【第250回記録】 「参加者で問いを決める」(笑い)入門編(オンライン)

第250回目の人生カフェは、令和4年2月19日(土)午前10時~12時30分、23名(男性11名・女性12名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

まずは、アイスブレイク・導入のプログラムである。

好きな植物(花、草、木など)は何ですか?

(例)バラ

(最初に話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話しをしてもらいます。)

*ひまわり

*タンポポなどの野草が好きです。

*もみじ

*どんぐりの木

*芍薬

*キンモクセイが好きです

*バラ

*聴くだけ「菊だけ」でおねがいしますm(__)m

*あさがお

*忍冬(にんどう)です

*カスミソウ

*稲の花が好きです。実のなる花が好きです。

 

次に、問い出しを行う。 参加者には、自らの問いをひとつ出してもらう。 (例)懐かしいとはどのような感情か? チャットに書いてくださった先着7名の方の問いを、問い決めの際の選ぶ対象とする。7名の方には出してくれた問いについて、1分以内で説明をしていただく。

出されたものは以下の通りである。

〇宗教は現代社会にとって必要か?

〇ルールとは?         

〇対話とは何か?

〇上手と下手の違いは?

〇笑うとはどういう感情の表現か?

〇愛するとは行為なのか?

〇溜息をするとどう影響するか?

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「笑うとはどういう感情の表現か?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(20分)、全体において(約50分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

 

●内面の笑いと外面の笑い(外に向かっていく笑い)がある。外面の笑いとしては、人を見下したり、人を和ませたり、人に好意を示したりするものがある。

●猿も「降参しました」ということを示すために笑いの表情をする。

●笑いは心のすき間を埋める。子ども、女性はよく笑う。短い感情である。

●知性のある笑い

●風刺による笑いの力

●クラウン、ピエロは権力者の傍にいて、権力を上手に笑い飛ばす。

●落差(ギャップ)が笑いを生む。

●愛想笑いは緊張をほぐす? 自分とってはストレスになる?

●自己防衛のための笑い

●いじめられている人がニヤニヤ笑うというのはどういうことだろうか?

●ドッキリのバラエティ番組を笑えなくなってきた。

●腹の底から笑うことはあるか?

●自らがアホになり、笑われるとはどういうことか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○笑いに困っている

〇やっぱり藤山寛美はえらい!!!

〇笑うことにも条件が存在するなら、笑えると言うことは幸せなことだと感じました。

〇笑いは社会を幸せにする。もっと笑いがとれるように精進したいです(笑)

〇笑いには色々あるんだなあ

〇笑いは自分を救う

〇笑う門には福来る・・・・につきると感じました!!

〇もっと心から笑って元気になりたい

〇笑いは愛。

〇緊張と緩和  いい悪いではなくて

〇①予想外、予想の落差 ②笑いたくないのに笑う時の直し方(いじめの話) ③悩みを笑い飛ばす、の笑いの力というのもありますね

〇いじりに対しての笑いは深刻だと思います。毅然と嫌と言える表情を子どもに教える見せるも大事なのかなと思いました。

〇笑いは高度で複雑な感情であり知的である方が良い。

〇笑いとは学習の結果であり検証と修正を重ねていくものだなと思いました。

〇腹の底から笑わせられるような人になりたいと思いました。そうしたら、自分も一緒に腹の底から笑えると思いました。

〇幼稚園児の孫がよく笑うので、それを見ているだけで笑ってしまう。笑いには伝染力があると思う。

〇笑いは料理のスパイスだ、砂糖もあるがわさびもある、微笑みの国タイに行ってみたい。

〇赤ちゃんが良く笑うのは、未発達の言語能力の代わりだと思います。泣くことと、笑う事以外に情報を発信出来なためではないでしょうか?

〇大人になるとなぜ笑いが少なくなるのか?変に知識がついてしまうからなのかなとも思いました。

〇普段無意識に笑顔を作ったり笑ったりしているけれど、その心は様々で相手との関係性、取りたいコミュニケーションにもよって使い分けをしてるのだなと感じました。

 

放課後タイムでは、40分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第248回記録】 「嫉妬」入門編(オンライン)

第248回目の人生カフェは、令和4年2月11日(月・祝)午前10時~12時30分、24名(男性12名・女性12名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

オンラインの人生カフェでは、初めてこのような大人数の参加者で実施したが、新しいよい体験となった。

 

(PRの際の案内文は以下のようなものである。)

今回人生カフェとしては初めて定員25名という大人数で開催します。 話をする・しないは自由です。聞いているだけでもいいです。 顔出しでも・出さなくてもいいです。 途中参加・途中退出も可です。 お試し参加の方も歓迎です。 (参加者のプライバシー保護をお互いに大事にします。場を荒らす人には退出をお願いします。安全・安心な場になることを大切にします。)

今回のテーマは「嫉妬」である。

まずは、導入のプログラムである。

「あなたはどのような人に嫉妬しますか?」 (例)才能豊かな人 (最初に自己紹介的な話をしたい人のみ、この問いに対するあなたの答えをチャットに書き込んでいただいた上で、1分以内でお話ししてもらいます。)

*魅力的でモテる人です

*楽しそうにしてる人

*自分よりも幸せそうに見える人

*職場同期など、同じような立場の人が褒められたり優遇されていると感じた時

*お金と時間がたくさんある人

*お気に入りの人が他者への好意を示したとき

*若くて美人で魅力的で仕事も成功し、家庭円満で非の打ち所がない人

*自分がなりたいと思う人

 

次に、テーマについて問いを出してもらった。(今回は先着8名の方の問いを採用し、問いの背景・理由などを説明してもらった。)

出されたものは以下の通りである。

(例)嫉妬は悪いことか?

(参考)うらやましさが嫉妬になる時の条件はなにか?

 

〇嫉妬される人は悪い人か?

〇どうしたら、嫉妬や妬みを受けずに、生活できるのか?

〇嫉妬は正義か?

〇嫉妬は人生において必要か?  

〇妬まれたり、嫌がらせをされたら、どうしますか?

〇他人の不幸を喜ぶ心理も嫉妬心から来ることなのか?

〇嫉妬の感情はなぜ起こるか?

〇嫉妬と付き合うにはどうしたらいいか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「嫉妬の感情はなぜ起こるか?」を選んだ。

 

その後、ブレイクアウトルーム(3個)に分かれて(20分)、全体において(約50分)、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●嫉妬と羨望(羨ましい)はどう違うのか?

●嫉妬は人間のデフォルトな感情?

●人と付き合わなくてはならない社会において、自分を愛し、自己防衛するために必要なものである。

●他者との差を見つけ出すことから嫉妬は始まる。

●嫉妬は個人的なものである。他の人と共有できれば、それは愚痴と呼べるものになる。

●嫉妬から自分の急所・弱点が見えてくる。

●男性同士、女性同士、すなわち同性同士の方が嫉妬が生じやすい?

●男性は出世競争(権力闘争)を巡って、女性は愛を巡って嫉妬が生じやすい?

●嫉妬は事実から起きる?幻想から起きる?

●相手をよく知ると、な~んだと思うことになり、ポロリと嫉妬から解放されることもある。

●相手の人格全体に嫉妬しているのか、ある分野の才能など部分的なものに嫉妬しているのか。

●年を取ってくると、嫉妬するエネルギーが低下してくる。自らの器が沈んでいくので、自然と受け入れざるをえないものが増えてくる。(笑)

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○今日は思いがけず自分の問いをテーマにして頂き嬉しいです😊皆さんと様々な考え方を共有させて頂き、また自分の視野が広がりました。嫉妬と共存、現実のありのままの自分を受け入れることが、苦しまない秘訣なのかなと思いました。有意義な時間をありがとうございます😆 

〇嫉妬は自己防衛の一つであると気づきました。

〇ホンマさんは10万円持っているけれど、昨日小指を箪笥の角にぶつけました(^_-)-☆

〇嫉妬されたとき 具体的にどう対応したらよいのか?

〇モヤモヤが残るのがいい。 嫉妬が少なくなってきた。これはちょっと問題かも?

〇愛の欲求不満

〇ただただ、嫉妬されたいなと。

〇「親ガチャ」という言葉を初めて知りました・・・嫉妬という感情が生まれた時、自分に足りないものに気づくチャンスなんだと考えました。チャンスは無駄にしたく無いですね。

〇嫉妬をする自分も受け入れていきたい。でも長引かせないためには話す、聞いてもらう、相談するのが良いのかな?と思いました。

〇嫉妬は肯定的・ポジティブなエネルギーに変えることも可能だが、どうしてもネガティブな方向に行きがち。改めてやっかいな感情だと思った。

〇嫉妬の気持ちを一人で抱え込むと、変に熟成されて悪化しそうなので、軽く人に話すのも大切なのかなと。

〇「感情」を言語で話すことがそもそも困難。また感情的な女性、理性的な男性という、ポンチ絵みたいなことを書くのも何ですが、男性優位的なジェンダーバイアスもあって、感情も嫉妬も軽蔑されてきた。光をあててよいことと想う。

〇嫉妬は何故おきるのか?それを手にできるのは自分でも良かったのに何故? という感情でしょうか。それが、実力不足だとしてもガチャの結果だとしてもたまたまだとしても。厄介な感情ですが、俯瞰しながら上手に付き合っていきたいです。

〇嫉妬を感じたときの表現が大事だと思いました。かわいく嫉妬されると嬉しくなる、というのもありますね

〇嫉妬は個人的な感情だと思います。社会的、政治的な扇動の役割に使われるのが恐ろしい。

私の母は三人姉妹、仲が悪かったです。それぞれ、大した美人でもなく嫉妬しあうほどでもないのに…

〇嫉妬を感じた時点で、格下にいるわけですから、もし、嫉妬という感情を、なるべく持たないようにするためには、同格、または、格上の関係の中にいるしかありませんね。でも、それは、向上には繋がりませんから、人間には必要悪の感情でしょうか?

〇悟りから程遠い凡夫の私には隣の芝生は常にあおく見えてしまいます。仕方ないこととあきらめています。

〇『“豊かな実”を誇る木ほど、石を投げつけられる』➡嫉妬される人とする人。

〇嫉妬相手が、どれだけの努力をしてあるかとか、人知れずの部分を、想像すれば、納得できるんじゃないかなと、思います。人は、なかなか、見えてる部分しか見ないですよね

〇嫉妬は、自分が置かれるべきと感じている待遇・処遇と、現実に齟齬があると感じると生じるのかなと思いました。嫉妬にはエネルギーが必要ですね。私も最近嫉妬できる気力・体力がなくなってきました。本日はいろいろと他のかたの話が聞けておもしろかったです。

〇猫も嫉妬します🐈🐈

 

放課後タイムでは、ブレイクアウトルーム(2個)に分かれて20分、全体で10分ほど、自由に話をした。

 

 (記録:本間正己)

 

【第247回の記録】映画「三度目の殺人」

第247回目の人生カフェは、2022年1月30日(日)14時00分~16時30分、計4名(男性2名、女2名)で、オフライン・リアル(新宿消費生活センター分館)で実施された。

(進行:田中あけ美)

 

最初に、自己紹介と感想を共有した後、この作品を鑑賞後の問いを出してもらった。

 

【問い】

・ついてよい「ウソ」はあるのか?

・なぜ重盛は真実を知りたくなったのか?

・真実とは何か?

・子どもを生む(もうける)ことは良いことなのか?(存在しなければ嫌な思いはしない)

・三隅の人格形成に至る過去とはどういうものか?

・三隅とはそもそもどういう人物なのか?

・「三度目」の殺人とは何のことか?

・十字架の意味は?

 

以上の問いから

 

●前半は映画の中の具体的なシーンやセリフからの問い(人生カフェ的小ネタ)

・十字架の意味は?

 を入口に対話を始めた。

 

映画の中に現れる十字架のシーン⇒最初の殺人現場、カナリアのお墓、北海道の雪原のシーン、ラストの重盛がたたずむ十字路

 

●後半は、より抽象的な問い(大ネタ)

 ・真実とは何か?

 ・ついてよい「ウソ」はあるのか?

 ・子どもを生むことはよいことか?⇒反出生主義(生まれてこなければよかった)について

 などについて対話した。

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・重盛の判断は良かったのか?

・いろんな考え方が聞けてとても有意義な時間でした。重盛について、もう少し時間がほしかったです。

・深い映画でした。人と話すことで、更に考えさせられました。

・映画という共通のお題でここまで深く語ることができたのはオモロかった。

 

(記録:田中あけ美)

 

 

【第246回記録】 (女性編)・テーマ「ルッキズム」(見た目だけで判断して/されていませんか?)(オンライン)

第246回目の人生カフェは、令和4年1月27日(木)午前10時~12時30分、6名(女性5名・男性スタッフ1名)で、zoomを使って、オンライン(有料500円)で実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「ルッキズム」(見た目だけで判断して/されていませんか?)であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

ルッキズムとは外見(見た目)至上主義のことです。

見た目で多くを判断する・判断されることはあります。

ですが、それらは不合理、あるいは差別的なことではないでしょうか?

一方で、見た目で美醜を感じ、判断することはそもそも悪いことでしょうか?

特に、女性は容姿で判断されることによって、得したり損したりすると言われてきました。

それは現代でも顕著な傾向でしょうか?

それとも価値観の多様化により変化してきているでしょうか?

容姿について考えることは恥ずかしいことでしょうか?

これからはどうなっていくでしょうか?

いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたが人を見た目で判断してよくなかったと思ったエピソード」をひとつ1分くらいで話してもらった。

(例)その人の心の優しさを誤解した。

*面接で採用した人の能力を誤解した

*職場の先輩がイメージでいうとリトルミィでした。 無愛想で言い方キツめで第一印象「感じ悪い人だなぁ」と思っていたら、ツンデレのとてもハートフルな人だった。

*見た目に興味が沸かないと、その人そのものにも興味が沸かない。

*理屈っぽそうな人だと思ったけれど、真面目な人だった。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例) 見た目を良くしようとする努力は無意味か?

〇見た目とはどこまでをいうのだろうか?

〇「見た目(美醜)」の良し悪しはどこで決まるのか?(美の基準はなにか)

〇もし、外見をカスタマイズ(自分の好みに合わせ作り変える)することが普通の社会になったら 外見至上主義は成立するのか?

〇見た目の良し悪しは必要か?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「見た目とはどこまでをいうのだろうか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●見た目とは、第一義的には身体・容姿のことであり、これによる差別が問題視されている。

●ただし、表情、態度、立ち振る舞い、声なども、容姿に伴って、その人の印象を形作る。

●見た目に対する好悪は人それぞれであり、違いがある。

●一方で、好みも時代や社会・経済の影響を受けている。多数派によって美も作られている。

●ホッテントット(現在のコイコイ人)は、見た目上の胸やお尻のみが強調されてきた。

●自分とは違う「異形のもの」を恐れる気持ちがあるのではないか。

●自分自身に向かうルッキズムの問題性

●美人、イケメンだからこその悩みというのもあるらしい。努力している面を見てくれないなど。

●自分を美人、イケメンだと思い込んでいるナルシストには困ったもんだ。(笑)

●美人~ブスの尺度は、仕事ができる~できない、頭がいい~悪い、笑いのセンスがある~ない、などの尺度と比べてどうなのだろうか? 人によって重視する尺度(ものさし)が異なる。

●清潔感や若々しさ、健康的かどうか、などを重視する面もある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○さらにモヤモヤしてしまいました(笑)

「見た目」や「ファッション」をきちんと学問的に取り組むことをしてこなかったのだと思います。見た目なんか気にしない、のがいいことだと言われていたからでしょうか?

〇女性から女性へのルッキズムは 妬みや嫉妬につながる?ルッキズムを打ち破るのは 自分なりの美の基準をもつこと?自分らしさとは につながる?

〇考えれば考える程、色々わからなくなりましたが、やっぱり美人は得だと思います。美人ではなくても、第一印象で感じの良い人を目指します。

〇自分が美しいと思うもの、好ましいと思うものに魅かれていく。年齢を重ねていくにつれて変化していく。外面と内面はどのように関連していくのか?

〇皆さんの美醜の基準やそれに対する距離感、温度感。当然ですが身を置く社会は様々なのだなあと改めて思いました。

〇以前は外見がよいことを中身が薄い人間である証明のように思っていた。外見に気を使わない、ブサイクでいることが立派なことであるように思っていた。しかし最近は、人間は社会的存在であるから、他人にはまずは外見しか分からないのだから、外見から良くするのが礼儀であろうというように思うようになった。

 

 (記録:本間正己)

 

【第245回記録】 本『はじめての哲学』(藤田正勝著)岩波ジュニア新書(オンライン)

第245回目の人生カフェは、令和4年1月22日(土) 10:00~12:30、6名(男性5名・女性1名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

(PRリード文)

課題本:『はじめての哲学』(藤田正勝著)岩波ジュニア新書 哲学でよく取り上げられるテーマを平易に説明してくれています。 「生きる意味」「よく生きる」「自己」「生と死」「真理」「ほんとうにあるもの」「言葉」 皆さんはどのテーマに関心がありますか? ご一緒にこの本について考えてみましょう。

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1~2分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

(例)  体   心   他者

*心 脳 リアリティ

*つながる(気付き) モヤモヤ 無為

*コンパクト やさしい はじめて

*生きがい、言葉、仕事

*心 脳 言葉 

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

(例) 年を取るにつれて、体と心が離れていくような感覚になっていくのはなぜか?(第3章・自己とは何か)

〇心が脳の働きに伴う現象だとしたらリアリティは得られないのか?(第3章 自己とは何か 2心とは何か)

〇哲学はなぜ難解な言葉を使うのか。(第七章言葉とはなにか。)

〇幸福とは快楽のことか・? (第一章 生きる意味から)

〇答えのない問題(生きるとか幸福とか)を考えるは意味があるのか? 知を愛でるからOKか。

考えるツールとして言葉を使っているなら、ツールが違うと答えも変わるかも?

〇ことばの枠に収まらない「こと」 枠からこぼれた「こと」を伝えるには どうしたらよいのだろうか? (第七章 言葉とはから)

 

今回は、課題本の中から3つの章を取り上げて、対話をすることにした。

 

対話の内容(一部のみ記載)

【第1章 生きる意味】

〇幸福とは快楽のことか?

〇答えのない問題(生きるとか幸福とか)を考えるは意味があるのか? 知を愛でるからOKか?

●刹那的な快楽だけでは幸福になれない。

●苦労・苦痛を経て、達成した時に幸福を感じる。

●快と苦はセットである。快を求めるのは自然である。

●ヒマだから答えのない問題を考えているのか?

●思考停止はしたくない。

 

【第3章 自己とは何か (2 心とは何か)】

〇心が脳の働きに伴う現象だとしたらリアリティは得られないのか?

〇年を取るにつれて、体と心が離れていくような感覚になっていくのはなぜか?

●体は経年劣化していくにしても、心は経年美化していきたい。

●脳だけではなく、手・足、各種臓器など全体の体が自分である。

●自分だけの脳ではなく、たくさんの他人の脳が集まって、対話している。

●体とは異なる次元の世界として、心があるのではないか。

●心は言葉の世界である。

●心には気持ち(感情)がある。

 

【第7章 言葉とは何か】

〇哲学はなぜ難解な言葉を使うのか?

〇考えるツールとして言葉を使っているなら、ツールが違うと答えも変わるかも?

〇ことばの枠に収まらない「こと」 枠からこぼれた「こと」を伝えるには どうしたらよいのだろうか?

●哲学は新しい概念を打ち出そうとして難解になる傾向がある。

●古代ギリシアのプラトンの対話編では易しい言葉で哲学をしている。18世紀以降の学者という専門職集団の大学での講壇哲学により、一般の人たちには分かりにくい言葉使いになってしまった。

●話し言葉と書き言葉では異なる。

●話す音、トーン、表情、動作などがコミュニケーション上、大きな意味を持つ。

●書き言葉は時間を超えて伝わるということに特徴がある。

●文字以前、話し言葉以前の非言語の意味合いは?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○誰にでもわかりやすい哲学「ひらがな哲学」を考えていきたい

〇音声 命 コミュニケーション

〇「無為」の沼にハマっている私。またその時が来たら歩き出すのではないか?もしや哲学対話している時点でもう歩き始めているのではないか。

〇どの問いかけも命の発露のある側面としてとらえられるのではないかと感じました。根本に「生」が存在している。楽しく長生きしましょう。本日はありがとうございました。

〇幸福、脳、心、言葉、…どれも関心があるので、これからも考えていくと思う。心と言葉とコミュニケーションと他者はつなげて考えていきたい。

〇コミュニケーションは、楽しく。初めての方との会話は、未知との遭遇で、頭(脳、心)がほぐれました。

 

 (記録:本間正己)

 

【第244回人生カフェ・記録】 「参加者で問いを決める」(ZOOMによるオンライン)  問い「怒りとは何か?」

令和4年1月19日(水)午前10時~12時30分、11名(女性6名・男性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

自己紹介的なアイスブレイクとして、今回は、自分の好きな国(日本以外)を教えてください。(1分くらいで発表)

(例)フィンランド   :    ムーミンの国だから

*スペイン 行って良かったから

*フランス プロバンス 20年前一度行き

*イギリス BBCのドラマが好きだから

*特になし…。

*特に好きな国は日本以外にはありません。

*ハワイ 

*スイス・オーストリア : ハイジやサウンドオブミュージックで観たアルプスの風景が素敵だったから

*トルコ 悠久の歴史を刻む国だから

*インド。インド哲学が好きだから

*ハワイ、景色がきれいだったから

 

さて、この日は「参加者で問いを決める」(プレーンバニラ方式)であった。

 

まずは、各自に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)懐(なつ)かしいとは何か?

〇「怒り」とは 何か? 〇面白いとは何か。 〇ありのままとは何か? 〇聞く力とは? 〇お金の管理が得意な人とそうでない人はどこで違ってくるのだろうか? 〇「豊さ」とは 〇良い外見とは何か? 〇このコロナ禍にあって個人の自由ってどういうことだろう? 〇尊重ってどういうこと? 〇男性は女性の身体について考えたことがあるのだろうか?

 

以上出された問いから、今回は多数決により、後半の対話の問いは、「「怒り」とは 何か?」ということにした。

 

それから自由に対話をした。(一部のみ記録)

●自分の思い通りにならない、コントロールできない、支配できない時などに怒りが生じる。

●その背景には、恐怖心、孤独による寂しさ、自分を守りたいという気持ち、自分を承認してほしい気持ちなどがある。

●怒りは反社会的になる場合と非社会的な(自分に向かう)場合がある。

●アンガー・マネジメント:怒りに気づく・認識する。怒りの感情を切り離す。怒りを言語化する。怒りを発散できる場を持つ。……

●自分の怒りをわざと相手にぶつけることによって、相手をコントロール・操作しようとする人がいる。

●社会正義に向かうような怒り(大きな怒り)と、日常的な小さな、微細な怒りがある。

●瞬間湯沸かし器的な怒りと、後からじわじわと沸いてくる怒りがある。

●長く続く怒りがある。それが憎しみや絶望に変わっていく………。

●傷つけられたことの理不尽さが強い怒りとなり、被害者意識を生み出していく。

 

最後に、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を発表してもらった。

〇憎悪までいってしまった怒りは どう扱ったらよいのだろうか?

