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【第300回記録】人生カフェ・デスカフェ風・問い「死について確実に言えることは何か?」・オンライン

第300回目の人生カフェは、令和4年9月29日(木)午前 10時~12時30分、18名(男性8名・女性10名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

人生カフェの記念すべき300回目です!

今年の1年間は随時、「死」について考えています。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えています。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

(話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

 

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「三人称の死」や客観的な死についての話が多くなるかもしれません。もちろん、話は一人称、二人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

 

問い:死について確実に言えることは何か?

今回は問いをあらかじめ設定しておきます。

死について、確実に言えそうなことはいくつかありそうです。

例えば、「人間はいつか死ぬ」、「いつ死ぬかは正確には予測できない」、「私の死を誰かが代わりにすることはできない」などです。

今回は、参加者たちでその確実に言えそうなことをいくつか抽出していくとともに、本当にそうなのかも吟味していきたいと思います。

 

まずは、導入のプログラムである。

あなたが死についてこれは確実に言えることだと思うことを挙げてください(できれば以下の例以外のことをひとつ)。

(例)人間はいつか死ぬ

(例)いつ死ぬかは正確には予測できない

(例)私の死を誰かが代わりにすることはできない

話をしたい人のみ、この導入のプログラムに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1~2分くらいでお話しをしてもらいます。

10名くらいの方にお願いしたいです。

(チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

(なお、今回は記録としてグラレコを作成する予定です。)

①私が生まれる前は、私はいなかった。

②「死ぬ体験」が実際どんなものだったかを体験者から聞けない。

③不可逆~一度死んだら生き返れない。

④何も持っていけないけど、何も残さないこともできない。

⑤死んでも人の心の中で死ぬわけではない。

⑥死は無い。

⑦死んだら歳をとらない。

⑧生と死は表裏一体。

⑨自分の死はコントロールできない。

⑩私の死を誰かが代わりにすることはできない。

他にもたくさん出してくれたので、記録しておく。

*不可知-死んだらどうなるのかわからない

*自分の死を実体験することはできない

*死んだらチョコレートを味わえない

*死は金で買える

*自分の人生なのにラストの瞬間を語れない

*死はその人の持ち時間がゼロになった状態

*自殺は他人軸

*自殺は経験の放棄

*死んだら時間の支配から逃れられる

*自殺は失敗できないもの

*多くの人は、名も知られずに死んで行く

*「死んだら楽になる」は作り話

*恐山はディズニーランド♪

*死は神・金・愛と似ている

*死とは、囚教の商品の1つ。

*死は自分の物でない

*死とは何か分からないもの

*死んでも死なない

*死んだ人も生きている

*生きていても死んでいる人はいる。

*肉体の死の他に、精神の死がある。

*植物人間は、死んでもいるし、生きてもいる。

*光の速さで動けば、時間がゼロになるため、寿命での死は無くなる

*死は妄想

*誰かの死を代わる事は出来ない

*死んだら歳をとらない(気づいたら夏目雅子さんの年齢を超えてしまった)

*死の知らせを聞かない内はその人は自分の中で生きている

 

① から⑩までの中から、主に以下の5つについて、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

④何も持っていけないけど、何も残さないこともできない

⑤死んでも人の心の中で死ぬわけではない

⑥死は無い。

⑧生と死は表裏一体。

⑨自分の死はコントロールできない。

 

●何も残さないで死ぬことはできない。本人が気付いていない負の遺産というものもある。

●死んだ後の方がその人のことがよく分かる場合がある。更新されていくこともある。何人かの人でその人のことを語ることで、多面的に見ることもできる。

●「恩返し」ということで、その相手に返すということもあるが、「恩送り」ということで、他の人に返すということもあり得る。

●輪廻転生というような自分の死後の世界を信ずるか、信じないか。

●眠りと死は何が同じで、何が違うのか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○死は生の終わりで、その後に何があるかないか?

・死について思い悩むのは人間だけで、他の動物ではない。

・私の死はこの世での私の可能性を無くしてしまう。

・死はこの世での私と他人とのコミュニケーションをできなくしてしまう。

〇みなさんの話を聞いて、色々あるなあと、大変参考になりました。

〇死はグラデーションかもしれないと思いました。記憶と記録は違うかもしれませんが、今後自分の記録は残っていくと思うので、記録が残る限り自分の存在した事実は残る。生きているということになるのかな?とも思いました。

〇今夜から眠るときに「死」も意識してみようと思いました。

〇今回の問いはすばらしいと思いました。前提条件なく確実なことだけから考えたら死はどう見えるのか、と。

〇死のお話しは面白かったです♪ 囚教だけに独占させるのはモッタイナイ。(๑'ᴗ'๑)♪

死は神・金・愛と似ている♪

「生きている」この世は本当は夢の中で、夢から覚めるのと同じ様に、死んだ後に、本当の目覚めが始まるのかも。

〇眠りはちょっとした死かもしれませんね。

今朝起きた時、鏡を見たら「半分死んでるやん!」みたいな顔がうつっていてびっくりしました。

〇死はupdateされていく!残されて遺品も良くも悪くも解釈され続ける。

〇「死はわからない」に今どう向き合って生きていくかという課題に戻りました。

〇独自の死を持つ→映画 plan75

〇物の断捨離と同様 心や人間関係の断捨離(整理の意味)を進めようと思った。

元カノから サンタクロースって本当にいるほんとうにいるのねと 大感激された。

〇恩と感謝の話やアップデートの話など、新しい視点を知ることができました。ありがとうございました。

〇昨日健診で引っかかった項目があり、余命を意識し始めました。残りの時間を如何に充実して過ごすか、改めて考える場になりました。ありがとうございます。

〇いろいろな考え方を知って、改めて自分の考えは何かもっと考えようと思いました。(元カノ、元カレの話に引っ張られて感想を作るの遅れました💦)

 

 (記録:本間正己)

  

【第299回記録】人生カフェ・哲学対話・オンライン・テーマ「マウント」

第299回目の人生カフェは、令和4年9月25日(日)午後2時~4時30分、11名(男性4名・女性7名)の参加者のもと、オンラインで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

●テーマ

今回のテーマは「マウント」であった。

(PRの際のリード文は以下の通り)

「マウント」という言葉が一般の人間関係にも使われ始めたのは、いつからでしょう? なんとなく、ここ数年のような気がしています。

「マウント」「マウンティング」という言葉は、かつては動物生態学や格闘技の用語として使われていたと思いますが、昨今では「相手に対する優位性を誇示する」というような意味で、誰もがする・される可能性のある行為の1つとして使われるようになりました。

我々はなぜ人間関係に「マウント」の概念を持ち込んだのでしょうか。また、「マウント」や「マウンティング」をしてしまう時、されてしまう時とはどんな時なんでしょう。「マウント」について皆さまと考えてみたいと思います。

 

●導入のプログラム

まずは、導入のプログラムとして、自己紹介とともに、マウントした・されたと感じたエピソードを話してもらった。

(例) ペットの猫自慢など、推しの話をしているときはマウントしてしまっているかも、と思います。

・哲学対話で有名な哲学者のことばを並べ立てている人。

・月並みですが、「結婚したことがない人にはわからないと思うけどね」と言われたことがあります。

・母の「苦労話」でマウントされたかも?

・娘の同級生のお母さんに対してマウントを感じました。

・自覚しにくい…。

・突然褒められた時、なんだか、うれしいよりマウントを感じてしまいました。

・仕事でミスをしたとき、先輩の女性からひどい言葉をいわれました。

・私が特売のティッシュを買おうとした時に、横から有名メーカーの物に手をのばした人がいたとき。何だかマウントを取られた気持ちになりました。

・されたことがある。威圧的態度で話しかける。いかにもこちらがわるいような態度で話しかけることがある。馬鹿にしたような言種が度々見られる。後輩なのに偉そうな態度を示す。こちらは一歩離れて静観する感じでした。相手にしないように振る舞った。きっと過去になにかあったのではないかと思われます。

・地位財・年齢・学歴の話し(数字)。

 

●問い出しと問い決め

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。出された問いは次の通り。

(例)…「マウント」と「自慢」の違いとは?

・マウントを通じて、何か得られるものはあるのか?

・マウントを感じる関係って対等な相手だからだろうか?違うからだろうか?

・マウントされた場合、なぜイヤな気持ちになるのか?

・自分を強く見せたがる傾向があるのはなぜか?

・嬉しい報告や事実や一般論で話していることが「マウントされた」と受け取られてしまうのはなぜか?

・マウントよりも何をした方が良いのか?

・マウントの受け取り上手になるには?

・なぜマウントはみっともないのか?

・「それ、マウントじゃないですか?」って言えるでしょうか?

・マウントの裏には劣等感があるのか?

この中から投票で入口の問いを選び、後半の対話の問いは「マウントの受け取り上手になるには?」が選ばれた。

 

●対話

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

・マウントを感じる相手は対等ではないのでは。格上過ぎるとマウントとは思わないかもしれない。言った内容は同じでも発言する人によって感じ方が異なる。

・マウントをする側はしているという自覚がないことが多い。ただ事実を述べているつもりの場合もある。マウントはされる側が一方的に感じるもので、受け手の問題ではないか。

・マウントをする人は相手に「自分の方が偉い」という序列を示したい意図があるのではないか。人間関係の優劣を意識している人なのでは。

・マウントという言葉を用いなくても、昔から同じことをする人はいた。「上から目線」「自慢が多い」など別の言い方で表していて、表現が変わっただけだと思う。

・マウントは防衛本能から出るものであり、命を守るために行う本能的な行動なのではないか。

・自慢をマウントと取られないようにするには、「伝え上手」になる必要がある。「自慢しちゃうけど聞いて」というつかみ言葉はうまいなと思った。

・マウントの受け取り上手になるには、いい意味で鈍感になるのはどうか。

・悪意をもって人を貶めようという意志がある人もいる。対等な話ができない相手からのマウントを受けたらすぐにその場を逃げるのがよい。

・過去にマウントを取られた際、心の中でマウントを取り返して、口は地蔵でいた。面従腹背。

・マウントをされたとき、相手の話に耳を傾け、共感する・受け入れるという受け取り方もあるのではないか。

・共感的傾聴、アサーショントレーニング、コーチングといったコミュニケーションスキルを磨く。

・セクハラなど性差によるマウントもある。

・自分の話のみならず、自分の所有物や家族などでマウントを取る場合もある。

・マウントをしてくる側はどこか動物的、弱肉強食で本能的。みっともなく見える。しかしエネルギーが強い人でもある。話が長いなどの特徴がある。

・マウントを取ってくる人を止めることはできるのか。無反応がいいのではないか。

・マウントを取る人に対してビクビクしていると、どんどん威圧的になっていく場合がある。話題を変える・止めるスキルが役に立つ。訓練でできるようになる。

・マウントを取る人に、冷静かつ毅然とした態度で返して、自分が何をしているのかを分からせることも有効ではないか。

・マウントはいじめや怒りにも共通点がある。

・マウントを取ってくる人への仕返しは自分が幸せになることだと思う。

・哲学対話で鍛えた問いや対話のスキルも有効。また、瞑想などで重視する今の自分の状態を自覚する・気づきも大事だと思う。マウントを受けたときの自分の不快感を理解する。

・関西では笑いやアホのマウントがある。みんなで笑わせ合うことでマウントを取る。笑いのマウントを取り合うことで幸せになれる。

・笑いのマウントのように、競い合うことは全て悪ではない。高め合うこともできる。

・マウントを笑いやユーモアに変換することもできるのでは。

 

●振り返り

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

・大阪には「どちらがよりアホか」を競うアホ自慢的マウントゲームがあります!

・受け取り上手の方法をたくさんありがとうございます。

・マウント取られた時に「やぁほんまぁ。すごいやん。ところでなぁ…」と話題を変えるスキル、私や周りは結構得意な事に気づきました。夫は「自分ら、お互いに全然話聞いてないよなぁ」とよく呆れていますが。

・あほ自慢最高。小説「阪急電車」であほな彼氏自慢の事がでてくるのを思い出しました。

・マウンティングの裏には実は親密になりたい気持ちがあるのでは?

・今日はありがとうございました。マウントされた時の気持ちをアウトプットすることで、少しラクになれる?と思いました。

・友だちのマウントは笑いに変えることはできる。上司のマウントには面従腹背しか対応できない。くやしいけれど!男性っぽいマウント、女性っぽいマウントってあるのか?

・関西の話題変え、東京でいうところの「えーすごいねー。それでさー」と同じスキルでしょうか。幸せな競い合いは面白い視点で、競争も悪いだけではないと思います。自分がマウントを取ってしまう場合の対処ももっと考えたくなりました。

・マウントってジャッジメントかなと思いました。

・マウントというお題を考える良い機会を与えてくださりありがとうございます。禅のようにすっきりしました。結跏趺坐に精進します。色即是空空即是色かな。

 

●後記

通常よりも参加申込みが多く、テーマへの関心の高さを感じた回でした。「マウント」は比較的新しい言葉だと思いますが、ここまでこの言葉が広まったのは、今回の問いにも選ばれたように、「受け取る」側の意識が高まっている、人々のセンサーが敏感になっているのではないかと、対話を通して思いました。そうした平等を求める欲求が強まる一方で、序列をつけることは社会に秩序を生む本能的な行動でもあり、抗いがたい部分もありそうです。平等という幻想の追求と、序列をつけたい本能の衝突がマウントに表れているのかも、と記録をつけながら思いました。今回も楽しい対話をありがとうございました!(記録:羽田美里)

 

【第298回の記録】映画「道」

第298回目の人生カフェは、2022年9月23日(金・祝)14時00分~16時30分 計9名(男性6名、女3名)で、オフライン・リアル(東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室)で実施された。

(進行:田中あけ美)

 

まず最初に、自己紹介と感想を共有した後、

この作品を鑑賞後の問いを出してもらった。

 

【問い】

・この世にあるものは何かの役に立つのか?

・ラストの涙の意味は?

・ザンパノがパートナーをつけるのは何故?

・何故、ザンパノはジェルソミーナを置き去りにしたのか?

・ジェルソミーナはザンパノから逃げるチャンスはあったのになぜ逃げなかったのか?

・どうしてイル・マットの方についていかなかったのか?

・ザンパノのジェルソミーナへの愛はどんな形だったか?

・ザンパノとジェルソミーナの関係は恋愛なのか?

・愛情に対する男と女の考え方(アプローチ)の違いあり?

 

以上の問いから

 

●ジェルソミーナはザンパノから逃げるチャンスはあったのになぜ逃げなかったのか?

 の問いを入口に対話を始めた。

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

〈感想・気づき〉

・今観てもこのように感想を言い合えるのは、やっぱり凄い作品なんだなあ。。。

 白黒なのに、雪・炎・涙・波などが、とてもきれい!

・ジェルソミーナが逃げなかったからドラマになり、美しい映画になり、議論になる。

・愛情には早めに応えないと後悔することになる。

・ザンパノは、ジェルソミーナが死んでしまうかもしれないということを予測できなかったのか?自己中心的な男(女)からは離れろ(近づくな)!

・ザンパノが置き去りにした理由にさらになぞが加わった。

・ジェルソミーナはイル・マットに恋をしていなかった。

・映画を言葉にするのは難しい。

・このときの時代背景。。。とは言ってみたものの「道」の現代Ver. 日本Ver.でも十分違和感なく作れる内容だったかも。みてみたい。

・考えれば考える程に深い映画なんだなと改めて思いました。最近、この手の映画ってあるのかな?

・ザンパノはジェルソミーナによって野獣から人間になった?最後の涙は人間の涙か。

〈新たな問い〉

・ザンパノは空白の4~5年にジェルソミーナの妹を連れていったのか?

・ザンパノの人間的魅力とは?(結構魅かれている人が多そう)

 

 

(記録:田中あけ美)

 

【第297回記録】 人生カフェ・女性編・テーマ「趣味」オンライン

第297回目の人生カフェは、2022年9月15日(木)午前 10時~12時30分、9名(参加者7名、メイン進行役1名、サブ進行役1名)で、zoomを使ってオンラインで実施された。

(メイン進行役:たからん、サブ進行役:本間正己)

女性の方のみを募集し、原則カメラオンで行われた。

(PRの際の案内文は以下のようなものである)

*************

「趣味はなんですか?」

つい最近、距離を詰めたい相手に興味津々で素朴に問いかけました。

そんな時もあれば、

「天気の話と同じで枕詞みたいなもの」「会話の中のつなぎの質問」

そういう場合もありますね。

就活サイトには、「趣味について」履歴書の書き方が色々でています。

婚活サイトには、男女別「感じのいい趣味」ランキングも。

趣味は、「訊き方」「答え方」「内容」によって、コミュニケーションツールになったり印象操作になる場合もありそうです。そんな趣味にまつわるあれこれを、自分自身に、そしてお互いに問い合ってみませんか。

もちろん「趣味がない」方も大歓迎です。

「好きな事はあるけど趣味とまで言えるかなぁ」と思うもの。

また、ある期間マイブーム的にハマったもの。

趣味に「期間」「頻度」の定義はないはずなのに、たまーにする好きな事を「趣味…?」と言いよどんでしまうのは何故だろう?

仲間との時間が楽しい趣味は、その仲間との関係が変わったら終わる場合もあるのだろうか?

色々考えてみましょう。

*************

◉導入のプログラム

「ご自身の趣味にまつわるエピソード」(過去・現在・将来やってみたいなど限定なし)を1つ出してもらった。

(例)…スキー。ほぼ毎年行っていたが最後に行ったのは6年前。今度の冬は再開したい。

〇ラーメン、映画、そして哲学対話

〇鳥、ハンドメイド、公園に行くこと

〇歴史ジャンル

〇読書、水泳、散歩、オンラインのこういったイベントに参加したり講演会を聴くこと

〇一人旅、カフェめぐり、仏閣めぐり・・・でした

〇あまり趣味が無いのですが、読書は好きです。

時間ができたら思い切り読もうと思っていたので、今は充実しています。

◉次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)…「趣味」と「好き」の線引きがあるとしたら何だろう?

〇趣味と仕事は違うのか?

〇趣味との出会いは自然発生したものなのか?

〇趣味とは誰のためのものか?

〇趣味の要素とは?(頻度か?熱量か?)

〇あなたなりの(私なりの)趣味の定義は何なのか?

〇趣味は必ず必要か?

〇「趣味」と「好き」の線引きがあるとしたら何だろう?

◉投票により、後半へ向けて問いを一つに絞った。

〇趣味とは誰のためのものか?

◉その後、約70分フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

〇趣味は自分のものだとしても、聞かれてから話すことが多い。

面接で聞かれて不利になるようなことを言う人はいない。誰から何の目的で聞かれたか?がネックになる。

〇好きなものを仕事にして、それにまつわる雑用が多くなり嫌いになった。

〇趣味は、自然発生?環境?コントロール?

〇子どもが小さい頃に、興味を持ちそうなものを並べて選ばせる風習もある。

〇趣味は自己開示する勇気が必要。安心安全な場でないと言えない。

時代と共に、趣味の文化的な価値が変わり、言いやすい・言いにくいという場合も出てくる。

〇自分の熱量が高い趣味を言った時に、相手のテンションが低いとイヤだなぁと思う。

〇人の趣味や職業を聞くと、自分の中のイメージで相手をとらえてしまう。

〇これからやってみたいと思う事は、こうありたい自分への挑戦。

〇自己開示の恐れ。趣味を開示した時の影響力とかこう見られたいという事を意図的に選んでいる事も含め、趣味は自分のもの。

〇お見合いなどで趣味を聞くのは「自己開示して欲しい」という意味なのでは。

例えば哲学対話で問うように、○○についてはどう思いますか?どう考えますか?と聞いた方が、相手の事がわかるかもしれない。

〇趣味仲間は良い面もあるが、排他的になりやめた事がある。

〇趣味仲間でリーダー的な人がいて、カルト的になる場合や毒になる場合もある。趣味は色々分散させるのが良いのかも。

〇趣味を自己開示する時、場や相手を選んで話すのは人間関係を円滑にするという面もある。

〇哲学対話が趣味というのは、人に話しにくい。

〇子どもの頃は、ただ好きで楽しい思いでやっていた。大人になるにつれてそれだけではなくなってきた。

◉最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇今日は皆さんの対話を聞いていて、楽しかったです。(^^)/

「哲学対話が趣味です」とは、ここ以外では言いづらい(笑)

趣味友だちとはいい友だちなのか?

趣味の関係は男女の関係よりいいことがあるだろう?

〇趣味は何?って聞かれると戸惑い忖度する時がありますが、興味を持って、どうして好きなのかを問われると嬉しい事に改めて気づきました。

質問してくださってありがとうございました。

〇趣味とは自分が楽しむものだったり、原動力だったり、意識や世界を広げるものだと思います。ありがとうございました。

〇趣味人とオタクの違いは何なのか?オタクであることをアピ-ルする人はウザイ?

〇趣味への発展経路:興味を持つ→好き→エネルギーと時間を注ぐ→趣味 趣味を語る人には魅力がある

〇「哲学対話」については、zoomをするかしないかで感覚が別れると思います。

説明のしようがないのです(笑)

私が自分の趣味や仕事について語りたくないのは「自己防衛」であったのかな、と思います。

〇「哲学対話が趣味です」 私は結構言ってます^^;趣味を聞くときに、相手がどんな方向性を持っているのか興味があって聞いている自分がいます。

〇世間的に“良い”とされている趣味と、毒になる趣味とは何か、考えてみたくなりました。

好きなものにも重さ軽さ深さ浅さ等、個人の中で様々なグラデーションがあり、その中で比較的世間的に“良い(高尚?)”とされているものや、当たり障りない安全なものを「趣味」として普段自己開示しているのかなと思うようになりました。

趣味とは誰のものか?という問いに対しては、趣味を他者に語って、得られると想像できる反応や評価も、意図的・無意識的に選んでいるという点も含めて、やっぱり趣味は「自分のもの」と考えました。

最後に、観劇は個人的に「精神的ドーピング」だと私は思っています(笑)

〇趣味とは外向きにも内向きにも、自分を整えるためのものという印象でした。

キーワード「趣味の挑戦」とは、いい言葉をいただいたなと思いました。

ありがとうございました。

◉放課後タイムでは、約30分自由に話をした。

(記録:たからん)

★後記★

「趣味は誰の為のもの?」

「自分の為でしょう」

でも、場や相手によって言ったり言わなかったり、場合によってチョイスしたり。

それを「どうしてだろう?」「どんな場合だろう?」など、改めて問い合う時間を持てました。

また、気になるキーワードも沢山出てきました。

 

「毒になる趣味」「オタク」「精神的ドーピング」「挑戦」「整える」「自己開示」「スピリチュアル」…皆さんは如何でしょうか?

(記録 たからん)

【第296回記録】 人生カフェ・中高年の哲学対話(入門編)・テーマ「元気」オンライン

第296回目の人生カフェは、令和4年9月11日(日)午前10時~12時30分、15名(男性8名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

テーマ:元気

元気とはどういうことだろう?

体の元気と心の元気とはどのような関係があるだろうか?

元気がないというのはよくないことか?

そもそも元気の「気」とは何のことか?

対話をすると元気になる?

哲学をすると元気がなくなる?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

最近あなたの元気が出てきた小さなエピソード(ひとつだけ)

(例)ラーメン好きな人と私の好きなラーメンを食べに行った時

*wifi導入化

*素晴らしいアニメ作品を見て思わず{おおー」と成った時。

*仲違いした友人から「元旦」に年賀状がきた事

*癌の治療の対策にささやかな光あり

*変な人と会った時♪

*今朝、朝活に参加して、自分の中に湧いてくる思いを声に出して元気を感じました。このプログラムにも元気を求めて参加しました。気とは「いのち」のエネルギーだと考えます。「いのち」が喜ぶ生き方を探究しています。

*実家近くで新しいねこカフェを見つけたこと

*好きなジャズライブをオンラインで観る時

*落語の練習をしています。先日最近はまっている落語家の高座にいってきました。所作がきれいで話に引き寄せられ幸せな気分で帰路につきました❣

*人と関わると空元気が出る

*温泉に行ったら空いていた。

*蕎麦屋さんに行ったらフレンチが出てきた。

 

☆今回は問い出し・問い決めのプログラムは行わないことにします。

☆今回ひとつの試みとして、女性ルームと男性・その他ルームの2つのブレイクアウトルームに分かれて対話します。

 

全体において(約5分)、ブレイクアウトルーム(2個、1グループ約7人)に分かれて(約25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

〈各ブレイクアウトルームの報告〉

(女性ルーム)

1空(から)元気

2語源(減気-験気-元気)

3周波数

4共感

5常套句としての元気

(男性・その他ルーム)

①気(空気、気持ち、気づき…)

②欲求・活動⇔静、悟り

③体、心、スピリチュアル

④社会、政治、経済……

⑤空元気

〈参考〉

「元気」の国語辞書的意味

①活動のもとになる気力。また、それがあふれている状態

②体の調子がいいこと

 

●元気の反対語は「病気」? 

●元気の反対語は「休む」、「休息」とも言える。

●人間は交感神経と副交感神経の両方の働きによって、バランスを持って生きている。

●元気の「気」は戦前までは「氣」という、中に「米」という字を当てていた。米によるエネルギーという意味が込められていた。

●空元気には、周囲の人に気を使ったり、合わせたりする同調的に使う場合と、自分自身を鼓舞したり、自己暗示をかけようとしたりするのに使う場合がある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇お話を聞きながら「好きなものが同じ」ってそれだけで元気がもらえるなぁと思いました。これも周波数?

落語♪詳しくないですが、今でも過去1番好きだった朝ドラは「ちりとてちん」です。

LIVE♪チケットが取れただけで元気になる。その日に向けて生きるエネルギーが湧いてくる。そしてLIVE会場で音に身をゆだねる心地良さ。

同じテーマで集中して話す事で、元気になれました。午後から元気に仕事頑張れますp(^^)q

○「気を使う」ことから社会が成り立つこともあるけれど、「気を使いすぎて」疲れることもあります。いろいろ大変です。

〇他人に対するカラ元気と、自分に対するカラ元気の違いはどこにあるのか?自分に嘘(カラ)をつくとはどういうことか?

〇①社会の元気、経済の元気、政治の元気  ②バランスのよい元気が大切  ③人それぞれ、元気の受け取り方が違うなあ。私の場合は、スピリチュアルな元気を伝えていきたい。

〇気力⇒活動、協調  / 活動、協調⇒気力

自分なりのバランスが大切だと思った。

〇元気の宿る臓器は何なのか?江戸時代の人は尻子玉があると思っていた。

〇とはいえ、やはり人前では元気を振り絞っていかねば、生きていきづらいのが世の中。

〇元気(≒空元気)の逆とは?

〇日常的に使用していた「元気」についてじっくり考えたことがなかったので多方面から考察することができました。

〇私自身にも介護など気持ちが行き詰っている状態が続き考え方の道筋を変えるべく人生カフェに参加しました。このような場所で自分の考えを話し共感してもらえることや仲間ができることも元気の源になるのだと思います。

〇現在、通院中です。色々検査をしましたが、特に重篤な、病気はないとの子ですが、なんとも気が滅入ります。病気の気は?。病の気?。今日は、元気になりたく参加しました。。。。?病の気?

〇元気、バランスが大事。気は流れる。人との間でも流れる。自分のなかの間でも流れる。「元気=気のありかた」が流動的な状況であることをOKとしたいかも。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第295回記録】人生カフェ・全員カメラオン・「参加者でテーマを決める」⇒「思い込み」・オンライン

第295回目の人生カフェは、令和4年9月8日(木)午前 10時~12時30分、9名(女性4名・男性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

原則として、最初から最後までカメラオン(顔出しあり)できる方のみ参加できることとします。

話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。

途中退出も可です。

参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

(PR用リード文)

テーマ:参加者でテーマを決める

参加者の皆さんで対話のテーマ候補を出し合って、投票によって後半の対話のテーマをひとつに決めましょう。 当日に決まったテーマをめぐって、即興的な対話を気軽に楽しんでみましょう。皆さんが一緒になって、いろいろ考えてみましょう。

内 容:

*テーマ出し

参加者には、対話のテーマにしたいものをひとつ出してもらいます。

今回は「問い」ではなく、「テーマ」です。

(例)選ぶ

(例)懐かしさ

(例)自由

(例)平和

チャットに書いてくださった方のテーマを、テーマ決めの際の選ぶ対象とします。

テーマを出してくださった方には1~2分程度で、テーマの背景などを説明していただきます。

(チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。)

出されたテーマは以下のとおりです。

〇印象

〇尊厳

〇協調性

〇小さな良い習慣

〇思い込み

〇良心

〇お風呂

 

以上から、多数決によって、後半の対話のテーマは、「思い込み」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(ブレイクアウトルームは作らず、全員で対話した)(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●思い込みは強く継続的な行動力を生み出す源泉となることがある。確固とした信念のようなものである。

●反面、思い込みは偏見を作り出し、他人に迷惑をかけたり、人間関係を悪くしたり、生きづらくなったりすることがある。

●洗脳(マインド・コントロール)によって思い込まされることもある。教育によって思い込みが作られることもある。

●何が自分の思い込みかはその時には自分では気づかない。事後的に、メタ的に捉えることによって分かる。

●自分が自身に思い込ませようとする力も働いている。自分の都合のいいように思い込んでいる。

●「被害妄想」というのは、悪い方悪い方へと思い込んでいることなのか?

