【第200回記録】幸福シート作成

200回目の人生カフェは、令和2年12月20日(日)午後1時30分~4時30分、男性5名、女性2名、計7名(若い人の参加もあったので、まさに老若男女)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

人生カフェは今回で記念すべき200回目である。参加者に記念クリアファイルを差し上げるなどがあり、200回の感慨を深めながらの開催であった。

 

この日は「幸福シート」なるものに記入しながら、語り合った。

(幸福シートの実際のフォーマットは以下の通り

https://myasami-honma.jimdo.com/レジメ-プログラムシート/ )

 

この幸福シートはとりあえず自分の人生をデザインしてみようという試みである。それは完ぺきにできることではないことは分かっているが、チャレンジして、考える素材にしたいという気持ちが底にある。

幸福シートに記入したものを小グループの他人に発表する意味合いは何か。以下のようなことが考えられる。他人から質問やコメントをもらい、考える刺激になる。(それはアドバイスというようなものではなくていい。むしろアドバイスはいらないともいえる。) 人に話すことによって、自らの実行への宣言になることがある。(無理に宣言する必要はないが。) 幸福シートの内容を聞き合うことによって、お互いの理解が進む。

 この幸福シートは最終的には自分で「お持ち帰り」であり、このシートに記入した内容を発表するかしないかは本人の自由である。発表する場合、できるだけ話を盛ることはしないで、自分の気持ちに素直にしてほしいとお願いする。

 参加者7人がそれぞれ自分を振り返り、未来を見据える時間になったと思う。家に帰って、もう一度見直し、補足していくといいことを勧める。

 

 幸福シートに書いたことや発表したことについては個人情報なので、詳細な記録は割愛するが、出てきたキーワードを列挙しておく。

(1)           過去・現在~感謝したい人・こと

 父、母、上司、子ども、友人、お姑さん、エッセンシャル・ワーカー

 無償の愛

(2)           未来~これからの夢・希望・目標等

 地域、故郷、新しいこと、降ってくるもの、恋愛、哲学カフェ、おとな、農作、クラフト

 体幹トレーニング、オンライン

 真善美

 

 最後に、感想等をフリップに一言(キーワード)だけ書いてもらった。

〇自然

○感謝

○不安と欲望

○愛

○自然に

AI for Social Good (この場合のAAgricultural

○新しいこと

(記録:本間正己)

 

 199回記録】「愛」(オフライン・リアル)

199回目の人生カフェは、令和21212日(土)午前930分~1200分、6名(男性4名・女性2名)で、オフライン・リアル(会場は新宿区榎町地域センター)で実施された。(進行役:高橋あずさ・田中あけ美)

 

この日のテーマは「愛」であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○愛することと愛されることに関係はあるのか?

○「愛」という言語が無いと問題か?

○愛は欲望か?

○愛があると愛がないは、何がどう違うのか?

○愛があれば幸せなのか?

○「愛する」と「好きになる」の違いは?

 

その後話し合いをし、全ての問いの中から、本日の問いを1つ選んだ。

選ばれた問い⇒「愛する」と「好きになる」の違いは?

その後、この問いについて対話を行った。

 

    愛する       好きになる

――――――――――――――――――――――――――

    結 婚        SEX

     神      酒・チョコレート等

    意志        感情

    相手本位      自分本位

    相互的       一方的

   精神的(内)     五感(外)

  左脳・思考       右脳・本能

    長期的       短期的(瞬間)

 能力・技術が必要     感情任せ

    利他的       利己的

    不自然        自然

(人間ならではの力  (生物に組み込まれている)

文化等…が働いている) 

 相手との距離感必要    相手との一体感強い

  (冷静さ)       

 

 

●愛する=人間のみの行為か

●動物にも愛があるのではないか?(忠犬ハチ公等)

●人間が動物の行動に自らを投影しているだけか?

●人間は一人では生きていけない→故に愛するのか?

●言葉や文化の発展が愛に関係しているのではないか?

●ストーカー行為は愛か?相手の幸せを願っていないので愛ではないのではないか?執着か。

●好きじゃないけど、愛せるか?→愛する技能を磨くことで可能ではないか(学校の教師等)

●愛されなくても愛することはできる(意志)

●愛されたいと願うのは利己的である

●愛して愛されることが理想か。

●無償の愛

●親の愛情は利己的な部分もあるのではないか?

●「相手の幸せ」と「自分が思う相手の幸せ」は必ずしも一致しない

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇私たちは神様(創造主)から愛されているので、安心して愛を夢みてみましょう。この世で神の愛ほど美しいものはありません。

〇愛は利他的というのは本当か?

〇「愛」は(が)必要

〇愛するとは何だろう?⇔好きになるとは何だろう?

〇愛するは幸せを生むもの・願うもの 相手の/自分の⇒幸せって何か? 距離感を持って考える。

〇「相手の幸せ」って分からないものですね…でも、それを探り続けて寄り添っていくことが大切かななんて思いました。

(記録:高橋あずさ)

【第198回記録】 「心の薬」入門編(ZOOMによるオンライン)

198回目の人生カフェは、令和2年128日(火)午前10時~1230分、8名(男性4名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「心の薬」(入門編)であった。

 

自己紹介の時には、各自に「最近楽しかった小さなエピソード」を話してもらった。

 

次に、導入のプログラムとして、各自が自分の「心の薬」だと思っているものを3つ発表してもらった。

*ラーメン 映画 哲学対話

*読書、音楽、海

*魂 全知全能 愛

*食べたいものを食べること、2匹の愛犬、人との会話

*哲学対話 つながり 家族

*孫の成長、自然の移ろい、あんこモノ(豆大福、きんつば等)

*楽しげな笑顔、風通しの良さ、温かい光

*コミュニケーション 希望 遊び心

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○心の万能薬はあるのだろうか?

○心の薬に依存するとはどういうことか?

「心の薬になる」ということの本質はなんだろう?

○心の薬の副作用はどんなものがあるのか?

○心の薬に欠かせない成分は?

○ネガティブ取扱方法/取説!?

○心の薬に頼り過ぎるとどうなるのか?     

○よい心の薬とは何か 

○失敗を引きずらない薬はあるのだろうか?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「「心の薬になる」ということの本質はなんだろう?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。

(今回は、進行役が当初想定していた内容を超えて、広がりと深まりを見せた。これには進行役も驚きとともに、とてもうれしかった。これはひとえに参加者の個性の成せるところのような気がした。改めて参加者に感謝したい。一方で、このような回のまとめ的な記録はとても難しい。最後の「感想等」の中に集約されているとしか言いようがないところがある。)

●心の薬を考えていく際には、心のネガティブなところ(例えば、「嫉妬」のような感情)を前提としている。

●ネガティブな感情を消失していくようにする。

ネガティブな感情に心の居場所を与えてあげる。

●ネガティブな感情に対して、自己完結的に対処していく。

 何か物(例えば、コミック、ラーメン、音楽等)を介して対処していく。

●薬物には種類がある。痛みを止めるだけのもの、病因を消滅させるもの……。飲み薬、塗り薬、吸引するもの……。即効性のあるもの、漢方薬のようなもの……。

●自分にとって意味のあるものを見出す。自分軸を持つ。この当たりが根本治療か?

●時間が万能薬か? 時間とは変化(成長)をもたらすものである。

●ネガティブな感情の解消という方向だけでなく、プラスの面を増幅する薬というものもあるのではないか? それってドーピングのことか?

●心の外科手術って何だ?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○じかんくすり

○心の薬の種類

○個人👉自立👉自由⇔多様性→共生👉調和

○時間薬 意味のない感情とはどんなものなのか? 時間とどう向き合うか考えさせられました

○人は何で人との違いや時間による変化を認めたくないのか?

○楽しいこと(対症療法的薬)  安心・安定(サプリメント、予防的薬)  意味あること(根本療法的薬)

時間(万能薬?)

○心の薬が促進するものは成長なのだろうなぁ 

○心の薬になるということの本質はなんだろう?という問いについて

自分が傷ついていること、心の薬が必要であるということにまず自覚的になれるかどうか?

そして適切に薬になりうるものを選択できるかどうか?があってこそ、心の薬の本質を得ることができるのではないかと思いました。

 

 (記録:本間正己)

 197回記録】「格差」深掘り編(オフライン・リアル)

197回目の人生カフェは、令和21129日(日)午後130分~430分、8名(男性5名・女性3名)で、オフライン・リアルで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「格差」(深掘り編)であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○格差はなぜなくならないのか?

○コロナ禍であなたの中に浮かび上がった格差の具体例はありますか?

○経済(貧困)の格差とはどういうことなのか?

○リテラシー、知識、教育の格差はどこまで意識されているか?

○格差が問題になるのは、社会構造が悪いのか?人の心が悪いのか?

○格差と身分・階級との違いは?

○格差の問題点は何か?

 

その後、出された全ての問いに触れながら対話を行った。

●コロナであぶり出された格差…正規雇用と非正規雇用、ジェンダー、外国人、リテラシー・情報の格差…

●一般的に社会的弱者と言われるカテゴリーの中にいる「例外」の存在。(黒人の中のカマラハリスさん。障がい者の中の乙武さん等)

●親から、家庭からの「格差の再生産」

●格差は見えにくい…人は自分と同じような人(同じ階層の人)同士で付き合う傾向があり、そのせいで格差が見えずらくなっている。

●人間に差はあるものだが、その分布が正規分布(真ん中が一番人数が多い)であれば納得できるが、低い方に集まると問題が生じる。

●格差は自己責任か?

●人とつながれない状態…孤立…つらい立場を助長する。自分だけがドロップアウトしているような疎外感。

●家庭の問題…自己責任と捉え、孤立しがちだが、もっと社会に開いても良いのではないか?

●貧困の再生産…社会をサバイバルするための知識は、家庭でしか得られないのではないか?

●身分・階級→生まれ等、努力で変えることができない。格差→自己責任。自分の努力が足りなかったからだと思わされる(が、実はそうではない)

●違いと格差はどう違うのか?格差には「自分が恵まれている・恵まれていない」という感覚が付いて回る。

●インターネットの普及で、格差が可視化されるようになった。

●格差が見えなければ、幸せか?

●社会的弱者はつながれず、孤立しがち。お互いがお互いを軽蔑しあう。自分を許せていない傾向があるのではないか?

  

対話を踏まえ、各自に「格差の定義」を考えてもらった。出されたものは以下の通りである。

○生きていく中で、その人が受け取ったり、選択したりできるものの量や質に大きな影響を与えてくる他者との違い。

○やっぱり収入力。

○・差異は「差があって異なる」→多様性。

・格差は「格に差がある」→人をランク付けする殺伐さ。

○「格差の定義」は分からない。という定義。

○上下関係がいびつな形で現れ、社会問題化した差。

○格差をどう生かすか。金持ちになるのも貧者になるのも自己責任。では、金持ちはその金で社会的責任を果たすのが、倫理的(人の踏むべき道→仁)問題なのではないか。

○格差≠貧困。絶対悪ではないが、緩やかに是正されるべきもの。

○人の尊厳に関わってくる差。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇具体的な行動が必要。時間の猶予がない気がする。

〇外見格差の原因は、広告力。権力→殺伐さ

〇独占しないで再分配してください。

〇「〇〇格差」使い過ぎ

〇格差という言葉は殺伐とした世相を映し出す鏡?

〇格差の差は人格の差であるが、格上の人間になるために役に立つ人間になろう。

〇正規分布ならいい。

(記録:高橋あずさ)

 

 

【第196回目の記録】映画「ハッピーエンドの選び方」

196回目の人生カフェは、20201115日(日)午後130分~5時、男性3名、女性2名、計5名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室にて実施された。(進行:本間正己・田中あけ美)

 

今回は哲学対話を始める前に全員で対話の素材として映画を観た。その後、感想を共有することからスタートした。

 

【映画の感想】

・死生観をどう持つか。死とは、生きる意味とは日常から死について考えていれば死を楽観的に見れるのではないか。ただし、苦しみを伴う死をどう捉えるか?

・気軽にこの映画を観たら、結構重いテーマだった。見終わった後しばらく考えていたことがあり、今回皆で対話したいと希望した。                                                             

・この映画はまさに安楽死問題を扱っている。

・私は、この映画は夫婦愛を描いているのかなと思った。でも、同性愛の2人が出てくるのはなぜ?

・イスラエルの映画を初めて観た。重たいテーマを扱っているが、ユーモアやジョークもありイタリアやフランス映画の雰囲気も感じた。

・挿入(エンドロールにも)歌が良かった。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

ラストシーンの「小さなキス」にまつわる問いを手始めに、それぞれの問いについて対話を進めた。

 

【問いと対話】

・ラストの「小さなキス」て何だろう?

 孫と別れる時に使ったように、「又会えるね、会おう!」というお別れの挨拶では?

 なぜ敢えて小さな?

 人生は小さなことの積み重なり。

・ゼルダはなぜ死な(ね)なかったのか?

 宗教(神)を信じることで救われている。

共同体(キブツ)の力?

 辛い生も受け入れられる。

・死を望むことは悪いことなのか?なぜ悪いことなのか?

 死はこの世からあの世へ行くこと。

 この世のようなコミュニケーション・交流はできない。

 その別れと悲しみ。

・どういう場合だったら安楽死は許されると思うか?

 安楽死と尊厳死の違い。

 認知症での安楽死は許されないのでは?

・愛する人が苦しんでいる時、人はどうすることができるのか?

 寄り添うことしかできないのでは。

 相手が耐えられない苦しみで死にたい時、死なすことが本当の愛なのか?

・死に際して、神(宗教)は何の役に立つのか?

