[第150回目の記録]テーマ「それを言っちゃあ…」
第150回目の人生カフェは、令和元年9月20日(金) 午後7時~9時 まで、
男性4名で新宿消費生活センター分室にて実施された。
(進行役:比良正彦)
《テーマ選定理由》
言おうか、言うまいか迷ったこと、のどまで出かかり、ようやくとめたあの一言 。
いろいろ、あるかと思う。
迷っていることの、それなりの割合が言おうか言うまいかではないかとも思っている。
そんな場面を思い浮かべながら、心の中にひそむモヤモヤを問いの形で出して頂き、その中から対話を深め楽しみたい。
《話の進行》
今日のテーマは哲学っぽく見えなく、哲学カフェではほぼ取り上げられていないもの。問いの形にするのは難しいかもしれませんと言いながらも、問い出しをしてもらった。
〈最初に出された問い〉
〇言ったら変わるのか?言わないと変わらないのか?
〇それをいったらおしまいになることってどんなことか?
〇言いたいのに言えないのはなぜ?
〇おしまいは本当におしまいなの?
〇どんな人に言ったらおしまいなの?
〇それってセクハラですよね。それってパワハラですよね。この二つは世間での通りが違うように感じるのはなぜか?
〇「事実」だからといって言っていいのか?
〇「事実」とはなにか?
<対話の展開>
〇事実(FACT)と偽物(FAKE)があるが、「事実」だからといって言っていいのか?
この話題から次の対話が展開。
・今の日本では差別と捉えられえることは、行ったらダメ。
・自分で差別と気づいていない場合は?
・昔、差別と捉えられていなかった言葉でも、現在では差別と捉えられるケース。
・間違っていると思ったことは言うべきか、そのリスクは?
・リスク回避可能な環境となった人が、リスクある人に対する意見を言うとき…。
その他
《感想・新たな問い等》
〇大体のことはおしまいにしてはいけない。
〇「差別」なのか?という新たな問いがうまれた。
〇自らの差別意識に注意しよう!
(自分や他人を傷つけないで生きることはとても難しいにしても…)
〇差別・正偽・時代・グレーゾーン が今日のテーマに与える影響が大きい。
(記録:比良正彦)
【第149回目の記録】映画「この世界の片隅に」
第149回目の人生カフェは、令和元年9月14日(土)午後1時30分~5時、男性3名、女性2名、計5名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室にて実施された。(進行:田中あけ美・本間正己)
最初に、映画を観ての感想を共有することからスタートした。
【映画の感想】
・アニメはテンポがゆっくり過ぎるのが気になったが、TVドラマ版は面白くて楽しんで観ていた。
・一言では言えない。いろんな感情が出てきた。こういう時代があって今があるんだなと感慨深かった。
・アニメはそんなに観ないが、子どもにつられて観る。呉の街の風景が懐かしかった。
・感動した。この作家の前の作品「夕凪の街 桜の国」を読んで、この「この世界の片隅に」を知って、先に漫画を読んだあと映画を観た。映画に描ききれていない漫画のエピソードについて話したい。
・映画館で観た時に終わった後、会場から自然と拍手が起こったのを覚えている。クラウドファンディングの応援もあって完成した映画ということでサポーターがいるんだなと思った。
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出された問いをテーマに分けて対話を行った。
【問い】
・遊女の存在は何を意味しているのか?
→原作には遊女りんのエピソードが描かれている。りんとすずのエピソードが描かれているだろう拡大編が今年冬上映される予定。
・すずさんはどうしてこんなに愛おしい存在なのか?
→日常生活を営む等身大のすずさんがいた。
→日常を生きていく女性的な強さをもった生命体としてのすずさん。
・失ったすずの右手は何を象徴しているのか?
→なくしたものによって新しいものが生まれる。
→新しい価値観を補って、日常を続けていく。
・戦争中でも続く「日常」とは?
→どんな時代でも日常は続いていた。
→日常=普通 肯定的な、普遍的な価値を持つ。
・「良かった」ってどういうことだろう?
→これ以上悪くならなかったからそれより良かった。周りの評価基準と自分の評価基準が違うのは腹が立つ。
→事実、感情、結果と向き合っていないことを歪んでいると思った?
→良かったと思うのは、いい面もある。前を向くための言葉(ポジティブシンキング)でも、人から押し付けられるとイラッとくる。すり合わせのために時間がかかる。
・戦争の原因は男か?女か?
・登場人物は戦争の被害者か?
・戦争とは何か?
→誰が戦争を始めたかの犯人捜しは意味があるか?
→何が原因だったのか?どうして起きざるを得なかったのか?戦争を分析するのは意味があるのではないか。
→戦争はなくならないのではないか。
→対話を続けている限りは、戦争(暴力)は起きないのではないか。
【対話後の感想】
・すずさんの日常から戦争を感じる。
・平和な日常が一番か?
・理想とあまり比べ過ぎず、平気で生きて行きましょう。
・平和とは毎日普通に生活できること。
・戦争の中に平和がある。戦争と平和は共存している。
・「戦争」とは何か?
・今回の話し合いで少し見えてきた感じがした。戦争に対してのモヤモヤが少し晴れた気分。
(記録:田中あけ美・本間正己)
【第148回目の記録】テーマ:死 (哲学対話入門編)
第148回目の人生カフェは、令和元年9月11日(水)午後7時~9時、9名(男性5名・女性4名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「死」であった。
中高年哲学対話・入門編と銘打って実施された。
まずは各自に、自由に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇死は恐いか?
〇死によって生は輝くか?
〇どういう状況になったら、死んでもいいと思うか?
〇死を話すことを避けるのはなぜか?
〇死の時に最後に思うのは何か?
〇死は終わりなのか?始まりなのか?
〇死の話はなぜ今の私にとって楽しいのか? 終活のお話
〇自分の死を前提に他人が人生を選択するとまどいとは?
以上を踏まえて、多数決の結果、テーマ「死は恐いか?」に決定し、フリートークへと入っていった。
対話の入り口のテーマ:「死は恐いか?」
●一人称の死、二人称の死、三人称の死、それぞれで異なる。
●死に至るまでの過程と死んでからとでは明らかに異なる。死に至るまでの苦痛や葛藤は「生」の大きな問題である。
●死に対する感情はいろいろある。恐れ、悲しさ、寂しさ、辛さ、後悔、安堵、喜び、希望……
●「恐れ」は未知なるものに対する自然な感情である。
●人との関係性によって、死の意味合いが違ってくる。特に日本人は家族との関係性が大きいと言われている。
●終活は人との関係性の整理という側面もある。
☆今回は「入門編」ということもあって、参加者各自の具体的な体験例も多く出て、話が広がっていった。これは入門編の特徴になりそうだし、面白かった。2週間後の「深掘り編」では、話の抽象度が上がっていくと思われるが、今回の対話が生かされていくように思われる。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇人に対する関係性が様々な感情を呼び起こす。
〇多様な死があること、それぞれ人によって、状況によって死の捉え方が違ってくる。
〇色々な死生観がありますね。私(自分にとって)の死は何だろう?と再考させられました。(でも死は怖くありません)
〇2時間は長いと思ったが、終わってみればアッという間でした。
「怖い」と思うことが気づきに繋がるというご意見に納得しました。「死」について考え、学ぶことが「怖さ」から脱却する1つの手立てだと感じました。
〇『100万回生きたネコ』
自分がいつどうやって死ぬかわかっていたら、死は恐くないのか?
〇他者の死にあまり興味ないかも…
死への傾斜と怖さの関係
〇恐さを感じられるのは大切なこと
〇ゆるく、穏やかに、豊穣の時を過ごしたい。
〇死は受け入れなくてはならないが(頭)、生まれてしまった以上、生物であるので(宿命)、死にたくないのかなと思った(体、本能)。
(記録:本間正己)
【第147回目の記録】テーマ:プライド
第147回目の人生カフェは、令和元年9月6日(金)午前10時~12時、男性2名、女性4名、計6名でプロント高田馬場店にて実施された。(進行役:髙橋あずさ)
この日のテーマは「プライド」であった。
まず各自に「プライド」に関する問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○そもそもプライドって何?
○プライドって何だ?
○プライド。高い人と低い人の違いは?
○PRIDE(自尊心)を人は何故持つのか?PRIDE(誇り、自尊心、自負心、矜持)
○プライドが高くなるのはなぜか?
○プライド(自尊心)が高いのは負けず嫌いとは違うのか?
次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で選び、フリートークへと入っていった。
テーマ「そもそもプライドって何?」
●「プライド」は、肯定的ニュアンス(自尊心、誇り、尊厳、自負心等)と否定的ニュアンス(負けず嫌い、見栄、虚栄心、自惚れ等)の意味があり、両義的な言葉である。
●プライドが高い人→自己評価と他者からの評価が釣り合っていない。相手を褒めることができない。謙虚さが無い。
●プライドの高さと信念の強さは関係してるのではないか?
●子どもはプライドを持っているのか?
●子どもの頃に「一言居士」と言われたことがある…プライドと関係している?
●プライドを持ち始めるのは、人との関係性が出てきた時(自我が芽生える頃)からではないか?
●自分一人だけだったらプライドを持つのだろうか?「自分=絶対」。赤ちゃんも同じ状態なので、プライドが無い?
●誰かと比較することから、プライドは生まれるのだろうか?
●自己が確立していないと、プライドは人との比較で左右されやすい。
●プライドが高い…信念の強さ…自己中?…自分を持っている…自己肯定感高い。
●自己肯定感が高い人は、プライドが高いようには見えないのではないか?
●プライドという言葉が持つ両義性が、理解を難しくするのではないか。
●自我が脆いと、自分を守るために(否定的ニュアンスの)プライドが高くなるのでは?
●自己をしっかりと確立していれば、他者を受容し、認め、理解する幅も広く(肯定的ニュアンスの)プライドが高くなる。
●母親の愛情が子供の自尊心(プライド)に与える影響は大きいように思う。
●同じように育てている兄弟なのに、プライドが高くなる子と高くならない子がいる。
●劣悪な生育環境でも、自己をしっかり持って生きていく子もいる。個人の持って生まれた性格も関係しているのではないか?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○自尊心に限らず「人は人、自分は自分」でも共存していくという思いを新たにしました。
○プライド。高い・低い。比べるくらいなら私には必要ない。でも信念は大切にしたい。
○プライドがどんなに高い人がいても、関わりがなければ何とも思わない。やっぱり人間関係が人の大半の悩み…?プライドを持つのは悪くない。
○自尊心は持っていたいが「プライド」は持ちたくない。日本語は複雑で難解。だけどおもしろい。
○プライドとは信念!(を大切にしようとすること)
○「プライドが高い」とは他者からの評価である。自分で自分のことを「プライドが高い?」と思うこともあるが、これは…?(自分を客観視して感じることかも)
(記録:髙橋あずさ)
【ワークショップ「中高年の哲学対話の可能性」(第5回哲学プラクティス連絡会大会)】記録
令和元年8月24日(土)午後1時30分~3時、男性5名、女性8名、計13名で哲学プラクティス連絡会(立正大学311教室)にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「中高年の哲学対話の可能性」であった。
まず各自に「中高年の哲学対話の可能性」に関する問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○なぜ中高年はネガティブな印象とともに語られることが多いように感じられるのか?
○最近ボケをかなり感じるようになった。不安とともに何だか変な感じがするのだけれど、それが何か分からない。(それは何か?)
○中高年の哲学対話はどこが面白いのか?
○中高年の哲学対話はなぜ広まらないのか?
○中高年の哲学対話とは何か?
○中高年の女性(おばさん)のおしゃべり・会話と哲学対話はどう違うのか?
○「中高年」といっても幅広いが、特に対象(ターゲット)のようなものはあるのか?
○中高年にとって、何を哲学したいのか?(何を考えたり悩んだりしている?)
○中高年が話してみたい(興味のある)テーマって何だろう?
○なぜ中高年は思考能力の低下と捉えられるのか?前向きになれないのか?(死の問題に行きつく)
○思考不可能なことはどのように考えればいいのか?あるいはどのように表現したらいいのか?
○中高年は親のサポートと子供の教育費、会社での部下や取引先とのあるべき関係性に対応する必要があり、対話をしたくてもなかなかできない現実があるのではないか?
○なぜ中高年は多様な生き方をするのか?
その間に話されたこと
●中高年ならではの悩みや問いは何だろう?
●中高年のネガティブなイメージはどこからくるのか?
●会話と対話、哲学対話の違い。
●中高年は、仕事・育児・家事・介護の板ばさみの年代で忙しい。
次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で選び、フリートークへと入っていった。
テーマ「中高年が話してみたい(興味のある)テーマって何だろう?」
●哲学対話の場とは事実関係(科学的な内容)を話す場所とは異なるものではないか?
●中高年の切実な悩みや問題は、子どもとは異なるものである。
●特に「死」の問題についての切実さは、子どもとは大分異なる?
●「中高年」とは?「哲学対話」とは?
●中高年特有の悩みとは?
●中高年は死が身近になってくる。
●日常で出て来る疑問が哲学になる。
●悩みと疑問は異なるのではないか?
●当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないと分かる→哲学対話の気づき。
●自分の視座が広がることが、哲学対話の可能性ではないか?
●同年代でも、違いが見えてくる楽しさ。
●生老病死の問題は中高年向きのテーマではないか?
●どう生きて、どう死んでいくか?
●長い老後(人生100年時代・退職後)をどう生きるか?
●「死」をどう受け止めるか?
●日常の場では「死」の話はなかなか出来ないので、哲学対話に求められるテーマではないか?
●「人生100年時代」や「将来不安」がクローズアップされるのは政府の意図が大きいように思う。
●中高年の衰えていく体や、衰えていく不安を抱えて生きていることが、若い世代とは異なる。
●「老い」の問題は中高年にとって切実ではないか?
●「死」の問題は、若い世代にとっても切実なのではないか?(明日死ぬかもしれない可能性がある)
●「死」の問題は、誰一人としてその「経験」を語れない問題である。
●終活を通して、自分らしい死(自分の生き方)について考える。
●「死」そのものについて語るのではなく、「死」を通じて自分の生き方や価値観について語っているのではないか?→中高年の哲学対話
●人生を後悔したくないか?死ねばそこで終わるのだから、好きなように生きれば良いのか?
●「その人らしく生きる」ことの大切さ。
●人生を考えるために、哲学対話は必要なのではないか?
●哲学対話は、それぞれに違う真実が見えて楽しい。
●老い~変な感じ~ポジティブに捉えられるようになってきた。
●歳を重ねることで「死」のイメージが良くなってきた。
●中高年の哲学対話…生き方を肯定的に捉える姿に接する楽しさがある。
●哲学対話…抽象度を上げていくのではなく、現実的な問題も全部ひっくるめてそのまま深めていく感覚がある。
●哲学対話…自分の立ち位置を確認したり、相対化したりできる楽しさがある。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○哲学対話とはどういうものか、少し分かったような気がします。中高年の哲学対話というのはまだ分かりません。中高年に特定しなくてもいいような…
○老い、病、死とどう向き合うか?中高年の哲学対話、広がってほしいです。
○死、老、生 語りたい!
○中高年のネガティブな面についても考えてみようと思います。
○自分にとって、死…というより自分が死ぬことは「もう面倒くさいことを何もしなくていい!」と思えるもの(嬉しいもの)なのですが、自分が死ぬということが恐いというのが具体的にどういうこと・気持ちなのか気になります。「迷惑になってしまう」は分かる。
○自己の認知スタイルの確認・相対化
○中高年の哲学対話に期待できる面白さは、生き方を肯定的に捉える価値観に接すること。(参加している人は前向きに捉えている)
○中高年に哲学対話はなぜ必要か?人生を考えるため?
○・「ボケ」は穏やかな死への過程だと思った。
・「変な感じ」はそれかも?
・自分を振り返れば、死のイメージは幼い頃から今まででかなり変わってきた。そこが面白い。
○中高年の特有なポイントは何か?と気になっていたが、衰え、老、死があるように思った。しかし、衰え、老、死はネガティブなんだろうか?ポジティブに捉えることは可能ではないか?と自分が出した問いに関連して思っている。
○心の中に何だかわからないが「ずーんとしたものが」残りました。ありがとう。
○良い対話が出来て嬉しかったです!
○中高年の哲学対話…とても良かったです。何が良かったんだろう?と考えて、言語化できたら…と思っています。
(記録:髙橋あずさ)
《お知らせ》
(仮称)「中哲協」(中高年哲学対話協会)の発足へ向けて準備中というお知らせをしました。来年(2020年)1月頃にホームページ、フェイスブックを作成し、4月に10数人の賛同者を得て、発足できるように準備中です。
《写真》
ワークショップの写真と、当日同時実施していた「人生カフェ」(中高年の人生を考える哲学カフェ)のブース発表の写真を人生カフェのフェイスブックに掲載しました。
【哲学プラクティス連絡会・第5回大会・ブース発表】
令和元年8月24日(土)・25日(日)、立正大学において、人生カフェはブース発表した。
テーマは「不幸から考える幸福」であった。ブースに立ち寄ってくださった方に、「あなたにとって不幸とは何かを教えてください」と問うて、色付箋に書いてもらった。
*退屈 *記憶から逃れられないこと *他人と比較してしまう *不健康 *病気 *痛み *不眠 *孤独なこと(人との関わりがなくなること) *孤立 *独身 *他人が怖い 家の外が怖い *幸福ではないこと *生きていること *貧困 *東京オリンピック *気づけないこと *不寛容 *夢が無い *希望・夢が無い *希望・夢はあるのだが、環境因や生まれつきの特性によって実現しようとする意志が妨げられてしまう *年齢制限 *暴力 *戦争 *ない *不自由 *自由な脳を止められる *選択肢が無いこと 選択する基準が無いこと 選択の末を見ないこと *自由な時間を持てないこと *考えなくなること *考えたくない事を考えさせられる事 *自由 *音楽が無いこと *朝のコーヒーが飲めない *血糖値が高くチョコレートが食べられない *ごはんが美味しくない
付箋に書いてくださった人に、さらに問うてみる。「それではあなたにとって不幸の反対が幸福ですか?」
すると不幸の反対が必ずしも幸福とは限らないことが分かってくる。病気の反対の健康、貧困の反対のお金、戦争の反対の平和…どれも大切なものであり、それだけで幸福を感じることもあるが…。すなわち、不幸の反対は幸福の必要条件となりうるが、必ずしも十分条件にはならないことがあるということである。
これらを踏まえて、改めて「幸福とは何だろう?」と考えてみる。ブースを訪れてくださった方と短時間ながら「幸福」について一緒に考えられたことは幸せであった。
【第145回目の記録】テーマ:愛するということ
第145回目の人生カフェは、令和元年8月2日(金)午前10時~12時、6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「愛するということ」であった。
【リード文】
もちろん恋愛を含みますが、恋愛だけでなく、「愛」全般について考えます。(事前申し込み不要ですので、当日直接来てくだされば大丈夫です。)
まずは各自に、自由に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇全ての「愛」に共通することは何だろう?
〇そもそも愛するってどういうこと?
〇『愛する』とは何か? どういうことだろう?
〇「愛する」とは、どういう対象に対して、どういう状態であることをいうのだろうか?
〇「愛」と「愛情」の違いは何?
〇愛にしめるホルモンの影響はどれくらいか?
以上を踏まえて、話し合った結果、今回の対話の入り口とするテーマは、「『愛の形』にはどんなものがあるか?」に決定し、フリートークへと入っていった。
対話の入り口のテーマ:「『愛の形』にはどんなものがあるか?」
●愛の対象
男女(恋愛、性愛、純愛) 家族(夫婦、親子、きょうだい) 友人(友愛) 自分
動物
郷土 国 人類(博愛) 地球 宇宙
物(車、家、コレクション…)
屈折した愛、歪んだ愛、痴人の愛、不倫、ストーカー ……
●愛の状態
一方的⇔双方的(愛する・愛される)
無条件(無償)の愛、聖愛、アガペー⇔利害のある愛
●愛に類似したもの
一体感 共感 安心感
仲がいい
好き 恋
●「愛する」の構造
自分 ⇒ 対象(他人・他者)
〈関心〉
*自らの存在価値、よりよく生きたい
*対象がよりよくなってほしい
●愛の対象が「人」の場合は、愛するとは相手の幸福を願うことである。それが私の幸福につながる。これは、人は一人では生きていけない、共同で生活しているゆえに備わっているものかもしれない。
●愛されたという経験が愛することを可能にしていくということは一般的には言えることである。しかし、愛されるという経験は運によるところも大きいのではないか(例えば、生まれた家の環境など)。この事実上の格差を前にすると愕然とする。
●愛する原因・理由として、対象も自分もよりよくなってほしい、存在価値を認めたいというものがある。しかし、この愛が多いと思われる人と少ないと思われる人(他者や自分に対してあまり関心を持たない人)、さらに愛することをほとんどしないという人たちもいると思われる。この差はいったい何なのだろう? まずはこの差があることを認めなくてはならないと思うが……。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇動物の子供はなぜあれ程かわいい姿、表情をするのか?