●歪んでいたり、間違っていたり、古くなっていたりしている思い込みをアップデートしていく必要がある。

●このアップデートが難しいのはなぜか?変化させるよりも従前からの思い込みの方が楽だからか、自分のプライドを傷つけたくないからか……。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○思い込み、こだわりを外したい。なかなかそれが出来ない自分に苦しんでいました。

「そんな簡単なものじゃない」に救われました。

〇「思い込みがなければ、行動ができない」が心に響きました。

〇世界の臨界と接した後の世界での在り方について、4つのパターンを整理する事が出来ました。

・意志の自律=既存の物事から選択する意思決定

・祈り=絶対他力。啓示の受容

・創造=意志決定ではなく、自分の在り方そのものを自分で創造する。

・あそび

〇良い思い込みに気づくことを育てたい。

〇思い込みは事後的に気づく。行動してから、他人から、対話してから……。

柔軟に修正できるといいのだが………。

〇緩和ケアで呼んでほしい人は、お坊さんでもないし心理士でもない。哲学する人を呼んでほしい というニーズがあるみたいです。(北欧)

〇信じる力をどの方向に使うのか、が大事だと思いました。祈りというテーマも気になります。

〇思い込みだと気付くのは対話によることが多い。その対話の場は安全で安心できなければならない。

〇思い込んでいる自分に気づき客観的に見つめる方法:瞑想、散歩、神社参拝、対話  これらを習慣づけ続ける。ポジティブな思い込みは自分個人の範囲内で、ただしうまくいかなくても落ち込まない。

 

 (記録:本間正己)

 

【第294回記録】人生カフェ・哲学対話・オフライン・テーマ「作る」

 

第294回目の人生カフェは、令和4年8月28日(日)午後2時~4時30分、新宿消費生活センター分館において、10名(男性7名・女性3名)の参加者のもと、オフライン・リアルで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

今回のテーマは「作る」であった。

(PRの際のリード文は以下の通り)

人類を人類たらしめてきたことの1つに、「作る」行為があったように思います。力も体も小さい人類は、様々な道具や制度、仕組みを作ることで厳しい環境を生き抜き、生息地を広げていきました。

そして今も私たちは様々な道具をはじめ、文章や物語、哲学対話など幅広いものを作り出しています。誰かと話し、メールやSNSに書き込み、歌を歌い、料理をする、日々の生活すべてが創作活動なのかもしれません。また、AIの進化に伴い、人間はよりクリエイティブな仕事を行うようになり、作る能力は今後さらに求められるともいわれます。

私達はいったい、何のために作るのでしょう。作ることは自分や周りにどんな影響をもたらしてきたのでしょうか。皆さまといろいろ考えてみたいと思います。

 

まずは、導入のプログラムとして、自己紹介とともに、自身が最近作ったものについて話してもらった(形がないものでもOKとした)。

(例)…Facebookのアカウントを作ってみました。

〇笑いをつくる、質問をつくる

〇肉団子→油通しをする、ヨーグルト入りマヨネーズ、コールスロー(キャベツを全量の2%で塩もみ)、主食―主菜―副菜―汁物―漬物

〇テレビの台、週末の女神湖旅行スケジュール

〇ヘアスタイルを作りました

〇哲学対話(人生カフェ)の場を作る

〇着物のリメイク、紬からジャケット

〇読書管理アプリのアカウント

〇詩10編(Facebookグループ)、とんかつ

〇食器などの収納棚、自家製冷凍食品(弁当用)

 

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。

出された問いは次の通り。

例)…よい創造とは何だろうか?

〇「しょうもないもん」でもつくる効用はあるか?

〇「気づく」(ひらめき)と「創る」の違いは何か?

〇「作る」と「見る」「聞く」等との違いは何か?

〇作る=工業製品を工場で大量に製造する として、人口減少の日本で作るのをそろそろ中止にしては?(修理で対応する、SDGs)

〇人間関係を作るには?

〇誰が作っても同じものを自分が作る。製作者の個性を消すとは?

〇作りたいと思う時はどんな時?

〇(人・人類が)作り続けることはなぜか?意味は何か?(いいものも悪いものも)

〇創作活動のもつ意味・価値とは?

 

以上から、話し合いと投票によって、後半の対話の問いは、「〝しょうもないもん〟でもつくる効用はあるか?」が選ばれた。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

〇中高年女性たちが趣味で作った手作り作品が集められた「おかんアート」展が開催されていた。

〇おかんアートは貰った側が困ってしまい、〝しょうもないもん〟と位置付けられることがあるが、本人たちは自己満足している。作りたい欲望やエネルギーが凄い。

〇手を動かす、手で何かをつくる記憶が人間にあるのではないか。

〇おかんたちは作りながら仲間同士でおしゃべりをしてコミュニケーションを楽しんでいる。

〇おかんアートのネーミングがいい。〝しょうもないもん〟と評されたとしても、本人たちの意識はどうか。そう思っていないのではないか。

〇〝しょうもないもん〟とそうでないものの違いは、商品になるかどうかではないか。

〇作ることの効用は、観察力や集中することによる情報遮断、自己承認、自尊心の向上、癒しなどがある。

〇作っている行為の効用は外側には意味がない、内側にある。

〇作っている行為は作る喜びを生み、内側・自分に効用。作り出されたものは外側に働き、外への影響力が大きい。能動的に働きかける。

〇作り出されたものは自分の子供のようなもので、自分からはもう離れている。

〇作ることが自己表現だとすると、プライドや自尊心も関わる。でも作ったものに自分を出しすぎない方が人や外に伝わることがある。

〇作ることによって内(自分)も外(人、社会)も満たす方法はあるのか?

〇作ったものが商品になることが内も外も満たす方法なのではないか。

〇同人誌など商品になっていなくても、周囲からのニーズが高いものもある。

〇震災被災者の作ったものが、かなり高い値段で売られていてモヤモヤした。値段を付けた以上はその責任があると思う。支援を含めた値段ではあるが、上から目線で値段をつけていないか。

〇商品は〝しょうもないもん〟よりも価値が上であると言えるのか?資本主義を感じる。

〇〝しょうもないもん〟でも、身内が作ったものは自分にとって価値が高い。思い出もこもっている。

〇野菜くずなども、使いようによっては捨てるところがないように、いかに活用するかで価値が変わる。価値の転換が重要。

〇作る=自分の内にあるものを外に見える形にする、ほかの人にもわかるように形にあらわすこと。元々備わっている基本的な人の欲求なのではないか。

〇おかんアートといっても、材料や作り方が決まっているものをそのまま作っているだけということも多い。マニュアルがあるものは芸術といえるのか?

〇芸術に哲学的、美学の裏付けがあると人の心をとらえることができる。

〇元をただせば、作る行為は目の前の状況を良くしたい欲求から出てきたものだと思う。

〇ちょっと外に表したいという自己表現の欲求から出てくるものもある。

〇他者評価・他者承認されるために外に自分が作ったものを出していくのではないか。

〇他者評価が高いものはお金にもなる。そういったニーズが高いものは、100%自分を表現したものではなく、社会のニーズをくみ取り、社会の潜在的な欲求を形にしているのではないか。クリエイターの仕事はそうしたものが多いと思う。

〇資本主義に感じる違和感は、自分の作る行為や作ったものを今の商品主義ともいえる価値観で評価・判断されることへの違和感ではないか。そこから逃げたいと欲する心の叫びだと思う。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇他者承認させるため、作ったものを見せていく。形あるもの。私の場合、料理をお客様に提供していく。広くレシピを集めて新しい感覚で料理を創造していく。

〇価値は値段ではない(芸術品)。形あるものは作りたくない(メンテしたくない、場所をとる)。ソフト的なもの、音楽などは場所を取らないので作りたい。

〇「つくる」とは何か?色々なお話や視点など聞けて楽しかったです。承認(欲求)、孤独を大事にしたい。思い出づくり。

〇今ここにある自分も過去の自分の創作物。全てが創作なのかも。人と人以外の創作物との融和とは?

〇同じテーマでも人によって考える事が違うという事。それぞれがそれぞれの生活や経験に根差して導き出しているんだなと感じた。人が作ることをやめたらどうなるのか?(新しいクリエーション)

〇1)私が作るもの…顔、髪、表情、服装、態度、話し方、生き方…も含まれる。2)それを見ている、見られている(承認・評価も)。3)プロセスを楽しむ。欲求を楽しむ。

〇人から受け取った物で忘れられないもの。その時の状況や嬉しかった気持ちを大事にし続けたい。

〇1)人は承認を受けるための媒介として何かを作る。2)承認欲求とどう付き合っていくべきか。3)潮の流れを感じた。

〇メイクドラマ(長嶋茂雄)。

〇つくる→表出・表現、創造・創作、他者の評価にさらされる。

 つくる→DIY、おかんアート、手作業、(自分のための)楽器演奏、自分が行為する喜び。

 

 

作ることについて改めて考えると非常に幅が広く、様々な方向に話が広がり、対話の時間が足りないと思うほどでした。人は作ることにより自分と向き合い、作ったもので外とつながり、世界は人と人以外が作ったもので満ちているのだと感じた対話になりました。ご参加くださった皆さま、楽しい時間をありがとうございました!(記録:羽田美里)

 

【第293回記録】(デスカフェ風)・テーマ「一人称の死(わたしの死)」・問い「死から見えてくる生とは何か?」・オンライン

第293回目の人生カフェは、令和4年8月25日(木)午前 10時~12時30分、17名(男性8名・女性9名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

(話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

 

テーマ:一人称の死(わたしの死)

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「一人称の死(わたしの死)」に焦点を当てます。もちろん、話は二人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

問い:死から見えてくる生とは何か?

今回は問いをあらかじめ設定しておきます。

私の死を考えることは、私の生を考えることに繋がります。

私の生を考えたいために、私の死について不安になるのかもしれません。

死を見つめることによって、どのように生きていくかを真剣に考えるようになるということもあります。

今回は死から逆に光を与えられる生について、いろいろ考えてみます。

 

まずは、導入のプログラムである。

死ぬまでにしたいこと(発表できるものを3つ以内挙げてください)。

(例)断捨離、エンディングノート、哲学対話の多様な展開

話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1~2分くらいでお話しをしてもらいます。

(チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

*これまで使っていない自分の能力を活用して楽しく生きる、世話になった人への恩返し、寂しくない真の人間関係とは何かの考察と実践

*断捨離、子どもに伝えておきたいことをまとめる、好きなところに行く

*・エンディングノート ・家族との時間を大事に味わう ・対話(自分・友人・家族・哲学対話etc)

*今やっていることを状況に応じてやり続ける事をしたい

*①世界旅行 ②自分の人生の生きる意味を知る ③自分の哲学を創る

*死ぬまでに結婚したい。これまでに出来なかったことをやってみたい。夢があるとしたら夢を叶えたい。

*①こだわりをなくす

*⓵童話、小説などの、執筆、⓶、衣類を着て、着て、捨てる。⓷、想定外を、想定外にいきる。

*1,資金10万円を7年半で1億にする株FXトレードを「ライブ配信」♪  

2,オーストラリアを1周しながらほめ合う会を開催し、その後、ブリスベンで「死を待つ人々の家」を運営。独居老人の方々を780人、無償で受け入れ♪

3,世界158か国で、「心儲け」の言葉が辞書に掲載される♪

*ひとつですが、遺言書作成

*1.哲学革命・カフェを地域活動に利用する。

 

その後、「死から見えてくる生とは何か?」について、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●自分の命に関わる情報を冷蔵庫の中に入れておく。救急隊員が冷蔵庫の中を見るから。

●エンディングノートは自らの生のケジメとして書く。自分の生の伸びしろを確認することもできる。

●死を意識することと、今を生きる・今を充実させることの意味合い。

●目標に向かってこれからどうするかということと、一期一会の今の出会いを大事にすることの意味合い。

●生きている時間の多寡にかかわらず、生まれてきてよかったという感覚。

●平均寿命とか、長寿社会とか……一人称(わたし)の死からすると、あまり意味がない。

●人は、なぜ、物事を先送りするのでしょうか?

●先送り、やり残しなどが生じることは必至である。そこにどの程度執着するか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○Kさんのやり残したことがないという発言に興味を持ちました。ありがとうございました。

〇冷蔵庫と先送り

〇時々、死を意識する事は大切に生きる事にも繋がる。先送りする事も含め生を楽しみ、全うしたいと思います。

〇死ぬまでにしたい事は死に向かうとき心の支えになる。しかし大抵やり残しがある。やり残したことが執着になる人とそうならない人の違いは何なのか?

〇⓵、50年間で、脳全体の、1.8%の神経細胞しか使われていない。②,山と、人生

〇病気になる原因があると思う。先送りしてたら生き方の修正が必要との通告のサインだと思う。

〇いろいろ考えさせられました。安楽死や死ぬことを普段意識しなかったので、貴重なお時間ありがとう御座いました。

〇宗教・信仰の問題、安楽死の問題……どれも重要な問題だが、対話のテーマとしては取り上げることが難しい。いつか対話をしてみたい。まずは哲学的なアプローチを考える。

〇先送りは自分の中の恐怖と繋がっていると思っています。あとで冷蔵庫に紙を入れておきます。ありがとうございました

〇生き方=個性、信仰は不自由?

〇愛しいは息づいていますね。

 

 (記録:本間正己)

 

【第292回記録】 人生カフェ・女性編・テーマ「宿題」オンライン

第292回目の人生カフェは、令和4年8月18日(木)午前 10時~12時30分、11名(参加者9名、メイン進行役1名、サブ進行役1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。

(メイン進行役:たからん、サブ進行役:本間正己)

女性の方のみを募集し、原則カメラオンで行われた。

(PRの際の案内文は以下のようなものである)

*************

開催日の8月18日は、夏休みも残り僅かな時期。

読書感想文や自由研究など、大人になると懐かしいですね。

ユーミンの曲「ようこそ輝く時間へ」の歌詞に、

「大人になったら宿題はなくなるものだと思ってた」とあります。

大人の宿題ってどんなものでしょうか?今、抱えている宿題は有りますか?

「夏休みの宿題」早めに終わらせる派かギリギリ派、いつの時代もよく話題に上ります。

最近は、夏休みの宿題の「代行業者」もネットやメディアでもよく目にします。

昔に比べ量が多いから?子ども達が忙しいから?

夏休みに限らず、日常の学校の宿題についてはどうでしょうか。

社会的な、未来への宿題もSDGsも含めて色々ありそうですね。

また、会議などで課題を持ち越す時も「次回への宿題に…」などと使います。

色々な「宿題」について考えてみたいと思います。

*************

◉まずは、導入のプログラムである。

「夏休みの宿題」の思い出を1つ出してもらった。

(例)…家庭科の宿題で作ったパジャマを早く着たかったこと。

*一本の稲を育てるという夏休みの宿題に失敗した。

*よいこと:卵の殻で作った絵画。夏休みの宿題。

悪いこと:宿題をせず叱られたこと。忘れられないこと

*毎年、ぎりぎりで仕上げたことしか覚えてないです…

あ、息子の宿題の代行はしてました・・・

*いつもギリギリ。読書感想文は毎年入選

*「宿題シェア大作戦」←高校時代

*毎回ギリギリで、夏休み最後の日に絵日記もまとめて書いた記憶があります。

*あまり覚えていませんが、結構ギリギリだった気がします

*低学年の子供の宿題は、だいたいほぼ私の作品

◉次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)…宿題の役割って何だろう?

問いの背景、理由などを説明していただいた。

〇宿題は誰にとって必要なのか?

〇なぜ夏休み、冬休みになると大量の宿題がでるんだろう?

〇宿題は他人から強制されるものだから気が重くて当たり前?楽しくやるには?

〇子どもの宿題と大人の宿題の違いは何か?

〇人生に宿題はあるか?

投票により、後半へ向けて問いを一つに絞った。

〇宿題は誰にとって必要なのか?

◉その後、約60分フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

*宿題は先生と子どもの約束。「親がやらせなきゃ」という思いを手放したら楽になった。

*学校側、先生の為?子どもはやらないと怒られるからやる感じがする。

*自由研究は、夏休みの宿題で困った宿題のベスト1といわれる。ホームセンターにキットもある。

*宿題さえなければ、夏休みは天国だった。人生に天国はないという子どもへの教訓になるのでは。

*自由研究は、調べる事・まとめる力・プレゼン能力も必要?

*宿題って自分の為にならないと意味がないのでは?

*一律の宿題に疑問を感じる。

*ギフテッドなど学力・能力の高い子にはもっと高度なもの、学力が追いついていない子へはセーフティーネットとしての役割も必要ではないか。

*自分の人生を考えて歩む事が、人生の宿題なのではないか。

*子ども達が自分たちの目線でお互いに宿題を出し合うと、新しい気づきに繋がり面白いのではないか。

*宿題は、期日までに提出し、誠意を示す信頼関係の構築に繋がる練習にもなっている。

◉最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇宿題は宿命的な課題?

宿題がないとどうなのだろう?

宿題は基本的には宿題を出すほうのためのもの。

出された方のためと称しているのが、ちょっといやらしい感じ。

〇息子が宿題を親に代行させていたことを覚えていて、その息子が一年生の子供の宿題を見ていることに、感慨を覚えました。

〇自由研究を含め宿題が「今」に繋がっている?

役立っている事は?

〇主体的に「宿題」を出してそれに取り組む姿勢

〇学校の宿題、人生の宿題も含めて宿題をまったくやらなかったら困ることになるんだろうか?

〇宿題は必要なものだと思いますが、それを他人から押し付けられたと感じたり、自分が向き合いたくないものだとイヤになるのかなと思いました。

〇「哲学対話」 という宿題はいかがだろうか?(もちろん 先生も一緒にね♪)

〇内容はさておき、提出の期日を守ることが宿題の大事な側面だというのは今回初めて得た考えでした

それに加えて、宿題とは先生と生徒、上司と部下など、人と人との間の約束事であり、家族やコミュニティの中での役割を全うするためや自分が自分に課すこともあり、人生が続く限り誰にでも発生するものなのかなと感じました。

〇能力に個人差がある学校の一律一緒の宿題について、改めてそれでいいのか?考えさせられた。期限に守ることが大事なら宿題の質を見直すべきだと思う。自由研究、読書感想文等。ギフテットの動きはあるが、それ以外は・・・?

〇宿題ってなんだろう?と結局1周してしまいました(汗)

抗えず出される宿題、自分で自分に課す宿題・・・

〇広く「教育」のあり方についても考えさせられました。ありがとうございました

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

(記録:たからん)

後記

対話後、たまたま聴いたラジオ番組で「自由課題…『自由研究』とか『調べる学習』などと呼ぶ学校もあるようですが…」と耳にしました。「へー。呼び方も色々かわってきているのね」と思っていたら。

19日(金)HNK「チコちゃんに叱られる」では、「自由研究って何?」が取り上げられていました。ご覧になった方もいらっしゃると思います。

下記、一部ネタバレです。

1947年から4年間だけ「自由研究」が国語・算数などと同じく授業科目にあったそうです。他の授業の中で興味をもったものを深堀したり各自それこそ自由に研究する時間。その後、指導要領の科目からはなくなりましたが、とても良い内容だったので宿題として残ったという話がありました。

番組では、子ども達の自由研究がいくつか紹介されました。

私は、大笑いしたり哲学的な問いに感心したり…とても楽しい放送でした。ご興味ある方は、NHKプラスでご覧になれますので(期間限定)、検索してみてください。

今後も、皆さんと一緒に「探求する時間の旅」を楽しみたいと思います。

お時間が合いましたら、是非、またご参加ください。

 

たからん

 

 【291回記録】「参加者でテーマを決める」(オフライン・リアル)

291回目の人生カフェは、令和4年8月14日(日)午後2時~4時30分、10名(男性4名・女性6名)で、オフライン・リアルで実施された。

この日のテーマは「参加者でテーマを決める」であった。

まず各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○自分の価値は誰がどうやって決めるのか?

○「みっともない」と思わせる社会の一部である私の責任は何だろう?

○最近よく聞く言葉で自分に理解できないもの…多様性を認めるとはどういうことか?(外国人、性、ハンディキャップ)

○近い/遠いって何だろう?

○豊かな孤独とは何か?

○自分の頭で考えるということはどういうことか(なぜ大切なのか)?

○親切とお節介の境目ってどこだろう?

○美しいとはどういうことか?美の本質とは。

○きれいごとは不必要か?

 

対話をしながら、出された全ての問いの中から今日のテーマを参加者全員で選んだ。

選ばれたテーマは「きれいごとは不必要か?」であった。

 

その後、問いに触れながら対話を行った。

●きれいごとの例…SDGs・多様性を認める・男女平等・校則・平和憲法・豊かな孤独(?)

●きれいごとは本音と建前の建前に近いか?

●理想と現実…このギャップが大きすぎると「きれいごとだ!」と言いたくなるのではないか?

●きれいごと…一般的に納得できること。社会的に通りやすいこと。誰もが正しいと思うこと。ポリコレ等

●いいことをやってる感→正しいことをやる姿勢。

●多様性を認める難しさ。自分を変えるべきなのか?認めると受容するは違うのではないか?

●現実→目標。一歩を踏み出さないで理想ばかりを語るのはきれいごと。行動が全く伴っていない…きれいごと。

●世の中のグレーの部分に対するモヤモヤが「きれいごとだ!」という言葉として現れるのか?

●きれいごとは必要?

●高い目標に向かって頑張ることは良いこと。目標を掲げることは必要ではないか?

●自分を盛り立てていくために必要か?

●現実的なつらさ・大変さに向き合っていないのではないか?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

○きれいごとは必要だが、使い方、受け取り方に注意が必要。

○一人で考えていることは池、水がよどむこともある。人と考えるのは小川、水が浄化される感じがする。はー、すっきりした。

○<気づき>きれいごとを言ってる人がいると…

⇒明るい気持ち、やる気が生じるケースと

⇒今の現実をなんとかしたいのに、と傷つく?ケースもある。

きれいごとには隠れた目的があるか?など疑うことも大切だ。

○きれいごととは何か?今後考える機会になりました。

○「きれいごとではないか!」と揶揄されても、きれいごとを言う必要もある・。きれいごとは相当に吟味した上で言うのがいいだろう。(本音を言っていないと批判されることがある)

○きれいごと「目標」「目指すもの」として必要。ただしその裏にあるもの(事柄)について考えること。それはもっと大事だと思いました。

○「きれいごと」という言葉では批判していることにならない。より詳しく説明しないと伝わらない。

「きれいごと」も必要。

「多様性」は認めにくい。

○「きれいごと」だと人から思われても、自分がそうありたいと思う理想の姿は大事にしていきたい。世の中、ゆっくり、少しずつでもいい方向に向かっていると思いたい。(人間を信じたい)

○平和と民主主義が破壊されようとしている時代に、人間の生命の尊さと精神の自由さを守る戦いを単なるきれいごとをこえていこう。

○きれいごとだと言いたくなるとき…高すぎる目標に対して低すぎる自分の状態を目の当たりにしたニヒリズム、自己弁護もあるような気がする。

 

(記録:髙橋 あずさ)

 

 【第290回記録】 人生カフェ・女性編・カメラオフ・テーマ「ケア」オンライン

第290回目の人生カフェは、令和4年8月11日(木・祝)午前 10時~12時30分、12名(女性11名、男性ファシリテーター1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

女性の方のみを募集しています。参加者全員がカメラオフ(顔出しなし)にします。

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

テーマ:ケア

ケアとは何だろう?

ケアは、日本語では、世話をする、支援するなどの言葉が浮かびます。

子育てや介護が典型としてイメージされます。

これらを女性が当然担うものとされてきた歴史があります。

それがさらに女性を弱い立場に追い込んできたという面があります。

一方で、ケアする者はケアされる者に対して支配するという面も指摘されています。

以上とは別に、自分自身へのケアということも考えてみたいところです。

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

あなたがケアする / ケアされる について印象に残っているエピソード (ひとつだけ)

(例)母への介護

*母親の介護について。訪問介護職ですが、自分の母親を介護できずに看取った無念さが残っています。

*全体的に、ケアするのは良いけど、ケアされるのは苦手です

*自分が入院してケアして頂いた。

*自分自身へのケア

*母の愚痴聞き

*何でも先回りして世話をやく母

*ケアする方が優位な立場で、される側が弱者と思われている?

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)認知症者への介護は何を生み出しているのか?

問いの背景、理由などを1分以内で説明していただきます。

本日は後半へ向けて問いを一つに絞ることはしないことにします。

〇ケアする事で得られるもの失うものは?

〇ケアする・されるのちょうどいい関係とは?

〇介護(ケア)が長続きする原動力は何なのか?

〇セルフケアと罪悪感

〇ケアする側とされる側が気持ちよく役割交代できるもの? 母親との関係性で

〇ヤングケアラー、虐待があった親の介護は必要か?

〇(ケアとセラピーの違いを確認した上で)ケアするとは?

 

ブレイクアウトルーム(3個、1グループ約4人)に分かれて(25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

〈各ブレイクアウトルームの報告〉

(ルーム1)

1 介護によって得られるものはある

2余裕

3罪悪感は世間の圧力からくる

4セラピ-

5老齢者介護の意味は無い?

(ルーム2)

・ケアの押し売り(感謝しないと怒る)

・ケアする側とされる側入れ替わる事はある?

・「お母さん」というワード

・ペットへのケア

・お世話しすぎない&期待しすぎない

(ルーム3)

① 介護:自分/親

② ケアする/されるの丁度いい関係→対等である、精神的距離感。ただ身内は難しい

③ ジェネレーションギャップ

④ 長続きするコツ→良い関係とお金

⑤ シュワルツ・ラウンド:同僚同士でストレスや悩みを分かち合う

 

〈全体会〉

●子育てのケアと障害者・高齢者のケアとではかなり異なる。また、他人へのケアと自分へのケア(セルフケア)とでも相当に異なる。この認識を踏まえながら、ケアとは何だろうということをさらに考えていく。

●ケアする・ケアされる、ともに罪悪感が生じることがある。それが強すぎる場合にはセルフケアが必要である。すなわちセラピーが必要な場合がある。

●ケアすることに空しさを覚えることがある。ケアに意味はあるのか?

●命に向き合い、命を大切に保っていくということがケアの中心にある。

●ケアする・ケアされるも人間関係、愛のひとつの形である。だから、その時のお互いの人間関係、愛の状態が具体的なケアのあり様に反映される。

●誰もが突然に障害者になり、ケアされる側になる可能性がある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○ケアとセラピーの話、「居るのはつらいよ」東畑開人

〇「母親と娘の関係」が多くでましたが、「父親の介護」を娘がする場合も同じか異なるか。

〇「距離や時間を保ち、○○し過ぎない」

する側・される側双方が心地良く長続きにつながるコツかなぁと思いました。

あとはお金!

〇義務感からケアしない。したいからする、と思えるケアだけする。他人からのケアは期待しすぎない。自立。お金の介在しない関係

〇「介護される、迷惑をまわりにかける罪悪感、無力感」と「介護したいのに(助けてあげたいのに)力不足でできない罪悪感と無力感」はどちらが辛いか?

〇ケアはされる側も罪悪感を感じることがあると思う。

ケアに限らず、「する・される」で引き起こされる依存や期待、罪悪感などを解消するには?

〇ケアする側もされる側も、お互いにある程度自立している状態がいいと思いました。

〇自分がケアされる側になった時、お金も含めて支えてくれる人がどのくらい居るだろうか?

〇参加して、父親に対する介護しないと言う気持ちにざわつきを感じるのは、セルフケアが必要だと理解しました。この国は少子高齢化で、専門に頼れるケアは何処まで可能なのか疑問です。精神、身体的ケアは突然自分もなる側になります。自分を始め、この国の教育で取り入れてほしいと思います。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 (記録:本間正己)

 

【第289回記録】 人生カフェ・中高年の哲学対話(入門編)・テーマ「面白い」オンライン

第289回目の人生カフェは、令和4年8月7日(日)午前10時~12時30分、20名(男性10名・女性10名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

テーマ:面白い

面白いとはどういうことでしょうか?

面白いと思う対象は人それぞれ多様です。

笑いを伴わない面白さもたくさんあります。

楽しいこと?幸せなこと?

