【第409 回記録】人生カフェ・年間テーマ「人生」・4月「決断と人生」オンライン

第409回目の人生カフェは、令和6年4月18日(木)午前10時~12時30分、15名で、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

今年の1年間は随時「人生」について考えていきます。

上から目線の人生論を語るわけではありません。主に各人の経験から一人称で考えるようにします。

様々な視点から各月のテーマを設定していきます。

例えば、「子ども時代と人生」「青年期と人生」「成人期と人生」「高齢期と人生」「死と人生」「喜怒哀楽と人生」「愛と人生」「幸福と人生」「親・きょうだいと人生」「学校と人生」「仕事と人生」「お金と人生」………。

ご一緒に人生とはそもそも何なのかについて考えていきましょう。

 

今回はオンラインで開催します。

 

お互いの心理的安心の為、原則カメラオンでの参加をお願いしています。

ご事情によりカメラをオフにされる場合も、1回は顔出しまたは声出しをお願いします。

ここはお悩み相談、カウンセリングの場ではありません。他の人へのアドバイスをする場でもありません。ディベートの場でもありません。

話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。録音、録画、写真撮影は禁止です。この場で話されたことは他の場では話したりSNSに投稿したりしないでください。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

 

4月テーマ:決断と人生

大きな決断と小さな決断があるとは思います。

小さな決断とはちょっとした選択のようなものであり、毎日、頻繁に行っています。

何を食べようか?次に何をしようか?掃除をしようか、しまいか?………

しかしながら、今回はどちらかというと我が人生を左右した大きな決断の方に焦点を当てていきたいと思います。

この大きな決断によって、その後の我が人生は彩られてきました。

そのような大きな決断をなぜ私はしてしまったのだろうか?

それは運命ともいうべきものなのでしょうか?

人生の節目となった決断について、ご一緒にいろいろ考えてみましょう。

 

内 容:

 

〇導入のプログラム

あなたが今までの人生で決断したことのエピソードをひとつだけお話しください。

(例)大学時代に理系から文系(教育学部)へ転部したこと

話をしたい人のみ、チャットに書き込んでください。(チャットの内容は後日、匿名の上、記録として公開します。)

話をしたい人のみ、1分くらいで話していただきます。

*就職で実家を離れて寮生活

*会社員時代に、上司のセクハラを告発した時。

*プロジェクトを計画する上で自己の意志にこだわらない。

*二十代の時、転職したことです。

*大学、企業まで理系だったが、28歳で国文科に入り直して文系の職をつづけた。

*結婚

*高校を中退したこと

*高校から大学への進学の悩みの末、経済的困窮から東京に出て印刷工場で働く。家庭内が混乱していたため。

*入社時からの最大の希望:海外赴任し生活することを目標に頑張ったが、親の病気入院で仕事か生活かの選択をせまられた。

*仕事のこと、お金のこと、結婚のこと、進学のこと

*都会から田舎へ移住したことへの恨み、後悔。

*転職

*40代で短大に入学

 

〇対話のルール説明

 

〇問い出し

参加者の皆さんには、テーマに関する自らの問いを考えておいてください(1人ひとつ、全体で10個くらいの問いが出ることを想定しています)。

(例)私の決断は偶然か?必然か?

(例)決断を後悔することに意味はあるのか?

話をしたい人のみ、チャットに書き込んでください。(チャットの内容は後日、匿名の上、記録として公開します。)

その問いの背景、理由等について1分くらいで話していただきます。

*決められないときにはどうしたらいいか

*未来の決断と過去の決断の違いは何か?

*決断を納得するとはどういうことか?

*決断するとはどういうことか?

*決断をした時の基準は何か?

*決断と成り行きは区別できるのか?

*決断に際して重要な点はなんなのだろうか?

*決断する勇気は人生にとって大事なのか?

*決断した、しないでは人生はどう違うのか?

*決断と判断(選択)の境目とは?

 

〇問い決め

参加者から出された問いから、入り口の問いを投票により一つに絞ります。

「決断を納得するとはどういうことか?」

 

○休憩

 

〇対話

入り口の問いから、みんなで対話(フリートーク)をします(50分くらい)。

(記録は一部のみ)

●決断には、選び取るという面だけでなく、断つ・捨てるという面がある。

●決断は瞬間的に行われるかもしれないが、自らの人生の過去や未来と繋がっている。

●自分ひとりだけということではなくて、他人・周囲の人たちとの関係において、決断はなされる。

●納得するか、後悔するか。動物にはなく、人間だけが持っている。失敗を繰り返さないため、自分自身を知るために、備わっているのか?

●AIも結論・回答は示すけれども、納得や後悔はしない。

●内発的な納得と外発的な説得?

●決断には、時には生死を賭けるような、岸壁に立たされているような迫りくるイメージがある。そこには勇気が必要か?

●選択肢が全くない場合は決断とは言えないだろう。

●未来へ向けて希望や楽しみがあるポジティブな決断と、仕方なく決めざるを得ないようなネガティブな決断がある。

●決断を迫られた時に、楽な道を選ぶか、あえて困難な道を選ぶか?

