという感覚があるからである。

 以上のようなことをはじめとして、様々な話が展開したが、時間切れとなった。最後にひとりひとりにメインテーマについてフリップを書いてもらった。
 「愛するために!」「相手を理解する」「結論:対話の目的は他者と分かり合えるため」
 「私たちは独りでは生きていけないから対話をするのではないか(生きていくため)」「対話は人生を豊かにする」「対話といふは相手を通しての自己発見と見付けたり」
 「まず相手に対する信頼があって対話が進められるように思った」「日常的に対話の端緒を見出して、対話を形成していけたらいいな」
 「本日までは、ネットでも対話はできそうだ!(人工知能でもできそうだ) 生身の人間の必要性がわからなかった」
 「他者(相手)がいることの意味は大きい。「漂流」している中で、何かしらみんなと共通の島を見つけたい気持ちがある」
 「中高年の人生カフェに参加して、皆の話を聞き、話をすることが対話かなぁ?」

 

【第36回目の記録】日常生活の冒険

 第36回人生カフェは平成28年10月22日(土)、12名(男性8名、女性4名)の参加によって実施された。

 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「よりよい人間関係をつくるには?コミュニケーション?」「コミュニケーションの取り方?」「対話とは何か?」
 「人の役に立つ身の回りの事って、どんなものがあるのか?」「自分のためよりひとのためにすることのほうが、より満足感を得られるのはなぜか?」「優しい人(子)になる(なってほしい)っていうことは?」
 「日常生活の冒険とは?」「おどろきと好奇心とは?」「勇気とは?」
 「老いについてどうとらえてゆくか?」「不老不死はいいことか?」
 「個人主義とは何か?」「組織は個人の責任をどこまで負うべきか?」
 「不寛容社会は止まらないか?」
 「『平和』とはどんな状態のことを言うのか?」
 「本音とは何か?」
 「整理をするために捨てるのは大切とわかっているのになぜ難しいのか?」
 「運命はどう変えるか?」
 「逃げるのは悪い事ですか?」
 「元号と年号とは?」

 この中から今回は「日常生活の冒険とは?」がメインテーマに選ばれた。(提案者も大江健三郎の著作を意識していたみたい。)

 冒険というと、一般的には日常生活からの逸脱のイメージがある。それをあえて「日常生活の冒険」というのはどういうことだろうか。
 日常生活の中でのちょっとした変化、例えばふだん歩いていた道を少し変えてみるとか、ということらしい。習慣になっている思考パターンが少し変化する。それは比較的安全な場で行われる。だから安心して楽しめる。
 それは一般的なイメージの冒険と異なって、長期的な決断の場合もある。例えば、ローンを組んで家を買うなどのことである。これは明らかに人生上の冒険であり、リスクも伴う。

 いろいろな方面に対話は展開したが、最後に参加者に一言ずつフリップに書いてもらった。
「小さくても冒険(勇気を出していく)をしていかないとボケる。」
「いつでも冒険 いつでもチャレンジ」
「日常生活における楽しい冒険をしていきたいと思った。」
「日常生活の冒険には勇気・新鮮さ・拡大とリスクも含まれる。老いと安定。冒険ができることである。」
「私にとって本当の意味の冒険とは、新しい自分の発見と人との出逢い、心の交流ではないかという気がする。(優しさに出逢うことなど) 冒険は出き得る限りしていきたい。」
「(自分の)日常生活から少し離れた冒険~人との出会い、本との出会いを通して、他人に小さくても喜びを与えられる人生を送って、老いを迎えられたらいいなあ。」
「日常生活の冒険 危険やリスクを伴わない拡大的なもの 新しい経験 (年齢?)(生活の安定?) ※カフェ 」
「身近なところのちょっとした心のかべを乗り越えてみる、勇気を持つのが大事かなー」
「日常生活の冒険とは、「ドキドキ」すること。「ドキドキ」しない冒険はないか?」
「日常生活の冒険とは? 日ごろ思う事を勇気を持って考えていこうかなぁ?」
「思考停止は冒険しないことか?」
「冒険と探検とはどんな違いがあるのか?」
「冒険してないな…」

【第35回目の記録】同情するのは悪いことか?

 第35回人生カフェは平成28年10月8日(土)、12名(男性4名、女性8名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「同情するのは悪いことか?」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たる問いを参加者からいくつか挙げてもらった。(自分が疑問に思っていることを素直に何でも出してもらう。問いの形(最後に「?」が付く文)にする。各人の問いに優劣はない。)
「同情より共感の方がよいのか?違いはある?」「「同情」と「愛情」は違うのか?それとも同じなのか?」「同情は心配と似ていないか?」「「同情」と「憐れみ」は同じか?」
「同情する側の心理はどういうものか?」「同情とは上から目線なのか?」「同情などの感情は自然に出るもので、無理に止めることはできないのでは?」
「「かわいそうに……」と思うことと発言することは違うのか?」「『同情』することにSTOPはかけられないが、その先にある言動に表わすことや、その程度によっては同情は必ずしも良いこととは言えない場合もあるのでは?」「寄付やボランティアは同情なしでできるのか?」
「同情された時に気持ちの違いがあるのはなぜか?」「同情されるのは良いときもあり、悪いときもあるのでは?」
「「情けは人のためならず」は本当か?」
「死刑囚を同情してはいけないのか?」「ベッキーに同情すべきか?」

 同情することは鼻から悪いことだと思っている人たちもいる。果たして本当にそうだろうか?そもそものところを問うていくのが哲学カフェである。
 「同情すること」と「同情されること」は一応区別できるし、上に挙げられた問いも両者の違いを意識している。今回の対話の展開の中でも、両者を区別しながら、そして両者の関係を考えることなども行った。

 最後に、各参加者からコメントをもらった。
「(私の中にある)同情されたい・同情したい この気持ちももう一度見つめたい。」
「同情はやはり深かった。よい感じを知ったのがよかった。」
「同情するのは悪いことか?同情されるのは良いとき⇒おもいやり 悪いとき⇒あわれみ 自分で感じたこと!!」
「自然にわきおこってきた感情としての「同情」は自分の中で見つめて静かに考える、心の余裕をもちたい。(感想)」
「「同情されたい」…人とつながっていたいという気持ちがあるのかもしれない。」
「中身の伴わない(心がない)押しつけの同情を人は嫌う。そして、それを不思議と人は見抜いてしまう。(人は言葉にはだまされない)」
「諄(くど)くない同情を心掛けたい。 「友人がいない」という発言は誰かに同情を求めているのか?」
「大切なことは相手の立場に立った、相手の気持ちに沿った言動だと実感しました。」
「誰でも自分で問題を解決する力を持っている。自分を信じることが相手を信じることにつながる。」
「2つの視点からとらえる。 [自分]同情は自然発生的である。良いも悪いもない。どの様に発信するのが問われる。 [相手]同情を受けた時の感情は、一定の基準に基づいて良い悪いと判断しているものではない。 齟齬が発生するのが前提と考える。」
「同情 ~ ◎自分と相手を比べて優位に立つ⇒同情することで気持ちよくなる⇒メサイア・コンプレックス、感動ポルノ(キケン) ◎相手の立場に立って気持ちに寄りそう⇒(ギモン点)相手のことは本当にはわからないのに、寄りそいすぎるのは自己満足になる場合も⇒まき込まれる(キケン)」
「1「同情」には良いものと悪いものがある。人間関係が重要である。受け取り手の気持ちが大切(世界・日常を知る) 2「同情」する気持ちを人間関係の形成につなげるにはどうすれば良い?  3「同情」するにもさまざまな感情がある。これから「今のは同情?」と考えるようにしたい。相手の反応をみる。」

 

【第34回目の記録】 自分の人生上の悩みを話すカフェ

第34回人生カフェは9月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。

 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにして哲学カフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。
 主に話をしてくれたのは3名であった。(他の人たちはよい聞き役となった。)
 話のタイトルのようなものを列挙すると以下のようになる。
 「人づきあいのこと」
 「(眠っている時にみる)夢のことについて」
 「尊敬する人のこと」
 それぞれの内容の詳細は省略するが、全体の話し合いの流れは以下のようなものである。
 話をしてくれたことに対して、聞き役の人たちからまずは質問や感想を述べる。話し手がそれらの質問等に答える。さらに深めていくために、話し手が体験したことを解釈したり、分析したりする。体験事例からひとつテーマを抽出して、対話を続けていくこともある。これらはすべて話し手のことを理解・共感するという姿勢で行われる。最後に、話し手の感想を聞く。

 参加者にコメントをフリップに書いてもらった。
 「尊敬でき感謝できる人を大切にしていこうかなぁ?」
 「『ずっと心にとめて、努力を続けていくと、きっといいことがある』と信じていたい。みなさんと楽しい話ができました。ありがとうございます。」
 「人にはそれぞれの経験があり、なかなか共有する事ができないので、人生カフェに参加でき、良い時間を過ごせました。」
 「人づきあいは、相手がどうあれ、まずは自分がどんな自分で在りたいかということが大切だと思った。 限りある人生、ストレスを溜めずに自分の好きなことをしていきたい。(Iさんの夢の話から) 尊敬の念であれ、恋愛であれ、人が人を好きになることはステキなことだと思う。」
 「全体的に心地よい時空間でした。 夢の中でのメッセージをありがたくいただきたいと思います。」
 「身体で感じる?快と不快 これが哲学になる?これがなるんだよね。心理学でなくて。」

【第33回目の記録】論理と感情とは何か

 第33回人生カフェは平成28年9月10日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「論理と感情とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 用語の定義等に関すること:「論理とはそもそも何?」「感情とは喜怒哀楽のことでしょうか?」「論理、論理的、感情、感情的、理性、感性のイメージは人によって違うのでは?」「感情⇔理性 は対語ではなく、補完関係にあるのか? 人は未来、感情・理性がどう変化していくのか」
 論理と感情の性質等に関すること:「論理はある程度の時間を要するもの、感情は瞬間的に理屈抜きで作られるものではないか?」「論理は合理化か?感情は発作か?」「論理と感情の境界(線)はあるのか?」「男女の差はあるのか?」「暴力性は?」
 論理と感情、どちらか?:「「論理的」は「感情的」より知性が上なイメージだが、本当にそうか?」「どちらが説得力があるか?(論理と感情、どちらにうったえるべきか?)」「判断に迷った時、(あなたは)どちらを優先させるか?」「どちらにも決められないとき、どうしたら良いのか?」「両者がけんかした時に、最後にどちらが勝つか?」「トップに立つにはどちらが良いか?」