 

【対話後の感想】

・なぜ生きているのか? 生きがいがあればちがうのかな。。。

・小さな___を。フレーズに感動した。これからもこの言葉を深掘りしたい。

・生と死、それが問題だ。生かされている以上生きる意味を考えてみよう。

・死とはこの世からあの世へ。さようなら、またあの世でお会いしましょう!

・新たな問いとして「救いとは何か?」が出てきた。

・安楽死について、日本では個人の意思(ちゃんと尊重されるか?)と個人との関係性(家族の意思)の問題があるので、十分な議論が必要だと感じた。

 


 (記録:田中あけ美・本間正己)

【第195回記録】 「格差」入門編(ZOOMによるオンライン)

195回目の人生カフェは、令和2年1110日(火)午前10時~1230分、8名(男性3名・女性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「格差」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自が気になる「格差」(キーワード3語)を発表してもらった。

*経済、世代間、婚活

*収入、学歴、地域

*地域、教育、情報

*所得、教育、世代間

*経済、教育、機会

*雇用、健康、恋愛

*地域、職業

*世代間

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○人はなぜ格付けをしたくなるのか?

○格差と「違い」の差は何か?

○許されない(是正が必要な)格差は何か?

○格差は悪いことばかりなのか?

○政治で格差をどこまで解消できるのか

○許容される格差はあるのか?

○良い意味の「格差」はあるのか?

○格差と差別の違いは何?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「許されない(是正が必要な)格差は何か?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。

●心の格差

●格差を受け入れること(そのままにしておく)と受け入れないこと

●先天的な問題と後天的な問題

●個人的な問題と社会的な問題

●個人的に努力していくことと社会的に変革していくこと

●子どもの貧困

●フォスター・プラン

●ベーシック・イン・カム

●フリー・ライダー

●格差を是正・緩和するために個人ができることと行政・政治が行うこと。

●自己責任論

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○格差を、望まない努力や生来的な能力で埋めようとするのは誤りではないか?

○もっと日本の現状を知らなければ

○社会に見捨てられた人は努力してなかったのか?

出来ないことも許容できると視野が広がりそうで良いなぁと思いました。

○なぜ、自分が、格差の問題がこんなに気になるのかわかったような気がしました。

○芸能人格付け番組くらいならいいが……?

中間層を増やしたい。

バイデンになってどうなるか

○「格差」が問題視されるようになっていることは、まだ捨てたもんじゃないのだと思いたい。  

○執着心と安心

○今日も楽しくためになる時間を有難うございました。

 

 【第194回記録】「生きがいとは何か」深掘り編(オフライン・リアル)

194回目の人生カフェは、令和2年10月24日(土)午後25時、8名(男性4名・女性4名)で、オフライン・リアルで実施された。

 

この日のテーマは「生きがいとは何か」(深掘り編)であった。

 

まず各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

○生きがいとは何か?

○生きがいを考えるのはどんな時か?

○生きがいとは感動か?

○生きがいとは感情か?それを生み出すものか?

○「生きたい」「死にたくない」との関わりは?

○もしも生み出すものであるなら、それは自在にコントロールできるものなのか?

○生きていたいから生きがいが必要なのか。生きがいがあるから生き続けるのか?

○生きがいとは愛と関わりがあるのか?では愛とは何か?

○生きがいは絶対にあった方がいいのか?(何故すすめるのか?趣味ではダメなのか?)

 

その後、出された全ての問いに触れながら対話を行った。

●生きがいについて考えるのは、つらい時や退屈な時?

●生きることを支える何か…生きがい

●生きる 甲斐…生きがい

●生きがいという言葉にはグラデーションがあり、内容が幅広く定義が難しい

●「〇〇の為に生きていたい」と思えるような「生きがい」(例:オリンピック選手)

生きている中の楽しみのような「生きがい」(例:生け花が生きがい等)

●「生きがい」という言葉に、仰々しさを感じる

●生きがいを感じるとき…人が喜んでくれること。社会参加。

●忙しい→生きがい不要。ヒマ→生きがい必要。(退職セミナー)

●体が「今生きている」と実感すること。生きている喜び

●生きがいが執着・強迫になることもある

●生きがい…個人的(趣味等)・社会的(仕事・ボランティア・ライフワーク等)・反社会的なものもある

●生きたいという意欲

●対象がなければ、生きがいは生まれない

●『主体』(感じる心)-『対象物』(感情を生み出すもの)

 

次に、各自に「生きがいの定義」を考えてもらった。出されたものは以下の通りである。

○生きる喜び、張り合い

○他人がどうのこうのと言おうども、自分がやっていて楽しいと思うこと

○これからも生きたいという喜びと意欲。または、それらを生み出すもの

○生きる意欲を奮い立たせる執着

○生きることに含まれる苦しみを払拭させるもの

○生きがいには2つの型がある?

①アスリート・芸術家型…生きがいがあるから生きている(生きる目的・生きる使命)…生きがいが先

②凡人型…生きていたいから生きがいが必要(生きる喜び)…生きがいが後

「生きている実感」はどどうなのだろう…

○「生きてて良かった」「生きるってなかなか楽しい」と思える事象

○生きなければならない理由

○自らの価値を向上させ、他者に役立つ人間となることによって、ある程度評価されること

○つながり、役に立つ喜び、実感

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

Aさんが絶望から希望の光をわずかでも見出してくれることを老人は願っています。私ができることがあれば、言って下さい。朝のこない夜はありません。

〇苦しみにも生きがいはあるのでは?苦しみという喜び?

〇リセットできる勇気と社会

〇「生きることのいろいろが感動。」で十分。生きがいという言葉にこだわらない。

〇「生きがい」とは生きていることが楽しく感じられること

〇愛、感動、執着、(強迫)(大仰)

〇生きがいとは大ぎょうに考える程のものでもなく、ただ自分では選べない産まれる場所、時期、死期の中での制約ある命のある間、出来るだけ幸せな気持ちでいたいと選択した人が持つものである。もしくは元々生まれながらに強く持っている人の持つもの。

〇・どの視点でものを見るか?

・対象ー自分の関係。なぜこの対象でなければならないのか?

・凡人は生きがいよりも日々の幸せを!

 (記録:本間正己)

【第193回の記録】映画「her〜世界でひとつの彼女〜」

193回目の人生カフェは、20201010日(土)午後2時~430分、計6名(男性3名、女性3名)で、zoomを使ってオンラインで実施された。(進行:田中あけ美、本間正己)

 

最初に、感想を共有することからスタートした。

 

【映画の感想】

・この映画のようになってきたらもう他者としての人間はいらなくなるのでは。

・自分にとってベストの映画、この映画をどうして人生カフェ(中高年)が選んだのか?

・男性の成長は歓迎されるのに、女性の成長はなぜプラスに捉えられないのかとジェンダーの視点からも話してみたい。

・昔見た時に気になった事と今回見直した時に気になる場面が異なった。

・現実がこの映画に近づいている気もする。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

【問い】

・サマンサは最後にどこへ行ったのだろうか?

・サマンサは人間ではないのか?

AIとの恋愛は現実逃避なのか? なぜセオドアはサマンサにふられたのか?

・リアルな感情、リアルな関係、リアルな人生とは何か?

・どうしてもAIでは担えない、人間でないと無理な事はあるのだろうか?自分以外、全てAIになっても事足りないものはあるのだろうか?

・妻に指図をしつづけて嫌われた夫は、なぜチベット(と思われる場所)で「沈黙の行」に入ったのか?

・男は、 女の成長が足りないと「物足りない」で終わるのに、 女が成長すると「物足りなくていいから、わかってくれればいい」とか言い出しそうなのは、何故か?

・人間は複雑で羨ましがられる存在なのか?

・映画の中のオレンジ色が象徴するのは?

・なぜ恋人が他にも8000人と仲良くし、600人と同時に恋愛をしていることは苦痛なのか?

AIをリスペクトする対象と人間は感じることがあるのだろうか?

・歌詞「あなたに隠していることは、もう何もないよ」とは、どういう意味か?

 

以上の問いから次の問いで対話を行った

(前半)小ネタを中心に

映画の中のオレンジ(チベット僧侶の袈裟もオレンジ色)の意味合いは?

妻に指図をしつづけて嫌われた夫は、なぜチベット(と思われる場所)で「沈黙の行」に入ったのか? 等々……

*オレンジは人間の根源的なエネルギーのようなもの? チャクラ?

*オレンジは人間のキモサにも繋がる。キモイは生理的なもの(男で言えば、脂ぎっている、ヒゲなど)と自意識的なものがある。

*サマンサには色がない。

*有害な男性性/有害な女性性  お互いに対話できないキモサ  AIとなら対話できる?

*サマンサも計算ミスをした。(イサベラをセオドアに送り込んでしまった。)

 

(後半)大ネタを中心に

サマンサとセオドアはその後どうなったのか?

*サマンサはアラン・ワッツなどの影響を受けて、精神世界(形而上世界)に旅立ってしまった。その世界は、①言語と言語の間 ②物質と異なる ③抽象的 な世界である。

*サマンサの能力からして、全く逆の、物質的・具象的な進化もありえたのではないか? 例えば、各個人に適合した大量のAI搭載の「ドール」の誕生(受肉化)といった方向のことである。

*人型ロボットに対する見方は、国、文化、宗教、思想などによって異なる。(中国の今後の開発は欧米・日本とは異なり、注目したいところ)

*セオドアは、サマンサの人間の能力を超えた量的変化(話している人8316人、恋人641人)にも付いていけなかったし、質的変化(精神世界・形而上世界への旅立ち)にも付いていけなかった。それでフラれた?

*セオドアはサマンサが旅立った世界に行きたかった。AI、ネットの世界で、サマンサを理解し、愛し合いたかった。それで、元妻のキャサリンに遺書のような手紙を書いた。そして、同じようにAIに去られたエイミーとともに柵のない屋上から飛び降りた。セオドアの肉体は滅び、精神的存在になった。《この解釈は衝撃的!?》

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

人間はどうしたらAIにフラれないのか?

her  she  出家

・セオドアとエイミーは死なないと思う。

・「嘘」「魂」「非言語の、物質とは異なる、抽象の世界」

641/1からの脱出

AIと比較せずに存在するには?

AIがもっと活躍する近未来? 人間は不要?

 

(記録:田中あけ美・本間正己)

 

 

【第192回記録】 「生きがいとは何か」入門編(ZOOMによるオンライン)

192回目の人生カフェは、令和2年106日(火)午前10時~1230分、8名(男性4名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「生きがいとは何か」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自に「自分の生きがい」(キーワード3語)を発表してもらった。

*哲学対話 映画 家族

*アウトドア(登山 ダイビング) ジャズ(ボーカル ピアノ) 読書

*盆栽、オペラ、家族

*おしゃべり 家族 勉強

*家族、出会い、仕事(達成感を得られた時)

*孫、アンサンブル、ダンス

*カウンセリング、家族、読書

*哲学カフェめぐり、散歩、ユーチューブ

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○生きがいがないとどうなるのだろう?

○「生き甲斐」を持続させるためにはどうすればいいのか?

○生きがいを見つけ続けていくことは、その後の生活を豊かにしていくのか?

○自分一人だけでも幸せを大きく感じられる生きがいは、あるのか

○「生きがい」と言われると、くすぐったいような仰々しいような感じがするのはどうしてだろうか?    

○衣食住足りて、楽しみもあれば人生に満足できるのか?

○人との会話はどんなときか

○趣味とライフワークの違いは何? 

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「自分一人だけでも幸せを大きく感じられる生きがいは、あるのか?」を選んだ。

 

その後、フリーに対話は行われた。

●世代(若者と高齢者)によって、生きがいのあり様は異なっている。

●人といる時の生きがいと一人の時の生きがい。

●見られている、見てもらっている、見守られている……家族に、ペットに、盆栽に、神に……

●誰かに受け止めてもらいたい。(承認欲求)

●神との対話は一人でできる。

●自分の中に、もう一人の自分が存在している。

●生きがいというのは大仰な感じがある。癒しとか、小さな幸せを求めているのではないか?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○承認欲求という言葉の重要性を感じました。

○生きがいの中の幸せを感じるためには、自分の中のにいる人?も含めて複数の人や生き物、対象が存在しているように思いました。

○仲間と楽しむアンサンブルとダンス、一人で楽しむ読書や音楽鑑賞、どちらも出来る限り続けていこうと改めて思いました。

○一人での楽しみ、生きがいと他の人・多くの人と一緒の楽しみ、生きがい、両方を持っていたい、味わいたい。「見られている」は印象に残ったキーワードです。

○自分の中にいる第三者の存在についてもう少し考えていこうと思いました。そこに何か発見があるような気がします。

○「生きがい」がテーマでありましたが、ふとした幸せや癒しに関するお話が多くなったと思います。「生きがいをもつ」ということは結局そういったものの積み重ねなのだろうか。

○心の中にもう一人の自分を作り、いつも自分を見ている、そして相談もできる。これなら、いつか身体の自由が利かなくなり、一人になっても、生きがいとなりうるのではないか。そしてできたら、そのもう一人の自分との間にテーマやストーリーを持つこと

○ワクワク感多幸感

  (記録:本間正己)

 【第191回記録】「子どもとは何か」深掘り編(オフライン・リアル)

191回目の人生カフェは、令和2927日(日)午後130分~4時、7名(男性3名・女性4名)で、オフライン・リアルで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「子どもとは何か」(深掘り編)であった。

 

各自に自由に問いを出してもらった。出されたものは以下の通りである。

子ども時代の輝きはもう取り戻せないのか?

○“子ども心を持った・忘れない(大人)”“子どもっぽい(大人)”“子どもみたいな(大人)”… 同じ子どもでも、プラスとマイナスで使われるが、その違いは何か?