〇「愛すること」とともに「愛されること」の意味
〇『対象』化するとは?
〇愛するという深遠な問いに、正しいかどうかは別として、一つの構造化ができてスッキリしました。
〇愛するには対象が必要で、互いに自らの存在価値を実感し、よりよく生きる行為だと思った。
〇愛するとは、いろんな形があっていい。今までいろんな人に出会って、愛してもらって、私も愛して、感謝!!
(記録:本間正己)
【第144回目の記録】本:夏目漱石『硝子戸の中』
第144回目の人生カフェは、令和元年7月27日(土)午後1時30分~5時、3名で、新宿区榎町地域センターにて実施された。(進行:本間正己)
この日は夏目漱石『硝子戸の中』を読んだ上での読書会という形式で行われた。
参加者は3名と少数であったが、漱石ファンであり、漱石の作品をそれなりに読んでいる人たちだったので、話の密度は濃かった。
この作品は漱石が48歳の頃、『こころ』と『道草』の間に書いた随筆である。全39章からなるものであるが、その中で参加者が気に入っているもの、気になっているものを挙げてもらって、順次話をしていった。(数字は章の番号)
① 6、7,8 「或女の告白を聞くこと」
「そんなら死なずに生きていらっしゃい」
「死は生よりも尊とい」
「時」の流れに従って下れ
② 18 「頭の中が片付かないといって相談にきた若い女のこと」
「そうきちんと片付けられる訳がありません。」
③ 15 「講演料のこと」
「自分の職業以外の事に掛けては、なるべく好意的に人のために働いてやりたい」
④ 29 「両親と私のこと」
覚えているのはただその人の親切だけである。
⑤ 30 「継続中ということ」
「病気はまだ継続中です」
⑥ 37、38 「母のこと」
「心配しないでも好いよ。御母さんがいくらでも御金を出して上げるから」
⑦ 39 結び
一般の人類をひろく見渡しながら微笑している
私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)とこの稿を書き終るのである。
今回の読書会を通して感じたのは、漱石のお金や人間関係に関してのこだわりである。お金に関しては、この随筆の中に頻出するし、人との関係についてのエピソードも多い。33章「他人に対する私の態度のこと」には、他人との関係について凝縮して書かれてある。
これらを読むと、漱石の感覚や考えは、若干極端であり、病的なような違和感を覚えることもある。しかし、丹念に読むと、その理屈は理解しうるものである。漱石の執着性も感じられるが、彼の真面目さ、誠実さも伝わってくる。
漱石48歳頃の作品、約2年後には亡くなっている。人生50年といわれていた明治・大正時代においては晩年の作品ともいえる。漱石の周辺の親類、友人、知人はどんどん亡くなっていく。一方、大病した自分は生き残っている。そういう中での漱石の生と死に関する随想は心に響いてくる。
最後に対話を通しての自分なりの感想、新たな問い等を書いてもらった。
〇漱石のお金と好意
漱石の他人に対する態度
〇「人類をひろく見渡して微笑している」(39)に共感
〇「不愉快」→「愉快」
「苦笑」→「微笑」
「冬」→「春」
美、品格、長閑
時間(生死) 心(好意) 金
私⇔他人
闇⇔光
(記録:本間正己)
[第143回目の記録] テーマ「断つ」・「捨てる」・「離れる」
第143回目の人生カフェは、令和元年7月19日(金) 午後7時~9時
まで、
7名(うち哲学カフェは初めてという方3名)で新宿消費生活センター分室にて実施された。
(進行役:比良正彦)
《テーマ選定理由》
断捨離という言葉もあるが「断つ」・「捨てる」・「離れる」それぞれ一つ一つ、
あるいは組み合わせた言葉から思い浮かぶ「問い」を皮切りに対話を深め楽しみたい。
《話の進行》
(1)まずは、各人から思いを問いの形で出してもらった。
①いつか使うと思って残してきたものへの想いは簡単に立ちきれるのか?
②自分の中のマイナス思考、ネガティブ思考とどのように向き合っていますか?
③どちらか選ぶのに迷ったときどのような評価軸、判断ポイントで選びますか?
④やりたいと思ったことを諦める時はどんな理由でしたか?
⑤人脈の断捨離を簡単にしていいのか?
⑥あると便利だけどなくても困らないものは何か?
⑦なぜ断れない、捨てられない、離れられないのか?
⑧なぜ執着するのか?
⑨必要とは?
⑩断捨離は誰のためか?
⑪断捨離は目的か手段か?
(2)多数決により入り口の問いは、
『人と物では断捨離は違うのではないか?』となった。
《途中の対話で頭に残ったこと》
《最後の各人からの感想・新たに生まれた問い》
3. 人によってずいぶん断捨離に持つイメージが違うものだと思った。
4. 後悔とは何か?
5.
私にとっては必要なものと不要なものを分離できない状態がまずいかも!
断ること、捨てること、離れる事はトライ&エラーかな。
(記録:比良正彦)
【第142回目の記録】映画「もののけ姫」
第142回目の人生カフェは、令和元年7月13日(土)午後1時30分~5時、7名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館会議室にて実施された。(進行:田中あけ美・本間正己)
最初に、映画を観ての感想を共有することからスタートした。
【映画の感想】
・発表された当時(22年前のバブル崩壊後就職氷河期)の時代性も考えながら、再度見直した。モヤモヤしたけれど、面白かった。
・ジブリ映画は子どもの頃から見ていた。ジブリ映画を見ることによって自分が形作られた気もする。その中でもののけ姫が一番好きで、今回も改めてみて面白いと思った。参加者の客観的な意見を聞くのが楽しみ。
・普段の生活で対話する機会がないので今回参加した。もののけ姫は今までTV放映を断片的に見ただけだったので、今回改めて全編じっくりみた。敢えて情報を見ないで参加しました。
・普段の仕事と離れてガス抜きの気持ちでの参加。ジブリ映画は全部見ている。もののけ姫も3回見たが、よくわからない。
・ジブリ映画はほとんど見ていない。今回の参加をきっかけに見た。なかなか面白かった。
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出された問いをテーマに分けて対話を行った。
【問い】
・「自然」と「文明(人間)」は共存できるのか?
・自然と動物はそれほどいいものか?
・自然と人間という問いがわからない。それは必要なのか?
→自然と人間は対立するものではなく、矛盾を抱えながら共存できるのではないか。
・人間の業とは何か?
・人間はなぜ争うのか?
・自分がタタリ神になっていないか?
・自分タタリ神になる(なれる)のか?
→憎しみ、苦しみ、怖れからタタリ神になるのでは。
→モロが強い憎しみ、苦しみを抱えていてもタタリ神にならなかったのは理性があったからではないか。
→一旦タタリ神になると周りのことは見えなくなり、止められなくなる(猪突猛進)
→弱者が強者から無理やり征服され、一線を超えた時にタタリ神になって報復する
・アシタカは、なぜ たたら場で生きることを選んだのか?
・えぼし様の動機と目指す所は?(変わるのか?)
→えぼしは片腕を無くし、強いリーダーから、皆(弱者)の視点を持ったリーダーとして今までとは違ったリーダーとして、アシタカと一緒に企業型ではないコミュニティを作っていくのではないか。
→アシタカはサンの近くで共に生きることを選んだから
・「もののけ」とは何をさすのか?
・ジコ坊の最後の「バカには勝てん」のバカはどういう意味か?
→強い信念を持つ人
→どちらの立場にも立たず、どこにも属さず、自分の利益を考えない人
【対話後の感想】
・タタリ神にならないように。
・「言葉の重要性」
・こだまが首を回すのはなぜか。
・子どもにとってはどうなんだ?
→小さい子どもは登場しない。今まではサンとアシタカを子どもとして見ていた。
→子どもにとってはつまらない?自分は初めて見た幼児の頃はもののけ姫ごっこしていた。
→たたり神や、首切りの場面は残酷では?
・大人はモヤモヤ!
・子どもが出てこないということに初めて気づいた。
・迷って苦しむことは間違いではない(=美しい)ということかなと思った。
・タタリ神になったあとのことは?
・単純な自然と人間の対立(共存)ではなく、自然とどのように接するか、価値観の異なる生き物同士の対立だということに気づいた。
・時代背景として、この映画で宮崎監督は何を訴えたかったのか。
・もののけ姫の見方について、いろんな考え方があることがわかった。
・死の時が来るまで、矛盾だらけの中でなんだかんだ生きようとする。
いきものの業を抱えつつタタリ神にならないで(呪いを発動させないで)
君たちはどう生きるか?
・人は業を生きればそれでいい。
・とにかく苦しくても生きろ!
・子ども(特に小学生や中学生)が見ての感想を聞きたい。
(記録:田中あけ美・本間正己)
【第141回目記録】テーマ「不幸から考える幸福」(満5周年記念)
第141回目の人生カフェは、令和元年6月29日(土)午後1時30分~5時、11名で新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日は人生カフェ満5周年記念であり、テーマは「不幸から考える幸福」であった。
まず各自に「どのような時に不幸を感じますか?」の問いの答えを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○自由がとても制限されていると感じる時。
○痛い時。
○(仕事上で)納得いかないなぁ(理不尽だなぁ)という思いがした時。
○自分の望む通りにならないとき。
○自分だけの自由な時間が持てないとき。
○自分より恵まれているなと思う人に出会った時。話をした時。
○最近の児童虐待、性的虐待のニュースを聞いたとき。
○自分が思ったとおりの言動をすることが制限されるとき。
○努力したのにむくわれない、結果が伴わない、評価されない。
○「笑い」が少ないときに不幸を感じる。
○日曜日の夜(仕事開始の前日の夜)
○体調不良の時。
その後、各自に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○幸福になるためには不幸は必要か?
○幸福であるか、不幸であるかは、考え方で変わるのか?
○他人を不幸と思うのは適切(良いこと)か?
○幸福と不幸の違いは?人それぞれの感じ方?
○幸福かどうかは自己申告(査定)ということでOKか?
○「笑い」が少ないのは不幸か?
○不幸は誰が決めているのか?
○なぜ意欲がわかないのか?
○「幸福・不幸」「快・不快」は同じですか?
○自分の周りが不幸(幸せ)でも自分は幸せ(不幸)になることができるのか?
その間に話されたこと
●自分だけが幸せということはあるか?(自己完結するものか?)
●周りと関係しているのではないか?(相互作用)
●他人を不幸と決めるのは如何なものか?
●幸福、不幸は誰が決めるのか?(主観的か客観的か)
次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で選び、フリートークへと入っていった。
テーマ「幸福になるためには不幸は必要か?」
●ずっと幸福な状態ってあるのだろうか。
●何も無い(ニュートラルな)状態が長いのではないか。
●悪い→良い。良い→悪い。この変化(→の時)に幸不幸を感じるのではないか?
●欲求を満足させているときが幸福。
●「幸せだ(幸福)」と「幸せを感じる(幸福感)」は異なる。
●感じる=快・不快
●幸せとは何か?
●幸せのグラデーション
●人生の幸福と瞬間的な幸福は分けて考えた方が良いのではないか?
●小さい(短期的な)幸せ=感情、感覚、快不快、本能。 / 大きい、全体的な(長期的な)幸せ=思考。
●「幸福そのもの」をイメージできるか?
●人の不幸を見ることで、自分の幸福を感じる時がある。
●他人との比較で自分の幸せが生じる。
●比較せずに幸福を感じることは可能か?
●幸福も不幸も比較から生れるのではないか?
●不幸な状態でも幸福を感じることはできる。
●比較無しの幸福…美味しいものを食べた時など。
●他人に対する眼差し。
・障害者は不幸なのか?
・勝手に自分の中で(障害者と自分を)比較をして優越感を感じ、幸福を感じる。
・障害が不幸なのか?障害に対する社会や周りの配慮が足りないことが不幸なのか?
・本人は不幸ではないのに、他人から眼差されることで不幸が生まれるのではないか?
・他人の不幸は蜜の味。
・比較は不幸への入り口。
・他人を不幸にすることで成り立つ幸福がある(いじめ等)。
●幸福も不幸も主観である。
●幸福のものさし
・客観的なものさし…社会で作らなくてはならない
・主観的なものさし…人それぞれでOK
●社会を動かすためには、客観的な共通のものさしを作る必要があるのではないか?
●幸福を主観的なものだけにしてしまったら危険ではないか?(ブラック企業・洗脳等)
●全てを幸福に集約してしまうのは危険ではないか?(幸福以外の価値、正義等も必要か)
●どの時点で物事を見るか?によっても、幸・不幸は異なるのではないか?
●感情の振り幅が大きいほど、幸・不幸のインパクトが残りやすい。
●「不幸がいっぱいの中の少しの幸せ」と「幸せがいっぱいの中の少しの不幸」どっちが良いか?
●幸せの定義
・ある状態に「幸福」「不幸」と名付けている。
・どんな状態が幸せか?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○・幸福と幸福感の違い。
・もやもやを持ち帰る初めての経験。
・自分の中に言葉がたまるまで口に出すことができない性分であることがわかった。
○特にないです。もっといろいろ考えてみたかった。
○その人の置かれている状況や年代で、幸福感は違うので、また幸福感も変わってくるので後から考えないと幸せだったかとかは分からないのではないでしょうか。
○幸せか不幸かの判断は、他人から受けるものではない。やはり自分次第。自分軸を持つことが必要?
○他の方の意見も取り込んで対話、思考を深められるように。
○日常の中で「幸福感」を感じる場面、「幸福」と思う場面を捉え、それがどういうものかを味わいたいと思います。
○「比較」とは何か?
○いろんな幸せがあっていい。いろんな人の意見、考えを聴けて、今日は幸せでした。
○名言「比較は不幸への入り口」。どんな状態を幸せと呼んでいるのか?自由と関係ありそう…考えていきたいです。
○幸せについて考えると、家族や親、周りの人たちから受けたことが多いように思った。そしてたまたま大きな不幸に会って来なかった事も。自分の心、生活に余裕ができれば他人のこと、他人の幸せのためにも生きられるようになりたい。
○不幸(苦痛)は適度に欲しい。しかし、それほどうまくいかない……。
(記録:髙橋あずさ)
【第140回目の記録】恋するとは何か?
第140回目の人生カフェは、令和元年6月21日(金)午後7時~9時、6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日は「参加者で当日にテーマを決める」というスタイルであった。
【リード文】
当日に参加者でテーマを決めます。参加者で問いを出し合って、対話をするテーマを一つに決めます。テーマは中高年らしいものになるのか、そうではないのか? やってみてのお楽しみです。
まず各自に、自由に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇共生とは何か?
〇タブーとは何か?
〇理想的な終活とは何か?
〇最近どんな時に生きづらさを感じますか?または感じませんか?
〇「盛り上がる」のに重要な要素とは?~「おもしろい」とはどういうことか?~
〇そもそもコミュニケーションがとれているってどういうこと?
〇恋するとは何か?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で1つ選び、フリートークへと入っていった.
テーマ「恋するとは何か?」
恋の幻想性や永遠性(死をも超越するような感覚・錯覚?)など、多岐に渡って対話が展開した。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇恋のタブーは何だろう?解放的になっていく?制約的になっていく?
〇「恐い」気持ちがあるのに気づき、その「恐い」気持ちは大切にしてあげたいと思いました。
〇恋のどきどき それは 「幻想」 脳内イメージ と 「スリル」 生きものだもの めざせ1対1
〇ダブルデートには何の意味があるのか?
〇学生時代を思い出しました。でも今でもできるかも。
〇トルコに移籍した長友はいった。「日本人は愛が足りない!!」
男性もたくさん恋バナしましょう。
体の話しは重要ですね。
恋をしていく中での順番を大切にしたいと思いました。
(記録:本間正己)
【第139回目の記録】映画「グリーンブック」
第139回目の人生カフェは、令和元年6月8日(土)午後1時30分~5時、5名の参加で、新宿区榎町地域センターにて実施された。(進行:田中あけ美・本間正己)
最初に、映画を観ての感想を共有することからスタートした。
【映画の感想】
・ピアニストの物語に2、3回泣きました。
・アカデミー賞の映画だなと思った。
・2回観て、ストーリーが分かっているのに最後に泣いてしまった。
・昨年黒人差別を扱った映画を観たので、この映画の背景はわかって観た。
差別について再度考える機会となった。
以上のことを踏まえて、この作品にまつわるキーワードと問いを出してもらった。
出された問いを3つにまとめ対話を行った。
【問いと対話】
〈友情〉
・トニーがドン(ドクター)に親愛の情を感じたきっかけ、ターニングポイントは?
・なぜ異質な者の間にも友情が生まれたのか?
→仕事として契約し、その履行には責任を持ち、そこから逃げはしなかった。結果として二人が共に過ごす時間が長く保たれた。
→トニーもイタリア人2世として差別されていた。お互い差別されている同士として共有できたから。
→トニーは最初周りの常識のように黒人差別意識があったが、ドンの音楽的才能を認め、ドンへの理不尽な差別を目の当たりにして、次第にドンへ対しての差別意識もなくなり、お互い差別される者(トニーはイタリア移民2世として)同士として、弱みを見せ、自己開示し、お互いに助け合う行為に及んでいった時に、お互い心が通った。
→ドンが自分の音楽を同じ黒人が認めてくれた時、初めてドン自身が自己を認め解放されたのではないか。自己を認められた時に他者を受け入れられたのではないか。
〈孤独〉〈品位〉〈教養〉
・どこにも所属できていない孤独の辛さとは何か?
・ドンの部屋の椅子は何を象徴しているのか?
→ドンは、ドンの音楽を聞く白人社会にも黒人社会にも居場所がなく、家族とも疎遠で、メンバーとも仕事以外では親しくしない。孤独であることで自分を保っていた?
→黒人差別に対抗するために品位を保つということも必要だったのではないか。
→どの椅子に座るかで心境の変化を表している。孤独で、上から意識を持っていた当初から、解放され、友情を感じる、平等の意識を持つように変化していった。
〈差別〉〈勇気〉〈世間・社会〉
・ピアノのコンサートで何か変わったのか?
・差別を乗り越えるものは何か?
・意図しない差別は悪いの?
・ドンのピアノを聞く白人は、“差別”について本当に何も感じていなかったのか?
→ドンのピアノを聞く白人はドンを人として見ていなかった。猿回しの猿のような扱い。だから、差別をしても何も感じない。
→レストランのオーナーは世の中そういうものだと、社会・世間に合わせていただけで思考停止している。
→我々も意識しないままで、差別をしていることがあるのではないか。
【対話後の感想】
・映画自体がソフトパワーだ。
・ドンの心の変化を改めて興味深く思いました。
・差別はどこからくるのか?
・人との差(違い)はあって当たり前と思っているところには差別はうまれないのか?
・「力」をつけていくには“才能”だけでなく“勇気”も必要。
・音楽の使い方がさすが。
・ファレリー兄弟の作品であることを再確認。「愛しのローズマリー」に似ていた。
(記録:田中あけ美・本間正己)
【第138回記録】 テーマ:「後悔」
第138回目の人生カフェは、令和元年6月7日(金)午前10時00分~12時00分、7名でプロント高田馬場店にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「後悔」であった。
まず各自に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○なぜ後悔するのだろうか?
○後悔したくないのはなぜか?
○後悔は有益か?
○後悔はなぜ発生するか?
○後悔をしない人は存在するのか?またそれはなぜか?
○後悔はない方が良いか?
○後悔しない生き方とは何か?
○(分かっているのに、どうしようもないことなのに)なぜ後悔するのか?
○後悔の念が湧いた時の対処法はあるのか?
○今までの後悔で得られたことはどんなことがありますか?