●決断した後でもやり直しができるかどうか、戻れるかどうか。

●決断に不安や恐怖は付き物である。最適・最善を目指して選択していくしかないのではないか。

●相手にボールを投げる時(決断する時)、ボールが離れた後にボールがどのように相手に届くのかはコントロールできないし、不安である。

●決断、納得、後悔がたくさん詰まっている自分の人生の物語(ナラティブ)を自らがどのように捉えているか。

 

〇最後の20分くらい、振り返りの時間を設けます(ひとり1分くらいで)。

*最後にきて、「決められないときにはどうしたらいいか?」、決断の前段階を問いとして考えていきたいです。

*決断することによって学習できたことの大きさが改めて確認できたように思います。哲学上の決断につながります

*人は、一瞬の決断に一生の納得を求める。生きやすい物語になればいいですね。

*大きな決断(一人暮らし)を何となくやってしまうことと、小さな決断(バーゲン品の買いそびれ)に大後悔する自分が分からない。

*人生は大小の決断の連続でできていて、いつでも今この時からやり直せばいい(実際にしている)のではないかなと思いました。

*決められないときには、他者や世界とどういう関係をもちたいかを考えたいのかな

*未来の決断をするのは、今の自分に納得していないのだなl〜と気づきました。

*決断も納得も積極的に意識している、意識して行っていることが大事かな。

*人生の多様性を認め共感できる社会でありたい。女性の決断には、社会的制約などの男性がわからない面が多くあること。チャレンジは結果を問わない。

*失敗に学ぶというのが人間の特性と考えれば、心理学的には、刺激と反応と結果で考えています。いろいろな発言の中に学べることがたくさんありました。ありがとうございました。

*情況は変化するので、どんな決断をしても100%納得することはないことを事前に覚悟しておく必要がある。

*過去への捉え方は、日々変わっていくと思います。その変化を楽しめるようになりたいです。後悔している決断も、どう変わっていくか…

*アドラーの「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」と関連するかもですが。決断というリリースポイントを離れた後の対人関係でのハレーションに「びびって」いる自分がいます。

 

〇終了後に放課後タイム(30分)

 

 

(記録:本間正己)

 

 【第408回記録】人生カフェ【男性限定】・オンライン・テーマ「挑戦」

 

第408回目の人生カフェは、令和6年4月14日(日)午後3時~5時半、12名(男性11名・女性進行役1名)の参加者のもと、オンラインで実施された。(進行役:羽田美里、本間正己)

 

〇テーマ

今回のテーマは「挑戦」であった(PRの際のリード文は以下の通り)。

桜彩る春がやってきました。学校や官庁をはじめ、多くの組織で年度が改まるこの季節は、進学や異動、入退社など環境の変化が起こりやすく、新しいことに対峙する方も多いのではないでしょうか。

「当たって砕けろ」「叩けよさらば開かれん」「虎穴に入らずんば虎子を得ず」…など、チャレンジ精神を表すことわざも様々ありますが、皆さんは「挑戦」の言葉から、どんなイメージを持たれますか?また、ご自分を鑑みた時、これまでどんな挑戦をしてきて、これからどんなチャレンジをしてみたいでしょうか。

この季節に始まりやすい、「挑戦」について、皆さんとともに考えてみたいと思います。

 

〇導入のプログラム

まずは、導入のプログラムとして、1人ずつ自己紹介とともに、最近トライした初めてのことについて、または今後やってみたい初めてのことについて、エピソードをお話してもらった。

例)先日、インド映画ダンスを体験しました。激しい動きについていくのがやっとでしたが、緩急ついた独特のインド音楽に体をのせるのが心地良く、インド映画の楽しさを体から味わえたような気持ちになりました。

例)今後やってみたい初めてのことは、スカイダイビングやバンジージャンプ、宇宙旅行など。「飛ぶ体験」をしてみたいです。

・健康麻雀。

・オンライン開設の取り組み。アート系です。

・人生カフェに初参加ですので、人生カフェに参加したことがチャレンジになります。

・相撲観戦。

・読書。「銃・病原菌・鉄」ジャレド・ダイアモンド著を読んでいます。

・zoomを有料にして、自分のグループをとりあえず作った(だけ)。

・やってみたいことは、仕事以外で、人と交流する機会が減っているので、増やしたい。

・2020年からアイドルの推し活を始めました。4年も続いていて自分でも驚いています。そのお陰か、円形脱毛症がよくなりました。もう一つはつい先週からトライしたのですが、「テキストマイニング」というインタビューなどで集めたコメントからよく使われる言葉を取り出す手法に挑戦をはじめました。

・zoomのホストとして、居ながらにして対面できる同級会の開催に挑戦したいと思っています。

・自分+1~2人の小さな読書会を少しずつ複数立ち上げ中であること。

・ラテン語、ハングル語を習得したいです。チェロも習ってみたいです。

・お笑いの舞台に出てみました。

 

〇問い出しと問い決め

次に、テーマについて自由に問い出しをしてもらった。出された問いは次の通り。

例)挑戦と無謀の違いとは?

・挑戦していくための仲間集めをどうする?