現代において、面白いはそれなりに高い価値のような気もします。

「人生を面白がる」ってどういうこと?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

最近あなたが面白いと思った小さなエピソード(ひとつだけ)

(例)絵本を読むこと

*株FXトレードソフトの修正♪

*イスラム教における性に関する捉え方

*家庭教師のトライのⅭⅯ ハイジ

*同じマグカップを反町隆史さんが使っていた♪

*生ごみ専用冷蔵庫の記事を読んで面白いと思いました。

*面白い=笑いだと思っていましたが・・・今考えると・・・虫や動物、人間の不思議さについて「面白いよね〜」とよく言っている私がいるのに気づきました!

*ヒューマンビートボックス

*トーマス・モアの話。断頭台へ上る階段の前で、死刑囚同士が「お先に」と譲り合ったという話がお面白いと思います。

*ボラ活動でウクレレ弾き語りをやっています。

*最近いい加減にいきることを心がけています。これは面白いです

*同じ本を読んだときの感想の違い

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)人生を面白がれる人は幸せか?

〇人を笑わせたり面白いと思わせるコツは何か?

〇なぜ、失敗などを面白がるのか?

〇面白いと思えるのは、どのようなときか?

〇面白い時と、面白くない時の、心身に現れる諸症状と有益性と有害性?                                                                                               〇面白いと、楽しいとの、違いについて?

〇面白さについて考えることは、面白くないのではないか?

〇なぜ面白くもない囚職(しゅうしょく、就職)を40年以上も続けなければいけないのか?

〇面白い人ってどんな人なのか?

〇人は何に対して、面白いと感じるのか?面白さを感じる観点の違いは、価値観の違い?

〇人生を面白そうに生きてるようにみえる人、本人はそんなに楽しくないのでは?

〇面白いと捉えたほうが副交感神経が働きやすい?

〇具体的に面白いと思う人は誰ですか?

〇人生で一番面白かった事は何でしたか?

 

今回は問いを一つに絞らずに、後半の対話を始めた。

 

全体において(約5分)、ブレイクアウトルーム(4個、1グループ約5人)に分かれて(25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

〈各ブレイクアウトルームの報告〉

(ルーム1)

*充実⇔笑い

*深まり⇔広がり

*意外、予想外、裏から

*知的、ハマる、探求する

*主観的、感性、感度(年取ると鈍くなっていく?) 好奇心

(ルーム2)

1 人いそれぞれでなはない面白さの共通項は?。心身のゆとり気力の充実。予想外のこと。持続しない。 

2 不安に集中するおもしろさ 

3 お笑いの感受性はどこからくるのか?  文化 年齢  時代  面白くないでなく解らないではないか?

4 ネガテイブな面白いはある。

(ルーム3)

① 人の失敗や不幸を面白がるのは人に共通することか

② 面白い/面白がるの違い

③ 成功を面白くないと思うこととの関係(妬みなど)⇒優越感

④ 自虐性、暴力性を面白がるのは性差、個人差、国によっても違う

⑤ 自虐をネタにするときの目的は⇒コミュニケーションの入りやすさ

(ルーム4)

・もどかしさが面白い

・村上春樹

・人生を面白がった人が勝ち

・不謹慎

・笑うと解放される

 

●短期的な面白い(可笑しいなど)と、長期的・持続的な面白い(興味深いなど)がある。

●各人の価値観、感性によって、面白いところがかなり異なっている。

●他人の自分と同じようなところ(共感)から来る面白いと、他人の自分と異なるところ(違和感)から来る面白いがある。

●他人の面白いを自分の面白いに転換できる契機は何か?

●一定の安心感、余裕がないと面白さは生じない。

●対象との程良い距離感がないと面白さは生じない。その距離感からアイロニーやブラックの面白さも生まれる。

●面白いは多義的である(下記の〈参考〉からもそれは分かる)。

●反対に、「面白くない」とはどういうことだろうか?

●人間の存在そのもの、各人の有り様そのものに面白さを感じる。

●関西方面でよく使われる「オモロイ」とは何か? 人を喜ばせることができるという意味合いで最高級の誉め言葉のようである。

 

〈参考〉

おも‐しろ・い【面白い】 の解説(goo辞書から)

[形][文]おもしろ・し[ク]《もと、目の前が明るくなる感じをいった語》

1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。「何か―・いことはないか」「仕事が―・くなってきた」「この作品は―・くなかった」

2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。「この漫画はなんとも―・い」「―・くもない冗談」

3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。「夏休みを―・く過ごした」「無視されたようで―・くなかった」

4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。「―・い癖」「―・い声」

5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。「結果が―・くない」

6 風流だ。趣が深い。

「月の―・きに、夜更くるまで遊びをぞし給ふなる」〈源・桐壺〉

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人生、面白がったもん勝ち♪

〇しっぱいしたもんが勝ち♪ 888888

〇せっかくの残り少ない人生だ。面白がって生きなきゃ損だ!

〇新しい視点を知って良い経験でした。楽しかったです。

〇「面白い」の言葉から考えると、顔が白く、明るくなることで、顔が暗くなったら死が近いというか?面白がれなくなったら、人生の意味も薄まりそうな気がしています。

〇刺激が少ないほうが面白さを楽しめるという話がありましたが、若き頃、既知を球体に例えて自問したことがある。表面が無知と考えると、刺激が多くなり考え方がまとまることがある。

〇面白がれる⇒共感、好奇心 いいことも嫌なこと全て面白がれることが人生の成功

〇「面白い」もたくさんあって、深くて広いなと思いました。ありがとうございました。

〇人生を面白がりたい自分。ちょっと感度が鈍ってきたので、今日のテーマにしました。これから再点検したいと思います。

〇「面白い」を追求していった先には何があるのか?

〇問いを立てる際のスコープ(時空間)は年齢と体験に規定されがちなのか?

〇新しい問い:今後の人生で、どんな大失敗が出来たら良いと思いますか?(^^?

〇探求の面白さと笑いの面白さの話が興味深かったです。対象を面白さで書き換えることを考えたいと思いました。

〇面白い=不安、苦しさ・・・表裏一体?!フレディ・マーキュリー自虐ネタ?!人間はperfectではない!

〇面白いことが楽しいのではなく、面白しと感じる余裕が、楽しいのではないか? 自分ににとって満足感を与えるのではないか?

〇「なんでも面白がる精神」が、いろんなことがある人生を軽やかにステップしていくコツかも。面白がる=好奇心!?

〇面白いとは個人的に感じるものかと思っていましたが、優越感、自虐、勝つ、損する、など他者との比較で面白さを感じる人もいらっしゃると気付き、非常に面白かったです。

〇面白いと思うこと、との間には一定の距離が必要かもしれません。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第288回の記録】映画「サマーウオーズ」

第288回目の人生カフェは、2022年7月31日(日)14時00分~16時30分 計5名(男性2名、女3名 うち初参加1名)で、オフライン・リアル(新宿区榎町地域センター 大会議室A)で実施された。

(進行:田中あけ美)

 

まず最初に、自己紹介と感想を共有した後、

この作品を鑑賞後の問いを出してもらった。

 

【問い】

・ネットの仮想社会なら全ての人が平等(=理想的な)社会が作れるだろうか?

・どうして花札という設定だったのか?

・仮想世界はこれからどうなるのか?

・ラブマシーン(AI)が暴走したのはなぜか?

 →侘助は「知識欲」を与えただけ(情報と権限を集める)といっていたが、、、

・ラブマシーンはなぜひとりで支配しようとしたのか?

・栄おばあちゃんはなぜ主人公の健二くんを彼氏として認めようとしたのか?

・おばあさんの声掛け「あんたならできる」は男どもに絶大な力を発揮するのはなぜ?

・栄おばあちゃんが認めれば全てOKなのはなぜ?

・おばあちゃんの人脈的声掛けの世界とOZのネットワーク世界が対比されているのか?

・栄おばあさんの子どもたちのつれあいがいないのはなぜか?

・どうして家族の絆をテーマにしたのか?

・栄おばあちゃんの死は家族にとってどんな意味を持つのか?

・栄おばあちゃんが亡くなった後で、なぜ男たちと女たちが異なる行動に走ったか?

・どうして数学オリンピックになり損ねたケンジがOZの発行するパスワードを解けたのか?なぜ数学オリンピックという設定なのか?

 

以上の問いから

 

●前半は映画の中の具体的なシーンやセリフからのの問い(人生カフェ的小ネタ)

・栄おばあちゃんの死は家族にとってどんな意味を持つのか?

・栄おばあちゃんが亡くなった後で、なぜ男たちと女たちが異なる行動に走ったか?

などの問いを入口に対話を始めた。

 

●後半は、より抽象的な問い(大ネタ)

・ネットの仮想社会なら全ての人が平等(=理想的な)社会が作れるだろうか?

・仮想世界はこれからどうなるのか?

・ラブマシーン(AI)が暴走したのはなぜか?

など仮想世界やAI、インターネットのつながりなどについて対話した。

 

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・哲学カフェについて色々調べずに参加しましたが、実際に参加してみて楽しかったです。

 一つの映画について、これほど議論したのは初めてで、「なるほど!」と思わされる視点ばかりでした。栄おばあさんはとても大切な人物で、この人の死の影響も何か伝えたいメッセージがあったというものや、栄おばあさんの死から男女で行動が変わったなどもひとりでは思いつかない視点だったので、とても良い勉強になりました。

 

(新たな問い/もう少し話したいこと)

・おじさん、おばさんたちのセクハラ、パワハラ発言について

・甲子園へ向けて(了平の位置づけ)

・アバターを使ってメタバースを楽しむことができるか?

 

・いずれにせよ、大家族、田舎はなくなっていく・・・?

 

・デジタルからこぼれ落ちるリアルとは何だろう?

 (次世代の人をAIだけでなく育てるポイント)

 

・便利なコンピューターネットワーク世界に全てをゆだねないためには?

 哲学対話(リアルな)?

・従来的な「家族の絆」ではない人と人の関係とは?

 

・仮想世界と現実世界どちらにも必要なのは、人間の倫理観、想像力なのでは?

・人のつながりはリアルな家族以外でも必要である。

 

 

(記録:田中あけ美)

 

【第287回記録】(デスカフェ風)・テーマ「一人称の死(わたしの死)」・問い「なぜ私の死は怖いのか?」・オンライン

第287回目の人生カフェは、令和4年7月28日(木)午前10時~12時30分、18名(男性9名・女性9名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。) (話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)(本日の文章記録・グラレコは後日参加者に送付します。自分が発信した内容について訂正や削除をしてほしいところがあればご連絡ください。)

 

テーマ:一人称の死(わたしの死)

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。今回は、「一人称の死(わたしの死)」に焦点を当てます。もちろん、話は二人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

問い:なぜ私の死は怖いのか?

今回は問いをあらかじめ設定しておきます。私の死に対する私の感情を考えていく場合に、「恐怖」の感情は外せません。ほとんど恐れを感じない人から、強い恐怖感を抱いている人までいます。今回は「死の恐怖」という感情から出発して、私の死に対する様々な感情について考えていきたいと思います。

 

まずは、導入のプログラムである。

私の死に対する自らの感情を3つ挙げてください。

(例)恐怖・悲しさ・安らぎ

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

*不安・解放・感謝

*平等・未知・別れ

*生を受けた日から死が始まる。なので、生きた証を残す。

*怖い・不安・解放

*困惑 不安 順番…続く

*恐怖と不安とあきらめ

*①死はそれほど怖くない。今現在。②病気治療で痛い思いはしたくない。③家族に別れの辛さを与えるのが辛い。

*死を身近に感じてる自分を最近感じる

*不可知、無感覚、灰色

*・ふん!(知らんぷり) ・楽観(妄想) ・怖い(錯覚・無知)

 

その後、「なぜ私の死は怖いのか?」について、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●死は未知、未経験ゆえの恐怖・不安。

●痛み、苦しみが伴う死に対する恐怖。死ぬ直前に最大級の痛み、苦しみが来るかも?

●痛みは死の問題ではなく、生の問題ではないか?

●生きようと必死に抵抗し、もがいている自分になりそうである。生への執着が恐怖をうむのかもしれない。

●楽しいことができなくなってしまうという恐怖。

●自分自身の存在が消えてしまうという恐怖。

●現実の命が亡くなる死と人から忘れられる死がある。

●誕生前と死後は何が同じで、何が違うか?

●眠りと死は何が同じで、何が違うか?

●私(自分)というものをどう捉えるかによる。①心(意識、感情など) ②身体 ③他人との関係

●死に対する私の感情は変化していく。年齢、年代による違いもある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○半年後に死ぬとわかったら、仕事は、どうしますか?または、何をしますか?何を捨てますか?

〇なぜ私の死は安堵なのか?

〇一人称の死はまさに人それぞれだと思います。この次は二人称の死についてみな様のご意見を聞きたいと考えます。

〇供養すると墓の中でいじめられなくなる気がする。

〇ある番組でこれからは医学が進んで人間は死ねない時代が来るそうです。

〇恐怖や不安はありますが、死ねないとしたらもっと恐怖。生きている間は朗らかにまったり生を楽しみたいと思います。

〇気づき: 自分の死は自分の意味分だけいろいろある。先に死んだ人に会える楽しみがある。

〇自分が死んだあと自分がどうなるのかが気になってきました。

〇自分の感情を見つめ直す。①心(意識)②体 ③他人との関係

痛みは体のことに注目しがちである。

〇どちらかというと非宗教的な話や人が多かった。人によって考え、感じ方が違うのが当然。だから、一部理解できない話があってよい。

〇自分が死ぬということを考えると私は強い焦りを感じる。死ぬまでにできるだけ自分が納得した生き方をしたいと考えていることに気づけた。

〇やっぱり怖い。恐怖ない人の話ももっと聞いてみたい。

〇なぜ死が怖いのか…。今わからない。

〇寝る前は怖い♪

どうせ死ぬのなら、もっと死に物狂いに♪

恐山=死のディズニーランド?

お墓問題=既に死んでいるのに?(^^?

〇死への怖さは感じなくなった。それは何故かを考えると、一つは夫の死で恐怖が消えた。もう一つは自分がなくなることはない、自分も夫と同様、煙になるか昆虫類に食べられるか微生物に分解されるか分からないが、分子に分解されてまた別の有機体の一部として存在し続けると気づいたから。今まで楽しいと思っていたお金のかかる快楽には興味がなくなった。生きている間は日々生かされてことに感謝し、自分を楽しませて周りの人と楽しく過ごせればよいと思う。唯一の懸念は、死ぬ前の肉体的痛みにどれくらいの期間耐えなくてはいけないのか、ということだが、緩和ケアの話を聞いて救いを感じた。孤独死にならないようなサービスは随分きめ細かくなっているので、自分が意識があるうちに契約しておこうと考えている。私も先立った人が迎えにきてくれる、逆に言えば迎えにきてもらえないうちは、まだやるべきことが残っているのだと思う。

 

 (記録:本間正己)

 

【第286回記録】人生カフェ 哲学対話 オフライン テーマ「寝る・眠る」

第286回人生カフェは、令和4年7月23日(土)午後2時~4時30分、新宿区榎町地域センター工芸美術室において、6名(男性4名・女性2名)の参加者のもと、オフライン・リアルで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

今回のテーマは「寝る・眠る」であった。

(PRの際のリード文は以下の通り)

皆さま、寝るのはお好きでしょうか、お上手でしょうか。

誰もが毎日している寝る・眠る行為ですが、あなたと私で、寝ることの意味や、睡眠との付き合い方が違うかもしれません。

一方で、寝ることはひどく個人的な行為で、なかなか人と共有しないもののように感じるものの、電車の中でみんな恥ずかし気もなく寝ているのは不思議な気もしてきます。

寝苦しい季節が到来しましたが、いま一度「寝る・眠る」ことについて向き合い、皆さんで考えてみませんか。

(ここの会は不眠などのお悩み相談、カウンセリングの場ではありません)

 

まずは、導入のプログラムとして、自己紹介とともに、「毎晩どうやって眠りについているのか、いつもの眠るまでの儀式」を話してもらった。

例)…次の日の段取りを考えているといつのまにか寝ている。子供の頃は布団の中で神様にお祈りしたり、空想をしていた。

 

・お酒をのむと自然に眠ります。

・翌日の予定の確認 →メモにする。離れて暮らす家族(子どもたち、姉妹たち)の健康を祈る。

・特になし。流れに自然にまかせる。小さな習慣として、歯みがき、スマホの電源を切る、カレンダーのチェック、テレビを観る。

・本・新聞を読む、軽くストレッチする、家内の手のひらをマッサージする、携帯を避ける。

・哲学関係の本を読む。数を数える(1, 2, 3…)。

 

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。

出された問いは次の通り。

例)…スマートな眠りとは どんなものか?

・よい睡眠を目指すことは必要か?

・よい睡眠って何?

・睡眠時間が人により異なるので、適切な睡眠時間は何時間?(年取ると睡眠時間は短くなる?)

・眠りとは何か。その内容と世界とは?夢はどう関係するか?

・眠るとは何か?

・「寝る・眠る」 の「休息」以外の意味・意義は何だろうか?

・眠りと死は何が違うのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、「よい睡眠って何?」が選ばれた。

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

 

・眠ることは楽しい、快感。リラックスしている。

・眠ることはあまり好きではない。時間がもったいないので、体や脳が正常を保てる、かつ短時間睡眠のギリギリの線をねらいたい。

・睡眠について、健康な時や充実している時は考えなかった。体や調子が悪いときに考える気がする。ストレスや心配事で眠れないとき、不眠でつらいときなど。

・高齢になると翌朝目覚められるか不安で眠るのが怖くなるときく。

・眠ることにより脳や体を休めるのは大事。睡眠中に脳内で情報を整理している。

・睡眠に休息をとる以外の意味・意義があれば、それを達成できる睡眠がよい睡眠なのではないか。

・睡眠はその日を終わらせる役割があり、リセットする、節目になっている。

・昼間の実生活や活動に価値があり、それを支える睡眠という構図になっているのでは。手法はそれぞれだが、それ以外の睡眠の価値とは。

・睡眠と死の違いに夢がある。夢をみているときにいろいろ閃いたりヒントを得ることがある。

・夢には願望があらわれるときく。

・夢をたくさん見る眠りがいい眠りなのか?

・若い頃は夢をたくさん見たが、最近は見なくなった。見る夢はパターンが決まっている。

・犬猫など動物のように、眠いときに寝る眠りが最も自然なのではないか。

・地球の自転に合わせたリズムを刻むことに睡眠も一役買っている。

・睡眠には成長を促す作用もある。人類は長時間の眠りによって脳を発達させた。睡眠にはそうした生存戦略や進化の側面もあるのでは。

・赤ちゃんや子供は非常に気持ちよさそうに、幸せそうに寝ている。不安や恐れがない睡眠は幸せにもつながるのでは。

・赤ちゃんもお年寄りもたくさん寝ている。眠ることは成長・進化につながる。

・赤ちゃんの睡眠は成長・発達、お年寄りは省エネ・疲労回復の意味が大きいのでは。

・体の声に沿った睡眠がよい睡眠では。

・現代は夜も光に溢れ、ネットやテレビなど情報や娯楽も多い。やることがたくさんあり、夜と睡眠が結びつかなくなっている。

・夜はYou Tubeなどを見ており、たくさん見たいものがあって時間が足りないが、今の生活がいいとは思っていない。

・睡眠によるリセットの作用が大きいと思う。直線で続く時間をいったん終わらせ、また浮上させる、波のようなリズムを作る。

・昔は睡眠によるリセットを社会単位で行って、共有していたが、現代は世界中がつながり、眠らない社会になってしまった。眠らない現代社会では自分で意識して睡眠を取る必要があり、睡眠との付き合い方が難しくなっている。

・リセットをしないとどうなるのか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

・不幸な時代に幸せな眠りを実現させるために世界の平和のためにお祈りして眠ることにします。

・眠りとの付き合い方は時間・社会との付き合い方につながる。「食べる 」と同様に生き様が出る。

・「寝る、眠る」の儀式を大切にしたい。マインドフルネス、瞑想 (ベータ波など) 、祈りなど。

・「眠り」の事を深く考えると、眠れなくなりそう。あまり考えず体の声を聞くようにしよう。効率的な睡眠時間は、ひとまず休憩し昔に戻ろう。

・β波の充実は何をもたらすか(起きている時の脳波)?幸せをもたらすか?α波、θ波→眠りの脳の楽しさ。

・大人は自分の「眠り」に自由にとらえて責任をもっていればいいと思う。が、全ての小さい子どもたちが安心して眠れる社会であってほしいと思う。

 

眠ることは誰もが毎日しているものながら、非常に個人的な事柄であり、改めてみんなで向き合い、思いや習慣を共有できて楽しかったです。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました!

(記録:羽田美里)

 

 

【第285回記録】 人生カフェ・女性編・テーマ「人間関係の修復」オンライン

第285回目の人生カフェは、令和4年7月21日(木)午前10時~12時30分、13名(女性12名・男性ファシリテーター1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

女性の方のみを募集しています。お互いの安心のために、参加されて1回は顔出しをお願いします。その後は顔出しでも・出さなくてもいいです。話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。途中退出も可です。お試し参加の方も歓迎です。

参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

 

テーマ:人間関係の修復

人間関係はしばしばこじれてしまいます。

こじれた相手とは距離をおいて、そのままにしていることもあります。

しかし、修復したい関係もあります。

ケースバイケースかもしれませんが、修復することに意味はあるのでしょうか?

修復する力とは何でしょうか?

修復するための工夫とは何でしょうか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

最近あなたが人間関係の修復に成功したまたは失敗したエピソード(ひとつだけ)

(例)何もなかったように、あのことは忘れたように接すること3カ月で何とか修復できたか?……

(話をしたい人のみ、この質問に対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*20代の頃に大喧嘩した相手と今は復活した。

*母と成功も失敗もない「なし崩し的な関係修復」

*細かいことを見ないふりをしていたら、ある時限界がきてしまった。

*「忘れたふりをする」とは、結構苦しくないですか?

*子どもの頃から母が大嫌いだったが、今は普通に接している。

 

参加者には、テーマに関する自らの問いをひとつ出してもらいます。

(例)人間関係を修復したい相手と修復したくない相手の違いは何か?

チャットに書いてくださった方には、問いの背景、理由などを1分以内で説明していただきます。

今回は問いを一つに絞ることはしないで、後半の対話を行います。

〇関係を修復したくなる程の大事なものってなんだろう? (せざるを得ない場合は除いて)

〇どんな形の人間関係の修復を望んでいるのか?

〇相手は関係が悪いという自覚はなく自分は関係が悪くなったと思っている場合、関係の修復は可能か?

〇相手が離れていった場合、自分から離れた場合で、修復願望は変わるのか?

〇修復したくないあるいはできそうにない関係は断捨離の対象なのか?

〇自分にとってプラスになる人となら修復を望む・・・修復しないといけない人間には何か意味がある?!

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個、4人ずつ)に分かれて対話をした。(25分)

各グループの簡単な報告は以下のとおりです。

ルーム1: 1 双方向、2価値観、3数の圧力、4居場所、5幻想vs幻想

ルーム2: ・自分はどうしたいのかを自分に問う  ・過去の事を謝りたいと思う気持ちがあるが、それが修復したいのかどうかはまた別な気がする  ・感謝を伝えたり解きほぐす  ・ママ友は子どもをはさんでいるだけにこわいものがある  ・母、おば

ルーム3:1期間限定、2交流の頻度、3近づきすぎ、4仲良くしなければいけないという思い込み、5自分とつながる

 

全体において(約40分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●人間関係が生じる場によって異なる様相~家庭、学校、職場、地域、その他フリーな場などによって異なる。

●1対1の関係か、集団との関係かによっても異なる。集団に所属し続けるために人間関係を修復しなくてはならないことがある。

●ママ友は期間限定の人間関係か?

●人間関係を続けたいのは、有用・有益だからか、楽しいからか、それともそれ以外の理由があるか?

●SNSの関係は浅いから、そもそも修復ということもなく、あっさりと切ってしまう?

●お互いに深入りしない、希薄な人間関係もいいものである。

●時間が人間関係の修復をしてくれることもしばしばである。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇相手のことを認めること、距離感が大事だと思いました。ありがとうございました

〇年を取るとともに、修復したい人が減る。断捨離したい人が増える。ということはある。私にはあるという事実。

〇今日、皆さんの話を伺いながら、私に関係修復の連絡をしてくれて、更に勤務先でばったり会った友人は、かなり縁があった人なんだろうなぁと思いを馳せました。喧嘩した事とは違いお互いに良い大人。距離感を大切にしながら、細く長く関係を続けていきたいと思います。

〇家族とかの なし崩し的、なんとなくいつの間にかその問題がなかったことになっている人間関係の修復は なぜ起こるのか?

〇リアルで壊れたり修復したりする人間関係の体験は自分の糧になり、人生の深みが増すのかなと思いました。

〇自分の中に数カ所の止まり木を持って、しがみつかない人間関係を築く。

〇関係性や関係の修復についてお話を聞いて、改めて自分のコミュニケーションの仕方や価値観を知れました。

〇「わたしとわたしたち」 「病を市に出せ」 移住した徳島のおじいちゃんとおばあちゃんの言葉です。   わたしと私を周りを取り巻く人の境界線をあえて、あいまいにすることも人間関係修復なのかなって思いました。

〇修復しなくてもいいと思う人の特徴が、共通して深入りしてくる人だったとわかってスッキリしました。

〇親子の修復、友達との修復・・・自分の中の思い込みは大きいと思います。実際、ママ友は期間限定だな〜と思いながら付き合ってます。

〇人間関係の修復は、結局はメリットの有無? メリットとはどこらへんのことだろう?

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第284回記録】 人生カフェ・中高年の哲学対話(入門編)・テーマ「勇気」オンライン

第284回目の人生カフェは、令和4年7月16日(土)午前10時~12時30分、13名(男性10名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

テーマ:勇気

勇気はアリストテレスが重視する4つの徳のひとつです。

臆病ではなく、それでいて向こう見ずでもない、まさに中庸の力です。

困難な課題にも立ち向かっていく力です。

現代において勇気はどのように捉えたらいいのでしょうか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

*導入のプログラム

最近あなたが小さな勇気を発揮したエピソード(ひとつだけ)

(例)義理の伯母さんの葬儀に大阪に行ったこと

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

*本とアルバムを処分したこと。

*「こんにちは」と先に挨拶すること。

*同い年の結婚36年の妻に「おまえ、ほんまにかわいいなあ」と勇気を出して言ったら、「きもい!」と一蹴されましたわ(笑)

*最近勇気を意識したことがありません。

*塗装工事の我が家の担当者に不安を感じて責任者と話し合いの機会を持つ必要があると感じて申し出ました。勇気がいりました。

*癌になりました。手術の方法を決断。

*市バスで、赤ちゃんを抱いたお母さんやご老人に席を譲ってあげたこと。

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

〇自分は他者に何の見返りも期待しないホスピタリティが出来ているか?

〇私にとって一番緊急で困難な課題とは何か?

〇勇気と蛮勇(向こう見ず、無謀)を分けるものは何か?

〇臆病と蛮勇の中間(すなわち勇気)をどのように見定めたらよいのか?

〇勇気を出して新たな行動を起こすとはどういうことか?

〇勇気には、どのくらいのエネルギーが必要?そしてストレス度は?

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「勇気と蛮勇(向こう見ず、無謀)を分けるものは何か?」を選んだ。

 

その後、全体において(約10分)、ブレイクアウトルーム(3個、1グループ約4人)に分かれて(25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●蛮勇には理性がうまく働いていない。行動の目的の吟味が十分でない。計画性が乏しい。影響や結果をあまり考えていない。

●外側から見える行動としては、①能動的なアクション、②逃げる、③何もしない、に分類される。

●その見える行動に対して、他人は臆病とか、蛮勇とか、勇気があるとかと判断する。当人は単にやりたいようにやっているだけかもしれない。

●内面的には、失敗への恐怖・不安を乗り越えて、新しいことに挑戦した時に、自らの勇気を感じる。

●質問する勇気、嫌われる勇気、助けて!と言う勇気………。

●成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである。

●人に勇気を強制してはいけない。勇気はその人の美徳ではあるが、勇気を美化して他人に押し付けてはいけない。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○蛮勇は悪いことなのか?

〇齢を重ねると、勇気を出すことは楽しいことになる。

〇勇気も正解はなく、逃げの勇気もあり、次へのStepと前向きに捉えて、他人からの評判などに左右されず、自然と勇気という認識なしに行動できることが重要だと感じた。

〇勇気の課題からいろいろ発展して面白いです。

〇勇気と子育ては、関係していると感じました。明日死ぬと医師から言われたら、どんな勇気が必要になるのでしょうか?