次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で選び、フリートークへと入っていった。
テーマ「なぜ後悔するのだろうか?」
●後悔は「過去のことで、今更どうにも出来ないこと」に感じる。
●どうしようもないことを、ずるずる考えてしまう。
●後悔する事に価値があるのか?後悔しても無駄ではないか?
●いくつかの選択肢がある中で、自分の意思で良い方を選んだはずなのに後悔してしまう。
●後悔にも、大きい後悔(人生の中の大きな選択)から小さい後悔(日常的な出来事)までレベルがある。
●なぜ後悔の気持ちが出るか?
・良い選択ができていないから
・トラブルになったから
・自分を責める時に出る感情
・自然と湧きあがってくる、本能に近い感情
・自分の意志で選択していない(できなかった)と思っている
・もっと良い判断があったはず。と思うから
・理想の自分と違ってしまったと思うから
●なぜ後悔が良くないのか?後悔で得るもの、失うものは?
●歳を重ねる事で後悔しなくなったのはなぜか?
・後悔が無益だと知ったから。
・後悔の経験を活かす未来が少ないから?(笑)
●後悔するのは、間違った選択だったと振り返る為のサインではないか?
●後悔と反省
・後悔…建設的でない、無益、長期的、切り替えられない。反省…建設的、有益、短期的、すぐに切り替えられる。
・その時の自分の在り方次第で、後悔するか?反省するか?は決まる。
●無駄なのに、なぜ後悔するのか?
・後悔したい気持ちがあるのではないか?(気持ち良い?)
・何も行動せずに、古い傷を舐めている方が楽だから。
・短期的に見て、楽だから。(酒や麻薬と同じ?)
●後悔する時は「自己否定」の状態にある。
●完全に自己肯定できていれば「後悔」はしないが「反省」はする。
●(ある出来事に対して)時間の経過とともに、後悔の気持ちが発生したり消滅したりと、捉え方は移り変る。
●後悔する事で、その後悔していること(出来事)が、人生の重要な岐路だったと思い知る事ができる。(人生の意味合いを考えるきっかけになる)
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○「後悔」と呼べる現実など在りはしない。ある人物が、瞬間瞬間「今」を生きるために過去をどう利用しているかによって「後悔」にも「反省」にも「思い出」にもなる。人は「後悔」と呼べる感情を抱く事によって過去に遡って過去の自分に責任を押し付けて「今この瞬間の自分」を正当化しようとしている。後悔は現在の自分の自己防衛本能。
○アッという間の楽しい2時間でした。後悔するような岐路に立つことはもうない(と思える)年になりましたが、あると良いな…とも思えます。
○有益な後悔があるという考えを知った。妄想による快。人生の大事な岐路を知る。思い出す。御高齢の方々とお話できて楽しかった。後悔の感情を知りたくなった。
○人生に失敗、ムダはない。しかし、後悔の感情は起きる。この感情を生かすきっかけとしたい。→反省・振り返りへ
○①「後悔の気持」は大切にしてあげたい。②「後悔」はいやしで在り、必要な事。
○「何故後悔するのだろうか」後悔に対する捉え方は参加者によって異なる。私が「そうなのか」と思いました意見を少し挙げると「年をとると後悔しなくなった。長い間後悔することは無益と考えられるようになった事」「後悔は人が弱った時に生ずるものだ」「人との契約など重い人間関係から解放された時に後悔することからまぬがれた」などです。
○後悔は無駄ではない。結婚相手を選ぶことは人生の重要な岐路だったと思い知りました。「後悔していること=人生で重要な出来事」意識していきたいです。
(記録:髙橋あずさ)
【第137回記録】 テーマ:「ゆるす」
137回目の人生カフェは、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館にて行われました。平日、5月17日の夜(金曜日の19:00~21:00)にも関わらず、18名も参加していただきました。そのうち6名が哲学対話自体、はじめてという方でした。
テーマの「ゆるす」は、進行役(新妻)が電車の中の迷惑行為が、日本人ならゆるせなくて、海外からの観光客はゆるせるのはなぜなのだろうという個人的な違和感から設定したテーマです。
今回は円形に座り、コミュニティボールを用いて行いました。
参加者それぞれ自己紹介していただいた後、さっそく「ゆるす」について対話をしていただきました。
問いとして・・・
○「許す」と「赦す」の違い
○「ゆるす」「受け入れる」「あきらめる」の違い
○「ゆるさない」ことは悪いことなのか
○「ゆるす」ことは意志の力で可能なのか
○「ゆるす」対象は、相手なのか、相手をゆるせない自分なのか
〇謝罪を受け入れるとはどういうことなのか
などなど
印象に残ったワードとしては・・・
○「許す」は未来のこと、「赦す」は過去のこと
○「ゆるす」はちょっと上から目線
○人間は「ゆるせない」ことがあるからこそ、自分の軸ができる
○「ゆるす」には時間が必要(年齢的な要素も必要)
○本当に「ゆるす」ということはありえないのではないか
今回は「ゆるす」側からの対話が多かったが、時間があれば「ゆるされる」側からの対話もしてみたかったです。
感想として・・・
○人を「ゆるさない」自分を「ゆるせる」ような気がした
○「ゆるす」に似たことばが多くて、それについても考えたい
○(哲学カフェの説明文にあるように)もやもやして終わった
〇「ゆるす」とは自分を受け入れることなのではないか
などが語られました。
進行役として、以前「友達」をテーマに対話を実施した際には、参加者それぞれ特定の「友達」を思い浮かべて対話してもらえたらいいなと思っていたのですが、今回は意図せずに、それぞれ特定の「ゆるせない」誰かを思い浮かべさせてしまったような気がします。
それがよいことなのか、悪いことなのかはよくわかりませんが、「自分」と「他の参加者」と「それぞれの参加者が頭に思い浮かべる人」の3者で対話をするというのは、対話のあり方としては面白いのかもしれないと思いました。
(記録:新妻弘悦)
【第136回目の記録】映画「海を飛ぶ夢」
第136回目の人生カフェは、令和元年5月11日(土)午後1時30分~5時、6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)
この日は映画「海を飛ぶ夢」を見た上での哲学対話という形式で行われた。
まずは、この作品を見ての一言感想を書いてもらった。
〇死、自殺、安楽死を考える上で、とてもよい映画(実話に基づいている)
〇なぜ自殺してはいけないのか? が、分からないままでした…
〇ラストシーンとタイトル
〇感想を上手く持てませんでした。(何かの視点に立つことへのためらい…)
〇実父の尊厳死(実質的)からライフテーマとしています。すみません、映画はDVDが今朝届いたので、見ていません。
次に、この作品にまつわる問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。
〇ラモンは26年間でどうやって結論に至ったのか?
〇ラモンの痛みや苦しみとは何だろう?
〇ラモンは何で死を選んだのか?
〇結論を出した人に我々はどう接するか?
〇ラモンのまわりの人々は幸福になっていったのだろうか?
〇ラモンには家族や友人たちに対する思いやりはないのか?
〇安楽死はよくないのか?
〇「尊厳」とは何か?
〇自殺はよくないのか・
〇自殺はなぜ(現代では)許容されないのか?
〇「生きる自由と死ぬ自由は違う」 何が違うのか?
〇「死」とは何か?
〇しあわせな死とは何か?
〇人生の目的が幸福の追求(?)だとするなら、死≠幸福という図式が成立するか?
これらの問いを踏まえて対話を行ったが、印象に残ったのは以下のようなことである。
●ラモンの痛み、苦しみは26年の間に蓄積し、深まっていったものである。それはラモンの内面的なものであり、ラモン自身の深いところにある実存的な問題である。これは他の人たちが外面的に判断できるものではない。ラモンには当面強い身体的な苦痛はなさそうだし、本を出版したり、車椅子での外出ができるようになったり、また、家族、女性たち、友人たちに囲まれていたりするのを見ると、ラモンが死を選ぶことは他人からは理解しにくい。
●ラモンと家族・友人たちとの関係も映画を見る人たちには分かりにくいところが多い。ラモンの自死を家族はどのように受け入れたのか? 家族内でもかなりの違いがありそうである。ロサがラモンの安楽死を手伝ったのは、ラモンを本当に理解し、愛情を持っていたからだろうか? ロサの性格からして、何か茫洋とした曖昧な決断のような印象も受ける。いずれにせよ、ラモンと家族・友人たちとの間には、他人からは推し量れない、微妙な実存的な合意があったようである。これらは当事者のみが知りうることなのか?
●自殺未遂は法律上、本人は罰せられないし、最終的には自殺は本人に選択権がある。それに対して、安楽死は日本の法律では、現在のところ実際上認められていず、安楽死に関わった者は自殺幇助や殺人罪で罰せられる可能性が高い。このような状況の中で、法律問題だけでは包含されない自殺の善悪や安楽死の是非が問われる。
●死は怖いか? 死んだらどうなるか? …… 死生観をめぐっての対話(デスカフェなど)が盛んに行われている。これらの場で、死のことを考えることは「楽しい」という発言があった。
最後に対話を通しての自分なりの感想、新たな問い等を述べてもらった。
〇なぜ生きているのか?
〇「死」は〈手に負えない何か〉を相手にしている、はキーワードでした。
〇年齢を重ねて、考える実存的課題(私、死……)
〇死について留保したい。
〇死について理解が深まりました。(皆さんと話すことで) 次はぜひ火の鳥説をご教示ください。
(記録:本間正己)
【第135回目記録】夏目漱石『こころ』
第135回目の人生カフェは、平成31年4月27日(土)午後1時30分~5時、計9名で新宿消費生活センター分館で実施された。(進行:本間正己)
この日は『こころ』(夏目漱石)の読書会という形式で行われた。
最初に、各参加者に一言感想を述べてもらった。
出されたものは以下の通りである。
◯なぞが多い小説
◯思いが薄らいでいかない人もいるんだ
◯心理・推理小説
◯先生に惹かれる「(読者の)私」って1000人に一人くらいでは?
◯誰もが悪人になり得ることを突き付ける小説
◯正義と自殺
◯「能天くい打ち小説」!and 100年前の「連続テレビ小説(?)」。
◯先生のエゴがすごい。人間の弱さと強さ、裏切り…心理描写がとてもうまくて引き込まれました。
◯息苦しくなる小説。「先生」の身勝手さに腹が立ってきた。
次にこの小説を読んだ上での問いを出してもらった。
◯「先生」は何故奥さんを残して自殺することが出来たのか?????
◯近代的自我(≒個人主義)の脆さとは何か?
◯何故、先生は自殺したのか?
◯先生は、なぜ自殺しようとしたか?
◯先生が語った「明治の精神に殉死する」とはどういう意味か?
◯Kが部屋で自殺した気持ちとは?
◯「先生」は何のために「私」にこの秘密を話したのか?話すメリットは?
◯先生は何故遺書を「私」に書いたのか?
◯「私」は何故「先生」に惹かれたのか?
◯先生のKに対する感情は「かなわない感覚」に根差したジェラシーでしょうか?
◯おじさんの裏切りが先生の人生観を凝り固めてしまうほどのものとなったのはなぜか?
次にこの問いを踏まえながら、フリートークへと入っていった。
・Kが部屋で自殺したのは先生への友情からではないか?
・こころは二者関係の物語である。
・K…真っ直ぐ、正直、仏の道
・Kは、自分の道を見失って死んだのではないか?
・Kの遺書にお嬢さんのことが書いてないのはなぜか?親友としての思いやりか?
・Kは自分に対する怒りで死んだのではないか?
・墨の余りで書き添えた「もっと早く死ぬべきだった」とはどういうことか?
・Kの心の中…自分の思いが正しい→恋愛→自分の正しさ・信念が崩れた→自分を否定→自殺。
・頭で考えて来たこと(仏の道・理想)と、体・心から湧いてくるもの(恋愛・現実)が両立しない→自殺。
・「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」
・当時の時代背景として、恋愛は今よりもとても重いものだったのではないか?
・Kと妻については、先生目線(想像)で書かれている。事実は遺書以外には書かれていない。
・先生と私は心理描写がよく描かれている。
・近代的自我…孤独…淋しい
・Kの自殺の原因…お嬢さんを失った。親友との関係崩壊。一人淋しくなった。
・Kが部屋で自殺した理由…淋しかった。常に受け身の性質。自ら何か新しい環境を作り出すことが出来ない性質。
・先生…伯父さんに裏切られる。Kを裏切る。自分は伯父さんと同じ人間だと思い知る→自殺。
・先生のずるさと、倫理的な潔癖さは相反する。
・先生の人生…伯父さんに裏切られる→Kを裏切る→自責の念→一人きりで淋しい→自己否定→「私」との出会い。明治天皇の崩御。乃木大将の死。→自分を振り返る→自殺(明治の精神に殉死する。)
・Kの自殺後に先生が生き続けてきた理由は何か?
・「私」との出会いで先生は自分を客観視できるようになったのではないか?
・「私」の役に立つ希望…次世代にバトンを渡す。(経験を伝える価値)
・明治の精神に殉死するとは、新しいものに変わって行くことが出来ない(変わるつもりがない)ということではないか?
・「こころ」では女性が蚊帳の外になり過ぎているのではないか?(西洋では同性愛の物語と言われる。明治時代という時代背景。)
・10代~20代頃の同性愛的な関係→異性を愛する前段階。(先生と「私」の関係)
・「私」から見た先生…カリスマ的な存在感。人生の師のような感覚。父を超えた存在。尊敬できる師。
・「私」は先生に感化された。
・作中の「私」=読者という構成が素晴らしい。
・先生が妻にではなく「私」に遺書を残したのは、妻に対する信仰心のような気持ち(愛)からか?
・明治時代の高等遊民は暇だった。
・生活に余裕のある人(暇な人)が考えること→金と恋愛。
・先生は、倫理的でない「ずるい自分」に対して誠実であった。→倫理的に潔白。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
◯人間は暇だとろくなことを考えないなと思った。暇でも楽しくしたい。
◯・卑怯とはどういうことか?・暇は良くない!
◯「Kと先生がなぜ自殺したのか」のなぞが自分の中で分かった。
◯何を目的に教科書に載せているのだろうか?
◯「私」の存在の面白さを改めて感じた。
◯Kは親友からの裏切りで自殺したのではなく、「一人で寂しくて」自殺。先生が最後に感じたのは「個人主義の脆さ」か?
◯自分の本当の経験を記せるか?が課題になった。
◯「こころ」を、漱石がここまで実感的に現在でも通底するレベルで書き上げることが出来たのか、その必然性をもっと知りたいと思います。100年経っても残る小説だと思います。
◯人は罪を犯すもの。悪人になりうるもの。ということを時代を超えて突きつけてくる作品。
(記録:髙橋あずさ)
[第134回目の記録]テーマ「功罪」
第134回目の人生カフェは、平成31年4月19日(金) 午後7時~9時 まで、
男性7・名女性1名計8名で新宿消費生活センター分室にて実施された。
(進行役:比良正彦)
《テーマ選定理由》
〇〇の功罪、△△のメリット、デメリット、いいことはわかるんだけど、あそこがな〜
など、心に起こるモヤモヤには、この言葉に関わる何かが影響していることがあるように思われる。
功罪から連想される問いから対話を深めていく時間を楽しむ。
《話の進行》
問いの形に拘らず言葉を出してもらった。一部は次のとおり。
〈イメージした人・言葉〉
〇中内功
〇スパルタ教育~元都知事 石原慎太郎
〇カルロス・ゴーン
〇ラーメン
〇親の影響
〇多様性の功罪
〇簡単に答えが探せてしまうことの功罪
〇差別の功罪
〇科学的発展の功罪
〇功罪が認識できてしまうことの功罪
〇画一的な受験制度の功罪
〇メリット・デメリットとの違い
→功罪は主に過去のことを考える時に使うが、メリット・デメリットは主にこれからのことを考える時に使う。
〈問い〉
〇分析的に見る、突き放して見るとは?
〇罪のなかみが変わらずに功になりうるのか?
〇功と罪の違いは、どんな立ち位置から判断しているのか?
〇功罪と主体性の関係は?
《感想等》
〇功罪を超えたところに行ってみたい。
〇功罪を超えた二項対立の向こう側
〇「功罪」を入り口にして、次にどんな「テーマ」に行くのか?
〇功罪についてわかったこと。
起こったことがら・外側から見た・分析的
そして渦中にいるとわからない?
〇もやもやの功罪
〇功罪(過去)を分析し、それから総合し、未来のメリット・デメリットを考えて、総合し、先に進んでいく。
〇 功罪という一つのテーマについて多角的に意見を出し合うことの面白さを感じた。
そう感じたのと同時に答えは一様じゃくてもいいということを改めて実感した。
〇功罪は二項対立的な見方……それだけでなく自分にとってという主体的な見方もできると人間の幅が広がる。
(記録:比良正彦)
【第133回目の記録】「参加者で当日テーマを決める」
第133回目の人生カフェは、平成31年4月13日(土)午後1
この日は「参加者で当日テーマを決める」であった。
まず各自に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○哲学を日常生活にどういかすか?副題:哲学とは何か?
○効率化が進んだ社会はどんな社会になるのか?
○コミュニケーションにはどのような種類があるか?
○令和時代に何が変わるのか?(平成はどんな時代だったか?)
○優秀な女性がモテないのはなぜですか?
○高齢者に過労死は可能か?
○哲学カフェに何が期待できるか?(可能性?)
○何でも話せる時ってどんな時(空気)ですか?
○生活を楽しむとはどういうことか?
○地域性はどのように生じるか?
○多様性とは何か?
○「ほめる、ほめられる」とはどういうことか?
○期待すること、
○いい人とは。いい○○とは。自分との差にどう折り合うのか?
次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で2つ選び、
テーマ1「生活を楽しむとはどういうことか?」
●「生活を楽しむ」とは「人生を楽しむ」とは異なる。
●楽しむとは主観的なことであり、
●常識の範囲内で、少しだけ自分の個性を出すのが楽しい。(
●なぜ生活雑誌が売れるのか?
●世間の流行の範囲内(生活雑誌)に自分がいると安心する。
●楽しむためには自己肯定感が必要である。
●楽しむことには、どこかへの(会社、世間、仲間等)
●所属意識をなくした、退職後のおじさん問題。働く→報酬→
●自己肯定感には承認欲求を満たしてくれる相手の存在が必要か?
●変化に対応できると楽しめることが多いのではないか?
●将来につながる目標があると楽しい。
●時代の流れで「みんな同じ」「同調圧力」
●一方で、物事を考える人が少なくなり、
●多様性を尊重し、
テーマ2「何でも話せる時ってどんな時(空気)ですか?」
●何でも自由に話せると思える時に自分の中で起きていることはど
●その場の人間関係を重視していると、
●哲学カフェのような、
●損得が生じない関係だと本音を話しやすい。
●自分も他人も傷つけないという安心感。
●話が通じる相手だと思えるかどうか?
●安全、安心、攻撃されない時(哲学対話の場でのルール)
●哲学対話の場では「批判」される可能性はある
●何でも話していいって、本当に良いことか?
●自分の抱えていることを誰かに話せるのは、
●一人の人に全てを任せる(話す)のは負担が多いので、
●インターネットで匿名だと何でも言える
●自分の全てを吐露できる人は本当に必要か?
●何でも話せるには、相手のリアクションが必要である
●相手に伝わるコミュニケーションが必要ではないか?
●AI相手だと否定されないから何でも話せる?
●対人…承認されるかされないかは分からない。AI…
●話すのは何のためか?…
●自分の全てを吐露できる相手は、タブーが無く、
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○人間関係はある程度利用するのが良い!
○様々な価値観と考えを持っている人がいることが分かった。
○「ほめる」は何か?前進した気がします。
○2つのテーマ(1時間ごとの対話)も、
○最初に出たたくさんの問いが自然と回収されていくのが面白かっ
○承認は最低一人は必要だ。
○タブーがない人になりたいです!
○人間じゃなくちゃダメという人の話し相手はAIで作れるし、
○令和の時代はAIの時代?
○大学が同調圧力が少ないということを知って、
○①いろいろなことが結局「承認されたい」
(記録:髙橋あずさ)
【第132回目の記録】テーマ「優越感」
第132回目の人生カフェは、平成31年4月5日(金)午前10
この日のテーマは「優越感」であった。
まず各自に優越感にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○優越感と幸福感が・重なるところと・違うところは?