・挑戦する気持ちは加齢と共に減退するのか?

・過去やってうまくいかなかったことに再度挑戦するためにはどうしたらいいか?

・「しなかった後悔」より「した後悔」とよく言われたりするが本当か?

・挑戦の絶対的な条件・要素とは何か?

・挑戦を楽しくするにはどうすればいいのか?

・無謀と分かっていても挑戦すべきだと判断して、挑戦し続ける場合はどんな状況か?

・チャレンジの失敗は、即、不幸なのか?

・挑戦と実現の可能性に関わりはあるのか?

・挑戦している男はなぜモテるのか?

この中から投票で入口の問いを選び、後半の対話の問いは「挑戦を楽しくするにはどうすればいいのか?」が選ばれた。

 

〇対話

その後、フリーに対話が行われた。(一部のみ記録)

・挑戦・チャレンジには「戦いに挑む」「生死をかける」ようなネガティブなイメージがある。怖い、避けたい、勇気がいるイメージがあるが、これは思い込みや偏見だろうか。挑戦に怯えていると成長・進歩は得られない。挑戦を面白がるにはどうするべきか。

・挑戦を楽しくするには応援してくれる人を見つけるといいのでは。

・挑戦をして失敗することをポジティブに捉える国・地域と、ネガティブに捉える国・地域があるように思う。

・挑戦は成功者が振り返って成功要因の1つとして語ることが多いが、成功者だけのものではないと思う。

・挑戦には成功・失敗ありきだと思われがちだが、例えば「推し活」への挑戦では失敗はない。

・「行動を選択すること」と「挑戦」はどう違うのか?

・挑戦には新しいこと・未知のものに挑むイメージ。それには不安や困難がつきもので、今までやってきたことや予測できることを行うのは挑戦ではないのでは。そう考えると挑戦は本来楽しくないものなのではないか。

・失敗しても大丈夫であるとともに、ちょうどいい難度の挑戦が楽しいのでは。ゲームに例えると、すぐクリアできる簡単すぎるゲームや、どうしてもクリアできない超難度のゲームは「クソゲー」とされる。

・クリアできなくても面白い、過程を楽しめる挑戦もあるのではないか。プロセスに意義を感じられるなら、先が分からないことも楽しめる。

・挑戦にはいろいろな種類があり、同じことを繰り返しているとしても、「今」を継続し続けていることも挑戦になるのではないか。

・挑戦を楽しむ方法として、新しいことやハラハラドキドキするスリルに楽しみ・喜びを見出せるようになる性格が大事であり、そうした性格を作っていくこともできるのでは。

・性格を作ることができるのはその通りだと思う。元々内気な性格だったが、仕事を通して成功体験を積み、挑戦をポジティブに捉えられるようになった。失敗しない方法が分かったことも大きく、関わる人皆で緻密な計画とシミュレーションをすることが重要だと判明した。

・挑戦にもグラデーションがあると思う。ハードルの低い推し活のようなものから、失敗したらセカンドチャンスがないもの、生死に関わる人生の戦いに挑むものまで。ハラハラドキドキにも幅がある。

・挑戦には未来をより良くするために、今を我慢したり犠牲にするものもあると思う。でも明るい未来をご褒美だと考えれば、我慢の時期も楽しめるかもしれない。

・生死に関わらずとも、その人にとっては大変な恐怖を感じたりどうしても難しい挑戦もあると思う。人によっては「大勢の前での発表」などもそれにあたるかもしれない。

・挑戦している人は挑戦の自覚がなく、他者からみた評価のこともある。または、自身が後から振り返ってあれは挑戦だったと思うこともあり、客観的な挑戦ともいえる。

・挑戦の動機付けに内発的(自発的)動機と外発的動機がある。自発的動機をベースにすると楽しめるのではないか。

・自発的動機で挑戦をしている人は、本人にとってはただ好きなことをしているだけかもしれない。

・チャレンジの要素に変化や不確実性があると思う。挑戦する男性はかっこいいが、あまりに無謀な挑戦だとその評価が反転する。

・挑戦することが嫌いな人もいるように思う。

・挑戦することをサポートしてくれる応援者や援助者、仲間がいると楽しめる。そうした応援者は過去の人でも構わない。心の中にいればよい。成功体験を積むことによって、心の中に自分の応援者を構築していけるのではないか。

 

〇振り返り

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

・自分があまりに好きなように生きてきて、失敗も成功もわからない状態でいたことに、あらためて気づきました。

・挑戦を深く考えていなかったなーという反省。応援者にもサポーターや協力者という解釈もあるのだな。もっと細分化するとしたら?。人生軽く考えていました。

・挑戦はしたほうがいいのか。

・自分の心のなかに、よい応援者がいてくれたら、それはどんな挑戦でも、挑戦そのものが楽しくなるよね。

・チャレンジするということは大変なこと、という思い込みがあるのですが、「何かを積み重ねること」もチャレンジの一つということは新たな気付きでした。

・久しぶりに哲学カフェに参加しました。私は考えているだけで時間が過ぎていくのに、考えつつ発言出来る皆さんは頭の回転がとても早い方々と感じました。

・真?の「挑戦」に関して、『老人と海』を思い出しました。また、本日出たご意見、コメントもこの作品と通じるところがありました。余談的ですが、なぜ、この作品が評価されているのかも。