 参加者から指摘されて思うに、確かに「論理」という用語は捉えにくい。「感情」に対しては、「理性」とか「思考」と言った方がまだ分かりやすいかもしれない。今回の「論理」という用語は、要するに理屈や筋道を立てて考えることを指している。
 対話は、欲求や欲望、さらには価値や目標など抽象度の高い話まで発展した。
 そこで、いったん具体的な体験事例を話してもらう第2部に移っていった。そこで出た事例の見出し:「短気で、感情的で損をしたこと」「妻が感情的な共感を求めていたのに、夫が論理的に説明してしまったこと」

 フリーに対話を展開した後、最後に各自フリップに書いてもらった。
 「論理と感情とはよく分からない!感情をおさえず、素直な自分を表出していこうかなあ?」「心はコントロールできない」「論理(理性)と感情はバランスが大切。どちらかに片寄りすぎるのは問題である」「論理(理性)と感情とはバランスが大切」「相手の感情を受けとめる、おしはかる⇒ことを全くしないで理論で攻めるのは暴力。 相手の感情を受けとめる、おしはかる⇒ やりすぎるのもどうか」「『暴力』と『共感』」「国際平和と○○モンスターの増加について 許容されない社会、格差社会、閉塞感、明日の見えにくい混沌とした未来、様々な要因から他罰的な考え、弱者への攻撃 ~感情と論理のバランスと補完~」「「論理と感情とは何か?」という難しいお題で、特に答えが出るわけではないが、いろいろと話したり聞いたりできて良かったです。答えを出すのではなく、とりあえず話す聞くということの効果を知った気がします」「人生(哲学)カフェでは話を聞いてもらえる。そして、人の話も聞ける。そんな「場」がこれからは必要なのかも……」「今はただ祈るだけ」「人生カフェは感情の面にも注目します。(他の哲学カフェとの違い)」

【第32回目の記録】いい言葉は、いい人生をつくる ②

 第32回人生カフェは平成28年8月20日(土)、5名(男性2名、女性3名)の参加によって実施された。

 今回は、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。この本を取り上げるのは5月に引き続き2回目である。

 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「真の友は最大の財産であり、また、最も得がたい財産である。」「本当に信頼できる友だちや味方は、どんな宝物にも負けない人生の宝なのだ。」 (これらから「友だち」の話がいろいろ展開した。)
 「子どもは大人のやることを見よう見まねで試みては失敗し、「どこがいけなかったのだろう」と失敗をバネに、何回もチャレンジを繰り返していったのだ。」「うつの患者さんには、いわゆるエリートコースをひた走ってきたまじめ人間が多い。こういう人の特徴は、反省好きなことだ。過ぎてしまったことをクヨクヨと悩み、ああすればよかった、こうすればよかったと反省ばかりしている。」 
 「悪いできごとは、最悪を避けさせるシグナルなんだよ。」
 (これらから、「失敗」や「反省」などについての話がいろいろ展開した。)
 「頭で考えるな。肌でつかめ。」「「ありがとう」を多く言うと、ストレスが少なくなる。」 (これらから、「ありがとう」や「感謝」などについての話がいろいろ展開した。)
 「ビジネスライクとは、心の軽視ではない。」

 ひとつの文章から話が様々に広がっていくのが楽しかった。例えば……
 「反省」というより、「ふりかえり」という言葉の方がいい。
 「ありがとう」と「ありがとうございます」との違いと共通点について。
 「悩む」のではなく、「考える」~「疑い」から「問い」、そして「考える」

 また、この本のよいところだけでなく、問題点なども指摘することによって、この本を客観的に捉えようともした。これも何人かの人と本を読むことによって得られる面白さである。

 最後に一人ずつフリップに書いてもらって発表した。
 「もう一ランク上のよいセリフを考えてみる。(前もっていくつか考えてみる。)」
 「(今日一日を)「反省」するのではなく、「ふり返って」みよう!! 悪いことばかりの一日じゃない。いいコトもあったよね。」
 「ありがとう ありがとうございます 感謝の気持ちに変わりなし。ふりかえりながら、考え、疑い、信じようかなぁ?」
 「今後は他人に対して、「ありがとう」を言えるようにしたい!」
 「本の中の短い言葉から、どんどん広がっていき、お互いに考えあう、楽しい時間をすごせました。」

【第31回目の記録】宗教・哲学・科学とは何か

  第31回人生カフェは平成28年8月6日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「宗教・哲学・科学とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 宗教に関すること。「宗教→教えをこうということでしょうか?」「宗教は精神安定剤?」「やがて宗教はなくなるのだろうか?」「宗教はぶりょくとなるか?」「なぜ宗教であっても、組織となると本来持っていた目的が変わるのか?」
 科学に関すること。「やがて科学で全てがわかるようになるだろうか?」「科学は「世界」の仕組を発見し、「説明」する行為 でも、「世界」≠「説明」?」「科学は人を動かすようになるのであろうか(人工知能)?」「なぜ現代は科学がもてはやされるのか?」
 哲学に関すること。「哲学は、そもそも「世界」は何かを考える。でも、現在の主戦場は「人間世界」?」「哲学もどんどん変わっているのに、哲学を論じるときに、なぜひとくくりにされることが多いのか?」「哲学は科学の暴走を止められるか?」
 三者全体に関すること。「哲学・科学・宗教がバランスよく機能するのに何が必要か?」「哲学、科学~学ぶということでしょうか?」「宗教と科学は対立していると思うが、哲学はどういう立場にあるのか?」「哲学は科学と宗教を含む?」「宗教・哲学・科学は未来に統一(融合)されるか?」「宗教・哲学・科学の関係性はどう変化するか?」「なぜ宗教・哲学・科学に魅かれる人・魅かれない人に分かれるのか?」「宗教・哲学・科学 いずれも生きていく上で大切なもので、結局目指す方向は同じではないか?」

 まずは、宗教と哲学を比較してみる。
 どちらも世界や人生の意味・価値を取り上げるものであるが、宗教は答えを信じることが基本にあるのに対して、哲学は疑い問うことが基本にある。宗教は物語で説明し、哲学は概念(用語)で説明する。
 次に、科学と宗教を比較する。
 どちらも問いと答えの連鎖の中で、万人が認める確実なものを目指すが、科学は実験・観察などを通して五感で把握できる事実を土台とするのに対して、哲学は言語を使って、概念を土台として意味や価値を追究する。
 以上は教科書的な説明であるが、これらを踏まえて、哲学とは何かを対話を通してさらに探っていく。
 哲学とは、あるテーマについて、その「そもそも」を語ることであり、共に納得できる考え方を見つけていく、誰にでも開かれた言葉の空間である。そのような感覚を持ちながら、現代的なテーマと関連して対話はsらに続いた。
 現代は、①人工知能・ロボット ②生命(遺伝子操作、脳のことなど) ③環境 のことなどが将来的な課題としてよく取り上げられる。人類はどのような道を進んでいけばいいのだろうか?それぞれの課題において、倫理的な問題が横たわっている。これらに哲学の力は必要なのではないか、といった話になっていった。

 最後に、参加者にとりあえずの結論、感想、新たな問いなどをフリップに書いてもらった。
 「哲学とは何かがわからなくなりました」「言葉に表せない多くのモヤモヤを手に入れることが出来ました。最近モヤモヤは大切と思っているので、有意義な時間でした。ありがとうございました。」「哲学・宗教・科学について定義がなく議論されるということでどうなのだろうという思いでしたが、逆にさまざまな意見が聞けてエキサイティングでした。」「哲学・科学・宗教 無知な私には難しかったが、生きていく上で大切なことだと思いました。」「今日は哲学の外部にあるもの(お金、権力、欲望など)を新たに意識しました。」「科学もまだ発展途上であり、万能ではないと思うので、人間は思いあがることなく、常に哲学的視点に立ち返ることや、宗教とはまた違うが、人間の理解の限界を超える力(宇宙的な)の存在を認識すべき。」「科学はつきつめると哲学と切っても切れないと思うが、それを使う人が暴走するのは疑問や意味や価値では止められないと思うので、そうすると止めるのは政治か経済か。案外宗教かも。」「宗教・哲学・科学は、(+と-)相互補完され、それぞれの強みを十分生かされなければ、人類に未来はないと思いました。(現代は人類の分水嶺)」「哲学・科学・宗教について、それぞれは「思考」のため、問いに応じて使い分けすればいい!」「進化の過程には「哲学」が存在する」「新たな問い 科学の道具として生まれた数学は「実世界」を越えて発達してきた。「数学」って何?」

【第30回目の記録】感動とは何か?

 第30回人生カフェは平成28年7月23日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。

 今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。最初に各自が最近感じていること、考えていることから問いを出してもらった。これによって参加者が興味・関心のあるところをお互いに知ることができる。
 具体的でユニークなテーマ:「『実家』とは何か?どこにある?心?場所?」「お墓は必要か?」
 若干抽象的なテーマ:「『死』とは何だろう?」「無常感とは?」「運とは?」「『正しい』とはどういうことか?(倫理?)」「仕事とお金とは何か?」
 人との関係に関連すること:「人づきあいとは?」「強い(上の)立場の人の影響を受けてしまうのはなぜか?」「やさしさとは?」「ひとはなぜうわさをするのか?」「感動することは必要か?」「『ジイさんらしくなる』とはどういう事か? 年齢を重ねるとどうなるか? 外見以外~考え方、趣味、志向~」「人生(哲学)カフェでの対話とは何だろう?」

 これらの中から、今回のテーマは「感動とは何か?」に決定した。
 サブテーマや体験事例を出してもらいながら、メインテーマを考えていった。
 「感動は必要か?」
 「感動を押し付けられるとは?(イヤだ!)」「『感動する』ことを強制(押しつけ?)られることはないか?」
 「『感動』できる自分が嬉しい」「思った事がかなったときの気持ちでは?」
 「『感動』は人(自分)を動かす動機になるか?」「感動を与えるもの(自然の営み、人のやさしさ)のその本質とは?」「感動のコミュニケーションとは何だろう?」
 「感動するポイントの違いは?」「感動の大・小とは何か?」「変わる感動・変わらない感動 そのちがいはナンダ??」
 「不適切なコトバ(表現) (不正確な)(期待に合致しない)」