○優越感と劣等感の関係とは?
○優越感の反対は劣等感なのか?自尊心との違いは?
○優越感と自己肯定感は違うのか?
○優越感は「どういうとき」に「どう」感じるのか?
○優越感を感じる人と感じない人の違いは?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で問いを1つ選び
テーマ「優越感と劣等感の関係とは?」
●優越感も劣等感も「人」と比べる事で出現する。
●「人」ではないものに対して、優越感や劣等感は感じない。(
●ある「基準」の上にいる…優越感。「基準」の下にいる…
●「基準」は誰がどうやって決めているのか?
●「優越(事実)」と「優越感(主観的)」は違う。
●優越「感」は「自分が感じていること。自分の捉え方。」
●自己肯定感の高い人は、
●自己肯定感…今の自分を認める事。出来ないことを認める事。
●優越感も劣等感も、若さゆえのの産物か?
●成長するためには、優越感も劣等感も必要ではないか?
●優越感、劣等感を感じる基準は変化する。
●自分との戦い→達成感。他人との戦い→優越感。
●なぜ他人に勝ちたいと思うのか?
●勝ちたいと思うのは、人間も動物だから(生存競争)
●育児の場面で、親が子供の能力が「基準」
●ケアと優越感の関係
●情報、メディア、
●人の劣等感を刺激すると儲かるしくみ→優越したい感情。
●自己肯定…自分を客観的に見ることの難しさ。
●自分を受け容れることの大切さ。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○優越感。私には必要ないなぁ。
○「今(この瞬間)」の楽しみを大切にする。他人の今も、
・メディアが作る価値観に気づく。・
○今の自分をきちんと肯定して、
○私は、動物である…生存競争。人間である…理性をもつ。→
○・楽しい2時間でした。・キーワードを基に色々と考え、話し、
○・よく色々な意見が聴けてよかった。・
(記録:髙橋あずさ)
【第131回目の記録】本『コンビニ人間』
第131回目の人生カフェは、平成31年3月23日(土)午後1時30分~5時、男性4名、女性7名、計11名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:高橋あずさ)
この日のテーマは『コンビニ人間』(村田沙耶香、文春文庫)の読書会という形式で行われた。
この作品にまつわる問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。
〇登場人物の中で、いちばん「へんな人」って誰だと思いますか?
〇人間 / 人間じゃない の差異、相違って?
〇「異物」を治したいと思うのはなぜか?
〇「治る」とはどういうことか?
〇なぜ異物であってもそこにふみとどまらないのか?!
〇普通と異物の境を決めるのは誰だろう?
〇普通とは居心地のよい安全な場所か?
〇「世界」とは何か?
〇誰が真っ向から世界とたたかっているのか?
〇誰が苦しみに対して誠実に生きているか?
〇なぜ日本人は「うわさ話」でまとまって、一致団結してしまうのでしょうか?
〇ハッピーエンドなのですか?
〇恵子はこの後どうなるのか?
〇白羽はこの後どうなるのか?
〇くたびれたスーツ姿の中年の男性は何を示唆しているのか?
〇「自分」って、何で作られているんだろう?
〇感情とは何か?
これらの問いを踏まえて対話を行ったが、印象に残ったのは以下のようなことである。
●「コンビニ店員」と「コンビニ人間」は異なる。「店員」とは役割を指す言葉だが、「人間」とは本能に根ざした動物の一種を指す。ラストで恵子は主体的に人間になったのか? この場合の主体的とは何だろう?
●「音」から「声」へ。恵子は、当初はコンビニの「音」に引かれていたが、ラストではコンビニからの「声」を聞くようになった。これは恵子の人間性の新たな誕生を意味するのか?
●恵子は「承認欲求」が薄いように思われる。しかしながら、「帰属(所属)欲求」がないわけではない。恵子にとっても居場所が必要である。それがコンビニとも言える。そして、それは本来何の問題もないはずなのだが…。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇良心の大切さと、見えないことの難しさ。いいじゃないの幸せならば。
〇治ることの悲しさ、辛さもある。(河合隼雄)
〇「普通」って言葉を、ふつうに(気軽に)使うことの危うさ
〇異物と決めるのは自分…納得するが、排除するのは周囲の人ではないのかな…? モヤモヤ… 異物っぽい空気を出さない技術を教えてください。
〇「大人の成長って、自分自身の本能に気づくこと」という言葉が耳に残っている。私自身の「本能」って何だろう?
〇反社会性を異物と感じ、非社会性を異物とは感じない私の傾向性(寛容性)を思った。
〇哲学対話の次に来るもの?
〇はじめにギモンを出して、ホワイトボードに貼り出して行うのは良かった。「自分は何から作られているんだろう?」という視点もテキストに多数関係しているので、掘り下げたかった。
〇問題のマッピング、良かったです。一冊の本の読み合いを通じて、自分の感情や思考のこだわりを対比することができ、良かったです。
〇様々なテーマで対話することができて面白かった。文学作品を哲学的に、文学的に…という観点から読み解くと、見方がそれぞれ大きく異なりますが、特に「コンビニ人間」のラストをどうとらえるかの問いは難しい…なと思いました。恵子さん(主人公)の視点で考えれば、救いの物語。世界(大枠)から考えていくと、救われているのか? 問題の解決? 本人の幸福? 自由の獲得? 何が救い=ハッピー? アンハッピー? になるのかなと思います。じっくり考えていきたいです。
〇一人一人の人がそれぞれに異なった観点から物事を見、考えていらっしゃるんだなということがわかりました。有意義な時間でした。ありがとうございました。このような単発の連続なのか、もっと深く何かに到達することをめざす会なのかはわかりませんが、貴重な場だと思います。
(記録:本間正己)
【第130回目記録】「ヒマはなぜつらいのか」
第130回目の人生カフェは、平成31年3月15日(金)午後7時~9時、男性6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日は「参加者で当日にテーマを決める」というスタイルであった。
...
【リード文】
当日に参加者でテーマを決めます。参加者で問いを出し合って、対話をするテーマを一つに決めます。テーマは中高年らしいものになるのか、そうではないのか? やってみてのお楽しみです。
まず各自に、自由に問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇女性はなぜ土俵に上がれないのか?
〇男女間では友だちになれないのか?
〇成長とは何か?
〇幸せな老いとは何だろう?
〇老いることは悲しいこと?
〇酒好きは何が好きなのか?
〇なぜドラッグに手を出すのか?
〇ヒマはなぜつらいのか?
〇役に立つとはどういうことだろう?
〇花見はしなくてはならないか?
〇「社会人」とは誰のことか?
次にこの中から今回のテーマとなるものを話し合いで1つ選び、フリートークへと入っていった.
テーマ「ヒマはなぜつらいのか?」
●ヒマがつらいのは、人生が有限だから。自分の人生を有意義なものにしたいという気持ちが働き、何かをしていないと人生を無駄に過ごしているように思えて空しくなるから。
●ヒマがつらいのは、世間に対して後ろめたいから。働いたり、勉強したりしていない人間は怠け者で、下等な人物と見られると思うから。
●ヒマがつらいのは、何かしらの刺激がほしいから。人は身体的にしろ、心理的にしろ、刺激がないところではおかしくなってしまう。それなりの刺激がないと退屈になってしまうから。
●孤独とヒマはどう関係するか? 孤独な時間はヒマなのか?(必ずしもそうは言えないだろう。) 引きこもりはヒマなのか?
●ヒマとは、義務に縛られない、他者から強制されない、すなわち自由のことではないか?
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇ヒマがつらそうに見えるのはなぜか?
〇ヒマについての定義、ヒマの分類、つらい要因が大方わかりスッキリしました。
〇とはいえ、やっぱり、うしろめたい。
〇ヒマとは…? 「ヒマ」とは「自由」ということか?
〇「ヒマ=強制されない自由」を自分の思うように使って何が悪いか!?
〇①ヒマはつらいだけではない。ヒマを生命の持続性と関係づけて考えると哲学的な問題となる。
②ボランティア(活動)とは何か?
③初めてだったけど、いろいろな対話ができて面白かった。
(記録:本間正己)
【第129回目の記録】映画「そして父になる」
第129目の人生カフェは、平成31年3月9日(土)午後1時30分~5時、男性4名、女性2名、計6名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館・会議室にて実施された。(進行:田中あけ美・本間正己)
最初に、映画を観ての感想を共有することからスタートした。
【映画の感想】
・血はどうでもいいのか...
・あまり近すぎると大変
・子どもの気持ちは?
・現代の父親は大変だ
・2つのテーマの融合が成功した
・この映画を外国の方が見たら、どういう感想になるのか知りたいと思った
・DNAと環境
・どういった形態が幸せなのかを考えさせられました
・福山さんを少し好きになった
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出された問いを4つにまとめ対話を行った。
【問い】
「あの一言だけは一生忘れない」
夫⇒なんでわからなかったんだ
妻⇒やっぱりそういうことだ
この二人の認識の違いはどういうこと?なぜか?
(男性)夫が血のつながりを優先するということを妻が許せない。
(女性)子どもに対して、夫が不満を思っていたことを知ったから。
(女性)妻は6年間育ててきた子どもを否定されたこと、ひいては自分を否定されたように感じたのではないか?この妻は仕事も辞めて子育てが生活の全てのように見える。自分と子どもが一体化していて、子どもへの評価が自分への評価と捉えている。
何を、どのような子を目指して子育てするのか?
子どもは親心と別な選択をすることはあるか?
(子どもは血のつながりを意識しているのか)
子どもの体は親が作っているが、心までも親が創る(影響与える)べきか?
映画とは違い、血のつながりを重視するいくつもの事象に目を向けるとどうなるか?
・映画では、取り違えがおこった時、ほとんどのケースにおいて子どもは実親へ戻すと言っていたが、小さい時期(1歳ぐらいのまだそんなに認識がない時期)は問題は少ないと思うが、この映画のように6歳とか、子どもの認識がはっきりある時だったらどうなのか?
父親の心境の変化のポイントとなったのはどこか?
子育てにおいての父親の役割とは?
斎木雄大(リリー・フランキー)は父親としてどうなのか?
父になるのが大変って、いつ父になったと思うのか?男の人は他人の子どもを受け入れにくいのか?
・慶多に対しては、カメラで撮影された自分の写真をみて、慶太の優しさを感じた時に良多(福山)の父性(母性?)が目覚めた。
・琉晴に対しては、家出した琉晴の中にかつての自分の子ども時代の気持ちを思い出し、自分の抑えていた気持ちを解放できた時に変化があったように思う。囚われていた父親像から、自分が子ども時代に求めていた父親へと。
どうなれば幸せな形になるのか?
Mission(ミッション)が終わってこれからどうなるのか?
・子どもは育ての親の家庭に戻り、お互いの家庭がその後も関わりを持っていけばよいのでは?
→でも、思春期になったりした時、進学の時期になった時に2つの家庭に経済格差があることで問題が起きてこないか?
・実親のもとに戻った方が良いのではないか?
→将来何かあった時に、血縁(逃れられない縁)だったら仕方ないと諦められるが、育ての親の元で育った場合、実親だったらと思う余地があるから、面倒なことになる可能性が大きい。
・大きくなって子どもに選択させる。
【対話後の感想】
・臨機応変に。子育ては結果が良ければそれでOK
・やっぱりルーツは知りたい!!
・最初に戻って(DNA半分×環境半分)×意識
・親とは子どもの幸せを願い考えること、待つこと
・今ここの結論に対し、これからの成長し長い人生がある子どもにとっての結論の方は見通せない
・今現在見込める最良の方法は、今までの時間を大事にした現状を肯定する
・自分を受け入れられた時、父親になったのか?
・家族って何なのかまだ問い続けたい
・自分の子育ては福山流であったことを反省。それでも娘との関係はまず良好。
・野々宮良多(福山雅治)の(だんだん父親になっていく)変容・成長は素晴らしいが、、、ミッションは続けた方がいいか?その選択は考えさせられる、、、
(記録:田中あけ美・本間正己)
【対話後の本間の感想】
「この映画を見て、福山雅治が少し好きになった」と言った人がいる。これは、もちろん福山雅治が演じた野々宮良多を好きになったと解釈してもいい。私も、映画を見ただけではあまり感じなかったが、今回の対話の結果、野々宮良多が好きになった。
良多が育った家庭は決して順風満帆で穏やかだったわけではない。良多の父親は多分、仕事に失敗し、良多を産んだ母親とは離婚し、後妻を迎えている。その後妻に良多は育てられた。良多は父親に対して、激しい葛藤を持つとともに、その義母に対してもわだかまりを強く持っていた。
その良多は自らの努力で、一流企業に入社し、エリートコースを歩んでいた。まさに刻苦勉励して、自らの力で獲得してきたという自覚を持っているであろう。そのような経歴を持つ良多にとっては、息子の慶多を自分のように育てることが、自らの父親モデルになっていたのもうなずける。
その良多が息子の取り違い事件に巻き込まれ、斎木家(リリー・フランキーが父親を演ずる家)との交流を通して、変化していく。それは今までの父親像を180度転換するような、自らの生き方までも変える、苦しい変化である。その変化を良多は徐々に受け入れていく。
そして、最後には、未来へ向けて、挑戦しようとしている。それは、このようなケースでは、ほぼ100%子どもを血縁関係の方に戻すという一般的な決着に対する挑戦である。血の論理より、情を重視するという選択である。さらに、自分とは異質な斎木家と、今後密接な協力関係を築いていくことを選んだ。
良多と両家の家族がこれから歩む道は険しいかもしれない。どうなるかは予測できない。しかし、変化し、挑戦しようとすることは勇気のいることであり、素晴らしいことだと思った。
哲学対話においては、自分の考えが変わるのを楽しむということを推奨する。この映画はこのことに通ずるものを感じた。そして、改めて、変わるというのは勇気のいることであり、うまく変われば、そこに新たな地平が生まれるということを感じた。
【第128回目記録】テーマ「母性」
第128回目の人生カフェは、平成301年3月1日(金)午前10時00分~12時00分、男性3名、女性4名、計7名で新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「母性」であった。
まず各自に母性にまつわる問いを出してもらった。 出されたものは以下の通りである。 ○母性とは? ○母性とは本能か? ○母性は愛情深いか? ○母性の限界とは? ○なぜ「母」性なのか?(親性ではダメなのか?) ○「母」だけの性質とは? ○母性は自己犠牲? ○男性に母性はないのか?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で問いを1つ選び、フリートークへと入っていった。 テーマ「母性とは?母性とは本能か?」 ●出産経験の無い人に母性はないのか? ●親…男性-子供を産めない。女性-子供を産む→母性が発現? ●出産と母性は関係無いのではないか? ●母性は本能ではなく、子どもによって引き出され成長するものではないか? ●虐待を行う母親に母性ははあるのか? ●母親を取り巻く環境が母性に与える影響は大きいのではないか?(幼少期の愛情不足等) ●母性があったら子育てを放棄しないのではないか? ●母性は母親全員にあるとは限らないのではないか? ●母性…育てる。ケアする。世話を焼く。包みこむ。受容する。守る。子供との距離感が近い。 ●母性…身体的な基盤(妊娠、出産、ホルモン)。精神的な性質(自己犠牲、子を守る、子と一体化している)。呪い(社会的な承認欲求) ●母性の押し付け(呪い)…「母親はこうあるべきである」には息苦しさを感じる。 ●母性の呪いは、ネガティブな事ばかりではなくポジティブに向く場合もある。 ●母性の呪いは、社会の状況によっても変わるもの。(三歳児神話等) ●呪いに囚われる中でも、自分なりの選択をすることは可能である。 ●子供以外への対象への母性。 ●母性はセクシャリティとは無関係か? ●「保母さん」→「保育士」 ●母性型の社長…「包みこむ」ような性質。 ●母性…包み込む。父性…切り放す。育児には両方が必要。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。 ○母性、母親、子育て。これがうまく回ったらいいんじゃないかなぁ~ ○母性とは?感想として。話が盛り上がり深まりました。 ○心身二元論者ではないが、この問題は、身体的、精神的、社会的、そして実存的に分けて考えを深めていきたい。 ○呪い=神話について考えたい… ○面白かったです。母性の「母」に込められた意味が各自の中で重いのかなと感じました。 ○子どもを産まない人、いない人に母性、父性はあるのか?育つのか? ○「母」性じゃなくても良くない?「育性」とか「守性」とか? (記録:髙橋あずさ)
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【第127回目記録】本『人間の建設』 第127回目の人生カフェは、平成31年2月23日(土)午後1時30分~4時30分、男性5名、女性4名、計9名で、ミヤマ高田馬場店で実施された。(進行:本間正己・MT)
この日のテーマは『人間の建設』(小林秀雄・岡潔、新潮文庫)の読書会という形式で行われた。
最初に、各参加者に①共感した箇所と②疑問に思った箇所を述べてもらった。 出されたものは以下の通りである。
①共感した箇所 ◯人は極端に何かやれば必ず好きになります(P.10) ◯学問の権威というものが、社会に認められていないですね(P.11) ◯言い表しにくいことを言って~それは情熱なのです(P.72) ◯作者の人物像が分かると作品がよく分かる(P.76) ◯しかし人間の眼だって、そんなによくできたものではありませんよ。(P.78) ◯一を仮定して、一というものは定義しない。一は何であるかという問題は取り扱わない(P.103) ◯知がいかに説いたって、情は承知しない(P.130) ◯とにかく知がいかに説いたって、情は承知しない(P.130) ◯情が納得して、なるほどそうだとその人自身が動き出さなければ前頭葉も働か無い(P.131)
②疑問に思った箇所 ◯(芸術は)もっと深いところから来るものであるということを知らない(P.14) ◯今の絵かきは自分のノイローゼをかいて売っていると言えるかもしれません(P.18) ◯日本は個性を重んずることを忘れてしまった(P.21) ◯数学が成立するためには感情の満足がそれと別個にいるのです(P.40) ◯無明の達人(P.93) ◯知や意によって人の情を強制できない。それが民主主義の根本の思想(P.130) ◯小林:あなた、そんなに日本主義ですか。岡:純粋の日本人です。(P.139) ◯「神風」小我を去ればできる。欧米人は皆無理なのか?(P.139) ◯結局「情緖」がなんなのかよくわからない
その間に話された内容 ・数学者が情の大切さについて話したことがすごい。 ・日本主義(特攻隊賛美)は古くないか? ・神風を美化しすぎ ・欧米人蔑視では?(小我を無くせない欧米人批判) ・民主主義(知)⇆ポピュリズム(情)。情のみで民主主義を行って良いのか? ・学問の権威(大切さ)が認められていない ・芸術のハードルが高すぎないか? ・無明から来る芸術を下に見ているのでは? ・無明の定義とは?自己中心的? ・定義できないのに知っている→「情緖」では? ・頭が身体を動かすのではなく、情が納得して身体が動く。(胃や胸の変化) ・芸術がノイローゼを描いているというのは偏見ではないか?
次に①共感した箇所から、全部に共通するものを探しだす。 全体に共通するもの ◯情緖 ◯時代・世代 ◯近代(産業化)批判 ・戦前から戦後の流れ(近代化)についていけない二人? ・人間共通の「情」はあるか? ・人間の基本:自然、心
次に②疑問に思った箇所から、全部に共通するものを探しだす。 全体に共通するもの ◯文化の成り立ち ◯「情」と「文化」 ・情が先か?文化が先か? ・文化という統一概念は、何が共通なのか?