・人は、若い時など体力が有り余る時に、ワクワク・ハラハラが大好きな時に。

・積極的に挑戦してトライ&エラーを繰り返して、成功した時に成功体験を積んでいく。それが、自信を形成していき、大人になるのに必要な自己肯定感を育てられるので、もし「挑戦することの意味」が問われれば、その1つは自信を作り自己肯定感を育てることだと思いました。

・挑戦している男はもてる? 新たに気づきました。。

・好き 内発的動機、元々楽しい

 ↑  社会的評価は別

 ↓

 嫌い 外発的動機、勇気が必要

 「挑戦」意識が強い

 +応援、仲間でハードル下がる

 社会的評価、モテる

「好き」と社会的評価がつながる部分がみつかれば、楽しく生きられてモテるかも?

・一人一人の人生観で「挑戦という捉え方」が異なります。ちょっと話の内容に幅が大きくて難しかったですね。私は挑戦することに生きがいを感じる者です。

・「失敗の自分の人生は、やはり、不幸なのか?」とまだモヤモヤしているところもありますが、そう思ってしまうのは、内在化してくれた応援者達の不幸につながるかもと(汗)。逆に内在化した応援者を、もっと意識上で前景化できれば、挑戦が楽しくなるのかなあと(願)。そうすると、モテるのかも(笑)。内在化≒内「声」化、応援者からの「声」援。

(記録:羽田美里)

 

 【第405回記録】人生カフェ・【日曜開催】・テーマ「靴」・オンライン

 

第405回目の人生カフェは、2024年3月31日(日)13:00~15:00

10名の参加者のもと、オンライン(Zoom)で実施された。

(進行役:たからん・本間正己)

 

<PRの際のリード文>

年度替わりのこの時期。

靴を新調される方も多いのではないでしょうか。

 

そう言えば。

靴(履物)にまつわる物語や名言は、世界各地に沢山ありますね。

「たけくらべ」は、雨の中で下駄の鼻緒をすげようとする場面が印象的でした。ガラスの靴の「シンデレラ」、子どもの頃には「長靴をはいたネコ」も読みました。

 

また、昔から

「二足の草鞋を履く」「金(かね)の草鞋を履いてでも……」と、言ったりします。2019年に起きた「KuToo(クーツー)運動」以後、ハイヒールやパンプスの義務付けを見直す企業も。

 

「エンパシー」の意味や概念については、「他者の靴を履く」という表現もあります。

 

日々の生活に欠かせない靴。

TPOで思う事、保管やお手入れ方法、選ぶ時のこだわりなど……

靴(履物)にまつわる色々を語り合ってみませんか?

 

<内 容>

★自己紹介&アイスブレイク

呼ばれたい名前と共に、「靴」にまつわるエピソードを話してもらった。

例)…

お葬式会場で、「靴」崩壊多発!

葬儀司会の仕事をしている友人から聞いた話。お通夜・告別式では、まさに「崩壊」という感じで靴がボロボロに壊れる場面をよく見るそうです。壊れた合皮靴の残骸は会場の床ににコールタールのようにくっついて困るとの事。滅多に履かない靴を履くとそんな事もあるんだなぁとびっくりしました。

 

〇全く同じ黒の編み上げ式ウォーキングシューズを3足持っていた。

〇女子学生がだんだん裸足になっていくゼミ。

〇美術館は軽登山靴が便利

〇合う靴がなかなかなくて通販で買えない。

〇靴において重視するのはすぐ走れる靴かどうか

〇改めて下肢の筋力低下。

〇小学生の頃スケート場で父にスピードスケートを履かされて全っ然滑れなかった

〇腰痛持ち、足の形が日本人に少ない形らしく、靴探しは大騒動。

紐がないプレーンパンプス指定の職場は働けません…

〇足元を見られる!と社会人1年目に教えられて…

〇寂しさの象徴。

〇パンプスの言葉を始めて知りました…。

 

★問い出し&問い決め

みんなで考えたいと思う、テーマに沿った「問い」を出してもらい、投票により「対話の入口となる問い」を決めました。

例)…

「足元を見る」というのは、靴を見ることなのだろうか?

 

〇足元を見るとはどういうことか…。

〇私たちの靴に対する考え方はどのように変わってきたか?今後どう変わるだろうか?(例、1960年代、1980年代、2020年代の変化。オフィシャルとプライベート。生活の文化の変化)

〇他人の心も、住居も「土足で踏み込まない」という意識はどのくらい大切にすべきなのか?

〇どうして人間だけ「靴」を履くのか?

〇靴をファッションとして捉える人と機能として捉える人の違いは何か?

〇見た目と実用性のバランスはどのくらいとるべきか?

〇オフィシャルな場面では、なぜ革靴(男性)、パンプス(女性)が求められるのか?

 

★入り口の問い

◎足元を見るとはどういうことか?