 最後に、今日のところの自分なりのとりあえずの結論や感想、あるいは新たな問いをフリップに書いてもらった。
 「感動→広い意味で「心が動くこと」なら、この先もずっと感動できる人生を送りたいなぁ……」
 「感動する心を持ち続けたい→これからも変われる(成長できる)?……」
 「感動とは自分で思う事を表現できる気持ち 人との出会いに感謝 心が動く事かなぁ」
 「自分の感動を大切にする。ていねいに生きる。他人の感動に共感する。ただし、巻き込まれないようにする。」
 「感動は意図的なものから生まれるものではなく、予知されない状況から偶発的に生まれる感情で、対象(物)が在ってこそ成立するもの。感動は死ぬまでしていたい。」
 「『感動』があって身体が動くところがある。自分と他人に災いをもたらさないよう、もう一度考え(合って)みよう。(一人で、みんなで)」
 「わたしに適った感動がある!」
 「思考すること(哲学対話・哲学カフェ)は感動の手段かな…?」
 「(感想) 長野からわざわざこちらの会に来ていらっしゃる方がいることに本当に感動しています。」

【第29回目の記録】心とは何か

 第29回人生カフェは平成28年7月9日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「心とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「動物にも心はあるか?」「(人間以外で)生き物すべてに心はあるのか?」「人間以外にも心はあるか?」
「他人には心があるのか?」「AI(人工知能)は将来心をもつようになるか?」
「人(自分)の心を理解できるのか?」「心を通い合わせることは可能か?」「あたたかい心・つめたい心とは?」
「『こころ』はいつ私に生まれたのか?」「心は年齢(とし)をとらないのか?」「心と魂は同じか?」
「心の場所は身体のどこか?」「心の動き(感情)を見ているのは誰(私?)か?」
次に、心に関しての各自の体験事例をいくつか話してもらった。(タイトルだけを掲げる。)
「以心伝心のこと」「『あなたには心がない』と言われたことがある」「『あなたは心があたたかい』『あなたは心がつめたい』とそれぞれ言われたことがある」「ベテラン相談員から言われた言葉」「カラスの集団行動」……
 フリーに対話する中で、いくつかの話が出てきた。
 心といえば、「感情」のことを思い浮かべるのは自然なことである。ただ、心の働きとしては、「知・情・意」の3つの面があることは押さえておきたい。そして、心は価値として、「真・善・美」の3つを求めている。
それでは、そもそも心は何のためにあるのか? 「自己保存」のために脳が作り出したものかもしれない。種としての「人類保存」のためと言っていいかもしれない。また、他人とのコミュニケーションをするために必要だとも言えるかもしれない。
最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
「『心は何のためにあるのか』→『人生』につながる。脳科学、医学、人工知能の発達により答えが導き出されるのか?」「心とは、感情を中心に据えながらも、自分を動かす総合的な力と捉えたい」「心=その人そのものかな?」「今の私にとって、心とは…? 感覚(違和感)と感情(気持ち)と思考(言葉)を大切にすること!」「感情、意志、知識、思いやり→心とは大事なものと思いました」「人間は厄介だ」「(感想) 言葉(思考)で人間同士がわかりあえれば(心が通じ合えれば)いいなあ…」「心は複雑怪奇。無心になりたいが、それはまたさらに難しそう」「いつもは全く存在を意識しない『心』 深く考える事も有意義か?」「心は理解できない (心って何だろう?という疑問がさらに深まりました)」「いろいろ考えさせられることがありましたが、今まで分かっていると思っていたこともよく分からなくなってきました」

【第28回目の記録】自分の人生上の悩みを話すカフェ

 第28回人生カフェは平成28年6月25日(土)、5名(男性3名、女性2名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。

 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにして哲学カフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。

 一番目の人は、これからの転職に関する話をした。新しい仕事の内容やトレーナーとの関係が気になるなどの話が出た。
 他の参加者からは、気負わない、うまくできるかどうか考えない、「無」や「只」の気持ちなどについての話が出た。また、「仕事」や「お金」の話に発展した。
 二番目の人は、「仕事」の話を受けて、現在行っている自らの仕事や活動についての話をした。賃労働や市場とは異なる、「commons」「入会(いりあい)」「結(ゆい)」などの話が出た。
 他の参加者からは、その理想とやりがいを支持・共感する思いが表明された。一方、現実性はどうかとか、本人が本当に納得しているのか、という感想も出された。
 三番目の人は、他の会合でのことだが、20代の男性が「人間関係には期待していない」と発言したことに、「さみしいなぁ」と感じたことを話した。
 他の参加者からは、人間関係が煩わしい、人間関係で傷つきたくない、という気持ちが、人間関係には期待していないという発言に現れているのではないか、という感想が出た。それは、かわいそうなことでもある。ここから、他人とのつながりのことや、「分かり合う」とはどういうことか、といったテーマが抽出され、対話を展開した。
 四番目の人は、相談をされたときの対応についての話をした。その人は、感情に着目することや、解決したいのか・話を聞いてほしいのか、相談に来た人にどの程度介入するか、といった点に注意するといった話をした。
 他の参加者からは、まずはよく聞くこと、相手のニーズに注目すること、相手に対する思いやり、自分にも正直であること、そして何よりもお互いの信頼関係が大切だというような話が出た。

 このカフェで悩みに対する完全なる解決策、答えが出ることは期待できない。哲学カフェだから、「問う」ことを大切にする、そして悩むよりは考え続けるように努力する。
 今回の人生カフェでは、各自の悩みから哲学的なキーワードやテーマを抽出し、それらを参加者全員で考えていくスタイルができたのはよかった。

 最後の方で、「それは『歩く』ことによって解決する」という面白いフレーズも飛び出した。

 

【第27回目の記録】幸せとは何か

 第27回人生カフェは平成28年6月11日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。

 今回のテーマは「幸せとは何か」である。人生カフェは3年目に入り、毎年6月には「幸せ(幸福)」をテーマにすることにしている。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「幸せとはどんな感情か?」「どんなときに幸せを感じるのか?」
 「質と量に違いはあるか?」「「幸福」は人によって違うのか?」「幸せの最大公約数的な形は? 金持ち 権力者」
 「幸せ感の条件は?」「幸せになるための条件は何?」
 「幸せは求めれば得られるものか?」「「ふれあい」で幸せになれるか?」「「今を生きる」 これで幸せになれるか?」「幸せはいつも自分の心にあるか?」
 「ブータンは本当の幸せの国か?」「「公」は人を幸せにできるか?」
 「幸せとは遺伝するのか?」「「幸福」感も脳科学の範ちゅうと考えるのか?」
 幸せに関連する体験事例(エピソード)も何人かの人に語ってもらった。
 フリーに対話する中で、いろいろな話が出てきた。
 幸せになるには人と比較しない。目指す「過程」にこそ幸せがある。今・ここを生きる幸せ。過去・現在・未来を見渡した幸せ。幸せはその人の見方・考え方にある。幸せは「関係性」の中にある。自分の幸せ・他人の幸せ・我々の幸せ。あったかい、機嫌がいい、感謝。セロトニン、オキシトシンなどの幸せホルモン。人間の尊厳と幸せ………
 最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
 「形から入る幸せとは何だろう? 笑顔、あいさつ、掃除など」「あなたは本当に苦難の道(セロトニンを飲まない)を歩む勇気があります……。」「幸せのためにあえて不幸を選ぶ勇気」「「幸福」は心の持ちようが問われる関係性の中から感じるもの 主体性と自律性が人の尊厳であることが出発点」「幸せは人生の経験の一つ」「幸せが幸せな心をつくり、幸せな心が幸せをつくる」「幸せについて考えない」「幸せとは自分を大切にすること。感謝・感動をいっぱい意識すること」「「感謝」で一生を終えたい」「きげんがいい!」「幸せは外に求めるものではなく、自分の内側から発する(感じとる)もの。幸せと思えば幸せ、不幸と思えば不幸」「幸せとはいつも自分の心にある感謝の気持ち。過去はゆるし、現在はほめる、未来は励ます。2017年6月の「幸福とは?」を楽しみに」

【第26回目の記録】

 第26回人生カフェは5月28日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。

 今回はいつもと異なり、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。
 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「人生、楽しくなくては生きる意味がない。これが、私の持論である。私流の「人生の成功」とは、どれだけ楽しく生きたか、どれだけ楽しく仕事をしたかにかかっている。」
 「「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。」
 「戦争中、青山の病院と自宅が東京大空襲にあって炎上したとき、みなが表参道方面に逃げていくのを見て、(母は)「みんなと同じことをしていたら、共倒れになる」と言い張り、反対方向に逃げるよう家族を叱咤激励し、結局、全員無事に逃げおおせた。」
 「自分で自分を評価できなくて、どうして長い人生を生きていかれるだろうか。自分は自分自身の最大の味方であり、最高の評価をする人間でありたい。」
 「そうあってほしい100パーセントの世界から、少し引いた60パーセントや80パーセントで生きていこう。「足りない」という焦燥感や不満がなくなり、ゆとりや柔軟性が生まれてくる。融通無碍な生き方が自分のものになってくる。」
 「何のために俳優をやっているのだろう。人気?豪華な生活?お金?何度問い直しても、答えはこうだった。「血がたぎるような舞台をしたいからだ」……。」
 「1日10回感動すること。それが長生きの秘訣です。」
 「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」

 茂太さんの祖父・紀一さんは大病院を建て、国会議員にもなった傑物だった。その娘が茂太さんの母親の輝子さんで、こちらも愛すべき自己チューな人物だった。輝子さんの夫(茂太さんの父親)が、短歌で有名な齊藤茂吉である。茂太さんの弟に作家の北杜夫がいた。まさに『楡家の人びと』の世界であり、この血筋の背景は、この本を読んでいる時にどうしても意識してしまう。

 茂太さんの人生観のベースに「楽観的」ということがある。人生上、苦と楽の経験はどちらもある。それらの経験を楽観的に捉えるか、悲観的に捉えるか、まさに事柄の見方によって人生が変わってくる。茂太さんは皮相的な楽しみだけではなく、いろいろな角度から人生を楽しもうとしている。

 最後に、参加者からひと言ずつフリップに書いてもらった。
 「人生60点、60% ゆとりや柔軟性 融通無碍な生き方 信頼できる友、人生の宝、大切に 感動を自然にしていこう!」
 「笑顔は人も自分も幸福にすることができる。笑顔でポジティブに生きることが幸せに生きる道なのかもしれない。」
 「いい人生をつくるには、(ある程度は)自分の心掛け次第。客観的な立場でセルフプロデュースすることも大事なのではないか。」
 「「楽しい」ことは「幸せ」である。」
 「楽観的な生き方をまずは求めよう!その先は何か?」
 「「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」」
 「「自分が何者かを知ることが人生の目的」⇒宗教・哲学・心理学からのアプローチ(共通課題)←(対立)→知ることはできないならば、つくるしかない(何者にでもなれる) つくっていくことが目的……」
 「人生についての様々な視点に立った意見が聞けて、自分でも思いがけない収穫がありました。一人で考えていてはと、とうてい気づくことのできない気づきを得ることができ、とても良かったです。楽観的と悲観的の話が、とても勉強になりました。物の見方で人生が変わること、これは大きな収穫でした。」