あなたはいつから大人になりましたか?(子どもと大人の違いとは?)

子供は大人の準備期間か?

社会に一切かかわらずに育った人は「子ども」のままなのか?

中高年にとって子どもはどんな存在か?

中高年と子どもの共通点は何か?

 

その後、出された全ての問いに触れながら対話を行った。

子ども純粋・素直・ポジティブ・正直・先入観がない・気を使わない・小細工しない・世間の常識にとらわれていない・時間がある・可能性・未来(プラスの印象)

自己中心的・幼い・幼稚・未熟(マイナスの印象)

子どもは物を知らない(経験が少ない)知らないことへのワクワク感や好奇心。

ワクワク感や好奇心は大人になっても持ち続けられるのではないか。

大人の役割社会貢献(働く・育児等)、大人がいないと社会が成り立たない?

自己中心性を脱却する大人

セルフコントロール可能大人

社会に適応する大人

大人にならなければいけないのか?生きてさえいれば良い?

何で大人になったのだろう

子どもらしい時代が無かった人は大人になれないか?

責任がない子供。責任がある大人。

感動する心・美意識・精神の自由を持ち続けている芸術家・宗教家

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

〇子供らしさを否定的に見ずに穏やかに育てたいが、まじめに塾通いをしている大人な子がうらやましくもあり難しい。

〇選択できる、守る側になる。・途上国の子供・障がい者、病気の人、神風特攻隊

〇子どもについて知る(考える)ことは大人について知る(考える)ことだなぁって思いました。

〇子どもはとりあえず人生の前半をたくましく生き抜け!

〇過去に生きていた人の思いを感じて、未来へ生きる人々へ希望を伝えられる老人になれるか。

〇子どもの輝きと大人の責任は「精神的自由」で両立できるのでは?

〇感じること、自分を抑圧するものから解放(=自由)されれば、大人でも輝いて居られるのでは?

(記録:高橋あずさ)

 

 

【第190回記録】 「子どもとは何か」入門編(ZOOMによるオンライン)

190回目の人生カフェは、令和2年9月15日(火)午前10時~1230分、8名(男性4名・女性4名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「子どもとは何か」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自に「子どものイメージ」(キーワード3語)を発表してもらった。

*かわいい 幼い 未来

*純粋 愛しい 想定外

*純粋 未来 前進

*かわいい 柔軟 きらきら

*小さい 頭が大きい 白紙の可能性

*大声 動き ままごと

*面白い、通ってきた道、伸びしろ、守られる存在

*声が良い。笑顔。元気。  

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○なぜ大人は子どもを教育するのか?

○子どもは未熟な大人なのか?

○どうして子どもの時間感覚というのは長いのか?

○子どもがほしい。それだけで、子供を産んでいいのか?

○子供は哲学者?

○子どもの頃の影響受けた物事は、中高年になってどのように性格に反映されるのか

いつまでも子どものままでいることは許されないのか?

○子供らしさは維持すべきものなのか、いずれ捨てざるを得ないものなのか?     

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「いつまでも子どものままでいることは許されないのか?」を選んだ。

その後、フリーに対話は行われた。

●社会性(例えば、約束を守る)が育っていないと、許されないのか?

●他人・社会が許さないのではなく、自分が自分を許さないこともある。

●子どもは守られるべき存在?

●子どもは自由か? 大人になってからの方が自由に感じる面もある。

●子どもの頃には万能感があった。

●大人は、しなくてはならないことがたくさんある。

●社会化と個性化、この二つのバランスをいかに実現できるかがポイント

●自立(自律、ひとり立ち)が大人への道? 経済的、身体的、感情的、精神的、家事…。

●自立へ向けての反抗期の意味合い。反抗期がなかった人もいる。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○自由と軸。 

○子どもは ふにゃふにゃ・スライム・水

社会は 枠・コップ

大人は グラスに入ったコップ・氷

○いろんな意見を受け取り、様々に構成しようとする、私たちの脳みその柔軟さに、改めて驚きました。 そこから刺激を受けて、それぞれの脳がまた、それぞれに動き出す!

○子どもに対するイメージを語るのが大人なのかなと、思いました。子どもにも子どもに対するイメージを聞いてみたいです。

○私は子どもを好きです。しかし、自分が子供時代に戻りたいという気持ちは少ないです。

○大人になると、心も守りに入ってしまうのか?だから子供時代の心を羨ましく思うのかも。

○どうしても我が子たちを思い浮かべながらの対話の時間になってしまいました。彼らが、今だけの限られた子どもの時間を十分満喫できる環境を整えてあげたい気持ちもありつつ、少し先の将来のことを考えるといろいろ心配する気持ちも出てきてしまったりしました。Iさんの蝶々のお話はとても印象的でした。

親が子どもにできることって何だろう?

子ども時代をもう一度過ごせるとしたら、どんな子ども時間をすごしたいですか?

 

 (記録:本間正己)

【第189回目の記録】映画「パラサイト 半地下の家族」

189回目の人生カフェは、2020913日(日)午後130分~4時、計7名で(男性4名、女性3名)で、zoomを使ってオンラインで実施された。(進行:田中あけ美、本間正己)

 

最初に、映画を観ての印象的な場面や感想を共有することからスタートした。

 

【映画の感想】

・予想できない展開(後半)

3層構造の面白さ 地上・高台 半地下 地下 

・騙す方と騙される方

・タイトルが日本語では寄生虫だが、パラサイトとなっている。  

・社会問題を取り上げた映画かと思ってたが、ハラハラドキドキ楽しめた。

・パクは妻を愛していないとは、見えなかった。

 ・社長を刺した場面が一番印象深かった。

・上流下流のメッセージ性がハッキリとある。

・印象に残った場面はパクさんの家で酒盛りしてるところに前の家政婦さんが訪ねてくるところ。

・家族というものの呪縛のようなものを感じた。

・大雨の後の2つの家族の場面が印象的だった

・社会問題を扱っているがエンターティメント性がある映画

・ 大枠としては社会格差を描いた非常に重たい内容だと感じつつ、匂い(生活臭?体臭?)や、個人的には「親の子供への責任」の描き方にフックされました。

・社長がパラサイト父へ語る妻の印象 と、パラサイト父が妻のお尻を触るシーンが印象に残った。

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

【問い】

 ・日本の「万引き家族」との違いは何か?(特に義憤について)

 ・息子の山水景石は何を意味するのか?

 ・なぜキム父はパク社長を刺し殺したのか?

 ・貧乏人と金持ちを笑っていいのか?

 ・何故匂いには、嗅いでいないのに伝わる共通の記憶があるのか?

 ・夫婦やパートナーとの親密度は何が基準となるのか?

 ・親と子の責任関係とは何か?

 ・父親を大事にする息子はなぜそうするのか?

 ・他のことを考えながらキスするとなぜバレるのか?

 ・格差がテーマとしたら格差のどの様なところを1番クローズアップしたかったのだろうか?

 ・格差社会は何故問題なのか?

 ・家族は簡単に信じられるのか?

 ・騙す方と騙される方どちらが幸せか?

 

以上の問いから

 

前半「臭い」について、後半「格差」「家族(パートナー関係・親子関係)」について対話を行った。

 

「臭い(匂い)」

・スクリーンからは臭いがしないが、皆が共通に感じる貧乏くさい臭いとはどんな匂いなんだろう?下水の臭い、お風呂に入っていない臭い。。

・パク家高台:風通しがよい、良い匂い キム家半地下:窓から風が入ってくるけれど風通しはよくない、臭いがこもる 地下全く風が入らない 臭いが染み付く

 風通しの具合は人間関係と共通するのではないか。

・キム家父の大雨後の臭いは、お風呂にも入れず地下の住人と同じくらいくさい臭いだったのではないか?

・同じ環境にいれば、自分たちの臭いは気にならないが、違う環境(パク家)に入ったことで、自分たちの臭いに気づくことになった。

 

「格差」

・経済的な格差をくっきりと描いている。それは仕事に就けないという格差でもある。

・格差を個人の力で乗り越えることは容易ではない。それが「計画」を立てても無駄であるという諦めに繋がっている。

・この社会的格差によって二つの家族は誰も幸せになれない。寄生はしたが、シェアはできていない。社会的な再分配も行われていない。

・経済の格差は当然に災害に対する格差も生んでいる。下層住民の住宅は水害に弱い。

 

「家族」

・半地下家族は、それなりのお金があれば幸せでいられるぐらい繋がりがある感じ。お金持ちのパク家族はお金がなくなったら幸せになれない感じ、繋がりの希薄さを感じる。

・二つの血縁家族、それぞれパートナー関係、親子関係は悪くはない。特に、キム家の絆の強さには驚嘆する。

・キム家の父と息子の関係は固いものがある。あれだけ貧しい状況に陥った父親に対しても息子は尊敬の念を持っている。

・キム父の方も家族に対する責任と愛情を強く持っている。

・「万引き家族」、ケン・ローチ監督の「家族を想うとき」…家族と貧困を取り上げた映画が続出している。

 

【対話後の感想・気づき・新たな問い】

格差と自由と幸せと・・考えるきっかけになりました。

・日本の家族は格差社会に耐えられるのか?

・家族は何によって繋がるのか?

・パラサイトは日本の未来?

・なぜ社長を刺殺したのか?残された家族のことを思ったから。

・なぜ他の事を考えながらのキスはバレるのかについて、対話したかった。

・半地下家族の経済状況がよくなったら、上流家族が中流になったら、家族関係はどう変わるのか?

・ 風通しの良さとは何か

・ 隙間風との違いも考えましたw<風通し

 


 (記録:田中あけ美・本間正己)

 

188回記録】 「親とは何か」深掘り編(オフライン・リアル)

188回目の人生カフェは、令和2822日(土)午前11時~1330分、4名(男性2名・女性2名)で、久しぶりにオフライン・リアルで実施された。(進行役:本間正己)

 

この日のテーマは「親とは何か」(深掘り編)であった。

 

各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○親に何を求めているのか?

○親との関係性は変わるのか?

○変わるとすれば、何を機に?

○「親」→「一人の人間」へ  このように見方が変わる要素とは?

○「親」になるための要素とは?

○いつから「親」になる?

○親と子、いのちの関わり、慈しみのあるかかわりの中で、いのちの大切さを教わり、伝えていくといういのちのリレーの原点は親かな?

○親から伝わった優しさとは?

○私が生まれるにあたって、親はどんな役割をしたか?

 

 今回は問いを一つに絞らずに、自由に対話した。

深掘り編ということで、以下の3つのことを意識しながら対話をした。

問いを重視する
各自の経験から、そもそもを考える
人それぞれはなし

 

●親(母親)の優しさとは何だろうか? 心配してくれた。助けてくれた。日常(衣食住)を支えてくれた。生きていいんだ!という命のリレーをしてもらった。

●親子関係は人間関係のスタートである。

●虐待する親、ネグレクトする親に対しても、子どもは何を求めているのか? マズローの欲求5段階説のどれを求めているのか?

●親になるにも資格がいるのか?

●子どもの世話ができてこそ親と言える?

●「生みの親」と「育ての親」

●育てることができない生みの親は親と言えるのか?

●「されど親」か?

●親との関係はいつ変わるのか? 自立した時(社会人になった時)、親の弱さ(涙)を見た時、親の間違いを発見した時……。

●親に反抗している時、親との関係は変わりつつある。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○親の弱さを見ること=親の介護をすること

○「育ての親」と「生みの親」の違いとは?

○①親に何を求めているのか→生きていいんだ!という自己肯定感

 ②生みの親でなくても、根源的な自己肯定感を育めるのか?

○子は親の願いを思い、その願いを実現させること。親とは広い意味、宇宙の創造主。則天去私。

 (記録:本間正己)

 

 

【第187回記録】 「親とは何か」入門編(ZOOMによるオンライン)

187回目の人生カフェは、令和2年810日(月・祝)午前10時~1230分、7名(男性2名・女性5名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「親とは何か」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自に「自分の父親・母親を一言で言う」を発表してもらった。

*父:かわいそうな人  母:優しい人

*父親ー頑固 母ー忍耐

*父 閉じていた人 母 愚痴が多い

*父:ずるい人  母:大人になりきれない人

*父;心が広い人 母;強い人

*父:強いけど、繊細さに欠ける部分がある人 母:繊細で優しいけど、弱い部分がある人

*両親ともおとなしく真面目で静かなイメージ 

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○親との関係が変化する時とは?

○親とのコミュニケーションとは何か?

○父親と母親の役割はどう違うのか?

○毒親はどこからが毒親なのか?          

○親との距離をどのようにとってきましたか?

人はどこまで親の影響を受けるものなのか?

○親は自然に親になれるのか?