〇怒りにも原因と状況によって色々ある。長びけば憎しみに変わる。そうなる前に気づいて対処していきたい。

〇怒ること、憤慨することは必要。但し、人を傷つけないこと、憎悪や絶望に至らない様にすることが重要と思いました。

〇怒りと憎しみの違いは? 怒りは必要である。  私には今でも後から怒りを感じる傾向はある。

〇怒りとの付き合い方  怒りの大小・長短など色々深い。もっと考えてみたいです。

怒りや憎悪が生きる力になっているとしたら。良い形とは思わないがそれでも死を選ばず生きていける人がいるとしたらならそれも有りと思う。

〇怒りは大切にしたい…。深いです。

〇自分の怒りに気づきそれを客観視する、あるいは言語化することで、怒りにとらわれることから脱したり、うまくすればプラスへと転化させられるのではないかと感じています。みなさんのご意見を拝聴できて有意義な時間でした。発言はできませんでしたが、楽しい時間でした。

〇怒りの感情への対処法 言葉にすることで客観的になれる。誰かに話すことで、共感も新たな視点も得られる。ともかくも、自分一人で抱えると増幅するので、言葉にして伝えてみる努力が大事だと思う。怒りっぽい人って、自分はすっとするかもしれないけど、まわりは大変なんです!

〇憎しみに変わる怒りとは?

〇怒りとは?結局よくわからないです

 

                             (記録:本間正己)

 

【第243回記録】 「問う」深掘り編(オフライン・リアル)

第243回目の人生カフェは、令和4年1月16日(日)午後2時~4時30分、9名(男性6名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己) 

 

この日のテーマは「問う」深掘り編であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

問うとは、問いを立てること、問いの文を作ることです。 哲学対話のスタート地点に、問うということがあります。 この問うということについて、年の始めに改めて考えてみたいと思います。 答えよりも重要とも言われる、問うということ、これは一体何でしょうか? 「詰問」とは異なる気がします。「質問」とは少し異なる? 「疑問」に近い? 問い続けることは、答えが決まらず、宙ぶらりの状態で苦しい? それとも考え続けることができるので楽しい? いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたが長い間持ち続けている問いをひとつ話してください (1分くらいでお話しください)。」を行った。 (例)私はどうしてこの世に生まれてきたのだろうか?

*私は世界のどこにいるのか?

*死とは?

*「感情」とは何だろう? もしかしたら、ない方が幸せなのだろうか?

*愛とは?

*生きる意味とは何か?

*気持ちを大切にするとはどういうことか?

*過去・現在・今後、自分の行動(予定)は正しいか?

*歴史から学ぶとはどういうことか? あるいは歴史とは何か?

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)人は問わなくなったらどうなるのだろうか?

(例)どういう場合に問うことを一時休むのか?

〇問うことを禁止されたら…人間はそんなことができるのか?

〇問うことにより仲良くなれるか?

〇問うことは幸せにつながるのだろうか?

〇「問わない」とは? 問う必要がない? 問うべきではない?

〇なぜ人は分からないことを問い続けるのか?

〇解答が求められる「問い」と、求められない「問い」の差・違いは何か?

〇「問う」ことのメリットとデメリットは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「問うことを禁止されたら…人間はそんなことができるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●全知全能の神ではない人間は、本能として生きている限り問わざるを得ない存在である?

●「これは机である」と認識・断定する前に、人間は「これは何か?」と問うているのではないか。

●このような認識過程の中の無意識的な問いは禁止のしようがない。

●自らが自分の生き方に対して問いを禁止したり、為政者などの他者が問いを禁止する場合がある。

●宗教などを信ずることによって、問いがなくなることはある?

●言葉をなくすことによって、問いをなくしてしまう。

●人間にとっては言語による問いが重要であることは間違いないが、非言語の問いというのはないのだろうか? 言語獲得以前の人類や動物の場合はどうなのだろう?

●動物も世界に対してカテゴライズしていて、その際に問うているのではないか?「これは食べられるか否か?」「これは襲ってくるか否か?」など。

●生き延びるための探求心が問いの源(みなもと)か?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○問い続けることは単に「意識高い系」がすることか? 私は問い続けることができる間はしていくのが、楽しく生きている感じがする。

〇人生に対する疑問、自分に対する疑問、社会に対する疑問、世界に対する疑問、その問いかけの中で人生を終える。

〇問う「源」はどこから来るのだろう?源泉は何か?問うことのメリットとデメリットに少し触れた感じ。問うことは面白いか?

〇前に「透明な問い」があるのでは?との言葉にハッとして、これから考えてみたいと思います。私にとって問いは苦しいものなのかもしれません。「完璧に満たされていたなら、問わないのでは」ということも考えます。

〇問えるのは進化できる可能性を持つ証。でも、進化できることが幸せにつながるかは別の話。だからよきアドバイザーが必要。

〇問わずに生きていきたいと思いつつ、私は問い続けながら生きる気がする。

〇大量の「問い」を近代社会システム(資本主義)に投入し、大量の解答を得た結果、「問い」が限定的(ネガティブ・フィードバック)になりつつあるのか?

〇(問いの多い人、少ない人)スタートラインの個人差がありそう。→つまり…生まれてきたことの<不幸感>?

〇幸せになるために問う。

 

 (記録:本間正己)

 

【第242回記録】 「問う」入門編(オンライン)

第242回目の人生カフェは、令和4年1月10日(月・祝)午前10時~12時30分、11名(男性3名・女性8名)で、zoomを使って、オンライン(有料500円)で実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「問う」(入門編)であった。

(PRの際のリード文は以下のようなものである。)

問うとは、問いを立てること、問いの文を作ることです。 哲学対話のスタート地点に、問うということがあります。 この問うということについて、年の始めに改めて考えてみたいと思います。 答えよりも重要とも言われる、問うということ、これは一体何でしょうか? 「詰問」とは異なる気がします。「質問」とは少し異なる? 「疑問」に近い? 問い続けることは、答えが決まらず、宙ぶらりの状態で苦しい? それとも考え続けることができるので楽しい? いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「あなたが長い間持ち続けている問いをひとつ話してください (1分くらいでお話しください)。」を行った。 (例)私はどうしてこの世に生まれてきたのだろうか?

*人は争うことをやめられるか?

*この世に意味はあるのだろうか?

*自分とは何か?

*人はなぜ生きているのか?

*どうして「言わなくてもわかって欲しい」と期待してしまうのだろうか?

*どうしてこの世はあるんだろう?

*生きている意味は何か(あるのか,ないのか)?

*人は死んだらどこに行くのか?

*私はどう生きていけばいいんだろう?

*人間関係を壊すのはなんだろうか?

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)人は問わなくなったらどうなるのだろうか?

〇天国では「問い」は必要ないのではないか? 〇(テーマに対して)何も浮かばない時、どうすれば「問い」が生まれるのだろうか? 〇「自分」よりも「他者」に「問い」たくなるのは、なぜだろうか? 〇問うことの大切さとは? 〇問いが生まれるのはどんな時か? 平安な何もない状態でも生まれるか? 〇良い問いの立て方とはどういうものだろうか? 〇誰に問うのか。人を選ぶべき? 〇答えのない問いを立てる意味はあるのか? 〇問う力を高めるにはどうすればいいか? 〇人は誰に向かって、何にむかって問うのだろうか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「問う力を高めるにはどうすればいいか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●問う力を高めないといけないのか?……未来予測を立てにくくなっている現代では、自らが問いを立て解決していく能力が求められている? 急速なデジタル化、AI化が進む中で、人間に求められている能力か? 「自助」を強要されている?

●問うためには、聞く力、言語化する力が必要である。

●問題意識、好奇心が問うことの源泉であり、エネルギーである。

●やむにやまれず問うてしまうということもある。不思議でたまらない時とか、とても困っている時など。

●他者との交わり、対話などからの刺激によって、問いが生まれてくることがある。

●テーマに対して問いがいろいろ出てくるというのは、テーマに対する切り口、視点、アプローチの方法などの光の当て方が多様にできているということである。

●問う力の後に、考える力、解決する力が必要になってくる。

●問うことは常識に揺さぶりをかけることであるが、解決することには常識との妥協や調整が含まれてくる。

●問う時には、すでに自分の中にぼんやりと答えを持っていることがある。

●「なぜそれが好きなのか?」という問いに答えていくのは難しい。動機や欲求などについては、これから先は問えない問いなのか?

●一神教は究極の答えを求めて問い詰めていく。多神教はたくさんの答えがあっていい。

●問うことには責任が伴う? 問わなくなるというのは責任放棄?

●問うことは思考を動かしている状態を作るということである。

●疲れた時など、ちょっと問うことをやめる、少し思考停止することもいいのではないか?

●持っている知識・情報の量や内容によって、判断が異なり、問いも異なってくる。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○新年おめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

〇問うことより聴くことの方が大切(自分の場合)

〇視点を変えて考えること、情報を集めることの大切さを思った。それをしないと良い問いにつながらないのではないか?

〇問い続けるには気力、体力、知力、共感力、色々な筋力がいるんだなあと改めて思いました。

〇間に合うのか?

〇どうしたら,興味関心が持てるか。好きなものが生まれる瞬間はどういう時か。

〇職場で「問題点」を出したら、その課題の担当になった事がある! と思い出しました(苦笑)

そういう声上げやすい職場つくりにもかかわってくる問題ですね。

〇問いについて話し合う場の安全性も大事だと思いました。

〇人間にしかできない問いを立てていきたい。

〇知識・情報と問いについて。それぞれの段階で問うことができる。完璧な知識はあり得ない。

「無知の知」 ソクラテスは問い続ける。 時々休みながら。

〇物事について、情報を集め、を深く考えれば考えるほど、個人を離れた発言をするのは難しくなるのだな、と感じました。

すべてのことを見切るまでの知性を持った人は、老子みたいに社会から姿を消してしまうんだろうか?

 

 (記録:本間正己)

 

【第241回記録】幸福シート作成

第241回目の人生カフェは、令和3年12月26日(日)午後2時~4時30分、男性5名、女性2名、計7名で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は「幸福シート」なるものに記入しながら、語り合った。

(幸福シートの実際のフォーマットは以下の通り

https://myasami-honma.jimdo.com/レジメ-プログラムシート/ )

 

この幸福シートはとりあえず自分の人生をデザインしてみようという試みである。それは完ぺきにできることではないことは分かっているが、チャレンジして、考える素材にしたいという気持ちが底にある。

幸福シートに記入したものを他人に発表する意味合いは何か。以下のようなことが考えられる。①他人から質問やコメントをもらい、考える刺激になる。(それはアドバイスというようなものではなくていい。むしろアドバイスはいらないともいえる。) ②人に話すことによって、自らの実行への宣言になることがある。(無理に宣言する必要はないが。) ③幸福シートの内容を聞き合うことによって、お互いの理解が進む。

 この幸福シートは最終的には自分で「お持ち帰り」であり、このシートに記入した内容を発表するかしないかは本人の自由である。発表する場合、できるだけ話を「盛る」ことはしないで、自分の気持ちに素直にしてほしいとお願いする。

 参加者7人がそれぞれ自分を振り返り、未来を見据える時間になったと思う。家に帰って、もう一度見直し、補足していくといいことを勧める。

 

 幸福シートに書いたことや発表したことについては個人情報なので、詳細な記録は割愛するが、以下の3つの質問に対して、参加者が紙に書いてくれたことを記録しておく。

(1) 今年、私にとっての一人を挙げるとしたら?

〇母

〇母

〇妻

〇友達

〇キッペス神父

〇苫野一徳

〇母

 

(2) どのような人生を歩みたいか(イメージ)?

〇ポジティブに「生」きる。「老」「病」「死」を考える。

〇日々の楽しみを拾いつつ、ユーモアを持って、周囲・社会の役に立ちたい。

〇健康で、おいしいものを食べて、趣味をして、生きる。

〇年齢に関わらず、仕事・趣味を継続したい!! 国内で見たい場所、感動を発見しに出掛けたい。賭け事には絶対に手を出さない。世の中が明るい日でありたい。生涯学習は死ぬ直前まで頑張りたい!!

〇自分のいのちの使い方について、どのように生きるかは、時と場合によっては、どのように死ぬかに通ずる時もある。

〇子どものために生きる。

〇愛されることは期待せず、誰かを愛する人生。

 

(3)  来年したいこと

〇人生カフェの再編

〇バランスをとる

〇ダンスの練習・発表会  ウクレレバンドの発表会  マラソンの練習・完走(5時間切る)

〇参加者の参加を促すためにペンダントでシェア♬  イベントはリアルで参加したい。 (「桜木香織さんのハートフルカフェ」と交流しても◎) 喫茶店で開催しても良いのでは。 金銭関係が母から父に渡されたので、大事に使うようにしたい。

〇結婚したい。(いま結婚相談所で婚活中)  孤独を乗り越え、与えることのできる人、共感できる人、自己をコントロールすることのできる人を目指す。

〇「おとなおとなしカフェ」の実行。(3月くらいから)  学童保育とオルタナティブ教育、デューイの理論を接続し、非認知能力を育む学童にしていく。

〇心理的安全性の共有

 

 最後に、新たな気づき、新たな問い、感想等をフリップに書いてもらった。

〇具体的でも、抽象的でもOK  小ネタでも、大ネタでもOK  面白い!と思う。 自分なりに落とし込むことが大切。

〇多彩な夢や思いを伺って、元気をもらえました。

〇「幸せ」は、さまざま。 世の中のためになる行動をしようか? 人と人とは分かり合えない。

〇初めての経験でしたが、色々な事が目に浮かびます。その気持ちを来たる年でも、明るい立場でいてくださいね。

〇人格の完成を目指して! キッペス神父は人の話を聞くことが上手でした。今日感じたことは、皆様は人の話をよく聞いておられます。自分は人の話を聞く力が欠けているので、うらやましいです。

〇20代は七転八倒の年代だったので、30代は積み重ねの年代にしていきたいです。

〇大事なことは目に見えないのかなぁ。

 

(記録:本間正己)

 

 

 

【第240回記録】 本「老いる意味」(森村誠一著、中公新書ラクレ)(オンライン)

第240回目の人生カフェは、令和3年12月17日(金)10時~12時30分、9名(男性3名・女性6名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、本「老いる意味」(森村誠一著、中公新書ラクレ)を素材にしての哲学対話であった。

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1~2分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

(例) 男性 病気 夢

*今後の生き方、病気にたいして考える

*表現 心と身体 ネコ愛

*余生 老い 孤独

*健康、死、うつ病

*高齢者うつ 認知症 腰痛

*人生の目的、寿命、人とのつながり

*高齢者うつ・生きていく緊張感・ながら生活

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

(例)高齢者は病気にどのように向き合うか?

(例)高齢者が将来に夢を持つとはどういうことか?

〇老いるとは障碍者になることか?

〇高齢者がまわりに迷惑をかけてよいのは どの程度なのか?

〇年を取ることは悪いことばかりではないはず、ではどんな良いことが思い浮かびますか?

〇長生きする 意味はあるのか? 

〇今後の生き方は?

〇人は老いなければ幸せになれるのか?

〇高齢期の孤独のポジティブな面とネガティブな面はどのような時に感じるか?

〇美しく健康的に老いるとはどういうことだろう、どうすることだろう?

 

今回は、参加者の多数決により、後半の対話の問いのスタートは、「年を取ることは悪いことばかりではないはず、ではどんな良いことが思い浮かびますか?」にすることにした。

 

対話の内容(一部のみ記載)

●本質を見抜けるようになってくる。

●残された時間からして、やめようというものと、やろうとするものとの区別ができるようになってくる。

●いい意味で図々しくなる(気を使い過ぎない)。オバサン化?オジサン化?

●余裕を持つことができるようになる。

●自分のことが分かってくる。

●感謝できるようになる。多くの経験をしてこれたこと、無事に生きてこれたことなど。

●身体(外面)は衰えてくるが、心(内面)は異なる。

●他人に迷惑をかけなければ、本人がしたいことをするのでいい。

●自分が納得する生き方。自分を承認できること。

●「美しく老いる」 主に精神的美しさを言いたい。

●「絶対幸福」 存在自体が承認されていることか?

●感謝~ありがとうの言葉~笑顔

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○いい勉強になりました。もう少し、どういう経過で今の考え方になったのか、経過を手短に聞きたかった。

〇老いる意味は生きる意味でもある。

〇自分の考えを話して、聞いて頂ける機会は貴重で、今日はとても楽しいひと時でした。有難うございました。

〇私の考える美しい老人を目指してこれから生きることにします。

〇精神的なことが大事。

〇自分が納得できる老い方をしたい。これからも好奇心を持って人と繋がっていきたい。

〇感謝、知恵、本質……。生老病死を真正面から考えることができる。

〇自分ではマインドは常に二十歳で過ごしています。現実に体などの機能は衰えるのは仕方ないことですが、日々筋トレや運動、アンチエイジングに勤しむのを続けます。姿勢に気をつけると、それだけで見た目が若く見えるので、鏡を見るのが楽しくなるようにし、いつ人生が終わっても悔いのないように、日々自分を楽しませ、頭から「老い」という文字を消去したいと思います。ありがとうございます😊

 

 (記録:本間正己)

 

【第239回記録】 「希望」入門編(オンライン)

第239回目の人生カフェは、令和3年12月14日(火)午前10時~12時30分、7名(男性2名・女性5名)で、zoomを使って、オンライン(有料500円)で実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「希望」(入門編)であった。

PR上のリード文は以下の通りであった。

希望を持つとはどういうことか? 希望を持てないとはどういうことか? 希望が生きる力となるのはなぜか? 自分に対する希望とは?家族に対しては?会社には?社会には?世界には? いろいろ考えてみましょう。

 

まずは、導入のプログラムとして、「来年へ向けての小さな希望」をひとつ話してもらった(1分くらいで)。

(例)人生カフェのスケジュールを少し再編する。

*”お話聞きます”の告知を準備して、募集を始める

*日本に帰国して1ヶ月半ぐらい滞在する。

*コロナが落ち着いて、何も気にすることなく友人と食事に行ったり、オフラインの哲学対話デビューも叶う、そんな2022年になりますように。

*読書会を充実させる。

*周りの目を気にしない。ずいぶんとできるようになってきたが、初めてのこと、新しいことがあると周りの様子を気にしてしまいます。 もしそのときに気にしてしまったとしても、それは仕方ないし、おそらく、次は自分のペースでいけるので、すぐに自分を許して、いらないものを捨てて、気持ちの安定をはかりたい。

*ホットヨガの回数を増やしたい 生協の食材キットでの料理の回数を増やしたい。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)希望とは未来への明るい展望のことか?(未来とは何か?)

〇希望はどこから生まれてくるのか?

〇希望と夢、どこからが境目だろうか?

〇希望は生きていく上で必要か?

〇希望と欲望の違い、どこから希望になるのだろう?

〇希望が人生を前にすすめる時と押し止める時の違いはなにか?

〇希望が叶わない、あるいは希望に裏切られた(裏切られ続けた)時、それでも、希望を失望に変えないための術(すべ)とは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「希望は生きていく上で必要か?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●「希望を持つな!」、「希望は失望の母である」という言い方もある。希望がとらわれになることもある。

●希望とは何か? 要望・欲望や夢とどう違うのか?

●「ご希望の食べ物は何ですか?」、「第一希望の日取りはいつですか?」というように、希望という言葉を気軽に使っている面もある。

●子どもの中に見い出すような、未来へ向けてのキラキラした大きな希望というものもある。(そういえば、子どもの頃、習字でよく「希望」という文字を書かされたなぁ!)

●一方で、その日その日をこなしていく日常の中に希望を感じることもある。

●また、呼吸をするために水中から水面に浮き上がっていくように、自然に湧き上がってくる希望というものがある。

●生きる力、生きることに貪欲なところから希望が生じる?

●「パンドラの箱」の最後に残っていたのが「希望」である。絶望の後に残るもの、余計なものが無くなった後に残るものが希望か? 先が見えない未来だからこそ希望がある。

●子ども、子育ては希望か? 子どもを希望とすることは、子どもに負担を強いることになりそうだ。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○希望というイメージは人それぞれ違っているとわかりました。違っていても、人を生かしめているものには違いなく、それがどこからくるのかまだわかりません。

〇「希望」と名付けなくても、気づかない内に「希望」の種を拾ってたり育てたりしているかもしれないと気づきました。機会があれば「失望」「絶望」についても話してみたいなと思いました。

〇希望についての概念がそれぞれ違うのがわかって面白かったです。日々の小さな楽しみを希望としてこの先のわからない人生を乗り越えていきたいと改めて思いました。

〇パンドラの箱の寓話が、色々欲望に従って経験を積み重ねた上に削ぎ落とされた”一見無駄な努力”の後に見えた本当の願いの話だったのかな、と気づきが面白かったです。

執着の中から見つかるのは自分の変態性=一番自分を楽によく使える才能なんだと感じました。

〇希望はどこから生じるか?~生命力、生きる力

希望と老いについて:『老いる意味』森村誠一~米寿になっても夢をもっている。 

〇希望という言葉の定義が人それぞれなことがわかりました。希望はもしかしたら、とても身近にあるもので、自分で決めていくものでもなく、自然と持っているのかもしれないと思いました。

〇(人間一般もしくは)自分の中の「何」が、化学「変」化?して希望へと「変」容するのか?その「何」かとは?(そもそも論?)+

 

 (記録:本間正己)

 

 

【第238回記録】読書会「深い河(遠藤周作)」(オフライン・リアル)

238回目の人生カフェは、令和3年11月28日(土)午後2時~4時30分、9名(男性4名・女性5名)で、オフライン・リアルで実施された。

 

この日のテーマは読書会「深い河(遠藤周作)」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○大津…エゴイズムが無い。エゴイズムを克服する方法は何か?

○人生と生活はどう違うのか?(どう両立するのか?)

○自分・他者“の中に”闇(衝動)・神(手品師)を見出した時はどんな時か?

○わたしたちはこの本から何を学ぶべきか?

○偽善だけでなく、邪悪があった方がより信じられるのはなぜ?(背景:良善(ママ)口に苦しともあるのが引っかかっていたから)

○関わりの変化について?

(例えば・自然との関わり 河や山(地球環境)大気、雨、風、花や樹との対話。イソベの妻。

・人との関わり 美津子と大津、木口と塚田、イソベとその妻

・動物との関わり 沼田の世界

・超自然との関わり 大津と玉ネギ、美津子をXとの関わり

・社会との関わり 差別とは何か。

○これから美津子はどのように生きるのだろうか?