【第25回目の記録】

 第25回人生カフェは5月14日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。

今回のテーマは「痛みとは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「もし痛みというものがなかったらどうなるのか?」「痛みを止めて、思考が停止するとしたら痛みを止めるか?」
 「肉体的な痛み(痛む)(痛い)とは?」「精神的な痛み(痛む)(痛い)とは?」
 「自分の痛みと向き合う必要はあるか?」「私にとって痛みとは?  からだ(いのち)の意味あるメッセージ? からだの声をすなおに聴けることが大事」
 「他人の痛みは分かるのか?」「他人の痛みを分かる必要があるのか?」
 「他人(自分)の痛みは分かりずらい(心、体) イメージではなく体験・経験からくるもの?」
 
 何人かの人から、痛みに関する体験事例を出してもらった。タイトル的に以下に掲げる。
 「夫の死」「対人関係の悩み」「歯を抜く」

 以上を踏まえて、対話を深めていく。
 痛みとは、それによって自分を実感できるというような面がある。
 他人の痛みには、その本人にとっては触れてほしくない、そっとしておいてほしいものもある。
 一方で、他人の痛みに感情的に巻き込まれてしまうことがある。それによって、自分の方の精神が乱れて混乱することもある。痛みに対して、自分が壊れてしまわないで、共感できる範囲というものは自ずからありそうである。

 最後に、各自のとりあえずのコメントをフリップに書いてもらった。
 「自分の痛みをどこまで引き受けられるか?他人の痛みをどこまで引き受けられるか?」「心の痛みを感じてしまいました。⇒生きてゆけない感情⇒でもいいんです。これが私です。※痛みは心も身体も強くするもの」「肉体的・精神的な痛みとは、生活の為、からだ(いのち)の意味あるメッセージ。出産の痛みは嫌な痛みではない!」「『痛み』は生命維持のための大切な(欠かせない)信号(シグナル)。精神的にも肉体的にも痛みを経験することは意義あることなのかと思えた。」「痛みは『神様、仏様など』の声かな?」「いろいろな意見が聞けてとてもためになりました。自分の考えだけだと広がりがないので、言葉のキャッチボールは大切だと思いました。身体が痛いのはどうにもならないとしても、無意識にせめたりして自分を痛めつけるのはやめようと思いました。」「一つのテーマについて長時間話し合うという、久しくしていなかった体験ができました。否定されないことは、うれしい。心地よい時間でした。ありがとうございました。」

【第24回目の記録】

第24回人生カフェは4月23日(土)、8名(男性5名、女性3名)の参加によって実施された。今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。
 最初に各自が最近感じていること、考えていることを出してもらった。これによって参加者が関心のあるところをお互いに知ることができる。
 「心とは何か?」「気とは?」「笑いとは何か?」
 「『偶然』とは何か?」「長男は責任が重い・軽い?楽しい・苦しい?」「世界は一冊の本か?」
 「人生でいちばん大切なものは何か?」「『時間』とは何か?」「『お金』とは何か?」
 「ジェネレーションギャップとは何か?」「65歳は高齢者か?」「結婚しない40代の多さは親も悪いのか?」
 この中で、今回は「いちばん大切なものは何か?」というテーマに決めた。このテーマと同様なテーマはかつて人生カフェで取り上げたことがある。その時のメンバーとは半数以上が異なる。
 このメインテーマに対して、各自が関心を持っているところのサブテーマを挙げてもらった。
 「お金が一番か?」「お金で心が満たされるか?」
 「愛が一番か?」「家族か?」
 「健康が基本にあり、①は人間関係、②はお金か?」「健康なからだ、精神力がいちばんか?」
 「大切な時間とは?」
 「『価値』とは何か?」「『価値がある』とはどういうことか?」「自分の価値観と他人の価値観のずれとは何か?」
 「いのちのしあわせ感? 〈手段として〉お金、健康、時間、人間関係、コミュニケーション?」「いちばんではなく二番、三番……の意味は?」
 かつての人生カフェとはやはり異なるサブテーマが多数出てきた。

「いちばん大切なもの」に関連した各自の体験事例(エピソード)を何人かの人に披露してもらった。それら事例のタイトル的なものだけを並べておく。
 「現場での事故と日常」「痛みと健康」「95歳の母親のこと」……
 最後のセッションで再びメインテーマを深掘りしていく対話を行う。そして、とりあえずの各自のコメントをフリップに書いてもらう。とりあえずのコメントとは、それぞれの人にとっての、①とりあえずの結論 ②とりあえずの新たな問い
③とりあえずの感想 などのことである。
 「いちばん大切なものは……何をしたか・するかではなく、どんな自分で在ったか・在るかではないかと思う」「大切のものは人生そのもの。(支える)時間、健康、金、生活力等)」「健康なからだ 精神力 いのちのしあわせ感 気=エネルギー (お金、バランス)」「かえがえのない日常 誰かのための時間 気を養う詩」「家族>友人>職場>地域 愛情・思いやり>健康>趣味>お金 バランス」「価値観の多様 身体の健康 心の健康(強い心、愛の心) お金(どの程度?) → いろいろな事ができる 目標も持てる (自分のため、相手のため)」「誰かのために…!? ⇔ 自分のために…!? (愛情)」「人生観の再認識(人と自分)」

【第23回目の記録】

第23回人生カフェは平成28年4月9日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「人生の意味とは何か」である。

 「起」~簡単な自己紹介に続いて、今回のメインテーマを確認する。

「承」~メインテーマを受けて、各自がサブテーマを述べる。これによって各自の興味・関心のあるところが分かる。

 「なぜ時々空しくなるのか?」「底なし沼の空恐ろしさ? 生と死⇒モラトリアム」

「なぜ人生に意味が必要なのか?」「人生の意味は?自分でつくる」「人生の意味が理解できる時は来るのか?」「何のために生きているのか?」

「死が現実に身に迫った時に、人は生きることの意味を見出すのではないか?」「いずれ死んでいく運命なのに、なぜ生まれてきたのか(くるのか)?」「生まれかわりの人生とは?」「死ぬなんて生まれる前に戻るだけ」

「転機はどこまで人生を規定するか?」「人間関係・対人関係の問題」

「時間という権力者には逆らえない」「言(語)葉の意味から解放されたい」

 「転」~抽象的な話に終始せず、自らの具体的な体験事例を加味していく。これが人生カフェの特徴である。

  事例のタイトルだけを掲げておく。

 「実際に空しく感じた時」「人生はいつもこれからだ」「意味が必要な時 受験勉強には意味がない」「事象はニュートラル、心の持ちよう 2時間30分の通勤(転機)」「哲学対話(カフェ参加)する人、しない人」「工事現場で怪我(日常は脆い)」「ギャンブル」「意味を探して堂々めぐり……」

「結」~メインテーマに対する答えを求めて、参加者同士で対話を展開していく。

 「人生の意味」というテーマについては、どうしても「死」というものを考えざるを得ない。死との対比で生が見えてくるようにも思う。しかし、そもそも死もよくわからないものである。

 今回、「転機」ということが一つのキーワードになった。転機も過去の自分の一部が死に、新しい自分が生まれるということである。転機において、新たに生きる力や意欲を見出すために、生きる意味を問い直すことが行われる。

  生きる意味を他律的に与えられて自分の人生を吊り上げてもらうか、それとも自律的に自分の生きる意味を見出そうとするか、といったことも話題に上った。

最後に、今日の各人のとりあえずの結論めいたもの、あるいは感想やさらなる問いなど、とにかくコメントをフリップに書いてもらった。

 「生まれる前と死んだ後のことを差し引くと、私にとっての人生の意味はとりあえず幸福と愛である」 「人生はいつもこれからだ。生まれかわりの人生を大事にしていこう」「限られた時間のなかで、自分のあり方を追求し続けていくこと」「人生の意味は、生きてみなければわからない。要は年の功…」「人生は個別の問題」「人生の意味を他者とともに考えていきたい。人生の意味を考える場・時間は貴重だ。 人生の意味を考えた(上の)表現として詩を書いていきたい」「目の前の人、ことを大切にしていく(セレンディピティ)」「天気=『転機』=苦痛 ⇒勇気⇒行動」「人生の意味を問う時 苦しい状態を意欲的な姿勢に変える。 視点の移動(新解釈←哲学)ができるコト 他人からほめてもらう」「人生の意味があるかなんてわからなくて当たり前(?) 今日の日常は明日終わるかもしれない。受け身はNG  次回テーマは「死について考える」でお願い致します!」「経験ってすごいな。たくさん考えて、たくさん発見して、もやもやどころか満足してしまいました」

 【第22回目の記録】

 

第22回人生カフェは3月26日(土)、7名(男性5名、女性2名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。
 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにしてカフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。
 話された悩みはタイトルだけを掲げると以下のようなものである。
①健康について
②借金を作り、お金をためられない。
③押しつけられのがイヤ!
④人と輪になって話すのが苦手(知識不足) 雑談が言えない。 年齢的に孤独感
⑤趣味サイトの中で、ページが削除されたこと
⑥強迫観念に捕らわれがち
⑦一人っ子、AB型、運動能力 コンプレックス

 悩みを自分一人だけで考えていると行き詰ってしまう。他人の目が入ると、色々な角度から考えることができる。もちろん、他人の意見をそのまま取り入れる必要はない。自分にフィットするものを使えばいい。(ただし、「良薬は口に苦し」という言葉もあるけれど…)

 3時間近くみんなで話をした後、各自のとりあえずの結論をフリップに書いてもらった。
①健康は努力によって、注意しながら出来るのかと思う。
②自分の為だけにお金を使い、借金をなくし、貯金をしていく。老後のために。
③押しつけたくなる人の気持ちがいくらかわかったような感じがしたので安心。
④1対1と1対50と5~6人とは何が違うのでしょうかねぇ? (評価?) 聴く力。思考。
⑤いわれのないことをやりすごす。人生カフェ参加者を信ずる。
⑥私に強迫観念を植えつけた二人の人間がいるが、ほんとうはその人達こそ、心に弱さを抱えていたのではないかと、今は理解している。従って、今では二人を恨んでもいないし、また、自分自身のその傾向もありのまま受け入れて許していこうと思う。
⑦関心の輪~A  影響の輪~B   〈努力してできることとできないこと〉 Bなら努力克服 Aなら諦めたい(やりすごす)