 

以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「人はどこまで親の影響を受けるものなのか? 」を選んだ。

その後、フリーに対話は行われた。

●プラスの影響とマイナスの影響がある。

●マイナスの影響に対して、親に恨みを持ったり、親に責任転嫁したりする。

●親からの言葉によるメッセージ(禁止、励まし等々)の影響は大きい。

●コミットメント(主体的な関わり)の仕方、内容によって、影響の内実、強度などは異なってくる。

●親は私をこの世に生み出した。これこそが親が私にした最大のことである。

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○生老病死が苦である、つまり生まれる事も仏教では苦しみとされている、というのがとても新鮮なことでした。

○沈黙とは。

○親の影響はたくさんあった。しかし、(悪かったことを)親のせいにはもうあまりしたくない。だって自分の人生だから。

○子供への親の影響環境の変化

○子供に発する1つ1つの言葉を大事にしたいと改めて思いました。可愛い子には旅をさせて距離をとろう

○親は私とは別の人なので違っていてよいのだけれど、ある時期ともに過ごした時間はまぎれもない家族の歴史だと感じました

○太古から続く命の繋がりの一コマ。自分と親の関係もその小さな鎖の部分に過ぎないのであろう。でもその小さな鎖それぞれに個々の感情のドラマが詰まっているのだなと改めて思いました。それは人間だけ。個々の小さな感情のドラマをどれも無視しないでいきたい。親にも子にも社会にも気付きが必要。

 

 (記録:本間正己)

 【第186回記録】 「教養とは何か」入門編(ZOOMによるオンライン)

186回目の人生カフェは、令和2年7月11日(土)午後2時~430分、10名(男性3名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

この日のテーマは「教養とは何か」(入門編)であった。

 

導入のプログラムとして、各自に「教養のある人のイメージ」を発表してもらった。

*知識が豊か、包容力

*努力して知識を手に入れた人

*口数が少ない

*人と争わない

*引き出しが多い

*自己主張が少ない

*専門知識ではない、実生活に役立たないもの、芸術、文学、スポーツ、歴史など、広く知識がある。なので、どのような話題からでも、深められる

*広く深い知識を持ち、その知識同士をつなげられる

*知識、学問、経験、控えめ、これらが身についていて、言動に滲み出る感じ

*百科事典、グーグル、AI

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

出されたものは以下の通りである。

○教養のない人とはどんな人か?

○どうすれば教養が身につくか?

○知識人と教養人に違いはあるか、あるとしたら何が違うのか。

○教養はなんのために身につけるのか?(いつ、どんなときに使うためか?)

○教養が邪魔になるのはどんな場所か?

○教養を身につけるためのコストとそれが身についた時のリターンは、見合うのか?

○教養を身につけていることは最強のスペックに成り得るか?

○「教養がない」とはどんな状態か?

○教養のある人でその人の何をほめているのか?

○教養がないことで被る不利益とはなにか。個人にとって。所属する集団にとって。個人にとって。

 

 以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「 教養はなんのために身につけるのか?(いつ、どんなときに使うためか?)」を選んだ。

 

●教養と知識の関係はどうなのか? 知識の多さだけではなさそうであるが…。 教養のある人とは知識を生かしている人である。

●教養には、人間性や人間関係も関係していそうである。

●教養のない人は下品? 教養のある人は上品? この場合の品性とは何か?

●教養のある人は人間関係の幅が広い? 聞く力を持っている。

●好奇心を持ち続けている人が教養を深めていける。視野を広げていくことができる。これは楽しいことである。

●所属集団に合った教養のレベルがいい? 当人の教養が所属集団の教養の平均より高すぎたり、低すぎたりすると、コミュニケーションがうまく取れない?

●専門バカにならないために教養は必要か? 大学等における一般教養科目の意義はそこにある?

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

○素材と味付け  教養は素材を生かす方向にしたい。

○教養を身につけるために知識は必ず必要か?

○今日は初めてのミーティングで生まれて初めてのズームミーティングでご迷惑もおかけしましたが、おかげさまで大変有意義な時間を過ごせました。ズームミーティングはいいですね!

○知識を活かす教養

○教養を深めても、専門バカを極めても、どちらでも幸せになれるし、社会の役にも立てる

○私は教養があるとかないとかは考えず、自分が興味あることの幅を広げていきたいと思います。楽しい時間を有難うございました。

○教養が人間関係に影響している

○好奇心と教養の結びつきは新鮮でした!

○教養と知識の違いが知りたかったが、人間関係、関心、結びつき、などのことを考えていくとその違いが分かってくるように思いました。

○教養の有無について、あまり自分が生活していく中で考えることがなかったように思った。

○学問は外から身に付けるものですが、内側から滲み出るものがあってこそ教養。集団に合う合わないは表面的なことのような気もします。ぶれない部分があれば大丈夫なのかも・・・それが素材?

 (記録:本間正己)

【第185回記録】 「幸福」深掘り編(ZOOMによるオンライン)

 

185回目の人生カフェは、令和2627日(土)午後3時~6時、10名(男性3名・女性7名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

人生カフェは6月で満6年を迎えている。

 

 

 

この日のテーマは「幸福」(深掘り編)であった。(毎年6月は幸福をテーマに取り上げるのが慣例になっている。)

 

 

 

各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

幸福は最高の価値か?

 

○私にとっての真の幸福とはなんだろう?

 

○幸せという感情はあるのか?

 

幸福を追うことは人生の目標にすべきなのか?

 

○幸福であるかどうかを気にするのは何故だろう?

 

○幸福よりも欲しいものはありますか?

 

○幸福を求めて、満足出来る点はどの状態なのか?

 

○幸福でいようと意識することは幸福なのか?

 

○あなたは幸せについて身近な人と語りますか

 

 

 

 以上から、多数決によって、サブテーマを選んだ。

 

 前半はビデオありで、「幸福を追うことは人生の目標にすべきなのか?」というテーマで対話した。

 

 後半はビデオなしで、「幸福は最高の価値か?」というテーマで対話した。

 

 

 

●幸福は人生にとって、「目的・目標」なのか? 「状態」なのか? 「認識」なのか?

 

●幸福の条件は何か? 必要条件は? 十分条件は? いや、そもそも条件のないところに幸福はある?

 

●脳内幸福物質(ドーパミン、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィン等)と幸福・幸福感について

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

○ このような話をできる場がほとんどありませんので、実に面白かったです。

 

○幸せの価値とは何か?

 

○しみじみとした幸せというものを味わいたい。ぼんやりとした幸せ?これもいい。

 

○幸福についてあまり期待していない自分を発見!

 

○刺激的な意見が多くて楽しかったです。今回は自分1人の幸福についての話が多かったので、おのりさんが最初に言われた相手ありきの幸福や、他人が評価する幸福、幸福の社会的価値などについてもまた話してみたいと思いました。

 

○幸福とは自分が与える意味によるのだと思いました

 

○新たな問い。人にとって、幸福の存在は何か?

 

○幸福には自己受容とある種のあきらめが強く関わっていると改めて思った次第です。でも、「大切な人が幸せなら幸せ」という意識は自分の中に根付かせたいと思いました。

 

○感想。1020代の自分が現在の自分を見たら不幸そうだと思うかもしれない。少なくともつまらない人生だと思うだろう。だが残念なことに、現在の自分はそう思わない

 

 (記録:本間正己)

 

【第184回記録】 「幸福」入門編(ZOOMによるオンライン)

 

184回目の人生カフェは、令和2年613日(土)午後2時~430分、9名(男性6名・女性3名)で、zoomを使って、オンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

人生カフェは6月で満6年を迎えた。

 

 

 

この日のテーマは「幸福」(入門編)であった。(毎年6月は幸福をテーマに取り上げるのが慣例になっている。)

 

 

 

アイスブレイクとして、各自に「小さな幸福を感じる時」を発表してもらった。

 

*おいしいラーメンを食べている時

 

*心許せる人と食事をしているとき

 

*昼からおいしいビールを飲む時

 

*朝早く起きられたとき

 

*美味しいものを口にした時

 

*飼い猫が甘えてきたとき

 

*半田ごてを使って配線している時

 

*笑顔

 

 

 

次に、各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

○自由がないと幸せになれないか?

 

○ すべての人が幸せになることは可能か?

 

○幸福は未来に対しての幻想(願望)か? 

 

○幸せじゃない人生は意味がないのか?

 

○幸せを感じることが人生の目的なのか?

 

○孤独な人生で幸福な人生はありうるか?

 

○他人との比較の上に幸せを感じることはあるのか?

 

○自分にとって小さな幸せは何か?

 

 

 

 以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「幸せじゃない人生は意味がないのか?」を選んだ。

 

 

 

●他人と比較すると不幸になる。

 

●評価すると不幸になる?

 

●主観的幸福と客観的幸福

 

●病気、貧困、身体的不自由さは必ずしも不幸には繋がらない。

 

●精神的な自由は大切。

 

●心のゆとりが幸せを生む。

 

●人生に意味はあるのか?

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

○ どこかで聞いた話ですが、「幸せとは気づくことである」とも言えると思いました。

 

○何を持って幸せ/不幸せな人生と判断するのか、と改めて考えるきっかけになりました。

 

○「幸せである」と「幸せになる」  どちらも?

 

○「今日は幸せな一日だったなあ」と寝る前に思うのが幸せの始まり

 

○幸せは,与えられた環境の中で,内臓感覚的刺激を自覚すると良いと感じました。

 

○人生の意味は、自分はやっぱりあまりないんじゃないかと思います。意味付けも、しなくてもいいのかなと・・。ただ、味わい続けるだけ。苦しいと感じるときも、楽しいと感じるときも様々な自分の感情を味わっていくことの繰り返しかな・・。なんて思いました。

 

○幸せは主観的なものか客観的なものか考えるきっかけになりました。

 

○幸せは快感覚?

 

○Yさんが最後におっしゃった、今の自分や状態を肯定して、幸せからスタートする、という意見に感動しました。 「自己満足」の結論にならなくてよかった。

 

 (記録:本間正己)

 

【第183回記録】 育てる(ZOOMによるオンライン)

 

183回目の人生カフェは、令和2年5月23日(土)午後2時~430分、8名(男性7名・女性1名)で、zoomを使って、人生カフェとしては初めてオンラインで実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「育てる」であった。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

ケアすると育てるはどう違うのか?

 

○成長しないものを育てることはできるか?

 

○人を育てるための必要な条件は何か?

 

「育てる」ということはどういうことなのか?

 

○「育てる」ことの悪しき面は?

 

○「育てる」と「育つ」の違いは何? 

 

○仰木監督と出会わなかったらイチローは世界一のバッターになれたのか?育てることの重要なことは「結果」?結果の良し悪しは偶然の巡り合せ?

 

○育てる人、育てられる人の高低差は何か?

 

 

 

 以上から、多数決によって、今回のサブテーマは「「育てる」ということはどういうことなのか?」を選んだ。

 

 

 

●育てる者は育てられる者から真似される自分になれるといい。

 

●育てるというのは価値が低いところから高いところへ引き上げようとする行為である。

 

●育てるには自己満足的なところがある。相手に自分の欲求を投影している面がある。

 

●「愛情を育てる」「夢を育てる」といった言い方もある。

 

●「人を育てる」ということだけではなく、「自分を育てる」ということもある。

 

●育てるは相互関係である。育てることによって、自分が育つ。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇「育てる」と「教える」の違いは、そこに愛情があるかないか

 

○愛情を育てるとは何だろう?

 

○男性と女性の「育てる」に違いはあるか?

 

○確かに「愛情」は育てたい。自分を育てたい。育てうる上で、自分の価値を他人に押しつけたくない。

 

○自分を育て直す、伸び白の有無

 

○こういう場で皆さんの話を聴いたり、自分の考えを話したりできることが貴重だと、こういう時期だからこそ改めて感じました。これからも自分なりに育ち続けたいと思います。

 

 

 

☆今回初めてオンラインで人生カフェを実施したのだが、参加者の協力もあって、いつものリアルの時の人生カフェと同じような和やかで楽しい会になった。オンライン哲学対話の可能性を感じた。

 

 

 

 (記録:本間正己)

 

 

【第178回記録】 勇気(哲学対話・深掘り編)

 

178回目の人生カフェは、令和2年3月22日(日)午後1時30分~4時、7名(男性6名・女性1名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「勇気」であった。

 

哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

勇気とは正義を実践する気力か?

 

○愛する勇気とは何か?

 

○無鉄砲、蛮勇を起こす人は考えの浅い人だとしたら、勇気がある人とは考えが深く徳のある人なのか?

 

○勇気が必要な時とはどんな時か?

 

○勇気が出ないため、できなかったことがある。後悔と勇気を出してやってみることを自分の心の中で認めることについて、後悔の乗り越え方は?(勇気と後悔)

 

 

 

 以上から、多数決によって、今回の対話の導入のテーマは「勇気と後悔」とした。

 

 

 

●勇気が出せなかったことを後悔する。勇気を出して行動し、失敗したことを後悔する。

 

●ずる賢く振舞ったことを後悔する。

 

●勇気は、①動機(欲求)⇒②行為⇒③結果、の3つの局面から捉えることができる。

 

●体力、気力、知力、地位などが上の者から下の者に対する行為は勇気とは言わず、下の者から上の者に対する行為に対して勇気と言う。

 

●仁者と勇者:仁者は勇者だが、勇者は必ずしも仁者ではない。

 

●背負うことができる、逃げない、これが勇者である。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇背負えない⇒逃げるしかない?   逃げる勇気? 嫌われる勇気?

 

○仁義ある闘いこそ勇気ある人生。

 

○若い人たちの感覚に仁義を見た。日本の未来は、明るい、かも。

 

○勇気がないことは悪い(いけない)ことか?  勇気があるのはよいことか?

 

○勇気と年齢(若い、おじさん的)の関係がおもしろかった。新大久保の事件は、亡くなってしまった人には気持ちが聞けないが、どういう気持ちであのような行動をしたのか聞いてみたい。

 

○「搾取」⇔「背負」? どんなシステム、仕組み

 

 動機(欲求)に立ち返る。

 

○私に背負うものをちょーだい。毎日が平穏無事すぎて、勇気を出すチャンスないな~。

 

 (記録:本間正己)

【第175回記録】 勇気

 

175回目の人生カフェは、令和2年3月11日(水)午後7時~9時、7名(男性5名・女性2名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「勇気」であった。

 

 

 

まずは各自に、問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇勇気があるのはよいことか?

 

○勇気を出すために必要なもの(要素)とは?

 

○勇気のある人になるにはどうすればよいか?

 

○「認める勇気」とは何か?

 

○勇気と呑気の違いとは?

 

○この社会状況下で、哲学カフェを実施したり、参加したりすることは、勇気のあることか?