○どうして大津は“キリスト教の神父”に強くこだわっていたのか?

○大津の宗教観とはどのようなものであろうか?

 

その後全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒大津…エゴイズムが無い。エゴイズムを克服する方法は何か?

その後、すべての問いに触れながら対話を行った。

 

●大津について

・自分よりも他人を優先している

・エゴイズムが無い?!

・エゴイズムが有るのではないか?

・頑固(エゴ)な宗教観(汎神論)を持っている。

●エゴイズムとは?

・エゴ…自我(当然あるもの)

・エゴイズム…利己主義、自己中心主義

・自分>他人

・正しいと思うこと…エゴイズムではないか?

・エゴイズムは変容していく

●精神性無意識(目に見えぬ何かの力)エゴが背景に退く感覚

●エゴイズムは悪だろうか?→悪ではない?

・個性・主張はどうか?

・障害…個性?

●磯辺…自分がエゴイストであったという思い。

それぞれの底にはそれぞれのエゴイズムが有る。

●大津は美津子に誘惑されて神を一度捨てる→神が自分を捨てない

●「神(絶対的な存在)が自分を捨てない」と信じられる→信仰

●神を信じることは思考停止か?

●神を信じる→楽になりたい

●自分⇆X⇆自分(自分自身との対話)

●エゴイズムを克服する方法について

・自分のエゴに気づくこと

・他人を受け容れる(対話)

・自己犠牲(大津の死)

・克服しなくても良いのではないか?

・神の愛を信じる

・withの感覚を持つ

・自分の中にイエスを見出す

●人はなぜ信じることを欲するのか?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇精神性無意識(目に見えぬ何かの力)エゴ(自我)が背景に退く感覚。

自然の力、自然の背後にあると思われる精神的実在性は人を生かす力として受容する。草原の輝きが失われようとも、その背後にある大いなる力を信ずるべし。ワーズワースの詩の一節。

〇エゴイズムはエゴに立脚(自我≒自己≒利己)しつつも、……(言葉にするとヤボ?)という変容によってtake offし、後景に退く瞬間があるのでは?(克服)

その瞬間(今、ここhere and now)の積み重ねをしていくことがよりよい人生。でもまだ抽象的…

〇神のようなものはいると思うが、宗教というものに違和感を覚えてしまう理由が分かった気がします。

〇・最終の方、「理性」「意識」VS「絶対的なもの」「無意識」

・私が今回参加したのが、「皆生きているのではなく、生かされている(by宇多田ヒカルさん「道」)を言いたかった・問いたかった」

・宗教はもちろん、人間の無意識関連に↑のヒントがありそうな気配がつかめて哲学カフェなのいすごく「スッキリ」しました。

〇私は目に見えぬ力で突き動かされて何かをしたという経験(没我状態)が少ない。

エゴが強すぎる?(エゴイストではないように思うが…)

信仰心が乏しい?(美津子と似ている?)

これで安らかに死ねるのか?(楽に生きられるか?)

〇信仰するとは、自己(エゴ)を意識しなくなる境地か?×問い 〇気づき

〇神からの働きかけ、エゴが背景に退くとの言葉がきけてうれしかった(同意する)

「自分の内部の広ーいところから出てきたようだ」と言って書いた小説(高橋たか子「きれいな人」)おすすめしたい。

〇・「エゴ」「エゴイズム」「エゴイスト」

・精神的無意識

・選んでいる

・ウィズの感覚

・信じる

〇・ボランティアとエゴイズム

・偽善と利他

・自分のエゴに気づくこと

〇私のお悩み相談のようになってしまい申し訳なかったです(汗)

信じられたら楽になる。けど、信じられない。という感じ。大津のように「愛(玉ネギ)の力」を心から信じられたら…

 

【第237回記録】 映画「マダム・イン・ニューヨーク」(オンライン)

第237回目の人生カフェは、令和3年11月26日(金)午前10時~12時30分、7名(男性2名・女性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、映画「マダム・イン・ニューヨーク」を素材にしての哲学対話であった。

 

最初に、この映画を見てのざっくりとした感想を、ひとり1分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

*学ぶ  / 人妻  / 夫と子どもの無理解

*ニューヨーク・英語・子育て

*・日常のあるある (熱い内に飲めない、大事な時に子どもトラブル) ・何事も初めては1度だけ 

・俳優さんが全て素晴らしい!

*夫と妻の関係性、学びの選択自由、英語

*4つのCh(ピンチ・チャンス・チャレンジ・チェンジ) 選び取る自信 自己肯定感⇔自己効力感

*子供(娘)の価値観は父親の模倣?  言語   容姿

 

次に、各自に、この映画を見ての問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

〇一生懸命学んでいる人はなぜこうも美しいのか?

〇人妻を好きになっていいのか?

〇夫と子どもの無理解にどう向き合うか?

〇NYに行く機会がなかったら、シャシはあのままの生活だったのだろうか?

〇「家族だけよ。あなたの弱みを笑わないのは」スピーチで言った真意は?

〇英語ができる事はそんなに偉いのか

〇なぜアジアでは女性の立場が低いのか

〇(英語学習の様な)自己効力感が、自己肯定感(≒選び取る自信)につながる場合と、繫がらない場合の違いとは? 言い換えると、自己効力感⇔自己肯定感の往来の関係とは?

〇夫はそう簡単に改心できたのだろうか?娘の価値観を歪めてた責任は感じているだろうか?

〇美人でいることは大切か?

〇自分位はできることと出来ないことを受け入れる?!

 

そして、出された問いを多少整理して、小ネタから大ネタへ順番に、みんなで対話(フリートーク)をした。

 

〇は問い、●はフリートークの内容(一部のみ記載)

〇NYに行く機会がなかったら、シャシはあのままの生活だったのだろうか?

●英語の勉強をインドでできなかったのか?

●料理が得意である、家族思いである、ということだけでも素晴らしいこと?

●インドの社会・文化の中では、シャシは変化を望まれていない。

●置かれている環境を変えることによって、自らの変化を生み出すこともある。

 

〇夫はそう簡単に改心できたのだろうか? 娘の価値観を歪めていた責任は感じているだろうか?

●夫がそう短時間で簡単に、また根本的に改心するとは思われない。責任もあまり痛感していないのではないか。

●この映画の女性監督(ガウリ・シンデー)はこの家族の娘に自分を投影しているのではないか。その上で、この映画の冒頭に「母に捧げる」と明示したのではないか。(自らの上の世代の母に謝るとともに感謝する気持ち)

●その個人の責任というより、時代や社会・文化がそうさせる面はある。時代とともに変化していくことはある。

 

〇英語ができる事はそんなに偉いのか?

●英語は国際的に有用である。ビジネスの面でも、科学・学問の世界でも。

●汎用性が高い言語である。

●生活がかかっていれば、英語を覚えるようになる。

●英語はひとつの手段であり、それができることだけで偉いわけではない。

●ただ、英語を習得することによって、コミュニケーション力が高まり、自信に繋がることはある。

 

 〇自分位はできることと出来ないことを受け入れる?!

●他人からどう見られているか、どう承認されているかは、とても気になる。

●自律的に、自分ができることとできないことを判断できて、受け入れていくのがいい。

 

〇(英語学習の様な)自己効力感が、自己肯定感(≒選び取る自信)につながる場合と、繫がらない場合の違いとは? 言い換えると、自己効力感⇔自己肯定感の往来の関係とは?

●doingに対する自己評価(自己効力感)だけでは、十分な自己肯定感は得られない。beingについても肯定感を持てることが大切である。

●「重要な他者」からの承認・肯定があるといい。重要な他者とは主に家族ということになるか?

●しかしながら、その家族こそが障害になったり、抑圧してくる場合もある。

●家族が形成されない場合(単身者など)もある。

●新しい家族の形(擬似家族のようなもの)も必要か?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○家族、肉親がいない場合の支えはどうなるのだろう。効力感をもたらすもの(例えば仕事)を失った時こそ、自己肯定感は大切なのだと思いました。

〇以前から好きな映画だったので、取り上げていただき嬉しかったです。問いを出すという気持ちで観られた事、皆さんと色々考えられた事はとても楽しかったです。シャシが美人じゃなくても、この映画は成り立ったのだろうか?

〇あの英語の教室と哲学対話の場は似ている。新しい言葉を学ぶことと言葉の新しい意味を学ぶこと。楽しいことですね。

〇新たな気づき:「英語ができないから馬鹿にされる」という設定は、シャシが「人として尊重して欲しい」思いを表現する一つに過ぎないのかな、、と感じました。自分を認めてほしい思いは、どんな立場の人間であろうとも人間としての大事な要素だと。みなさんの深堀りされた意見は、とても面白く楽しい時間でした。ありがとうございました。

〇重要な他者(≒家族)から肯定されれば、世俗的なDOINGがマイナスのジャッジをされても、BEINGで肯定感を感じられる可能性もあるし、その重要な他者の一端を講師である自分が担えれば、うれしい。だけど、やっぱ家族が一番かな???

〇家族といえども自分以外は全て他人。自分を認め肯定するためには、常に対等な立場で思いやりをもって家族を含めたあらゆる人に接することが大事。

〇1:娘も自分の中での葛藤があったのではないか(思春期)? 大人になって、多分、母になって母の葛藤に気付き、感謝の気持ちを映画にした。

2:自己肯定感は家族が生み出すものなのか?社会が生み出すものなのか?

3:好きなことをして生きていくことに評価はいらない?

 

 (記録:本間正己)

 

 【第236回記録】「創造」深掘り編(オフライン・リアル)

第236回目の人生カフェは、令和3年11月21日(日)午後2時~4時30分、9名(男性8名・女性1名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己) 

この日のテーマは「創造」(深掘り編)であった。

 

最初に、導入のプログラムとして、「最近、あなたは何か小さな創造をしましたか?」について、各自に語ってもらった。

*バラの花をひとつ咲かせた。

*ブログ執筆

*行ったことのない駅に降りた。

*オカメインコを買った。

*哲学カフェの創造

*身体の使い方の工夫を識った。

*最近はないが、今までに新しいアイデアを形にした(スモールビジネス)。

*ホームページを作った。あと日々の人生。

*SNSを作った。

 

次に、各自にメインテーマ「創造」に対する自らの問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○創造することはなぜ満足感をもたらすのか?

〇創造力は何から生まれるのか?(才能?意欲?努力?)

〇創造はどこからやってくるのか?

〇創造の真贋とは?

〇人はなぜ創造を求めるのか?

〇創造力の原動力はなにか?

〇退屈だから創造するのか?

〇(万人が)創造力を養う必要はあるか?

〇老化防止に創造は効果があるか?

〇創造した物につくった責任を感じる必要があるか?

 

以上出された問いから、多数決によって、後半の対話の入り口を決めた。

「退屈だから創造するのか?」

 

その後、自由に対話を行った。(一部のみ記録)

●必要から創造が生まれる? 退屈から創造が生まれる?

●不満から生まれる? 満足感を得るため。

●義務感、使命感から生まれる?

●消費ではなく、発信することが創造か?

●生きていること、行動すること、衣食住すべてが創造か?

●芸術(アート)が創造の典型?(狭義の創造)

●仕事にも、遊びにも創造はある。

●目に見える形のあるものだけではない。見方、考え方が変わることも創造である。

●想像が創造を生む。

●0からの創造は無理である。

●創造ではなく、改善ができるだけ?

●計算が立ちにくい境界領域などに対しての新たな解釈にも創造がある。

●創造には、その前に破壊が必要? 守→破→離

●退屈とヒマは異なる?

 

最後に、本日の対話を経験して、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を出してもらった。

○having(持つ)、doing(する)の創造ではなく、being(ある・存在する)の創造とは何か?

〇創造力は人類の力の源泉の一つ。

〇8名の創造力に感謝。

〇全てが創造ではあるが、高度化された(最適化されているから)社会では、破壊しても改善に近いものになる?

〇ヒマは創造を生むのか?

〇すべて(人生)が創造なら、破滅、堕落、怠惰も創造なのか?創造になり得るか?

〇①退屈はおそろしいと思ったことを思い出した。

②AIがたいていの仕事をやってくれるようになる。そして、人は暇になる。⇒その時、人がやることはクリエイティブなことだけ?

③いろいろなことを考えた、おもしろかった。

〇創造せずにのんびり暮らせている方が幸せなんじゃないかなぁ? 創造が必要なのは不幸の証? 不幸という原罪?

〇創造の言葉の定義もまた人それぞれに違うのだが、この違いもまた創造するうえでの必要性になっているのではないか?

(記録:本間正己)

 

【第235回記録】 「創造」入門編(オンライン)

第235回目の人生カフェは、令和3年11月13日(土)午後2時~4時30分、7名(男性3名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

今回初めて、有料(参加費500円)で実施した。そのためか若干参加者が少なかったが、従来と同様に、じっくりと多彩な対話が行われ、楽しかった。

 

この日のテーマは「創造」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、「最近、あなたは何か小さな創造をしましたか? 」(1分くらいでお話しください)。

(例)人生カフェ200回の簡単なまとめの文を書き発表した。

*仕事に関連したPPTのスライドを作りました。

*はじめてカラオケに行ってから30年ほどたつのですが、先日、初めて採点システムを試してみました。歌に張り合いが出ました。

*三島由紀夫さんの「仮面の告白」を読んで、同性愛者の気持ちになって、同性を異性のように感じる自分、ときめく感じの自分を自分の心の中で創造した。

*残り物のアレンジ料理

*名もない料理を作ると,いつも一大事業をした気分になります(日頃しないので)。仕事で新規のフォーマットをデザインしました。

*父と一緒に生まれ育った町を見て回る ”懐かしのあの頃ツアー” を企画した。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)創造する(作り出す、生み出す)ことはなぜ満足感をもたらすのか? (例)創造力は何からできているか?(才能?意欲?努力?) (例)元気なうちはできるだけ創造力を発揮した方がいいか?

〇人はなぜ創造力を持つ生物に進化したのか?

〇創造力を養うためにはどうすればよいのか?

〇創造力はどうしたら身につくのか。

〇人生で最後に創造したいものは、何?

〇いい創造に必要なものとは?(破壊?想像?お金?)

〇全くの「0」から「1」(何か)を作り出すことはできるか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは、

「創造力を養うためにはどうすればよいのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●必要性が創造力を生む。

●いろいろな人に会うことが創造性を刺激する。

●たくさんの本を読むこと。

●その人が持っている熱量、意欲、没入度の問題である。

●創造的な仕事をするための方法:①視点や立場を変えて考えてみる。 ②組み合わせを変えてみる、別のものに置き換えてみる。 ③今の延長線上で、できるだけがんばってみる。

●想像力が大切である。

●とにかく手を動かす、やってみること。

●筋トレのように、毎日続けること。

●創造のためにはリーダーが必要か?

●創造の前に破壊が必要なこともある。

●危機感、不満、そして欲が創造に繋がる。

●制約・制限がかえって創造、発展を生む場合がある。コロナ禍の中でのデジタル化の発展など。

●創造のためには一定の「自由」が必要である。

●老いによって、変化を嫌い、安定を望むようになる。これが創造性を阻む?

●having 、 doing の創造だけではなく、 being の創造があるのではないか。

●創造性は必ずしも生産性とは同じではない。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○ 創造は人の欲求に結びついている。将来、AIが人の欲求をアウトプットに設定するのであれば、AIも創造力を得て、ますます人間は退化するのだろうか?

〇物理的に何かを作る、動く、だけが創造ではないということに気づけてうれしかったです。

生命力→想像力、それから生まれる充実感と生きている実感はたしかにリンクしているなぁ、と思いました。

〇創造力をつけるには筋力が必要。毎日何かしら運動したい。創造力と幸せに相関関係があるのかという問いにはあると答えたい。

〇公務員は創造的ではない? クリエイティブなことを仕事にしている人は苦労も多いけれど、喜びも多い?

制約から生まれる創造ということを考えた。

〇創造とお金の関係も話してみたかったです!これからの時代はますます個のスペックを上げて人生を創造していくことが求められそうで、なにもしないで創造している釣りバカ日誌のハマちゃんのような人がいられる社会が続くといいなと思いつつ。

〇創造力は特別なことではないと気づきました。私にとっては,生きることに繋がっている。

人はみな何かしら持っているのでは,と。Beingな創造を目指したい。

創造力を発揮する=自身を表現すること。哲学カフェのような場があるといいのかもしれない。

〇創造について考えるということは、思った以上に新たな創造がしづらく、とりとめもなくなりがちでした。

ただ、創造の芽を潰すような社会的な不自由さが色濃くなっているとすれば、そこをどう覆すかに、自分の創造力を注いでいきたいです。

 (記録:本間正己)

 

【第234回記録】 本「それでも人生にイエスと言う」(V.E.フランクル著、春秋社)(オンライン)

第234回目の人生カフェは、令和3年10月30日(土)午後2時~4時30分、7名(男性4・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、本「それでも人生にイエスと言う」(V.E.フランクル著、春秋社)を素材にしての哲学対話であった。

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1~2分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

*・人生は私になにを期待しているか ・3つの価値(創造価値・体験価値・ 態度価値) ・老い

*・意味への意志 ・自殺の無意味さ ・良心

*常に肯定できるにはどうすればいいのか?機会、苦悩、意味的価値

*肯定、コペルニクス的転回、不治の病

*苦悩・「おくりもの」・愛されていなくても役にたたなくても、かけがえがない

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

そして、出された問いを多少整理して、小ネタから大ネタへ順番に、みんなで対話(フリートーク)をした。

 

〇は問い

〇なぜフランクルは戦後すぐに(1946年)、このような講演を行うことができたのか?

〇人生の意味において、自分がやりたいこと(欲望)はどのように位置づけられるか?

〇態度価値とは何か?

〇役に立たない、愛されていない人間は「かけがえのあるない」についてどう考えれば良いのだろう?

〇苦悩を力に変える要因は何か(何だろうか?)

〇人生における試練・苦悩(*特に究極的な)等に対して、どのようにしたらイエスと言えるのか(要因はあるのか)?

〇コペルニクス的転回するのには時間がかかるのでは?

(運命(ガチャ)、宿命、アドラー、トラウマ、サイコロ、コマを進める、原因論、目的論、精神性的無意識)

〇自分の人生の意味を考える時、他人の人生はどのような意味を持つのか?

 

●はフリートークの内容(一部のみ記載)

●自分・他人を許す、イエスと言うことによって、楽になり、前に進んでいくことができる。

●キリスト教圏では、苦悩は贈り物という捉え方が浸透している。

●宗教を持っている人は強い。

●苦しみ、悩み、痛み、悲しみ…などはどの宗教圏、文化圏でも存在する。それを人々はどのように受け止めてきたか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人生すべてにおいてyesという(対応する)には宗教的理解が必要なのか。

〇態度価値は、他者に対しての態度であると同時に、それを通じて、神に対しての態度でもあるのかな?と思いました。この「神」をどうとらえたらよいか?という新たな疑問もわいてきました。

〇人生とは苦しみである。これが私にはよく分かっていない? 私は楽観主義?逃避主義?

〇最後の問いから「態度価値」と「良心」について考えていました。

相手があってもなくても心のどこかで「お天道様がみている」生き方をしているのは、信仰はもっていないけど宗教っぽいなと感じます。

あと、P204~205のあたりで「マインドフルネス」に通じるものを感じました。

〇宗教・信仰を持っているかどうかで、大きく違ってくると感じました。信仰があると、神様が与えた試練となりますが、多くの日本人には、それがないのでYesと言いにくいのかもしれないと思いました。また、態度価値についても、全てではなくても、信仰のあるなしで違ってくると思いました。

〇もう少し、具体的な話をした方が腑に落ちたかも。自分の生活により引き付けて話せれば良かった。

〇本日は、ありがとうございました。皆々様も、素晴らしいご意見、ご発言を、ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

【第233回記録】 「気づき」入門編(オンライン)

第233回目の人生カフェは、令和3年10月23日(土)午後2時~4時30分、9名(男性7名・女性2名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「気づき」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、最近、新たな気づきを得た経験をひとつ1分くらいで話してもらった。

(例)私は「自由でありたい」という気持ちが強いことに改めて気づいた。

*ポジティブ意見がネガティブな意見を飲み込んでしまう。

*齢を重ねてやっと気づいたことがある。巡礼の旅とは何か。

*世の中は複雑な法則か単純な法則かどちらで動いているのか。

*哲学cafeにちょくちょくおじゃまして、「ことば」に関しての重要さ、重大さ→「責任」のようなものを感じた(気づいた)。

*自分についての自己評価と、周囲からの自分への評価の乖離が大きいこと。

*先日、医者から「心配いりません」と言われ、その瞬間から体調がよくなったことで、言葉の威力を改めて実感しました。

*病気といえば、コロナ、コロナでしたが、先日街で癌検診車を見かけ、ああそうだ、例年はこの時期、集団検診をしなければいけないと気づき、慌てて書類探しをしました。日常を感じました。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)気づきとは正しい答えのことか?

(例)新たな気づきはどのように生じるのか?

(例)気づきは何がいいのか?

(例)気づかない方がいいこともある?

(例)気づきと問いはどのような関係にあるか?

〇なぜそれまで気づけなかったのか?

〇教えられて覚えるより、自分で気づいて覚えたほうが忘れないというのは本当か?

〇「気づき」とはそもそもどのようなことか?先ほどのように最近気づいた・気づかされたことというのは例示できるが、「気づき」という単語は例示されたものと少し異なっている感がある。

〇気づいくということ=”正しい答えに気づく”、ということ以外にどの様な気づきがあるか?

〇気づきが生まれる土壌は何なのか?

〇気づきと、気が付くの違い、つまり、助詞の「が」が入っただけでニュアンスがだいぶ違ってくるような気がするが?

〇「気付き」に気付けるのは、どちらかと言うと、その時の自分にとってプラスと感じる体験からの方が多い気がする。でも実際には、マイナスと感じる体験からの「気付き」の方が、本質的な「気付き」であるのではないだろうか。マイナス体験からの「気付き」に、タイムリーに気付けるようになるには、どんな心掛けをしたらよいのだろうか?

〇気づく必要があるのか?