〇勇気から人の有り様や世相にまで話が広がり大変有意義な時間を過ごせました。

〇勇気とは、慣れてしまっていることではなく、何か新しい、未経験、未知なものに入っていく時に抱く気持ちのような気がする。

〇一言で勇気とは・・・ドキドキすること!停滞するにも前に進むにも勇気が必要で、そのときに脳や心臓に負担がかかり体が反応している時、勇気を出しているんだな〜と思いました。

〇受援力と勇気と後悔と。

〇楽しむ余白があることが勇気。

〇勇気って、瞬発力かな、とも思いました。それと、やって後悔するほうが、長い目でみれば良いことが多いというのは、具体的にもっとどんなことがあるのか、もっと知りたいと思いました。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第283回記録】 人生カフェ・女性編・カメラオフ・テーマ「軽蔑」オンライン

第283回目の人生カフェは、令和4年7月14日(木)午前 10時~12時30分、14名(女性13名・男性ファシリテーター1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

女性の方のみを募集しています。お互いの安心のために、参加されて1回は声を出してください。

参加者全員がカメラオフ(顔出しなし)にします。

話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。

途中退出も可です。 お試し参加の方も歓迎です。

(参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

 

(PR用リード文)

テーマ:軽蔑

軽蔑とは何だろう?

自分が軽蔑されれば当然に不快になる。

言葉で言われなくても相手からの軽蔑は分かることがある。

止めることもできず相手への軽蔑の気持ちが生じることがある。

他人をいつも軽蔑している人がいる?

上に向かうのが嫉妬、下に向かうのが軽蔑だろうか?

軽蔑は嫌悪と怒りの融合か?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラム:

あなたが最近、軽蔑された、または軽蔑したエピソード (ひとつだけ)

(例)アルバイト先で先輩の女性から、私の仕事ぶりに関して軽蔑された感じがする。

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

*友達に貴女は私をいじめていると言われた。

*友人の子ども(3姉妹)の名前がいずれも「キラキラネーム」と呼ばれるもので、パッと見で人名とはわからない、普通に読めないような漢字だったので、内心軽蔑してしまった。

*前歯が大きくかけている人はみっともないと思う。

*フリマサイトで購入した商品を送ってこなかった。私からのキャンセルを待って悪い評価がつくのを避けた人

*お医者さんに軽蔑された感じがした。

*元キャバ嬢で今は実業家の方のTwitterを読んで、内容があけすけだったので軽蔑した。

*我々おばさん事務員たち(50代)の上に別なところから据えられた「なんとなくズレてる」課長職男性(40代)に対して・・・

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

(例)軽蔑はなぜ生じるのか?

先着7名の方には問いの背景、理由などを1分以内で説明していただきます。

出されたものは以下の通りである。

〇軽蔑は悪いこと?軽蔑にも役割や効用があるとは考えられないだろうか?あるとすればどんなものがあるか?

〇軽蔑は避ける事が可能だろうか?

〇人は何故人を軽蔑するのか?

〇軽蔑は、自分の心を守るための必要悪なのか?

〇軽蔑は伝染するか?

〇軽蔑という気持ちの根っこにあるものは何なのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「人はなぜ人を軽蔑するのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(ブレイクアウトルームは作らず、全員で対話した)(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●その人の価値観が許せない。その人に嫌悪感が生じる。

●それは人格面(全部)に対してか?行動面(部分)に対してか?

●相手を貶めて、自分を上にすることによる快感がある。

●それは子どもっぽい感情かもしれないが、自分を守っている面もある。

●自分に対する軽蔑もある。自分を振り返り、自分に視線が向けられている。それは過去の自分に対しても、現在の自分に対しても。

●これは自尊心、自己肯定感がどのようにあるかに関わっている。

●他人に対する嫉妬は上に対して、軽蔑は下に対してある? 人と比較し、ジャッジをし、劣等感や優越感を持つ。

●他人への軽蔑を多く振りまいている人にはあまり近づきたくない。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○日本の男性は特に年配の方は女性を軽蔑している方が多いかな。

〇嫉妬も軽蔑も、されたくないし、したくない感情ではあるが………?

〇軽蔑にまつわる気持ちを考える事で自分が大切にしているものが見えてきた気がします。ありがとうございました。

〇軽蔑は過去の自分や自分にも向けられているという視点は今まで強く意識したことがなく、もし今後「軽蔑」という感情が沸いてきたら相手のことだけでなく自分のことも振り返るきっかけにしようと思いました。

〇軽蔑の先にあるものは何なのか?→続きは「人間関係の修復」へ

〇軽蔑が悪いというわけではないのですが、早めに手放してスッキリしておきたいです。

〇軽蔑の背景には、自分が自負している部分やコンプレックス、不本意ながら自分に強いていること(思い込み?)などが見え隠れすることに気づいて、考えれば考えるほど込み入った感情で面白いなと思いました。一応、自分の中で納得のいく解釈に辿り着いた!と思ったら、また見失ったりして、「自分の問いや考えが変わっていくことを楽しむ」ということがバッチリできたと思います💡あっという間に感じられました。とても楽しかったです😊ありがとうございました。軽蔑も指標になる。うまく付き合っていきたい。たくさんメモをとりながら参加していたので、この会のおかげで迷わず「軽蔑」と書けるようになりました✍️ありがとうございます!

〇マインドフルネスを学び始め、「ジャッジしない」を意識するようになってから、軽蔑などの負の思考が減りました。自分を他人と比較していることが軽蔑や羨みなど負の感情になっている気がします。

〇軽蔑にも種類がある。

・線引きとしての ex.キラキラネーム、過去の自分

・マウンティングとしての ex.女性蔑視発言

・抵抗としての

〇軽蔑することで

・他の優先度が高いことに注力するための振り分け

・違和感を振り返る

・自分の進む道や立ち位置を確認する(良くも悪くも)

する効果?があるのだなあと思いました。

軽蔑される方は・・・ちょっと嫌ですね、今は考えたくないです(笑)

〇自分のマイナス感情について落ち着いて考えられてよかったです。この感情をこれからどこへやろうかなと思います。

〇軽蔑という言葉に、思っている以上に抵抗感がある自分に気付きました。軽蔑の感情を仕分けし始めると、怒りや嫌悪感や嫉妬や、そして自分を守るために必要な…と、いろいろ出てきて、まだモヤっとしてます(笑)。

 

 (記録:本間正己)

 

【第282回記録】人生カフェ・カメラオフ・「参加者でテーマを決める」⇒「生きがい」・オンライン

第282回目の人生カフェは、令和4年7月10日(日)午前 10時~12時30分、22名(男性9名・女性13名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

参加者全員がカメラオフ(顔出しなし)にします。

定員25名という大人数で開催します。

話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。

テーマ:参加者でテーマを決める

当日は参議院議員選挙の日です。

参加者の皆さんで対話のテーマ候補を出し合って、投票によって後半の対話のテーマをひとつに決めましょう。

当日に決まったテーマをめぐって、即興的な対話を気軽に楽しんでみましょう。

皆さんが一緒になって、いろいろ考えてみましょう。

 

テーマ出しから始めた。

参加者には、対話のテーマにしたいものをひとつ出してもらいます。

今回は「問い」ではなく、「テーマ」です。

(例)選ぶ

(例)懐かしさ

チャットに書いてくださった先着7名の方のテーマを、テーマ決めの際の選ぶ対象とします。

テーマを出してくださった7名の方には1分程度で、テーマの背景などを説明していただきます。

*記憶

*対話と愛

*あなたの考える理想の社会

*旅

*暴力

*生きがい

*在日外国人

 

今回は投票によって、後半の対話のテーマは、

「生きがい」を選んだ。

 

その後、全体において(約10分)、ブレイクアウトルーム(4個)に分かれて(25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●生きがいは退屈の反対か? 当人にやりたいことがあるかどうかがポイントである。

●生きがいに当たる英語は? ライフワーク? reason to live? ウエルビーイング? エンパワーメント?

●ネガティブな生きがいというものもある。復讐、敵討ちなど。

●ネガティブな生きがいを持続させることは難しいのではないか。

●me too運動のように、怒りが多くの人の共感や連帯を生み、持続していく場合もある。

●人間の弱さから、生存戦略として、生きがいという自意識が生まれた?

●空しさから脱するために、内側から突き動かそうとする力の現れとして生きがいがある?

●日々の仕事や生活に集中して暮らしている時には生きがいということをあまり考えない?

●何か目標値を持って、それに向かう使命感のような生きがいと、日々生きている中で感じるトキメキ、ワクワク感のような生きがいがある。

●今を生きる、あるいは今を生き直す力として生きがいがある。

●自らの生きがいは変化していく。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○行かなくちゃ君に会いに行かなくちゃ 傘がない

〇新たな問い:生きがいを考えるときは、どんな時? 仕事に生きがいを求めることは、是か非か?

〇改めて「生きがい」って考えてみるのはとても面白かったです。本当にどんどん変わっている事に気付きました。自分にとっては「幸せに生きるため」に日々の小さな楽しみとライフワークといえる大きな事、両方です。どちらも大切にしていきたいです。

〇小さくてもポジティブなものに転換できる生きがいを持ちたいという私の気持ち。

〇生きがいとは自分がポジティブな感情を持てるもので、落ち込んだ時に支えになれるもの

〇生きがいはスマホみたいなものかなと。持ってると便利で、みんな持ってるように見えるけど、実はなくても生きられる。

〇「生きがい」を感じるときは死に直面したときで 悔いが残る事が「生きがい」の内容だと思います

〇①新たな気づき: 私は、自分には生きがいは特にはありません。「生きがい」は自分への期待だと思っていました。話を聞いていて「生きがい」というのは、無くしたり、全うしたりして認識しやすくなるもので、その時に感じるのは、よほどの使命なのかも、と思いました。ありがとうございました。

〇生きがいとは、その日を生きるための楽しみ、日々変わるもの、という新たな視点をもらいました。

〇生きがいを考えるということ自体に余裕を感じます。人は、人生のほとんどを・・・・・ねばならぬことに生きてきたので。・・・ねばならぬことがなくなってサー何を張り合いにと思うのでしょう。

〇生き甲斐を感じるのは、自分自身がどうありたいか、という気持ちの問題だと思っていた。それは人に承認してもらう、自己承認を得られたときに喜びを感じることに繋がっていることだと気が付いた。

〇今日は、ありがとうございました。ネガティブな生き甲斐は、心が不安定になります。いろんな意見が出て参考になりました。

〇先ほど発言しましたが今私は骨折のあとで大変つらい状況ですが100国訪問を達成も持ってる自分を幸せにおもいます。あと15国です。

〇生きがいとは、ちむどんどんです。

〇多くの方々から様々な意見や考えをシェアして頂き、今日はとても有意義な時間になりました。ありがとうございます。生きがいにはネガティブなものもあるが、生きようとする力をあたえてくれるもの、それはどんなことでも構わないし、今すぐに見つからなくてもいい、日々の生活を営む中で、例えば掃除、洗濯等でも丁寧に暮らすことでそれを感じることも出来ると気づきました。これまでは幸いにもやりたいこと=仕事で、生きがいになっていましたが、探していく過程を楽しみながらそれを生きがいにしたいと思います。

〇生きていくのに精いっぱいなので、「生きがい」=趣味をつくるみたいなイメージ(自分の偏見)に、モヤっとしていました。でも、皆様のお話をきいて、生きがいは、瞬間瞬間を生き抜くための情熱・変わっていく目標だと気付き、視点が変わりました。ありがとうございました。

〇自意識、人間独特の弱さなしでは考えられない。突き動かす力が生きがいになるのならば、「傘がない」は確かに生きがいになるかもしれません。貧困にあえぐ国で自殺が少ないのは「傘がない」ことばかりかもしれないが、何かそれを生きがいと呼ぶにはまだ違和感があります。突き動かされていることを、どう感じているか、その在り様をそれぞれ生きがいと呼んでいる気がします。

〇生きがいって普段全く考えないで余裕なく生きているけど、楽しいことを日々集める行為自体が自分にとって生きがいだと振り返りました。そして何がいきがいかは人それぞれだなあ、そこに良し悪しもなく、楽しいことは楽しめばいいと割り切れたことが新しい気づきでした。あらためて人間っていろいろなことをモチベーションにできることにも気づけてみなさんのお話一つ一つがとても興味深かったです。ありがとうございました。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第281回記録】人生カフェ(デスカフェ風)・テーマ「二人称の死(近しい者の死)」・オンライン

第281回目の人生カフェは、令和4年6月30日(木)午前10時~12時30分、17名(男性8名・女性9名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。主催者・参加者の許可なくSNSなどに載せないでください。録音・録画は禁止です。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

テーマ:二人称の死(近しい者の死)

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「二人称の死(近しい者の死)」に焦点を当てます。

もちろん、話は一人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

 

まずは、導入のプログラムである。

*導入のプログラム

自分より先に死んでほしくない人とは誰ですか?

(例)妻、娘

話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。

(チャットに書いてくださったものは、後ほど匿名にして記録として公表します。記録に残したくない方はチャットに書かずに口頭だけでお話しください。)

*娘と息子です

*妻、娘、孫

*娘です

*仲が良かった妻

*別になし。すべてを自然に受け入れる。

*私の周りにいる人

*誰もいないです

*夫・息子・妹・友人

*息子

*両親がいなくなったので

*長男と長女と孫5人

*誰もいないです

*娘、息子

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

参加者には、自らの問いをひとつ出してもらいます。

(例)二人称の死によって、自分の生を台無しにしてよいのか?

チャットに書いてくださった方には、その問いの背景、理由などを1分以内で説明していただきます。

*今回は問いをひとつに絞りません。

〇二人称の死によって僕は未来を明るく生きていけるのだろうか?

〇死とは何ですか?

〇自死した友の人生をどう理解するか?

〇二人称の死んだ人は一人称の中で生き続けていると言えるか?

〇私が死んだら会えますか?

〇後に残された者の生きかたは?

〇なぜ先に死なれるのがイヤなのか?

 

その後、フリーに対話は行われた。(あくまで記録者の感想として、一部のみ記録)

●近しい者が死んだ後、忘れるか、忘れないか。

●死後の世界を信じるか、信じないか。輪廻転生を信じるか、信じないか。

●人は生まれた時から死に向かっている。

●人間以外の動物は死に対して、後悔やあれこれとは考えていないのではないか。

●亡くなっていく妻から「忘れないでね」と言われたこと~その意味合いは?どう受け止めるか?

●若い人や子どもの死は、なぜ年寄りの死よりは強く辛く悲しく感じるのか?

●若い人や子どもの方が未来への可能性が大きいと思うからか。弱い者、小さき者への哀れさを感じるからか。

●年寄りの死だって、若者・子どもの死と同じだとも言える。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○「忘れないでね」 に対して、私は、夫や息子に対しては「忘れられるわけがない」と思っている自分に気づきました。

〇82歳の母が亡くなったらもちろん悲しい。でも、私が先だったら母の方が困るし辛いだろうなぁと思います。人生も後半になると、死んでほしくないという思いと「看取りたい」とが入り混じりますね。

〇命と年齢 考えさせられた。

〇「忘れないでね」と夫に言えるほど自分の最期の時に、夫が自分がいなくなっても元気だろうと信頼したうえで、甘えたまま死にたいなと思ってしまいました。

〇亡くなった親に褒められたくて今を生きる。とても新鮮だった

〇生きるために死を考える。

〇死とはやはり悲しい。自分の身内やともだちの死は自分全体の何かがはがされ除去されたような気持ちになります。

〇死について考えても、答えは出ないので、生きている今の自分の都合のいいように考えればいいのでは?

〇なぜ近しい者の死は悲しいのだろうか?悲しさとは何か?

「忘れないで」「忘れて」どちらもその人の素直な気持ちのように思う。

〇死を通して命とは何か。ということを考えさせられた。新しい視点でした。ありがとうございました。

〇誰かが亡くなると悲しい。でも、闘病などの苦しみを思うと、「お疲れ様。楽になったね」という自分の気持ちもあります。

もし自分が「忘れないでね」と言うとしたら、「これからも見守ってるから思い出してね」かなと思います。

〇キューブラー・ロスの考えの中に否認・怒り・取引・うつ・受容の5段階があるように最後は残された者の使命・・与えられた任務があるのかなぁ。

〇身近な人の死について考える機会はあまりないですが、今日の対話で残される人、いなくなる人についていろいろ考えさせられました。

〇身近な人の死をどう受け止めて、その後をどうしていくか、もしくはいかないか。改めて考えさせられました。ありがとうございました

 

 (記録:本間正己)

 

【第280回記録】 「役に立つ」入門編(オンライン)

第280回目の人生カフェは、令和4年6月26日(日)午前10時~12時30分、23名(男性9名・女性14名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

テーマ:役に立つ

役に立つ(有用性)とはどういうことだろう?

この分業社会では、何かしら他人の役に立つことが生きていく上で必要な気もする。

役に立つ種類や度合いは異なる。

役に立つという尺度で、その人の価値は決まるのか?

役に立たない人とはどういう人のことか?

他人の役に立つと自分の役に立つとの違いは?

役に立つ・立たない以外の価値とは何か?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

今、あなたが人の役に立っていると実感できることは何ですか?

(例)地域施設の受付のアルバイトをしていること

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*在日外国人を遊びに連れて行ってる

*同居の母の食事管理をしていることです。迷惑がられることもありますが(笑)

*エクセルでデータを分析しています。いままでの仕事にかかった時間がかなり短縮できました。みんなの仕事が楽になりました。

*高齢の母のサポートや話し相手

*ゴミの分別を細かくすること

*道路付近の自宅の庭に季節の花畑を散歩する人が見学

*今年度からPTAの広報委員長になりました

*ママ友さんの気晴らしバス旅行に同行すること

*マンションの非常階段の雪下ろし(今は夏なのでやってませんが)

*老人ホームのおじいさんにお世話すると喜んで頂いております。

*ゴミ拾い

*スーパーのレジアルバイトで袋詰めをしたとき

*何の役にも、誰の役にも立ってません。私が生きている事は、日本では、皆の邪魔になっていると思い知らされる毎日です。役たたずは、日本では、生きる価値が無いのでしょうか???

*スーパーやコンビニで買い物をして、消費税を納めることで、社会(人)の役に立っているのかな、と思いました。

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)他人の役に立つという気持ちがないことは悪いことか?

出されたものは以下の通りである。

〇社会学で言うところの、社会的役割との違いは?

〇役に立った人に下心の感情を持つことは邪悪な悪いことか?

〇時代によって役に立つ事が違ってくる。たまたま時代が違ったことで、役に立ったり役に立たなかったりする。役に立つとはどうゆうことか?

〇役に立っていない人っているのだろうか?

〇役に立つの「役」とは何でしょうか?

〇解釈力・・思い過ごしもあるのではないか?

〇他人の役に立っていなければ、生きる価値はないのか?

〇どんな時に誰か(他人)が役に立たないと思い、どんな感情を持つか?

〇なぜ役に立ちたいのか?役に立つとはどういうことだろう?

〇有用性と生産性はどう関係してるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「他人の役に立っていなければ、生きる価値はないのか?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(4個)に分かれて(25分)、全体において(約30分)、フリーに対話は行われた。(記録者が印象に残った一部のみ記録)

●重度な障害者、重い罪の犯罪者は他人の役に立っていなくて、生きる価値はないのか?

●役に立つ(有用性)と生きる価値との関係は如何に?

●役に立つとは利益を生むこと。お金に関連することがある。

●使える人か、使えない人かで判断されてしまう。

●機能している自分というものがとても気になる。

●人の役に立つというより、生きたいように生きる、人生を楽しむという生き方がある。

●息をしている、存在しているというだけで価値はある。

●自分を喜ばせる、自分の役に立っている、といった自己充足的な自分軸。

●他人との関係、他人からの評価、生産性などが問われる他人軸。

●なぜ人の役に立ちたいのか?

●幼い頃から家庭、学校、地域において、人の役に立つような人間になるように教えられ、無意識的に刷り込まれている。

●人の役に立ち、人から感謝されると嬉しい。

●人の役に立つという意識は、社会生活を円滑に行っていくために、いい規範(ブレーキ)になっている。

●人は経済的・身体的・精神的に余裕がないと他人のために役に立つ行動はできない。

●本当に相手の役に立っているのか? 相手のニーズに合っているのか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○ママ友とのバス旅行話をされた話について私の喜びに繋がり役に立ちましたよ~♪

〇◎役に立つ~利益、お金? 

他の価値の軸がある。*楽しい *善い *存在している

〇人と猫は違いますが、猫は生産性が全くと言っていいほどありませんが、役に立っています。

〇衣食住足りて云々ということがあるように、つまり、余裕があっての事なのではないか?

〇肢体不自由者のかたに愚痴られますがそうだと思いますよと肯定すると喜んでくださいます。まあ役に立っているかなと思います。否定しないことは大事かなと思います。

〇現役の時貯めた貯金を老後に使うことで 身体が役に立たなくなっても お金の支出が役に立つ  現役の時貯金をしよう

〇途中までの議論で「役に立つ」は有用性・生産性とは別の話で、自己満足でよいのかなと思いました。が、それだけでよいのかどうかよくわからなくなりました。

〇生きてるだけで◎

〇どうやったら役に立つのかを探していた自分に気付きました。自分を高めることにもなるのでしょうが、それが本当にやりたいことなのでしょうか?分かりません。感謝される人になりなさい、役に立つ人になりなさい、という言葉?教育?を思い出してしまった2時間でした。

〇機嫌よく放っておく、という言葉が印象的。人生の最後にもし脳死になったら臓器提供ということで役に立てるのかも、と気づいた。

〇テーマと今回の話からヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を思い出しました。どんな状況にあっても、その状況にどのように振る舞うかという精神の自由だけは、奪うことができない。その意志やふるまいによって態度価値を示すことができる。

〇笑顔☺️ 感謝 存在している 呼吸出来る

〇「役に立つ」って、結局、人間が他人に勝手に要求しているものを勝手に言語化したものに過ぎないのかな、と思いました。よって、自分の存在を肯定できる定義付けができればそれで充分だと思いました。先ほどの「自分軸」の考え方素敵だな、と思いました。本日は貴重な機会をありがとうございました。

〇「役に立つ」と生きる価値のリンクが豊富なほど幸福度が高いという考えはおもしろいなと思いました。

〇役に立つとは自分軸と他人軸(社会軸)があるということは勉強させてもらいました。自分が変わらなければ何も変わらないのでは。自分軸が笑って感謝していれば他人軸にも伝わるのでは。

〇・存在するだけで「なんだかいい感じ」 - 和顔施

・役に立つに自分軸と他人軸がある

・「生きづらさ」問題 - 他人軸がはらむ問題

※ありんこの社会は企業体か工場モデルでは?人間の社会とは違うかな~

〇喜んでいただけた=役に立たせていただけた、ということだと気づきました。

〇自分のなかでは役に立つか否かと生きる価値があるかないかが全く結びつかなかったので、この問いが選ばれたことがとても興味深かったです。ありがとうございました!

〇今日は初めて参加させていただきました。「役に立つ」という言葉に、無意識に、文字通りの有用性を超えた意味付けをしていることに、あらためて気付きました。テーマになった”役に立たないと、生きる価値がないのか”とか、”役に立たないと愛されないのか”とか、”社会人だから、役に立つべき”とか。皆さまのいろいろな視点からのお話をうかがって、もっとさまざまな軸で考えてみるきっかけになったと感じました。皆さまのお話をうかがいながら、あらためて立ち止まって考える、とても有意義な時間になりました。ありがとうございました。

〇臓器移植、ぜひ意思表示して下さい!自分の肉親は結局移植受けられませんでした。誰かの希望に必ずなります!

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第279回記録】 人生カフェ(カメラオフ)・テーマ「節制」オンライン

第279回目の人生カフェは、令和4年6月23日(木)午前 10時~12時30分、16名(男性6名・女性10名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

最初から最後まで(約2時間30分)、ビデオの停止(カメラオフ・顔出しなし)の状態にします。

聞くこと、話すことに集中します。チャットは使用します。

 

(PR用リード文)

テーマ:節制

ついつい食べ過ぎてしまう、ゲームばかりしてしまう、You Tubeを見続けてしまう……

分かっちゃいるけど、止められない。

理性が勝つ場合もある、欲望が勝つ場合もある、理性と欲望の葛藤がある。

節制とはどういうことだろう?

どうしたら節制ができるのだろうか?

節制しないといけないのか?

節制すると何がいいのか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラム:

あなたが最近した不節制な行い?

(例)フェイスブックの動画を長時間見続けたこと

(話をしたい人のみ、この質問に対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*飲みすぎて二日酔い

*ローソンにバナナを買いに行って、ついでに買いものする

*和歌山からのトマトを思い切り食べる。

*ポテトチップスはいつも一袋たべちゃいます。

*六花亭バターサンドを家族に隠して食べた

*カップやきそばをこっそり食べる

*旦那への文句注意を減らそうと節制に心がけようと思っているが全くダメなのです!

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

(例)節制は美徳か?

出されたものは以下の通りである。

〇目標のある節制は楽しいか?

〇節制が難しいのはなぜなのか?

〇節制と中庸の違いは何か?

〇楽しみだからこそ1日1個(回)などと、決められるのは節制と言えるのだろうか?

〇欲は生理的なものから生じるものもあるので節制すると却って有害な場合もあるのでは? (アルコールでストレス発散、糖分は脳で必要 等)

〇節制と不摂生(自分へのご褒美)は、バランスがとれていればOKか?  

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「節制すると、かえって有害な場合もあるのでは?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(ブレイクアウトルームは作らず、全員で対話した)(一部のみ記録)

●欲にはいいものも悪いものもある。

●片岡鶴太郎さんは節制によって自分の喜びを見出した?

●節制によって寿命を縮めたり、リバウンドで苦しめられたりすることもある。

●コロナ自粛の有害性は沢山見つかる。政治への声は節制してはダメ。気候正義という考えも始まっているが、エネルギー使用は節制すべきで、反例はあるか?

●理性と欲望の間の葛藤が大きいか、小さいかによって違ってくる。

●自分から節制するのと、他人から強制されて節制するのとでは、かなり異なる。

●大きな目的のために低次の欲望を我慢する節制と、日常的なたしなみとしての節制とは異なる。

●欲望を無くそうとはしない。⇒欲望をコントロールできるようにする。⇒欲望の優先順位を決める。自分にとって大切な欲望を明らかにする。⇒優先順位の高い欲望を重視する。その実現に向けて行動する。⇒優先順位の低い欲望は我慢する。

●本当にしたいことを見定める。信を定める。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○目標・目的のある節制を再認識しました。自分にとっての信はみなそれぞれでいいのではないでしょうか。

〇大好きな本に没頭していても、後ろめたさはありませんが、アマゾンプライムで連続ドラマを見た後は「これでいいのか・・・」な気分になります。

〇節制できない、葛藤して欲に負けてしまい罪悪感を抱く話はなぜ魅力的なのか?

〇欲望の優先順位①が決まりましたとともにそれ以外については節制を心掛けます。

〇過去に節制できた事を思い出し、その事に既に興味を持たなくなっている自分を思い出した。既に葛藤はなく他のものに興味が他に移っただけで、節制に成功したのではない?

〇節制の極限のようなものとして比叡山などで行われる千日回峰行という荒行があります。体もボロボロになり、死にも近いものですが、それにも意味はあるかと思います。

〇節制に楽しさなんてないと思っていましたが、自分の考える節制は「自分個人の目標」だったと省みて、そう考えたら節制も悪くないと思えました。

〇欲望のコントロールが必要で、その前に自分の心の中を整理しようと思いました。

〇自分を知る、他人を知る、欲望を見きわめる。

〇不摂生もだけど節制も欲、どの欲を優先するのか。「信を定める」いい言葉と思いました。 あと鶴太郎さんのイメージがピッタリ、刺さりました!

 

今回もMinamiさんから、記録用のグラレコを描いていただきました。ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

 

第278回人生カフェ 哲学対話 オンライン テーマ「父」

第278回人生カフェは、令和4年6月19日(日)午前10時~12時30分、11名の参加者のもと、オンラインで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

父の日に行った哲学対話では、この日ならではのテーマとして、「父」を取り上げた。

(PRの際のリード文は以下の通り)

一般的に、なぜか「母」よりも注目されず、話題になりにくい「父」。

家族のかたちやジェンダーの捉え方が多様化する中で、父のあり方も次第に変わりつつあるように感じます。

一方で、「父性」については、性別関係なく誰しもが持っているものですが、皆さんはどんなときに自分や他人の中にある父性を意識するでしょう。いまこの時代に、「父」や「父性」はどんな役割を持ち、どんな力を発揮しているのでしょうか。

父の日に改めて「父」に向き合い、その意味やあり方、関わりなどを考えてみませんか。

 

まずは、導入のプログラムとして、自己紹介とともに、「①父親の思い出 または

②父親にしてみたい有名人のどちらか1つをお話しください(②は歴史人物や物語のキャラクターなどでもOK。1分くらいで)」を行った。

 

〇「大草原の小さな家」ローラのお父さん。チャールズ・インガルス。

〇 弱い父(肝臓の病気)⇔しっかりした母。悪い人ではない。

〇父親の死後、全く想定外の思わぬ大発見があった。

〇酒を呑むのが好きな父が嫌い。

〇子供の頃のコロッケの思い出。

〇父親にしてみたい人は、やはり自分の父親以外にない。

〇光源氏。

〇普段は真面目で感情を出さない父。だけど本当は涙もろい。

 

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。

出された問いは次の通り。

〇父の影響と母の影響はどう違う。

〇父性は必要か?