 

 

 

以上の問いから、多数決により、今回の対話の入り口の問いは、「勇気があるのはよいことか?」に決定した。

 

 

 

●勇気は、古代から「徳」の一つとして、よいものとされてきた。

 

●しかしながら、勇気の反対である、「臆病」や「小心」は悪いことと言えるか。

 

●勇気は自信から来る。それは身体の大きさに関係する??

 

●勇気は、①当人にとってリスクがあることが認識されている。②そのリスクに対する恐怖や不安を乗り越えて、自分なりの価値、理想、正義等を実現しようとすること。

 

●その価値、理想、正義等が間違っていると思われると、その行為は「無謀」とか、「無鉄砲」とか、「蛮勇」とかと呼ばれる。

 

●勇気は、他人のためにも、自分のためにも、発揮される場合がある。

 

●勇気は、①その動機(欲求)から、②その行為自体から、 ③行為の結果(効果)から、それぞれ論じられ、評価される。

 

●行為の結果が悪くても、その動機や行為自体から、勇気があると言える場合があるのではないか。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇勇気は有限か?

 

○自信をつけよう!

 

○勇気ある女性が増えるとよいなぁ。

 

○生活の場で勇気を使うことはほとんどないが、人生の岐路には使わないとね。

 

○①「コンプレックス」(うらやましい)が「勇気」と関係あるかも?

 

 ②「勇気」はよいことか?(勇気がないのは悪いこと)

 

○聞き、話せる場を作るという小さな勇気

 

 コロナウィルスに対しては…

 

    リスクをできるだけ正確に認識する。

 

    自分なりの価値・理想のある行動をとる。

 

○自分の行動規範を超えて行動⇒勇気  行動せず⇒臆病

 

 行動するか否かの決定要素

 

  *リスク←自信、思慮深さ   自信←成功体験、計画性

 

  *欲求

 

 計画性はリスクを下げ、行動しやすくする。

 

我々が勇気があると思う人自身は、勇気があると思っていないかもしれない。

 

 

 

【お知らせ】

 

322日(日)午後130分から、「勇気」(深掘り編)についての哲学対話を人生カフェで行います。

 

新宿消費生活センター分館にて。

 

(記録:本間正己)

 

【第174回記録】 なぜ、私 / 私たち は対話するのだろう?(哲学対話・深掘り編)

 

174回目の人生カフェは、令和2年2月26日(水)午後7時~9時、6名(男性6名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「なぜ、私 / 私たち は対話するのだろう?」であった。

 

哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇私たちは対話をすることで何を目指しているのだろう?

 

〇相手は何を考えているのだろうか? 共感できるものを発見できるのか?

 

〇対話をしていて、つまらない人とはどんな人か?

 

〇対話するにあたって、邪魔になってしまうものは何か?

 

〇問いを立てようとすると思考が固まるのはなぜか?

 

 

 

今回は、メインテーマである「なぜ、私 / 私たち は対話するのだろう?」をそのまま使って、対話を進めることにした。これとともに補助的なテーマとして、「私たちは対話をすることで何を目指しているのだろう?」を意識することにした。

 

 

 

●共感するために対話する。(孤独、寂しさから?)

 

●みんなで真理(真実)を探求したいから。

 

●新しい考えを見つける。

 

●他の人からインスパイアされ、何かしらを創造したいから。

 

●時代遅れにならないように。社会とのつながりを保ちたいために。

 

●対話は、非暴力=平和のコミュニケーション(NVC

 

●対話は対等の関係の中で行われる。

 

●対話は目的なのか?手段なのか?

 

●対話は楽しい。その楽しさとは何か? 対話(特に哲学対話)ならでは楽しさとは何か?

 

●楽しさを感じるのは、①真理の探究 ②新しいものを創造 ③自由、平等、安全な場にいる などである。

 

●しゃべること自体が楽しい。(聞くことが楽しい人もいる。問い、考えることが好きな人もいる。)

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇孤独と平和(愛)

 

〇私自身は対話の目的は、相手から承認されるためだと思いました。

 

〇対話(おしゃべりなど)が「目的」であり、かつ「手段」でもある。

 

〇対話していて面白い人~真剣な人、真面目な人、言葉を一生懸命紡ぎだそうとしている人

 

〇なぜ対話をするのか。AB  お互いに新しい生命を発見できるといいね!明日互いに人間らしく生きるために。

 

〇ワード 「非暴力」 「平和」

 

    対話とは、「新しい何か」を見つけようとする作業

 

感情の共有⇒共感⇒愛(集合体)に結合する。

 

    対話のメリット・デメリットとは?

 

    気付きを得ることができ、見識も広まった。

 

(記録:本間正己)

 

【特別イベント記録】 映画「プリズン・サークル」

 

令和2年2月24日(月・休)10:30~14:45、映画鑑賞後、3名(男性2名・女性1名)で、映画について対話を行った。(進行役:田中あけ美)

 

 

 

まずは各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

 

 

子どもにとって選べない家族をどうするのか?

 

〇私はなぜ犯罪者にならなかったのか?

 

〇機械のような自分が血肉を持った自分に変化したのはどうしてか?

 

 

 

〇内省力・自制心とは何か?

 

〇自分の犯した罪を感じる人と感じない人との違いは何か?

 

〇人間の応報原理と社会の規範の進歩をどのように整合を図ったらいいのか?

 

 

 

 前半の問いの群からは、遺伝、家族、養育環境、自己責任などのテーマが話された。

 

 後半の問いの群からは、感情、他人に対する想像力、自己表現などのテーマが話された。

 

 

 

●自己責任だけでは片づけられない。

 

●「加害者の前に被害者であった」

 

●多彩できめ細かな感情が育ってない、他人に対する想像力がほとんどない、嘘、暴力以外の自己表現方法を知らない……そういった人たち。

 

 (記録:本間正己)

 

【第173回記録】 老い(哲学対話・深掘り編・ロング版)

 

173回目の人生カフェは、令和2年2月22日(土)午後2時~5時、13名(男性9名・女性4名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「老い」であった。

 

哲学対話・深掘り編・ロング版と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

老いを生きる心持ちとは何?

 

○人生の後半を君たちはどう生きるか?

 

○こころの老いとは何か?

 

○老いは抗うものか?

 

○自分の老いを肯定するために大切なことは何か?

 

○老いは突然の死の前の予告・準備ではないか?

 

○老いて見えてくるものは?はじめて分かること、気づくことは?そこから見えてくる本来のものは?

 

○老いとは恐ろしいものか?

 

○どうなったら本当に老いたと言えるでしょう?

 

○社会は老いた人に何を期待するのか?(するべきか?)

 

○老い自体は単に状態。 100歳を人生のピークに持って行く未来設計が可能か?

 

○統合 / 絶望 ?  生きてゆくことと死に向かうこと

 

○老いることは省察であるか? 反省→自分自身をかえりみて、そのよしあしを考えることか?過ぎ去った人生を検証することでしょうか?

 

 

 

 以上から、多数決によって、今回のメインテーマは「老いを生きる心持ちとは何?」とし、サブテーマ的なものとして、「人生の後半を君たちはどう生きるか?」を選んだ。

 

 

 

●高齢者は死を見据えて、そこから逆算して大体の残りの時間が分かるので、やるべきことが見つけやすく、計画が立てやすいというメリットがある。

 

●一方で、若者のように未来に長い時間を想定しにくいので、長期的な大きな目標や計画を持ちにくい。

 

●自らの心身を相当にコントロールできなくなった時に、「老い」と明確に言えるのではないか。要介護度が高い状態、認知症がかなり進んだ状態など。

 

●高齢者は人として尊重されなければならない。それは障がい者と同様である。

 

●そのためには社会における高齢者の位置づけを考える必要がある?

 

●それとも高齢者自身の当事者研究が重要か?

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇自分をほとんど制御できなくなる感覚、これが老いか?

 

○幸せに老いるのは難しい……?

 

○希望として、老い(死)を楽しめたらいいな!

 

○「明日死ぬように生き、永遠に生きるように学べ」 今後目指していきたい言葉です。

 

○老いは死に隣接しているが、取りあえず切り離して考えたい。 老いても生きている時間だから、自らの生活の主人公として暮らしたい。

 

○「老い」について考える道筋が見えました。私の所(何だろう会)でも深めます。

 

○若い頃からちゃんと考えていればよかった、とあらためて思った。

 

○老いを面白がって平気で生きていくにはどうしたら良いのか。恐れずにただ死んでゆくにはどうしたら良いのか。

 

○私たちは生かされている⇒生命を生かすものが実在する⇒人間的事象(生命現象)に対する信頼⇒老いてゆく受容⇒死への受容

 

○老いのデザイン(社会を含めて)が必要、但し、各論多し!!

 

○これからの高齢社会では、何か変わるのだろうか……。

 

○本日集まったみなさんは若い。「老い」は85歳くらいになって分かるもの?高齢者と対話しよう。

 

○老いを受け入れつつ、抗う。

 

 (記録:本間正己)

 

【第172回記録】 老い(哲学対話・入門編)

 

172回目の人生カフェは、令和2年2月12日(水)午後7時~9時、8名(男性5名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「老い」であった。

 

哲学対話・入門編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇老いの「メリット」と「デメリット」は何か?

 

○老いの効果とは?

 

○老いをプラスに捉えるにはどうしたらいいか?

 

○次世代育成能力(ジェネラティビティ)はうまく作用するのか?

 

 

 

○心は老いるか?

 

○老いるということは人生にとってどういう意味がありますか?

 

○老い→死 ?

 

○老いの定義とは?

 

 (内面の老い? 外側の老い?) 年齢?

 

 

 

これらから前半は、老いのメリット、デメリットで言えば、あえてメリットの面、プラスの面、ポジティブな面を考えていくことにした。(というのは、老いは一般的にはネガティブに捉えられていると言えるから。)

 

後半は、老いとはそもそも何か、という老いの定義に改めて迫ろうとした。

 

もちろん、実際の対話では、以上の二つのことについて行ったり来たりしながら話が進んだ。

 

 

 

●老いを「年を取ること」というように、ニュートラルに、また広義に捉えることはできる。

 

●また、江戸時代の「老中」「大老」などの使い方に見られるように、年を取ること(それによる、よい経験の蓄積)にプラスの評価を与えることもある。

 

●一方で、老いを加齢によって「できたことができなくなる」「衰える」といったマイナスの意味合いを込めた使い方やイメージも流布している。(これを「狭義」の老いと言ってもいい。)

 

●近年は「老人」という言い方を好まず、「高齢者」と表現しているのもその一つの現れとも言える。

 

 

 

●「老い」の時期は、「追い」込みの時期である。締め切りが迫っている。締め切りとは死のことか?

 

●人は自分のことを自分でやりたい。そこに自由があるように思われる。そうすると、支援してもらう関係、依存する関係というものはどう捉えていったらいいのだろうか。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇イヤの構造

 

○不自由はイヤだ。

 

○敬老の日はこれからも続くのか?

 

○老いのメリットはモヤモヤ、でも悪くはない。

 

○老いは、成長、発達、変化。

 

○年を取ることは楽しい!

 

○欲求(ニーズ)を持つこと、その実現を目指すことが生きること。その欲求の実現が乏しくなることで老いはイヤ。でも悪くはない。

 

○「老い」という言葉のイメージと認識にズレがあると感じた。

 

(記録:本間正己)

 

 【第171回記録】 人を好きになるとは?(哲学対話・入門編・ロング版)

 

171回目の人生カフェは、令和2年2月8日(土)午後130分~5時、11名(男性5名・女性6名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「人を好きになるとは?」であった。

 

哲学対話・入門編・ロング版と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

好きという気持ちはなぜ?どこから?来るのでしょうか?

 

〇人を好きになるとは?(可愛らしさがあること。それは外見にこだわらず、年齢にこだわらず。その人の純粋さであるとは、素直さであるとか、優しさからくるものでしょうか?)

 

〇なぜ特定の人を特別に好きになるのか?

 

〇好きな人が変わるのはなぜか?

 

〇なぜいろんな人を好きになるのか?順位付けは必要か?(接点が多い人は上位?)

 

〇好きな人、嫌いな人、どちらでもない人を分けるものは何?

 

〇 人が好き=○  人が嫌い=× とされるのはなぜ?

 

 

 

〇恋愛感情とは何か?

 

〇「好き」と「憧れ」の違いとは?

 

人を好きになると、なぜ嫉妬するのか?

 

 

 

前半は「好きという気持ちはなぜ?どこから?来るのでしょうか?」を代表の問いにして、関連する一群の問いについて考えてみた。

 

後半は「人を好きになると、なぜ嫉妬するのか?」という問いを考えてみた。

 

 

 

●「好き」になるのはリアル(現実)から来るものがある。それは、イマ、ココ、ワタシ(身体)を基礎にしている。相手との接点が多いほど好きになるという現実はある。

 

●一方で、ロマンから来る「好き」というものもある。(こちらも強力である。)

 

●好きになる理由は一般的には男女差があるかもしれないが、個人差の方が大きい。

 

●好きは感覚・感情であり、欲求である。これ以上はさかのぼれないものであるなら、素直に従うしかない?

 

●価値観が似ているから好きになる、価値観がかけ離れているから嫌いになる、場合によっては怒るということはある。

 

●「努力して好きになる」とはどういうことか?それは義務(仕事上など)から来ているのか?それとも愛から来ているのか?

 

●「嫌い」は相手から攻撃される、傷つけられる危険性を察知しての防衛反応と見れば、自然な感情である。しかし、嫌いはよくない(みんな仲良く好きにならないといけない)という社会的圧力はありそうである。

 

●「嫌い」を「ちょっと苦手」という言い方に替えてみたらどうか。

 

 

 

●嫉妬のベースには悲しみがあるのか?怒りがあるのか?