 

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「気づきが生まれる土壌は何なのか?~なぜそれまで気づけなかったのか?」を選んだ。また、「気づきとはそもそもどのようなことか?」という気づきの本質を問うような問いも意識することとした。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●気づきが生まれる土壌(基盤)としては、経験と意識がある。意識には先入観や興味・関心などが含まれる。

●知ること、情報を得ることから、それらを咀嚼して、自分なりのセンサーを獲得した上で、心の光などを当てることによって、気づきが生まれる。

●感動によって、心が揺さぶられることによって、気づきが生まれる。

●気づきによって、何かしらの価値観の転換が起こっている。

●なぜ、気づきが生じるのか? 自分のことを知りたいから。よりよく生きたいから。

●強制的な気づきというのもあるのではないか。気づかないといけないと強要される。

●体感的な気づきと心・魂の気づき。心・魂の気づきは悟りに近いような語感がある。

●心・魂の気づきには自主性や余裕が必要かも。

●気づきは今までとは異なる新たな地平に立てるので、ちょっとすっきりした見晴らしの良さを感じる。しかし、それはその時の取りあえずの自分なりの解答であって、最終的な正答ではない。次なる問いが大切である。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○気づき(きっかけ)から、できるだけ行動に移すコツ(のような)ものはないか?←

〇振り返りの時間にいつも出されていた最後の問いに「気づきません」でした。人間こんなもんだなと思います。やっぱり、注意してみないと見落としますね。でも四六時中注意もできないし・・・・だから、ここはという時に「気づき」があったらいいかと思いました。

〇もやもやを晴らすためにはどうしたらいいのか。

〇あーそうだ、と気付くときは自分が今までとは違う行動をしたときに生まれるのだと思う。

〇今日、話していた「気づき」は「自らの価値観の転換→行動変容につながるもの」と考えています。しかし、それだけでもないような気もしており、深い気づきと浅い気づきという言葉の違いが気になりました。あと、気づきは贅沢な営みというのは言われてみるとそういう側面はあるのかなと思いました。

〇新たな疑問:いつも冷めている人(感情の高まりを顔に表さない、ゴルゴ13の様な人)の気づきは、そうでない人の気づきとどう違うのか

〇体感の気づき~若干動物的   心、魂の気づき~人間的か?自主性、余裕が大切

それから、私も気づかない方がよかったことというのはある。

〇一つのテーマでも、お一人お一人多様な感じ方、意見があることに改めて気づき、人生カフエの素晴らしさも改めて気づきました。

〇「気付き」とは、自分内でじんわりと感じるものなのかな、と思った。メディア、SNSなど情報過多の時代では、意識が独りでいる時が少なくなりがち。そんな中、「気付き」を深く噛み締め、そこから新たな課題(問い)を絞り出すことは、容易ではないかも知れない。が、これは人生にとってとても大切なことなので、出来るだけ実施して行きたいと、心新たにした。よい「気付き」の機会をご提供くださり、ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

 【第232回の記録】絵本『100万回生きたねこ』

第232回目の人生カフェは、2021年10月17日(日)14時00分~16時30分 計12名(男性5名、女7名)で、オフライン・リアル(新宿消費生活センター分館)で実施された。

(進行:田中あけ美)

 

最初に自己紹介を行った後、

参加者で順番に絵本の音読を行った。

その後、問いを出してもらった。

 

【問い】

・それまでの100万回生きたことの意味はあったのか?

 (1,000,001回目だけが意味があるのか?)

・最も伝えたかったメッセージは何だろう?

・きらいなかい主からねこは、なぜ逃げなかったのかな?

・なぜ100万回死んだことをおぼえているのか?

・作者はこの絵本でどういうことを伝えたかったのか?

・なぜねこは二度と生き返らなかったのか?

・なぜ可愛がってくれる飼い主が嫌いだったのか?

・「ねこは、はじめてなきました」この意味することは何か?

・白いねこの3回の「そう」のセリフの読み方は?

・ねこはなぜ白いねこのところへ何回もいくようになったのか?

・愛されるよりも愛したいですか?

・白いねこは生き返っただろうか?

・他者とどう関わるか?

・他者を愛することはどういうことか?

・なぜねこはしぬのなんかへいきだったのか?

・どんな人生なら、この絵本のラストのようにちゃんと死ねるのか?

・自分にとって、どういう人生(今)なら、もうけっして生きかえらないか?

 

以上から多数決で

「ねこは、はじめてなきました」この意味することは何か?

を後半の対話の問いとして選んで、対話を行った。

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

 

気づき・感想

・マウンティングしようとするとらねこに寄りそえるって、すごいなぁ白ねこ!

・自分では思いもつかない問いに触れることができた。

・「そばにいてもいいかい」ー自分の心を素直に伝えられるような唯一無二の他者の存在が生きることにまっすぐに向き合わせる(のかな~)

・愛されるより自ら人を愛する事で自分の人生を生きることができる、満足された生を全うできる

・「はじめて泣きました」の意味ー愛されるより愛することを知った。それは白ねこから愛を教えてもらったからと思います。

・今をどれだけ生きているか、伝えたいことをどれだけ伝えているか、100万回より大きな1回を生きているか、いつも「ねこは、はじめて泣きました」で生きていきたい。

・唯一無二の存在との出会い

・100万回? 絵? いのち? 愛?。。。 もやもやが残ります。

・愛と思いやりはいのちの現実的表現。泣くことも愛の表現。

・人は絵本に、自分の人生体験の一部を投影するものなんだなあと再認識した。

・表現って大事だな、普段の会話で気をつけたいと気づきました。自分なりの絵本の解析をしてみたいと思いました。

・本日の対話で参加者の話しを聞いていて、この絵本がなぜ多くの年代に受け入れられ、ロングセラーとなっているかの理由がわかったような気がした。

 

新たな問い

・とらねこは誰から生まれたのか?

・「そばにいてもいいかい?」の姿勢を自分の生活でしていくには?

・人を好きになるってどういうこと?

・死んでしまったあと「うめる」とは?最後の100万1回目のねこは、白ねこをうめはしなかった。

 

ーーーーーーー

今回、人生カフェでは初めて絵本を素材にしての哲学対話を行いました。

途中行った絵本の音読では、「人の声が心地よい。自分で読むときは文字の方に注意がいきがちだけれど他の方が読むのを聞きながら絵をじっくり見られた。子どものように読み聞かせをしてもらっている感じがした」などの感想。

又、この絵本の持つ力からか、対話の内容も多様な視点、意見、質問等が出て、お互いの思いや考えを交流しあえた充実した時間となりました。

 

『絵本は人生に3度(幼少期、子育て期、中高年期)』の柳田邦夫さんの言葉通り、経験を経た中高年だからこそ、絵本での対話も面白いと感じた今回の哲学対話でした。

 

(記録:田中あけ美)

 

【第231回記録】 「気づき」入門編(オンライン)

第231回目の人生カフェは、令和3年10月12日(火)午前10時~12時30分、10名(男性3名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「気づき」(入門編)であった。

テーマ:気づき

新たな気づきはどのように生じるのか?

気づきは何がいいのか?

気づかない方がいいこともある?

気づきと問いはどのような関係にあるか?

いろいろ考えてみましょう。

内 容:

導入のプログラムとして、各自が「最近、新たな気づきを得た経験ひとつ」を1分くらいで発表してもらった。

(例)私は「自由でありたい」という気持ちが強いことに改めて気づいた。

*毎年、金木犀の香りに気づき秋を感じるが、年々その時期が遅くなっている事に気づきました。

*私は雑念が多いと気付いた。

*私は自然災害に対する恐怖を持っている、という気づき。

*私が求め続けていることの一つに「面白いこと」があると気がつきました。

*私はけっこう「オタク」なのだった。

*自己認識はゆらぐものだ。

*「子離れは難しい」という気づき。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

(例)気づきとは正しい答えのことか?

〇気づきはなぜ起こるのか?

〇なぜ、それまで気かつかなかったのか?

〇気づきが多い人と少ない人がいるのはどうしてだろうか?

〇「気付き」がよしとされる風潮があるのはなぜか?

〇気づきは「偶然」なのか、「意思」なのか?

〇自分自身気づかないふりをする事で自分を守る事は出来るのか?

〇私たちが「気づいた」と思うとき、何によってそう思っているのか?それはなぜか?

〇行動が伴わない気づきはどうか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「気づきは「偶然」なのか、「意思」なのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●気づきは偶然か、必然か? 自分の外から来るのか、内から来るのか?

●認識上の気づき(単なる勘違い・思い違いだった場合もある)、自分の気持ち・感情等についての気づき、自分の信念・考え方等についての気づき、自分の行動パターン・傾向等についての気づき。

●気づきが起こる条件とは何か?

●何かを求めている時、問題意識を持っている時。

●準備ができている時。それは対処できる能力や体力が育ってきている時。大きな苦しみにも対応できる力が備わってきている時。

●潜在意識にあるものが顕在化した時に気づきが生じる。

●無意識の世界に押し込め、抑圧していると、意識に現れることがなく、気づきも生まれないのではないか。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○よく考えたら気づきってとても大切。それを妨げているものからいかに自己を解放するか、考えていきたい。

〇感想:自分も含め、お一人お一人が対話の中で大切にされていることが多様にあると思いました。

〇zoomを使えない気づき。いろんな考えがあるのを聞いて、為になりました。又参加します。私なりにこれだけ参加できて上等です。

〇感謝の気づき。

〇気付くことによって開ける新しい世界とは今の状態より心地よいものなのだろうか?

〇呼び方としては、意識でおこる気づきと、無意識で起こる気づきがある。ただ、気づきとはそもそも、自分が無意識的に築いてしまってきた「枠」「観」に気がつき、それが新たに組み替えられることではないか?

〇最初は、気づきは気持ちの良いアハ体験のイメージが強かったのですが。過去に抑圧されていて気づけなかった事に気づいた苦しい瞬間の事を思い出しました。気づきには喜びや痛みなどが伴うものまで色々あると気づきました。

〇抑圧? 一度気づいた感情や思考を押し込めてしまうこともあるのではないか?

〇色んなことをもっと早く気がついていたらと思います。それまで気がつかなかったのはなぜか、ということが問題の鍵だと思います。

〇気づかない事も大切で、有りかも、と感じました。

 (記録:本間正己)

 

 

【第230回記録】 映画「82年生まれ、キム・ジヨン」(オンライン)

第230回目の人生カフェは、令和3年9月29日(水)午前10時~12時30分、7名(男性2名・女性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を素材にしての哲学対話であった。オンラインでは、映画を素材にするのは初めての試みであった。とても多彩で充実した対話ができ、これなら今後も実施していけるという感触を得た。

 

最初に、この映画を見てのざっくりとした感想を、ひとり1分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

*女性差別   3世代   憑依

*・生きづらさのオンパレード ・女性が働き続ける大変さ ・色んな人に観て欲しい

*儒教的 子育て いい人

*1.性別役割分業 2.差別(労働の管理職率、政治の議員数) 3.理解の無さ

*長男信仰 娘をもつ母親の心情 心壊れるきっかけ

*恵まれているように見える  母の呪い 時代や社会の抑圧(個人と集合の関係)

*子供の鳴き声は疲れる 子育ては24時間労働 義母の言葉は心に刺さる

 

次に、各自に、この映画を見ての問いを1個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

そして、出された問いを多少整理して、小ネタから大ネタへ順番に、みんなで対話(フリートーク)をした。

 

〇は問い、●はフリートークの内容(一部のみ記載)

 

〇この映画の中で誰が一番悪い人だと思いますか?

●ジヨンが病気になる前の夫デヒョンの言動

●ジヨンの義母(夫デヒョンの実母)

●義母は嫌いな人ではあるが、悪い人には思えない。息子思いの母である。

●ジヨンの実母・ミスク~ジヨンのことを強く思い、味方になってくれるだけに、その呪いは強いかも?

●ジヨンの弟・ジソク~無知、無邪気な中で、長男として得をしている。この無意識な他人への抑圧こそが悪である。

●ジヨン自身が悪い~人に相談しない、人に頼らない。いい子になろうとし過ぎている。プライドが高い。本人の性格の問題?

●会社の部長、「ママ虫」と言っている人などは当然に悪い。

●それとともに傍観者、無関心な人たちも悪い。

 

〇苦しいと感じた時、誰に言えばいいのか(よかったのか)?

●ジヨンのお姉さん

●カウンセラー、精神科医など専門家に早めに相談できるといい。

●その前に、気軽に相談できる「電話相談」「ネット相談」「保健センター相談」などを利用するのもいい。

●夫に相談できるといいのだが……

●「ママ友」はいい場合もあるが、話を歪んで脚色されたり、拡散してしまう危険性がある。

●自分の苦しさをある程度自分で把握できるようになると楽になってくる。

 

〇ジヨンの友人だとしたらどう接する?

〇「身近なジヨンさん」を助けていくために何ができるのか?(自分も含め)

●相手に寄り添う。

●「いつでも話を聞くよ」という姿勢

●ゆるゆると聞く。

●相手に対して適度な踏み込み(ツッコミ)が必要な時もある。

 

〇なぜ肝心な話を避けるのか?

〇人はなぜ空気に流されてしまうのか?

●無意識的に誰かを抑圧していないか?

●世代ごとに意識の違いはあり、その意識を変えていくことはとても難しい。

●人にはプライドがあり、それが自らの変化を阻んでいる。

●このようなことを話し合える場(哲学対話の場など)があるのは大切である。

●対話する力(対話力)が求められる。

●それは聞く力である。

●問い、尋ねて続けていく姿勢

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○映画としての評価を忘れていました。社会問題をきちんと問いかけていたか、ということですが。

〇家族の対話ってなかなかできない自分を感じました。喧嘩腰になったり、感情的になるのが嫌だからです。心地よい対話力を身につけたいです

〇相手を想うからこそ、関係を壊したくないから聞けない、話せないこともあるのかと想う。でも、それを恐れずに対峙できるような強さを持ちたいとも願う。

〇映画のラストに救いがありました。しんどさを糧・肥やしにして立ち上がる強さは希望でした。本のラストは違うらしく少し怖いですが、いつか読んでみたいと思います。

〇・古い意識がこびりついている世代へのアプローチについて引き続き考えたい。

・「名前のない女性のおせっかい」は、中年世代として果たしたい役割だと思う。 ・「大阪的な踏み込み具合」は、大事なことだと思うが、関東の人間なので感覚がわからない。イメージとしては幼少の頃からコミュニケーションの英才教育を受けているような感じ。 ・ロールモデルがたくさん出てくると、一気に広がりが出てくる。歴史のなかで女性が権利を獲得していった流れをふりかえってみると、そこにはあきらめなかった人の存在がある。海外の事情も知りたい。

〇ジヨン自身が悪い? そういう面もあるかもしれないが、私はジヨンに同情してしまう。うん?この感情自体がちょっとおかしい? ミソジニー(女性嫌悪)とどう関係するだろうか?

〇本音を出して損をする社会だと変わらない。変えるには、哲学カフェなどの草の根活動、大きくやるなら学校教育で行う。その人が親になると家庭でも実践できる。現状では、損をしてまで動こうとする人は、使命感、信念があって、村八分や変わり者扱いされても厭わない人のみ。又は、よほどの問題意識(当事者意識)を持っていなければリスクを冒したいとは思わないのかもしれない。

 (記録:本間正己)

 

 

【第229回記録】 「ゆとり」入門編(オンライン)

第229回目の人生カフェは、令和3年9月25日(土)午後2時~4時30分、11名(男性7名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「ゆとり」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近、あなたはゆとりがありますか? その理由は?」を1分くらいで発表してもらった。

*あるような、無いような…・

*ゆとり有ります。NGO を閉めたばかり。

*いいえ、ありません。仕事が忙しいですから。

*ゆとりがない。実家の母が入院して、てんてこまい。

*ゆとりがない。テレワークなのになんでだろう?

*ゆとり≒余剰?とするならばあまり有用に活用できていない気がします。ゆとりがない方が追い込まれて意義のある活用ができるかも。

*ゆとりがありません。金銭的にも、時間的にも、いつも予期せぬことが起こるからです。

*仕事(管理職)、読書(1日一冊)、ブログ等で、時間的にはゆとりはありませんが、精神的にはゆとりがあります。精神的には、せかされずに、いろいろと思いを巡らせることができるので、、、

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

〇ゆとりがある人とはどんな人だろう?

〇総ての人がゆとりを持てる社会が実現したら、そこで私は(貴方は)何を望むだろうか(または望むべきなのだろうか)。

もし、もしも社会の問題が総て完全に解決してしまったら、私は(貴方は)毎日をどう暮らすのでしょうか?と言うという問いは、実は社会の問題が総て完全に解決する前に、考えても良いし、即それを実践してみても良いものなのかもしれない。と思ったりする。本当の意味での利他を極めるならば、自分に全く余裕がない極限においてこそ、利他を望める事なのではないか?

〇ゆとりは必ず必要なのか?なくても生きていける、けれど有るに越したことはない。どれくらい有ればゆとりが有るといえるのか?

〇今日は1日何も予定がないから自由だ。これはゆとりでしょうか?

〇ゆとりは必要なものなのですか?

〇ゆとりを持ち続けるにはどうすればよいのか?

〇ゆとりは年齢に比例して生まれるものなのか。

〇もしあと一年しか時間がないとしたら、あなたは何を変えますか?

社会から要求されることに関してはきちんとやっても、自分が心の深くに持っていることには回す時間がないのが普通になってしまっています。

〇忙しいとゆとりは無くなるのか?

〇ゆとりがない状態が続くと人はどうなるのか?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「総ての人がゆとりを持てる社会が実現したら、そこで私は(貴方は)何を望むだろうか(または望むべきなのだろうか)?」を選んだ。

 

〈口火を切る話〉

「余裕」を「利他」に引き寄せて考えてみました。特別養護老人ホームでの「余裕」は他人の行動を目に追い、批判しがちになります。良く話を聞いてみると、しかしそれは単なる批判ではなく、こうすればもっとよくなるのに、という「利他」を交えて語っていることが多いのです。しかしその「利他」は悪い意味での村社会的あるいは管理社会的(資本主義化における相互監視)な「相互監視社会」につながる気もします。という事は、むしろ余裕がない時にこそ、それでも臨む「利他」こそが本当の利他なのかもしれません。

本当に死にそうな時、貴方の事も社会の事(我々・貴方方・彼等)も頭から吹き飛びます。しかしここでこそ臨む「利他」こそが本当の「利他」だとしたら・・・?

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●時間があるだけではゆとりがあるとは言えない。

●何についてゆとりがあるか? 時間、お金、空間(スペース)、身体(健康)、心(意識、精神)……。

●ゆとりがあるとは自由があること。

●遊びがあること。

●メタ視点を持つ。

●距離を置いて、突き放して見ることができる(「知らんけど」と突き放す)。

●自己肯定感がある。

●ゆとりと感じられる感受性があること。

●笑いがある。

●ゆとりだけだとだらける?

●適度なストレスと適度なゆとりが必要。

●もしかしたら生きている、それだけでゆとりがあるという事?

●何のために生きているのか、ということが大事。

●ゆとりと問いとのせめぎ合い。

●ゆとり(余裕)が感じられる人に近寄ってくる子どもたち、動物たち。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人生には適度なゆとりが必要かもしれません。

〇一人ずつゆとりのとらえ方がちがう、ゆとりを熱望する声は聴かなかった。生きることに対する、命にたいする、情熱みたいなもの を期待したが…。ちがいが分かった大変いい学びになりました。

〇ゆとりのある世界では、そこかしこで哲学カフェがおこなわれて、みんなが笑いあっている。究極そんな世界がくればいいです。

〇ゆとりのある状態もゆとりのない状態も両方ほしい!うまく使い分けられたらいいのに。

〇⑴ゆとりが生きる力になる。⑵真のゆとり教育とは?⑶ゆとりのある皆さんとの対話が楽しかったです。

〇人生100年、残りの時間を生きるためには、ゆとりと緊張の両方が必要だと思う。

〇全ての人にゆとりができる社会はありえないと思います。なぜならゆとりは時間や経済的なものだけで測り得ないから。個々が持つ心の豊かさが溢れる社会になることを願います。

〇待つこと。人の話を聞くこと。今日の対話で、ゆとりを体験した。

〇自他のゆとりが達成された時、「自然(またはじねん)と遊ぶ」と言う在り方は割と好まれますが、私は「問い」が残るのではないだろうか?なんて思います。で、ゆとりって、実はゆとりの中では達成されなくて、本当の利他が求められるような「限界状況」の中でしか達せられないのかもしれません。だから「ゆとり」は本当は不可能なのかも・・・

〇人生のどのステージにおいても、ある程度、何らかの「ストレッサー(心・魂への刺激、起爆剤)は必要なのではないかと思った。「ストレッサー」に追い立てられる感覚を感じつつも、その中に「自分なりの”ゆとり感”の育み方」を確立して行くのが人生であり、「自分自身の本質の発見」にも繋がるのではないか、と考えた。

 (記録:本間正己)

 

 

【228回記録】「善く生きる」(オフライン・リアル)

228回目の人生カフェは、令和3年9月19日(日)午後2時~4時30分、12名で、榎町地域センターにてオフライン・リアルで実施された。(進行役:高橋あずさ)

◎今回は「プレジデント」の取材が入り、2021.10.29号の69ページに掲載された。

 

この日のテーマは「善く生きる」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○善く生きないと幸せになれないのか?

○善く生きた人は幸せか?

○善く生きることと、満足して生きることは両立しうるか?

○よく生きるとよりよく生きるの違いは何だろうか?

○善く生きている(または生きていない)ことに人はいつ気づくのか?

○善く生きる。善とは何かを明確にすること。善とは対極する悪を克服することか?

○善く生きるとは自分にとってどうか?ということ。自分にとってどうかが前提ではないか?

○善く生きるとは道徳的に生きることか?

○善く生きると正しく生きるはどう違うのか?

○善く生きてどうなるの?

○善く生きなければいけないのか?

○“善く”生きたいですか?それとも“良く”生きたいですか?

  

その後全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒善く生きないと幸せになれないのか?

その後、問いに触れながら対話を行った。

  

●“善く”生きる→自分の外側の規範 “良く”生きる→自分の内側の規範

●自分の外側の規範・社会から求められる「善」に従って生きるのは不幸せではないか?

●自分の外側の規範に従う…つらい・疑問を持たない方が楽・不自由?

●自分の内側の規範(人生観や自分なりの道徳観・良心)に従う…苦労・疑問を持てる自由。

●社会から求められる「善」は、時代・文化によっても異なる不安定なものではないか?

●善く生きる…道徳的・倫理的・人に迷惑をかけない

●善く生きる…よいこと?

●善く生きる…愛・他者のために生きる…喜びがある

●善く生きなくても幸せではないか?

●善く生きるとはどういうことか?

●普遍的な「善」はあるのだろうか?

●「善」を求めて生きる、自分なりの美学。

●善いものを目指したい気持ち。

●愛…神の存在。

●キリスト教…悪の克服は可能である。

  

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇根底に「自分のためであること」の自覚の大切さ。その上で「他者のために」をどうミックスしていくか?それが幸せにつながるか?

 募金・ボランティアは偽善なのか?