次にこの問いを踏まえながら、フリートークへと入っていった。 ◯「情」「情緖」 ◯「文化」 ◯「近代批判」 ◯「知・情・意」 ・心と情の違い。心…生物的なもの。情…文化的なもの。 ・日本は教育の中に情緖を持ち込むのが下手。 ・P.120 同級生を友達と思え~は、知と意ではないか? ・情…環境、人間が生まれ持っているもの、感情に近い? ・情緖…良い悪い? ・情を軽視している近代 ・情(酒)<理性(コーヒー) ・理性はなくていいの?→それは違う ・情緖は知や意によって育てられるのでは ・成績の競争(生存競争)…学校で教えるもの「知・意」。教えられないもの「情」 ・人間の一次感情…本能(動物)、情、無明。 二次感情…知、意(教育できるもの) ・教育(人間の建設)において、人類共通の情だけではなく、個人の情をもっと大切にしても良いのでは? ・人それぞれ(個人主義)で本当に良いのか? ・自分さえ良ければいいという個人主義に傾きすぎるのは、どうなのか? ・西洋…狩猟、個人主義。日本…農耕、和を重んじる。という文化の違い ・P.140「その人の身になってみる」…情では?(人間特有のもの) ・「その人の身になってみる」は直感的にできること(一次感情)なのか? ・「その人の身になってみる」は、想像力+知ではないか? ・なぜ人間は相手の気持ちを考えようとするのか? ・共同体で生きている人間。共同体を成り立たせるための技術ではないか? ・道徳教育には知性が必要ではないか ・知がない情…自分勝手ではないか
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。 ◯近代批判というのが面白かったです。 ◯人間を建設するのは大変。 ◯・知のない情 ・無明 ・「知の巨人」の話という事を忘れてはいけないですね。 ◯「その人の気持ちになる」という意欲は「情」なのか?「知(教育、経験)」なのか? ◯お二人は知性がある前提だと納得できるが…「(分からなくなるまで)自分を知る。世の中を知ること」と解釈した。 ◯東洋的な見方と一緒に読む本かもしれない。 ◯共通了解志向にはデザインが必要だ! (記録:髙橋あずさ) |
【第126回目の記録】テーマ「友達」
126回目の人生カフェは、平成31年2月15日、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館にて行われた。平日の夜(金曜日の19:00~21:00)にも関わらず、14名(男性:11名、女性:3名)の参加者があった。初めての参加者も多かった(哲学カフェ自体が初めての方もいらっしゃった)。 (進行役:新妻弘悦)
テーマの「友達」は、子どもを対象にした哲学対話では比較的多くみられるテーマであるが、大人(中高年)対象の哲学対話では、あまり取り上げられないテーマであるようである。
円形に座り、コミュニティボールを用いて行った。
参加者それぞれ自己紹介していただいた後、さっそく「友達」について対話をしていただいた。
問いとして・・・
○子どもの頃は友達ってすぐにできたのに、なぜ大人同士は友達になりにくいのだろう?
○そもそも友達って何だろう?
○恋人、配偶者と友達の違いって何だろう?
○友達と親友の違いって何だろう?
○友達は、片思いでも友達と言えるのか?
○友情と恋愛の違いって何だろう?
印象に残ったワードとしては・・・
○友達は一緒にいて居心地のいい人のことである
○友達は非日常である(家族と比較して)
○友達との間に「会話」は必要ない
○友達は会わなくても、存在してくれるだけで心の支えである
○友達とは、一緒に遊んでくれる存在である
友達はポジティブなものという前提でのお話が続いたが、もう少し時間があれば、「友達は本当に必要なのか」などの前提を疑うような対話もできればよかったが、時間切れであった。
感想として・・・
○友達という存在がわからなくなった
○友達を(広く)定義し直すことで、楽になった
○友達とか親友とかどうでもよくなった
○参加者それぞれの頭のなかに、個別の友達の顔が浮かんでいるのがわかった
などが語られた。
進行役としては、「友達」を抽象的に語るだけではなく、具体的な自分の友達の「顔」を思い浮かべて、「抽象」と「具象」を行ったり来たりするような対話になればいいと思っていたので、満足のいく対話であったと思う。
(記録:新妻弘悦)
(補記)
以下は、一人の参加者である本間の若干の補足である。
〇友達は利害関係、損得関係ではない。子どもは利害関係にあまり巻き込まれないので友達になりやすい。それに対して、大人は利害関係が相当に入り込むので、友達になりにくい。
〇友達関係に理由はいらない。ここまでいったら親友である。この場合の、理由とは何か? 利害、損得のことか?
〇性愛は友達関係の障害であるか?…障害になりそうだ!?
〇現代の友達関係において、SNS(フェイスブックなど)の影響は大きい。SNSを省いては現代の友達について語ることはできない。このあたりをさらに対話したい。
〇「友達は本当に必要なのか」を問うていくと、「孤独」の問題に突き当たる。孤独の意義は相当にありそうである。最近は、孤独をすすめる本も出ている。今回の対話の出発点にも、孤独の話は提示された。対話終了後の問いとして残っていった。
【第125回目の記録】映画「メッセージ」
第125回目の人生カフェは、平成31年2月9日(土)午後1時30分~5時、男性6名、女性4名、計10名で、榎町地域センターにて実施された。(進行:本間正己・田中あけ美)
まず最初に、映画を観てのキーワードと感想を共有することからスタートした。
【映画の感想・キーワード】
・未来→対話? 表意文字
・シャン上将の妻のメッセージは何だったのかわからなかった
・時間、平和、感覚、言葉
・未来の結末を知りながら物語を生きる
・未来、一定、調和、生きる意味、目的、意味
・時間↔宇宙、言語↔身体性、外交-軍事-科学、運命
・時間、未来、言語と科学
・コミュニケーション、未来が見えたら、、、?
・知ってしまう事、知っていると思っている事
・選択、自由、愛
→原作が好きで映画を観たが、原作との差異や映画ならではの面白さがあった
→SFと思ってみたらヒューマン・ドラマだった
→未来は確定している、人間は今しかわからない
*参加者の中で原作を読んでいた人4名
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出された問いを3つにまとめ対話を行った。
【問い】
・分からないもの(こと)がこわいのはなぜか?
この映画ではエイリアン(未知のもの)が自分たちに危害を与えるのではないかという恐怖
相手のことをよくわからないから身構えてしまう(生存本能か?)
反対に分かっていること(人類の戦争・侵略などの歴史から)から怖がることがあるのでは?
何も知識がない子どもなどは怖いものを知らない。中途半端な知識がよくない
人類対エイリアンだと防御が先にきてしまうが、防御するもの(防護服)を脱ぎ捨てた個対個になると分かりあいやすくなるのではないか
・世界中の人が同じ言語でコミュニケーションしていたら、争いは少なくなる?
・”言葉”という武器で平和は得られるのか?
・言語によって考え方(と結論)は変わるのか?
*サピア・ウオーフ(言語相対説)について途中解説あり
時制のない言語
感情と言葉は切り離すことができるのか
・映画のうえでは、ルイーズは未来がわかることを忘れていて思い出すストーリーなのではないか?
・未来はもう実現しているのか?
・未来を知ったら未来を変えられる?
・未来がわかるのは幸せか?
・未来がわかれば世界は調和するのか?
・何のために生きるのか?
・未来がわかったら対話する?
未来がわからないから頑張れるのではないか
知りたい欲求があるから生きていける
決まっていることはたくさんある
人間は全員死ぬという未来をすでに知っている
主人公のルイーズは未来を知っていてもそれを自分で選択した
ルイーズは幸せであると思う
未来を知っているから今を大切にするのではないか
【対話後の感想】
・全ては決まっていることで、それを変えることはできないが、生きていけるのは「知らない」からなのだろう。分からない、知らないことはこわいだけではないのですね。
・やはり、時間は不可解でモヤモヤ
・未来(運命)って変えられるのでは?変わったことを含めての未来がある
・物理的に可能な未来は全て存在する。しかし、知ることも選択することもできるのではないか?
・未来を知っているから頑張れるという新しい視点
・母性とは何か?
・新鮮
・1回ちょっと映画をみただけでは全然理解できていなかったことがわかった。
・生まれることも決まっている?生まれることは選べない。
・フィボナッチ数列 0,1,1,2,3,5,8,13,21……
素数 2,3,5,7,11,13,17……
Non Zero Sum Game
(記録:田中あけ美)
【第124回目の記録】本『仕事なんか生きがいにするな』
『仕事なんか生きがいにするな』(泉谷閑示、幻冬舎新書)
〜生きる意味を再び考える〜
哲学カフェで話題となるテーマに繋がる部分が多く、本を選択
日 時:平成31年1月26日(土) 午後1時30分~5時
会 場:東京都新宿区立新宿消費生活センター分館
参加者 男性6名女性3名計9名
進行役 比良正彦
以下の流れで対話
(1)この本を読んでの感想
(2)この本で関心を持った箇所の共有
(3)疑問や新たに生まれた問いの共有
(4)本日の感想、新たな問い等
以下それぞれで出された事項のメモ
(1)この本を読んでの感想
◆面白くてやばい
◆仕事が全てでないという考えには共感、芸術についてのところは?
◆なんだかんだと安心したうえで考え方が変化
◆本の題名と中身が合ってない
◆泉谷閑示は精神科医だ!
◆面白かった。引用だけでも読み応えがありました。(幅広い引用) ただ本のタイトルが内容と合ってないように思えて残念
◆普段よく考えることへのヒントが詰まった本。多くの気づきがあったが、細かなところに?がいくつかある。
◆働くこと、生きることに悩み続けてきた私自身の…援護射撃的な内容で感動
◆労働=軽蔑 避ける=生命の喜び
両者を併せ持つややこしいところ (72ページ)
⑵この本で関心を持った箇所を共有(ネタバレ多々あり)
◆【はじめに】
人間は、生きることに「意味」が感じられないと、生きていけなくなってしまうと言う特異な性質を持つ、唯一の動物です。(3ページ)
◆「何がしたいのかという悩み」~「楽になりたい」というささやかな夢
人間はまず「好き/嫌い」を表明することをから自我の表現を始めるものです。ただし「好き/嫌い」といっても、初めから「好き」が出てくるわけではなくて、「嫌い」、つまり「ノー」を表明することから始まるようになっているのです。(22ページ)
◆夏目漱石の「それから」における父の説教
大介が働くことで自らの何かが汚されてしまうと考えて躊躇していることから、比べれば父の価値観はあまりに、皮相的で世俗的なものにすぎません。(64ページ)
→仕事ではなく恋愛に当てはめてみる。
◆「働くこと」はなんのためか
「働くこと」がそれ自体を目的とした純粋な行為であって欲しかったです。(67ページ)
→すごくわかるけど食べていけるのか?
人間には「労働」というものを軽蔑すべきものとして、なるべく避けようとする傾向と、逆に「労働」によって生命の喜びが得られる傾向とがあり、この両者を併せ持つややこしいところがあるのです。(72ページ)
◆「働くこと」への違和感の正体
労働教という宗教にすっかり近・現代人が取りつかれてしまったということ
~~~かのアウシュビッツ収容所の入場門に掲げられた「働けば自由になる」という標語です。
勿論、この標語が真っ赤な嘘であり、~~~
私たちも、いつの間にか、「働けば自由になる」という虚偽の標語に追い立てられ、騙されていやしないだろうか (89~90ページ)
アレントの言った意味での「仕事」の復権や「活動」と言うものへの目覚め、そして忘却されて久しい「観照」というものを、たとえわずかであっても日々の生活の中に復活させることが大切なのではないでしょうか。量の次元になってしまっている種々の「労働」を「仕事」と言う質のあるものに移行させていくことを、これから私たちは真剣に考えなければならないのです。(92ページ)
◆「意味」と「意義」の取り違え
他人にそれがどう思われるかに関係なく、本人さえそこに「意味」を感じられたなら「意味がある」ということになる。(106ページ)
◆生きる「意味」はどこにあるのか
この問いが前提にしている誤りとは何でしょうか。それは、人生そのものにあらかじめ意味というものがあったりなかったりすると想定している点です。意味というものは、あらかじめ固定的に存在しているものではありません。「意味」とは人が「意味を求めると」という「指向性」を向けることによって初めて生ずる性質のものなのです。(109ページ)
◆「仕事探し」=「自分探し」の幻想を捨てる
私たちに問われているのは、「労働」をやみくもに賛美する「労働教」から脱して、今一度、大きな人間として復活することです。(119ページ)
日常に「遊び」を取り戻す
生きる意味とは何かを得たり達成したりすることによって感じられるものではなく、~~~~
人生の時間を丸ごと「遊ぶ」ことができるかが問われてくるのです。(156~157ページ)
◆生活を「遊ぶ」ための工夫
「即興」・・・・「偶然に身を開く」・・・・「面倒臭い」を歓迎する(174ページ)
「心」の向くまま気の向くまま気軽にやってみる。気が向かなければやらない。「継続」などと堅苦しく考えたりせず、ただ壮大な人生の暇つぶしとして「遊ぶ」のです。(178ページ)
◆「アリとキリギリス」再考
このようなアリ信仰は、禁欲的に労働して未来に備えることを過度に賛美し、その反作用として「今を生きる」「生きることを楽しむ」ことをよからぬこととして捉えるような、倒錯した価値観を生み出しました。(183ページ)
→この価値観をどうにかして変えたいのだが、仕事なんぞしたくないし。
(3)疑問や新たに生まれた問いの共有
◆人間ならではの事は何か
何をやりたいのか
生きがいは何か?
本当の自分はどうしたら求められるのか?
◆苦悩から出した先にある第二の誕生
心を中心に回復させる体験?
第二の誕生とは?
◆受動的から能動的か
どうしたら自覚できるんだろうか?
この本を読んですぐにとはいかない、時間がかかること
内面的な空虚と直面することが必要だと思う
◆人間という存在は生きる意味を見失うと……
人生で何かしらの生きている意味を自己満足ベースで見出せるのは幸せなことだと思うが?持っていますか?
皆本能的に家族を持とうとするのか?
◆結局働くのが嫌な人はどうすればいいのか?どうすれば労働を仕事にできるのか?
◆食うための職業は誠実にはできにくい、やらにゃ生きていけない。(労働)
◆何故、壮大な人生の暇つぶしとして「遊ぶ」ことが、生きがいになるのか?それは仕事にあてはまるのか?
◆「芸術とは、邪なるものに曇らさられた世俗に向かって決然と対峙して、そこで忘れ去られてしまった自然の本性、すなわち「美」を力強く表現するものです。」と書かれているがそうなの?
(4)本日の感想、新たな問い等
◆同じ本でも一人一人違う感じ方考え方があることに改めて気づく。
今の時代にもアリ的思考に悩んでいる人がいることが驚きでした。
第二の自分とか本当の自分を感じゆくきっかけとなりました。
◆遊びと芸術と愛はどう関係あるのかとの問いが生まれた。
◆会社で認められること(価値)
→役に立つこと、数字を上げること
人としての価値はどこにあるのか?
◆仕事の人生における位置づけ、重み付け
は今後も考えていかなければならない課題
◆私は生きることに意味を感じられないと生きていけなくなってしまう動物です!そうだ私は人間なんだ!
◆一生相手にしてしなくてはならない自分をよく知り、感じて何をするか決めるしかない。人それぞれでいいと思った。
「誰にでも自分にしかできないことが必ず1つはある。それをやることが生きる意味」と言う名言を思い出しました。
◆お金があれば仕事をしないのか? するのか? するとなるとどんな仕事か? それは生きがいか?
◆仕事は人生の中でも大事なことだと思うので「遊び心」をたまに意識しながら業務をしていこうと思う。なんでも「そればっかり」にならず色々な面に居場所を作って分散していく。
◆嫌な仕事が幸福を作る。
(記録:比良正彦)
【第123回目の記録】テーマ「男社会」
第123回目の人生カフェは、平成31年1月18日(金)午後7時~9時、男性6名、女性4名、計10名で、新宿区消費生活センター分館にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「男社会」であった。
まずは、各自からテーマに関しての問いを出してもらった。
○男社会で得するのは、どんな人?
○男社会で輝いている男性とはどんな人?
○男社会ではない社会は何社会か?どんな社会か?
○男社会と女社会はどちらが正しいか?
○「男社会」という息苦しさの正体について(男vs女という対立 個が消されているような)
○性別はあったほうがよいか?
○男社会はいつ現れるのか?(場所・時)
○男社会を作ったのは男か?
○ホントのところ、女性にどうあって欲しいのか?
○男社会っていうくくりで考えるべき問題って何?
◇女性の地位向上 ◇意思決定プロセスへの女性参加向上
・一億総活躍社会 ・ソーシャルインクルーシブ(ダイバーシティ)
・手厚い社会保障/福利厚生 ・SDGs(持続可能な開発)
○今の男社会はこれからどう変化するだろうか?
これらの中から、今回は「男社会ではない社会は何社会か?どんな社会か?」を選んで、このテーマを切り口に対話を始めた。
記録者が印象に残ったところだけピックアップして記述する。
●男女平等意識が極端に低く、男が上、女は下というのは当然だと思っている年寄りは早く死んでほしい!という過激な意見も飛び出した。確かにこれが最高の解決策かもしれないと思えるほど、世代間格差は存在する。
●しかしながら、現代の若者たちも男女格差の是正に対する意識が高いとは言えない。若い女性のあいだに専業主婦志向が高まっていたりする。今の若者には、男女格差より、貧困の問題、経済格差の問題の方が身に迫っている。専業主婦は単なる幻想であり、貧しさから女性も当然働かざるをえないし、結果的に低い水準で男女平等が実現していくという、何とも侘しい現実がそこにある。
●日本では、議員と会社役員に男性が圧倒的に多い。このために日本の男女平等度は国際的に見て非常に低い。男性の議員と役員を支えているのは家庭にいる女性である。女性の陰の力がないと成り立たないこれらの職業が問題である。日本では女性が議員や役員になって、男性が家庭を支えるという形も成り立ちにくい。したがって、女性がこれらの職業を選びたいという気持ちになかなかなれない。
●年寄りがなかなか死なない(?)ということもあってか、日本の社会は30~50年くらい男女平等に関する制度や意識が変わらず、実態はあまりにも変化が遅い。これは低飛行ながらも、資本主義がこれからも続いていき、変化を期待できないという感覚(まあ、安定しているからいいじゃん!というような感覚)から来るのか?
●男女間においては、結果の平等ではなく、少なくとも機会の平等がほしい。また、女性の数を一定割り当てするクォータ制の徹底も必要だ。実際に試してみて、よいモデルが増え続ければ、変化は生じてくる。
●男社会の反対を女社会と捉え、女が権力を握ればそれでいいとは思わない。権力や決定権の奪い合いだけでは、そこに無駄な争いが生まれ、息苦しい上下関係が築かれるだけだからである。男女に捕らわれない個人の意向や資質が問われる「人間社会」を目指すべきである。
最後に、各自にフリップに感想等を書いてもらった。
○変わらないということは……得している人がいっぱいいるのかな…? それとも損していることに気づいていない人が多いのか?
○社会には「枠」があるようだ。
○システムとメンタル 生きていくには両方必要 理性と本能と
○男も女もない平等な社会とは何だろう?
○Action ?
○勉強になりました。
○すごく視野が広がった。自分がこれまで身近にいる人たちと性別のリアルに向き合っていなかった。
○基本的方向性は…これから女性の(職業などの)選択の幅が広がるのがいいと思う。
○「○○社会」は世相を映す。キーワードだからなくならない。 「くさいものにフタ」文化撤廃⇒永遠のいたちごっこ? それでも社会は発展してる??
『戸籍法』
○男社会の次の社会は幸せか?
【第122回目の記録】映画「恋におちて」
第122回目の人生カフェは、平成31年1月12日(土)午後1時30分~5時、男性2名、女性3名、計5名で、榎町地域センターにて実施された。(進行:本間正己・田中あけ美)
最初に、この映画を見ての感想を述べてもらった。
・携帯やスマホがない時代の恋愛(今は1対1で周りに分からず連絡が取れる)、待つ時間が長い、昭和の時代の恋愛はいいなあと思った。
・恋愛とか昔のことなので、こういう気持ちが思い出せない。
・この映画の描く恋愛は、交通事故のように突然起こってしまい、理性ではわかっているけど、どうにもならない気持ち、行動など、遠い昔のことを思い出したり、羨ましいと憧れたりする気持ちになった。
・主演男優(ロバート・デ・ニーロ)の演技が良かった。
・いつもはこのジャンルの映画は観ないが、観てみると面白かった。演出が上手い、映画の作り方、構成に関心を持った。
・群衆の描き方、冒頭において主役の行動を平行的にみせていく場面(運命的な出会いを暗示させる)など、本では描くことができない映画ならではの演出がある。
・疑問だらけで終わった。
・昔観てよく理解できなかった場面、やっぱり今回観ても疑問だった。
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出された問いを3つにまとめ対話を行った。
(問い)DVDで映画の場面(フランクが妻のアンにモリ―との関係を告白する場面)を参加者で確認を行った。
・「愛なんてどこにある?」
・フランクは妻に告白しない方が良かったのか?
・妻のアンは夫が告白しなければ結婚生活を続けていたのか?