【第21回目の記録】

第21回人生カフェは3月12日(土)、9名(男性6名、女性3名)の参加によって実施された。今回のテーマは「私と他人とは何か」である。
「起」~簡単な自己紹介に続いて、今回のメインテーマを確認する。
「承」~メインテーマを受けて、各自がサブテーマを述べる。これによって各自の興味・関心のあるところが分かる。
 今回は大きく2つに分かれるテーマが出された。一つは、私と他人がこの世界でどのように成り立っているか。(難しく言えば、この世界の存立構造の探求) そして、このことはどのようにして追究できるか、といったテーマである。もう一つは、私と他人ということを実際の人生上・生活上の人間関係と捉え、そのありかたはどうなのかといった問いである。このように幅広く問いが出てきて、面白かった。
 「私だけが存在しているのではないか?」「独我論 私だけが存在? 相手も同じ? 自分だけ? ロボットは心をもつか?」「私だけがこの『私』として選ばれたように感じるのはなぜか?錯覚か?」「
 「『他人』は私にとって本当に他人なのか?」「『他人』は何のために存在するのか?」「私とあなた?」「自分が生きている証?」
 「世界5分前仮説?私の継続性?」「科学の発展により、どこまで解明されるか?哲学、宗教との関係性はどうなるのか?」
 「他人は私の競争相手か、仲間か?」「私と他人とはときには友人?親友?仲間?」「私にとって他人は、捨てる神?拾う神?」
 「他人の問題をどれだけ自分の事として考えられるか?」「他人の何を知りたいのか?」
 この後、フリーに対話する中で、私と他人との区別を強く意識する人とそうでない人とに分かれた感がある。前者は私を「特別な」存在と意識しがちであり、後者はそれほどではないという違いがある。
「転」~抽象的な話に終始せず、自らの具体的な体験事例を加味していく。これが人生カフェの特徴である。
 事例のタイトルだけを掲げておく。
 「人の不機嫌に巻き込まれること」「私にとって人は感謝できる人」「他人をその時々で使い分ける」「生後6か月の孫に対して、他人とは思えない。感覚として分身だと思える」
 「映画や小説で他人の人生を疑似体験するのが楽しい」「真実は常識ではない。UFO、不思議体験 なぜ→どのように 独今論」「我と汝 我とそれ 根源語」
 私と他人の間に「分身」という感覚が存在するというのも、面白いと思った。これを女性特有の感覚と言ってしまわない方がいいような気がした。

「結」~メインテーマに対する答えを求めて、参加者同士で対話を展開していく。最後に、今日の各人の結論めいたもの、あるいは感想やさらなる問いなど、とにかくコメントをフリップに書いてもらった。
 「私と他人」というテーマに対して、人間関係として捉えるものから、世界の中でのあり方そのものを問うものまで、サブテーマを考えていく中で出てきたことが最後まで続いていた感がある。それだけ幅の広い話ができたということでもある。
 「人が恐い、人がライバル、人が敵⇒人が友だち、人が仲間、人が面白い」「他人と歩調を合わせて生きる。でも自分は自分でしかない」「幸せを求めてる関係でありたい」「根源語(我と汝 我とそれ) 良い言葉をありがとう。私と他人は同じ人間」「(絵を描いてもらった。)頭の中に二人の人がいる。そのうちの一人は他人との間に存在してくれている」「他人の存在が私を浮き彫りにしてくれる。(他人がいなければ、私の確認のしようがない」「
 「哲学的問題は、自分の問題となれば、答えを求め、出さざるを得ない。私と他人 他人を自分と同様に認める。(嫌な奴、そういう人もいる、と割り切る) 我と汝に近づく。 久しぶりに考えたので、頭が痛くなった」「考えていることは同じで安心。独我論は矛盾。独今論。but証明はできない。脳科学と心理学、物理学等が横断的に統一する方向→科学の進歩 哲学、宗教との融合」「私がこの『私』であるのは『偶然』か?あの人であったかもしれない。すべての他人を思えるようになりたい」

【第20回目の記録】

 第20回人生カフェは2月27日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。
 最初に各自が最近感じていること、考えていることを出してもらった。これによって参加者が関心のあるところをお互いに知ることができる。
 「『こころ』はどこにあるか?」「『時間』とは何か?」「人に迷惑をかけなければ悪いことをしてもよいか?」「世の中で一番大切なものごとは何か?」「お金で買えないものはあるのか?」「ポジティブとネガティブ、どっちが好き?」「孤独と愛とは何か?」「好きになるとはどういうことか?」「力の時代?」「『かわいい』『カワイイ』という言葉が注目されるのはなぜか?」「自分にとって幸せとは何だろう?」「同年代・同世代の物事の考え方?」「なぜ人は話をしたくなるのか?」「人間関係をつくるために大切なことは?」「知人(友人)とは狭く深く、広く浅く、どちらか?」
 上記の最後の3つは人間関係に関することであり、このあたりに関心を寄せる人は多かった。その中で、「なぜ人は話をしたくなるのか?」というテーマが具体的に考えやすそうであり、かつ改めて考えてみたいテーマということで、当日のテーマとして採用された。
 このメインテーマに対して、各自が考えたい視点、すなわちサブテーマ的なものをいくつか出してもらった。
 「それは必要なこと?本能?欲求?自然なこと?」「だれに、いつ、どんな時に、何を?」「話すことで何を得るのか?」(これは二人の人が出した。) 「初対面とか、初参加のときは話をするより聞くほうになるのはなぜか?」「聞くことより大切なことか?」
 これらのサブテーマをもとにして、しばらく対話をした。
 次に、テーマに関する体験事例(エピソード)として、「彼女にした自分についての話」「好きな人、友達に話をしたい衝動にかられたこと」といったタイトルの話をしてもらうことを通して、「なぜ人は話をしたくなるのか?」という問いに対するいくつかの答えを出してきた。
 「自分のことを分かってほしい」「自分を表現したい」「自分を印象づけるため」「知識(情報)として、生き方の指針として、悩みの共有感のため、気持ちの安定のため」

最後に、参加者からテーマに関してコメントをフリップに書いてもらった。「話すこと」については、肯定的に捉えている人が多かったが、もちろんそれだけではない。
 「話をしたくなるのは健康的(自然)である。話をしたい気持ちを大切にしたい」「嬉しいにつけ悲しいにつけ、人は人と話すことで繋がっていたいと願うものだと思う。(承認欲求も含め) なぜなら、孤独感を感じやすい生きものだから」「人とのふれあい、コミュニケーションであるのかな」「承認欲求と自己満足。話すことで考えがまとまり、別のアイデアが浮かぶことも」「話をしたり聞いたりすることがポジティブなつながりになるといいと思う。人間関係を作るために大切なやりとりなのではないだろうか」「気持ちや考えを分かってほしい。認めてほしい。理解してほしい。基本的欲求(快食・快眠・快○) 人とのつながりを求めたい。心の安定のため」「はなせばはなすほど、お互いの違いがはっきりしてくることが楽しい。だから話す場にいる」「話したい欲求(自然)に乗り、話すことはポジティブだ。しかし、そこをあえて話さない知恵も必要」「他人に認めてもらいたいと思うから話をしたくなる。けれど、結局は他人との距離感を微妙に感じなければならないと思う」「話をしたいときも、話をしたくないときも、その日の気分かなぁ」
 おほめの言葉ももらった。「○○さんの深い(?!)話に感動!! □□さん(ファシリテーター)の巧みなMCぶりにも感動でした!」

≪追加のコメント≫
 話をしないと分からないことは多い。人の感じていること・考えていること、すなわち心の中はテレパシーができるわけではないから、普通は話をしてもらわないと分からない。
 話すことはコミュニケーションのための有力な手段である。文章を紙に書いて渡す、メールを書いて送るなどもコミュニケーションの手段ではあるが、話すことはその中でも強力な手段である。
 以上の基本的なことを押さえたうえで言っておきたいことがある。
 いくら話しても分からないこと、相手に通じないということはあるものである。
 また、余計なことまで話して、かえって人間関係がごちゃごちゃになることもある。「物言えば唇寒し秋の風」「口は災いの元」

【第19回目の記録】

 

 

 第19回人生カフェは2月13日(土)、6名(男性3名、女性3名)の参加によって実施された。今回のテーマは「悲しいとは何か」である。
 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。これによって、それぞれの関心のあるところが見えてくる。
 「なぜ人は悲しむのか?」「悲しみがわからない」「悲しみ…できたらさけたい言葉…考えたくない…」
 「失うことは悲しいか?」「自分の気持ちが他人に伝わらないとき、悲しい気持ちになるのか?」
 「悲しみは人に何をもたらすか?」「悲しみは多いほど自分に勇気、自信をもたらすのはなぜ?」
 「悲しみを十分に体験するにはどうしたらいいのか?」「喜びと悲しみは表裏一体か?」「分かち合う喜びは2倍、分かち合う悲しみは半分」
 何かを失うという喪失感が悲しみを生じさせている、そしてその対象との関係が深ければ深いほど、悲しさを大きくする、といったところは共通認識になった。
 その上で、人生カフェであるから、メインテーマに関連して、各自の体験事例(エピソード)を一つずつ披露してもらった。エピソードのタイトルだけを掲げる。
 「最愛の人との別れ」「父の死」「夫の死」「次女の脱線」「失恋」「道路ができた」
 以上を踏まえて、悲しいとは何かについて、フリーに対話を続けた。
 最後に、本日を振り返って、各自にフリップに一言ずつ書いてもらった。
 「大事なもの・大切なものを失うことは、悲しい、辛い、痛い…」「悲しいとは…信頼できなくなった時、分かってもらえない時」「喜びも悲しみも幾年月。悲しみの多い方が勇気、自信をもたらす。喜びと悲しみは表裏一体である」「悲しみは一見不必要と思われるが、悲しみがあるからこそ喜びがある(感じられる)」「悲しみから哀しみへ」「実感のない  今を生きる」
 感情面に着目してのコメント。
 悲しみの一つ手前に「怒り」がある場合がある。……悲しみがある。喜びがある。……悲しみと哀しみ、哀しみは穏やかさに包まれた情感がある。
 (PS)
 私は昨日折り畳み傘を失った。(置き忘れた。)
 しかし、あまり悲しくない。私はこの傘をあまり大事だとは思っていなかった。(それほど高くないから、また買えばいいくらいに思っていた。)
 だが、一方でもっと注意深く傘を持っていればよかったのに、といった怒りも生じた。これは自分に対する怒りである。