〇善く生きなくても幸せになれる。でも、私はより善く生きたい。

〇よく生きるとはどういうことか。改めてこれからも考えたい。

〇則天去私

〇それでも私は世俗を超えた真・善・美を追求していきたい。

〇結論は簡単に出せません。もしかしたら(自分の)“善なるもの”を求めようとする姿勢の中に“善く生きること”は存在するのかもしれない(※善く生きるとはかけ離れるかも…)

〇自分がこんなに愛を語るとは…

〇他人の信じる善に対して寛容でありたい。善に対する自分の考えが明確になった。普遍的な善の存在は無いと思うが、善を求めることはどの人にも共通していること。

〇善く生きるとはかっこ悪くて、なさけないこと。雨ニモ負ケズのように。

〇良心に反することを強いられたとき、それに従わずに済む強さをもちたい。

〇善く生きたいと願うのならば、幸せになることは可能だと思う。善く生きなくても幸せにはなれるのではないか。

〇他者への愛や善を「エゴイズム」が妨げる(邪魔をする)。エゴイズムに要注意。

(記録:高橋あずさ)

 

【第227回記録】 「ゆとり」入門編(オンライン)

第227回目の人生カフェは、令和3年9月14日(火)午前10時~12時30分、9名(男性3名・女性6名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「ゆとり」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近、あなたはゆとりがありますか? その理由は?」を1分くらいで発表してもらった。

*ゆとりがない。母が亡くなった後の整理があるから。

*心と時間のゆとりはある。経済的なゆとりはほぼない。コロナ禍で退職した為です。

*将来の不安が大きい。ZEROコロナはあり得ない。これからのウイルスに恐怖を感じる。経済問題も。年金やら何やら。。。

*ゆとりがない。今 wifiの状態が良くないから

*ゆとりがない。理由 仕事が忙しい時があり、疲れがとれない

*時間的ゆとりはある。 育児休暇取得中のため。精神的・物理的ゆとりはない。 家事育児が大変。自己啓発の勉強が大変

*友人が入院、続いて知人の家族が次々と病気ということで、心のゆとりが無くなりそうです。

*ゆとりがあるかどうかを考えたことはありませんが、問われれば「、ん~、あると思います。時間的、肉体的、精神的、経済的、・・・・・

*ゆとり、あります。 同居する家族が夫と二人になったことと、自営業のほうが順調になったので。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

〇心のゆとりがあるとはどういうことなのか?

〇何が(要素)、どうであれば、ゆとりがあるといえるのだろうか?

〇ゆとりがありそうに見える人とはどんな人か?

〇「ゆとり」って、必要でしょうか?

〇人は何にゆとりがあると幸せを感じるのか?

〇ゆとりがある状態は善い事なのだろうか?

〇ゆとりを生むことは難しいことなのか?

〇ゆとりを得るには何が必要だと思いますか?

〇時間とかお金にゆとりがあれば、何がしたいか?

〇(ゆとり教育は悪い意味で据えられている。問いの前にゆとりの本質規定が必要)  どのような「ゆとり」であれば善いと言えるのか? ゆとりと心の満足は同義か?

ゆとりとは認識(解釈)が全てか? (時間、経済など量的数値ははかれても、質ははかれない、QOL)

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「何が(要素)、どうであれば、ゆとりがあるといえるのだろうか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●ゆとりとは、選択の余地と幅があるということ。

●心、行動の自由が広いこと。

●このようにzoomで哲学対話ができること自体がゆとりのあること?

●あそびがあること。

●周囲に肯定してくれる人がいるとゆとりが生まれる。

●情報をしっかりと持っているとゆとりができる。

●ゆとりがある人は、物事をよく味わっている、丁寧に仕事をしている、心が開かれている。

●病気、介護などにより、一夜にしてゆとりがなくなることもある。

●こんなもんでいいかなぁという気持ち、状況に逆らわない態度、変化を受け入れていく姿勢などからゆとりが生まれる。

●ゆとり教育、ゆとり世代(さとり世代とも言われる)という言葉はネガティブに使われる。

●ゆとりがあり過ぎると余計なことを考えたり、行動してしまうことがある。

●ゆとりは修行や精進に繋がる。さとりにも繋がるかも。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○「善」って、なんでしょう?

〇改めて残りの人生を考える良い機会となりました。ありがとうございました。

〇選択の自由がゆとりを生む。

認識の再生⇒自分の物語の再生⇒ゆとりの再生

ゆとりとさとり

〇有り余る「ゆとり」を制限するのも「ゆとり」なのか?「ゆとり」には主体的に枠を作ることも必要なのか?

〇気づきと感想:自分のことばかりだった気がするので、もっと周囲に居る他者に心を寄せなければと思いました。

〇ゆとりってイメージは、時間もお金も沢山あり心もおおらかな感じでした。今回の気づき。沢山持つにしても持たないにしても主体性を持って、情報や欲のコントロールというか取捨選択ができる人は、ゆとりのある人だなぁと気づきました。

〇感想 今日は「ゆとり」というテーマで、こんなに深い内容の話をきけてよかった。みなさんの問いに対する考えをきけて、普段から日々の過ごし方とかいろいろ考えていらっしゃるんだなと思い、とても参考になりました。自分の生活のことなど立ち止まって、考えることの大切さを感じた時間でした。

〇情報の公開は、結果ゆとりをうむことになるのかな、と思いました。 ゆとりと修行、精進の関連も面白いです。ゆとりを感じさせる人が持っているもの、自分には無いものを発見することがゆとりにつながるのかなと思いました。

 (記録:本間正己)

 

【第226回記録】 本「しあわせの哲学」(西研著)(オンライン)

第226回目の人生カフェは、令和3年8月31日(火)午前10時~12時30分、6名(男性3名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日は、本「しあわせの哲学」(西研著)を素材にしての哲学対話であった。オンラインでは初めての試みであった。とても中身が濃く、これなら今後も実施していけるという感触を得た。

 

最初に、この本を読んでのざっくりとした感想を、ひとり1分くらいで述べ合うということで、各自キーワードを3つ掲げてもらった。

*この本にほとんど共感     承認     自由

*漠然と自分が感じていたことが全て言葉になって書かれていると思いじっくり何度も読んでみたいと思いました。

*言葉ってすごい、自由、対話

*『個別性』、『承認』、「幸福感」

*《感想》読みやすかったです。ほとんど納得するところもありましたが、一部?ところもありました。

*やさしく読みやすい。

*幸福感を支えるものは年齢や環境によってかわるのだろうか?

 

次に、各自に、この本を読んでの、問いを1~2個発表してもらう。具体的な問いでも、抽象的な問いでも。小ネタでも、大ネタでも。

そして、出された問いを多少整理して、小ネタから大ネタへ順番に、みんなで対話(フリートーク)をした。

〇は問い、●はフリートークの内容(一部のみ記載)

 

【対話をめぐる問い】

〇高倉健と暮らしたら幸福だろうか?

〇なぜ、配偶者より友人との会話、対話が弾むのだろうか?

〇対話関係とは何か?

 

●おしゃべり、ディベート、対話などがある。対話にはお互いを尊重し、新しいものを生み出そうとする力がある。

●話す力よりも聞く力が大切である。

●コミュニケーション力を高める方法として、アサーティブトレーニング、アクティブトレーニング、傾聴トレーニングなどがある。

 

【承認と自由をめぐる問い】

〇義務・強制から解放された時に味わう自由とは?(具体例)

〇「承認」より「自由」の方が重要ではないか?

〇『承認』には”選択性”があるのではないか?

〇気持ちを出せない環境でおこる事とはなんだろう?

〇自由になると何をしていいか分からないからあまり自由はいらないという人などが日本には特に多い。それはなぜか?

 

●日本人は同調や平等を強く意識し過ぎていて、自由を大事にしていないのではないか。

●他者からの承認を気にし過ぎないようにしたい。

●自分の人生を生きるために、自由が大切だ。

 

【幸せをめぐる問い】

〇ルサンチマンにとらわれやすい人とそうでない人はいるのだろうか?

〇素朴な疑問として「幸せ」の前に”偶然性”があるのではないか?

 

●幸せには個別性と偶然性がある。偶然が必然に変わる時、幸せを感じる。

●人との対話、あるいは言葉そのものが幸せを生む。

●笑い、笑顔、ユーモアが幸せをもたらす。

●そもそも「生命力」そのものが、現代日本では衰退してきているのではないか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○この本はいろいろなことを考えるのに良い本だと思います。10回ぐらい読みたいです。良い機会をありがとうございました。

〇対話の大切さ…。

〇・言葉の持つ力のすごさ ・自分の人生を生きるための自由 ・対話と幸せと言葉が結びついている

〇西研さんの対話とはどんなものだろう? 西研さんのカルチャーセンターでの対話の会:①感情の本質(恥ずかしさ) ② 行為の本質(遊び) ③感情・行為から理念の本質へ(自由)

〇「しあわせ」は経験的にも個別性が高いように思います。そのことからも人と比べず、自分の軸で考えていくこと(難しいですが‥‥)が大事だと改めて感じました。また、不幸があって改めて(いまの)「しあわせ」を感じるということも思いました。

〇仕事が好きだったのに、そこから解放されても幸せな私の幸福観はいい加減だったのだろうか? それとも、やはり変わっていって当然なのだろうか?

 (記録:本間正己)

 

【第225回記録】 「願う」入門編(オンライン)

第225回目の人生カフェは、令和3年8月28日(土)14時~16時30分、10名(男性5名・女性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「願う」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近願ったことを一つだけ」1分くらいで発表してもらった。

*コロナが収束・終息すること

*子どもの就活がうまくいくこと

*ローリングストーンズのようなチームに入りたい

*知人の手術の成功と、快復。

*家族全員が健康に過ごせること

*神社では、感謝だけして、願わないことにしています。仕事では、連絡書で毎日「願います」と書いてますが(笑)

*早く旅行とかに行けるようになりたい

*特にうかびません。

*子供や、孫たちが、コロナに、感染しませんようにと願って(祈って)いました。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○神様にお願いするとはどういうことか?

〇「願う」は今一度よくよく考えてみると、結構他力本願な行為なのだろうか?

〇願いは自力で叶えるものか、自分以外に叶えてもらうものか?

〇人はなぜ、神仏に願いたく(祈りたく)あるのか?

〇願いと希望の違いは何か。

〇他人の不幸を願うのはどうしてか。自分の利益にはならないのに「他人の不幸」は凄く複雑な喜びがある。自分が考えている「不幸の喜び」とはなんなのか?

〇願うと祈るの違いは?

〇叶う願いと叶わない願いは、何が違うのか?

〇日本語の慣習では、”願う”や”祈る”などの言葉を、(例え、その本来の思いが真意においては、込められていなかったとしても、)自動的に文末に付加して使うというものがある。一方、真にその意味を込めてそれらの言葉を使うこともある。この両者の(自分内での)精神的な区別をどのようにしたら上手くバランスが取れるようになるのだろうか?

〇願う・・・ねだる、欲しがるという物的に対して、精神的なのは祈るというのかしら?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「願うと祈るの違いは?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●願うと祈るは重なるところもあるが、異なるところもある。「祈願」という言葉もある。

●願うの英語(hope  wish  desire  request  beg  implore) 、祈るの英語(pray  wish)

●「願」という漢字は「原」(水)と「頁」(顔)から成り立っている。物的、具体的なものである。「祈」という漢字は「ネ」(お供えの台)と「斤」(近づく)から成り立っている。精神的、抽象的なものである。

●願うは自分の力でできるかもしれないこと、祈るは自分の力では及ばない、something greatに預けるしかないこと。

●願うはひとつのskillか? 祈るにはskillがあるのか? 祈るには得体のしれないパワーがある。

●願うには、叶う、叶わない(現実化するか、しないか)という話が付きまとう。祈るには、そのレベルを超えたものがある。

●人智を超えたものへの思いとして祈るがある。祈るにポジティブなものとネガティブなものがあるか? 祈るにはポジティブ(利他的)なイメージが強く、ネガティブなものに対しては、「呪う」と呼び、区別しているかも?

●何を、誰に向かって、どのような気持ちで願っているか?

●願うは、人の欲、欲求、欲望から生まれるのか?

●祈るは、手放す、委ねるというニュアンスがある。また、他者や神との一体感を求めている面もある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○人の数だけ感じ方、意見ってあるんだな、と再認識できました!

〇自分がまったく考えていなかったような意見があり、刺激的でした。利己と利他について、もう少し話してみたかったと思いました。

〇何気なく、使用している言葉の意味を、深く考えさせられました。素敵な時間に感謝します。

〇自らの欲望・欲求と「願い」の関係  欲望・欲求を超えた「祈り」

〇祈りとは何⁇

〇宴会最後の祈り、文章の文末の祈りには意味がある(皆様のご多幸をお祈りしますなど)。他者の幸せを祈る気持ちが社会を強くしてきた、発展させてきたと思いました。

〇願うにしろ祈るにしろ、何かしら未来の青写真を描くということは、進化したり成長したり、より良くなっていくためには意味のあることで、自力と他力をうまく使っていきたいと思います。

〇願いは、自己実現。祈りは、自他実現だと思いました。

〇<1>「願い」について、必ず叶う叶わないが重要なのではなく、心中に「願い」「願う精神」を持って生きていること自体が大切なのではないか、と思った。何らかの「願い」を持っていれば、そこで「可能性」が生まれる。こんなことを「願」って無意味なのではと思わず、勇気を持って「願う」実践を、今後も続けて行きたい。 

<2>「祈る」行為は、何も「手を合わせて祈る」だけではなく、例えば「読書、音楽鑑賞、執筆など」も含まれると、聖職者から聞いたことがあるのを、この機会に思い出した。

*有意義な思考の時間を、ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

 

 【第224回の記録】映画「ノマドランド」

第224回目の人生カフェは、2021年8月22日(日)午後14時00分~16時30分 計5名で(男性2名、女3名)で、オフライン・リアル(新宿消費生活センター分館)で実施された。

(進行:田中あけ美)

 

最初に、自己紹介と感想を共有した後、

この作品を鑑賞後の問いを出してもらった。

 

【問い】

・リンダはどうなったのか?

・台所の窓から広がる景色は何を意味するのか?

・なぜファーンはノマドを選んだのか?本当に幸せであったのだろうか?

 割合はどう思いますか?

・ファーンは仕事を失って、旅に出た?仕事を失わなかったら、旅にはでなかったのだろうか?

・家族と住むことにしたデイブは、なんだかんだでやっぱり家がある方が幸せなのだろうか?

・今の日本で家がなくても幸せに生きることはできるのだろうか?

・個人主義とは何だろうか?

・あなたはファーンのようなノマドに憧れますか?

・人生にとって思い出はどんな意味を持つか?

 

以上の問いから

 

●前半は映画の中の具体的なシーンやセリフからのの問い(人生カフェ的小ネタ)

・なぜファーンはノマドを選んだのか?

 を入口に対話を始めた。

 

途中、映画ネタ(逆光で撮影された大自然、ファーンの服に注目、原作にない主人公の役柄etc…)を挟みながら。

 

●後半は、より抽象的な問い(大ネタ)

 個人主義とは何だろうか?の問いから

 アメリカと日本の文化・社会の違いについて

 もし自分だったら、ファーンのようなノマドになりたいか?

 などについて対話した。

 

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・ノマド⇔定住者

 圧倒的に定住志向の私と家族、(それはちょっと)ツマンナイ奴だなあ!

 いいトコどりしたいなあ!

・家(ハウス)とホームの違いは何か?

・やっぱり幸せに生きるには、人間関係が大事。家のある無しに関わらず。

・経済力、人とのつながり、自分はどう生きていきたいか? 個人の力には限界があること

・若さって??

・ストーリーのその先についての話、又自分とは全く違う印象を持たれていることが面白かったです。

 

スクリーンに広がるアメリカの大自然の美しさと高齢者の厳しい現実と自由な解放された生き方。個人主義のアメリカという文化の違いはあるけれど、日本でもかつての家族主義が薄れ、これからどうなっていくのかの対話もあり、人生カフェならではの映画チョイスとなりました。(田中)

 

(記録:田中あけ美・本間正己)

 

【第223回記録】 「願う」入門編(オンライン)

第223回目の人生カフェは、令和3年8月11日(水)午前10時~12時30分、11名(男性4名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「願う」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近願ったことを一つだけ」1分くらいで発表してもらった。

*足の手術から早く回復できること

*熱が下がる

*末っ子の就活がうまくいきますように

*肌トラブルが改善されますように

*願ったことはありません

*コロナに感染しませんように

*サマ-ジャンボが当たりますように

*子供の成績が上がりますように!

*息子の大学院試の合格を願ってます

*知り合いの精神疾患がよくなります様に

*庭の水遣りが大変なので、一度雨が降ってほしいな~と願いました。

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○神様にお願いするとはどういうことか?

〇人はどのような時に「願う」のか?

〇誰にお願いするのですか?

〇どなたに向けてお願いをされますか?神様?仏様? または・・・?

〇なぜ人に願うのは迷惑とか考えるのに自己中なお願いでも神様や超自然的なものにしてしまうのか?

〇願いは叶えるもの?叶えてもらうもの?

〇願う、というのは努力を諦めたときのものなのか?

〇家族や親しい人以外に関係する願いは純粋な「願い」でそこにこそ本当の価値があるのか?

〇願いを叶いやすくするためにできることはあるのか?

〇願うと祈るの違いは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「願いを叶いやすくするためにできることはあるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●表現を柔らかくするために、「お願いします」という言葉を使うことがある。

●何事が成されるためには、才能、環境、努力とともに、運というものもある。その運のところに「願う」が関係する。

●運について、願うのか、あるいは任せてしまうのか。

●神仏に願うことと、人に願うこと。

●自分のことを願うことと、人のことを願うこと。

●お願いする相手の気に入ることをすると願いが叶いやすくなる?

●形のあるものが必要か? 神様相手ならお賽銭、お供物など…?

●形のないもので、「徳を積む」、「感謝の気持ちを持つ」、「信仰心」などの方がいいような気がする。

●something great、超自然的なものに対して……。

●我々人間は先払いなのか?後払いなのか?請求書は来るのか?ローンを払っているのか?

●ネガティブな願いというものもある。(アイツに罰が下るように、アイツが失敗するように……)

●それは正義感・公平感から来るものもある。(アイツだけが得するのはおかしい!)

●ネガティブな願いは、自分に跳ね返ってくる危険性がある。それを承知の上でやっている場合もある。

●ご先祖様はお願いする前から分かってくれている。

●清水寺の3つの水:「長寿」「恋愛」「学問」 あなたはどれを願いますか?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○願いの中にある「人の業」はどうにもならないのか?

〇願いはきっかけ。神様とも信頼関係を築く必要あり。感謝は大事。

〇願いなどしなくても全てわかっていますよ

〇願うとは、二つあるのかな?願うだけで完了する心の安定。もう一つは、願いが叶うことに意味がある目標。

〇願いをかなえてもらうことはギブ&テイクなのか?

〇願いを目標に変えれば努力しやすくなるのだろうか? でなければ、信仰心を持つとか…

〇色んな願いがありますが、1番はやっぱりコロナ禍の早期収束です。 そして、今日の話に出てきた、「お天道様が見てるよ」「ご先祖様が見守ってくれる」 子どもの頃に言われたこの言葉、背筋が伸びるし温かな言葉だなぁと思いました。

〇「願う」対象が存在している、よりどころがあるだけで(叶うかどうかは別として)救いになるのではないか?

〇願いは元々利己的なものか?(悪いことではない)  利他的、信仰的に近づくと祈りになるのか?

〇私の願いは50年間変わっていません。みーんなが幸せになりますように。その幸せのかたちが自分でみつけることができますように。

 

 (記録:本間正己)

 

【第222回記録】 「自分」入門編(オンライン)

第222回目の人生カフェは、令和3年7月24日(土)午後2時~4時30分、10名(男性3名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「自分」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「自分(私)を特徴づける3つの性質(属性)」を1分くらいで発表してもらった。

*長男・夫・父  足裏が痛い  テレビ観戦者

*1.楽天的 2.思い込みが激しい 
3.自由好き

*長女・妻・母 心配性 おしゃべり好き

*高齢者、せっかち、楽天家

*妻・母・経営者・sweets命

*①夫,②壮年(者)、③一人っ子

*甘党・お笑い好き・ミステリーも好き

*妹・母 文筆業 ミーハー 

*怠け者 びびり症 普通じゃない

*主婦。おまけの人生.挑戦.

 

次に、各自に、テーマ「自分」について自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○自分を嫌いになる時とは?

〇自分を大事にするのはどうやればいいのか?

〇私(自分)はなぜここにいるのか

〇【自分らしさ】って何?

〇自分があまりない人にとって不都合なことってなんだろう?

〇自分が生かされていると思った時は?

〇自分は自分の力で変わることができるか?

〇普通でいたいのに・・・・・?

〇自分の人生でやりたかったけどできなかったことは?

〇自分はどこまで変えられるのか(限界値は)?

 

以上の問いを以下の5つに分類した。

① 自分らしさって何?

② 同調圧力に対して、自分とは何か? (自分があまりない人にとって不都合なことってなんだろう?)

③ 自分は自分の力で変わることができるか? (自分はどこまで変えられるのか(限界値は)?)

④ 自分を大事にするのはどうやればいいのか?

⑤ 私(自分)はなぜここにいるのか

 

以上の5つから、多数決によって、後半の対話の問いは「同調圧力に対して、自分とは何か?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●同調圧力に勝つか負けるか、屈するか屈しないか、が問題なのか?

●協調性の意義はある。

●しかし、全てにおいて周囲(職場、社会、家庭など)と自分の考えが一致することはあり得ない。

●「自分がある」と「自分がない」

●実際に表明するかどうかはあるが、本当に考えているか! 自分にとって大事なこと・大切なことは何か、自分の考えを表明する方法やタイミングは何か、などをしっかりと考えているか。

●自分の考えの表明には責任が伴う。

●同調圧力の少ない、安全で安心な場(哲学対話のような場)で、発言する意義はある。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○自分の中にいろいろな自分が共存している。

〇自分らしい考えを持つことが重要だとおもう。自分らしさは自分で決める。

〇守りたいものがあれば何かしらの信念があるのでは。。。

〇無私の境地

〇自分にとって大切なこと、大事なこととは何だろう? 「自分がある」と「自分がない」(無の境地)の違い?

〇人の意見に流されやすい自分もそうでない自分も否定しない。結局、自分の存在意義に不明があるから同調圧力に負ける負けないという言葉に感化してしまう自分がいることが感じられた。

〇実は、今日のテーマの。【自分とは?】という内容を、【自分は何者か?】という哲学観点からの問いと思っていましたので少し戸惑っています。

〇まわりからはよく「自分の意見がない(持っていない)」とちょくちょく言われますが、見方を変えれば、それが自分であり、(自分の)個性かな、と思えたりします。本日発言で出ましたが、その時(自身で)考えているかどうかがkeyになると感じました。ポジティブ的なものが「自分」というものではないということを改めて感じました。

〇小さなことから大きなことまで自分の決定を自分の頭で考えていくことの積み重ねで自分というものはできていくと思います。自分がないと大勢の流れに知らないうちに流される。自分を作っていこ!