〇父が嫌いになるのは、どんな時か?

〇理想的な父とは何か。

〇父性はいつ芽生える?

〇自分が社会人になった時、父の評価はどう変わる。

〇父性と母性は違うのか?

〇父の「弱さ」が受け入れられるときはどんな時か?

〇多様化する家庭内における父性のあり方とは?

〇自分と父親と同じところは?

〇父性愛とは何か。

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、「多様化する家庭内における父性のあり方とは?」が選ばれた。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

〇父性とは、母性とは何か。子どもを育てるときにどういうことが必要か。

〇父性と母性は役割分担としての後付けではないか。育児では子供の外に向かう力や内なる心を育てる必要があり、それをこれまでは外向けは父、内向けは母が担っていた。昔は分担が明確だったが、今はそうではなくなってきている。

〇父性は外に向く、厳しさ、力強さ、切り分けるイメージ、母性は内に向く、優しさ、受け入れる、包み込むイメージ。

〇父性・母性とも根本には子どもを愛する心があると思う。

〇父性・母性も1人の人間の中にあって、両方もっているほうがいいのでは。

〇1人の人が父性・母性を両方やらなくてはいけないのか。できるのかどうか。

〇1人の中でバランスよく存在していることが理想だが、足りないところを学校や社会全体で補う必要がある。

〇多様性は昔からあった。家庭は全て違っているし、昔は今の社会保障とは違う形で町内、近隣みんなが子育てを支えていた。

〇標準家庭の中でも役割は様々で、「べき」論はいえない。

〇子育てにあたって変わらないものがある。まず受け入れられて初めて安心して育つ。それから切り離す。その具現化の仕方に多様性がある。

〇多様化しており、自由であるがゆえに父性・母性の発揮をどうすればいいか迷い、難しい。

〇内向き・外向きな力を兼ね備えるように子供が育っていればどんな形でもいい。

〇「人に迷惑をかけてはいけない」呪縛がある。気軽に助けを求められる社会になれば。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇無意識のままに、父親の言葉が「呪縛」になっているかもしれないと思いました!

〇改めて父性愛と母性愛とは何か。

〇父性にしろ、母性にしろ、両者必須条件として『愛』がそこに在るように思いました。

〇我が家は標準核家族(夫婦・子ども)の形だが、私はいわゆる父性は強くないタイプだったと思っている。それはそれでよかったと思っている。

〇何となく、吉本ばななの「キッチン」を読み返したくなりました。母性父性に共通してる「愛」をしみじみ味わっています。父の日に「父にもう1度会いたいなぁ」と亡き父を偲ぶことができた良い時間でした。

〇家族という視点で、一人の人間には父的、母的、隣人的な3つの部分があって、それをシェアしあうのがこれからの家族。

〇家族の役割について新たな気づきを得られ、もっと外にも目を向け頼っていこうと思いました。

〇社会が多様性を受け入れるには、違っていること、その存在を認めること。理解することではなくて、認めることではないか。多様な家族はあっていいと思うし、別に規範に縛られる必要はないと思う。ただし、法律に反しない限りという条件が付くが。

〇自分の父についてと親としての自分、両方を振り返るいい時間になりました。外向き・内向きの力を育むために様々な助けがある社会を築いていけたら。

〇皆さんと考えを交換できて、父性と母性についてもやもやが少し減った気がします。

 

様々な視点から父と母、父性と母性、子供を育てるうえでの家庭の役割とあり方などを見つめ直し、考えるいい機会になりました。

テーマを決めた当初想定していたものとは違う方向に、想像を超えて話が展開していくのが哲学対話の醍醐味だと改めて感じました。

今回ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました!

 

(記録:羽田美里)

 

【277回記録】「参加者でテーマを決める」(オフライン・リアル)

277回目の人生カフェは、令和4年6月18日(土)午後2時~4時30分、11名(男性4名・女性7名)で、オフライン・リアルで実施された。

この日のテーマは「参加者でテーマを決める」であった。

まず各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○孤独は不幸か?

○人間の男性と女性では精神構造に違いはあるのか?

○だまされることはいけないことなのか?

○先入観とは何か(なぜ・どこから)起きるのか?

○あなたにとって無くてはならないものとは何か?

○「自分探し」は何をすることか?

○コミュニケーション能力とは?

○自己肯定とは?自分の何を?肯定って何?

○後悔は悪いことなのかな?

○なぜ飽きるのか?

 

対話をしながら、出された全ての問いの中から今日のテーマを参加者全員で選んだ。

選ばれたテーマは「孤独は不幸か?」であった。

 

その後、問いに触れながら対話を行った。

●孤独と孤立の違い

●孤立…不幸? 孤独…不幸ではない?

●孤独はネガティブ(不幸・暗)な面と、ポジティブ(楽しい・明)な面、両方あるのではないか?

●物理的な孤独と、精神的な孤独。

●精神的な孤独が解消されると、物理的な孤独を楽しめるようになるのではないか?

●孤独を感じる=自分の存在を感じる。

●犬・男…孤独に弱い。猫・女…孤独に強い。

●男性に孤立死が多い…社会構造に原因があるのではないか。

●孤立死は不幸か?

●看取られたいかどうか?看取られるのが幸せという刷り込みがあるのではないか。

●孤独感…主観であり外側からは見えない。

●自分軸の無さ(精神的な安定の無さ)が孤独感につながるのではないか。

●自分の孤独から目をそらすこと…SNSやパーティーなど…いくらやっても満たされない。

●パーティーや祭りのあとに寂しさを感じる…満たされていないからか?

●孤独を見つめること→つながりがなくても大丈夫だということを知る(安心感・満たされる・幸せ)→つながりの貴重さを知る→世界を肯定すること→孤独を見つめること…

●集団の中で感じる孤独感…精神的なつながりが無く、ただ一緒にいるだけの時など。

●精神的に一人ではないという気持ち→幸福につながる?

●若い世代は集団の一体感による幸せを知らないのではないか?

●孤独な時の状態…病気の時の孤独(孤立)は不幸ではないか? 元気な時の孤独(孤立)は不幸ではない。

●心と身体はつながっている→健康であることは幸せの大前提にあるのではないか。

●他人からの視線(まなざし)で感じる孤独。(あの人、一人で可哀想…みたいなまなざし)

●自分だけが違っているという感覚は孤独感につながる。

●人間は本来、孤独な存在である(自分の経験は自分以外の誰にも分からない)

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

○人間は基本的に孤独である。耐え難いほど。しかし安易な人とのつながりでごまかさずに孤独に向き合って生きていきたい。

○孤独は不幸といえば、不幸・孤独から出発して自己との関わり、対話を通じて世界観を持つこと。自己の確立から他者を受容することへ発展へ、他者の世界観を受容へ向かえば孤立から免れ、孤独は幸せへ。

○孤独は友達。あとは死ぬだけ、老後はもっとわがままに!

○・人間は孤独である。・孤独を楽しめる人はそれで良いが、楽しめない人は家族や友人を大切にし、幸福感を味わえるように。・女性グループは割引。サービス(女性メニュー)優遇。

○感想。「孤独」を愛すると言うように、孤独ってそれほど不幸でもない。と思いました。思い出した言葉…「友達なんていなくてもいい」と思える人同士だけが友達になれる」とか。

○人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。(パスカル)だが、それは考える葦である。

○孤独・つながり 基本。原点、ふるさと 家族だけではない。社会的ネットワーク作り。

○(将来)孤独を前向きに受け止められるようになりたい。孤立は避けられるように、まわりに援助を求められる弱さ(謙虚さ)を持てるようになりたい。

○自分の精神的孤独(「自分軸」?)をひきうけつつ他者とどうつながるか?そのほどよい距離は?

○不安(恐怖感)→安心感を満たされる→幸福感

○孤独は明暗 ふるさと。

○孤独の何が不幸なのか?もう少し考えたい。孤独に強い・弱い男女の違い…生活力の有無も関係あるのかなぁ。とても良い問いでしたね。

 

【第276回記録】人生カフェ 哲学対話 オフライン・リアル テーマ「成功と幸福」

第276回人生カフェは、令和4年6月11日(土)午後2時~4時30分、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館・会議室において、10名(男性6名・女性4名)の参加者のもと、オフライン・リアルで実施された。(進行役:本間正己)

 

今回のテーマは「成功と幸福」であった。

(PRの際のリード文は以下の通り)

人生カフェはこの6月で満8年を迎えました。毎年6月には「幸福」に関するテーマを取り上げることにしています。

成功すること(お金、地位、業績など)は幸福に繋がるでしょうか?

大きな成功をしなければ幸福になれないということはないでしょう。

しかし、失敗ばかりしていて幸福になれるでしょうか?

小さくてもそれなりの成功体験は必要な気がしますが、いかがでしょうか?

それとも成功と幸福はあまり関係がないのでしょうか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたの小さな成功体験をお話しください (1分くらいでお話しください)。」を行った。

(例)母の一周忌を行ったこと

*前任者があまりにひどかったので、私の料理がほめられたこと。

*妻との死別後も生きてこられたこと

*きょう無事にここ(人生カフェ)に来れたこと

*仕事の相談  抽象 / 具体 、相談相手

*前髪が上手に切れた。電車に間に合った。

*7:00に起床(寝坊した!) 7:45までに娘の弁当を用意できた時

*ホールインワン  クイズ一番早く答えた  パソコンで昔のパスワード正しかった

*脊柱管狭窄症を改善したこと(完治したわけではないけど)

*ヤフオクで安く(ギター)アンプが買えた。

 

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。

(例)成功が必ずしも幸福を生まない場合があるのはなぜか?

出された問いは次の通り。

〇幸福が必ずしも成功を意味しないの場合があるのはなぜか?

〇どんな『成功』が《幸福》なのか?

〇幸福に資する成功とはどういうものか?

〇成功と幸福に関係があるのか?(成功:合格、昇進 …/ 幸福:家族団らん、友達多い、一体感…)

〇皆さんにとっての《程良い成功》とは何ですか?またどういう時にそう感じますか?

〇失敗を知る成功者と成功しか知らない成功者、どちらが幸福か?

〇巷で言われる成功→幸福を結ぶもの ~ 自分が達成感を感じる、他者からの称賛、何らかの力の行使(発言力、影響力、自由…)を得る。

これらは小さな成功→小さな幸福でも同じだろうか?

〇成功とは? 感情かな?事実かな?(感情:主観的、やった~!うれしい! / 事実:客観的、あなたは立派、世界1) 混ざっている?

〇幸福は何ものかを所有したり、高い地位によってもたらされるものではないのでは?

 

以上から、話し合いによって、後半の対話の入り口の問いは、

「皆さんにとっての《程良い成功》とは何ですか?」が選ばれた。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●程良い成功とは、少しずつでも改善していくこと。小さな成功を積み重ねていくこと。

●自分の力(内からのエネルギー、生命の力)で、切り開いていく。創意工夫によって達成感を得ていく。

●70~80点主義、問題がなければいい、最善主義 ⇔ 100%主義、完璧主義だと疲れる。

●「大」成功には何かしら危険が伴っているのではないか。落とし穴があるのではないか。

●目標は100%主義、結果として70~80点というのがいい。「程良い」というのは日本的な謙遜から来るのか?

●成功や幸福に関しては、客観的・世間的目線だけではなく、主観的・私(自分)的目線が大切ではないか。

●成功は一発勝負的・短期的なものと長期的視点に立ったものとがある。

●成長することと受け入れること。

●幸福には、現在の状態を受け入れ満足すること(be)と、未来へ向けての成長・変化に喜びを感じること(do,become)とがある。

●成功は、成長している事実・実績の方に注目している。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇今までの人生を振り返ってみて、自身の失敗を乗り越えて、人生カフェで勉強させて頂くことに幸福感を感じます。みなさんありがとうございました。

〇(巷で言われる)社会的成功ではない「私の成功感と幸福感」 それを支える動力「内なるエネルギー」「命」って何だろう? 「beの幸福感」にもあるのかな? もや?もや?もや?

〇成功にはあまり興味がない自分に気づいた。でも理想を描き、上をめざすのが好き。成功は努力(?)の副産物でいい。 幸福感は常に随所に感じている。

〇beingとdoing どちらも必要な気がするな(どこまでできるか分からないけど) doing:疲れる  being:おとろえる

〇年齢を考え、中庸を目指す生き方がある? 成功と幸福の相関は弱い。幸福をkeepするのは大変。

〇人生に、自分なりの小さな(程良い)成功体験、幸福体験を積み重ねたい!

〇『成功』と『幸福』のテーマは良かったです。主観と客観の関係?

〇普段は余り《成功》という言葉を意識していなかったが、成長を実感するきっかけに成り得るのなら、見付けてみようと思った。

〇程良い≒中庸 中庸はアリストテレスも孔子も言っている。バランスの取れた丁度良い地点を指している。

〇①目標、成長、完璧主義(do, become) 現在の状態、受容、最善主義  小さな成功、幸福な気持ち、内なるエネルギー

②組織内の議論の中で、自身の最善主義とはどんなもんだろうか?

③本日まとめた内容をもとに明日から生きていきます。

 

 

(記録:本間正己)

 

【第275回記録】 (女性編)・テーマ「機嫌」・オンライン

第275回目の人生カフェは、令和4年6月9日(日)午前10時~12時30分、19名(女性18名・男性ファシリテーター1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

女性の方のみを募集しています。お互いの安心のために、参加されて1回は顔出しをお願いします。その後は顔出しでも・出さなくてもいいです。

定員20名という大人数で開催します。話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。

途中退出も可です。お試し参加の方も歓迎です。

参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

 

幸福な人は機嫌がいいというイメージです。

その逆はどうでしょうか?

機嫌がいいと幸福になれるでしょうか?

どうしたら機嫌をよくすることができるのでしょうか?

そもそも機嫌って何でしょうか?

機嫌と気分の違いは?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

最近、自分の機嫌がいい状態が続いた経験のエピソードがありますか?

(例)娘がリラックスしているのを見ている時

(話をしたい人のみ、この質問に対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*ボランティア活動が良好のとき

*天気が良いときです。体調に大きく影響があります。

*体調が良い時

*入浴前から就寝までの時間

*娘or妹と飲んでいるときに自分がいつもより饒舌にしゃべってるな~と自分が気づくとき

*家族と雑談をしているとき

*心地よさを感じているとき

*お風呂屋さんのお風呂に入っている時

 

参加者には、テーマに関する自らの問いをひとつ出してもらいます。

(例)自分の機嫌をよくするにはどうしたらいいか?

出されたものは以下の通りである。

〇相手の機嫌を気にしないためにはどうしたらいいか?

〇「機嫌」の本質・本体は何か?「不機嫌」なのでは?

〇なぜムリしてまで(努力してまで)機嫌を良くしようとするのか?

〇機嫌は取らないと悪くなるのか?

〇気分が良いと機嫌が良いの違いはなんだろう?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「相手の機嫌を気にしないためにはどうしたらいいか?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(25分)、全体において(約40分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●自分の機嫌、他人の機嫌、そして他人の機嫌を気にする自分がいる。他人の機嫌に左右される、動かされる。

●一般的には、女性の方が男性に比べて、相手の機嫌を気にして、相手の機嫌を損ねないように配慮する傾向がある?

●感情、気分と同様に、情動感染というものがある。

●国語辞典では、機嫌とは、表情や態度にあらわれる気分のよしあし。快・不快などの感情。機嫌は外面に現れているところに着目している。

●国や文化によって異なる。気分のよしあしを外に出すことに抵抗がある文化とそうではない文化がある。

●相手の気分の背景、理由を聞いていく文化と、そういうことはあまり聞かないようにしている文化がある。

●相手の不機嫌に責任や罪悪感を持つ必要があるか?

●相手の問題か、自分の問題か、「課題の分離」(アドラー)を行うことである。

●不機嫌は悪いことではない。OKである。

●一般的には、機嫌がいいという習慣を持っている人は仕事や人間関係がうまくいく。しかし、それが必ずしもその人らしいか、あるいは幸せかは言えない。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○自分の知らない世界を知りました。ありがとうございました。

〇大事な人の不機嫌の背景を聞いてみることから始める。

〇相手の機嫌は相手のものだが、疲れてるなどの原因は労っても良いのかも。でも、巻き込まれない事は大事。

〇立場の強いものが不機嫌を頻発させて周囲を圧倒、そういう中で保たれてきた平和もあると思いました。

〇機嫌はマナ-のひとつだと思います。

〇機嫌と言うテーマで皆さんの意見を聴けて良かったです。

〇自分の責任と人と繋がることのバランスが大事

〇自分の機嫌は自分でとる。

〇みなさんのいろんな視点が知れて楽しかったです。お互いの機嫌を取るには言語化が大切

〇自分の不機嫌;周りへの配慮「不機嫌注意報の発令」、自分自身への配慮「言語化を促す」

〇まわりの人の機嫌について考えることが出来てためになりました。コミュニケーションで回避できるものもたくさんあることに気づかされました。

〇機嫌についていろいろと考えることができました。子どもと大人では対応は違うのかなと思いました。

〇自分自身、修行が足りんなあと思いました。ありがとうございました。

〇いろいろお話がありましたが、まず、境界線を引くことが大事だと思いました。

〇不機嫌な時だけでなく、機嫌が良い時も声をかけて理由を聞くと「ご機嫌のおすそ分け」をいただける事もあるなぁと思い出しました。

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第274回記録】(デスカフェ風)・テーマ「一人称の死(わたしの死)」・オンライン

第274回目の人生カフェは、令和4年5月29日(日)午前10時~12時30分、14名(男性8名・女性6名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

(話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。カメラオンが原則ですが、カメラオフでもいいです。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

テーマ:一人称の死(わたしの死)

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「一人称の死(わたしの死)」に焦点を当てます。

もちろん、話は二人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

 

まずは、導入のプログラムである。

最近、自分の死を意識したエピソード 

(例)映画「余命10年」を観た時

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*男一人暮らしの先輩が私の死亡通知と言う葉書を準備してなくなった時

*コロナ禍の初期の頃、有名人が亡くなった時

*無縁仏まいり(大阪七墓巡り)をしたとき。自分が死んだら、自分は忘れられてしまうのだと実感。

*ある仏教系の講座で、自分の葬式にどんな弔辞を読んでほしいかというワークショップがあり、改めてどう生きていくか考えた。

*小学生の時から自分の死が怖くて仕方なかった。今でもずっと考えている。

*今年の祖母の死

*生きることが社会に与える負荷の裏返しとして、常に死を考えます

*一昨年がんが発覚。あと3か月、1年、3年の命だったらと考えた。闘病中に義母をがんで亡くした。治療終了後、経過観察のたびに再発転移の可能性に怯え、死を意識する。死は最終締め切りという感覚がする。

*癌告知による死

*10歳で死を意識。恐怖から1か月寝込んだ。逆に壮年期は精神を病み、希死念慮。60代になり死を客観的にみている。皆さんのご意見を伺って、頭の整理をしたい。

*お別れの作法

*最近ではありませんが、死んでもおかしくない体験を、何度もしています。ガン。初ダイビングの時に、インストラクターのミスで、視界の悪い海で1人はぐれた。交通事故。1人で暮らしてた時に、寝たきりになった。

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)(私にとって)死とは怖いものか?

(例)ほかの人に代わってもらうことができないわたしの死って、一体何なんだ?

(チャットに書いてくださった先着7名の方の問いを、問い決めの際の選ぶ対象とします。)

〇自殺は「悪」であるか?

〇死ぬ(終わりがある)のになぜ生まれるのか?

〇死を意識することは、幸せにつながるのか?

〇死ななかったら幸せか?

〇私の死の何が特別なのか?

〇自分の死と向き合うことにより時代や世間に左右されない本来の自分の生き方が出来るようになるのだろうか?

〇死ぬタイミングを自分で選べるとしたら選びたいか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「死ななかったら幸せか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●この問いは思考実験的な問いである。

●不老長寿は幸せか?というような問いである。

●若いか年寄りか世代によって、日本にいるかウクライナにいるか住んでいる場所によって、貧しいか金持ちか経済的状況によって等々で、問いに対する答えが違ってくる。

●どうしたら死なないようにできるか?~科学が進歩すれば徐々にできるようになっていく。あるいは、宗教・信仰によって、永遠の命・魂を信ずることができるようになれば、死なないことになる。

●死ななければ、もっともっと幸せになれる可能性・チャンスがある。一方で、苦しみや痛みが続く可能性もある。

●死なない場合、変化・成長も止まってしまうか?若い時のままならいいが……。

●新たに赤ちゃんが生まれてこなくなる? 繁殖しなくなってくる?

●次世代への責任をあまり考えないのは自らの死があるからか? 死なないとしたら責任を感じるようになる?

●自分だけが死なないという場合と、皆が死なないという場合では異なる。(思考実験)

●死ぬことは不幸か?(今回の問いの裏の問いに当たる。)

●事故死のように想定していなかった死に方は不幸のように思えるが……。

●私の死は世界・宇宙の死か?

●少なくとも、私に見えている世界は無くなる。

●私が生まれる前と私が死んだ後では世界は非対称か?それともどちらも無か?

●時代や世間を超越した私の死はあるか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○このような場への参加は初めてなので、おっかなびっくり参加させていただいました。皆様のご意見を伺うなかで、自分の考えが変化していくプロセスを楽しむことができました。ありがとうございました。

〇寿命人という短編小説を書いております。寿命を告げられたそれぞれの思いを書いたものです。

〇自分一人では思いつかなかった「死なない自分の思考実験」が楽しかったです。苦難も喜びも、死があるからこそ受け入れれるのだなと思いました。ありがとうございました。

〇死とは何か。皆さんとシェアできて良かったです。

〇自分には兄か姉がいるはずだったと聞いたことがあるのを思い出した。もしその子が生まれていたら「私が生まれなかったかも…」と、想像して終わりました。私が生まれていなかったら夫はどんな人と結婚していたんだろう…

〇最後は、「私の死」の「私」というところに戻った気がします。自分の中で。

〇死ななかったらということはあまり考えたくない。 死は来る。

死は無か?自分の墓碑銘をどうするか?

〇生きること=幸せ、というわけではなく、死ぬこと=不幸というわけではない。生きることにも恐さがあるし、死ぬことにも安らぎがある。ありきたりだけれど、死を意識するからこそどのように生きていくかを真剣に考えることができるし、どのように生きるかを真剣に考えるからこそ、よく死ねる(恐れなく死を受け入れられる)のだと思います。

〇たとえ首相が亡くなったとしても、大きな影響を受けない安定した社会が維持されることは望ましい一方で、疎外を感じる。

〇今日の問いは「百年法」山田宗樹著 を思い起こさせる問いでした。「私」について改めて意見交換できたらと思いました。

新しい問い:私が死ぬことで世の中に与える影響とは? 明るく死を迎えるには?

〇今日のこの機会をとらえて 自分本来の生き方が できるようになれば 嬉しい

〇高校の数学で、「命題の真偽と対偶の真偽は一致する」と覚えました。「死ななかったら(p)→幸せである(q)」の対偶は、「幸せでないなら(pのバー)、死ぬ(qのバー)」。ちょっと不気味です。

 

 (記録:本間正己)

 

【第273回記録】本『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人)・オンライン 

第273回目の人生カフェは、令和4年5月26日(木) 10:00~12:30、10名(男性4名・女性6名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

(PRリード文)

課題本:『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人)新潮社

本の帯には、「紀伊國屋じんぶん大賞受賞の臨床心理士が贈る、新感覚の読むセラピー」とあります。さらに、「人生には迷子になってしまう時期がある。そんな時にあなたを助けてくれる7つの補助線」を提案してくれる本となっています。『居るのはつらいよーケアとセラピーについての覚書』(医学書院2019)以来、注目されている東畑開人さんの本です。

ご一緒にこの本について考えてみましょう。

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1~2分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

(例)灯台と懐中電灯 / 「する」と「いる」 / ナイショ(親密性)

*生きづらい、幸せ、こころ

*心の補助線/混ぜるな、危険/「も」

*補助線/不純/「も」の思想

*社会の小舟化/反復/「も」の思想

*「すっぱいぶどう」「純粋な関係性」「愛すること」

*シェア・ つながり・ 傷つきの扱い方

*「ひとりぼっち」「馬とジョッキー」「心は劇場」

*夜の航海 ゴールデンタイム みんなの苦悩

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

(例)近しい者との関係を修復するにはどうしたらいいか?

(例)ナイショの関係は危険でもあるとはどういうことか?

〇なぜ、生きづらいのですか?

〇社会が「小舟化」していく時代に、自らの力で補助線を選んでいくことができるか?

〇シェアする仲間内でのナイショの関係は保てるか?

〇「大人になること」(ネガティブな幸せを受け入れられるP264)は、幸せな事なのだろうか?

〇独りぼっちと幸福 ?

〇リスクもありえるのに「ナイショのつながり」を求めてしまうのは何故か? (臨床心理士とのカウンセリングはナイショのつながりではない?なんなのか?)

〇不純なネガテイブ?

〇私(自分)にとっての人生を支える深い力とは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「なぜ、生きづらいのですか?」を取り上げることにした。

 

対話の内容(一部のみ記載)

●生きづらさはシェアとナイショのバランスの悪さから来る?

●不倫は純粋な関係である。純粋はいいのか?

●小舟化して、うまく甘えられなくなった。

●「依存」という言葉は、「頼る」くらいの軽い意味合いで使う場合と、(アルコール、薬物、ギャンブル等に対する)「依存症」に近い、重い意味合いで使う場合がある。

●時には専門家に頼ることも必要である。

●自分の家庭を「普通」だと思っていたということの怖さ。

●シェアはお互いに「ルール」を守っているという安心感があるからこそできることである。

●ミキさんの言動はツメが甘いと思ってしまうのだが………。

●とっ散らかっててもいい、整理されてなくてもいい、複数の顏を持っていてもいい、複雑なままに生きる、それが「も」の考え方である。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人生で迷子になったら、探すのは母、父、妻、兄弟、親友。警察は一番最後だろう。

〇ナイショは危険である。しかし、キケンな冒険もやってみたいなぁ。

〇人は、つながりが持てることで生きる希望が見いだせる!

〇ミキとタツヤの続編は、結婚し子供が二人いるところから始めたいですね。そこでまた夫婦に危機が訪れる。そんなところでしょうか!?

〇後半、ずっと本のタイトルについて考えていました。

SNSに罵詈雑言を投稿し続けたタツヤさんの姿が浮かんできて、胸が痛くなりました。

私は絶対にパートナーには選ばない相手だけど人って弱くて愛しい。母性本能ではないけど、人間愛として愛しくなります。

〇ミキさんとタツヤさんは、これからもずっと本音でぶつかりながら・・・東畑さんに何度かお世話になりながら・・・うまく行くかと思います^^ 私自身は自分を守るためにナイショの関係を避けてきた人なのだということに気づきました。それでもなんとか生きていけているので・・・無理に内緒にならなくても良いな〜と思っています。子供たちは別ですが・・・^^;

〇夫婦のナイショの関係~良好な仲でも傷つけあうことがある。うまい修復のあり方を常に模索している。

〇シェアの仲間-傷つけあわないルールの存在

でもそれだけでは満足できない(本音をぶつけたい)-ナイショの仲間

ちゃんと読んで不純なネガティブについて考えたい

〇【依存】とは、行為や思考のコントロール障害

精神医学の立場から病気と認められている【依存症】

人間関係の病【共依存】男女の性質の違いからくる

【問い】皆様ならどのような結末を?