・フランクの妻の「その方がもっと悪いわ!」の意味は?
2人が本当に愛しあっていれば不倫は起きないのではないか。
愛情とか恋は4年が限界。
「愛なんてどこにある?」の愛は、恋愛の愛。結婚すると恋愛の愛から家族愛へと変化していく。女性は子どもができると生活中心、性は邪魔になる。恋愛できる環境にない。
フランクの妻は嘘をつかれてもいいから家族を保ちたかったのに、フランクが正直に話してしまったことに対して怒った。(フランクが嘘をついてくれれば、結婚を維持しようとする気持ちの方が上回っていると判断できたのに……)
告白してもしなくても結婚生活はうまくいかなかっただろう。
(問い)
・叩かれる不倫と叩かれない不倫の違いは?
・許される不倫とは?(許されないものとの違いは?)
女性の不倫は叩かれる。母は家庭を守るものというイメージがある。
芸能人でいうと、それまでのイメージとギャップがあると叩かれやすい(ベッキーとか乙武さんとか)
今、不祥事を起こしたものや、弱いものを更に叩くという風潮があり、その叩く対象のひとつとして不倫があるのでは?
自分ができないことをしていることに対する僻(ひが)みの裏返しではないか。
(問い)
・不倫はなぜいけないのか?
・人はなぜ不倫をするのか?
・ 男女の恋愛はなぜ1対1でなければならないのか?
生物学的にみると、不倫するのは当たり前の事象では?
子どもが何人かいても皆同じように愛することができる、男女でも複数の人を愛することができるのでは?
結婚という契約関係を結んでいるのに不倫するのは契約違反になるのではないか。
(感想)
・不倫の形よりもときめき感を大切にしたい。
・結婚に対する価値観が変わると不倫というのは死語になるのでは?
・昔みた時に感じた妻アンの言葉のモヤモヤがみんなで話してスッキリしました。
・今の結婚制度はベストなのか? よりよい形は何だろうか?
・恋におちることは本当にあるのだろうか?恋って何だろう?
・結婚って何だ?恋愛って何だ?
・恋愛というより、人を好きになる至上主義者だ!
【第121回目の記録】テーマ「来年の夢・将来の夢」
第121回目の人生カフェは、平成30年12月22日(土)午後1時30分~5時、男性3名、女性2名、計5名(若い人の参加もあったので、まさに老若男女)で、新宿区榎町地域センターにて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「来年の夢・将来の夢」であった。「幸福シート」なるものに記入しながら、語り合った。
この幸福シートは最終的には自分でお持ち帰りであり、このシートに記入した内容を発表するかしないかは本人の自由である。発表する場合、できるだけ話を盛ることはしないで、自分の気持ちに素直にしてほしいとお願いする。
まずは、「いま」「ここ」「わたし」を確認するために、自分の名前などを記入してもらう。これは、いま、ここ、わたしが原点であり、出発点であることを自覚する意味合いがある。
次に、対人関係に注目し、「今、わたしにとって大切な人」と「今までで感謝したい人」を挙げてもらう。これは人生にとって、対人関係がとても大切だということを感じてもらうためである。
(私、本間は過去4年間くらい、職場が変化していないこともあって、あまり変わってはいないが、哲学カフェ関係の対人関係が徐々に濃密になっていることは間違いがない。)
次に、いよいよ未来志向で、「当面やりたいこと(1~3か月くらい)」「中長期的にやりたいこと(1~3年くらい)」「どのような人生を送りたいですか」について記入してもらう。
1年半後には東京オリンピックがあるが、今回の参加者はこれを意識している人があまりいなかったのはちょっと面白かった。
(私、本間は、やはり哲学カフェ関係のことが多い。それと来年は65歳、前期高齢者になり、再来年は非常勤職も終了となることが大きい。)
さらに、来年に向けて、もう少し具体的に考えてみる。「場面ごとに(家族、友人、職場など)」「要因ごとに(健康、お金、趣味など)」に記入してもらう。この時のポイントは具体的にということと、ある程度全体のバランスを考えるということである。
(私、本間は、全体に渡って記述するとともに、①非常勤退職後の新しい活動を考える ②新規パソコンの購入 ③母の介護 を特に重点に掲げた。)
参加者5人がそれぞれ自分を振り返り、未来を見据える時間になったと思う。家に帰って、もう一度見直し、補足していくといいことを勧める。
最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
〇あっという間!
〇5人という人数がとても丁度良いと思いました。皆さんの考えていることをゆっくりじっくりと聞くことができて、とても有意義な時間でした。とんでもない目標を立ててしまったような気がしていますが、頑張ってみます。
〇将来のことはよく分からないが、今できることをする。
〇前期高齢者!(しかし、強調しすぎるのも何かな?) いくつか情報をありがとうございました。
〇とりあえずの結論。 今日、来てよかったなあ。やっぱり、自分は幸せなのかもしれないと思った。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」
【第120回目の記録】本『考えるとはどういうことか』
第120回目の人生カフェは、平成30年12月8日(土)午後4時30分~7時30分、男性6名、女性
4名、計10名で、ミヤマ高田馬場店で実施された。(進行:本間正己)
この日は『考えるとはどういうことか』(梶谷真司、幻冬舎新書)の読書会という形式で行われた。
最初に、各参加者に心に残った箇所や感想を述べてもらった。
出されたものは以下の通りである。
◯自ら考えて決めた時にだけ自分のしたことに責任を取ることができる(P.100)
◯新書という形。対話の身体性(P.165)
◯知識ではなく、自分の経験に即して話す。→対等になる(P.70)
◯・赤ん坊でもいい。・母親という哲学的資質を持った人。・子どもが泣いたり騒いだりするのは当たり前。(P.194、195)
◯問い、考え、語り、聞く。
◯哲学とは、「問い、考え、語り、聞く」こと。
◯知識だけ学んで問うことがなければ、思考はどこにも行かず、育つこともない。知識もなしに問うばかりでは思考は方向を見失う。(P.144)
◯大事なのは、問うことを恐れないことである。(P.142)
◯「問い」「考え」「語り」「聞く」。「自由のため」「責任のため」「自分のため」。何を目指すか、何をするかを簡単に言った。
◯体で感じる自由。(P.91)
以上のことを踏まえて、この本にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
◯考えるとはどういうことか?
◯哲学的深まりとは何か?
◯板書とメモは無い方が良いの?(P.237)
◯考えることと選択することの違いは?
◯哲学カフェ以外の場と哲学カフェの違いは?
◯問う、語る、聞く、「言葉」について「共感」について。その扱いは?
◯P.80~第2章哲学の存在意義。哲学は何のためにあるのか?
◯P.172聞くことにおいて本質的なことは、音声となった言葉を受けとめる以前に、その人のためにその場に居て、その人の存在をそのまま受けとめることだ。端的にいえば「場を共有」することだとはどういうことか?
◯「自由になれた」と体で感じるというけど具体的にどんな感じか?(本にもいくつか載っていますが、もし体験したことある方がいたら聞きたいです。)
◯本当に学校は語る自由を奪っているだろうか?
◯P.241~いい対話は「哲学」対話でなくてもよい話しですね…?
次にこの問いを踏まえながら、フリートークへと入っていった。
●哲学対話と自由の関係
・思い込みから解放される。
・参加者の多様性は重要である。
・意識していなかったことを意識するようになり、選択肢が増える。
・参加者それぞれが言葉にして出す事で、多様な考えに触れる事ができる。
・日常で出せない考え・言葉を出せる(同調圧力から解放される)。
・対話により自分の持っていた視点・価値観から解放されて自由になる。
・対話という共同作業により、相手に対する否定が消えた経験がある。
・分からないことが増え、モヤモヤする→これも自由。
・ずっと一人で考えていて行き着けなかったところに、対話を通して行き着けた経験。そのときに心と身体が軽くなった。
●相対化・対象化
・哲学対話を通して自分の知識やものの見方から距離を置ける(P.92)。
・相対化・対象化は対話ではなくても可能では無いか?(文章にする等)
・相対化・対象化する事で、ものごとが整理されて分かるようになる。その結果、自分で制御可能な状態になる。
●選択できるということ
・選択できるという自由。
・選択肢が増える→選べる自由。
・選択肢が多いと不自由(スティーブ・ジョブズ)。
・解放感(快感)と不安定感の両義的感覚=自由の感覚。
●考えるとはどういうことか?
・全てを肯定すること。
・言葉を使って行う営み。ことばに当てはめて整理・分解・組み立てをしていくこと。
・問うこと・語ること・聞くこと。
・相対化・対象化すること。
・様々な制約から自らを解き放つこと。
・個人として考えること(書く等)と、集団として考えること(対話)がある。
●哲学的深まり
・哲学的な深まりは必要無いのか?
・様々な意見を一つにしていく→普遍性を探る哲学的な対話。
・自由に話しても良い→話が深まる。
・自由に話すためなら、哲学的深まりを犠牲にしても良いか?
・哲学的深まりは主観ではないか?
●考えるための環境が整っていないので、まずは環境を整えることが大事では?
●ファシリテーターの役割とは?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
◯器、場を作る意義とそれからのこと
◯「教育現場」「お母さん(という役割)」をよく知っている(特別視している)哲学者による「対話のすすめ」の本なのかな…と思いました。そのうえで「社会人に役立つ」要素もある!
◯・まず「場」が必要。・次に対話を支えるメンバーの自覚的努力が必要。・その努力を引き出すためにファシリテーターの能力も重要。
◯孤立から対話によって繋がっていく。共通していても互いに確認できないと共有にならない。
◯哲学的な深まりは欲しいです!(哲学的な深まりとは?)
◯梶谷先生の立ち位置…真理の追求より、デモクラシーに重きをおいているのではないか?
◯自由のことをまた考えたい。
◯ただ読むことと、みんなで読むことは違う。
◯十日後、二年後に、人が変化した結果を見られるなら良しか?場が「考えること」「変化すること」を生み出したと言うか?
(記録:髙橋あずさ)
【第119回目の記録】テーマ「普通」
第119回目の人生カフェは、平成30年12月7日(金)午前10時~12時、男性3名、女性3名、計6名でプロント高田馬場店にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「普通」であった。
まず各自に「普通かどうか疑っていること」を出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○ゲーム、インターネットをしているとダメみたいな風習がありますが、それって普通?(勉強している方が偉い?)
○「普通かどうか疑っていること」→全て
○若い人と高齢者の普通の違い
○結婚したら夫の姓になる
○恋愛(結婚)の相手は一人であることが普通ですか?
次に上記の内容を踏まえ、「普通」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○若い人と高齢者の普通に対しての違いはあるか?
○自分を守る安全な表現行為?
○自分にとっての「普通」とまわりの人の「普通」は、なぜ違うのか?
○普通じゃないとは何か?
○「普通」は正しいことか?
○こういう哲学的な話し合いをしたいのって普通?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で問いを1つ選び、フリートークへと入っていった。
テーマ「自分にとっての「普通」とまわりの人の「普通」は、なぜ違うのか?」
●「普通」の感覚は、世代間や、時代、国(文化)で異なる。
●「普通」の感覚は、その人を取り巻く環境から作られる。
●「普通」=常識、当たり前、慣習、多数。
●「普通」と言うと、みんなそうだからという安心感がある。
●「普通」という言葉は、何かと比較した時に出てくる。
●「普通」という感覚は、物事を見る視点によって変わる。
●「普通」は教育等で刷り込まれるものではないか?
●「普通」や「常識」は何の為にあるのか?
●その人の「普通」は、その人が生きていく中で、出来上がってくるものではないか?
●周りの人との人間関係に重きを置くと、普通の行動を取るようになる。
●・まわりの普通→常識
・自分の普通→(こうしたい・こうであって欲しいのような)欲望が入る。
人は、この二つの感覚を自分の中に持っているのではないか?
●「普通じゃない」といわれると嬉しい。
●「普通じゃない」といわれると悲しい。
●少数派になると、そのコミュニティから排除されてしまう怖さがあるから、普通であるように振舞う。
●自分のものさしがしっかりとしていれば、普通じゃなくても(正しくなくても)、周囲の反応はあまり気にならない。
●自分のものさしがしっかりとしている=自己一致しているということではないか?
●自己一致に価値を置く生きかたをしていれば、少数派になること(普通じゃない)も怖くない。
●少数である(普通ではない)アスペルガー症候群の人との出逢いが、それまで自分の見ていた世界を一変させた経験がある。
●アスペルガー症候群の人が抱える「自分が全く分からない『世間の普通に沿った言動』を求められる辛さ」
●交流分析「I'm OK. You're OK.」「I'm not OK. You're OK.」「I'm OK. You're not OK.」「I'm not OK. You're not OK.」の4つのパターンの中の「I'm OK. You're OK.」(私も、あなたもOKである。)を目指したい。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
◯哲学の対話は今回が初めてだったのですが、皆さんのおかげでとても楽しかったです。(楽しすぎて、なぜ周りと自分の普通は違うのか、っていうテーマからズレてしまいました。笑)今回、楽しい時間をありがとうございました。高橋さん、企画と話し合いの仕切り、本当にありがとうございました。
◯「普通」から「自己一致」のキーワードは予想していなかったので、改めて「自己一致」とは自分にとって考えたいと思いました。
◯・「普通」を意識する度合いは、柔軟性+自分の頭で考えているかのバロメータ。
・周りを気にせず、もっと自己開示してもよい。
◯「普通」に対する考え方にも、いろいろなアプローチがあり、視野を広げることができて良かったです。このテーマを通じて、普段は会うことがないであろう人と話ができていい機会を得ることができました。「自由」と「普通」の関連を宿題にします。
◯普通は人それぞれ、みんな違ってみんないい!
◯時間があっという間に過ぎました。「自己一致」したいです…ありがとうございました!!
(記録:髙橋あずさ)
【第118回目の記録】テーマ「東大の中心で、老いをさけぶ」
第118回目の人生カフェは、平成30年11月24日(土)午後1時30分~3時30分、老若男女17名(他にギャラリーが約10名)で東京大学駒場キャンパス516教室にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「東大の中心で、老いをさけぶ」であった。
コミュニティボールなどを使いながら、和やかな雰囲気の中で進行した。
まずは「チェックイン」で、「どんな時に老いを感じるか?」という問いに、一人一つ1分以内で話してもらった。
次に、各自に「老い」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○なぜ「老い」はマイナスのイメージでとらえられることが多いのか?
○リタイアによって自由な時間を持つことができること。
○老いの実感は自分次第なのか?
○老いは悪いことか?(主観的なことではあるが)
○人はなぜ「老い」を隠したいと思うのか?隠さなければいけないのか?
○老いによって何か得するか?
○なぜ社会が自然発生的に年齢のグループ分けをするのか?(例:大学は18〜23ぐらいまで)
○老いによる身体障害と一般的な身体障害はイコールか否か?
○老いてない人に老いを説明することは可能か?
○「若返り」が可能な世の中になったとしたら、それを望みますか?
○老いを防ぐことはできるか?
○老いのこころは何か?
○世の中のいろいろなことの本質が見えてくる。理解できるようになっていく。向上は無限だが、人間についてわかってくる事で比較的自由な行動ができる。
○(精神的に・肉体的に)落ちつくことはいいことかどうか?
○老いることでの、良い面は?悪い面は?
○老いにネガティブなイメージがつきまとうのはなぜか?
○人生について深く考えられるようになった?
○老いることの意味は何か?
次に少人数のグループに分かれて各グループで問いを1つ選び、対話をしてもらった。
各グループで選ばれた問いは、
○「若返り」が可能な世の中になったとしたら、それを望みますか?
○なぜ社会が自然発生的に年齢のグループ分けをするのか?(例:大学は18〜23ぐらいまで)
○人はなぜ「老い」を隠したいと思うのか?隠さなければいけないのか?
○老いによる身体障害と一般的な身体障害はイコールか否か?
であった。
次に、各グループで選ばれた問いの中から一つを選び、全員でフリートークへと入っていった。
選ばれた問い「『若返り』が可能な世の中になったとしたら、それを望みますか?」
●現時点で若返りは不可能である。現実的ではない話をしても意味がないのではないか。
●現在の経験と記憶を維持できるなら、若返りたい。
●現在の自分(これまでの経験等)を手放したくない。
●今の経験や記憶を維持したままで若返ったら、経験できないことも多いのではないか?(新しい事に対しての新鮮な感覚等)
●今を楽しみたい。
●今を楽しむ能力に年齢は関係ないのではないか?
●今を楽しめていない中高年が多い?
●リタイア後の自由な生活→以前の仕事中心の生活に戻りたいとは思わない。
●何歳まで生きたいか?
●天寿を全うするまで生きたい。
●長生きするメリットは何か?→やりたいことができる。好奇心を満たすことができる。
●老いていく素晴らしさもある。
●老いること、失うことによって得るものや見えてくるものがあるのではないか?
●今を肯定した上での好奇心から、若返りを望む。
●年を重ねるごとの、年齢相応の楽しみ方がある。それを大切にすべきでは?
●メディアによる「老い」のネガティブイメージが大きいのでは?
●面倒くさいことが増えていく印象。
●「老い=悪」であるなら、若くして亡くなった人にはお祝いをするのが妥当だと思うが、そうならないのはなぜか?
●いつまでも元気でありたい≠若返り
●精神的な老いは肯定できるが、肉体的な老いは肯定できない。
●肉体的な老いは、バイオテクノロジーの発達で今後克服できるようになるのではないか?
●医療の進歩→人生100年時代→85歳が老いの境界線か?
●老い…以前の自分との比較で下がったこと→ネガティブ
●人間は、現状安定維持を望むものなので、老いをネガティブに捉えるのでは?
●以前の自分との比較は、今の自分を楽しめないし、否定してしまう。
●以前の自分との比較は、今の等身大の自分を知るというメリットもある。
●年齢は生きた結果にしかすぎない→今を一生懸命に生きる事が大切ではないか?
●人生をやり直せると思ったら…
・人生に真剣に向き合えなくなる→若返りを望まない
・今を懸命に生きなくなってしまう→若返りを望まない
・余裕を持って「今」に向き合える→若返りを望む
「チェックアウト」では、気づいたこと、持ち帰る問い、感想などを一人一言ずつ話してもらった。
(記録:髙橋あずさ)
【第117回目の記録】テーマ「おひとりさま」
第117回目の人生カフェは、平成30年11月16日(金)午後7時~9時、男性7名、女性4名、計11名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「おひとりさま」であった。
まず各自に「おひとりさま」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○おひとりさまとわざわざいうところに、どんな心理があるのか?ひそむのか?
○おひとりさまがなぜ問題になるのか?
○おひとりさまは未来に何を残すのか。
○おひとりさまは楽しいのか?
○おひとりさまはどう生きるか?・自分 ・人生100年 ・健康+仕事
○誰が「おひとりさま」と言うの?
○おひとりさまはかわいそうか?
○おひとりさまはさびしい?
○おひとりさまはなぜ自由なのか?
○おひとり様の生き方(と死の覚悟)とは?
○おひとりさまのこころとは?
次に3人ずつのグループに分かれてこの中からテーマを1つ選んで、対話をしてもらった。
出されたテーマは、
○おひとりさまは未来に何を残すのか。
○おひとりさまがなぜ問題になるのか?
○おひとりさまとわざわざいうところに、どんな心理があるのか?ひそむのか?
であった。
次に出された問いを踏まえながら、全員でフリートークへと入っていった。
●おひとりさまと言っても、両親は必ず存在していたので、完全なおひとりさまは存在しないのではないか?
●おひとりさまの生き方として、ネットワーク(友達・仲間など)を大切にすることが重要では?
●おひとりさまはこれから多数派になる。
●おひとりさまは、一人で何でもできる・やりたいことができるので、自由で可能性が大きい。
●家族がいると不自由か?
●おひとりさまの自由さに対しての周囲の嫉妬心が「おひとりさま」と呼ぶ心理に含まれているのではないか?
●おひとりさまへの周囲の同情心もあるのでは?
●人生において「何かを残さなければならない」のか?
●何も残さない人生などあり得ないのではないか?
●おひとりさまにしか残せないものは何か?
●何も残さなくても良いのではないか?「残さない美」
●「おひとりさま」とは、その本人ではなく、周囲の人が作る括りではないか?
●おひとりさまが少子化の原因か?