〇「自分」を出すことで、生きづらくなることがあるのがつらいです。

 

 (記録:本間正己)

 

 

【221回記録】読書会「イワン・イリイチの死」(オフライン・リアル)

221回目の人生カフェは、令和3年7月17日(土)午後2時~4時30分、6名(男性2名・女性4名)で、オフライン・リアルで実施された。

 

この日のテーマは読書会「イワン・イリイチの死」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○イワン・イリイチの妻は悪妻か?

○彼は何をまちがったのか?

○生きている者にとっては死よりも痛み(体)の方が重要か?

○死の恐怖(心の痛み)がなくなったのはなぜか?

○死を前にして思い浮かぶ生の本質とは何か?

○充実した人生って何だろう?

○イワンイリイチはどう生きれば良かったのか?

 

その後全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒彼は何をまちがったのか?

その後、すべての問いに触れながら対話を行った。

  

●「気楽」「上品」「快適」←イワンが選んだ人生…本当に良い人生なのか?

●レールに乗った人生の選択・考え方が間違いであった。

●「自分の人生が間違いであった」イワンは自己欺瞞に最後に気づいた。

●欺瞞・嘘・うわべ・形式的…本当の心ではない。

●「世間体(お金・地位・他人からの評価)」に価値を置きすぎた。

●結婚相手や仕事をアクセサリー感覚で(自分を飾るものとして)選んだ。

●子供の頃や恋愛していた時には「生きていた実感」があり「いきいきと生きていた」「充実していた」

●子供(自分の心)→成人(世間体)

●    ゲラーシム(下男)   ・     妻

     無償の愛       ・  見返りを求める愛

    他者に向く心      ・   自己に向く心

    真っ当、普通      ・     異常?

    みんな死ぬ       ・   自分は死なない

 理想の生活(レール)から外れた・理想の生活(レール)に沿っている

 

●イワンイリイチの妻について

・妻の役割を演じていた

・合理的な解決策

・共感していない

・周囲にアピールできることはやる

・見栄えの良いことはやる

 

●死…不確か・分からないもの…恐怖

●死ぬと分かってから ①否定 ②怒り ③取引 ④抑うつ ⑤受容

●自己愛→他者への愛

●利他的な行為(イワンにとっては死ぬこと)→自分に返ってくる→死が確かなことになった→恐怖がなくなった→死がなくなった。

●孤独感…周囲の人は自分の死を他人事と考えている。理解されない。

●痛み・苦しみ…「神の不在」トルストイは信仰に対する疑問を持っていた。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇死ぬ時は安らかに死にたいです~~~もっとトルストイを読みたい。

〇(本当なのかと自問自答しながら)自分の望みになるべく忠実に生きようと思います。

(死ぬときの後悔が少なくなるように)※痛みはないに越したことはないです。

〇他者に対する思い。他者を救済する方法を考えることは自らを救済する道につながることを学びました。

〇・45歳の死は辛い。かわいそう…

・役人は形式的になる!? イワン・イリイチ(裁判官) 映画「生きる」 私?

・現代ではゲラーシムを望むことはできない?

〇・旦那の苦しみに対して、私は形式的過ぎていなかったか?(笑)

・「充実した人生」とは?

・利他的な行為→確かに自分に返ってくる。(が、それを利用する人も中にはいる)

・ふと気づくと自己愛が顔を出す。

〇自分の人生を受容できることで、穏やかな死が迎えられる。(死を受容できる)

 

【第220回記録】 「自分」入門編(オンライン)

第220回目の人生カフェは、令和3年7月13日(火)午前10時~12時30分、11名(男性4名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「自分」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「自分(私)を特徴づける3つの性質(属性)」を1分くらいで発表してもらった。

*長男・夫・父   ラーメン好き   哲学対話を実践

*・オーストラリア ・妻/調理/日本人

*声かけ・対話  表現  面倒くさがり屋

*タイ国チェンマイに20年近く暮らしています。 生まれは東京、国籍はアメリカ  日本に長期滞在したいと思っています。

*自分の属性は良く分かりません。

*戸籍、住民票の記載・隠居・いつも迷っている人

*◉長女・妻・母 ◉ヅカファン ◉たまーに講師アシスタント

*母/妻/英語講師  コバトン(さいたま)  スポーツクラブ通い/ピアノ

*妻、祖母 読書好き 地方に住んで知る

*次女、会社員(夫と2人で会社してます) ぶきよう 思い込み激しい

*練馬区在住、頑固、餃子好き

 

次に、各自に、テーマについて自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○自分と他人は何が異なり、何が同じなのか?

〇残された人生で自分らしい貢献をするには?

〇属性が自分(私)を作っているのか?

〇何で自分が今ここに存在するのだろうか?

〇自分の意見とか考えは、どこまで本当に自分のものなのか?

〇自分の中に色んな自分が居るのはどうしてだろう?

〇アイデンティティーの確立は必要か?

〇自分の気持ちを大事にするとはどういうことか?

〇変わっていく自分のいい所と悪い所は何か?

〇自分が死ぬと世界は消滅してしまうのか?

〇自分の事を最もよく知っているのは誰?自分自身?両親?同居している人?神様?

〇自分に求められていることは?

 

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「自分の事を最もよく知っているのは誰?自分自身?両親?同居している人?神様?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●自分を「知る」とはどういうことか?

●過去から現在までのいつの時点のことか? 未来の可能性についてはどうか?

●他者と比較することか?

●人は何かを投影して認識する。

●人は映写機のようなもの? 常に色眼鏡をかけている状態? これらを自覚することは難しい。

●「他人から見ての自分」と「他人を見て知る自分」

●ジョハリの4つの窓(自分も他人も知っていること、自分は知っているが他人は知らないこと、自分は知らないが他人は知っていること、自分も他人も知らないこと)

●大きく揺れ動く感情~その基にある価値観・自分軸~さらに根底にあるだろう快・不快感

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○初めての参加でした。抽象的な切り口、と今個人に起こっていることとの兼ね合いがうまく取れていたと思います。

〇自分を知る(新たな問い) 自分と他人との関係(ジョハリの窓) 自分と時間との関係(過去、現在、未来)  分人主義(コミュニティによる違い)

〇いきなり他人に自分を類型化されたりする不快の原因は、類型化されることではなく、何に類型化されたのかに依るのだと思いました。その中に自分の偏見もあると思います。

〇自分も含めた「人間」の不思議を感じました。個人的には頑固な自分があまり快くはないのですが、自分の存在からは逃げられないので、まったりつきあっていけたらいいなと思っています。

〇他人、自分、どちらが私の事を知っているのかは分からないが、比較することを含め、他人の存在はあって初めて自分を知る機会は多いように思う。世の中に自分1人ぼっちだったら「自分」を知る事を出来るのだろうか。

〇気が付かないのが幸せなのか、気が付いてジタバタするのが幸せなのか、気が付いてもケセラセラと流せるのが幸せなのか、早く認知症になった方が勝ちか。

〇自分を知るのに自分を投影できる場所があるっていうのは幸せなことだと思いました。知る・気づく怖さもありますが。ジョハリの窓、気になりました。この後調べてみます。

〇本日のこの対話の場で、新たな自分に出会えました。楽しい対話の機会、ありがとうございました。

〇気持ちのモヤモヤを大事にします。

〇自分とは、体験・環境・人間関係などの影響から作られる。正しいかどうかは別としていま・ここで・この私でやっていくしかないのかもしれない。しかし一秒先はどうなっているのかわからない自分がいる。

 

 (記録:本間正己)

 

【第219回記録】 「幸せな人とはどんな人か?」深掘り編(オフライン・リアル)

第219回目の人生カフェは、令和3年6月27日(日)午後2時~4時45分、新宿区榎町地域センターにて、10名(男性4名・女性6名)で実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「幸せな人とはどんな人か?」(深掘り編)であった。

人生カフェは満7年を迎え、毎年6月は「幸福」に関するテーマを取り上げることを恒例にしている。

 

最初のプログラムとして、  各自に、「この人は幸せな人だなぁ」と思う人を具体的に3人くらい挙げてもらった。

*布袋様  マザー・テレサ  母

*兄  長くつ下のピッピ  仙人

*同僚の2歳の子  ポツンと一軒家に登場する山奥で暮らす方  やまざきくん

*コルベ神父  杉原千畝  三木清

*仏陀  娘(今だけ)  父

*父  夫  私

*自分の子ども(次男)

*サンタクロース  星野源  小室圭

*寅さん  黒柳徹子  ブルース・リー

*星野源  早稲田・ジャズナッティのマスターご夫妻  北海道・浦河べてるの人々

 

次のプログラムとして、各自に、「どのような人が幸せな人か」を3つくらい言葉で挙げてもらった。

*笑顔がステキ

*笑顔でいる

*楽観的

*ポジティブ思考

*世界を肯定

*自分を取り巻く世界を基本的に信頼

*運がいい

*機嫌がいい

*自分で自分の機嫌がとれる

*心が晴れ渡っている

*気持ちを大事にできる

*自分の気持ちに正直に行動できる

*自己中心性を乗り越えようとして、セルフコントロールがある程度できる

*所有することより、自己の内面を深めようとする

*自分の人生を(受け入れて)生きている

*自分が生きている、生きてあることを全身で実感している

*人を気にせず、我が道を行く

*自分のままで、自分以外と調和している

*感謝できる

*些細なことに感謝する心

*足るを知る

*野心がない

*生きがいを持っている

*朝起きた時にやる事がある

*信じるものがある

*思いやりがある

*人に与えることができる

*コミュニケーションを大事にできる

*罪の意識を持ち、それを乗り越えようとする

*比較されないポジション

 

以上、たくさん出された素材を基にして、後半は「幸せな人とはどんな人か?」の問いを巡って、フリーに対話した。(一部のみ記録)

 

●お金は幸せにどう関係するだろうか?

●心の充足こそが大切なことか?

●評価の問題~自己評価か他者評価か、状態のことか行動のことか人柄のことか、絶対評価か相対評価か

●自己肯定感

●承認欲求

●「成功」と「幸せ」を混同していないか。

●生命体そのもの、存在そのものが幸せ

●比較の世界を離れた存在

●生きるために最低限必要なものはある。

●幸せは主観的なものが中心だが、客観的な観点(健康、お金、自由、平和、安全など)も必要ではないか。

●幸せにとって、「他者」との関りはとても重要なことだと思われるが……。自分だけが幸せということはありうるのか?

●今の幸せよりさらに大きく、深い幸せを望むこと。

●幸せを追求する? 追及する? 追究する?

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○気持ちを大事にするとはどういうことか?  コミュニケーションとは?  人との関係とは?(他者との調和など)

〇思いこまされた幸せと、自分が見つけた(追究した)幸せはどう違うか?

〇自分のままで生きていられる人は幸せだと思う。ただ、周囲の安全や平和を脅かしてまで幸せになりたいとは思わない。自分と他者の幸せが調和するとは、どんな状態?

〇じぶんなりに納得できる「幸福論」を描ける人は幸せである。

〇幸せとは、他者との関りを改善させること。すなわち、手段として、対話(正確には実存的対話)を実現させること。それは何かを明確にすることより、生命のふれあいのような対話を目指すものであること。例えば、自然との対話、動物との対話。

〇自分の幸せばかり追求していていいのだろうか?(平和ボケしている?)

〇人はなぜ幸せに振り回されるのか?(「幸せ」に気付くのはいつだろう?)

〇幸せについて考える⇒「愛」の会を思い出す。 「愛されたい」ではなく、「相手の幸せを願う=(愛すること)」で自分も満たされる。「幸せになりたい」ではなく、「誰かを幸せにしてみる」ことで何かが変わるかも……

〇幸せへの動機 幸福追求  他者とともに幸せになるって難しいのか、難しくないのか。

〇欲と幸せはどう違うのか? 重なる部分はあるのか? 欲は他者から奪うもの? 自分だけが得したい? 自分だけの幸せって成立するのか? 幸せは与えられるもの? 与えられたものを感謝することで両方で成立するのか? 幸せは自分と他者とで分かち合うものか? 幸せをもっと得たい、は欲なのか? 幸せと不幸は全く違うものなのか?(コインの表裏のようなもの???)

 (記録:本間正己)

 

 

【第218回の記録】映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」

第218回目の人生カフェは、2021年6月14日(日)午後14時00分~16時30分 計6名で(男性2名、女4名)で、オフライン・リアル(新宿区榎町地域センター)で実施された。

(進行:田中あけ美、本間正己)

 

最初に、自己紹介と感想を共有した後、

この作品について鑑賞後の問いを出してもらった。

 

【問い】

・最後のシーンで求人票をエベレットに発見させたのは、どういった意味あるのか。

・障害(ハンディキャプ)を持って生きるというのはどういうことか。

・モードは障害があり、病気がちなのだからタバコをやめるべきだったのではないか。

・二人にとって、絵が売れたこと、有名になったことはどんな意味があるのか。

・けんかして出た行った女性が戻ったのは何故。

・常識の世間を破るのは外の世界。

・男性は何故中年の今頃家政婦が欲しくなったのか。

・モードの自分を曲げない「強さ」とは。

・自分の人生を切り開いていく原動力はなにか。

・ハンディキャップがありながら自立して生きる上で必要なことはなにか。

・ケアをするのは女・健常者でケアをされるのは男・障碍者。

・芸術とは何か。生命感をどう表現するか。

・ジェンダー平等とは。男女平等に評価できる社会とは。

・障害者の人権とは何か。基本的人権とは。

 

以上の問いから

 

●前半は映画の中の具体的なシーンやセリフからのの問い(人生カフェ的小ネタ)

・男性は何故中年の今頃家政婦が欲しくなったのか。

 を入口に対話を始めた。

 

休憩時間には、ビデオで最後の場面「モード死後、エベレットが缶の中に入っていた求人票を発見したところ」を見直し確認した。

 

●後半は、より抽象的な問い(大ネタ)

 「障害」「ジェンダー」「芸術」の問いについて対話をした

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・溢れ出る情熱(好き)とちょっとした才能はうらやましい!

・生命感とは、相手の内にある生命を感じる力を受け止めること。

それは苦しみ、悲しみ、喜びを含めて受け入れることができれば、理解しあえる関係になれるかも。

・”愛”を描く人の”愛”の意味は、エベレットのモードへの”愛”なんだ!!

 お互い向き合っていくことで愛が育まれる。

・モードの意志、情熱、決心。それを受け入れるエベレットの愛。切なく愛おしい映画だな~。

・モードが自分のやりたい事を自覚していて、それを実行する行動力が凄いと思った。安全な道を選べない程やりたい事をどうやって見つけたのだろう。

・共に生活するうちに変わる関係性、、、でも、女性側の推進力が大事。

 

 

《主催者側の感想》

今回は、新型コロナウイルス感染自粛期間中の開催でしたが、オンラインではなく、リアルな対話を求めて初回参加の方が2名いらっしゃいました。

映画を観ての対話は、共通の経験(同じ映画を観る)をもとに、夫々の視点や価値観からの問いや考えを出し合い、対話を深めていきます。映画の同じ場面について自分と異なる感想や思ってもみない考えに出会えることの楽しさ、映画をより深く理解できる面白さを感じます。(田中)

 

映画を素材にした場合、小ネタをめぐる対話は具体的だから、盛り上がるし、楽しい。そして、その後の抽象的な大ネタの対話は沈黙も多いが、じっくりと考える時間として、貴重なものに思える。

参加者がこの映画を様々な角度から語ってくれたので、この映画が地味ながらも、とても素敵な映画だということが分かってきた。この感じ方はうれしい。

オフライン(リアル)の場で、5官(感)を使って、映画を鑑賞できた、対話もできた、という感覚です。(本間)

 

(記録:田中あけ美・本間正己)

 

 

【第217回記録】 「幸せな人とはどんな人か?」入門編(ZOOMによるオンライン)

第217回目の人生カフェは、令和3年6月8日(火)午前9時30分~12時、11名(男性5名・女性6名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「幸せな人とはどんな人か?」(入門編)であった。

 

最初のプログラムとして、  各自に、「この人は幸せな人だなぁ」と思う人を具体的に3人くらい挙げてもらった。

*布袋様  マザー・テレサ  義父

*あまり思いつかないけど、今回のテーマが「幸せな人」だと言ったら、カミさんが「私」と言った。

*イチロー、有吉、さんま

*漫画「キャンディ・キャンディ」のキャンディ  元宝塚トップ 紅ゆずるさん  私

*水木しげる先生、春琴抄の佐助、今の私

*まっちゃん(元音羽山観音寺お手伝いさん)、田中のりこさん(やまなみ工房アーティスト)、ゆうくん(2歳のユーチューバー)

*ブータンの国民 健康な人 ターシャ・チューダー

*母方のおじさんで、ミカン農家の農夫で大変な仕事をしていて、いつも日焼けしていましたが、不平不満を聞いたことがなく、奥さんを最後まで家で介護した。

*ワンオクの森田たかひろ  私  娘  

*ミス・マープル  オードリー・タン  友人ひろちゃん

*大泉洋  今井美樹  平塚らいてう

 

次のプログラムとして、各自に、「どのような人が幸せな人か」を3つくらい言葉で挙げてもらった。

*・機嫌がいい人 ・自分の幸せも、他人の幸せも願える人 ・楽観的な人

*現状に満足できる人、不平不満がない人、人のこと悪く言わない人

*・笑い・周囲と良い関係が保たれている・自然体である

*◉足るを知る人 ◉感謝できる人 ◉夢を叶える途中を楽しんでいる人

*集中し、努力できる人  感性が豊か  ユーモアがある

*・自立した人 ・大切なものを持っている人

*感謝の気持ちを忘れない人、余裕のある人、ダメな自分を受け入れることができる人

*自分の心と体に納得出来ている人、人と話していて笑える人、人や事に感謝出来る人

*自分の幸せと相手の幸せのバランスを考えて、実行できる人  考えることができる人  ユーモアを知ってる人

*好きなことを極める。周囲の人にパワーを与え愛し愛される。毎日が楽しく充実

*他人と比較をしない人 すべてにおいて幸福な人はいないと思う。

 

以上、たくさん出された素材を基にして、後半は「幸せな人とはどんな人か?」の問いを巡って、フリーに対話した。(一部のみ記録)

 

●いい加減のところで死んだ人が最も幸せな人ではないか?(笑)

●自分自身、自分の人生に何かしら納得できている人は幸せな人。

●現状・現在に満足している人と変化・向上を楽しんでいる人

●若い人たちは変化・向上を望んでおり、年を取ってくると現状に満足していく傾向がある?

●幼き子どもは、幸せそのもののように見えるが……。

●恋愛体質の人は常に恋をしていて、本人は幸せそうに見えるが……。

●「足るを知る」とはどういうことか? 単なる現状満足・自己満足ではなさそうだ。

●熱中することと依存すること。

〈参考〉

バートランド・ラッセルの『幸福論』における幸福な人 ・自己中心的ではなく、外に向かって愛情や興味を向けることができる人   それは自分が本当にやりたいことに基づいており、社会とのつながりを持っているとなおいい。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○今も幸せだけど、もっと幸せになりたいです♪ これからは自分の幸せだけじゃなく、広い意味で社会貢献できる事を考えています。それが人生後半の自分の幸せに繋がる気もします。

〇幸せかと問われると幸せだと思う自分は、自分の経験からくる自信があるからなのか、単に心身共に衰えてきただけなのか。

〇幸福な人とはどんな人かについて、自分で考える事、そして他の皆さんの考えを聞くことは楽しかったのですが、他の方の考えについて何か意見をいう事は難しいと感じました。

〇幸福は自分で決めるものだと思う。不幸の共通事項はあるが、幸福の共通事項は何だろう?

〇ただの自己満足には真実がない。客観的真実のある満足でなければならない。

〇日常にある小さくてもよい幸せの断片を拾うことで幸せな人になれるかもしれない。

〇自分なりの幸福論を書ける人、描ける人が幸せな人かもしれない。 変化を望む人、変化しないことを味わう人、…私は今のところは現状に満足しながらも変化を望む人。

〇そんなにあまり一生懸命幸せを希求しなくてもいいのではないでしょうか。幸せ貧乏みたいにならないようにしたいものです。

〇幸福な人って、究極個人的なことで自己中心的なことかなと思っていましたが、「ユーモアがある人」などに代表されるように人に幸福感を与えられる人もそうだなーと思いました。

「人と共に一瞬の幸福感でもいいので、幸せになれる人かな。」

〇特にリキムことなく、まぁボチボチくらいの「生きる」でいけたらいいなぁ、と、それが今の私個人の幸せです。

若い人たちが幸せを求めるチャレンジを応援できたらいいですね

 (記録:本間正己)

 

 

【第216回記録】「楽しさ」深掘り編(オフライン・リアル)

第216回目の人生カフェは、令和3年5月30日(日)午後2時~4時45分、8名(男性5名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己) 

この日のテーマは「楽しさ」(深掘り編)であった。

 

最初に、導入のプログラムとして、「最近楽しかったこと(エピソード)」について、各自に語ってもらった。

*フットサル(自分の趣味)

*近くの水元公園に行って、小自然を楽しんだこと。自然にふれると心がなごむ。

*芦花公園駅の「中華蕎麦 きつね」に食べに行ったこと。

*寝ることの大切さを少し知った!

*いつも「うるさい、あっち行け」と言ったり、無視する息子(高2)と、プロ野球談議をしたこと。

*あまり外出や行動をしていないので、これ!ということが思い浮かばないです。昨日、「ここは今から倫理です」というドラマを一気に見たのは楽しかった。

*ドラマ「大豆田とわこと3人の元夫」を見て。

*TVドラマを観ること。

 

次に、各自にメインテーマ「楽しさ」に対する自らの問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○「楽しさ」をうばうものは何か?

〇楽しさを阻害する要因は何か? 身体的な痛みとか、大きな不安とか?

〇ツライと楽しいは併存するか?

〇楽しいことだけを求めていくのはいいことか?

〇楽しさと快楽と幸福感の違いはどこにあるのか?

〇「楽しさ」と「感動」の違いは何か?

〇楽しいと思う(感じる)のはどんな状態の時か?

〇「人生たのしく生きる!」と決心したとしたら……

 どうすればいいか?どんな心がまえならいいか?こういうこと以外か?

 

以上出された問いから、多数決によって、後半の対話の入り口を決めた。

「「楽しさ」をうばうものは何か?」

 

その後、自由に対話を行った。(一部のみ記録)

●楽しい時、笑いがある。希望がある。生きる意味を感じている。

●バーチャルな楽しみとリアルな楽しみ

●他者との関わりの楽しみと自分だけの楽しみ

●感情(喜怒哀楽)が動く(感動すること)の楽しみと考える(思索する)楽しみ

●楽しさを阻害するもの、奪うもの~恐怖、不安、痛み、義務感、強制、マンネリ、飽き……

●楽しんではいけない? 理性で止めている、抑圧している?