 

★対話(一部のみ記録)

〇自分の足元を考えた。自分の立ち位置がわかる。健康面重視か礼儀かファッション性か。年齢と共に靴の選び方が変わった。若い頃は「どんな靴を選ぶか」は自分の主張だと思っていた。その後、公の場で受け入れられるよう足元をキチっとしなければと考えるようになった。今はそれらが全部すっとんで、体調・健康の為に選んでいる為、スニーカー一択。自分の立ち位置が年齢によって変化してきたことを、まじまじと思い知らされるのが靴。「自分の足元を見る」ということは、自分がどういう立ち位置にいるのかがわかる事だと思う。

〇その場を「どう見ているのか・どう見ていると思われたいのか」が靴にあらわれる。

また、それは自然条件・社会条件の影響もある。子どもの頃、舗装されている道は殆どなく草原、ぬかるみ、畑が多かった為、長靴やゴム草履だった。今は、社会的な立場によって使い分け、更に、「自分がどう見ていると人に思われたいか」という事がある。自分は気にしていないと思われたいか、気を配っていると思われたいか……靴があらわしていると思う。

〇他人の足元を見るというのは、若い頃は相手がどれ位お金を持っているか、靴を見ればわかるという目安になっていた。服にお金をかけていても、靴にお金をかけていない人はお金を持っていないという「社会的地位や経済力を足元で判断する」というのはあった。その象徴は、最近は「腕時計」になっているようだ。今、人々は上半身で生きているのではないか。かつては全身を見られていたから靴がステイタスだった。変わってきたのは、リモートの影響が大きいように思う。

〇今の時代、靴や時計で単純にその人の資産状況は把握できない気がする。意外とお金をもっている人がみすぼらしい恰好をしていたりする。見た目では、はかれなくなってきている気がする。

〇元々は、「足元を見る」は、弱点をつくといった広い意味だった。靴を見て、高価なものか安物か……他に尺度がなくて見ていたのか。今は、時計が尺度だとすると、足元を見るから「手元を見る」に変わっていく……?

〇先程、靴は寂しさの象徴という意見があり、かつてのイメルダ夫人を思い出した。美術品のような靴を沢山持ち富の象徴のようにしていたが、虚しさ寂しさを感じていたのだろうと思う。当時は日本もバブル期で、どれくらいお金を使ってくれるかを売る側も見抜く必要があり、営業マンは客の靴を見ていた時代。今回のテーマによって思い出が色々蘇る。時代背景が今とは全く違っていたのだと思う。

〇自分の足元を見る……立ち位置を確認する為に大事だと思う。何かを始める時に、立ち位置により「前提とする事」が変わってくる。それを見極める為に大切な事だと思う。

〇社会状況や相手を慮っているかどうかが靴に出るのではないか。他のパーツはちょっとした工夫で代替えできても、靴は履いて出たら替えがきかない。その靴をセレクトしたというごまかしがきかない。靴は、その人が考えている事が出るものだと思う。

〇足元・靴をかえると人生が変わるのだろうか?

〇変わると思う。ヒールの高さが5センチ違っただけで見える景色も変わる。「あしもと」と聞いて足の裏を想像した。涅槃像の足の裏には、釈迦の教えが描かれているという。良い靴を履いていると地に足がついていて軸がある感じがする。靴によって意識や自己肯定感が上がることも有りそうな気がする。

〇ドラえもんは浮いていて地に足がついていないらしい。

〇最近の富裕層はラフな格好をしている人が多い。YouTubeなどを見ていると足元はスリッパだったりする。自分をどう見せるか演出としての靴の役割が変わってきて反転している。昔からの見栄をはる役割は、上半身の役割で腕時計になったのではないか。

足元、靴よりも上半身で勝負する時代になったのかと思う。

○Zoomでは足元(靴)は見えないがどのような影響があるのか?

〇今は、上半身のみと全身と、二重生活で生きている。

かつては、髪型から足元まで整えて全身で向き合っていたオフィシャルがあった。今はデュアルな演じ方で生きている。コロナ禍の影響は大きかったと思う。

〇上半身で……との意見があるが、健康の為に大切なのは腰から下。頭寒足熱も大事で露天風呂で実感する。他人の足元を見るというのは悪い表現で使われる事が多いが、良い表現で相手を慮るのが「エンパシー」だと思った。

〇エンパシーが「他者の靴をはく」と表現されたことについて考えてみた。靴は少しサイズが違ったり些細なことで歩きにくさがあったり微妙な感じがする。そういった相手の繊細なところをわかろうとするという事から、服ではなく靴なのだろうと思った。

〇他の人の靴をはく……それは、はき心地だけではなくて「歩いてきた道のり・生き様」を知ろうとすることだと思う。だからやっぱり「服」ではなく「靴」なのだろうと思う。

 

 

★放課後タイム

振り返りも兼ね、約30分自由に話をした。

 

(記録:たからん)

 

【第403回記録】人生カフェ・【男性限定】オンライン・テーマ「男のホンネ」

第403回目の人生カフェは、令和6年3月23日(土)午後2時~4時30分、7名で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

※男性限定のオンライン哲学対話を開催いたします。

 

お互いの心理的安心の為、原則カメラオンでの参加をお願いしています。

ご事情によりカメラをオフにされる場合も、1回は顔出しまたは声出しをお願いします。

ここはお悩み相談、カウンセリングの場ではありません。他の人へのアドバイスをする場でもありません。ディベートの場でもありません。

話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。録音、録画、写真撮影は禁止です。この場で話されたことは他の場では話したりSNSに投稿したりしないでください。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。

 

テーマ:男のホンネ

男性共通のホンネなどはあるのだろうか?