 (記録:本間正己)

 

 

【第272回記録】人生カフェ 哲学対話 オフライン テーマ「食べる」

第272回人生カフェは、令和4年5月22日(日)午後2時~4時30分、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館・会議室において、8名(男性5名・女性3名)の参加者のもと、オフライン・リアルで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

今回のテーマは「食べる」であった。

(PRの際のリード文は以下の通り)

春を迎え、様々な食品が値上がりしています。

背景には、穀物生産国であるロシア・ウクライナの戦争や、資源・物流価格の高騰、止まらない円安など様々あり、食品の値上がりはしばらく続きそうです。

食料自給率が37%しかない日本は、今後も今までのような豊かな食を、安く楽しむことができるのでしょうか。

食とそれを育む農業は、人間にとって基本的な営みであり、楽しみでもあり、必要・不要な命を線引きする生業でもあると感じます。

誰もが毎日行っている「食べる」こと。身近であり必須でもある食べることについて、いろいろ考え、皆さまと話し合ってみたいと思います。

 

まずは、導入のプログラムとして、「自己紹介とともに、あなたが好きな食べ物と、なぜその食べ物が好きなのかをお話しください (1分くらいで)」を行った。

 

・パスタ。トマトソースを使ったミートソースナポリタン。

・お寿司・お刺身が好き。生きてきた中で一番おいしいと思ったものがお刺身だったから

・野菜。同じものでも季節によっても買った時々によっても味がちがうから楽しい。

・果物。特に甘酸っぱいものが好きです。

今までで一番おいしかったのはタイに行った時、初めて食べたマンゴスチンです。

・納豆とさんまの塩焼き。毎日に近く、食べたい。日本人を感じるから。

・ラーメン。亡き父と食べた味噌ラーメンがおいしかったから。

・喜多方ラーメン (坂内)。シンプルな麺とスープ。

・空腹。ずっと気持ち良い(楽)。好きな物も嫌いな物もなくなった。

 

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。

出された問いは次の通り。

・食べ物の好き嫌いはどうしていけないのか?

・1日3食規則正しく食べるのがよいのか、食べたい時に食べたいだけ食べるのがよいのか?

・何のために食べるのか?

・好きな食物と嫌いな食物とがなぜあるのか?人間用ペレットは、ありか?

・食事イコール栄養か?おいしかった、楽しかった食事の思い出は、味のほかにあるんだろうか。

・美味しい食べかたとは何か?

・肉と魚を食べるのは罪なのか?(殺生)

・「食べられる」とはどういうことだろうか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「食べ物の好き嫌いはどうしていけないのか?」が選ばれた。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

・好き嫌いは大人はOK。大人になると好き嫌いがなくなることも多い。なぜ子どもに強制するのか。

・家庭や学校給食で残さないよう言われてつらかった。

・好き嫌いNGの家庭環境ではなかった。嫌いなものがあってもよいのでは。

・好き嫌いNGの裏には「残したらもったいない」があるのではないか。

・子どもに好き嫌いしないように教える目的は健康や栄養、成長の面が大きい。特に食育では学校給食が大きな役割を担っている。ひとりひとり体質や好みも違うのに、画一的な食を強制するのはどうなのか。

・子どもの頃は給食などで画一的な食を強制されるが、大人になると急に自由になり、選択肢も多くなる。各々が自分に合った個別最適な食を見つけていかなければならない。

・いろんな食べ方を試して1日1食に落ち着いた。そうしてからは非常に体が楽になった。自分にとって食=健康ではない。

・1日3食決まった時間に食べるのは社会のリズムに合わせているからで、本能よりも頭で食べているからでは。

・バランスよく食べることが本当に健康につながるのか。必要な栄養素を摂取するために食べている?

 

対話の途中で、「好きな時に好きなものを食べるのはいいことなのか?」という新たな問いが出され、それに対してまた次のように対話が深まっていった。(一部を記載)

 

・野生動物はみな食べたい時に食べたいものを食べている。体の声・欲求を聞いていればわかる。現代社会に住む人間は体の声が聞こえにくくなっている。

・お酒や甘いものに依存する人間もいる。それはストレス解消の手段としているのではないか。本当に心から食べたいと思っているのか。

・大人は自由に好きなものを食べればよいと思うが、子どもにはそうさせられない。家族への責任もある。

・個人の食の自由と、周りとの関わりの問題もある。食事はコミュニケーションでもある。

・食べることは社会的な要素も大きい。自由度は低くても、誰と食べるかによってまた楽しさも変わる。

・個人の食べ方の自由を多数派の周囲にいかに認めてもらうのか。家族が心配する場合もある。健康診断の検査値が正常であるなどエビデンスを示すべきか。

・食の自由がある一方で栄養学が発達している。これは大多数が統計的にみて健康・長生きする科学的根拠を示したもので、個人の体質や気質(精神)に沿ったものではない。

・社会的には多くの国民の健康寿命を伸ばすことで医療費を減らし長く働いてほしいという目的がある。

・そもそも長生きしたいと思っていない人もいる。食べ方は生き方に関わる。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

・食事に対して自由(寛容)な意見が多くて、安心した。人生カフェの「お互いの考えの違いを尊重する」ということとも関係があったのかも?

・自分に合った物を、自分に合った量を、自分に合ったペースで食べる。

・食べる=生きること。自分は誰のためのもの?(自分のもの、家族のもの、社会のもの…)

・からだの声を聴くとは…。

・私は偽善の固まり。家族は、血液検査

が良好でも心配する。一生懸命食べたくない。

・人間の多様性は気質と体質の多様性であって、必ずしも健康を一律に述べることはできない のではないか(科学的分析は追求する、科学性は否定しない)。

・いろいろな方々の意見や答えからその方々の人間模様が見れて、本当に楽しかったです。何のために食べるのか…暇つぶし、快楽、コミュニケーション。

・ラーメンのスープ完食を止められない?(昨日は東京駅ラーメンストリートへ)

節制とは?分かっちゃいるけど止められない?(6/23(木) 人生カフェ・カメラオフ) オンライン

 

 

食べることは誰にとっても身近なことであり、それだからこそ生き方や教育、周囲との関わり、社会性など多くの事柄に関わっていることを改めて感じた。具体的なエピソードもたくさん飛び出した楽しい会であった。ご参加いただいた皆さまありがとうございました。(記録:羽田美里)

 

 

【第271回記録】 人生カフェ(カメラオフ)・テーマ「無常」オンライン

第271回目の人生カフェは、令和4年5月20日(金)午前 10時~12時30分、16名(男性5名・女性11名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

最初から最後まで(約2時間30分)、ビデオの停止(カメラオフ・顔出しなし)の状態にします。

聞くこと、話すことに集中します。チャットは使用します。

 

カメラオフは3回目になるが、これはなかなかにいい感じである。聞く、話すことに、落ち着いた気持ちで集中しやすい。ファシリテーターの負担も少し軽くなる。女性の方たちに人気がありそうだ。

 

(PR用リード文)

テーマ:無常

私も人も、自然も物も、絶えず変化しています。

人生は無常です。

世界は無常です。

確かにその通りなのですが、だから何なんでしょう?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラム:

あなたが最近無常を感じたこととは? (ひとつだけ1分以内でお話しください)

(例)母の死

*生ききる

*記録媒体(FDなど)

*欲

*災害

*人間関係

*思いつきません(^^;)

*肉親・知人の死

*自分自身

*猫の死

*友人関係

*歯科衛生士の移動

*実家の処分

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)人は無常に対して受け入れることしかできないのか?

〇変化することは自然なことだけれど、そこに特別な感情が伴うと「無常」と感じる?

〇無常についていけない、心の葛藤があるのでは?

〇無常を受け入れることができる人とそうでない人の違いは何か?

〇無常の利点?

〇無常でないものはあるのか?

〇各世代間で無常という概念に差異はあるのだろうか?

〇無常とは日本独特の感性なのか?

〇私の人生と(諸行)無常とは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「無常を受け入れることができる人とそうでない人の違いは何か?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(ブレイクアウトルームは作らず、全員で対話した)(一部のみ記録)

●変化することは当たり前のこと?

●変化することが苦しい、葛藤がある。大切なものをそのまま守りたい、執着する。そこには無常ということを受け入れ難くする心理がある。

●亡くなっていく人に対して、ありがとうという感謝の気持ちを強く持つ人と、生きていてほしいという思い入れ(執着)の気持ちを強く持つ人とがいる。

●自然、物、作品、人など、そのものが変わっていくとともに、それらを見る見方や価値観が変わっていくということもある。それは私(主観)の方が変わっていくということである。

●無常という状態・現象に対して、どのような感情や観方(無常感・無常観)を持つか。悲しさ、愛おしさ、あはれ、感謝……。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○無常を考えても無駄なような気がする。

〇哲学対話のような場で人生の早い段階から無常について考えておいたら人生は楽しく豊かになれそう。

〇集中力切れ。頭の中焼け野原状態。放心。でも今できる限り考え抜いた、やり切ったというような心地よい疲れと満足感があります。楽しい!ありがとうございます😊

〇「無常」とわかっていても、変わらないでとか終わらないで…と願ってしまう時もある。そんな自分も認めつつ、無常の利点も楽しんでいきたいです。

〇苦しみは変わってしまった日常に馴染んでいくためのエネルギ-になることもあるかもしれない。

〇悲しみ、空しさ、あはれ、しみじみ、愛おしさ……。不変なものを望む気持ち~神、愛など……

〇昨日まで当たり前にあった生活が、失われた時、それでも、絶望に陥らず、光を見出せるようになるヒントを与えて頂きました。

〇日本の古典小説の主人公は、たいてい、栄枯盛衰、四季の移ろいなどに無常を感じる多感な人間と設定されています。 つまり、それは、人として魅力的な要素であったからと思うのですが。

〇無常(観)については、「私」という主語に執着せず、「日本人」という主語にまで広げてもOKなのかなあ??と。

〇無常とは人生のプロセスを楽しむ、味わう、受け入れることか。

〇日本人は、昔から無常という概念とともに生きてきた、受容してきたのだと思います。季節の移ろい、天変地異(台風・地震・津波・火山噴火等、飢饉)、戦乱という出来事とともに生きてこざるを得なかったことが関係しているように思います。

〇もののあはれやわびさび感は好み

〇哲学対話自体の参加が初めてで、いろんな考え方に触れれてよかったです。なかなか、話がまとまらず、私の考えこそ無常でした。今日の対話を聞いて、なんとなく「変わらないために、変わり続ける」という言葉を思い出し、前向きな気持ちが今はあります。

〇グリーフ系の話が中心でしたし、ホメオスタシスがあるので、変化を受け入れにくいこともありますが、子供の成長や、歳を重ねることにより、知恵が得られたりします。転校・転勤したことで、出会える人がいたり、河津桜が咲いたら、もうすぐ春というのも、無常で移り変わるから。

 

 (記録:本間正己)

 

【第269回記録】 「秘密」入門編(オンライン)

第269回目の人生カフェは、令和4年5月15日(日)午前10時~12時30分、24名(男性12名・女性12名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今回は定員25名という大人数で開催します。 話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。 顔出しでも・出さなくてもいいです。 途中参加・途中退出も可です。 お試し参加の方も歓迎です。 (参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

今回のテーマは「秘密」である。

秘密を持つとはどういうことだろう?

年を重ねるごとに秘密が多くなる?

秘密が多過ぎるとどうなるのか?

自分一人だけの秘密と複数人が共有している秘密との違いは?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムである。

今抱えている秘密で、(詳細ではなく)概要だけでも話せることがありますか。

(例)パソコンに保存してある動画

(話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*好奇心の対象、アイデンティティを支えるもの、失敗や自分の弱点、安全とビジネスを支えるもの

*同僚から「秘密ね」と言って教えてもらった、会社の人事的な情報

*叔母(母の妹)から「秘密にして」と病気について打ち明けられた事

*家族には数十万円で購入したというスピーカーですが、実は百数十万円しています。

*脳梗塞で入院したこと

*ごく細かな部分にわたる自分の嗜好の対象や方向性

 

次に、テーマについて問いを出してもらった(今回は先着7名の方の問いを採用した)。

(例)秘密を持つことは悪いことか?

出されたものは以下の通りである。

〇秘密は、なぜ必要なのか?

〇「秘密」を作る目的は何か?

〇秘密がない方が幸せな人生なのか?

〇口に出しさえしなければ、秘密は固守されると言い切れるものなのか?(秘密を持っていることやその内容が人間の無意識に与える影響を考慮した場合)

〇秘密とペアになる感情にはどんなものがあるのか?

〇秘密をたくさん持つと自分の価値が高まるか?

〇秘密を打ち明けるのに最適な相手とは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「秘密は、なぜ必要なのか?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(4個)に分かれて(25分)、全体において(約40分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●他人に話さないということで秘密が生まれる。(ロビンソン・クルーソーのように)他人がいなければ、秘密は生じないのか?

●自分の心の中に他人が存在していれば(自分を見ているもう一人の自分がいるならば)、秘密は生じうる。

●意図せずして、無意識的に、(触れてほしくないものとして)抑圧的に、影の部分(隠れている部分)として、心の中に秘密は存在するかもしれない。

●情報の価値のレベルから秘密を考えていく。個人情報、仕事上の秘密、国家機密……。

●何か大切だと思うことを守るために、意図的に・意識的に秘密にする。

●秘密は手段である。結果として、大切だと思っていたことが守れないこともある。逆に、秘密を持つことによって、悪い結果になることもある。

●ポジティブな秘密もある。相手を喜ばせようとするサプライズ的な秘密、他人からの嫉妬を買わないようにするために黙っている秘密、相手に心理的負担を掛けないようにという思いやりを持った秘密など。

●秘密を打ち明ける場合は人を選ぶということをしている。

●秘密を持つことによって価値を高める?魅力を高める?

●秘密を明らかにしたいという誘惑にかられる。誘導される。袋とじ、モザイクなどは見たくなる。(笑)

●遊び、ゲームなどはお互いに秘密を持つことによって成立し、楽しんでいる。

●秘密を抱えていることについて、後ろめたさ、疚しさなど、しんどさ、罪悪感を覚えることが多々ある。

●秘密を持たない方がいい人生を送れるのか?

●ある程度の秘密を抱えることができるのが大人になるということか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人は好奇心があるので、知らないものは知りたいと思う。

〇秘密を持つことは大人になること?

〇3億円当たらない方がいいので、宝くじは買いません。秘密を持つリスクを考えて、将来にそなえることもありかと思いました。

〇秘密の目的は、秘密にするときの意思であって、その結果は目的と異なることは大いにある。

〇隠し事、秘密がバレた時、本人ではなく周りの人が傷つく場合もあるような気がします。

〇「秘密を抱え込む」ことができるのは ある程度 成長しているということではないか?

〇秘密は手段…。

〇価値判断は真実かどうかで判断されるのだと思いますが癌告知についても外部の人にとっては知るべきだし、本人が知るとショックで悪化させたりとかありますね。

〇仲良くなりたい相手に何かを秘密にされると寂しく感じるもの?

〇秘密は持っていて苦しいと思うこともありますが、でも皆さんのお話を聞いていて、秘密があるということは社会とつながっているのかなあ、と思いました。

〇秘密の存在意義 打ち明ける相手を選択 情報の重要度と照らし合わせる

〇人の不幸は蜜の味と言いますが、秘密にも同じことを感じてしまいました。

〇聞かれなかったら言わないことは秘密にしていることになるのか、について。夫との関係を考えてしまいました笑。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第268回記録】 人生カフェ・中高年の哲学対話(女性編・3回以上参加者対象)・テーマ「参加者で問いを決める」・オンライン

第268回目の人生カフェは、令和4年5月12日(木)午前10時~12時30分、10 名(女性9名・男性スタッフ1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は「参加者で問いを決める」であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

あらかじめ提示するテーマはありません。

当日に参加者で問いを出し合って、その中から後半の対話のために一つ問いを決めます。

この方法をプレーンバニラ方式と呼んでいます。

 

まずは、自己紹介的・アイスブレイク的プログラムとして、「好きな「季節」とその理由 (1分くらいで)」を行った。

(例)初夏  開放的で明るく、暑すぎないから

*晩秋

*春

*夏の終わり頃

*夏

*春の終わり 今頃

*春

*秋がすきです。自然の色も鮮やかで、春とは違う落ち着きもあります。

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

(例)人を許すとはどういうことか?

出されたものは以下の通りである。

〇「できること」は役立てられるけど、「自分にできないこと」はどう役立てられるか?

〇「遊ぶ」とは?

〇自分の未来を設定するにあたって必要な要素は?

〇こどもを生むことに全肯定の「出生主義」と、こどもを生むことを悪とする「反出生主義」について

〇頼られるよさとは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「「遊ぶ」とは?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●自由が基本にある。ゆとりがある。楽しい。ワクワクする。役に立たなくてもいい。対価(お金)がなくてもいい。上下の人間関係はない。責任が伴わない……

●オタク、遊び人、道楽者………

●自分一人での遊びと他の人と一緒にする遊び

●遊びに罪悪感を伴うことがあるのはなぜだろう?子どもの時にはなかったのに、いつ頃から持ち始めたのか?

●学業や仕事との関係で遊びを捉えるようになると、遊んでいることに後ろめたさを感じ始める。

●ある程度の経験や投資による資質・能力が蓄積されていないと遊びを楽しめないことがある。(生け花など。サッカーなどのスポーツ、ボード・ゲームなど。)

●ただただ消耗し、蕩尽し、くだらない、疲れる遊び~これができる自由さを味わっているのか? 時にはやりたくなる遊びである。

●他の人の遊びを支える仕事(バスガイド、旅行会社など)、子どもの遊びを支える仕事(保育園、幼稚園など)

●どのような仕事の中にも遊び心があるといい。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○ある程度体力のあるうちに仕事から解放された方がいいのかなぁと思いました。

人が遊ぶところで働くというのは、全然遊べないということかなぁとも思いました。

〇即興の楽しさ。遊び心。自由さ。

〇1人で遊んでて罪悪感を感じる時は、自分を無駄に使ってるな~と思う時。一人で遊んでても罪悪感を感じない時は、自分に必要な時間だな~って思える時。

〇なんで自分ひとりで遊んでいると罪悪感を感じるのかと思い悩んでいましたが、皆さんのお話しを聞いて「今日は○○する」と計画的に積極的に遊んでいるから楽しいんだと思いました。私は無計画にだらだらしていただけで、そういう無計画な自分に自己嫌悪していただけだと気づけました。

〇遊ぶとは一つの?一種の?自立の姿かなと思いました。ありがとうございました

〇仕事の中に遊び心を盛り込んで行けたら幸せだなあ。友達とのLINE交換でも、スタンプや絵文字、ツッコミ、ぼけなどで遊んでいます。

〇この「哲学対話」は私にとって大切な「考える遊びの時間」です。本間さんが仰ったように子供と老人しか余裕をもって遊べない人生について再考したいと思います。ありがとうございました。

〇遊びと仕事を同じように楽しむには、自分のわくわく感を共有してもらえる環境が必要。新たな問いとして、「遊びと娯楽の違いは?」 今日は楽しい話題でたくさん発言させて頂いて感謝です。

〇新たな問い。反出生主義について、世界がリスキー、ひどいと感じている人にどうサポートするのか

 

 (記録:本間正己)

 

【第267回記録】人生カフェ(デスカフェ風)・テーマ「二人称の死(近しい者の死)」・オンライン

第267回目の人生カフェは、令和4年4月28日(木)午前10時~12時30分、10名(男性2名・女性8名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

(参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

テーマ:二人称の死(近しい者の死)

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「二人称の死(近しい者の死)」に焦点を当てます。

もちろん、話は一人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

 

まずは、導入のプログラムである。

最も心に残っている近しい者の死とは? (1分くらいでお話しください)

(例)母の死

*父の死

*13年前に余命3ケ月でなくなった親友。

*母の死

*愛犬の死

*友人が20歳の誕生日を迎えてすぐ亡くなりました

*父の死

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

〇二人称の死は私に何をもたらすのか?

〇(大切な人の)死を乗り越えるとはどういう事だろうか?

〇近しい人の死に直面することの意味は何か?

〇死を実感できないのは何故か?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「二人称の死は私に何をもたらすのか? 」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●悲しさ、喪失感をもたらす。

●後悔、罪悪感

●驚き、怒り………

●愛情の対象が今まで存在していたことへの気づき

●「悲しい」と「寂しい」の違いは?

●思いやり、共感の気持ちを呼び起こす。

●わたしの成長をもたらす。

●亡くなってからの方が近しい存在になる。いつでもどこでも会える。心の中にいる。

●解放感をもたらす。

●リセット、リニューアル。死と再生。

●近しい者の死を消化する。栄養になる。

●悲しい、寂しいという感情は心を内側に向かわせ、辛く苦しい面もあるが、その人を成長させる豊かな感情でもある。

●死を乗り越えないといけないのか?そもそも乗り越えられるのか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○「わたしの何かしらの一部が確実に死んだんだ」~それは悪いことではない。もたらせれたもの。

〇失ったことによって、いつも見守ってもらっている感覚といつでも会える感覚。何年も経ってから感じられるようになりました。でも、やっぱりもう1度父に会いたいなぁと思います。

〇祖母、義父母、両親の介護を経験してよかったと思います。人は必ず死ぬと思って生きることは大切です。

〇★11歳の愛犬の死を一番恐れている → だからこそ毎日の時間を大切にできていることを実感できた。

〇死を意識することで生を実感するなと思いました。

〇たくさんの死の受け入れ方(?というのか?)、認識やその過程があるのだなあと思いました。皆さん貴重なお話しありがとうございました。

〇死と成長…。

〇悲しさと寂しさの違い:悲しみは時とともに薄れていくが、寂しさは消えない_悲しみや寂しさなどマイナスの経験を消化し、人は成長する_近しい人の死に直面することの意味は「成長」するため?植物が枯れて堆肥となり次世代の栄養分となるように。

 

 (記録:本間正己)

 

【第265回記録】 人生カフェ(カメラオフ)・テーマ「ルール」オンライン

第265回目の人生カフェは、令和4年4月20日(水)午前 10時~12時30分、13名(男性5名・女性8名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

最初から最後まで(約2時間30分)、ビデオの停止(カメラオフ・顔出しなし)の状態にします。

聞くこと、話すことに集中します。チャットは使用します。

(PR用リード文)

テーマ:ルール

ルールは何のためにあるのか?

ルールを守らせるためには罰則が必要か?

ルールを変えるとはどういうことか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたが変えた方がいいと思っているルールとは? (ひとつだけ1分以内でお話しください)」を行った。

(例)不合理な校則(着用する下着の種類を指定するなど)

*受験制度

*義務教育にも留年制度があった方が良いと思う

*自治会の行事

*町内会のアナウンスが町内放送で行われていること。

*旧態然とした民法

*心の中のルール

*「親孝行」   ルールの意味をしきたり・慣例など「○○すべき」という側面で考えた場合

*マナーというビジネスルール

*学校制度

*お中元、お歳暮

*優先座席

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)人はルールがなくなるとどうなるのだろう?

〇ルールは誰の為のものだろう?

〇ルールがなくなるとどんな人間が育っていくんだろう?

〇絶対に承服できないルールでも守るべきだろうか?

〇ルールで本当に人をコントロールできるのか?

〇暗黙のルールが罰金を課される明示的なルールになったとたん、ルールが破られるはなぜか?(遅刻した場合罰金を払うルールにしたとたんお金を支払うことでルールを破ることが起こる)

〇盲目的に流されるのではなく、当事者意識を持ってルールの線引きをしていくにはどうすれば良いだろうか?

〇人生を豊かにするマイルールについて?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「ルールがなくなるとどんな人間が育っていくんだろう?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●ルールがないと動物のようになってしまう? 弱肉強食の本能が剝き出しになってしまう?

●ルールがないと本当に自由になれるのか?

●ルールを内面化しやすい人と内面化しにくい人がいる。ルールを守る人とルールを破る人。

●ルールで縛らなくても、自律的に動ける人。

●無言のルール、暗黙のルールというものがある。

●大きな強制力のあるルールもあれば、形式的に存在するだけのルールもある。

●ルールは本来、住みやすくするために、生きやすくするために、幸せになるために、作られたものなのだが……。

●不都合なルール、不合理なルールは変更すればいいのに容易にはできないことがある。

●それはそのルールによる既得権益者がいるから、そのルールを受け入れてしまっている多数者がいるから、変更するのが面倒くさいから、などの理由からである。

●ルールに従順になることによって、自らの責任を回避している面があるかも?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人間の基本には教育が大きく関わってくると思います。ということは・・・ルールがなくなっても親や、学校、地域、結局、新しいルールが出てくるのだと思いました^^;。

〇校則があまりないような高校でしたが、みんな地味でした。反対に厳しい学校へ行った友人たちは、お洒落であか抜けていました。

〇日本人は、とても良い人種と思うけど、保守的で同調圧力に、弱い。

〇自己が幸せに生きやすいようになるためにルールが考えられている。

〇理不尽なルールに従いつつも、それに対してNOと言える勇気が私にはあるのか?

〇ルールを守るだけではつまらない。ゲーム(サッカー、哲学対話、学校生活、仕事などなど)をしないと面白くない。

〇ルールの中にしか自由は得られないし、人間は動物にはなれず部分的に他者の中で生きるしかない?

〇ルールは手段?

〇権力や同調圧力などのパワーに流される。反抗しても無駄で疲れるだけと無気力な層が形成される。

〇ルールに従うと楽な面もある。

〇ルールは最低限で良いと思いつつ、最低限というのも人によって違いますね。 活きたルールである為には、見直す力や勇気も必要。

〇いろんな価値観の人がいるので、交通ルール等、みんなが安心して暮らすために、必要なルールもあります。ですが、それ以外では、万人が納得することはないと思います。マスク警察等、人を裁くより、許容することや理解することを学ぶのも、自身の心の平和のために必要と思いました。

 

 (記録:本間正己)

 

【264回記録】「偽善」(オフライン・リアル)

264回目の人生カフェは、令和4年4月17日(日)午後2時~4時30分、11名で、新宿区消費生活センター分館にてオフライン・リアルで実施された。

 

この日のテーマは「偽善」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○偽善は悪いことか?

○偽善とは?(偽善を1つしたいと言ったら、どんなことを提案しますか?)

○本当の善とは何か?

○人間の存在とは善を完成させるためにあるのか?

○偽善は何が悪いのか?

○偽善の何が問題なのか?

○偽善と嘘の関係とは?

○許される偽善と許されない偽善の違いは何か?

○本音(本心)と建前…OK

 偽善≒二枚舌…個人別にNG

 両者の境目とは?≒そもそも論として、偽善とは?

○この世界から偽善者が居なくなることは善なのか?

○ボランティアなど偽善的な行動をするべきか?

○子供は偽善者ではないのか?

○偽善者は魅力があるか?

 

その後全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒偽善は悪いことか?

その後、問いに触れながら対話を行った。

 

●偽善は悪いことではない…(動機がどうであれ)結果的に善である。

●本音と建前と偽善は近い?

●偽善という言葉は自分に対してはあまり使わず、人を非難する時に使う言葉ではないか?

●本心ではない、うわべの善行。

●行動(行為)と本心(内面)のズレ→偽善。人によって、このズレへの感度の違いがありそう。

●人からよく見られたい気持ち。

●必要な偽善もある?…優しい嘘・建前に近いか?…本心を知られたくない気持ち。

●日本社会…本音を認めない社会ではないか?外国に偽善という言葉はあるだろうか?→ある(hypocrisy)

●大きい他人の偽善と小さい自分の偽善。

●利害関係の有る無しでの態度の違いはなぜ起こるのか?(世界平和(大きい)を願いながら、身近な人にマウンティングする(小さい)ような)

●人間には本心を知られたくない気持ちがあるのではないか?

●偽りなく善を求めていきたい気持ちもあるのではないか?

●本音と建前の使い分け…自分の中での偽善的な部分…自覚できているか?→自覚できていれば偽善にはならないのではないか。

●偽悪的に突き抜ける→善が出てくる→偽悪的に突き抜ける→善が出てくる…

●人間は善と悪をたえず往き来しているのではないか。

●独りよがりの善…独善

●欺く・だます…欺瞞。

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇我と汝

 私とあなたの世界で具体的にあなたが困っている時、あるいは苦しみ、悲しんでいる時、あるいは人間のぬくもりを求めている時、私はあなたにどう対応したらよいのか。善く生きるとはその対応次第ではなかろうか。

〇自覚 VS 自欺 の間のズレへの解像度を上げること←自分にとって大切。

 なぜ自分は(悪以上に)偽善に(怒りの)スイッチが入ってしまうのか?この問いへの解像度を上げていく←ボランティアがより楽しくなる。

〇偽善のロールプレイをしたくなりました。偽善の気付きが今より深まる気がします。

〇内面と行為が一致しないで悩んでいた頃(若い時)今はかなり一致しているが……。

〇それで、あなたはどないしはりますねん?(新たな問い)

〇独善的ではない公共のためのクレーマーを目指そうじゃないか。

〇新たな気付き 偽善的にいいことをしている人は結果的にいいことをするからいいと思っていたが、根本的にそれが本当にいいことではなく役に立ってない場合もあるので考え直したほうがいいかも。

〇日本社会が本音で話し合える空気に変えたい(建前&偽善が多すぎる)

 言葉の使い方をより厳密にしよう。

〇偽善は悪いことではない。独善(独りよがり)欺善(人に対しても、自分に対しても)は悪いのではないか。日本と外国の違い→寄付・ボランティア

〇“アンコンシャス・ヒポクリット=(無意識の偽善者)”という言葉がうかび、漱石「三四郎」を読み直したくなりました(^^)

〇自分を悪く見せたくない、よく見られたい気持ちがあること。自分の思う善と他人の思う善は違うということ。

 

 

 

【第263回記録】 「参加者で問いを決める」(謙虚)入門編(オンライン)

第263回目の人生カフェは、令和4年4月16日(土)午前10時~12時30分、16名(男性8名・女性8名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

まずは問い出しを行う。 参加者には、自らの問いをひとつ出してもらう。 (例)人を受け入れるとはどういうことか?