●楽しまないといけない?

●得意なものや集中できるもの対しては飽きることはない。

 

最後に、本日の対話を経験して、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を出してもらった。

○飽きる、つまらない感じを大事にしたい。

〇楽しみに良い悪いはあるのか?

〇(プライベートの時間に関しては)自然と、自分が楽しいと思えることを選んで時間を過ごしている。

〇楽しいこと、たくさんあるのか、全然ないか……どっちとも言えるような気がしてきた。わからないから、「見つけてみるか」ということなのかもしれません。(酔狂? 薬?)

〇①楽しいことを求める(自分を開放する)

 ②楽しさを増すものは何か?

 ③新しい、しらない、ものにリーチ

〇楽しさを感じられない時期  心がまひしていた?ような?  大きな不安?+「~しなければならない」(自分を抑圧している)

 (Nさんがフットサルに飽きないのはなぜ?) 楽しくないと続かない…ですよね。

〇人生の楽しみは新しい自分と新しい世界の発見にあるようです。自分の内面と同時に他者が見ている世界観を共有することができれば、楽しみは倍増するのではないか。

 古典と最新科学を勉強したい。

〇楽しさと幸せは、それ自体が究極的な目的かも? 仕事のため→お金のため→家族のため→楽しみのため・幸せのため→(これ以上はさかのぼれない?)

 

(記録:本間正己)

 

【第214回人生カフェ・中高年の哲学対話・記録】 「参加者で問いを決める」ZOOMによるオンライン)

令和3年5月16日(日)午後1時30分~4時、10名(女性6名・男性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

さて、この日は「参加者で問いを決める」(プレーンバニラ方式)であった。

まずは、各自に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○友だちは多い方がいいのだろうか?

〇人は、人をどこまで、信じ切れるだろうか?

〇死んだらどうなるのか?あの世はあるのか?

〇苗字って重要ですか?

〇甘えるとは何か…?

(よかれとおもってやったのに)悪意のない言動で他人を傷つけてしまったり、傷つけられてしまうのは何故だろう?

〇公平とはなんだろうか?

〇悲劇が喜劇にかわるところはどこか(何か)?

〇第一印象はどこまで正しいだろうか?

〇哲学カフェのジェンダーの別とは?

 

以上出された問いから、今回は多数決で、「(よかれとおもってやったのに)悪意のない言動で他人を傷つけてしまったり、傷つけられてしまうのは何故だろう?」という問いを入り口の問いとして選んだ。

 

それから自由に対話をした。(一部のみ記録)

●マイクロアグレッション(小さな攻撃性・暴力)は日常的に存在する。

●哲学カフェにおいても、マイクロアグレッションは起こりうる。

●背景にやはり差別意識・優越意識とそれに伴う快感があるのではないか?

●傷つくか否かや、傷つく程度は、相手との関係性や世代、置かれた環境などによって異なってくる。

●コミュニケーション力のアップの一方で、スルーできる大らかさ、鈍感力も必要である。

●また、傷ついた時に修復する力も大切である。

●無意図的・無意識的にも相手を傷つけてしまうことがある言動の事例を知り、学んでいく必要がある。

●小さな暴力は、その場で小さく修正・修復ができるのが望ましい。

 

最後に、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を発表してもらった。

○本日は有難うございました。対話の中でマイクロアグレッションはある意味で考えさせられました。言葉の使い方を含め、コミュニケーションテクニックを磨いていかなければならないと思いました。

〇話し方は難しい、そんなつもりで話したのではないのに…。

〇気を付けててもきっとゼロにできないうっかり発言防止の為にも、今後も対話のスキルを磨きたいと思います。よろしくお願いします。

〇よかれと思って言おうとする前に、それが人生観のおしつけになっていないか、こちらは多数派なんだという傲慢さが無いか、考えてからにした方がいいと思いました。

〇「小さな暴力」今後も考えていきたいです。

〇自分の中の隠れたステレオタイプに気づき、相手が本音を言いやすい話し相手になろうと思いますが、傷つける事をいたずらに恐れて、冷酷な傍観者にならないようにしたいと思いました。

〇無意識の偏見や差別に気が付かないという特権性はどうしたら学べるのだろうか?

〇繊細さも認められるような空気に。

〇自分が傷ついたこと→相手に伝える→相手がそれを受け止める→修正できることは修正していく

これが気軽にできる環境にならないかなぁ。

〇あまり介入的な発言コミニュケーションを控え、微笑みや、さりげない、言動コミュニケーションを学ぼう!

 

 (記録:本間正己)

【第212回記録】「承認」深掘り編(オンライン)

212回目の人生カフェは、令和3年424日(土・祝)午後130分~4時、10名(男性4名・女性6名)で、オンラインで実施された。(進行役:本間正己) 

この日のテーマは「承認」(深掘り編)であった。

 

最初に、各自が考える「承認」についての大まかな定義を書いてもらった。

*そのままに受け入れること

*受け容れる

*認めることでしょうか

*自分より目上の人が認めること。

*ありのままに受け入れること

*聞き入れること。認めること。

*周りの人たちや社会的に認められること

*肯定してもらえる

*嬉しい気持ち

*承認と、生い立ち、環境の関係について

*肯定されること

 

各自にメインテーマに対する自らの問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

なぜ人から承認されたいのか?

〇承認されなくても(他者から認められなくても)人は生きていけるのか?

〇自己承認欲求と、自尊心は同じか?

〇他人の欠点を承認することはあるのか?あるとすればどんなことか?

〇承認の種類、量にもよるので

〇承認したことへの責任はあるか?

〇人から承認されることは、なぜ嬉しいのだろう?

〇承認されなくても生き生きと生きて(生活して)いけるのか?

〇なぜ承認されると嬉しいのか。

 

以上出された問いから、話し合いをして、「なぜ人から承認されたいのか?」という問いをサブテーマとして対話することにした。(一部のみ記録)

●承認欲求があるのは、自己保存のために他者からの承認が必要だから。

●現代は食べ物の調達や一定の安全性は確保されている。しかしながら、所属集団内の人間関係や広く社会関係については、インターネット、SNSなどの発達も相まって、過敏になっている。

●承認の場、種類、質、量などが異なる。

●承認される場と、そうでない場がある。

●家庭では、職場では、地域では、仲間では……どうだろう?

●承認がいいことであれば、なぜもっと承認しないのだろうか?

●上辺だけの承認では喜びに繋がらない。

●「いいね」の連発は心に響かない。

●ある程度の承認があれば生きていける。承認を期待しすぎるのはいかがなものか。

●ペットとの間の承認関係、自然からの承認、神からの承認………。

●自己を確立するために他者との間で争いが生ずる。しかし、それだけでは社会は成り立たない。「相互承認」が必要になってくる。

 

最後に、本日の対話を経験して、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を出してもらった。

○承認ばかりでは、変化や向上が薄れてしまうのではないか?

〇あるがままの相手を受け容れるということはなかなか難しいと思いました。

〇ヘーゲルの相互承認を勉強したいと思います

〇自己承認同士が喧嘩をすることも、文化の進歩にとって重要ではないか?

〇自己承認欲求を見せないカッコよさ・・・

〇親から承認されてる人は、社会の承認なくても、生きていけると思う。承認し合うのは、コミュニケーションであり、エネルギー。より深く生きれると思う。

〇承認とは何か。を大切にしたい。

〇皆さんとの対話の中で気づいたことは、会社のように縦社会で立場の違いがある場合には、互いに承認し合う関係は気付きにくいのかなと思いました。

 

(記録:本間正己)

【第211回の記録】映画「ワンダフルライフ」

211回目の人生カフェは、2021418日(日)1400分~1630分 計4名で(男性1名、女3名)で、オフライン・リアル(新宿消費生活センター分館)で実施された。

(進行:田中あけ美、本間正己)

 

最初に、自己紹介と感想を話したあと、

それぞれの「一番人生で印象に残った大切な思い出」を共有した。

 

・自分の娘が生まれた時。

・選べない1つ選ぶと他にもある大切な記憶が消えてしまうから。

・映像になるビジュアル的な記憶を選んでしまうーカップルが出てきて、最後は虹がかかるような。

・家族との記憶もあるが、他の人の話を聞いていて、今フッと若い頃にある光景が浮かんできた。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

【問い】

・亡くなる年齢(寿命)が人によって異なるのはなぜか?(この映画には赤ちゃんや子どもが登場しない)

・伊勢谷友介はなぜ芸名と役名が同じなのか?

・是枝監督はなぜ真正面から撮る面接シーンが多いのか?(「万引き家族」でもそうだった)

・「瞬間」(短い間の経験)と「永遠」はどんな関係にあるのか?

・思い出(記憶)とは、人にとってどういう意味があるのか?

・一番大切な思い出(映像化できるようなワンシーン)=自分の人生の肯定?

・記憶の偽造?

・夫婦で大切なワンシーンがずれている?

・「一番人生の中で印象に残った大切な思い出」を決められる人と決められない人との違いは何か?

・思い出を選ばないのが人生に対しての責任のとり方というのはどういう意味か?

・伊勢谷青年の「未来永劫、過去の思い出に囚われるなんて嫌だ。変化し続ける夢を見続けたい。それが「自分の人生の責任のとり方」というのはどういうこと?

50年の人生でいいことなかった、幼い時に押入れにガラクタをこっそり集めていたのが大切な思い出という人はあちら側に行けたのか?

・しおりの湯船につかるシーン(2回)は何か意味がある?

ARATAがあの思い出を選んだのはなぜか?

・「月」は何を意味するか?

 

以上の問いから

 

前半は映画の中の具体的なシーンやセリフからの問い(人生カフェ的小ネタ)

・月は何を意味するか?

ARATAがあの思い出を選んだのはなぜか?

・しおりの湯船につかるシーン(2回)は何か意味がある?

を入口に対話を始めた。

 

後半は、より抽象的な問い(大ネタ)について対話をした

・思い出(記憶)とは、人にとってどういう意味があるのか?

・一番大切な思い出(映像化できるようなワンシーン)=自分の人生の肯定?

・「瞬間」(短い間の経験)と「永遠」はどんな関係にあるのか?

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・「月」「ARATAの思い出」については納得した!

・過去の記憶と未来への夢は同等である。

・映画のワンシーンと残された人生。

・最後の最後に悲観的ですみません。

・雲みたいなマークの意味は何なのか?気になりました。

・生きてあることを味わおうかな。まだ生きているのだから。

・3歳までの(思い出せない)記憶は人にとって意味あるのか?

 

(記録:田中あけ美・本間正己)

 

 

【第210回記録】 「承認」入門編(ZOOMによるオンライン)

210回目の人生カフェは、令和3413日(火)午前10時~1230分、12名(男性4名・女性8名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「承認」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近人から承認されたと感じた出来事」をひとつだけ1分くらいで発表してもらった。

*家族が誕生日を祝ってくれたこと

*花を育てているお庭の写真を家族のラインにUPしたら、それぞれから反応があったこと

*新しいグループに温かく迎えてもらったこと

*昔書いたブログにいいねが付いたとき

*この前のアンサンブル練習会で、指揮指導者から、あなたが参加してくれているので助かると言われた。嬉しかった。これが承認されるということなのかなと。

*ス-パ-の無人レジでクレジットカ-ド払い。。。「承認しました」画面が出て完了!

*コンクールで奨励賞をもらったこと

*「今夜から始まるこのドラマ観てみて」~って複数のグループLINEに送ったら、殆どの人から「観る観る♪」って返信がきた事。

*主人から、最近料理の腕を上げたね、と言われた。

*褒めてもらえたり 認めてもらえた時など。

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○「いいね」の数がとても気になるのはなぜか?

○嬉しい承認と嬉しくない承認はあるのか、あるとしたらその違いは何か?

○承認してもらおうと思う必要はないのではないだろうか?

○年を重ねても承認欲求はなくならないのか?

○承認欲求に終わりはあるか?

○承認のいいところと悪いところはなにか?

snsで「醜いね]リアクションがないのはなぜだろう?

○「承認欲求」はなぜ今これほど話題になるのか?

○承認で満たされてもうおなかいっぱいって思う時ってあるのか?

○個としての存在承認と社会的な承認が一致しないのはなぜ?

以上から、多数決によって、後半の対話の問いは「「承認欲求」はなぜ今これほど話題になるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●「承認」は「共感」、「肯定」、「ほめる」とどう異なるのか?

●「自己肯定感」という言葉が流行っている。

●インターネット、SNSの普及によって、承認に対する意識が高まった。

●承認はプラスのイメージの言葉・概念である。

●他人と違う、他人と比べて欠点がある、それでもその人は承認されうる。

●若い世代が他人からの承認をかなり気にしている。

●若い世代は見た目をとても気にしている。

●若い世代の方が、ほめられて素直に「ありがとうございます」と言える。

●「社長にほめられる会社員になりたい」という子どもが多くなっている。

●「いじめ」、「引きこもり」、「孤独死」などの社会的問題も、承認をキーワードにして、理解できたり、解決方法を見つけようとすることができる。

●自分に向き合うことが少なくなってきている。

●自分軸を持てなくなってきている。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○承認と孤独についてもう少し話したかった。

承認の種類:家族、職場、友だち、社会、そして自分

○自分軸と他人軸のバランスは難しいが、うまくとれれば良好な人間関係になるのでは。

○承認という言葉が現代の重要なキーワードだということに気付きました。

○自分軸ができていない若者がSNSにハマってしまうこの現象、日本は将来大丈夫かと思いました。

○承認されたいとついぞ思ったことなくこの年まで生きてこられたのは幸せなのかな?

Tさんの話を聴いて気づきました。みんな違ってそれでよいと思いながら、小学校から環境を重視して離れた町の私学に進ませました。地元の小学校の教育では将来絶対に今の大学は無理だったので結果的には正解だったと思っていますが。自分の矛盾に気づけました。

○スピード化・インスタント化した社会。本当は皆疲れているのではないか?

○ネガティブな承認は承認ではないのか…

○つきつめると自己承認を追求することに帰結

○承認欲求を意識からはずしていけたらと思いました。役割を第一に考えざるをえない状況から解き放たれたい思いに対する力を皆さんからいただきました。ありがとうございました。

○①新たな結論(気付き):私にとっては、「自分自身」そして、「自分が信頼しており、長年、近しい人間関係の他者」に承認して頂けることのみが嬉しいと感じるということがあると、思った。また、自分が生涯かけて夢中になっていること(=自分の専門)に関して、自分自身、および、自分が信頼している他者から「承認」されることがない限りは、自分は充足しないとも、再認識した。③有意義な思考発展の機会を持つことが出来た。参加させて頂いて良かった。

○ありがとうございます。すっごく楽しかったです。また、お会いしましょう!

 

 (記録:本間正己)

【第209回記録】「痛み」深掘り編(オンライン)

209回目の人生カフェは、令和3年320日(土・祝)午後130分~4時、9名(男性6名・女性3名)で、オンラインで実施された。(進行役:本間正己) 

この日のテーマは「痛み」(深掘り編)であった。

 

最初に、各自が考える「痛み」についての大まかな定義を書いてもらった。

*病気、ケガ等による苦しみ

*心身を守ってくれるもの

*自分の精神力ではすぐに解消できない心が感じている不快感

*苦しみの感情をともなうもの。身体的なものにとどまらない。

*異常を知らせるサイン

*生物にある痛点への刺激に対する反応

*身体的痛み・精神的痛みがある。

*からだのメッセージ

 

各自にメインテーマに対する自らの問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○痛みに対処するにはどうしたらいいか?

○人の成長に痛みは必要なのか?

○痛みをかかえながら心はおだやかでいることは可能か?

○他者による救いようのない痛みの果てにあるものは何か?

他人の痛みをリアルに(その時に)感じることは可能か?

○痛みは必要か?

○痛みは善か悪か?

○肉体的刺激でない痛みを精神的痛みとするとした場合、自己批判とか後悔とどこが違うか

○心の苦しみをどのように乗り越えるか?

○身体的痛みは、精神的痛みにどう影響するか?

 

以上出された問いから、話し合いをして、「他人の痛みをリアルに(その時に)感じることは可能か?」という問いをサブテーマとして対話することにした。(一部のみ記録)

●身体的痛み、精神的痛み(心の痛み)、スピリチュアルな痛み // 個人的痛み、社会的痛み、世界的痛み、宇宙的痛み

●置かれた環境によって、痛みの感じ方・受け止め方が異なる。恵まれている場合もある。

●心の痛みでも、身体的痛みのような表現をすると伝わることがある。(例:心が針で刺されているようにチクチクと痛む。)

●痛みを完全には分かってはもらえないと頭では分かっていても、分かってほしいという気持ちが生ずることも事実である。

●他人の痛みに寄り添うために、カウンセリング・マインドは有効である。傾聴、理解、共感など。専門的知識・経験がなくてもいい。

●相手の痛みが「分かった」などとは安易には言えない。相手を「労(ねぎら)う」しかできない。

●自分の過去の痛みの経験から、相手の痛みに共感することはできる。それは自分の経験を押し付けることではない。

●対話を重ねることで、相手の痛みへの共感が深まることがある。

●痛みを共有し合うセルフヘルプの会の意義はある。

●相手の痛みはよく分からなくても、自分の中に「悲しみ」を感ずることはある。

●アメリカと中国はお互いに批判ばかりし合うのではなく、自らの痛みを出し合えばいいのに……。

●痛みに対して、おせっかい的なアドバイスが必要な時もあるのではないか。例えば、痛みは何かしらのサインではないか?痛みを無くそうとするだけでなく、受け入れることも大切ではないか?痛みから逃げるために依存的な快楽(酒、ギャンブル、薬物、セックスなど)に走らないように気を付けること等々。

●アドバイスは相手がそれを求めてくるような関係性がある時はいいが、押し付け的になっては逆効果である

●言葉で相手に寄り添うことも可能である。

 

次に、最初に考えた「痛み」の定義について、再び考えてみた。

●痛みの原因はいろいろある。病気、ケガだけではない。出産の痛み、捻(ひね)る、抓(つね)る、関節技など……。

 

最後に、本日の対話を経験して、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を出してもらった。

○私の痛みの定義「自分の精神力ではすぐに解消できない心が感じている不快感」→自分では解消できないから、他者に話して痛みを楽にしたいと思うのかな?知らんけど(笑)

○母親から捉えた子ども(我が子)の痛み、つらさの第三者的な、超越的な痛み、つらさ、苦しみとはどのようなものか、感じなのか?

○相手の痛みはわからないのが前提か・・・

○逆の立場からで、患者さんから、痛みを解ってもらえたと感謝され、たことは、おありですか?

○他人の痛みは究極的には、また100%分かることは不可能である。しかしながら、自分の痛みを分かってほしい、あるいは他人の痛みを少しは分かってあげたいという気持ちが生じることも事実である。これはなぜか?

また、この気持ちを大事にしたいとも思う。

○新たな問い:痛みがわからなくていい人との関係は、どの様に発展させるのが望ましいのだろうか?

○他人に痛みをわかってもらえたとしても、苦しみが減るかどうかわからないなと思いました。

○痛みは孤独なものだと思う。よりそうことができるのは偉大なことだと思う。

 

(記録:本間正己)

 

【208回記録】「心の隙間」(オフライン・リアル)

208回目の人生カフェは、令和3年3月14日(日)午後2時~4時30分、8名(男性5名・女性3名)で、オフライン・リアルで実施された。

 

この日のテーマは「心の隙間」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○心の隙間はどうして生じるのか?

○“心の隙間”と心が満たされていないこと(欠乏)とはニュアンスがちがうような気がするが?その「ちがい」について考えたい。

○「心の隙間」と「心が空虚」は同じか違うのか?どう違うのか?

○みえないもの(心)の隙間をどう認知するのか?

○なぜ間隙ではなく隙間なのか?

○心の隙間を埋めるにはどうしたらいいか?

○心の隙間はどこからくるのか?

○心の隙間はなぜ空くのか?

○心の隙間の意味が分からない。

○心の隙間とは何か?

○心の隙間を埋めるのは何か?

○心の隙間が無い人はいるのか?いるのであれば、どんな人でしょうか?

○心の隙間は必要か?

○心の隙間は良いものなのか、悪いものなのか?

 

その後全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒心の隙間とは何か?

その後、問いに触れながら対話を行った。

 

●暇・刺激がない・退屈・空虚・さびしさ・欲求不満

●マンネリ化→欲望、願望が募ってきた→解消したい(この状態か?)

●心が満たされていない状態。「何か」が足りないが、その足りない「何か」が分からない。

●とりあえず埋めたいもの

●魔が差す

●「心の隙間」…ネガティブ 「心の遊び」…ポジティブ

●大きい悲しみ…「心の穴」小さい悲しみ…「心の隙間」

●心…形、実体のないもの…「隙間」でなく「拡張」でも良いのでは?

●「隙間」…いっぱいではない状態。心を満たしている色々な感情が足りない状態。

●何かが足りないパターン→退屈。

●不安、不満、充実させたいものがない…隙間?

●満足しているからこそ発生する隙間?

●心の隙間には「悪いもの」が入り込む?安易な快楽(酒、sex、麻薬、ギャンブル等)に走る。自己破壊へ向かう?

●自分でそれ(心の隙間)を見つめて悲しい方向に気持ちを持っていっているのでは?

●「心の隙間」は誰にでもあるが、それを見詰めるか?見詰めないか?の違いではないか?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇フワフワとしていた「心の隙間」の正体がだいぶ見えてきました。ありがとうございました。新たな問い:「ヒマ、退屈はなぜポジティブな方へ行かず、刺激に走りやすいのか?」

〇心の物理的表現(文学的・詩的表現)面白い。定義は難しい!

〇不倫の話から始まったので最初はよく分からなかったが、自分なりの考えがまとまったので良かった。原因は欲だと思う。

〇「心の隙間」という言葉遊びから、カミングアウトにつながるとは想像していませんでした。

〇心の隙間とは何か?今後も機会がありましたら、あらためてていねいに考えたいです。

〇・心の隙間を埋めるのは刺激? ・“心の隙間”という言い方が詩的な表現。

〇心の隙間ってよく分からないけど…今の自分にはない!と言う自信が実はなんかあります。

〇たぶん「心の隙間」らしきものはあるが、今までは“心の隙間”という言葉で認識(感じる・考える)したことがなかったことを認識した。

 

【第207回記録】 「痛み」入門編(ZOOMによるオンライン)

207回目の人生カフェは、令和339日(火)午前10時~1230分、10名(男性6名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日は老若男女バラエティーに富んだ参加があった。新規参加者も多く、また日本全国から、さらにアメリカからの参加もあり、多様な話が展開した。

 

この日のテーマは「痛み」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近痛みを感じたこと」をひとつだけ1分くらいで発表してもらった。

*足底の痛み・痺れ

*電車の中で下痢で腹痛

*腰痛

*手、腕、ふくらはぎ、わき腹、肩、首、頭の痛みないしはコリ

*腰痛  報道

*体の痛みは治るとすぐ忘れるのに、心の痛みは治りにくい、というか忘れるのに長い期間かかる

*東日本大震災

*片頭痛  悲しい時に感じる針のような痛み

*眼の不調、めまい

*体の痛み(腰、手の指)はしょっちゅうです。心の痛みは最近はないなあ~。

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○他人の痛みは本当に分かるのか?