それぞれの人のホンネがあるだけではないだろうか?

例えば、女性を下に見る発言は本当に男のホンネと言えるのだろうか?

ホンネらしき発言が必ずしも現代社会に適合していないことはしばしば生じる(ポリティカル・コレクトネス的に)。これが様々な問題を生んでいる。

ホンネとは一体何だろう?

 

内 容:

 

〇対話のルール説明

 

〇導入のプログラム

あなたがあまり人に話したことがないホンネについてのエピソードがあればお話しください。

(例)この私の言動がジェンダー差別に当たるかどうかが分からない!

話をしたい人のみ、1~2分くらいでエピソードを話していただきます。

チャットに話のタイトル等を書き込んでください。(今回はチャットの内容を記録には残しません。)

 

〇問い出し

参加者の皆さんには、テーマに関する自らの問いをひとつ考えておいてください。

(例)ホンネとタテマエの区別はつくのだろうか?

(例)男と女のホンネの違いなどあるのだろうか?

チャットに書き込んでください。(今回はチャットの内容を記録には残しません。)

その問いの背景、理由等について1~2分で話していただきます。

 

〇問い決め

参加者から出された問いから、入り口の問いを一つまたは二つに絞ります。

今回、後半の対話へ向けて選ばれた問いは以下のものです。

「本音で喋ることは本当に良いことなのか?」

 

○休憩

 

〇対話

入り口の問いから、みんなで対話(フリートーク)をします(1時間くらい)。

(今回は対話の内容を記録には残しません。)

 

〇最後の20分くらい、振り返りの時間を設けます(ひとり1~2分くらいで)。

(例)ホンネを内に溜め込み過ぎるとストレスになる。タテマエだけでも息が詰まる。

自分のことを大事にするか、相手を大事にするか。この座標軸がホンネとタテマエを考えていく上で、どうしても絡んでくる。

ホンネとタテマエをうまく使い分けられないのは大人ではないということか?

 

〇終了後に放課後タイムも行いました。(30分)

(記録者:本間正己)

 

 【第402回記録】人生カフェ・【対面】・「参加者で問いを決める」オフライン

 

第402回目の人生カフェは、2024年3月20日(水祝)13時~15時30分

10名の参加者のもと、オフライン(会場:新宿消費生活センター分館)で実施された。

(進行役:たからん・本間正己)

 

<PRの際のリード文>

テーマは設けず、自由に問いを出し合います。

 

今回は、「西国分寺・クルミドコーヒー」、「国分寺・胡桃堂」で行われている「クルミド/胡桃堂の朝モヤ」をリスペクトした方法にします。

下記は「クルミドの朝モヤ」ブログからの引用です。

 

*****

「正解」のない問いについて、自分や他人の声に耳を傾け、言葉を交わし合う場です。

会が終わった後も、そこでのやりとりについて考え続けてしまったり

何かふとした瞬間に、「はっ!そういえばあれってこれと関係あるかも…」などとひらめいたり。

会の最中もその後も「モヤモヤ」するということで、

いつの頃からか「クルミドの朝」改め「クルミドの朝モヤ」と呼ばれるようになりました。

*****

 

そんなモヤモヤを、人生カフェ参加の皆さんと一緒に楽しみたいと思います。

 

<内 容>

★チェックイン

呼ばれたい名前と、今の気分・体調などをひとこと話してもらった。

 

★問い出し

問いの背景、理由等について1~3分程度で話してもらい、お互いの問いをじっくり聴いて、考える時間とした。

例)…

・頭が良いと賢いとは違うのか?

・色気があるってどういう事か?

・謙虚は美徳と言えるだろうか?

 

〇なぜ悪役はいつも笑っているのか?

〇オーラってなんなの?ある人ない人あるの?みんなあるの?

〇「他人の考えをわかる」ってどういうこと?

〇コンピュータは人の生活を幸せにしますか?

〇“モヤモヤ” “イライラ”は、どこまで許容すべき?

〇心の平安とは?

〇ワークライフバランスとは?

〇幸福になるには?

〇世の中に“完全”を目指す意味とは?

〇「自己主張」と「自己表現」の違いは何だろう?

〇人生にとって重要なこととは何か?

〇今の心境ってきかれて「普通です」ってどんな状態をいうの?

〇お供えと食べ物の境目はどこなのか?

〇どんな風に考えていますか?

〇「今、ここ」とは?

 

★問い決め

全ての問いの中から、全員で対話したい『推し問い』を考えていただき、お互いに意見を出し合いながら最終的に1つに絞った。

 

<問い>

◎世の中に“完全”を目指す意味とは?