 

●嫉妬が生じる関係やメカニズムがありそうだ。

 

●嫉妬には自分が相手から認められないことに対するマイナス感情が根底にある。

 

●嫉妬から他人のせいにして怒るのは建設的ではない。自らの変化・成長のきっかけにもできるのに。

 

●「愛」までに高まれば、嫉妬は消えていく。

 

 

 

●人から好かれるかどうか、モテるかモテないかの方ばかり気になることがある。

 

●相手は他人だから、相手から好かれるようにいろいろ努力したとしても、相手から好かれるかどうかは最終的には分からない。

 

●人を好きになる方は自分のことであり、それは生きる上での大きなエネルギーになる。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇好き感情、もう一度思い出し還暦を迎えたい。

 

〇好きになることを恐れない。

 

〇人を好きになることより、人から好かれることを意識して生きている。どうしても、ゆるゆるな人間になっていくような気がする。

 

〇希望として、人を好き(嫉妬)になれることを楽しめたらいいな! 感情の高ぶりを大切にしたい。

 

〇嫉妬心はなくなる。そこにたどりつくのは大変。→どうしたらそこまで気持ちを持っていけるのか?そこまでの相手であるか?→自分がどうありたいのか?

 

〇人間って、弱いなあ。強いなあ。

 

〇心に入ってくる感覚~体験してみたい。

 

〇好き(感情・欲求)→愛へ

 

 特定の個人・自分→たくさんの人々へ

 

〇好きから愛へ

 

〇人を好きになるとは?の究極の終着駅は無償の愛であり、没価値的愛を目指すことになる。

 

〇愛って何だろう? (意志、寛容、相思相愛…) 好きの上位? 

 

(記録:本間正己)

  【第170回記録】 偶然性は減っていくのか?

 

170回目の人生カフェは、令和2年2月7日(金)午前10時~12時、男性2名、女性5名、計7名で新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:髙橋あずさ)

 

 

 

この日のテーマは「参加者でテーマを決める」であった。

 

 

 

まず各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

偶然性は減っていくのか?

 

夢持っていますか?

 

ユーモアのある人ってどんな人?

 

良い人生とはどんな人生か?

 

大人とは?

 

友人、友達、知人の違いは?境い目はどのあたりか?

 

ケアするとはどういうことか?

 

 

 

次にこの中から今回のテーマとなる問いを多数決で選び、フリートークへと入っていった。

 

テーマ「偶然性は減っていくのか?」

 

インターネットの普及で、偶然の出会いが減っているのではないか? (閲覧履歴からのおすすめ商品や、マッチングアプリ等)

 

偶然性感動、出会い、受身、発見、即興性、一期一会

 

偶然有ることも無いこともできる。何かと何かが会うこと。稀にしか無いこと。再現できるかどうか。

 

昔と現代で比べてみる

 

    昔   |   現代

 

 偶然性  | 必然性

 

 お見合い | マッチングサービス

 

 選択肢少 | 選択肢多

 

 効率悪い | 効率良い

 

      | 操作されている(AI

 

  受身  | 能動

 

偶然は無く、すべて必然ではないか?

 

偶然「学び」必然となるのではないか?

 

偶然は楽しい

 

会社と哲学カフェで比べてみる

 

    会社     | 哲学カフェ

 

  必然性    | 即興性(偶然性)

 

  範囲内    | 自由(対話のルール有)

 

  想定内    | 想定外

 

 失敗は許されない| 失敗も成功も無い

 

  余裕無し   | 余裕あり

 

偶然性を楽しめる人が減っているのではないか?

 

偶然に身を任せる(受身)と失敗する可能性が高いが、自分で選択(能動)すれば失敗の可能性は減る?

 

受動でも、能動でもない、中動的が良いのではないか?

 

失敗を楽しむ余裕が無くなってきているのではないか?

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

 

偶然を楽しむには待つ力も必要だ。

 

セレンディピティ(serendipity)偶発生

 

賢さと流れに委ねるの使い分け。という賢さを持つのがいい。

 

塞翁が馬。積極的に待つ

 

○①失敗が怖いのはなぜか?失敗って何なんだろう?

 

偶然の出会いに感謝です。

 

偶然があるから必然もある。

 

 

 

(記録:髙橋あずさ)

 

 

 

【第169回記録】テーマポリアモリー(複数愛)から考える」~ヒューマンライブラリー×哲学対話~ 

第169回目の人生カフェは、令和2年2月25日(土)午後1時30分~5時、10名(男性6名・女性4名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:高橋あずさ) 参加費2000円

 125日の本役きのコさん(ポリアモリー)
「わたし、恋人が2人います。 複数愛という生き方」


好きな人は常に一人でなくてはいけないの?
結婚とは何でしょうか?
恋人とはどんな人?
人を好きになるとはどういう事ですか?


ポリアモリーというライフスタイルを実践しているきのコさんを本役にお迎えし、参加者の皆さんと自由に対話します。
当日参加者の皆様には、きのコさんとの対話に参加して頂き、その後に問いを一つ出していただきます。

きのコ さん】
1983年福岡県生まれ。九州大学大学院人文科学府卒、メーカー勤務の会社員。2011年より、自分が複数の人を愛する「ポリアモリー」であることをカミングアウトしている。ポリアモリーに興味をもつ人の交流会「ポリーラウンジ」の主催者のひとり

【ヒューマンライブラリー(HL)】

生きた人間が本役となり、一般の読者に貸し出す対話型イベント活動です。

 

【第168回記録】テーマ「時間」(深掘り編)

 

 

 

第168回目の人生カフェは、令和2年1月22日(水)午後7時~9時、9名(男性8名・女性1名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「時間」であった。(これは1月8日の哲学対話・入門編の際のテーマと同じである。)

 

今回は、哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇時間は過去から未来へと流れていくものなのか?

 

〇時間はいつまで続くのか?

 

〇時間を超える人間にとっての生きる意味あるいは価値とは何か?

 

〇時間って大切にするもの? 時間の流れの速さがゆっくりなのは大切にしていないのか?

 

〇ムダな時間ってあるのか?

 

〇時間とは何か?←「時間の効果」から考える(含:マイナスの効果も)

 

「今」とは何か?

 

〇時間の中に存在する幸せとは何か?

 

 

 

以上を踏まえて、今回は進行役の本間が若干リードして、以下のテーマ(2つ)に決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:① 「今」とは何か?  ②時間の中に存在する幸せとは何か?

 

 

 

●「今」に強いリアリティを感じるのは、単に時間的感覚だけではないからである。「今」ということには、同時に「ここ」という感覚と「わたし」という感覚が伴っている。これらがリアルな実感を生み出す。

 

●人間の脳は記憶という形で過去の痕跡を残すことができる。これによって過去は変えられないものとして認識される。人間の脳は未来を明確に感知する能力は一般には備えていない。未来は不確定であり、変えられるものと一般的には認識している。

 

●「今」は、まさに選択の最前線である。選択の可能性は無数にある。それらはすでに存在しているとも捉えられる。(パラレル・ワールド)

 

●その人がどのような選択をするかもすでに決まっているとみるのが「決定論」である。それに対して、選択する意思の自由がいくらかは存在するというのが「自由論」である。

 

●「決定論」は、未来に対してワクワクしない、つまらない、それゆえに不幸であるとは単純には言えない。決定論者なりの幸福感は得られる。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

〇 「時」は、わたし(主観)によって、どんな時か規定される。

 

〇時間を元に様々な話ができる。→これがまさに幸せか?(主観的選択)

 

〇今が幸せであると思いたい。

 

 「今この瞬間だけが」幸せであるという感覚を持てる人と持てない人がいるのだろうか?

 

〇時間について、先回と今回、終わってしまいましたが、時間は存在しない…って何?

 

〇人間ほど不思議な世界はない。共感できるものもあるが、そうでないこともある。にもかかわらず、不思議な人間の世界を垣間見ることができれば、幸せな時間ではなかろうか。

 

〇「今」とは何か?これからも大切なテーマです。

 

 「時間」を楽しみたい!

 

〇大事なことだけ真剣に選んでいきたい。

 

〇「物理(宇宙)的時間」と「人類(人間)的時間」と「主観(個人)的時間」

 

〇未来は決定している(量子論的に「多世界」)が、知らないので……、未来を変えるつもりで生きる矛盾の楽しさ。

 

(記録:本間正己)

 

【第167回目の記録】映画「輝ける人生」

 

167回目の人生カフェは、2020111()午後130分~5時、男性4名、女性4名、計8名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室にて実施された。(進行:本間正己)

 

 

【映画の感想】

 

2度目だが、また最後にホロリときた。主人公の夫のマイクが情けない。

 

 離婚は一般的にネガティブに捉えられるが、この映画では人生の転機(チャンス)として捉えられていたように思った。

 

・特別凄い事が起こるわけではないが、中高年になって起こるエピソードが描かれていて、映画を観ながら自分の周りの人の事を思い出していた。                   

 

・主人公のサンドラがチャーリーとの再婚を諦めることはないのではないかと思った。

 

・チャーリーのアルツハイマーの妻に対しての介護や行動についての描き方が納得できなかった。

 

・出演者が特別の美男美女ではなく、親近感を持った。イギリスの精神風土が感じられた。

 

・誰に感情移入するかで映画の観方が変わる。マイクの気持ちが分かる。

 

・出てくる人が欲望を否定していない、元気が出てくる映画だった。

 

・日本だったらどうなのかな?と考えた。

 

 

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

 

 

【問い】

 

・マイクは情けない男か。

 

・姉ビフが言った「死を恐れるから生きることを恐れるのよ」とは。

 

・自分の正直な欲望を肯定できないのはなぜか。

 

・人の幸せが特定の人・物・事・に依存していると失ったときdamageが大きい。

 

 damageを少なくするにはどうしたいいか。

 

・大きな悲しみ、人生の危機を乗り越えるには何が必要なのか

 

・たった5年の介護でリリーを捨てたチャーリーを善人の様に描いているのはなぜか。

 

・本当の自分をみつけること。それは本当の愛を発見することなのか。

 

 サンドラは本当の愛をみつけたか。

 

・明日を迎えにゆこう! 幸福の形とは。

 

 

 

多数決で以下の問いを切り口に対話を行った

 

「大きな悲しみ、人生の危機を乗り越えるには何が必要なのか」

 

 ・危機を乗り越えられないと自暴自棄になってしまう。

 

 ・悲しみは乗り越えられない。悲しみ続けるしかない。

 

 ・克服というより、受け入れる、向き合う。

 

 ・登場人物はそれぞれ悲しみや孤独を抱えている、ダンスなど趣味で楽しんでいるのは逃げ?表面上だけ楽しんでいるだけ?根本的な原因を追求しない限り乗り越えられないのではないか。

 

 ・童話「でんでんむしのかなしみ」のように悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で堪えていくしかないのではないか。

 

 ・表現方法、手段があれば乗り越えられる。

 

 ・何をもって乗り越えられたというのか?乗り越えらえたというのはどのような状態?

 

 

 

【対話後の感想】

 

・問いがたくさん出て良かった。結婚というものを考えさせられる。

 

・なぜ結婚していると恋愛NGなのか。

 

・運がよくなるように神様にお願いする。人生最後は神頼み。食べて、のんで、祈って、恋をして。そのうちなんとかなるだろう。

 

・「生きることを楽しむ」とは?はつらつとしている状態?どうしたらはつらつとしていられるのか。

 

・何かを失った悲しみをやわらげるには、失ったものばかりに目を向けず、与えられているものや、失ったものがかつて与えられたことへの感謝の気持ちを持つといいかも。

 

・皆で観れば怖くない。普段観ているジャンルの映画ではなく、一人だったら絶対観ていないと思うし、皆で話ができて良かった。

 

・自分の感情に誠実になることが幸せになることか?今この時を楽しむことが大事。

 

・楽しいことへの期待を感じられる映画だった。人が楽しく踊るのをみる人も楽しい。

 

 年をとっても身体を動かせることが大切だと思った。

 

 

 

今回は、あまりメジャーではない佳作映画を対話の素材として取り上げました。参加者からは全く知らなかった映画だったけれど面白かった、観られてよかったという感想も。国は違えども同じ中高年が登場人物で、自分たちの身の回りにもあるかもしれない出来事や切実な問題も描かれていたからか、参加者それぞれの人生経験、立場、価値観から紡ぎだされた言葉が自由に語られた、中高年ならではの対話の時間となりました。

 

 (記録:田中あけ美・本間正己)

 

【第166回記録】 時間(哲学対話・入門編)

 

166回目の人生カフェは、令和2年1月8日(水)午後7時~9時、8名(男性5名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「時間」であった。

 

哲学対話・入門編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇時間と健康についての関係は何か?

 

〇時間による効果とは?

 

〇ムダな時間ってあるのか?

 

人生の時間が残り(余命)1年と言われたら、人は何をするのか?人はどんなことを考えるのか?

 

 

 

〇時間と空間の違いは何か?

 

〇時間とは人が生きることではないか?

 

〇時間は存在しないが、相対的に感じることができる補助線のようなものか?

 

〇未来、現在、過去、そしてこの3つをまたがる永遠性とは何か?正確には永遠的価値とは?

 

 

 

最初の4つの問いは入門編的、後半の4つは深掘り編的と分類して、今回は最初の4つの問いから多数決で、対話の入り口のテーマを決定した。

 

「人生の時間が残り(余命)1年と言われたら、人は何をするのか?人はどんなことを考えるのか?」

 

 

 

●「有限な人生」と「不死」を比較してみる。

 

●「自分のためだけのことを考える」と「自分が死んだ後の残された人のことを考える」

 

●生きている間に達成できないことが分かっているのに、死ぬまでやり続けるということの意味は?