○傷みを和らげ解消する方法は?

○心の痛みに効く特効薬はあるのか?

○忘れたくない痛み とはどのようなものか?

歳をとると感性が鈍って、心の痛みが少なくなるのか?

○痛みは心の持ちようでコントロ-ルできるのか?

○苦痛と苦悩の違いは何か?

○同じ症状でも痛みの強弱はなぜ人によって違うのか?

○医療者は患者身体の不調痛みを治すべきか?  or  心を癒すために動くべきか?

○痛みを理解してもらうにはどうすればよいのか?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「歳をとると感性が鈍って、心の痛みが少なくなるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。(一部のみ記録)

●心の痛みが和らぐのに「時間の薬」がいいこともある。

●忘れたくない痛み、喜びに繋がる痛みの例として、「お産の痛み」がある。

●年を取るにつれて、wetからdryになっていく。泣く、特に号泣が少なくなっていく。

●「笑いのツボ」、「怒りのツボ」(地雷を踏む)と同じように、人それぞれに「涙のツボ」がある。

●年を取るにつれて、心が強くなる。面(ツラ)の皮が厚くなる?

●経験を積むことによって、他の人の痛みが分かるようになってくる。

●一方で、自分の経験だけに縛られて、片寄った感情を持つこともある。

●他人の痛みは、別の身体を持つことから、分からないというのが基本である。

●にもかかわらず、自分の痛みを分かってほしいという気持ちがあるというのも事実である。

●他人の痛みに「寄り添う」ということ。

●自分が痛みに苦しんでいる最中には人に寄り添うことはできない。心のゆとりがないとなかなかできない。

●人をある程度理解はできるが、アドバイスは難しい。

●まずは小さくても自らが光となる。ロウソクの光のように。

●「光」とは「愛」ということ?

●セルフ・ヘルプの会で行われているように、ただ話すだけ、周囲は聞くだけ、ということも癒される。

●ハグすることで伝わることがある。

●自分一人だけではできないことがある。それが寄り添い合うということ。

●寄り添う準備、受け取る準備ができていないと、難しい場合がある。

●相手の一部だけ分かりあえたことを誤解、錯覚して、全部を分かりあえると思うのは、執着からくる間違いである。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○改めて妻が元気になってよかった!と思い起こしました

NさんとSさんの発言ー自分が光になればいいというのは、心にしみました。

○自分の感性のおもむくままに、ということかな。

○痛みの渦中にいる人が救いを求めるとき、「自分が救いになればいい」という最後の対話は発想がなくとても面白い気づきでした。

まだまだ人生経験の足りない若造の意見をしっかりと聞いていただき、安心して発言ができました、ありがとうございました。

○痛みや悲しみというパーソナルも 対人や対社会的な価値に関係する と感じました

○涙は痛みを和らげる作用がある。

寄りそうこと、専門家(カウンセラー等)と我々のような非専門家との違いは何だろう?

○痛みへの寄り添い方、受け取る準備

○色々な痛みがあるのだなと、沢山の気づきがあるのだなと思いました。

○質問ですが、3月20日の痛みの深堀編は今日とどうちがうのでしょうか?

○余裕  対話  光

 (記録:本間正己)

 

 

【第206回記録】「ユーモア」深掘り編(オンライン)

206回目の人生カフェは、令和3年221日(日)午後130分~4時、9名(男性5名・女性4名)で、オンラインで実施された。(進行役:本間正己) 

この日のテーマは「ユーモア」(深掘り編)であった。

 

最初に、各自が考える「ユーモア」についての大まかな定義を書いてもらった。

*人を和ませるおかしさをもたらすもの

*お笑いと違ってクスッとした笑いを生むもの

*ふざけることによって楽しさを、共有。生活の中の心の余裕

*人を和ませる「おかしみ」のこと

*状況に応じて,気持ちを和らげる,和ませる行為。

*場の緊張をゆるませる面白い言動

*ユーモアは知的な笑い・

*笑いをもたらすもの

 

各自に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

 ○ユーモアが求められるのはどんな時か?

○綾小路きみまろの毒舌はユーモアか?

○人生に笑いは必要だと思うが、ユーモアも必要不可欠だろうか。

○ユーモアのセンスとは?

ユーモアは良いものか?

○あらゆる時でもユーモア(の行為)は可能か?

○ユーモアにはセンスが必要だと思いますが、ユーモアのセンスとは?

○ユーモアを磨くにはどうすればいいのか?

○ユーモアと笑い、笑顔のつながりは何か?

 

以上出された問いから、話し合いをして、投票の結果、「ユーモアは良いものか?」という問いをサブテーマとして対話することにした。(一部のみ記録)

●ユーモアにはポジティブなイメージがある。

●ユーモアのある講義は受講者の心が開放的になるので受け入れやすくなる。

●場にリズムが生まれ、楽しくなる。

●ユーモアはサービス精神の現れである。

●学校の先生と大道芸人とを画する一線とは何だろうか?

●ブラックユーモアは状況をわきまえないと相手を傷つけることになる。

●ユーモアには知的なセンスが必要である。

●笑いはボケとツッコミから生まれる。ツッコミは一般人、ボケは常識外の人間(異常者?)である。ボケの中に哲学的な問いがたくさんある。

●子どもがプロのお笑いを真似てする行為にはイジメに繋がる危険なものがある。

●芸人は場の安全を意識するとともに、批判を覚悟で笑いに挑戦する場合もある。

●笑い以外にも人間には喜びや悲しみや怒りなどの感情がある。全てを笑いには還元できない。

●人に面白いと感心してもらうことが大事ではない。余計なことは言わない。正直で誠実なユーモアこそが大切。

●アメリカはユーモアや笑いを尊重し、そのセンスは高い。

 

次に、最初に考えた「ユーモア」の定義について、再び考えてみた。

●ユーモアはどちらかというと、暖かくほんわかとしたプラスのイメージ。笑いは使われ方によって、プラスにもマイナスにもなりうる振れ幅の大きいものである。

 

最後に、本日の対話を経験して、新たに気づいたこと、新たな問い、感想等を出してもらった。

○ユーモアは、深いものがある。

○ユーモアの人間関係、上から下ではなく対等もしくは下から上といわれたことに同感です。

○哲学対話にユーモアは必要か?必要ならどんなユーモア?

○ユーモアはいいものだという前提を問う。前提を疑うのが哲学対話の面白いところ。その上で、ユーモアの良さを再確認できた面がある。それがよかった。

○ユーモアは状況を笑い飛ばす機転の利いた知恵、頓智。ただ、なんでも笑いに転換することが果たしてよいことなのか?

○ユーモアの新しい観点が良かったです。

○ユーモアにしろ笑いにしろ誰かを傷つける可能性はあるので、傷つけられたときに声を上げたり反対する権利は守りたいな、と思いました。

○ユーモアは人生のスパイス。

○ユーモアの活用において,お笑い芸人との線引き(ライン)はどこにあるのか、見つけることは可能か?

 

(記録:本間正己)

【第205回の記録】映画「わたしを離さないで」

205回目の人生カフェは、2021211日(木・祝)1330分~16時 計4名で(男性3名、女1名)で、zoomを使ってオンラインで実施された。

(進行:田中あけ美・本間正己)

 

最初に、映画の大雑把な感想を共有することからスタートした。

 

【映画の感想】

・家族のことをきっかけに死について考えるようになり、この映画での対話に興味を持った。ノーベル文学賞受賞した作家の原作だということは事前に知ったが、飽きることなく集中して観る事ができた。臓器移植を扱っていたが、予想していたより衝撃的ではなかった。

・小説も読んだ。小説の内容が凝縮されポイントを押さえて映画化されていた。とても良かった。この映画はそれほど注目されなかったが、主役の3人はその後活躍している。

・小説を初めて読んだ時、衝撃を受けた。2度読んだが、21世紀を代表する黙示録的な位置付けができる小説だと思った。小説の印象が強かったためか、映画化された時に観た時は内容が薄まっているように感じた。最近、改めて見直してみると、映画(映像)としての素晴らしさに気がついた。特にキャリー・マリガンがこの映画のヒロイン役に相応しい女優であった。

・小説は読んでいない。映画を以前1度観た時は、内容的に後味がスッキリしなかった。今回対話のために再度観たが、やっぱりもやもやしている。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

【問い】

・ヘールシャムはいい学校だったのか?

・原作者は何を意図してこの作品を書いたのだろうか?

・介護人はなぜ必要なのか?

・クローンと人間の違いは何か?

・この時代にこういう形での「犠牲」というテーマには、何の意味を持っているのか?

・魂があると魂を探るとの違いは?

・海岸の難破船は何を意味するのか?

・主人公たちが青年であるのはなぜか?

・臓器を取られるのは3回目までが限度との認識の意味はなにか?

・海辺の町のロケーションにはなんの意味があるのか?

 

以上の問いから

前半は

この映画で印象的な映像として繰り返し出てくるについて

「海岸の難破船は何を意味するのか?」

「海辺のロケーションにはなんの意味があるのか?」

の問いを入り口に対話を始めた。

・運命との関係性として描かれている?

・臓器提供を繰り返すことにより、難破船のように身体がボロボロになっていくことを重ね合わせている。

・海には母なる根源というイメージがある

・鑑賞者に考えてくださいという時に海の場面があるような気がする

・ラストシーンには海が出てこない(草原)その対比、違いは何か?

・命の継承を意味している?

 

後半は

「ヘールシャムはいい学校だったのか?」

「クローンと人間の違いは何か?」

「この時代にこういう形での「犠牲」というテーマには、何の意味を持っているのか?」

等の問いから

〈教育〉〈クローン〉〈臓器移植〉をテーマに対話を深めた。

・ヘールシャムは環境の整った「牧場」であり、生徒たちは元気に育っている「家畜」とも言える。

・学校は国家の目的・意図に則った、制度化された教育機関である。

・ヘールシャムでは、生徒に絵を描かせることによって、クローンにも心があるということを証明しようとしていた。

・身を捧げることに対しての怒りと悲しみ、これらの気持ちを抱きながらも受け入れていく、このことはどういう意味があるか?

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・自己犠牲と愛

・学校とは人間を育てる機関であると同時に、人間を殺す機関でもある。

・自分の肉体や生命を捧げるということの尊さ。その二つのモチーフがアンビバレントに交錯しているのが、この小説の魅力だと思います。

・同じ映画を見ても、読み取れるものが違うと、いつもながら感じた。もう一度見てみよう。

・犠牲の問題は今後も考えたいことです。しかし、自己犠牲を美徳にするのは嫌だなぁ。

・今日はトリビアから本質的な問題まで話せてよかったです。

 

(記録:本間正己・田中あけ美)

 

 

【第204回記録】 「ユーモア」入門編(ZOOMによるオンライン)

204回目の人生カフェは、令和329日(火)午前10時~1230分、10名(男性7名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「ユーモア」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が「最近ユーモアを感じた場面」をひとつだけ1分くらいで発表してもらった。

*職場でのSNOWアプリ写真

*勉強会のテーマが「劣後順位」でした。

*ニジュウのダンスをマネしたらコケた主人

*ともだちからラインで送られてきた川柳にユーモアを感じた。

*自己紹介

*息子の担任の先生からの学級通信

*おばあちゃんのめだか

*ゴルフ場のグリーンでひとこと。

*先日、日曜日、公園を散歩していたら、猫が気持ちよさそうに丸くなって日向で座っていました!

*清廉潔白、謹厳実直な小説を書く作家の、意外な主人公とストーリの小説にユーモアを感じて、にやけてしまった。

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○ユーモアが生まれるのはどんな時か?

○知好楽の実例は?

○ユーモアとは人から与えられるものか?それとも事象からか?

○人生はユーモアで乗り切るのが最善か。

○このひとがいうと嫌味に聞こえるのに、あのひとがいうとユーモアに感じるのはなぜか?

○ユーモアの在る場面は?

○人にユーモアを感じさせる言葉・振舞はどういう心掛けから生まれるんだろう?

ユーモアのある人ってどんな人?

○ユーモアは内的かつ持続的な態度か、それとも外部要因から生まれる一瞬の出来事に由来するのか?

○落ち込んだ状態から復活するとき、ユーモアときりはなせないのではないだろうか?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「ユーモアのある人ってどんな人?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。

●天然ボケのような、愛されるキャラクターにユーモアを感じる。

●別の立場、違った視点を客観的に持てる時にユーモアが生じる。

●常識と非常識の行ったり来たりに笑いがある。

●ボケとツッコミのやりとりが笑いを生む。

●落語のようなものにこそユーモアを感じる。

●ユーモアと笑いは重なるところも多いが、異なるものである。

●ユーモアとは、人を和ませる。おかしみによって。

●自分を笑うことによってユーモアが生じる。

●人をディスることではユーモアは生まれない。

●ユーモアはネガティブではなく、ポジティブな表現である。

●相手に対する思いやりがある。You More

●知性も感じられる。

●ユーモアとは一種の心的態度・姿勢のことである。

●困難な状況にある時こそ、ユーモアが必要かも。

 

最後に対話を通しての新たな気づき、新たな問い、感想等を述べてもらった。

○新しい問いとして、何事も広い視野を持つ事が必要だと思いました。多様性の時代たからこその問題が多々出てきそうです。有難うございました。😊楽しく有意義な時間でした🙇

○ユーモア、それは日常をいつも機嫌よく過ごすコツで、主体的に選択しうるライフスタイルかな!

○ユーモアって何だろう‥

○・ユーモアと笑い  ・異なる視点  ・受け取る側の話  ・ユーモアを醸し出そうとする側の話

○スピード重視の時代。ユーモアもインスタント化?

○一過性の笑いよりも心に長く残るユーモアを大切にしたい。

○視座、ユーモアとは相手が判断する結果、確信を持ったユーモアなどなど気づきがありました。ユーモアの「質と量」についてもまた考えたいと思いました。

○この時間にオンライン勉強会に参加してもクライアント「0」でした。これで給料もらってもよいのでしょうか?

○今日は楽しく参加させていただきました。ありがとうございました。

 

 (記録:本間正己)

【第203回記録】「感謝」深掘り編(オンライン)

203回目の人生カフェは、令和3年124日(日)午後130分~430分、8名(男性5名・女性3名)で、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「感謝」(深掘り編)であった。

 

最初に、各自が考える「感謝」についての大まかな定義を書いてもらった。

     ありがとうと思う気持ち

     感謝されると嬉しい

     心から有難うと思う気持ち

     感謝とは自然に湧き出る気持ち  

     当たり前に気づくこと。

     主に他者のはたらきかけによって自分の利益が生じた場合に,自然と生じる感情

     対象者に敬意を払うこと

     対人:自分や身内が受けた何かしらかの恩に対して、ありがたく思い、感じ入ること。相手に何かしらかを返したいと思うこと

対環境:今自分や相手がいるこの環境や巡り会いの奇跡に思いを馳せること

 

各自に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

     感謝は感情か、意志か?

     感謝される人はどんな人生を歩むのか?

     気持ちがいいありがとうとは何だろう?

     感謝の伝え方? そもそも伝えるべきなのか?

     感謝と祈りの関係は何か?

     年齢を重ねたり経験を積むにつれて,感謝することが多くなるのか?(経験と感謝の関係を,皆さんの実体験から考えたい)

     どこまでが真の感謝なのか?

     感謝はどう表現するべきなのか?よりよい表現方法はあるのか?

 

以上出された問いから、前半は「感謝する人はどんな人生を歩むのか? / 感謝される人はどんな人生を歩むのか?」という問いに若干加工して、対話することにした。

  

対話を踏まえ、各自に「感謝」の定義を改めて考えてもらった。最初の大まかな定義に追加した人もいる。(同じ番号は同一の人である)。

     こんなに予想以上に私によくしてくれて、ありがたいという気持ち

       

     上手な伝え方

     自己に関わる全ての人叉は事に対して有難いと思う気持ち

     感謝と期待

     他者や環境要因によって,期待以上のものが得られた場合あるいは期待以上の現状を認識した場合に,自然と生じる感情。

     対象者に尊敬と敬意を自然発生的に払うこと。

     何かをもらった相手に何かを返したいという気持ちと行動

 

その後は、「どこまでが真の感謝なのか?」というテーマで対話した。

 

 

(記録:本間正己)

【第202回記録】映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」

202回目の人生カフェは、2021116日(土)午前930分~1145分 計5名(男性3名、女性2名)で、zoomを使ってオンラインで実施された。

(進行:田中あけ美、本間正己)

 

まず最初に、映画全体の感想を共有することからスタートした。

 

【映画の感想】

・小気味よい展開で登場人物が生き生きと描かれていた。

 この映画の女性監督グレタ・ガーウイッグと主演女優のシアーシャ・ローナンの「レディバード」も良かった。

・姉妹の家族の感じが素敵だった。時代が前後したり、現実と主人公が描く物語の世界が同時に描かれている映画の作りも面白かった。

・姉妹がテーマの映画で自分だったどうするか?と考えながら見ていた。この時代でプロポーズを断るなんて勇気がある。

・映画を見るのは好きだが、この映画は女性の映画だと思っていたので見たいとは全く思っていなかった。対話に参加のために見たが、ストーリー展開もよく、朝ドラの総集編といった感想もなるほどと思った。同時代を描いた「風とともに去りぬ」の映画も思い出し、女性の逞しさ、生き方を考えた。

1度目に見た時には、主人公や姉妹を中心に見たが、2度目には男性の方にも関心を持った。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

【問い】

・「少女時代が終わっちゃう!」って何?

・「自由な中年女になる!」って何?

・男女の仕事と家庭と幸せとは?

・自分らしい人生を歩むには何が必要か?

・女性にとって結婚とは?

・自分らしさと協調のバランスはどう取るのがいいのか?

・ローリーとジョーが結婚していたらどうなっていたか?

 

以上の問いから

前半は

「ローリーとジョーが結婚していたらどうなっていたか?」

「女性にとって結婚とは?」

「少女時代が終わっちゃう!」って何?

「自由な中年女になる!」って何?

の問いを中心に“結婚“について対話をした。

 

後半は

「自分らしい人生を歩むには何が必要か?」

「自分らしさと協調のバランスはどう取るのがいいのか?」

「男女の仕事と家庭と幸せとは?」

の問いから“自分らしさ“について対話を進めた。

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

・対等な関係が自分らしさを育む。

・「4姉妹の母親は自分らしい生き方が出来たのか?」

・気づき:自分らしさ・・・生きている時代によってとらえ方が違うような気がしました。女性は制限が多いというような話もありましたが男性もいろいろと大変じゃない?!と少しかわいそうに思うところも・・・

やりたいこと、周りが自分に対して期待していること

本当の自分の感情はどれなのか自分で見極めないといけないなと思いました。

・どんな時代でも結婚と職業のバランスは難しいと思う。

でも、その中でひたむきに前へ進める偽体験できる、映画って本当に素晴らしいです!

・この映画の感想は見る世代によってどんな違いがあるのか?

 

(記録:田中あけ美・本間正己)

 

 

【第201回記録】 「感謝」入門編(ZOOMによるオンライン)

201回目の人生カフェは、令和3112日(火)午前10時~1230分、8名(男性5名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「感謝」(入門編)であった。

今年最初の、そして第201回目という人生カフェということで、新たな気持ちで行われたが、参加者にとても感謝したくなる充実した内容だった。

 

導入のプログラムとして、各自が「感謝したい人・こと」だと思っているものを3つほど発表してもらった。

*母 妻 哲学対話

*縁 家族 晴れの日

*兄 近所の老人 富士山

*自然 コミュニケーション 素直

*娘たち、友人 健康 仕事

*両親、家族、先生・・・。過去/現在に関わらず。

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○感謝は感情か、意志か?

○感謝するときの自分の気持ちってどういう状態なんだろう?

○感謝の反対の意味を表わす言葉は何だろう?

○謝ることはなぜ感謝なのか?

○人に感謝をされることを求めてはいけないのか?

○ある感謝は強制的に生まれるものじゃないはず。自発的に瞬間の中で生まれる感謝と持続的な感謝とは重みが違うのか? でも持続的に感謝し続けるって可能か。

○「感謝する」が薄っぺらく、表面的な言葉に聞こえるのはどうしてだろうか?

なんにもなくてもありがとうと思えることはないでしょうか?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「なんにもなくてもありがとうと思えることはないでしょうか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。

●「謝」には「自分の気持ちを言葉にして素直に(邪心なく)伝えたい」という意味があるそうです。感謝にも謝るにも通じるそうです。

https://note.com/1minute_history/n/n4146f0b1e1d1

●「いただきます」と同様に、「ありがとうございます」をあまりよく考えずに使っている場合も多い。コミュニケーションの潤滑油的なものとして、「ありがとうございます」を気軽に使うことはある。

●「有り難し」(有ること自体が難しいこと、珍しいこと)という語源からすると重い意味合いがある。

●大病や大怪我の後、回復した時に感謝の気持ちが起きる。今まで「当たり前」と思っていた健康が、必ずしも当たり前ではないことを思い知る。

●誰に対して、何に対しての感謝なのか? 自分への感謝ということもあるのではないか? 感謝できる自分に感謝する。

●「恩」には見返りの関係が存在する。感謝は見返りの関係を求めない。

●感謝には、自らの謙遜と相手への尊敬が存在する。

●心に余裕がないと感謝の気持ちが起きてこない。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○感謝するが中心であったが、感謝されることがどういう効果を生じさせるのか、少し考えてみたい。

○気づき)感謝の先には愛があるのでは? 感謝20%、愛80%くらいがちょうどいい? 

○感謝と笑顔の関係は……

○究極の感謝というのは、喪失感と表裏一体のものなのかと感じてしまっています。なにも欠けていない状況で感謝をちゃんと感じられるにはどうしたらいいのだろうか?

○面と向かって「感謝しています」とは恥ずかしくてなかなか言えないが、感謝する気持ちはおりにつけ大事にしていきたいと思いました。

○感謝するのはただ単に相手に対する思いやりではなく自分が感謝できる人であることも素晴らしいことなんだなと思いました。これからも色々なもの、人に対して感謝の意を言葉で伝えて行きたい!!!

○当たり前、普通……これらを問い、考えることから感謝が生まれる? それって、哲学すること、哲学対話することで、感謝が生まれるということ?

○感謝は常にそこにあるもの。人生自体が感謝で包まれているからこそ当たり前になるのでは。

 

 (記録:本間正己)