 

★対話(一部を記録)

〇「完全」の例はどんなものがあるのか。

⇒例えば、平和な世界、身近なところでは夫婦間・職場など円満な関係、会話ができる関係構築などが、完全な社会・コミュニティだと考えている。

〇完全とは何だろう。また不完全とは何だろう。

〇人によって国によって文化によって「完全」の定義がかわってくる。別の言葉は何かと考えた時、「存在」ということが浮かんできた。「存在」と言いかえて考えてみる。例えば戦争。戦争を平和ではない不完全なものとして否定し思考の外に出さず「存在」と置きかえ、戦争の意味を考えられる。現にある。何故それがあるのかと考えられる。

〇世の中に……という言葉に前に、自分や個人個人の意識があるとしたら、完全を目指す意味は心の中の「満ち足り」みたいなものではないか。完全に満ち足りていたら「不完全」はないのではないか。「今日は天気がいいなぁ」というような小さなことで足るを知ることが出来る。「満ち足り」は毎日良い気持ちでいきいきと過ごしていこうというイメージがある。

〇問いは大きくて、小さな日常的な事の方が考えやすいとは思うが、例えば戦争の最中には、「今日は気持ちいい」とは思えない。近所で空き巣が頻発していれば満ち足りては暮らせない。世の中の事と個人の事とはリンクしているものだと思う。ただ、それを不完全としてしまうと地球上に完璧な所はなく、どこにでも、完全・不完全のどちらもあるということではないか。

〇「不完全を目指す」という表現はないのだろうか。

〇以前は、「完璧でありたい」とか「白黒つけたい」と思っていた。最近は「グレーでもいいや」「出来なくてもいいや」と、出来ない自分に満足できるようになった。これは、不完全を目指している事になるのだろうか。

〇自分は日々の生活で完全を目指してはいない。現状より一歩一歩、その先の「良さ」を目指している。

〇足るを知る事だと思う。100点満点の100点を目指していて、到達できないと残念に思っていたのが、40点満点の40点を目指すという風になるのが完全ではないか。足るを知る事により満たされる。

〇「不完全を目指す」と聞いて、「敢えて破壊しようとする」という事もあるのではと思った。武道など「道」の世界では「守破離」といって、先ずは型を完璧に覚えるが一定のところまで行くとそれを破りたくなる。その上で自分なりの武道を身に付ける。「不完全」とは、そんなイメージだろうか。

⇒そういう意味で話したのではないが、発想は面白い。

〇完全は良くて、不完全は良くないという評価・概念があると思うが、本当に不完全って良くないのだろうか?

〇「完全」にも色々な段階があるというのが見えてきた。世界が完全になると平和になる。社会が完全になると国が安定して経済的にも豊かになる。個人や家族の場合には、人格が完全になっていく事を目指す。そのような段階・レベルがある。自分は個人の人格の問題と捉えている。

〇人格の完成を目指した先にある世界とは?

⇒中世までは神が完璧と信じられていた。それが信じられなくなってきた時代では、個人・社会の中で見つけようしてもわからず混沌としている状態。先に出た意見の「存在」というのが気になっている。

〇ここでいう「存在」ってなに?「ある」っていうことだろうか?

⇒名前、色、形などの「属性があるもの」とはまた違う、もっと大切ないいもの……というイメージだが、言語化が難しい。質問の中の「ある」っていうことが「単なる属性を超えたもの」という意味が込められているのであればかなり近いものだと思う。

〇自分にとっての「完全」を考えるということは、自分にとって、快適なこと・不快なことなど、考え方の取捨選択のきっかけになる。「完全を目指す意味」があるのではないか。

〇V・Eフランクルの「それでも人生にイエスと言う」という本を思い出した。完全を目指す意味は、人生を肯定する事ではないだろうか。

〇問いの主語が大切だと思う。世界の完全は難しいが、個人の完全を目指すとしたら目的を持つ。評価基準はどんどん変わる。体操でも基準が変わり、昔の体操選手コマネチのように10点10点……という満点は難しい。完全は難しくても努力や研鑽を積むことは意味のあることだと思う。

〇「完全」というのは結果主義で、目指している間は過程であるが、幸福は結果にあるのか?過程にあるのか?昔は結果主義だった。今はどうだろう。

〇結果、過程の分け方にプラスして考えたいこと。個人なのか、他者を含んだ完璧なのか。家庭、国によっての貧富の差がある。また、世の中の為に仕事をしている人が家族に負担をかけている場合など、完璧を目指すのは難しいが諦めたくない自分も居る。

 

★放課後タイム

約1時間、振り返りも兼ね自由に話をした。

 

(記録:たからん)

 

【記録】第401回人生カフェ・年間テーマ「人生」・3月「快・不快と人生」リアル・オフライン(13:30開始)

第401回目の人生カフェは、令和6年3月14日(木)13時30分~16時00分、6名で、新宿消費生活センター分館にて、オフライン・リアルで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRの際のリード文)

今年の1年間は随時「人生」について考えていきます。

上から目線の人生論を語るわけではありません。主に各人の経験から一人称で考えるようにします。

様々な視点から各月のテーマを設定していきます。

例えば、「子ども時代と人生」「青年期と人生」「成人期と人生」「高齢期と人生」「死と人生」「喜怒哀楽と人生」「愛と人生」「幸福と人生」「親・きょうだいと人生」「学校と人生」「仕事と人生」「お金と人生」………。

ご一緒に人生とはそもそも何なのかについて考えていきましょう。

 

今回はリアル・オフラインで、午後に開催します。

(話をする・しないは自由です。参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

 

3月テーマ:快・不快と人生

結局は快楽原則に基づいて、快楽を求めて歩んでいくのが人生なのでしょうか?