チャットに書いてくださった先着7名の方の問いを、問い決めの際の選ぶ対象とします。

7名の方には出してくれた問いについて、1分以内で説明をしていただきます。

 

出されたものは以下の通りである。(今回の問いは6個)

〇ネットでのコミュニケーションとは?

〇私たちは自分のことをどれだけ知っているのだろうか?

〇自分らしさとわがままのちがいは?

〇時間の流れる速度は代わるのですか?

〇『謙虚さ』を醸し出す要素とは何か?

〇相手の裏切り・失敗をどうすれば許せるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「『謙虚さ』を醸し出す要素とは何か?」を選んだ。

 

その後、全体において(10分)、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(25分)、全体において(45分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

 

●謙虚さは集団の中で上の者の都合のいいように使われているのではないか。

●謙虚は出しゃばらない、我がままではない。それが自分の意見を出さない、消極的というイメージにも繋がっている。

●謙虚は他人との関係で成り立つ。元々は相手を尊重する、相手を立てる、相手に共感するといったことが先にある。

●したがって、相手の話をよく聞くということが基本にある。

●自分自身を内省する力、振り返る力があってこそ、本来の謙虚さが生じてくる。

●相手に対する感謝の気持ちから素直な謙虚さが生まれる。

●自分の意見を抑え込むのではなく、他者との違いを認めつつ、自らの考えを述べ合い、合意形成していく力が求められている。

●謙虚とは態度、姿勢のことであり、単なる演出やテクニックではない。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○なんとなく使っていた表現を深く考察できました。ありがとうございました。

〇謙虚という言葉は死語になるのではないのでしょうか?

〇醸し出すというと私的には演出するに通じていて、私もそれは、ばれると思っています。年齢を重ねるごとに内省するチカラを養って、にじみ出る謙虚さを獲得したいですね。

〇謙虚さは、心持ちとそれを態度で表現するスキルの両輪だと思いました。醸し出すというよりにじみ出るでしょうか。だからこそ、点ではなく線での謙虚さが大事だと思いました。そして、やっぱり対話!大事ですね。

〇本来の謙虚:自分自身を内省する。他者を尊重する。

謙虚が集団の中でいいように使われてるのが問題だ。

〇謙虚さは感謝や内省に繋がるということが新鮮でした。

〇「謙虚」について、この時間の最初は、権力を持っている人が押し付けているのではないか、と感じていましたが、皆さんの話を聞きながら、謙虚とは、自分のことも相手のことも、同じぐらい認めて、共存していこうとする姿勢なのかなと考え直しました。自分にはこだわりすぎるので自分への固執をすて、相手には偏見を持たずに接する、そういう姿勢が謙虚なのかな、と思いました。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 (記録:本間正己)

【第262回記録】 人生カフェ(女性編・3回未満参加者対象)・テーマ「優しい」・オンライン

第262回目の人生カフェは、令和4年4月13日(水)午前10時~12時30分、9名(女性8名・男性スタッフ1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「優しい」であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

優しいとはどういうことだろう?

優しい人とはどんな人だろう?

優しいと易しいはどう違うのか?

地球にやさしいってどういう意味?

いろいろ考えてみたいと思います。

 

今回は最初に、自己紹介的プログラムとして、参加されての今の気持ちを各自1分以内で話してもらった。

次に、導入のプログラムとして、「最近人から優しくされたエピソードをひとつお話しください (1分くらいで)。」を行った。

(例)歯科衛生士に歯を点検、クリーニングしてもらったこと

*仕事で人に迷惑をかけてしまったときに、さらっとユーモアで言葉を返してもらったとき。

*歌のレッスンを始めたのですが、先生から私の音域。声にあった歌のリストを作ってもらった。

*トラム運転手が、私が乗車するまで停留所で待ってくれていた。

*落ち込んでいる時、親友が慰めてくれた。

*友人が、おいしい調味料を送ってくれた。

*寒い日に花の苗を笑顔いっぱいで持ってきてくださった。優しい人に出会えると一日が心和やかになった。

*体調が悪いときに、お食事を家にいろいろな方が持ってきてくれた。

*対話練習の時に失敗したが、周りに優しい言葉や励ましの言葉をかけてもらった

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

(例)優しい人はいい人か?

その問いの背景、理由等について1~2分で話していただきます。

出されたものは以下の通りである。

〇優しさの値段はいくら?

〇優しさは どこからくるのか?                                           

〇全てに優しい人でいる必要はあるのか?

〇本当の優しさとは何か?見せかけの優しさとは?

〇あなたのために言ったのよ。と言うが、それははたして優しさか?

〇人の優しさは受け手の感じ方で変わりますか?

〇他人へのやさしさは、他人を優先しないと生まれないのか?

〇優しさと思いやりの違いは何か?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「本当の優しさとは何か?見せかけの優しさとは?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●本当の優しさは見返りを求めない。

●優しいとは人を憂えること、思いやりのあること。

●言葉ばかりで行為が伴わない優しさは見せかけの優しさである。

●見せかけの優しさでも、ないよりはあった方がいい場合もある。

●仕事上では見せかけの優しさでもそれが潤滑油のようになっていることがある。

●近しい関係(家族の関係、男女の関係など)の場合は、見せかけの優しさかどうかは比較的容易に見抜けるものである。

●優し過ぎる人はお人好し過ぎてバカに見られる?

●こちらの優しさに気づかない人にはムカつく?

●優しい態度を取り続けることによって責任を回避している?

●「優しい」の反対語の「厳しい」について考えてみると、見えてくるものがある。

●相手に真実を伝えることは優しいことなのか?厳しいことなのか?

●ホスト、ホステスは優しさを売っている?優しさに値段が付いている?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○優し過ぎると…受ける側も疲れる。与える側もしんどい。

〇優しさ=エゴ?

〇優しさには種類がある。

〇愛には優しさと厳しさがある。一定の距離感がある。

優しさは見せかけでもいい面があるような気もする。

〇優しさと、人間的に善良かということは、また別なのかも?

〇この人は優しい、この行為は優しいとか誰もが納得するものはあるのか?

〇自分に余裕がないと人に優しくできない。

 

 (記録:本間正己)

 

【第261回記録】 「寛容」入門編(オンライン)

第261回目の人生カフェは、令和4年4月10日(日)午前10時~12時30分、19名(男性11名・女性8名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今回は定員20名という大人数で開催します。 話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。 顔出しでも・出さなくてもいいです。 途中参加・途中退出も可です。 お試し参加の方も歓迎です。 (参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

今回のテーマは「寛容」である。

まずは、導入のプログラムである。

「最近、自分としては小さな寛容の精神を発揮したと思うこと」

(例)妻に対して怒らなかったこと

(最初に話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*昨日、オンラインの勉強会があった。1500円の参加費は少し痛かったが参加した。

*夫が私のお気に入りのマグカップを割った事

*レストランに行った時、食事が出て来るのが遅いな~と思っていて、かなり経ってから出て来た時に怒らなかった事。

*議題と本質的にずれる発言も、いったん聞く。

*おととい、突然知らない方に怒鳴られたこと

*寛容を受けたかった例で申し訳ありません。2月に転職したのですが、経営陣と意見の相違の為か3日前に解雇通知を受けてしまいました。

*仕事の同僚で、ささいなことに声をあらげる人がいた。我慢した。

*コンビニではがきを印刷していたら用紙切れになり、在庫もないと言われた。

*仕事で意見の違いで私のほうが切れてしまった。しかし上司(私の子ども位の年齢)は寛容な気持ちで受け入れ傾聴して下さり、寛容さに頭が下がりました。

*仕事でミスをしてすごく自分を責めてしまったが、心の中で次頑張ればいいよ、どんまいと自分に声をかけた。

*鳩のフンが車についたが洗車していない。

 

次に、テーマについて問いを出してもらった(今回は先着7名の方の問いを採用した)。

(例)不寛容な人に対して寛容でいられるか?

出されたものは以下の通りである。

〇他人は変えられない。変えられるのは自分と未来。寛容でない人にはどう対応するか?

〇寛容と我慢の違いは?

〇自分に対してズボラだと怒らずにいれる。それならば、人に対してズボラなら、怒らずに入れるのでは?

〇不寛容になるのはどんな時か?

〇寛容が不適切な場合とは何か?

〇寛容とは、そもそも何か? なぜ必要か?

〇寛容と多様性はどう違うか

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「寛容と我慢の違いは?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(25分)、全体において(約40分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●寛容は態度、姿勢、意志であり、我慢は感情、行動である。

●寛容は心が広く、責めないということ。我慢は耐え忍ぶこと。

●裁判の情状酌量というのは寛容の精神の現れ?

●自分とは異なるもの、違うものを認めることが寛容である。

●差異を認めるとは多様性を認めることである。

●自分に無関係、あるいは無頓着、ズボラであれば怒りは湧かない。

●他人に対しては寛容、自分に対しては努力ということが基本か?

●寛容には正義の問題が絡んでくる。

●我慢はバネに例えると分かりやすい。限界を超える負荷がかかると、バネは元に戻れなくなる。

●違和感を嫌なこととして感じる段階とそれを受け入れる段階がある。

●違いを認識し、理解するために対話や会話が必要である。

●社会の秩序は寛容ではなく、個人に我慢を強いているところがある。

●自然災害や物理法則の前では、そこに寛容の精神は感じられず、ただただ受け入れざるをえない諦めの状況のようにも思われる。ただし、そこにこそ何もかもを飲み込む大いなる寛容を見出すこともできるか?

●神はどうか?罰する神か、寛容の神か?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○「ガラスの海を渡る舟」という小説が、なぜ心に残るのかを捉えられていませんでしたが、本日の対話で寛容について考えて、腑に落ちました。

〇いろいろ考えさせられました、ありがとうございました。

〇バネのメタファーは面白かった。バネを伸ばそうとする力、それが差異を認識する力。

〇寛容とは自分を押さえつけることではない。

〇学童保育指導員として再就職した。先輩指導員とどう関わるかについての学び。

〇完全なる秩序は寛容を許さないと思います。寛容があるからこそ自由にイキイキできるのでは無いでしょうか。

〇寛容と我慢は表裏一体?

〇誰もが宇宙の一分子、運命共同体であることを思い起こせば、相手に共感することから始めると寛容になれる、と感じました。

〇人間社会の寛容は範囲つきですが、大自然の寛容はすごいなと。神の寛容はどんな範囲でしょう。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第260回記録】 人生カフェ(女性編・3回以上参加者対象)・テーマ「人の命」・オンライン

第260回目の人生カフェは、令和4年4月8日(金)午前10時~12時30分、10 名(女性9名・男性スタッフ1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「人の命」であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

戦争によって人の命を奪うとはどういうことか?

5人の命と1人の命ではどちらを助けるか?

人の命と動物の命は違うのか?

いろいろ考えてみたいと思います。

 

まずは、導入のプログラムとして、「人の命の大切さを感じたエピソードをひとつお話しください (1分くらいで)」を行った。

(例)母の認知症の入院から死まで

*人間なんて何時死ぬかわからない

*父の入院時に医師から生命の選択を求められたこと

*阪神淡路大震災の時に大きな揺れを体験した時

*がんの告知を受けたことで余命について考えた

*気持ちが若くて元気が取り柄だった母が突然がん宣告を受けた。

*母と亡くなった祖父母の話をした

*認知症の義母の介護をしたとき、透析を続けるか決めなければならなかったとき。

*私が20歳の頃、父がクモ膜下出血で倒れました。1/3しか助からないと聞きましたが、幸い助かり、あのまま亡くなってたらと思うと、本当に感謝でした。

*夫を自死で亡くした時、人の命のはかなさを感じました。それを機にニュースで聞く訃報や災害などによる人々の死を、自分事としてとらえられるようになりました。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

(例) 人の命は一番の価値か?

出されたものは以下の通りである。

〇命の重さに違いはあるのか?

〇愛する人の命は何よりも大事なのに、見ず知らずの他人の命は自分事としてとらえないので、戦争が起こるのか?

〇生命の選択はできるのか?

〇200歳まで寿命が延びるとしたら、そこまで生きたいか?

〇人生を振り返ってみたとき、どんな人生だったら、一番幸せだったのか?

〇命の選択を誰に任せるのか?

〇不老不死は幸せか?

〇命より大事なことはあるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「生命の選択はできるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●突然に/急に、やってくると選択できない。ゆっくりやってくれば選択できるか?

●そもそも自分の死を自分で選択できるのか?

●産む時に生命を選択しているか?(帝王切開時の判断、不妊治療、人工授精、出生前診断など)

●選択する中身が徐々に変わっていく。

●エンディング・ノートは書いておいた方がいいのか?書く内容が変化していくのだから、随時書き直していくことが大切である。

●自分の気持ちを生前に伝えておくことは大切である。(しかし、伝えられる者の負担もある。)

●他人から自分の生命を根こそぎに選択されてしまうのは酷いことだ。

●人の命はあらゆる価値の根底にあるメタ的な価値である。この世に生きていることそのものの価値である。

●この価値を根底から崩そうとする暴力的な理屈、行為とは何か?

●この私の命をどう使うかは選択している。長い期間に渡って、あるいは突発的なことに対して。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○一人で考えていたことを話せて有難うございました。

〇日本の方々と死について、生について話す機会、有難うございました。 外人の中で暮らしていて、もやもやした気持ちが少し整理がついてきたようです。

〇命を選択しているというよりも、何か別のものと別のものを選択しているような気がしています。だからこそ、生きているうちに変わっていくような。

〇どんな死を迎えたいか、簡単に結論はでませんが、とりあえず普通の日常を大切に生きていける幸せを感じて暮らしていくしかないのだと思います。

〇今日は大変良い問いを出して頂いて改めて夫の死や自分の今後について考えることができました。私自身は普段からどうして欲しいか家族に話していますが、夫は自分の死んだ後のことは後の人に任せればいい、という考え方でした。それで私は苦労した部分もありますので、後の人に負担をかけなくて済むようにできるだけ準備しようとしています。夫の月命日には終活ノートを書くようにしました。生前葬というお話、興味深く聞かせて頂きました。もう少し調べてみたいと思います。

〇人に人生はいつ何が起こるか分からないから、悔いのないように今を精一杯生きる。エンディングノートには、物質的なことより、今を大事に生きなさいと伝えたい。

〇生と死の選択。人の命に関して、いつ、どこで、なぜ、どのように、……どれも選択できない?

〇延命治療をして欲しくないと今は思っています。 ただ、本当に死の間際にそう思うのか?

〇死について話ができる場は貴重で、みなさんの体験談が心に沁みました。自分に置き換えて考えるとあれもこれも命の選択だったのかもと思います。

〇あまり人と話す機会がなかったので、日本の事だけでなく、外国の考えや風習も伺えて、あらためて考える機会をいただき、ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

第259回人生カフェ・中高年の哲学対話 テーマ:「卒業」 オフライン・リアル

第259回目の人生カフェは、令和4年3月27日(日)午後2時~4時30分、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館・会議室において、9名(男性6名・女性3名)の参加者のもと、オフライン・リアルで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

東京で桜が満開となったこの日は、この時期ならではの「卒業」をテーマにした哲学対話を行った。

 

まずは導入のプログラムで、自己紹介とともに、卒業式の思い出を語ってもらった。

(例)周りの多くが泣いている中で冷静になってしまい、泣かなかった。

 

〇中学校の卒業式、「来るなよ!来るなよ!」 と言い渡していた母の顔が当日見えてしまった時の複雑な気持ち。

〇式は嫌い。もう会えないという意識が無かった→恋愛・人間関係うまく出来たかも?

〇中学校の卒業式で在学生が演劇をしてくれたのが印象的!

〇泣かなかった。これからの不安と期待。

〇放送室でこっそりとしりとりなどで遊びながら、校長先生の話などを聞いていた。

〇苦労してやっと迎えることができた高校、大学の卒業式、感無量の号泣。

達成感で一杯で、周りへの感謝は当時はあまり持てなかった。でも今になって私の奇跡の卒業は周囲の人の力によるものだと感謝している。

〇高校卒業式の思い出。最後に教室でみんな席についていて、先生の最後の話を聞いている中、これから自分は本当の人生を歩いていくんだという、すこやかで明るい希望と不安とさみしさと、嬉しさなどを感じた。

〇中学3年、地味でもの静かな担任の先生。1回だけ話しかけられた他、記憶が薄い。卒業式の日、その先生は病欠した。教室で「贈る言葉」を皆で歌った(歌わされた)。しらけた感じだったけど…。

 

次に問い出しを行い、参加者に卒業にまつわる自らの問いを出してもらった。

 (例)卒業と別れの違いとは何か?

 

〇学校を卒業することに一体どんな意味があるのだろうか?

〇何か「卒業したいこと」はありますか?

〇死は人生の卒業か?

〇何故、校長先生の話は わかりづらくて長いのだろう?何故、感謝することを押し付けるのだろう?何故、軍隊的にやるのだろう?

〇卒業する(終わる)ということはあるのか?世の中に「これで終わり」ということはあるか?

〇「卒業すること」に年齢制限はあるのか?

〇卒業の意味とは何か?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いの入口は「何か『卒業したいこと』はありますか?」となった。

その後、フリー形式で対話が行われた。(一部のみ記録)

 

〇入学と卒業はセットになっていて、それによって人が循環していくものではないか。

〇学校の卒業は社会制度・システム上のもので、集団・他人が決める卒業。他者が終わりを告げるもの。

〇自分が卒業したいのは過去のしがらみ。

〇子供に対して、(自分から)卒業してほしいと思うことがある。

〇何かしらかの通過儀礼は必要だと思う。

〇卒業式が軍隊的なのはどうか。あり方を変えるべきではないか。

〇卒婚や卒親、卒子という言葉があるが、これは自分たちで決める卒業で、関わり方を変えていくもの。けじめであり、次に結び付けていくものではないか。

〇(卒婚は)目標を達成・役目が終わった状態を認識して、次にこうしていきたいとお互いに再確認し、次のステップへ進むことだと思う。

〇卒業は達成感を得られるHAPPYなもの。振り返りや反省のタイミングでもある。

〇卒業(終わり)はないのでは?悪い状況を改善していくことで、卒業や終わりを経ずに延長・保守していく道もあると思う。

〇自分が今いる場所になじめなくなった、ここは自分がいる場所ではないと思って自ら巣立つこともある。

〇1人暮らしを始めたときに自分らしく生きられるようになった。今思えばあれは卒子だったのかもしれない。

〇人はなぜ区切りをつけたがるのか。区切りがある方が幸せなのか。

〇状況の中で次の生き方を考え直すタイミングが区切りでは。人はそれを繰り返していくと思う。

〇動植物にも区切りはあるのか?→昆虫が変態するように、プログラムされている区切りがある動植物もいる。

〇区切りがあった方が人間に成熟を促すのではないか。特に子供の頃は他者が決める区切りで成長する面があるのでは。

〇区切りをつけたがるのは、人間は常に上を目指そうとするから。それが本能的なものもあれば、卒婚や卒親のような意志的なものもあると思う。

〇「卒業」はそもそも学業を修める、終わらせること。初・中・高等教育と分かれているのは、人間の発達段階に沿ったもので、それが区切りになっている。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

〇他者が決めた卒業(区切り) の「枠感」に違和感。そこに自分の区切りを寄せられたら感動して泣けるのかな。

〇個人の夢は机で削られた上で卒業式を行う社会と学校はマトモか?

〇主体的に区切りをつけた方が目標を立てやすくモチベーションもあがる。そして捗る。

卒 =HAPPYであること、次のphaseに Step upしていくこと、区切りは自分の人生の価値を高めてくれる。

私が人生の主人公なのだから。計画性をもって悔いのない人生を送っていく。満足感・達成感を得られるようにしていけたら幸せ。

〇卒業は「学校の規定の全課程を修了すること」なのでそもそも私が出したテーマが破綻していた…(笑)。「区切り」は人間にとって気持ちの整理である。卒婚、卒親、卒子したいけどできない。してほしいけどしてくれないなどありそう。楽しかったです!

〇やっぱり、その時その時精一杯やること、その事に当たることは大事。例として、定期テスト→先生との対話だと思う (与えるーうけとる)。業を修めて、業を卒するとき充実感がある。そして新しいフェイズへ!→これがいいのだと思った。

〇オフラインでの哲学カフェは楽しいと感じました。自分自身での「卒」の意味を更に考えてみたいと思います。

〇これから何かを学んで、卒業するか?何か資格を取るか?学校に行くか?

私は哲学対話をしばらくは卒業しません。

〇区切る。卒業する。別れる…良いこともあるが、むしろ、心配事が多い。ドラスティックな革命ではなく、改善で何とかしたい。

〇区切りは生命体にプログラムされているのか?→「区切り」は必要か?内面的な区切りとは?

 

(記録:羽田美里)

 

【第258回記録】(デスカフェ風)・テーマ「一人称の死(わたしの死)」・オンライン

 第258回目の人生カフェは、令和4年3月24日(木)午前10時~12時30分、11名(男性4名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

今回初めて「デスカフェ風の哲学対話」というイメージで実施してみた。要は哲学対話という方法で、「死」をテーマに取り上げるということである。デリケートな問題でもあるので、運営・進行に配慮しながら実施したが、第1回目としては充実した内容になった。

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今年の1年間は随時、「死」について考えていきます。

デスカフェ風にカジュアルに死について話をしていくとともに、哲学対話的に問いを出し合いながら考えていきます。

(ここはお悩み相談、カウンセリング、グリーフケアの場ではありません。また、自殺を誘引するような話はお控えください。)

(参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

今回のテーマは、「一人称の死(わたしの死)」である。

死について考えるにあたっては、そのアプローチとして、「一人称の死(わたしの死)」、「二人称の死(近しい者の死)」、「三人称の死(だれかの死)」という分け方があります。

今回は、「一人称の死(わたしの死)」に焦点を当てます。もちろん、話は二人称、三人称へと自由に飛んでいっても大丈夫です。

 

まずは、導入のプログラムである。

自分のお葬式をどのようにしてほしいですか? (1分くらいでお話しください)

(例)身内だけで、できるだけ簡素に

*遺族がやり易い形で。

*直葬

*家族だけで簡素に…が望みですが、喪主に任せたいと思います。

*樹木葬

*葬儀はなくて良い。荼毘に付して故郷の山へ散骨してほしい。

*お葬式はこじんまりとが良いですが、残された人が区切りをつけるためのものなのでお任せします。

*死を迎えた時に無宗教であれば、儀式的なものはいらない。香典なしで、お越しになりたい方だけでお茶でも飲んでいただければと思います。

*今後家族を作るのかわからないので、親しい友人や関わった人が来て楽しく過ごせるような雰囲気のお葬式にしたいです。

*希望は言ってありますが、そうならなくても仕方ない…

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。

(例)(私にとって)死とは怖いものか?

〇自分の死期を知りたいか。

〇もし死ぬとわかっていたらやっておきたいことは?

〇死は怖いものだと思いますか?

〇準備、心構えが出来ている死とそうでない死のどちらを望みますか?

〇余命って知りたいものなんだろうか?

〇自分の死の何が特別なのか?

〇死んだ後は無なのか…。

〇死そのものが問題なのか、それとも死にまつわる周辺の事柄が問題なのか

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「自分の死期を知りたいか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●人はいつ死ぬかは知らない。しかし、いつかは死ぬのを知っている。

●自分の死期がある程度分かったらやりたいこと~会いたい人に会いに行く / 話をしたい人に話をする / 謝っておきたい / お金を使い切りたい / エンディング・ノートを完成させたい / …………

●ある程度時間の余裕を持って死期を知りたい。

●死期を知らないままの方がいい。

●いつかは死ぬのだから、いつ死んでもいいように準備をする。

●実際に死期が近づいてこないと自分の死のことは考えられない。

●死期が近づいてきた時、前向きに考えられるか、厭世的になるか。

●エンディング・ノートにおいては、家族への愛とともに自分が存在したことを示したい気持ちが込められる。

●死期が近づいてきても、日々の生活を大事にし、今の生活に集中する人たちがいる。(もちろん、身体が衰弱してくると、日常生活もやせ細ってくるのではあるが……)

●死を先取りして死から逆算していくタイプと、死をあまり意識せずに今を生きるタイプがいる。

●死を前にして、逃げるタイプと覚悟するタイプがいる。

●物理的・身体的に死ぬことと、AIやSNS上で精神的・幽霊的に生き続けること。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○余命宣告された後、人は平常心で生きられるだろうか? 人は、必ず死ぬと解っているけれど、なんとなく死なないような気分で生きていると思う。

〇映画で岡本喜八の肉弾を思い出した。

〇感謝と謝るの意味…。

〇SNS上のアカウント削除は一人称の死なのか?

〇死期がわかっていたら便利?ですが、分からないのでどう生きるかを意識していきたいと思いました。

〇自分の意識下における死はそこで終わりですが、捉え方によっては自分の寿命よりさらに生きることも可能なんだなと思いました。

〇つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

〇死期を知る事は不可能なので、「今を生きる」しかないのでしょうね。 やっぱり元気な内に稼いで使い切りたい。

〇生きているのは今の連続であって、死は自分のものではないと思っていますが、いざ本当に余命がわかったら、みっともなく取り乱すようにも思います。今を連続させることに執着するかも知れない。

ベルギーの映画で『神様メール』というのがあります。神様がすべての人に死期をメールしてしまうコメディです。ご興味あったらご覧ください。

〇死を意識すると生き方が変わってくる(であろう)? もちろん美しく前向きに生きたいが、揺れも、間違った美しさも、変わらなさもある(であろう)?

〇第1回目ありがとうございました。繰り返し同じようなテーマでやっていきます。 今後、適宜ご参加ください。

 

 (記録:本間正己)

 

【第257回記録】 本『生き延びるための思想』(上野千鶴子)(オンライン)

第257回目の人生カフェは、令和4年3月20日(土) 10:00~12:30、10名(男性6名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRリード文)

『生き延びるための思想 新版』(上野千鶴子著)岩波現代文庫

(今回は、最後の東京大学最終講義のところだけを取り上げます。)

今から約10年前、3.11から約4カ月後に行われた東京大学最終講義の記録です。

フェミニズム、ジェンダー、女性学、ケア(介護)、当事者研究、生き延びるための思想など、現在でも重要なテーマが語られています。

過去10年間を振り返る意味合いでも、これからの10年を考える意味合いでも、今改めて確認しておきたい内容です。

ご一緒にこの本について考えてみましょう。

なお、この東京大学最終講義の模様は、下記のYou Tubeで、無料で見られます。

https://www.youtube.com/watch?v=ZYCBCXtkUG8

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1~2分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

(例)女性学のパイオニア / ケア(介護) / 弱者が弱者のまま生き延びる

*生き延びる 問題 祈り 

*想定外、てんでんこ、介護

*東日本大震災/弱者/ケア

*フェミニズム、サバルタン、(社会的?)弱者

*弱者の選択肢は『逃げる」

*1.男としてのルール 2.共助のネットワーク 3.当事者主権

*弱者による弱者嫌悪 敵 自己決定・自己責任と当事者主権・自己定義権との違い

*・弱者が弱者でいるままが許される社会   ・ 人間の安全保障  ・   リスクがある装置を作るべきではない  

*本と映像 楽しみました。

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

(例) 「選択縁」は脆弱のために発展しないのではないか? 

〇女性進出によっての歪み!?

〇人間の安全保障のメリットとデメリットは何か。

〇なぜ男性の助産師さんは認められないのか?

〇「てんでんこ」は仕方がないのですか?

〇上野氏の人間の安全保障は弱者を固定化しないか?

〇「命より大事な価値」は本当にないのか?

〇(自分の中の)弱者嫌悪を克服しない限り、弱者間格差が発生してしまうのでは? (=選択縁というが、自己選択・自己決定に陥ってしまうのでは?)

〇強者、競争によって作られてきた歴史が、弱者が主権となる社会に変わることはあり得るのか。

〇祈りは無力なのか⇒違いを越えて共存する社会を構築するために立ち上がり闘うことは必要?人間の力を越えたものに対し挑戦し続けるのか、現状を受け入れるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「「命より大事な価値」は本当にないのか?」を取り上げることにした。

 

対話の内容(一部のみ記載)

●自分の命と他人の命、さらに動物・植物の命がある。今回の問いにおいては、一応「自分の」命より大事な価値について考えてみる。

●自分の命より家族の命を大事と考える、自分の命より自分が抱いている信念・信条を大事と考えるなどはあり得る。

●上のようなことを選択できる自由がある場合ではなく、戦争などにより強制的に命を差し出さなくてはならないことがある。

●このために命をかけたい、このために生きていきたいというものが世代的・時代的に変化していく。

●命の垂れ流しのような生き方をしていないか。

●命を落とす(死ぬ)ことを自分だけでは決められない。死は自分だけのものではない。自殺も自分の意志だけで可能になることなのか?