●少子化は、IT技術の発展による、人びとの思考のデジタル化(効率、合理化、最短を優先させる)に原因があるのではないか?
●少子化は、結婚・育児にメリットを感じられない社会構造に原因があるのではないか?
●思考のデジタル化により、人との繫がりが薄くなっている→「孤立」が問題か?
●子どもを「作る」という奢った考え方があるが、子どもは授かり物である
●おひとりさまは効率的か?効率的であるとしたら、誰にとって効率的か?
●人間は本来「非効率」な生き物ではないか?
●人間はひとりで生きていけない。集団で生きる生き物なので、遺伝子レベルで「おひとりさまに対する違和感」があるのではないか?
●おひとりさまの定義とは?パートナー、子どもの有無だけか?子どもがいるおひとりさまもいる。
(記録:髙橋あずさ)
【第116回目の記録】映画「ハンナ・アーレント」
第116回目の人生カフェは、平成30年11月10日(土)午後1時30分~5時、男性4名、女性4名、計8名で、榎町地域センターにて実施された。(進行:本間正己)
最初に、この映画を見てのキーワードとざっくりとした感想を述べてもらった。
出されたキーワードは以下の通りである。
「強い意志」
「感情と信念」
「誠実さ」
「凡人」
「悪・凡庸さ」(あってないようなもの、見方によって変わる)
「良心」
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
●同朋に対する犯罪より人類に対する犯罪は哲学的?
●記事を書くことのモチベーションはどこから?
●ハンナ・アーレントは同朋のユダヤ人に対して思いやりの気持ちがあったのか?
●抵抗と協力の間にあるもの?
●”無思考”は日本人の最も得意とするところなのではないか?
●絶対的な善と悪はあるのか?
●善悪はどうやって決まるのか?
(途中、DVDで最後のアーレントの学生への講義場面を皆で鑑賞)
皆から出された問いを踏まえながら、問いをいくつかにまとめて話しあった
◎理解することと許すこととは違う
◎炎上狙いで記事を書いたのではない
◎周りの感情は考えず、まっすぐに哲学的に考えたのではないか
◎同朋というより友人を大事に考えた
◎抵抗と協力の間にあるものは考えること?
◎悪には動機がある悪、動機がない悪⇒凡庸な悪・全体主義がある
◎全体主義的な悪は判断能力を奪う、一人ひとりが責任負えない
◎人間性を失うことを悪と見る
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
〇日本社会の凡人な私が思考し続けるには?
〇分かりやすさ(クルトやハンスとの齟齬)に安住せず、その先を考え抜く苦行を求める
〇アーレントであり、アイヒマン。すごく素朴に自分のこととしてこの二人の人間になっている(真二つに)
〇民族とは何か?地球市民は理想?考え続けることは必要
〇(この感想を)考えられませんでした
〇現代や自分に引き寄せて考えると難しい問題だ。考えるにエネルギーがいる!
〇「悪の凡庸さ」⇔「思考の風」
ユダヤ指導者のナチスへの関与への言及をめぐって
「傲慢・冷淡だ!」⇔「過ちを認めろと言うけれど、何が過ちか言えない」
「ヒステリックな反応」
(記録:田中あけ美)
【第115回目の記録】テーマ「執着」
第115回目の人生カフェは、平成30年11月2日(金)午前10時〜12時、男性1名、女性2名、計3名で、プロント高田馬場店にて実施された。(進行役:髙橋あずさ)
この日のテーマは「執着」であった。
まず各自にこのテーマに対する自分なり問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
◯なぜ執着するのか?
◯執着して困ること、執着して良いことは何?
◯執着と自由の関係は?(反対概念か?)
◯今一番執着していること・ものは何?
◯どういうことに執着していましたか?
◯どういうことに今執着していますか?
◯執着とこだわりは一緒?
問い出しの流れの中で、「どういうことに執着しているか?」という具体的な話から始めることで全員の意見が一致し、フリートークへと入っていった。
●執着は予期不安から起こる?
●「物」への執着、「考え」への執着。
●物への執着→捨てられない→断捨離→執着を無くす。
●執着することで、自由が得られる?
●執着することで、自分の方向性が固まり、安心できる?
●執着することで、気持ちの安定。よりどころ(依存かも?)を得ることができる。
●適度な執着…楽しめている感覚。自由を感じる→良い状態。
過度な執着…固着。精神的な苦しさ。選択の幅が無くなる。不自由な感覚。つらくなる→良くない状態。
●執着することで自由を得られるのでは?
●自由→不安になる→執着する→安定する→自由が欲しくなる→自由になる(執着を手放す)→不安になる→(別のものに)執着する…人間はこの無限ループを繰り返しているのかもしれない。
●執着と囚われの違い…囚われは「囚」の字の通り、□(枠)の中に閉じ込められている感覚。
執着は□(枠)に人がくっついている感覚。
●執着とこだわりの違い…執着→悪いイメージ。
こだわり→良いイメージ。スペシャリティ。ある事を極めているイメージ。
●ある事を極める=執着ではないか?
●こだわりも「拘り」と書くと、良いイメージではなくなる?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
◯執着、こだわりは使い方次第。良い方に使いたい。
◯執着(こだわり)≒「安定」と「自由」の往復運動を自覚しよう!楽しもう!
◯「執着・こだわり(拘り)・囚われ」の謎が解けてスッキリしました。「自由→不安→執着→安定→自由……」納得です。
(記録:髙橋あずさ)
【第113回目の記録】テーマ「心が通じ合う」
この日のテーマは「心が通じ合う」であった。...
【リード文】
「心が通じ合う」とは、どういうことでしょうか?
「心が通じ合った」経験はありますか?
「心が通じ合う」ことについて考えます。
まず各自に「心が通じ合う」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇心とは何か?
〇心は通じるのか?
〇心が通じ合いたいのはなぜか?
〇心が通じたと思えるのはなぜか?
〇「通じ合った」とわかるのはどんな状態の時?
〇通じ合えた(相手に伝わった)は相手にどのような反応があった時?
〇心が通じると理解するはどう違うか?
〇心が通じると気持ちがわかるは同じこと?
〇「心が通じ合う」とはお互いが認めあえることか?
〇心が通じ合うことが永遠に続くことはあるのか?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で1つ選び、フリートークへと入っていった.
テーマ「心が通じ合いたいのはなぜか?」
●心の内容は、知・情・意だと思う。一般には、「情」を中心に捉えていると思われるが、知・情・意をトータルに考えた方がいいのではないか。
●心は脳そのものか。脳の部位の反応や脳波などの問題か。脳は心を作り出す働きを持っている。
●心は3人称だけでは捉えきれない。1人称の次元が重要である。
●言語は心の大きな要素であるが、心はそれだけではない。
●心が通じ合いたいのは、人は一人では生きていけない、お互いに協力したいから。お互いの理解や行動の共通の土台が欲しいから。心が通じ合うと楽しいから。
●反発や対立も共通の土台の上でなされているのであれば、心がそれなりに通じ合っているということではないか。
●「心が通じ合う」の反対は「孤独」ということである。
●動物(ペット)と心が通じ合う、舞台の演者と心が通じ合う、著者と心が通じ合う……これらは錯覚か?幻想か?
●対等な関係で両想いでなければ、心が通じ合うとは言えないのではないか。
●言語だけでなく、非言語によって、心が通じ合っているか否かが分かるような気がする。
●相手が自分の思っているとおりに行動してくれなければ、心が通じていたとは言えないのではないか。
●心が通じ合うとは、結局、思い込みや幻想ではないか。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
〇改めて「心」とは何だろう? と思いました。そして、通じ合いたい気持ちはなくならないのだろうと思います。
〇人間はやっぱり心(気持ち、考え)が通じ合うことを求めているのではないか?
〇心が通じ合ったという体験はやはり楽しかった体験だ。だから、それはなぜ楽しかったのか、もう少し考えていきたい。
〇心が通じ合うとは「幻想」なのか?
〇(私の)人生には幻想が必要です!
〇心・感情は通じ合えるものだと信じて、自分の感情表現を押し付ける(同調圧力)ことで、それを踏み絵にして「おトモダチ?」を選別する人はイヤダ。
(記録:本間正己)
[第112回目の記録]テーマ:映画「ブレードランナー」
第112回目の人生カフェは、平成30年10月13日(土)午後1時30分~5時、男性2名、女性2名、計4名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)
今回は映画『ブレードランナー ファイナルカット版』(1982年、ファイナルカット版は2007年)(リドリー・スコット監督)を素材に取り上げた。
最初に、この映画を見てのざっくりとした感想を述べてもらった。
出されたものは以下の通りである。...
・今回初めて観たが、36年前にこんな世界観のSF映画が作られていたのに驚いた。
・若い頃観た時に心に残った場面があったが、今回もまた同じところに深く思いが残った。
・その後のSFに影響を与えた映画。深い映画であることを再確認した。
・自由意志や記憶について、いろいろ考えさせられた。
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
●何故、レプリカントは記憶をもたされているのか?
●感情はいつからどのように起こってくるのか?
●心は作ることができるのか?
●もし自分が過去の記憶を植え付けられたレプリカントだと分かったら、どう生きるか?
●完全なレプリカント=人間なのか?
●作られた心と私達(人間)の心は何が違うのか?
●ロイは何故最後にデッカードを殺さず助けたのか?
●デッカードの住居にピアノがあるのはなぜか?
次にこの問いを踏まえながら、問いをいくつかにまとめて話しあった
1.記憶と感情と心について
・記憶には作業記憶とエピソード記憶がある。
・植え付けられた記憶があるのではないか 。
・自分の都合の良いように記憶している場合がある。
2.ロイは何故最後にデッカードを殺さなかったのか?
(DVDでこの場面を観る)
・死を設計されたレプリカントと人間の不公平感⇒怒り
・死が迫っているのを感じた時、デッカードに同じ死の感覚を味あわせた事で満足
・死ぬ際の思いを誰かに知ってほしかったのではないか?
・ロイの言葉は詩的である。
3.デッカードの住居にピアノがあるのはどうしてか?
・デッカードはレプリカントではないか?
4.人間とレプリカントの違いは何か?
・AIが育っていくと人間のようになるのでは?
・学習すれば感情ができるか?⇒それができるようになれば人間とAIは変わらない。
・設計され、作られた⇒自分の運命が他人に作られる、決められる。
・レプリカント=人間扱いしない(黒人奴隷)・・・自由を求めて反乱
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
〇一番印象に残ったのは、記憶について話したことー記憶の書き換え、自分の都合のよいように 記憶している……。
〇技術の進歩でこれからの世界はどうなっていくのか、知りたいような、知りたくないような。
〇自由はやっぱり必要
〇レプリカントの存在が人間とは何かを考えさせる(フランケンシュタインと同じようなテーマか?)。
〇将来レプリカント的なものが必要とされるのは必然だろうか。
〇レプリカント的人間が将来現れる?
〇自然(発生)と人工(発生) 何が違う?もう少し考えてみたいテーマです。
(記録:田中あけ美)
[第110回目の記録]テーマ「行人」(夏目漱石)
第110回目の人生カフェは、平成30年9月29日(土)午後1時30分~5時、男性2名、女性3名、計5名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)
この日のテーマは『行人』(夏目漱石、新潮文庫)の読書会という形式で行われた。
最初に、各参加者に感想を述べてもらった。
出されたものは以下の通りである。
◯主人公を第三者の目から見て描写しているのが、漱石らしい。
◯一郎≒漱石?
◯「友達~帰ってから」と「塵労」では、一郎の見方が全く異なっている。
◯行人は哲学的な要素が強くおもしろいが、文学としては失敗作か?
◯一郎は面倒臭い人?
◯一郎…漱石、二郎…世間か?
◯二郎の心が描かれていない。
◯一郎は確かに面倒臭い人ではあるが、真面目で誠実な美点を持っている人ではないか?
以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
●どうして二郎の一人称で語る形式にしたの?(その効果は?)
●一郎(面倒臭い人)はダメですか?(なぜこんなに嫌われてしまうのか?)
●これから一郎はどうなるのだろう?(どうなって欲しいか?)
●孤独感(インテリの)
●生きづらいを生きる意味とは?
●なぜ宗教に向かうのか?
●「行人」タイトルの意味は?
●Hさんだけアルファベット表記にしたのはどうして?(漱石の意図って?)
●相手の気持ちがわからないを嫌なのはなぜか?
・わからないことそのもの?
・わかろうとすること?
・自分の思うようにならないこと?
次にこの問いを踏まえながら、フリートークへと入っていった。
●「行人」タイトルの意味は?
・行人(ぎょうじん)…求道者…一郎
・行人(こうじん)…使者…二郎、Hさん
●孤独感(インテリの)
・孤独に自ら入り込んでいく感じ…近代的自我
・インテリのお父さんの生きづらさ。お父さんの書斎は2階、家族が寛ぐ茶の間は1階という、家の構造も関係あった?
●どうして二郎の一人称で語る形式にしたの?(その効果は?)
・客観性を持たせ、話に拡がりを持たせるためでは?
・主人公から一歩引くスタイルは漱石らしいと言えるのではないか?
・一郎の心は分かるように描かれているが、二郎の心・直の心が分からない。
・全体に二郎の独白になっている。
・二郎自身の気持ちが揺れている。漱石も揺れている…分かりにくさ。
●一郎(面倒臭い人)はダメですか?(なぜこんなに嫌われてしまうのか?)
・一郎…インテリ、ネガティブ、癇癪持ち
・癇癪持ちは先が読めない怖さがあるのでは?
・一郎は近代的自我を強く持っていたために、神経衰弱(ノイローゼ)になった?
●これから一郎はどうなるのだろう?(どうなって欲しいか?)
・もっともっと悩んで、悩み抜いて欲しい。(一郎は大変だとは思うが)
・Hさんの手紙を読むことで、家族の一郎への理解が多少は深まり、良い方向に向かうのではないか?
・一郎の生きづらさは、近代的自我のほかに「男たるもの」のような、男であるがゆえの縛りもあったのではないか?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
◯生きづらいは越えられる。
◯一郎がどんな人であるのか、二郎を通して書かれることで、二郎が行人(使者)だろうとのことだったが、一郎を取り巻く全ての人が、一郎がどんな人であるのかを示す行人のように思われた。
◯知りたいと思う心=愛ですね。
◯「二郎≒使者≒行人」の意味合いを考えたくなった。
◯「行人」はいい!「一郎さん」いい!「漱石」大好きです。
(記録:髙橋あずさ)
[第109回目の記録]テーマ「勇気」
第109回目の人生カフェは、平成30年9月23日 金曜日19時から21時まで、
男性3名女性1名計4名で新宿消費生活センター分室にて実施された。
(進行役:比良正彦)
テーマ「勇気」
(リード分の一部)
もう少しあればと思うものの1つではないでしょうか。
この正体が見えてくば、良いことが起こりそうな予感がしませんか?
勇気とは何か?
どんな勇気が必要なのか?
など、「勇気」にまつわる頭に浮かんだモヤモヤを、問いのかたちで出しあいます。そして、その問いを皮切りに対話を進めます。
<問いと対話にでた言葉>
〇勇気は感情か?
〇勇気とおそれの関係は?
→思考
→おそれ
〇勇気があるのは良いことか?
〇勇気は必要か?
〇勇気と他人との関係は?
〇自分らしく生きることに勇気が必要なのは何故か?
→同調圧力
→リスク(振れ幅の大きさ)
→未知のことへの取り組み
→人に合わせない勇気
〇大人になるとなぜ勇気はそれほど必要でないと感じるのか?
〇大きな勇気はどんな時に必要なのか?
〇勇気と欲との関係はどんなものか?
〇年寄りに勇気は必要か?
→未知の何かをするには勇気が必要。
→現状に満足なら、勇気の必要性は低い。
〇勇気を出せる時出せない時は、何が違うのか?
〇勇気があればは、言い訳口実ではないのか?
〇小さな勇気でもネックとなっているのはどんなことか?
《感想等》
・勇気は大切にしたい。
・勇気はやっぱり必要。もうちょっと欲しい。
・小さな勇気があればすむことは迷わない、そんなスタンスで行きたい。
・勇気に必要なもの。
意思
価値観
自己肯定感
意識して行動してみたい。
(記録:比良正彦)
[第108回目の記録]テーマ「万引き家族」
第108回目の人生カフェは、平成30年9月8日(土)午後1時30分~5時、男性4名、女性5名、計9名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己、田中あけ美)
今回は映画『万引き家族』(是枝裕和監督)を素材に取り上げた。
最初に一人一人1分程度で、この映画を見てのざっくりとした感想を述べてもらった。
次に、この映画について、各自の問いを出してもらった。
〇ゆり=じゅり=りん(凛)はこれからどうなるのだろう?
〇祥太はどういう大人になるのだろう?
〇家族とは何だろうか?(他人→成長→ )
〇家族のいない人は不幸か?
〇人間関係=家族のきっかけは何だったのだろうか? 意識して作った家族のベースは金銭?
〇罪とは? 〈罪の意識があるかないか〉 許される罪、許されない罪ってある?
〇社会的な善と悪の基準(?)は何か? 人に迷惑をかけない…?
〇是枝さんが、こっそり隠しているテーマは…結局なんだろう? (もしあるなら…)
〇リリー・フランキー(「治」(おさむ))は、なぜステテコが似合うのだろう? なぜステテコをはかせているのか?
問いを大きく4つに分けて、それぞれフリーに対話をした。(一部のみ記載)
1 子どもたちの将来は?
●祥太は実の親に会いに行っただろうか?
●りんには亜紀と4番さんが二人で会いに行く? そこから新たな家族の物語が始まるのではないか。
2 家族とは?
●「犯罪でしかつながれない」家族には持続可能性はない。
●この家族には愛情と思いやりがあった。しかし、子どもたちに教育を受ける機会を与えていないのは、長い目で見た場合ゆるやかな虐待に当たるのではないか。
3 罪とは? 善悪とは?
●治(リリー・フランキー)のあの罪の意識の低さは何なんだ。無責任で、お気楽だ。それが彼のステテコ姿に現れている。自尊心の低さが根底にあると思われる。
●人の罪の意識の低さを糾弾するのは、宮部(池脇千鶴)の立場である。我々は線引きされた外側にいるにもかかわらず、安易に宮部のような立場(上からの立場)に立って、人をバッシングしていないか。
4 その他
●治と祥太は、雪と泥の混じった雪だるまを作った。その汚らしい雪だるまも翌日には溶けていく……
最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。
〇「亜紀」のこれからの物語に期待したい。対比として、新しい家族をどう作るか?
〇いろいろな考えが聞けて、とても楽しかった。女の子が外をのぞくシーンについて、「漠然とした未来」を見ているかと思ったが、是非、亜紀と池松君が迎えに来るPartⅡをみたい。治(リリー・フランキー)のその後の生活は?
〇家族を結びつけるものは何なのか?
〇ダメな部分も多少許容しながら、一緒に生きていくのも家族?
〇この家族は、虐待(表向き)はしなかったと言える。祥太とゆりにとっては、家族のそれなりの楽しい思い出が残ったとも考える。楽しい思い出、かわいがられたことは愛につながるのかどうか。その一方、教育を受けることができなかったことは虐待とも言える。
〇悪を行う人 /(境界線)/ ← バッシングする人(自分は無関係だと思っている)⇒(問題意識を持たない) 同じ社会にいる ⇒ 無関係ではない
〇皆さんが、映画の1シーン、1シーン、克明に覚えていることにびっくりしました。 哲学カフェのテーマになることが分かっていたら、もっと細心の注意を払って見ていたかとも思います。 テキストを一部分ずつ分析して読むことは慣れているが、映画は初めての体験でしたので、ついていくのがたいへんでした。
〇人によって、様々な見方が、受け取り方があるなという感心、というか感動。
映画のテーマはディテール(小ネタ)に宿るのではないか。細かなところをよく見ることの重要性。
〇1本の映画にみんなで眉間にシワをよせ話し合う、楽しかったです。自分の姿が浮き出された作品でした。
(記録:本間正己)
[第107回目の記録]テーマ「人間らしさ」
第107回目の人生カフェは、平成30年9月7日(金)午前10時~12時、男性2名、女性2名、計4名で、プロント高田馬場店にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「人間らしさ」であった。
【リード文】
「人間らしさ」とは、何ですか?
「人間らしく生きる」とは、どういう事でしょうか?