【第18回目の記録】

第18回人生カフェは1月30日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「将来の夢とは何か」である。

 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。
 「人生にとって夢とは何か?」「果たさないのが夢?」「夢は何のために必要か?」「夢は頼りになるのか?」「夢を持つと楽しいか?」
 「夢と目標の違いは?」「夢・理想・目標 違いは?大切なのはどれか?」
 「どうして将来の夢を考えさせるのか?」「将来の夢⇒職業(仕事)なのか?」
 「夢と呼んでいるものの『質』はどう変化するのか?」「共有するものと個人(パーソナル)な夢の差はあるか?」「中高年の夢は若者の夢とどう違うのか?」
 「何をしてよいかわからない。夢(教えてください)」
 今回は想定外の問いが多く出て、その後の対話も活発に展開した。
 人生カフェなので、メインテーマについての各自の体験事例(エピソード)を一つだけ挙げてもらった。そのタイトルだけを列挙する。
 「夏目漱石ボランティアガイド」「2020年東京オリンピックを家族で見る」「サロン共同オープン」「ドイツ語の新聞を読みたい」「SOSを出している人への支援」「宇宙の謎を知りたい」「ネコになりたい」「おもしろそうなことをすなおにやってみること」「自分が成る訳でない夢」
 各自が自分の夢を語ってくれた形になったが、具体的なものから抽象的なものまで、バラエティに富んでいた。
 最後に参加者にフリップに書いてもらった。
 「夢とはあこがれ。目標を立てさせるための想像力⇒夢を持つことは楽しいこと!」「目標を実現するための推進力。想像。わくわく、楽しい」「夢は達成されないロマン、ドキドキ感のある願望である。時間を忘れて夢中になれること」「年代に関係なく夢は持つべき。なぜならワクワクドキドキ楽しいから」「健康のために夢を利用しよう」「将来の夢を考えなくてもよい状態でありたい」「どんな夢でも自由である」「ネバー・エンディング・ストーリー(果てしない夢を追いかけて)」
 夢は内発的なものである。(だから人に言わなくてもいい。) 
 夢はワクワク感を伴い、楽しいものである。だから人の行動の推進エネルギーになる。

 【第17回目の記録】

第17回人生カフェは「対話のワークショップ」という特別プログラムだった。
 1月10日(日)の午前10時から午後5時までの7時間の長丁場であった。(初めての試みである。) 男性7名、女性2名、合計9名の参加であった。
 対話のテーマを参加者で決め、各自の体験事例から対話を展開する。これらを通して「対話」について考える。これが趣旨である。
 一応、起承転結のプログラムを用意している。
 「起」:各自から、自分の興味・関心のあるテーマを出し合う。出てきたテーマを例示する。
 「性格とは?」「やさしさとは?」「人を思いやるとは?」「普通においしいとは?」「電化製品の買い時は?」「鏡を合わせて1500回反射すると?」「タイミングについて」「としをとることのメリット?」「老人の優位性とは?」「この世とは自分か?」「ペットロスって何だろう?」「存在価値、生きている意味」
 この中から、今回は「年を取るとは何か?」にテーマを決定した。
 「承」:「年を取る」というメインテーマに対して、各自がサブテーマを考える。
 「個人差があるのでは?」「10年後どうなっていたいか?」「去年よりどこが成長したか?」「社会的成長しかないのか?」「年を取るとなぜガンコになるのか?」「年を取るとなぜやさしくなるのか?」「ガンバラない人生とは?」「自分を信頼するとは?」「人生とは考えた通りになるのか?」「生きることに近づくのでは?」「存在証明は必要か?」「ひとはいつから『経験』をするのか?」
 これらサブテーマを基にして、しばらく対話をする。
 「転」:メインテーマに関する自分の体験事例(エピソード)を紹介する。そのタイトルだけを掲げる。
 「父の死」「両親の死」「兄弟の縁」「サラリーマンをやめてやっと自由になれた」「「居直る自分」「やさしい言葉づかい」「いじめられるのはデメリット」「体と心」「自分になる」
 この中から「居直る自分」の事例を取り上げ、さらに詳しく聞き、話を展開していく。
 「結」:以上を踏まえて、フリーに対話を重ねる。
 私が印象に残ったのは、「経験」というキーワードである。子どもでも、若者でも、中高年でも、その時々に、1回きりの経験をしている。どの年代も同じように年を取っているのである。
 「結」といっても、明確な結論は出ない。たくさんの考える材料をもらった。
 最後に、何人かの人から感想をもらった。
 「年を取るとは何か?自分を信頼して、素直に居直る。自分を大事にすること」「生きるとはバランスを取り続けること」「年を取るとは、けっこうふしぎなこと。生きるということそのものと、常識的な齢とったねぇの間にある」「人は自分の事を他人に話して、やっと半歩前に進める。話をしないと進めないと思う」「この続きは?」

【第16回目の記録】 

第16回人生カフェは、12月23日(天皇誕生日)に、5名(男性1名、女性4名)の参加を得て、実施された。
 内容は幸福シートを各自で作成し、それをみんなでシェアし、来年のことを考える手立てにしようというものである。
 5人という人数だったので、密度濃く各人の話ができて、とても充実したものになった。
 幸福シートとは以下のようなものであり、各人は自分が書いたものから発表してもよいと思うものだけ話せばいいということにした。他の人からコメントをもらうことによって、自分のシートの内容をさらに豊かなものにしていくことができる。

*今、わたしにとって大切な人【現在】
  ①家族 ②友人 ③職場(学校) ④その他
*今までで感謝したい人【過去】
*当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】
*中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】
*どのような人生を送りたいですか【未来】

 さらに細かく目標や課題を書いていく。
【場面ごとに】 家族 友人 職場(学校) その他
【要因ごとに】 健康 お金 趣味 その他

 このシートは3時間だけで完成させるものではなく、家に持ち帰って考える材料になればいいというものである。

 

【第15回目の記録】

第15回人生カフェは12月12日(土)、8名(男性4名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「嫉妬とは何か」である。
 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。
 そもそも嫉妬とは何かということで、「嫉妬はセルフイメージが関係するか?」  嫉妬はマイナスイメージを持つことから、「妬みは、つまり虚栄心のことか?」「嫉妬は怠け者の心理か?」 マイナスに捉えることはないということで、「正直な心理が嫉妬では?」 さらに、「男に特有の嫉妬はあるのか?」
 そもそも「嫉妬は必要か?」
 嫉妬に対する対応策を探りたい問いは多かった。「嫉妬しない考え方とはどのようなものか?」「比べない生き方はあるのか?」「嫉妬をコントロールするには?」「嫉妬を『善い』エネルギーに変えるには?」  嫉妬されることへの対応策も気になる。「妬みの強い人からどのように避難すべきか?」
 深くて面白い問いとして、「努力ではどうにもできない嫉妬が芽生えた時、どのように自分と向き合うのか?」

 人生カフェだから、各自の過去の体験事例(エピソード)から、さらにメインテーマを考えていく。挙げてくれた体験事例のタイトルを並べる。
 自らの嫉妬については、「最後らしきラブ体験?」「嫉妬から怒り」「本当の自分ではなくなった」「一緒にいたい嫉妬、やきもち」」「同級生に対して」
 人から嫉妬される事例としては、「育ちへの嫉妬」「上司からの学歴・能力で嫉妬された!?」「社長とケンカ」
 強い印象を残した事例として、「嫉妬への対策」があり、これはストーカー的なメールの話であった。これについては、さらに詳しく話を聞いた。 

嫉妬を2種類に分けることができる。(絵図を参照)
 一つは3人の関係で(男女の恋愛関係が典型)、絵図の右側のものであり、これは狭義の嫉妬と言える。もう一つは2人の関係で、絵図の左側のものであり、これは「羨望」という言い方もある。
 この2つは明確に分けられるものではなく、一般には広く嫉妬として認識されているものである。ただ、分けて考えた方が話が混乱しないメリットはある。

 以上のようなことを踏まえて、対話を重ねたわけだが、最後に各自の感想などを書いてもらった。
 「恋愛に伴う嫉妬は、私には過去のものになってしまったか?LOVEからLIKEへ」「捨てる覚悟 自分をつくる」「嫉妬のメカニズムを考えたい」「嫉妬とは偽りのない気持ちのあらわれ 真心」「妬みは心の貧困、飢え。だから克服しなければ生きていけない。よく生きるために妬みは1回は必要かもしれない」「嫉妬は自分の心を見つめるチャンス」「嫉妬はネガティブではない!!嫉妬から生まれるエネルギーを大切に。嫉妬を感じることも他者への共感の一歩」

 嫉妬は苦しい。だから、私(ファシリテーター)は今までネガティブに捉えていた。
 しかし、上の感想にあるように、嫉妬を素直な感情と見ると、そこから新たに見えてくるものがある。嫉妬を肯定的に捉える人もいて、新しい気づきをもたらしてくれた。
 (補足) 私(ファシリテーター)は恋愛体験が乏しくて、このあたりの嫉妬をあまり語れなかったのが残念!(笑)

 

【第14回目の記録】

第14回人生カフェは、11月29日(日)に9名(男性5名、女性4名)の参加によって行われた。
 今回は参加した人たちでテーマを決めるという方式なので、最初に現在、興味・関心を持っていることを出してもらった。
 「死とは怖いものか?」「正しいおいとまとは?」「記憶し続けるとは?」「音・声を記憶し続けることは可能か?」「音・声の不思議さ」「運・運命とは?」「縁とは?」「理不尽」「正義とは何か?」「偽善とは何か?」「「やさしさとは?」「人がいいとは?」「他人の痛みとは?」「親友は必要か?」「劣等感とは何か?」「羞恥心は必要か?」
 この中から、今回は「死とは何か」というテーマを取り上げることにした。
 次に、「死とは何か?」というテーマに関連した自分の体験談(エピソード)を語ってもらった。(人生カフェだから、抽象的過ぎる話にならないように、過去の豊富な体験に基づいて話をしていこうという趣旨である。) 出た体験事例のタイトルは以下のようなものである。
 「足の不自由な片親の死」「母親の死に思う」「母親の病死」「姪っ子の突然死」「妹の死」「父の死」「中国に一緒に行った二人の死」
 この中では、父の死をあまり悲しく感じなかったという体験事例に特に注目して、さらに詳しく話を聞いていった。