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇あと1年~「今」やりたいこと、「これから」やり続けたいことをやる。

 

〇(やりたいと思っている事はあるのだけど)、余命1カ月でも30年でも、私の過ごし方は恐らく変わらない。今の状態、結構気に入っているのかも!?

 

〇やるのは「今でしょ!」を実感。有限だから意味があるということに共感。ワクワクの人生を燃焼させたい!

 

〇ワクワク=発見 新しい事をやってみる。

 

〇テーマ(時間)から、今残った感じ(言葉)は、時間、いのちの〆切の意味、後悔しないこと、好きなことをする、ワクワクすることをする。思いやること(愛)。

 

〇死んだ後に、残された家族のことを思う気持ちが人として美しいことだと思いました。私は亡くなった人たちのことを思い出すことがあります。その人たちは虚無のかなたに行ったということではなく、宇宙のどこかに確かに記憶して保存されていると信じています。

 

〇時間についての感じ方、考え方はやはり相対的。

 

 時間=コントロールできない≒恋愛

 

 人生でやりたい事リスト→再チャレンジ!!

 

〇今日来た理由:家でも話す人がいないので。いろんなできごとが多い今日。イランと米国のことや、やまゆり園初公判にあたり、こういう場に来ないで、人混みの中、帰るのがつらくて。

 

「完全にムダな時間はありえるか?」

 

(記録:本間正己)

 

【第165回記録】幸福シート作成

 

第165回目の人生カフェは、令和元年12月21日(土)午後1時30分~5時、男性5名、女性4名、計9名(若い人の参加もあったので、まさに老若男女)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日は「幸福シート」なるものに記入しながら、語り合った。

 

この幸福シートはとりあえず自分の人生をデザインしてみようという試みである。それは完ぺきにできることではないことは分かっているが、チャレンジして、考える素材にしたいという気持ちが底にある。

 

幸福シートに記入したものを小グループの他人に発表する意味合いは何か。以下のようなことが考えられる。①他人から質問やコメントをもらい、考える刺激になる。(それはアドバイスというようなものではなくていい。むしろアドバイスはいらないともいえる。) ②人に話すことによって、自らの実行への宣言になることがある。(無理に宣言する必要はないが。) ③幸福シートの内容を聞き合うことによって、お互いの理解が進む。

 

 この幸福シートは最終的には自分で「お持ち帰り」であり、このシートに記入した内容を発表するかしないかは本人の自由である。発表する場合、できるだけ話を盛ることはしないで、自分の気持ちに素直にしてほしいとお願いする。

 

 まずは、「いま」「ここ」「わたし」を確認するために、自分の名前などを記入してもらう。これは、いま、ここ、わたしが原点であり、出発点であることを自覚する意味合いがある。

 

 次に、対人関係に注目し、「今、わたしにとって大切な人」と「今までで感謝したい人」を挙げてもらう。これは人生にとって、対人関係がとても大切だということを感じてもらうためである。

 

 次に、いよいよ未来志向で、「当面やりたいこと(1~3か月くらい)」「中長期的にやりたいこと(1~3年くらい)」「どのような人生を送りたいですか」について記入してもらう。

 

 さらに、来年に向けて、もう少し具体的に考えてみる。「場面ごとに(家族、友人、職場など)」「要因ごとに(健康、お金、趣味など)」に記入してもらう。この時のポイントは具体的にということと、ある程度全体のバランスを考えるということである。

 

 参加者9人がそれぞれ自分を振り返り、未来を見据える時間になったと思う。家に帰って、もう一度見直し、補足していくといいことを勧める。

 

 (幸福シートに書いたことや発表したことについては個人情報なので、記録は割愛する。)

 

 

 

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。

 

〇見取り図のないゆきあたりばったりの自由

 

〇自分を早く落ち着かせない、何とかしたい。

 

  アートはいいよ!! ここちよくあってはいけないものを含めて私を拡げてくれるから。

 

〇自分の幸せのために何をするか?したいか?自分も幸せなら、他者も幸せにできると思う。

 

〇もう一度自分の欲求を内省してみる。

 

  他の人のことを少し知れた。

 

〇開いておく。

 

〇シェアと自己開示

 

〇人の話を聞くのは難しい。

 

Tさんの話から、どちらかというと人の話を聞くのが好きというのは、私にとって驚くべきことだと思います。私は自分の考えていることでいっぱいで、人の話を聞くことに力が入っていないのが残念です。共感する力は人の話を聞くところから来ると思います。また、人との関わりは相手を理解するところから来ると思うと、やはり基本は人の話を聞いて理解するところから来ますね。

 

〇一人で考えていたらイメージできなかったであろう、いろいろなことについて、ゆっくり考えられました。

 

(記録:本間正己)

 

 

【第164回目の記録】映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

 

 

 

164回目の人生カフェは、20191214()午後130分~4時、男性3名、女性1名、計4名で、東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室にて実施された。(進行:田中あけ美・本間正己)

 



 

最初に、映画を観ての感想を共有することからスタートした。

 



 

【映画の感想】

 

・実際にはあり得ないファンタジー的な映画だが、人生の真実に触れる場面もあった。

 

・老人で生まれて若返るという、面白いテーマだと思う。                                           

 

・全シーン丁寧に描いている。人生は、人との出会い、エピソードの積み重ね、それはそれで面白い。

 

・中高年の対話に相応しい映画。若い頃観た時とは違った感想をもった。

 



 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

出された問いをテーマに分けて対話を行った。

 

 

 

【問い】

 

・なぜベンジャミンは世界を旅したあと戻ってきたのか?

 



 

老い、死

 

・この映画に於いて若返りとは、「外見(見た目、身体の動き)」以外にどんな影響をもっていたか?

 

・老いるとはどういうことか?

 

・お迎えが来るとはどういうことか?

 

・存在と無、生と死とは?人はなぜ生まれてきたのか、そして死をどのように受容すべきか?

 



 

人生

 

・人生全体のエピソードとして、『酒・仕事・女性・家族』が大部分でしたが、やはりここらへんが大きなテーマになってくるのか?

 

・亡くなった人とはどのように会うのか?

 

・愛と悲しみとは?

 



 

【対話後の感想】

 

・挑戦する人生と波に乗る(偶然まかせ)人生はどちらも同じ?

 

・ベンジャミン・バトンの人生の映画を見て、人の一生とは何か?を考えさせられたようです。人の一生は2時間45分では描くことはできませんが、私の残された人生を人が喜ばれることに何か尽くしたいと思います。酒、仕事、異性…人生の楽しみは生きることに何か意味あることとつながっているような気がします。

 

・今後に人生にワクワク!!酒・女・仕事・家族+α1+α2+α3+・・・・

 

・人生は出会いと別れのエピソード。薄くても、濃くても、大切にしたい、味わいたい。

 



 

今回は、人生を積み重ねてきた中高年だけでなく、これから人生を歩んでいく20代の参加者もあり、長い映画のエピソードを多様な立場から自身の経験も語り合うことで、映画のように人生が重なりあい、面白い対話となりました。

 


 (記録:田中あけ美・本間正己)

 

【第163回記録】テーマ「幸福」(深掘り編)

 

 

 

第163回目の人生カフェは、令和元年12月11日(水)午後7時~9時、8名(男性6名・女性2名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「幸福」であった。(これは12月4日の哲学対話・入門編の際のテーマと同じである。)

 

今回は、哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇人生にとって幸福より高い価値はあるのか?

 

〇自己肯定感が高いことが幸福の道のりか?

 

〇幸福の方程式は作れるか?みんなが幸せになれる方法はあるのか?

 

〇そもそも幸福とは何か?

 

〇「幸福」とは、「楽しい」や「心地良い」とはどう違うのか?それともその積み重ね?

 

〇どうしたら自分が幸福になれるか?を考えるべきかどうか?

 

幸福は目標か?過程か?結果か?

 

〇宗教によって幸福の違いはあるのか?

 

 

 

以上を踏まえて、今回は進行役の本間が若干リードして、以下のテーマ(2つ)に決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:「幸福は目標か?過程か?結果か?」

 

               「どうしたら自分が幸福になれるか?を考えるべきかどうか?」

 

 

 

●自らの欲求が実現することによって幸福感が生じるということが基本にある。しかしながら、欲求が実現したからといって、幸福になるとは限らない。これはなぜか?

 

●欲求が低過ぎる場合。例えば、食べる、寝るなどの生理的欲求の充足だけでは幸福になれない。

 

●本当の自分の欲求に沿っていないから。自分に嘘のない、心底からの欲求を掴んでいない場合に起こりうる。

 

●周囲とのズレが大きいから。あまりに社会的に評価の低いものや状況にマッチしていない場合、幸福感を得られない場合がある。

 

●そもそも間違った認識による欲求だから。タバコはその場での満足感を得られても、長期的には不幸になることがある。

 

 

 

●幸福感を得ているのは現在である。過去を振り返って、その時は辛い思いをしていたことでも、現在からみると充実していたように思え、幸福感を味わうことがある。

 

●それは未来に向けても同様である。目標に向かって自らの姿を想像して、幸せな気持ちになることがある。結果としてうまくいかなかったとしても…。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりに気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

〇幸福とは目標でもあり、過程でもあり、結果でもある。(幸福という言葉の曖昧さ、多重的意味が魅力)

 

〇「幸福」と「人間関係」について考えたいと思いました。

 

〇通った人だけが過程を語ることができる。

 

〇幸福はその瞬間はわからないけれど、あとになって感じるものではないかと思った。

 

〇幸福は主観(自己肯定)ではあるが……、それでいいのか?

 

〇幸福とは何か?……元々分からなかったけど、余計分からなくなってしまいました(笑)。

 

〇人それぞれにならずに話しをしていくのは難しい。あっ!それはファシリテーターのお仕事か…。だったら思ったままに話して良いのか?後半挙手がなくなる事が多々ですね。(気を付けましょう)

 

〇問答から哲学へ  哲学から心理学へ  心理学から脳科学へ  今はどのへん  今日はどのへん

 

(記録:本間正己)

 

【第162回記録】 幸福 (哲学対話・入門編)

 

第162回目の人生カフェは、令和元年12月4日(水)午後7時~9時、9名(男性6名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「幸福」であった。

 

哲学対話・入門編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇幸福になるのはなぜ難しいのか?

 

〇幸福(というコトバ)の影響力はいかほど?

 

〇自己満足は幸福になりえるのか?

 

〇金で幸せは買えるのか?

 

〇愛のない人生は不幸せか?

 

〇幸福は人それぞれか?

 

人はどうやったら幸せになれるのか?

 

〇人は現在又は未来において、何かしらの幸福の要素がないと思っていることに向けては行動しないのではないか?(幸福行動原則)

 

〇幸福とは人間の本来の在り方、構造、本質に根ざしたものによって実現されると思われる。では、その構造、本質とは何か?

 

 

 

以上を踏まえて、本日の対話の入り口のテーマを話し合い、多数決で、以下のように決めた。

 

「人はどうやったら幸せになれるのか?」

 

 

 

●タピオカやラーメンを食べて、幸せ感を持った経験。(手軽に手に入る短期的な幸せ、これは大切である。)

 

●自己完結型の幸せというのはあるのか? 他者との関係は必須?

 

●自己肯定感は基本。しかし、それだけではない。

 

●幸福は人それぞれ。

 

●幸福は、性別(男女)、年代、地域、家庭環境などによって、それなりの傾向がある。(これは社会科学の研究対象かも?)

 

●全てに共通な、幸福そのものとは何か?(これは哲学の領域かも?)

 

●自分の視点だけでなく、他人の視点も加味される。

 

●短期的(瞬間的)幸福と長期的(人生全般的)幸福~両方の視点が必要。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇自分を幸せにしてあげよう。

 

〇おれはラーメンではしあわせになれない。

 

〇自己肯定~他者承認~自己実現

 

 自己完結(達成感)と他人との関係(愛)

 

〇自己完結と

 

  人の間

 

〇自己実現とそれに対する他者からの承認が幸福につながるのではないかと思った。

 

〇自己肯定感が大事!

 

 マズローの欲求5段階説 自己実現欲求(大きい?) 生理的欲求〈食べることなど〉(小さい?)

 

〇良き理解者を見つけ、大事にすることが、結果的に自己肯定感を高めることにもつながり、自分にとっての幸福なのだと思った。

 

〈補足〉タピオカのもちもち感は小さな悩みをどうでもよくしてくれるのでオススメです。

 

〇祖母は父が亡くなった時、子どもに先立たれることはこの世の最大の不幸だ…と悲しみに暮れた。けれども、その後亡くなるまでの数年間の口癖は「私は今が人生で一番幸せ!!」だった。「幸せ」というコトバの最大のインパクト!

 

〇皆さんの話を聞いて素晴らしかったと思いました。私は自己中心的で、人の話を聞いて相手を理解する力が欠如していました。ここの哲学カフェは対話への方法論がしっかりしているようです。この哲学カフェを通じて人間的成長をして、自己中心性を少しでも克服できるように願っております。よろしくお願いします。

 

(記録:本間正己)

 

【第161回記録】テーマ「人生の意味」(深掘り編)

 

 

 

第161回目の人生カフェは、令和元年11月27日(水)午後7時~9時、10名(男性7名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「人生の意味」であった。(これは11月13日の哲学対話・入門編の際のテーマと同じである。)

 

今回は、哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇人生に意味などないのではないか?

 

〇なぜ人生を生きるのか?

 

〇若い人は人生の意味が必要か? 年を取ると、意味より実績を考える。(何をやってきて、何をしたいのか。)

 

〇人生の意味を考えてもらうには?