マズローの欲求5段階説に則って、より高次の欲求を実現させ、より大きな快楽を享受しようとしているだけなのでしょうか?

苦労するのも、我慢するのも、その後に待っている快楽を望んでいるから?

善悪の善(例えば道徳といったもの)は現代ではあまり価値はないのでしょうか?

生きることを駆動させ、人生を大きく左右もさせる快・不快というものに焦点を当てて考えてみましょう。

ご一緒にいろいろ考えてみましょう。

 

内 容:

 

〇導入のプログラム

あなたが自分にとって快だと感じているものを3つ以内でお話しください。

(例)ラーメン、映画、哲学

話したい人のみ、1~2分くらいで体験・エピソードを話していただきます。

*お風呂、ほめられたこと、謎がとけたこと

*おフロ、日差し

*スイミン、美味、単独行動

*花、映画のせりふ、子どもたち

*おいしいもの、お風呂、主治医のことば(又来年も元気で会いましょう)

 

〇対話のルール説明

 

〇問い出し

参加者の皆さんには、テーマに関する自らの問いを考えておいてください(ひとつまたはふたつ)。

(例)快楽だけを求めて動いていると、現実から遊離した人生になってしまうのか?

(例)快・不快だけだと、動物的(人間的ではない)になってしまうのか?

その問いの背景、理由等について1~2分くらいで話していただきます。

*不快ってダメですか?

*「不快」に意味(価値)は何かあるか?

*人間にとって快以上に重視される事はどんな事か?

*(人生は一度きり。) 快を求める人生のどこがいけないのだろうか?

*うれしいと快楽(快適)はどう違うのか?

*快い人生と満足する人生は同じことだといえるのか?

*身体的快・不快。精神的快・不快。あなたはその時どうする?

〇問い決め

参加者から出された問いから、入り口の問いを一つまたは二つに絞ります(15分くらい)。

話し合いの結果、今回は以下のとおりに対話を進めることとした。

〈対話の入り口・前半〉

不快について(*不快ってダメですか? *「不快」に意味(価値)は何かあるか?)

〈対話の後半〉

快以上(快以外)の価値について(*人間にとって快以上に重視される事はどんな事か? *(人生は一度きり。) 快を求める人生のどこがいけないのだろうか?)

 

○休憩

 

〇対話

入り口の問いから、みんなで対話(フリートーク)をします(1時間くらい)。

(記録は一部のみ)

●快・不快とは感覚レベルのことであり、瞬間的・短期的なことを指していることが多い。喜怒哀楽とは感情レベルのことであり、快・不快と比較すると中・長期的なことが多い。

〈不快について〉

●快はアクセル、不快はブレーキ。両方がないと人生を歩んでいくことはできない。安全運転ができない。

●不快の代表例は「痛み」である。痛みがないと身体を維持していくことは困難である。痛みによって、身体を保存、継続できている。

●しかしながら、過度の痛み(例えば癌による激痛)は軽減してほしい。

●不快がその後の喜びをもたらすことがある。例えば、苦労を重ねた後の達成感は格別である。

●不快がその人の人格を磨く? 「艱難汝を玉にす」 修行といったこと。快だけだと人格や人間性は育たない?我儘になるだけか?

〈快以上(快以外)の価値について〉

●自由、善悪の善(道徳)……?

●過去の出来事、人物、他国の歴史などから自分の人生にとって励みになること

●誇り、尊厳(dignity)……

●快・不快は個人レベル的である。社会的レベルの価値はどうか? 他者との関係についての価値とは?

●快を最上位の価値に位置づける人の人生を動物的だと言って貶めることはできない。

 

〇最後の20分くらい、振り返りの時間を設けます(ひとり1分くらいで)。

*快・不快(快楽原則・現実原則)で、しばらく生きて、動物になって死んでいくのか?

*人生における賢者タイムの意義とは何か?

*快・不快⇒尊厳 

スペースは出来たのか?

*①快・不快の話はけっこう楽しかった。

②人間は社会にとってどう生きたら喜ばれるか。

③少人数で良かった。

*・「快」を3つだけでなく、いくつも書ける気がしたのは、今、幸せなことだと思い、うれしい気持ちになりました。

・さまざまな「哲学対話」は小さな「不快」を消してくれる。

*日々の小さい不快は受け入れつつ、大きい不快は小さくするように工夫する。

 

〇終了後に放課後タイムを取りました。(30分)

 

(記録者:本間正己)