死についてフリーに対話した。
 死に際して、納得するか(腑に落ちるか)といったことを考えたり、死に関連して、改めて悲しみというものを考えた人もいた。動物の死と、人間の死とを比較する話も出た。
 最後に、感想や新たな問いなどを出してもらった。
 「死とは納得しなければいけないのか?」「死は納得すればいい!!(いろいろあっても……)」「納得できる死 死についての納得感とは生きるということを知っていること」「どんな死も残された人には納得できない理不尽なもの?でも人間100%平等だからなんて無理に納得してみたりして……」「悲しみの根源」「死を悲しまない自分を恥じなくてもいい」「自分から出る感情とは本当の気持ちか?」「小さな〈動物〉としての死のとらえ方とは?」「まだ生きていたい!≠ 死にたくない」「死にざまは生きざま」

 

【第13回目の記録】

第13回人生カフェは、11月14日(土)、9名(男性5名、女性4名)で行われた。今回のテーマは「経験とは何か」である。
 まずは参加者の問題関心、すなわちサブテーマとなるようなことを出し合った。
 「経験と体験の違いは?」「経験は体験より優れているのか?」~基本的な用語、概念の問題である。
 「「何もかも経験するのは無理」「経験には種類がある」~このあたりは大体が共通認識である。
 「実際の経験と他人の経験を聞く、本を読むなどとの違いは?」「リアルな経験とバーチャルな経験の境は?」
 「睡眠って、経験したと言えるのか?」~これは意識している経験と意識していない経験との違いのことである。
 「自分の意志で経験できることと、自分の意志とは関係なく経験してしまうことでは違いはあるのか?」~これは自ら経験することと、経験させられてしまうことの話である。
 「同じような経験をしているのに人によって受け止め方が違うのはなぜか?」「個人の経験と大勢の経験は同じなのか?」
 「経験を積むことは本当にいいことなのか?」「57年の間に経験したことを自慢してはいけないのか?」「経験者は偉いか?」「経験は人を〈石〉にするか?」
 「人は経験せずに成長できるのか?」「経験とは心の成長の助けになる」「経験は宝、他の人の経験からも学ぼう」「経験したことで痛みを分かち合える」
 「その人の経験はその人の歴史か?」「経験を積むことは想像力ではないか?」
 「失敗の経験を生かすにはどうしたらいいか?」「失敗経験をプラスにする方法は?」

 その後、テーマ「経験」に関する自らの体験談(エピソード)を一つずつ披露してもらった。
 「父親の苦労(戦争と生活)」「上司の経験談(自慢話)」「自分の自慢話」「一人旅の経験」「遊びなさい!部長の言葉」「社長とケンカ」「意識されない経験の不思議(涙のセットポイント)」「呼吸法」「患者会に助けられました」
 この中から「一人旅の経験」を取り上げ、さらに詳しく聞いた。

少し主宰者の考えを述べる。
 「体験」は解釈される。楽観的な見方をする場合もあれば、悲観的な見方をする場合もある。成功と見る場合も、失敗と見る場合も。失敗から学ぶ場合も、学ばない場合も。……その解釈を経て、体験は「経験」になる。

 最後に、参加者の感想・コメント。
 「経験はたくさん気づき、悟ること」「経験とは人生の色である」「質・量とも豊かな経験が必要だと思う。しかし、量は限界がある。身体が必要だから。そのために読書が有効だと思う」「経験とは、経験を積むこと、豊かになることだと信じたい」「生きているかぎり、新しい経験は可能である」
 「いつも新しい出会いや視点が生まれてきてよかったなと思います」「皆さんのお話は自分の引き出しを開けさせ、過去を新たな意味で価値づけ、発見がありました」

【第12回目の記録】

 

 

10月31日(土)、中高年10人(男性5人・女性5人)の参加で開催された。
 今回は参加者によってテーマを決めるというやり方である。参加者から、最近考えていること、感じていることをテーマの候補として出してもらった。
 「人生とは?」「時間とは?」「幸せとは?」「家族とは?」「親子とは?」「母親の役割の終わり方とは?」「友達とは?」「プライドとは?」「個性とは?」「趣味とは?」「情報は多い方がいいのか?」「人の迷惑とは?」「引きこもりとは?」……
 これらの中から、今回は「幸せとは何か?」というテーマが選ばれた。
 次に、テーマ「幸せ」に関しての自分の体験事例(エピソード)を各自から挙げてもらった。
 「喉の病気」「富士登山」「映画への期待」「「子育て」「じわーっと感じる」「自分の弱さをみせられた体験」「今日一日無事で良かった」「何にもない事」「人生カフェに参加できること」「息子の立直り」
 これらの体験の中で、特に「今日一日無事で良かった」という体験に注目して、対話を続けた。
 途中で、「幸せになりたいのか」という問いをめぐって、幸せを強要したり、幸せに対して強迫観念を持つことへの疑問が出された。
 最後の各自のフリップ。
 「(新たな問いとして)孤独だと幸せになれないのか?」「やっぱり!!じわじわの幸せとワクワクの幸せをたくさん求めて生きていきたいです」「いろいろな幸せのヒントをありがとう」「しみじみと生きたい」「幸せ探しは永遠かな?(寄り道=道草しながら)」「人見知りで、集団が苦手なのに、今日はあがらずに話せた自分にビックリ!」「何でもおもしろがる、感謝する」「自分の身のたけにあった生活/人生」「幸せとは自然に感じることかな」「幸せとは出会えることへの感謝」
 
【第11回目の記録】

 

10月10日(土)に開催された、第11回人生カフェのテーマは「怒りとは何か」であった。10人の中高年(男性5人・女性5人)が集まった。

 参加者がどのあたりに関心があるか、メインテーマに対してサブテーマ風に挙げてもらった。いくつかに集約して列挙してみると、「なぜ怒るのか?」「怒りは悪いことなのか?」「怒りは損か、得か?」などが発言された。また、価値観のズレから怒りが生じることが多いので、このズレとは何か?というサブテーマも出た。
 次に、あまり抽象的な話ばかりしていると行き詰ってしまうので、各自から体験事例を出してもらった。面白い事例がいくつか出たが、参加者の関心を特に引いたのは次の2つの事例である。
 「電車の中で携帯電話を使っている人に対して怒りを感じるが、相手が強面(コワモテ)の人だと怒りを表明しないか、あるいは怒りを感じなくなってしまう。」
 「神戸出身の私が、新婚時代、夫から関東弁で注意された一言にものすごく腹が立った。」
 これらの事例を踏まえて、取りあえずの「怒りとは何か」について、各自フリップに書いてもらった。

 「エネルギーである」「精神の波の最高位である」「感情をコントロールできない時」「私はできないということの表れ」「嫌な感情」「悪である」……

 今回の人生カフェは、怒りへの対処法といった実際的な話まで展開した。これは中高年らしいとも言えるし、近年アンガーマネジメントが注目されている現れとも言える。

 怒りとは何か、ということに対する答えとして、「相手によって使い分けるべき感情表現」とか、「必要な時に、必要な分だけ、必要な人に」とか、フリップに書いた人たちも、やはり実際的な対処法に関心があるからだろう。

 まずは、自分の心に生じる怒りに対処する方法。人それぞれではあるが、例示する。「小さいうちに怒る」「怒りを意識して深呼吸」「6秒待つ」「寝る」「うまくできないで怒っているという自分を自覚する」「自分の思う通りには他人を動かせないということを認める」「別の方法を考える」
 他人の怒りに対処する方法、これもいくつかあるが参考に例示する。「その人はうまくできないで困っていると思う」「自分ができることだったら、やってあげる」「自分ができないことだったら、うまくやり過ごす」「人の怒りに巻き込まれない、距離を置く」「その場を離れる」「ただひたすら謝る」「相手の話をよく聞く」「相手は自分に対して怒っているのではないと思う」「第三者を介入させる」

【第10回目の記録】

 

 

 第10回人生カフェのテーマは「別れとは何か」であった。

 9月12日(土)、男性4名、女性2名、計6名の参加によって、対話がなされた。
 やはり別れを考えるときは、「出会い」も表裏一体で考えたくなる。また、別れに伴う「悲しさ」という感情にどうしても関心がいく。「怒り」の感情が伴うこともある。
 別れの最大の出来事は「死」といっていいだろう。他人の死もあるが、自分の死は特別な別れである。
 「別れは自由に生きるための始まりなのか?」といった問いは興味深かった。
 サブ的な問いを出し合った後に、テーマに関する各自の体験を語ってもらった。
 肉親との死別の話が多かった。他に、友との別れや、仕事上の別れ(人事異動)の話もあった。
 最後の対話の段階で、再度、出会いの話とか、自由のために別れるといった話が出され、深められた。
 他に、関連して、「欲」の問題や「死に方」の話など、話は膨らんでいって楽しかった。
 6人という人数は参加者一人一人が話ができるいい人数ともいえる。

【第9回目の記録】

 

 

 8月29日(土)、男性8名、女性5名の中高年が集まって、第9回人生カフェ(中高年の人生を考える哲学カフェ)が実施された。

 今回は参加した人たちで対話のテーマを決めるという、人生カフェ初の試みである。

 各自から最初に出てきたテーマを掲げてみる。感情を取り上げたもの(「怒りとは何か?」「怒りは悪いことなのか?」「喜怒哀楽とは?」「思いっきり泣けるものはあるか?」)、老いを取り上げたもの(「老いとは?」「老後の心構えとは?」「中高年とは何か?」)、戦争と平和を取り上げたもの(「戦争とは何か?」「日本の平和について」)、その他(「第一義とは?」「人生はどうやって決まるのか?」「論理的に考えることの限界は何?」「冤罪はなぜ悪い?」)

 これらから一つにテーマを絞るのはたいへんなことではあったが、「第一義とは?」というテーマを拡大解釈して、「大切なものとは何か」というテーマで対話をしていくことになった。
 大切なものとは、場面場面によって変化していくものか、それともそれなりに恒常的なものなのか。また、人によってかなり異なるものなのか、それとも普遍的なものなのだろうか。考え出すと、難しい問題である。
 「大切なものとは何か」というテーマについて、最後に参加者の何人かがフリップに書いてくれたものを紹介しておこう。「平和であること」「普遍的なものとして、愛、正義。身近なものとして、家族。私にとっては、美・愛に生きていること」「人それぞれ」「人は目的をもって行動しています。無意識であっても必ずある目的をもって行動していると考えます。そこである信念をもって行動をとる人はどのくらいいらっしゃることでしょう。例えば、何もそこまでやる必要はないでしょと思われる行動(徹底的に海辺を掃除するとか、無料で診療するとか)、それが大切」「大切なものは、外的に、運命的に決まっているもの、時々によって変わるもの……であれば、それは大切なものと言えるか疑問がある」

【第8回目の記録】

7月11日(土)中高年11名(男性8名、女性3名)が「私の身体とは何か」というテーマで対話をした。

 「私の身体」のことを考えていくと、次の3つのようなことを考えていくことに繋がっていく。
①やはり身体の健康のこと、病気のこと、そして老いのことが気になる。
②身体と心(意識)との関係はどうなんだろう。一元論的に見るか、二元論的に見るか。
③吃音、赤面、ぐるぐる回る感じ……などのいわゆる症状といったものを身体から見るか、心から見るか。

 このように考える対象としている「私の身体」を、さて、トータルに見て、あなたは果たして肯定できるのか?好きになれるのか?