●ホスピスのような死にゆく場において、自分の命に対する価値転換が起こる。

●蟻は老いている蟻の方が巣の外に出て、危険な外で働き蟻として働いている。

●自分の命をどう使うか? 与えられた命、残された命を何のために使うのかの吟味は大切である。その際に選択できる自由は欲しい。

●上野千鶴子さんは個人主義を徹底し、おひとりさまで生き延びる(命を大事にする)という考えを持っているのではないか。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○感傷や正義感などと切り離したうえで、他人の死を理解することはできるのだろうか。

〇残り少ない時間の生きがいを探してきましたが、死にがいも探したいと思います。

〇まだまだ、命より大事なものを考えてみたいと思います。

〇哲学対話も非暴力を学ぶ実践である。

〇生き延びるための思想として、もう一つ個人的に思ったこととして、考えの柔軟性も大事、あるいは必要なのでは‥‥、と思ったりしました。

〇皆さんの経験を踏まえた考え、知識、情報を共有して頂き、参加するたびに自分の視野が広がっていくのを感じます。そして、皆さんに自分の考えと思いをお伝えでき、聴いて頂いたことに感謝します。アリのお話、同感です。夫が亡くなってから私は死を怖いと思わなくなった、これは大きな収穫ということを皆さんにお伝えしたいです。

〇上野千鶴子さんが言いたいこと:個人主義を徹底しないと、また共同体のしがらみに絡みとられて苦しむよ。自己犠牲のおぞましさがある。津波てんでんこの解釈の変化。

〇棄教者の上野さんが、「あえて」分かりづらい形で十字架を旧版の表紙にした理由が、皆さんの対話を聴いて、なんとなく解りかけた印象があります(いや?かえって解りづらくなったのかなあ)。ありがとうございます。

〇命とは何か。

〇思想の違い→戦争→命とは? 少しでもいい方向に向かうべき永遠のテーマ?!

 (記録:本間正己)

 

 

【第256回記録】 「参加者で問いを決める」(女性に生まれた幸せとは?)女性編(オンライン)

第256回目の人生カフェは、令和4年3月16日(水)午前10時~12時30分、11名(女性10名、男性・進行役1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

まずは、アイスブレイク・導入のプログラムである。

あなたが子どもの頃好きだった学校の科目をひとつ話してください (1分くらいで)。

(例)算数

*道徳です!

*体育

*体育

*算数(小学校までは)

*国語

*社会(主に日本史 戦国時代)

*国語です

*中学の時に歴史が好きでした

*道徳

*中学生から英語が好きでした

 

次に、問い出しを行う。 参加者には、自らの問いをひとつ出してもらう。 (例)人を受け入れるとはどういうことか?

(例)なぜ人は戦争をするのか?

その問いの背景、理由等について1~2分で話してもらう。

〇あざとさって何だろう?

〇世界の貧困をなくすために何が出来るか?

〇「おばさん」(オバサン)という言葉に傷つくのはなぜなのか?

〇守るべきものとは?

〇「沈黙に耐えることの難しさ」について。

〇女性に生まれた幸せとは?

〇「嫌いな人」とは何か??

〇幸せな人生とは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「女性に生まれた幸せとは?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

 

●比較によって考える。男性との比較(男の子に生まれればよかった?)、不幸(生きづらさを感じる時)との比較など。

●女性特有の「出産」ということ。産む・産まないの選択は大きい。

●男性は強くなければならないという観念が強く、外に対して絶えず戦っている。プライドが高く、「~すべき」という意識が強い。(「ヒモ」になるという選択もあるのだが……)

●女性はコミュニケーション力が高く、グチやおしゃべりで、かなりのところ不満を解消している。

●男を上手に転がすのが女の美徳であり、女の幸せに繋がる。この考え方って、何なんだ!?

●昭和の時代の母親に対して、令和の女性の生き方・考え方はかなり異なってきている。

●男女平等は進んできているが、未だに根強い偏見は残っている。

●生き方の多様性が認められるとともに、個人がバラバラになっていく孤立化も生じている。

●日本の自殺率は高い。自殺者は年間2万人超であり、男性7:女性3の割合である。近年、女性の割合が増加している。

●傷つける / 傷つけられる  ということから幸せというものを考えてみる。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○自分を深く理解してくれる人があれば、男女関係なく互いに幸せと思います。そういう人が無くとも、自身を理解すれば幸せではないでしょうか?

〇おじさんの幸せとは何か?

〇幸せは自分の心が決めるんだなと改めて感じました。

〇『生き延びるための思想』上野千鶴子、『老いを愛づる』中村桂子、読み進めたい。考えていきたい。

〇女性の幸せ、深く考える機会をありがとうございました。元始、女性は太陽であった。太陽のようにはいきませんが、自分が幸せでなければ、家族や周りを思いやる気持ちは持つ余裕がないと思うので、幸せを追求していきたいです。

〇貴重な体験や考え方、知識を共有して頂けて嬉しいです。私の出したテーマと近かったこともあって、自分のことも聞いて頂けてすっきりしました。皆さんとまた別のテーマでも深く話ができればと思います。

〇砂も地球のかけらなんだと by アンルイス   負けを認めることで、幸せは転がっている事に気がつくかもしれない。

〇皆さんの意見を聞きながら、私は比較的中立なところにいるように感じた。女を武器にしたり、女の優遇みたいなものを享受してこなかったからかも。 専業主婦やパートの女性をみて、いいなぁと思うときもあれば、バリバリ働いている男性をみて、いいなぁと思うときもある。どっちにうまれても多分幸せになれそうだと気づかせていただいた。

〇貴重なお話本当にありがとうございました。生きづらさと幸せは近いのかもしれないと思いました。

〇幸せとは何かは見い出せないままですが、今あること、気づきに感謝していこうと思います。善悪の判断のまえに、あるがままの自分を受け入れていけたらと思います。

〇女性に生まれた幸せというのはすみません、私にはやはり分かりませんでした。新たな問いとして傷つきとは?という問いが生まれました。貴重な勇気あるお話し、ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

【第255回記録】 「人生の選択」深掘り編(オンライン)

第255回目の人生カフェは、令和4年3月12日(土)午前10時~12時30分、11名(男性8名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

今回、人生カフェとしては初の試みとして、対話の間(約1時間)はビデオの停止(顔出しなし)の状態にした。

進行上は特に問題はなく実施することができた。次回同様な試みをするとしたら、最初から最後まで全部の時間(2時間30分)をビデオ停止にしてみたくなった。

 

まずは、導入のプログラムとして、「最近において、あなたが行った人生上の大きな選択とは? (ひとつだけ1分以内でお話しください)」を行った。

(例)アルバイトをすること

*読書会をはじめたこと

*携帯の電話会社と機種

*腰痛対策

*父親の介護のため実家に戻った

*禁酒

*コロナワクチンの接種

*スマホをアンドロイドから初めてiPhoneに変えたこと

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)私は本当に自由に人生の選択をしてきたのか?

〇人生の選択は能動的か受動的か?

〇人生の選択において、何を大事に決め手としているのだろう? 〇人生はそもそも選択できるものなのだろうか? 〇何を基準に人は選択するのか? 〇人生の選択は冠婚葬祭・就職等々社会の掟に規定されているのではないか? 〇今生きているのは選択の結果か? 〇人生の選択で最も重要なのは「自分の死をどうするか」だと思います。 〇人生の選択はなぜ大事か?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「人生の選択において、何を大事に決め手としているのだろう?」を選んだ。

 

その後、カメラオフで、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●大きい選択と小さい選択がある。長期的な選択と短期的な選択がある。

●選択の自由度の高さがポイントになる。たくさんの選択肢があるか、少ない選択肢しかないか。自発的な選択か、外からの強制的な選択か。

●基本的には幸せになろうとして選択しているのではないか。その人の価値観に基づいて選択している。

●人との出会いによって、選択が変わっていく。

●やらないで後悔するか、やってみて後悔するか。

●選択をすれば、その選択に対して、責任を負う。

●選択に対しての自己肯定感と自己否定感。自分の選択について、自分なりの解釈をどうするか。

●偽善的な選択とは何か。自分に正直・誠実ではない選択?

●一度選択すると、もう覆せないという感じがある。上書き出来る選択はいいですね。選択後、固定されるところと変更できるところがある。

●選択するときの不安の中身は何?

●選択する時のドキドキ感(不安)とワクワク感(期待)。

●現代の資本主義社会、ネット社会においては小さな選択を絶えず迫られている、駆り立てられている感がある。小さな損得で動かされてしまっている?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○自分の考え方の特徴がよく分かった。

〇人生は選択のプロセスの繰り返しか?

〇能動・受動。選んでいるのか、選ばされているのか。なぜその選択肢を選ばないか・選べないか。自分で選べる程度はどれぐらいなのか。いろいろ考えましたが、ぐるぐる回りますね。

〇選択に自由がある時はワクワクすると思います。選択を強いられているようなときは不安、悪い予感みたいなものが拡がるんではないでしょうか?

〇能動的でもあり受動的でもある。不安もあれば期待もある。自分にも相手にも選択の責任がある・・・等々正反対のベクトルが複雑に交差している感がしました。

〇選択肢の多さと幸福度は比例しない。どんな選択でも、幸福につながるように生きていきたいです。

〇人生の選択とは勇気がいること、なぜならこの決断によって長期的な事柄が生じるから。 決断の仕方は人それぞれ価値観の違いから、一度決めたら後悔しない、失敗したらやり直す。失敗は成功のもと

〇選択は受動と能動が交っている。これが気に入った。中動態?

〇選択したと見るか、させられたと見るかの捉え方の違いで、その時の都合の良い様に捉えるのがいいと思います。

〇人生の選択において、私は何を大事にしているのだろう・・・という有意義な時間になりました。

まとまらないけど、

・選択後の状態に対する、不安と期待の比較

・自分の信念や価値感、ゆずれるものかの重さ

・損得比較

みたいなもので判断しているのかなぁ・・・

感想:顔を出さないのって、初めてでしたが、話に集中している自分がいて、とても新鮮かつ、いいなと思いました。

〇y=(1+r)tのrを大きくできそうもないので、tを大きく即ち「選択」をたくさんする(失敗も含め)

 

 (記録:本間正己)

 

【第254回記録】 「努力」入門編(オンライン)

第254回目の人生カフェは、令和4年3月6日(日)午前10時~12時30分、23名(男性12名・女性11名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今回は定員25名という大人数で開催します。 話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。 顔出しでも・出さなくてもいいです。 途中参加・途中退出も可です。 お試し参加の方も歓迎です。 (参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

今回のテーマは「努力」である。

まずは、導入のプログラムである。

「最近、自分としては努力したと思うこと」

(例)小論文(約8000字)を書いたこと

(最初に話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*スマホでズーム参加できたこと

*読書会を立ち上げたことです。

*約1年、ラジオ体操を週5で続いている

*自分主催のイベントの準備をしたこと

*内面を見つめてきたことで、現実が変わってきた

*ブログを2年間続けていること(毎日記事のアップ)

*丁寧にお菓子作りをしたこと。(クッキーシュークリーム)

*高校で日本語教師をしています。スピーチコンテストがありました。一生懸命作文指導しました。

*読書会を始めたこと

*勉強中のwebライティングで企業のライティング募集案件との仕事を受けられたこと

*早朝座禅を一年半続けていることです。好きになって心もすっきりするので努力している感じは少ないです。

 

次に、テーマについて問いを出してもらった(今回は先着7名の方の問いを採用した)。

(例)努力しないのは悪いことか?

出されたものは以下の通りである。

〇「努力する」のは誰のためか? 〇努力すれば必ず報われる。叶わなければ、努力が足らない。努力は大切だと分かっているが、報われない努力もありました。どう思われますか。 〇楽しい努力と辛い努力の違いは? 〇努力不足は誰が決めるのか?

〇羽生選手が報われない努力と言いましたが彼にどんな言葉を掛けますか 〇頑張らない=努力しないということ? 〇無駄な努力はあるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「楽しい努力と辛い努力の違いは?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(25分)、全体において(約45分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●楽しいのなら、それは努力と言えるのか?それとも努力している自分を楽しんでいるのか?

●努力すると頑張るの違いは?

●努力する先の目標設定が大きな意味を持つ。その目標は、いい目標か、悪い目標か。

●オレオレ詐欺を実行するために、あれこれ考えたり行動したりすることは努力か?

●一人称の努力(自分が自分を見ている)と三人称の努力(他人からの評価がある)

●自らがやりたいと思っている内発的動機からの努力は楽しく、他人からの評価を求める外発的動機からの努力は辛い。

●努力できる人と努力できない人、努力もひとつの能力か?

●努力は思考や自由意志から生まれる?

●無意識的な、生命維持的なものは努力とは言わないのか? 生きていることそのものが努力とも言える?

●努力に対しての報酬(報われる)とは?

●努力を単に目標に対する手段と見るか、プロセス(過程)と見るかによって異なる。

●努力とはひとつの生きる態度・姿勢のようなものである。

●努力には、何かしら困難がある中で、前向き、計画性、長期的、こつこつと積み重ねる、持てる能力を振り絞る、エネルギーを通常より使う、などのイメージがある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○皆さんのご意見を聞いておもいました。努力を「する」こと「している」こと「できる」こと。

〇生きていること自体が努力ということにとても考えさせれられました。

〇もう一人の自分が自分の行為(努力など)を見ている。

〇努力をしなくなった時、本当の自分になれるかも

〇太陽は努力していないのか?細胞レベルでは努力しているのか?、、、と考えると、努力は「自由意志が生命にはある」という前提に立っていることになる。一方、すべてのものに魂が宿ると考える日本的宗教観だと、、、太陽さんも努力しているのかな(笑)

〇オレオレ詐欺をする人の努力。。。私はそれを努力であると言いたくない!

〇私は努力が苦手なタイプなので、ちょっと頑張ると自己肯定感が生まれて幸せになれます。

〇努力は無駄ではないけれど、やみくもに努力しても上手くいかないということは実感しています。正しい方向に努力するに共感します。

〇努力は人それぞれ考え方、捉え方の違いがある。内側と外側に向けた努力、手段と過程とどちらに赴きを置いているのか。決して、努力が報われなくてもその過程を楽しめたなら、楽しかった努力と感じられるんだと思った。辛いのは外側に向いているのかなと感じた。

〇努力は報われないことが多いと思っている方がやはり多いんだと感じました。努力はそのとき報われなくても、長い目で見れば自分の身になっていることが多いんじゃないかと思っている自分がいます。

〇生きているということ自体が努力していることという考えはとても好きです。あと結果が出なくても努力したという経験は自分の中に残るので、すべての努力は報われているんだという考えは救いになるような気がします

〇努力の種類は?

〇努力には意識してする努力と無意識に命をつなぐ努力があるとするならば生まれてから死ぬまで努力し続ける。その中では成功も失敗もない。さんまの生きてるだけで丸儲けの言葉が好きです

〇「努力」という言葉に対して、人によって様々な考えを持っていることを傾聴しながらワクワクしました。初めての参加ですが、楽しかったです。

〇つらい努力、つらくない努力が「評価されるorされない」に基づいて分かれる感覚なのであれば、

・結果だけを評価する世界(成果主義)

・努力量も評価してくれる世界

この世界の違いは、幸福を考えるうえでは、実はとても大きい問題である気がしました。

〇①気づき:努力できることは能力のひとつ②新たな問い:能力のひとつならば、能力がなくてもいいのか(努力しない)③感想:お試しで努力をやめてみたくなりました。

〇努力をしない日を作る努力をしたい。

 

放課後タイムでは、30分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第253回記録】 映画「世界から猫が消えたなら」(オンライン)

第253回目の人生カフェは、令和4年2月27日(日)午前10時~12時30分、7名(男性3名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、映画「世界から猫が消えたなら」を素材にしての哲学対話であった。

 

〈PR用のリード文〉

ある日、余命いくばくもないごく平凡な30歳の郵便配達員(佐藤健)の前に、自分と同じ容姿を持つ悪魔(佐藤健)が出現する。その悪魔は、彼の身の回りの大切なものと引き換えに一日の命をくれるというのだ。彼は初恋の女性(宮崎あおい)と再会し、共に過ごした日々を振り返る。川村元気の小説を原作に描くドラマ。(哲学的な思考実験の話?)

 

最初に、この映画を見てのざっくりとした感想を、ひとり1分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

(例)ラーメン      名前がない家族         若い人の死

*猫、匿名性、海外

*滝などのロケ地

*寿命 猫の名前 記憶

*母親、父親、タツヤ

*時間による不自由 生きる意味 映画

*トロッコ問題・お金・公平性

 

次に、各自に、この映画を見ての問いを1個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

(例)あなたにとって、世界から消えてしまうとたいへん悲しいものは何か?

(例)若いのに死ぬというのはどういうことか?

(例)妻と子どもを亡くしてしまう男の悲しみとは?

〇人の命の価値は(年齢・社会的地位・ジェンダー等)均一なのか?

〇生きる意味とは?(生きてやるという言葉の解釈など)

〇余命を知ることは不幸なのか、幸せなのか?

〇命の替えはどうなるの…。

〇人の存在とは?

 

そして、出された問いを多少整理して、小ネタから大ネタへ順番に、みんなで対話(フリートーク)をした。

 

〇は問い、●はフリートークの内容(一部のみ記載)

 

〇余命を知ることは不幸なのか、幸せなのか? ●余命を知ることによって、それまでの人生を振り返る時間が与えられる。

●後悔とか、不安とかの感情がどのくらい生じるか否かにも関係する。

●突然の死が不幸だったとは必ずしも言えない。

〇命との引き替えはできるのか?

●お金に換算されることはある(身代金、賠償金など)。しかし、それは命と本当に引き替えられたものとは思えない。

●電話、映画、時計、猫……命と引き替えられたとは思えない。

●命に相当するものは命だけ? 新しい命の誕生?

●「生まれてきてくれてありがとう」

〇人の命の価値は(年齢・社会的地位・ジェンダー等)均一なのか?

●若い人の命の方が年寄りの命より価値があるようにも思える。(実際に死亡賠償金は若い人の方が高い。その後の収入見込みから計算される。)

●社会的地位、男女差も、経済的には差を付けて計算される。

●しかし、一人の人の命の尊厳、権利等の観点からして、そもそも差を付けられるのか?(トロッコ問題)

〇生きる意味とは?(生きてやるという言葉の解釈など)

●若くして、事故で、突然に死んでしまうという不条理

●わたし一人が死んでも世界は何も変わらないだろうという感覚

●その人自身が自分なりに生きる意味を見出しているか、何かしらの納得感、満足感を持っているか。●近しい者(親子、きょうだい、恋人、友人など)との関係・繋がりはある。

〇他人の存在とは?

●周りの人(自分の周囲の近しい者たち)の存在は大きい。

●他者がいるからこそ、自分の存在を自覚できる。

●この映画では、本人(僕)の死は思考実験の出発点(条件)として設定されており、母、父、恋人、友人との関係こそが中心に描かれている。

●それら他人との関係を串刺しにしている他者(狂言回し)が、レタスとキャベツといった猫たちである。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○「独りぼっち」「孤独」というような概念も他者があってことだと思いました。

〇命のあたたかさ。

〇他者の存在によるプラスな思いもマイナスな思いも自分の存在を自覚することにつながるというような言葉が心に残りました。また、若いなどの線引きについて気になりました(命の価値のところでの)

〇もし●●がなくなったら?を考えることで、自分の大切なもの(生きる意味、人とのつながり)を再確認できるのかなと思いました。

〇悪魔は僕自身であった。妄想がすごい。

妻と子どもを亡くしてしまう男の悲しみとは?

〇若い方の命>高齢者の命、は、もごもごしているなかで感じました。一方でそこに社会的地位等のあらたなファクターが追加された時の符合が変わる可能性について対話したいと思いました。

〇「何かを得るときに、何かを失わなければならない」 無くした時にそれに代わる何かが本当に存在するのか?

 

 (記録:本間正己)

 

【第252回記録】 (女性編)・テーマ「自分らしさ」(オンライン)

第252回目の人生カフェは、令和4年2月24日(木)午前10時~12時30分、9名(女性8名・男性スタッフ1名)で、zoomを使って、オンライン(有料500円)で実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「自分らしさ」であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

女らしさ、娘らしさ、妻らしさ、母らしさ……これらを強調することは少なくなりました。

自分らしさについてはどうでしょうか?

自分らしさって一体何でしょう? 自分らしさって本当にいいことでしょうか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたが自分らしいと思うことをひとつ話してください (1分くらいで)」を行った。

(例)心理学の本を読むことが好きなこと

*今、眼鏡が見当たらず慌てています。自分らしいと思います。

*自分らしさとは、成長し続けること

*備えをしておくことが重要だと常々思っていること

*健康的な事をしている時が自分らしいと思います。

*昨日1日、普段の1週間分くらいの色々があり、大泣きしました。大泣きの自分が自分らしいと思いました。

*そうとうやりたいことをやってきた人生ですが、それは社会や他人とのかかわりの中で比較しているだけのことで、何が自分らしいのか、また、自分らしさというものがあるのか、よくわかりません。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

(例)自分らしさとはどこに存在するのか?

出されたものは以下の通りである。

〇自分らしさ、って何でしょう。

〇自分らしさって誰が決めるのだろうか?(他人に決めつけられるっていやな事があります)

〇自分らしさって、心地よいものだろうか?

〇「自分らしさ」と「自己認識している自分」の違いは何か?

〇自分らしいと感じているときってどんな気持ち?

〇一日のうち気がついたらやっている癖のようなものって何ですか?

〇自分らしさを感じて気持ちいい時ってどんな時ですか。

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「自分らしさって、心地よいものだろうか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●何かしら一貫性のあるもの(それは例えば性格、クセと呼ばれることもあるもの)が自分らしさを現わしている。

●自分らしさは心地よいものばかりではない。欠点も含まれるから。

●自分らしさをどこまで認められるか。自己受容できるか。

●自由にしている時、趣味をしている時に、自分らしさが発揮される?

●仕事をしている時、家事をしている時にも自分らしさは現れている。

●何かを選択する際に自分らしさが出る。

●生き方を変える時、別の可能性を考える時、自分らしさを判断基準にしているか。

●外からの評価(例えば「女らしさ」)よりも自分軸の評価が重視される時代になってきた。

●外からの強制的なものより、内発的なものが価値基準になってきた。

●一般的な社会基準より、自分の好きなことをすることが新たな生き方の基準になってきた。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○今までの自分の生き方は、何かのカテゴリーにはめられてしまうことへの抵抗だったとわかりました。社会で生きている以上、完全に逃れられることはないのですが、とりあえず解放された視点を持つよう意識して暮らしていきたいと思います。

〇自分に対して、どこまで客観的になれるのだろうか?

〇とても楽しい時間でした。でも、今まで以上に「自分らしさって何だろう」とわからなくなりぐるぐる回っています。この後、そのモヤモヤを楽しみたいと思います。

〇「自分らしさってよくわからない」 でも良いだろう

〇「らしさ」は、もうあまりこだわらないでいいかも。 「自分らしさ」が強迫的になることもある。ただ、自分らしさを考えていくと、自分の好きなことが見えてくることもある。自分らしさより、自分が好きなことを基準にしてよいのだろうと思う。

〇人それぞれ基準としているものがあるなと感じました。その時の状況や人間関係の中で考えながら行動していて、どの方の人生もその人らしいです。

〇対話に関する自分の壁に気が付くことができました。

〇自分らしさは社会との兼ね合いを見ると心地よくはない。が、その心地わるさを生きることが自分を生きることかなと思いました。

〇今日はありがとうございました。皆さんのお話しをうかがって、自分の中の反応や感じ方を楽しんでいました。また、皆さんの経験からの言葉に対して「尊重」というワードも浮かんでいました。自分の基準も周囲の人の基準も心地よいものであるよう尊重していければと思います。

 

 (記録:本間正己)

 

第251回人生カフェ・中高年の哲学対話(入門編)・テーマ「推し」オンライン

第251回目の人生カフェは、令和4年2月23日(水・祝)午後2時~4時30分、参加者8名(男性4名・女性4名・欠席2名)で、zoomによるオンラインで実施した。(進行役:羽田美里)

 

この日のテーマは「推し」。

告知の際のリード文を一部抜粋する。

 

好きな対象を追いかけ、応援する「推し」の言葉は、すっかり定着した感があります。

かねてからアイドルやキャラクターなどに熱意を持って応援するファンは多数いましたが、かつて流行った「オタク」や「オタ活」よりも、「推し」「推し活」はさらに一般化しているのかもしれません。

推しはなぜ今、こんなに定着したのでしょうか?

あなたには推しはいますか?

今いない人は、推しがほしいでしょうか?

今推しがいる人は、推しにどんな気持ちを抱いているのでしょうか?

…などなど、推しの魅力や、推しとの関係などについて、いろいろ考え、皆様と対話できたらと思います。

 

まずは導入のプログラムとして、自己紹介と「小さい頃・若い頃に好きだったもの(推し)は? 今もその対象は好きですか?」を1人ずつ話してもらった。

例)シャーロック・ホームズにハマり、今でも時折読み返している。いつでも帰れる場所のような暖かさ

*フランソワーズ・サガンの小説

*読書が好きでシャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパン、明智小五郎など熱中した

*吉永小百合(40代以降)

*おモーさま(萩尾望都の漫画)

*ウルトラマン

*ブルース・リー

 

ルール説明の後、各自1つずつテーマについて自由に問いを出してもらった。

出された問いは以下の通り。

(例)推しとのより良い付き合い方とは?

〇推しとは推す人にとってどのような存在なのだろうか?

〇推しが代わるのは、自分が変化したからか

〇推しの効果は何。

〇単純に好きではない「推し」への裏にある熱い想いを言葉にするとどんな言葉になるのか?

〇自分のしていることは推しなのか?

〇どうすれば推しができるか?

 

以上から、多数決によって対話の入口の問いを決め、「推しが代わるのは、自分が変化したからか」になった。

 

その後、前半30分、休憩をはさんで後半1時間、フリーの対話が行われた。一部を記載する。

 

●推しが一般化した理由がよくわからない。ファンや好きとは違うのか。

●推しが代わるのは自分が変わったときと推す相手が変わったときがある。相手の変化も楽しめれば推しは代わらないかもしれない。

●推しは代わらないもの。「推す」行為なので、対象を成り立たせるために世間にアピールすることが含まれる。

●推している自分が好き、認めてほしいという承認欲求があるように思う。

●推しが一般化することにより、かつての「オタク」に比べ恥ずかしいことではなくなり、ポジティブな意味合いになった。

●新興宗教の教祖は推しの対象なのか。依存もあるのではないか。

●昔からあったご贔屓、お気に入り、ファンなどが混ざって曖昧な言葉のまま市民権を得てしまった印象。

●推しに対しては「応援したい」「育てていきたい」気持ちがある。

●推しはタニマチ的なもの(贔屓にして、お金を出してあげて、育ててあげる楽しみ)が若年化したものか。

●韓流やジャニーズ、宝塚が流行って中高年女性の「不倫はしたくないけど恋愛したい」気持ちが満たされた。

●推しにはときめきや心地よさを感じる。

●疑似恋愛や子育てに通じるものがあると思う。

●沼にハマって、そこから推しの行為に転じるのではないか。

●推しは苦しい生活の中の彩りや現実逃避、生きるエネルギー、救いにもなる。

●推される側の気持ちとはどんなものだろう。例えば、親に推される子どもの気持ちなどを考えてみる。そこにはプレッシャーというものが含まれる。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

〇「推し」には現実逃避的な側面もあるかと思います。現実あっての逃避、現実を失くしてはならないのでしょうね。逃避して幸せを感じるならいいことです。好きなことがあるって、幸せと思いました。

〇吉永小百合さんに恋している? そのような感じはある。しかし、育てている感じはない。(笑)

〇自分を「推し」にしたい!

〇「推しに会うまで頑張ろう」「会えて幸せ。明日からも頑張ろう!」って思える推し。人生の彩りですね。これからも推していきたいと思います。

〇押し活

〇ライトな推しからヘヴィな推しまであると思いました。推しの精神性にまで踏み込んだ面白い対話ができたと思います。推しという言葉が残っていくのか廃れてしまうのかわかりませんが、そういう気持ちは私達の中でいつまでも残っていくのだろうと思います。

〇「推し」の幅広さとポテンシャルを感じました!

(記録:羽田美里)