「人間らしさ」について考えます。
まず各自に「人間らしさ」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○人間らしい人ってどんな人?
○温もりのある人は人間らしい人か?
○人間らしく生きるとは自分らしく生きるということか?
○人間と動物の違いは何か?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で1つ選び、フリートークへと入っていった.
テーマ「人間らしい人ってどんな人?」
●「人間らしい」を考える場合、「人間」とは何か、「らしい」とは何かを考える必要がある。
●「らしい」は、男らしいとか、母親らしいとかいった使い方をするが、これによって一定の枠に無理に当てはめようという圧力が生ずる危険性がある。
●「人間らしい人」というと、温かくて思いやりのある人を浮かべがちである。
●喜怒哀楽の怒や哀のようなネガティブな感情を持つのも人間らしいと言える。
●揺らぎや迷い、苦悩があるのが人間らしい。
●遠い未来を考えられるのが人間らしい。広く共同体を作れるのが人間らしい。
●我慢するのも人間らしい。我慢できないのも人間らしい。
●人間だもの。
最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。
○人間って奥深い。面白いと思いました。人間のプログラム(遺伝子)…興味が出てきました。
○人間(=サピエンス)って何だ?は好きなテーマです。
○喜怒哀楽を出したい時に出せたらいいなぁ。
○やはり一人で考えたり感じたりしてよりは4人で考えたり感じたりした方が、視点や視線、思考、感情などなどが深まりました。
(記録:本間正己)
【哲学プラクティス連絡会第4回大会・ブース発表記録】
(平成30年8月25日(土)・立教大学)
問い「あなたにとって最高の価値とは何ですか?」
何人かの人に模造紙に書いていただきました。書いてくださった方、本当にどうもありがとうございました。
〇幸福 結局誰もが最終的には自分と他人の幸せを求めていると思うから。
〇幸福 安らぎのひととき おだやかな時間
〇生きる おだやかに 心豊かに 静かに
〇愛 一番心が満たされるから
〇愛 幸福感、ドキドキ、せつなさ……いろんなものが詰まっている気がします。
〇平和
〇平和 平和ならば、仕事も、自分も、愛も保たれます。
〇心の平和 愛、幸福、真理…… 幸せな気持ちも、愛されているうれしさも、新しいことがわかったときのよろこびも、すべて「心の平和」につながっているから。
〇自由 共生
〇自由 私たちが最終的にもとめているものが幸福であるとしても、私たちはほかのものに最終的な価値をみとめて生きている。
〇充足
〇満足 自分を満足させることはとてもむずかしいことだ。しかし、満足したとき、とても深い。
〇快楽 共感、安心、満足する時に自分が抱くのは「気持ち良さ」「快楽」と考えたから。
〇ワクワク ワクワクは伝染する、とてもハッピーな気分になる。
〇大切なのは愛なのはわかるが、欲(自分の本心)に気づきつつ、イキイキワクワク、心をオープンにすること。
〇元気に笑っていられること
〇個人がその人らしくよく生きること
〇一人一人にあった教育や生き方ができること
〇やりたいことができること したくないこともできること
〇他者との共感
〇誰かといること 一人ぼっちがいやだから……
〇会話
〇貢献
〇真理
〇時間と金
〇呼吸
〇自分自身
〇移動できること
〇人間の価値を考えると使命を持っていること
〇「最高の価値」とは何かを探求できる環境があること
[第106回目の記録]テーマ「顔」
第106回目の人生カフェは、平成30年8月17日(金)午後7時00分~9時、男性7名、女性2名、計9名で、新宿消費生活センター分館にて実施されました。(進行:新妻弘悦)
今回のテーマは『顔』でした。
生物学的に顔は、ただ感覚器が集中した身体の部位に過ぎないにも関わらず、その個人を識別・認識する部位であり、感覚器の大きさや配列により美醜など人生を変えてしまう不思議な部位であること。また「会社の顔」「顔の見える連携」というときの「顔」とは、何を意味しているのでしょうというような、進行役の疑問から、対話はスタートしました。
対話の内容としては、
・美しい顔の基準とはなにか
・美しい顔は得か
・顔の整形手術はなぜタブーなのか
・顔で判断されるのは男女で差があるか
・表情で人間性は出るか
・テクノロジーの発達で、顔の意味が変わるのか
・SNSで実名・顔写真を出す意味
などの問いを中心に対話を進めていきました。
個人的には、「人の顔を覚えるのが苦手というのはどういうことか」「何かを批判する際に、当事者の顔を知っている/知らないでは、批判はどう変わるのか」など、お話したいことは、まだまだあった印象です。
鷲田清一先生の『顔の現象学』という著書があるものの、哲学カフェのテーマとしては、あまり馴染みのないものだったようで、参加者に戸惑いや新鮮さがあったようですが、いつものようにあっという間の2時間でした。
参加者のみなさん、人生カフェスタッフのみなさん、ご協力ありがとうございました。(記録:新妻弘悦)
第105回目の人生カフェは、平成30年8月11日(土)午後1時30分~5時、男性2名、女性1名、計3名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)
今回は『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本裕一朗著、ダイヤモンド社)の内、主に「第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか」を読む読書会でした。
まずは、この本を読んでの、各自の問いを出してもらった。
〇あなたは出生前診断で障害発生が分かった場合、生みますか?
〇あなたは可能なら自分の子どもをゲノム編集しようと思いますか?
〇人間の改造はなぜ許されないと思ってしまうのか?
〇相手がクローン人間であると、突然(偶然)に知ったとき、愛し続けられますか?
〇あなたは費用、安全性、有効性がクリアされれば、不老不死の薬を飲みますか?
〇再生医療が発展して、誰もがその治療を受けられるようになったら、貴方は治療を受けますか?また、どこまで治療を受けますか?
〇ポスト人間主義の「人間」とは何か?
今回は、参加者が少なかったので、一つのテーマに絞らずに、全ての問いに対してそれぞれにフリーに対話を行った。印象に残ったところだけ、記録しておく。
●技術が急速に進展している。これを止めることは難しい。倫理面が追い付かない。
●バイオテクノロジーを適用していけばいくほど、多様性が損なわれていくのではないか。誰もが優秀で、美しく、性格がいい人間になっていく?
●老いに対しては抵抗すべきか? 若返りの努力は必要か?
●生きることと死ぬことの意味(死生観)が改めて問われることになる。
●結局は金持ちだけがバイオテクノロジーの恩恵を受けられるのではないか。経済力の差がもろに出る。
●他人がその本人の意志も確かめられない段階で勝手に操作することに問題性がある。
●「自然的に生じたもの」と「技術的に作られたもの」との違いは何だろう。
●自然の進化のスピードをはるかに凌ぐ進化を人間は人工的に作り出している。
●カントは神から人間中心へと転換させ、ニーチェは人間を超える「超人」を構想した。 それらは「概念としての人間」の話だ。
●今や「生身の人間」の終わりが近づいているのかもしれない。ホモ・サピエンスの時代は終わろうとしているのかもしれない。
最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。
〇人間は生命を持った情報処理体と言えると思っていたが、IT革命とBT革命を経た後の人間はどういう存在なのか……と考えさせられる。ま、私が生きている間は、どうでもいいことだけれども(笑)
〇BTは人間の生物学的デザイン、ITは人間の社会学的デザインを行う、と話の途中で思いましたが、超人やAIなど人間を超越したものが出た場合、そうしたデザインの決定権は超越者(ポスト人間)にあるのかもしれないと思いました。
⇒そこで、人間がやるべきこと~ポスト人間との共存の道を探る? 家畜(商品)としての幸せ追求? 家畜(商品)としての自己実現? 被支配者の人生になるのか?
〇人間の責任というのはあるのだろうか? IT,BTについて。次世代に対して。
「自然」と「技術」の問題は考えていきたい、大きな問題だ。
(記録:本間正己)
第104回目の人生カフェは、平成30年8月3日(金)午前10時~12時、男性2名、女性2名、計4名で、プロント高田馬場店にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「寂しい」であった。
まず各自に「寂しい」にまつわる問いを出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○一人でいて…さびしい・さびしくない
大勢でいて…さびしい・さびしくない
この「さびしい」と「さびしくない」の違い(原因)は何にあるのか?
○「さびしい」はよくないことか?
○さびしいの反対語は?
○「寂しい」「淋しい」どっち?
「寂しい」「淋しい」はどう違う?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で1つ選び、フリートークへと入っていった.
テーマ「一人でいて…さびしい・さびしくない
大勢でいて…さびしい・さびしくない
この「さびしい」と「さびしくない」の違い(原因)は何にあるのか?」
●「寂しい」は、景色が寂しい等、客観的な感情。「淋しい」は独りきりで淋しい等、主観的な感情に使われる事が多いように思う。
●さびしさは、心もとない感じからくる感情か?
●さびしさの元には、孤立感・疎外感・仲間に入れない、他者との関係性があるのでは?
●さびしい感情は、その時間を「楽しめているか?」「楽しめていないか?」、「充実しているか?」「充実していないか?」が関係しているのでは?
●「帰れる場所(placeではない)」「心のよりどころ」の有無が、さびしさに関係しているのでは?
●外国に独り旅をしている時のホームシックは「帰れる場所があるからこその」さびしさでは?
●「拠りどころ」という言葉からは、頼りたい、頼られたいという感じを受ける。
●仲間は心のよりどころに成り得る。
●「さびしい」でも一人称・二人称・三人称で分けて考えてみることが必要か?
一人称…「私がさびしい」主観的
二人称…「あなたが居なくて、私がさびしい」他者との関係性(もう一人の自分との関係性も含まれるか?)
三人称…「(独居老人等に向かって)あの人はさびしそう」客観的
●日曜日のサザエさんの始まる時間に感じる「さびしさ」や夕日を見て感じる「さびしさ」は、一人称のさびしさか?
●主観的にはさびしさを感じていないのに、ふとした瞬間に自分が三人称的視点で自分を見て「さびしい」と思うことがある。
一人で読書している…楽しい。→「でも、休日に一人きりで本を読んでいるなんて、私はさびしい人なのでは?」
●現代の若者は、上記の自分の中の三人称的視点(自分で思う自分のあるべき姿とのギャップ)で「さびしさ」を感じることが多いのではないか?
●無人島で最初からたった一人だった人(他者の存在を知らない人)は、さびしさを感じるのか?
●本当の「心のよりどころ」はあるのだろうか?
●宗教等の「心のよりどころ」を持っている人でも、さびしさを感じることは有る。→人間として自然な感情なのでは?
●「さびしさ」の持続時間が長過ぎると、病的・不健康になるのでは?
●持続時間の短い「さびしさ」は、健康的な感情か。
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○「寂しい」は自然な感情。持続時間を意識したいです。
○生体にとっての侵襲センサー→さびしさに敏感になろう!
○さびしいとは何だろう。今後は「健康的なさびしさ」を考えてみたい。
○淋しいと思うときがあってもいい。人間だもの。
(記録:髙橋あずさ)
第103回目の人生カフェは、平成30年7月28日(土)午後1時30分~5時、男性6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)
今回は『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本裕一朗著、ダイヤモンド社)の内、主に「第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか」を読む読書会だった。
この本を読んでの、各自の問いを出してもらった。
〇AIに何をしてほしいか?
〇AIにできないことは何か?
〇AIに欲求を持たせられるのか?
〇AIは人間の定義を変えるか? 変えるとすると、どのように変えるか?
〇人と人との関係が全てAIで規制されるとしたら、人間の生死を含む存在はデジタル化されるしかないのか?
〇人間の仕事(価値)がAIにより置き換えられていく。⇒人間はどんな新たな価値を創り出していけばよいのか?(=人生の意味)
〇facebook、googleが情報を集めている真の目的は何か?
〇facebookやgoogleを裏でコントロールしているものはいるのか?
〇人間社会の管理を全てAIに任せた場合、AIは人間の生死を決定するまでになるか?
〇AIを民主主義に活かせるか?
〇監視社会、AI、インターネット~囲われた自由であっても、幸せならよいのでは?=苦が少ない、快ならよいのでは?=何かを求め、それが大きな苦にならない。
〇①構築主義、相対主義 ≠ ②古典実在論
新実在論=①+② ?
今回は一つのテーマに絞らずに、主にAIと監視社会について、フリーに対話を行った。
●AIに哲学的な問いをしてみたい。(例えば、「あなたが存在している意味は何ですか?」)
●AIが悪用される危険性は高い。民主的なコントロールは可能か? ここでも最終的には政治の問題が浮かび上がってくる。
●宗教には、人間の間違いを認めるとか、許すといったことが組み込まれてある。AIには、この許すといったことが可能だろうか?
●AIは過去のビッグデータから正確、公正な判断を下すことは得意である。しかし、新しい状況における未来へ向けての判断はどうだろうか?
●AIへの人間の依存度が高まっていくことにより、AIに人間が支配されていくことも増えていく。
◆最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。
〇個人の情報を捕捉されないようにすることは、現実的には困難であるという前提に立って、行動するしかないと実感した。
〇真実の姿よりも、今の自分にどう役立つかを考えた方が、効果的だと思う。
〇時事的に進行している状況論と存在論を結びつけることは難しい。むしろ、文学等で表現する方がよいのかも? それが正しいかどうかは別として。
文学はメソッドとして必要。必ず死ぬということを探求するのが文学。
〇AI、監視社会 安全を担保する方法は?
人間とか社会の目的をはっきりさせる事が大事
〇AIという新しく、優れた「他者」が出現し、成長していく。人類(ホモサピエンス)はどうなるのか? (cf.高度な文明の宇宙人との出会い?)
〇皆さんと議論することで、
① AIに対する認識、考えるネタが広まりました。→一歩引いてAIとつき合いたい。
② 結論は出ませんが、AIを材料(サカナ)にして、「人間とは何か?」を考えていきたいと思います。
(記録:本間正己)
第102回目の人生カフェは、平成30年7月20日(金)午後7時~9時、男性4名、女性2名、計6名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)
この日のテーマは「最高の価値」であった。
まず各自に「あなたにとって一番の価値は何ですか?」という問いについて考えてもらった。
出されたものは以下の通りである。
○幸福
○主体(性)
○安らぎ
○表現
○命(自分の)
○愛??(まだ分かりません)
その後、以上の事を踏まえて、メインテーマに繋がるサブテーマを、問いの形で出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
○人類共通の最高の価値とは何だろう?
○自分の命より大事なものは最高の価値か?
○最高の価値は変わらないものか?変わるとしたらなぜ変わるのか?
○価値を決めるのは誰ですか?
○人は誰もが価値を求めているのだろうか?
○価値と価値観の違いは?
○①ゆるせる価値観(感)の違いと
②ゆるせない価値観(感)の違いは何が影響しているのだろうか?
○なぜ人は最高(究極)の価値を追い求めるのだろうか?
以下は、出されたものへの疑問や説明の形で出されたものである。
●価値は誰がどうやって決めるのか?
●価値…自分の中に確固としてある宝石のようなもの
価値観…自分の考え方
●宗教が背景にある自爆テロ→信仰が命より大切な最高の価値。果してそうなのだろうか?
●価値は人によって違うもので、普遍的ではないのでは?
●人類に共通の、普遍的な価値はあるのではないか
●動物は価値を求めない。人間のみが価値を求めるものではないか?
次にこの中から今回のテーマとなるものを多数決で1つ選び、フリートークへと入っていった。テーマ「価値を決めるのは誰ですか?」
●価値を決めるのは自分である。
●自分の持っている価値は、周囲からの刷り込みが多分に含まれているようでモヤモヤする。
●純粋な「自分オリジナルの価値」はあるのだろうか?
●その人を取り巻く自然や環境が、価値を生み出す。
●環境・メディア・宗教等の刷り込みは、自分の価値に影響を与えているものの1つではあるが、そこから何かしらの価値を選び取るのは、あくまでも自分ではないか?
●生い立ちや環境、国などの状態によっては、自分の意志で価値を選び取れない人も存在する。そういう状況の人に対して「全ては自分が決めたこと(自己責任論)」は、かなり厳しい。
●同じ環境に居ながら、個人で価値観が違うのはなぜなのか?
●多様な価値観を持てるか、持てないかは、情報量の差が関係しているのではないか?
●情報量と受け入れ側の状態で多様化が進むのではないか?
●信仰を持っている(自分の中にたったひとつの最高の価値を持っている)人は、とても幸せそうに見える。
●「自分の中の価値」と「社会・世間の価値」を自分で統合しているのでは?
●風土や環境が価値を決めているのかもしれない。
●自分を取り巻く環境にフィットしない価値観を持っていると、自然と淘汰されていくのではないか?
●西欧の近代以前、中世は価値は神が決めるものであった。
●時代の流れの中で、価値を決める絶対的な神を信じることができなくなった。
●現代では「自分にとって自分が神である」状態→相対化?
●価値を「受け入れる」のは自分。(「決める」では無い)
●人類共通の絶対的な価値を決めてしまうと、それは宗教になってしまう。
●人類に普遍的な価値は「自由」か?
●人類全員の自由を認めたら、世界が大変なことになってしまう→自由を認め合うことが大切か?
最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。
○価値とは何だろう?あらためて人間関係や対話の中で今後発見し、探求したい!
いのち、自分、神、主体性など…何だろう?
○普遍的なものを求めずに平和になることは出来ないのだろうか?
今は平和に向かっているのだろうか?
○難しい。命、生命→基準のような
○価値は自分で決める?
○「自分」が価値を決めるとは言い切れないところがもどかしい!価値の一元化も、価値の多様化も危ういところがある。今のところは自分と他人の幸福を考えることを基礎に置きたい。
○難しい問いでした。「自分が決める」、この「自分」はどこにあるのか?どう形成されているのか?モヤモヤしました!!
(記録:髙橋あずさ)
[第101回目の記録]テーマ「運命の人」
第101回目の人生カフェは、平成30年7月6日(金)午前10時〜12時、男性2名、女性4名、計6名で、カフェ・ミヤマ高田馬場駅前店にて実施された。(進行役:高橋あずさ)
この日のテーマは「運命の人」であった。
(リード文)
「運命の人」に出会った事はありますか?
「運命」とは何でしょうか?
七夕の前日、美味しいコーヒーを片手に「運命」に思いを馳せてみませんか?
最初に、「あなたにとって運命の人は誰ですか?」と参加者に尋ねた。その答えは、「妻」「配偶者」「母」「子ども」「ブルース・リー」などであった。
次に、各自にメインテーマに繋がるサブテーマを問いの形で出してもらった。
出されたものは以下の通りである。
〇運命は本当にあるのか?
〇何をもって運命と言うか?
〇「運命の人」とは、いい人か、悪い人か?
〇「運命」と「宿命」と「使命」はどう違うのか?
〇運命には抗(あらが)えるか?抗えないから運命というのか?
〇運命と信じることは幸福OR不幸につながるか?
今回はテーマを一つに絞らずに、以上に出されたものを踏まえて、フリーに対話を行った。
●「運命の人」というと、少女漫画の中の王子様のイメージがある。「出会い」の中にロマンティックやドラマティックなニュアンスが含まれている。
●「運命」の反対語として、「意志」や「努力」というのがある。運命とは、人間の意志や努力を超えたものを指している。
●運命の人とは、後から振り返って分かるものである。自分に大きな影響を与えた人である。
●出会いとは必ずしも受け身的というわけではない。自らがアンテナを張っていたり、センサーを働かせていたりといったことから生じることがある。
●運命とは、その捉え方が主観的な感じがする。中立的に見れば、それは「偶然」と言う方がいいかもしれない。偶然の反対は必然である。
●いい出会い、いい運命には感謝の気持ちが湧く。それはいいものを与えてくれた神や天に対する感謝か? それともいい結果そのものに注目しての感謝か?
●冷静に見れば、物事は、運命によるというよりは、統計的・確率的に生じているのではないか?
最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。
〇運命~主観~神・天 偶然~客観~確率
物事をどう見るか? どうなのかな…?
〇運とは自分で切り開くもの。それで自分が成長できたら運命となる。
〇「出会い」の先を考える⇒育てる、修正するなど。 これは中高年らしい。
〇自分の運命は自分で変えられるか?
〇運命はあるかないか、と考えるより、無数の偶然から自分なりに価値を見つけて大切にしたいです。たのしかったです。
〇人間とは、運命という幻想を見たがる存在である。なぜなのか?
(記録:本間正己)