 「私の身体とは?」というテーマで、参加者が現時点で書いた一言ずつ。
 「健康第一!からだは自分の心を大事にし、いつも自分の味方をしてくれる」「病気は体のメッセンジャー、悪いものではない。体はいつも自分の味方」「エネルギー」「欠陥だけが意識され、大きくなる」「心を含めて一体であり、全ての行動と歴史と未来の責任」「愛おしい子ども、私の魂の親友」「汚れたもの、私の心も、だからきれいにする、きれいになりたい」「私の身体の動きとは、私の意識とのコラボレーション(協同作業)の相手です」「私そのものである。だから大切にしよう!しかし、時々、体と心を分けて考えてみたくなる」「私の材料」

【第7回目の記録】

「幸福とは何か」というテーマで、6月13日(土)、中高年の男女11名が話し合った。
 不幸ということから話が始まり、「比べる」ということが取り上げられた。比べるということは、自分の位置を知るためにもどうしても行ってしまうものだが、これがマイナスに作用していくと不幸になる。
 いきなり「人類の幸福のために」などと言うのは嘘くさい。まずは自分の幸福を基本に据えて、そこから出発していっていいだろう。
 瞬間の感情というものも基本にある。喜びや楽しみの感情を考えないわけにはいかない。
 その現在の感情を中心に据えながらも、過去に視点を広げて感謝の気持ちを持つ、未来へ視点を広げて希望を持つ、といったことも大切である。自らの人生全体を見渡しての肯定感が幸せに繋がる。これは動物とは異なる人間らしい幸福感である。
 参加者からの、幸福についての一言ずつ。

 「安定・決定」「何者(物、事)にも束縛されないホッとした時間」「努力とチャンスで得るもの、自分に与えられた環境の中で見つけていくもの」「皆さんと楽しくお話ができた事、次回もお目にかかってお話を伺えると思える今の瞬間」「状態・状況 < 感情」「自分が幸福と思ったら幸福、他者とは比べなくていい」「自分の大切な価値観を満足させること」「今日の出会いに感謝、めぐりあわせ!瞬間を大切に!」「愛をもとに、全く自由で快い個人的な感情」「生きる喜びと人生全体への肯定感」「自分の幸せ⇒幸せのおすそわけ⇒まわりの人を幸せにすれば自分も幸せになる」 
 
【第6回目の記録】

「時間とは何か」というテーマで、4月11日()、中高年の男女10名が話し合った。

「時間」とは、あまりにも当たり前のようなものであるが、それをあえて取り上げる。(ちょっと哲学っぽい感じです。)

面白い本を読んでいるときや楽しい映画を観ているときは、時間があっという間に過ぎる。一方、つまらない授業や講義を聞いているときは時間が長く感じる。

中高年について言えば、若いときに比べて時間が過ぎるのを速く感じる。自分の人生上、残された時間が少ない感じがする、などの特徴がありそうである。

時間を自然科学的に捉えるよりも、自分の感性から見ていくアプローチが多かった。時間を「時感」として捉えるようなものである。

10人の「時間とは」の一言。

「生命そのもの」「常に前向き」「やはり盲点」「若い時や健康な時には思わなかった。たいせつなもの」「今を生きること、時間軸は今、そして、ほっこりと生きたい」「先祖から引き継いでいる生命のバトンタッチをして、時間という区間を走っているうなもの」「すごく大事なもの」「現在、未来、与えられた時間を大切にしたい」やりたい事が出来た満足感、反対はミスしたとき」「生きること、動くこと、変化すること」

【第5回目の記録】
平成27年2月14日(土)、新宿区榎町地域センターにて、男性6名、女性2名、計8名で、「欲望とは何か」というテーマで実施しました。
 欲望とは生きる源(力・エネルギー)のようなものである。

 まずは性のエネルギーである。いきなりこの話から入ることができるのはさすが中高年である。(スケベエ爺さんの存在からして、男は死ぬまで続く欲望なのかもしれない。)
 その他の欲望として、お金に関すること、権力や地位に関すること、健康に関することなどが挙げられる。これらは多くの人が共通に持つ欲望である。(「一般欲望」と言ってよい。)
 それに対して、一般の人とは異なる、場合によっては人に言うのが恥ずかしいとか、人から批判されそうな欲望を持つこともある。それがその人の素直な気持ちから生じているのであれば、大事にされてしかるべきものである。(それらは「固有欲望」と呼ばれる。)
 一般欲望に固有欲望を加味することによって、その人の住みやすい場所、いわゆる「居場所」が見つかっていくのだろう。
 「欲望とは何か」というテーマでの参加者の言葉。
 「したいと思う心」「生きる糧」「豊かな人生を営むためには大切なもの。自分にとってコントロール不能なものは諦め、有益なものは活かす」「生きること、人を発展させることそのもの。完全に満たすことはできないので、適当に諦めて(調節して)実現することが大切か」「一日一日を感謝して生きられること」「今は体重を落としたい」「欲望を生きがいにして、日々努力して、欲望を達せられたときに満足感を得られる。また、耐えることにより、時間の経過とともに欲望が低下していく。…欲望を客観的にとらえ、夢、希望としてとらえ、日々の努力が夢に向かっての過程と感じ、幸せ感を感じることができる。欲望を持つということは、日々の生きがいでもある」

 

【第4回目の記録】

12月13日(土)「自由とは何か」というテーマで実施しました。

自由はどのようなときに実感するか?自由の実感を得るためにはどのようにしたらいいか?  その他いろいろ……
 男6人、女2人の中高年が話し合った。
 自由の実感は、残された時間がたくさんあるとかないとかだけでは言えないだろう。中高年も、「濃い自由」を実感できるはずだ!
 以下は、参加者が「自由とは何か」というテーマで、簡潔に書いたものである。
 「感謝する中に自由がある。幸せの中に自由がある」「拘束のないことだと思う。自由をどう活用するか自由である。自分のしたいことをするのでいいのではないのか?」「不自由の反対」「自分以外の人・他者に影響されず、発言や行動ができること。そして責任を伴うこと」「意志に基づいた多くの選択肢があること」「自分で感じ、自分で考え、自分で選び、自分で行動すること」「すべてから解放されて、自然に美に基づいた、ほのぼのとした愛を感じられる状態」「人は自由なようで自由でない。『自分の心』からの自由がとても大切」

 

【第3回目の記録】

平成26年10月11日(土)午後1時30分から、新宿区榎町地域センターで、14人が集まってスタートした。テーマは「梅田英彦とは何だったのか」である。以下はその時の簡単な報告である。

梅田英彦先生(1930.9.8-2010.9.7)の教え子たちが集まった。
 梅田先生は4年前に80歳になる1日前に亡くなった。
 梅田先生は東京正生学院理事長であり、心理療法家・カウンセラーとして活躍した。『話すのがこわい』など、心理関係の4冊の著書がある。特筆すべきは、悩める若者のために、個別的にも、またグループを組織化し、熱い支援を続けたことである。
 以下は、集まった教え子たちが梅田英彦先生を一言で言うとどのような人だったかを書いたものである。
 「出会いをくれた人」「大義に生きた人」「私の人生の土台を作るきっかけをくれた人」「悩める若者たちのカリスマ的存在」「「生きていく力を教えてくれた……負債もあるが帳消しです」「スマートとズルイ」「私の人生である……一生の恩師と愛弟子」「吃り直しだけでなく、人生、生き方、教養、人とのつきあい方等、知らない事を沢山教えてくれ、強固な心の友を与えてくれた恩師」「本当の優しさとは何なのかを教えてくださった方」「「反面教師だった」「やりたい放題の人生が送れた人。大切な仲間を残してくれた。しあわせだったかどうか?」

 

【第2回目の記録】

8月9日(土)に実施しました。以下は一人の参加者の感想です。

 「愛とは何か」というテーマで、中高年6名(男性4名、女性2名)が話し合った。

 まずは、私が印象に残った発言をいくつかピックアップしてみる。

◎愛の反対は無関心である。

◎愛は結びつき(結合、繋がり、連帯、共感など)である。

◎身近な人、目の前にいる人に対してから、愛することを始めよう。

◎見守るだけ(時には何もしないこと)も愛の場合がある。

◎無償の愛とまでは言えないかもしれないが、愛を全てお金で買うことなどはできない。

◎「好き」ということから、始まるのでいいのではないか。

◎愛するとは、相手の幸せを願うことである。

 

 さすがに中高年の人たちだから、「愛される」から「愛する」のほうに視点は移ってきている。また、中高年ならではと思うのは、夫婦のこと、子どものこと、老親のことなどの具体的な実体験が飛び交うことであった。

 会話(気の合う人同士のおしゃべり)のレベルとともに、対話(異質な考えを持っている人同士が話し合う)のレベルまでの話ができるのが、この会のいいところである。

 

【第1回目の記録】

6月28日(土)に実施しました。以下は参加者の1人のブログの記事です。 「幸福とは何か」というテーマで、中高年7名(男性5名、女性2名)が話し合った。

 話の中で出てきた言葉としては、「感謝する」「ゆるす」「励ます」「自分を好きになる」などがある。感情の面を重視するのは当然とも言える。(感情とは人の心の中で、たいへん包括的なものだからである。) それとともに、気分に流されない、幸福への「信念」というものも重要だと私は考える。
 私が、特に定年後を見据えた中高年の幸福の要素として掲げたのは、「健康」「金」「趣味」「人間関係」の4つである。しかし、今回の話し合いは、そのようなキーワードを超えて、すさまじい実体験からの言葉が飛び交った。さすが、中高年の会である。
 中高年の場合は、このように集まって、テーマを決めて話し合いができるだけでも、うれしいことである。