 

〇何にとって、誰にとっての人生の意味を考えれば、よりよく生きられるか?

 

〇人生とは、混沌な世界(出来事)でしょうか?

 

〇どう捉えるのが人生をより良くするのか?

 

健康で長生き(長寿)が人生の意味なのか?

 

 

 

以上を踏まえて、今回は進行役の本間が若干リードして、以下のテーマに決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:「健康で長生き(長寿)が人生の意味なのか?」

 

 

 

●短い人生が長い人生に比べて価値(意味)が少ないわけではないだろう。

 

●人生の質が問われる。

 

●人生の質は感動や幸せに関係している。

 

●「今に生きる」ということからすると、人生の長い・短いは関係ない。

 

●輪廻転生

 

●なぜ人は死後のことを考えるのか? 人それぞれに、自分の都合のいいように、この世から去った後のことを考える。

 

●人生の不条理を了解するために、安心・安定を得るために……。それはいい悪いということではない。自分の、人間の何かしらの欲望から生ずるものである。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

〇子どもで亡くなってしまう……どうして?

 

〇意識的な進化をするには?

 

〇何でも味わうようにくらしたいなあ。

 

〇感動あっての日々の充実=積み重ねが人生

 

〇死ぬ時(寸前?)、私の人生、これでよかった!と実感したい。今を後悔しない生き方をしたい。

 

〇人生は自分の今を生きる積極性と、ボーっとして、他力を取り込む力の和でおもしろくなる。

 

〇論理と感情のぶつかりを感じた。オマージュに気づくのは論理的感動?

 

〇自分が抱いている観念「輪廻転生」、「今に存る」が、より深められました。より、地に足がつきました。

 

〇ちょっと気が付くところ、気になるところが多勢と違う 自分がいるんで……。話を聞く事が多いのですが(参加してます!)、よろしくお願いします。

 

〇今日は皆さんのお話をお聞きし、色々な視点を学ばさせていただきました。“今”を大切に、しっかりと感動と喜びと共に生きたいです。

 

(記録:本間正己)

 

【第160回記録】テーマ「苦」

160回目の人生カフェは、令和元年11月22() 午後7時~9時 まで、

 

男性8名で新宿消費生活センター分館にて実施された。

 

(進行役:比良正彦)

 

 

 

《テーマ選定の背景等》

 

哲学カフェで、
「生きるってことは苦だよ。」
と言う人がいて、納得出来るような出来ない様なモヤモヤした感情が湧いて来ます。

哲学カフェでよくある禁止ルール「人それぞれはなし」にも通じるような

 

思考を止めるような、しかし真理の一面をついているようなこの言葉、深堀りしたくなりませんか?
テーマに関わるモヤモヤを問いの形で出しあい、それを皮切りに対話を深め楽しみたい。

 

 

 

《話の進行》

 

各人からテーマに関する問い出しを行い、一人2票の投票を行った。

 

『自らに課した「苦」は「苦」と言えるのか?』が入り口のテーマとなり、

 

時間まで対話を続けた。

 

 

 

〈最初に出された問い〉

 

〇(自分にとっての)苦を減ずるのは、自分か?他の力(要因)か?

 

〇苦しい(心理的に)と感じた時、どう対応するのがベストか?

 

〇「苦」と「思い通りにならないこと」の違いはなにか?

 

〇「苦」は他者に説明できるか?

 

〇自らに課した「苦」は「苦」と言えるのか?

 

〇「苦」と感じる人と感じない人の違いとは?

 

〇どんな苦しみが意味のない苦しみになるのか?

 

〇痛み(肉体的)、悩み(精神的)の「苦」は同じもの?両方とも「苦」呼ぶのは何故?

 

 

 

 

 

《途中ででたキーワードやキーセンテンスの一部》

 

・「自ら」・「過程」・「終わりが見えない」・「思ったのと違う」

 

・「過程が目的か、結果が目的か」・「自分が課している」・「周りの目」

 

・「要因」・「環境」・「選択肢」・「自分を受け入れる」VS「成長したい」

 

・「遺伝」・「後天的」・「脳内物質」・「成功体験」・「共感」

 

 

 

《感想・意見等》

 

〇「自分を受け入れた」自分を、受け入れていただきたい。

 

〇「苦」について考えるのは掘り下げられる。「楽」は広がらないように思った。

 

〇自分の考えが浮かんだ時に、人の意見を素直に取り入れるのは難しい。

 

〇理解はムリでも、共感はしてほしい。

 

〇「苦」は同じ状況でも人によってそうならない場合があるのがわかった。

 

〇もやもやを共有できたので、もやもやが少し軽くなりました。

 

〇苦を減ずるのは、他人の承認。目標は苦の原因=他人に承認されるため(のもの)

 

苦の共感=他人の承認。ならば こっちでも目標達成か?

 

〇苦というテーマで楽しく対話ができてよかった。

 

 

 

 (記録:比良正彦)

 

 

 【第159回記録】 人生の意味(哲学対話・入門編)

第159回目の人生カフェは、令和元年11月13日(水)午後7時~9時、8名(男性5名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「人生の意味」であった。

 

哲学対話・入門編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

□意味のある人生とはどんな人生だろう?

 

□人生の意味はどうやって手に入れるのか?

 

□意味のある人生と意味のない人生があるのか?

 

□昨日(201911.12)は意味ある人生だったか?

 

□人が人生の意味を考える時は?

 

□「楽しい人生」とは何か?

 

 

 

◇「生まれ変わり」はあると思いますか?

 

◇人生ってどこ?

 

 

 

以上を踏まえて、本日のテーマをどうするかを話し合った。

 

◇のテーマはどちらかというと、哲学対話・深掘り編のテーマ的な感じがするという意見があった。今回は□のテーマ群から一つを選ぶのではなく、□の6つのテーマ群を意識しながら、対話をすることにした。

 

 

 

●人生の「意味」、この場合の「意味」とは「意義」や「価値」と同じことか?

 

●人生の意味とは存在意義のことである。

 

●何かしらに「貢献している」こと、「役に立っている」こと。

 

●それは、仕事、ボランティア、趣味……。

 

●人生は、遊び、洒落(シャレ)だ。

 

●いろいろな体験をすること、考えていること、それ自体のこと…それは多様だ。

 

●人から認められること

 

●心地よいこと、快なこと

 

●パラレルワールド(並行世界)

 

●輪廻転生

 

●デジャヴ(既視感)

 

●自由意志⇔神に操られている

 

●得か、損かで判断する

 

●ハレとケ

 

●ハメをはずす、ストレス発散

 

 

 

☆今回は「入門編」ということもあって、心理学風、人生論風な話題も多く、一人の参加者の悩みをみんなで聞くという哲学相談的な様相の場面もあった。これもなかなかに面白い展開であった。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇今日は皆さんのお話を聞いているだけで楽しかった。存在しているだけで意味がある存在=認知症の母について考える。

 

〇今日2時間、人生の意味について話し合える機会とメンバーに出会えてよかったです。

 

〇「人生の存在意義」と「貢献」について、問いと考えることができたのが楽しかった。

 

〇人生+(その意味)には、人それぞれのとらえ方があると実感。

 

 ※Sさん、恋人ができても同じ様になってしまうと予想していますが、相手があっての話なので、お相手次第でデジャヴがなくなることもあるのかも。全ての可能性は否定せずに!!生きて下さい!!

 

〇今日(2019.1113)も意味ある人生でした。

 

〇ハメを外すって何ですか?

 

〇人それぞれの意味があればいいor なくてもいい。

 

〇ありがとうございました~♡

 

(記録:本間正己)

 

 

【第158回目の記録】岡本太郎美術館鑑賞&哲学対話

 

第158回目の人生カフェは、令和元年11月10日(日)午後1時~4時30分、男性2名、女性2名、計4名で、岡本太郎美術館(川崎市)&シャノアール 向ヶ丘遊園店にて実施された。(進行:田中あけ美本間正己)

 

 

 

今回は、最初に自然豊かな川崎市生田緑地内にある岡本太郎美術館にて「常設展 岡本太郎美術館20周年記念 開運 岡本"福”太郎展」「企画展 芸術と社会・現代の作家たち」を各自鑑賞後、喫茶店に移動し、哲学対話を実施した。

 

 

 

対話では、まず美術館鑑賞の感想と気になった岡本太郎の作品を出し合った。

 

 

 

【感想】

 

・岡本太郎その人にとても興味を持った。生き方が強烈。
 「動物(1956年)」⇒後ろから
見ると……、、内なる欲望、エネルギーを感じた。

 

・実際に岡本太郎の絵を見てみると、絵の色が気になった。

 

 「駄々っ子(1951年)」の黄色、「夜(1947年)」の青色が印象に残った。

 

 言葉「ここちよくあってはいけない」「戦うことが芸術」も強烈である。

 

・何回もこの美術館を訪れているが、今回は岡本太郎が収集した全国の民具の展示を見て、民族学と現代美術の関係や岡本太郎が「芸術が社会との関わりの中で創造される」という姿勢に興味を持った。

 

・特に「痛ましき腕」の絵の中にリボンが描かれているのがどうしてだろうと思った。

 

私にとっては、リボンは贈り物といったプラスのイメージなのだが、どうして痛ましい傷の腕と一緒に描かれているのか?苦しいけど、与えたい?片腕だけというのも痛ましき感がある。

 

 

 

以上のことを踏まえて、この作品にまつわる問いを出してもらった。

 

出された問いをテーマに分けて対話を行った。

 

 

 

【問い】

 

 ・同じことをくり返すなら死んでしまえとはどういう意味か?

 

  →表現方法は変わるが、本質は変わらないのでは。

 

   くり返すことの心地よさというものもあるのではないか。

 

   同じことをくり返したくないという情熱はどこからきているのか?

 

   彼にとって人間=作品  

 

 ・「きれい」ではなく「うつくしい」もの(芸術)とは何か?

 

  →岡本太郎は、きれいは職人が作るもの、心地よいもの⇔うつくしいは芸術家が作るここちよくないもの、これは何なんだと心動かすものを考えていたのでは?  

 

 ・芸術が受ける/受けないのはなぜか?

 

  →岡本太郎の芸術は、太陽の塔をきっかけに太郎そのものの存在、イメージが受けた。

 

   それは、岡本一平とかの子の子どもという親の影響や太郎キャラクターやパフォーマンス、情熱を持っていたことも受ける要素となったのでは。

 

 ・芸術は作家のためにあるのか、観る人のためにあるのか、誰のためにあるのか?

 

 

 

 

 

【対話後の感想】

 

 ・岡本太郎は絵や彫像に限らず、数多くの言葉を残しているので、その言葉の意味と作品の関係について考えさせられる点が多かった。

 

 ・岡本太郎の原初的なエネルギーの爆発~これはすごい!これをパフォーマンス化し続けることができたのは、やはりすごい!

 

  縄文パワーだ。これを今どう捉えるか?

 

 ・岡本太郎は特別な人?自分の中にも岡本太郎的なものがあるような気がする。

 

 ・いつもとは違う話題について話した事はとても良かった。芸術とは何か?美とは何か?こういった事を考える自体に意味があるのではないかと思った。

 

  もちろん、人それぞれですが、私は美しいという定義はあるのではないかと思っている。

 

  

 

今回は、いつものスタイルを変えて、美術鑑賞と哲学対話を行った。生田緑地の深まる秋を感じながら、五感で岡本太郎の作品と向かいあった後の哲学対話は新鮮に感じた。

 

 

 

ある参加者が、「一般に岡本太郎だけの強烈な言葉がクローズアップされるが、実際に岡本太郎の作品を見たあとに岡本太郎の言葉を見直すと、また違う感じがしてきた。言葉と作品はセットであると思った。」と話していたことが興味深かった。(田中)

 

 

 

 

 

 (記録:田中あけ美本間正己)

 

【第157回記録】当日決まったテーマ:人はなぜ話したいのか?

 

第157回目の人生カフェは、令和元年11月1日(金)午前10時~12時、8名(男性4名、女性4名、盲導犬)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:高橋あずさ)

 

 

 

この日は当日参加した人たちで対話のテーマを決めるというものであった。

 

 

 

【リード文】

 

この日のテーマは参加者全員で決めます。
参加者の方には、当日普段疑問に感じていることや、
誰かとじっくり考えてみたいことについての問いを出して頂きます。 

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇『涙と感情』の関係は何か?

 

〇音響式信号の夜間の音響の停止についてどう思うか?

 

〇共に生きる社会とは何か?

 

〇人間性とは何か?

 

〇見えないものとは何か?

 

〇人間の業とは何か?

 

〇人はなぜ話したいのか?

 

 

 

以上に対して、12票で投票し、多数票を獲得した以下が本日のテーマとして決定した。

 

 

 

対話のテーマ:「人はなぜ話したいのか?」

 

 

 

●うまいしゃべり方をしないといけないと思うと話せなくなる。

 

●むしろ人は相手の話をきちんと聞けていない。

 

●話したいのは~承認してほしいから、能力を発揮したいから、心を「放し」たいから、孤独になりたくないから……

 

●誰とも話したくないということはある。自分だけで感じている、考えている。

 

●アウトプット(話す、書く)ができるのはある程度余裕があるということか。

 

●話すのではなく、ノートなどに「書く」ということもいいことである。

 

●相手の話に適切な返しをしなくてはならないと思う。

 

●正しい答えを返す必要はなく、受容と共感が大切である。

 

●余計なことは話さない方がいい。話す内容・方法の境界線というのはある。

 

●情報を単に伝えたいという話しもある。相手を支配したいという話しもある。それぞれによって多少聞き方が違うのではないか。

 

 

 

☆今回、人生カフェでは初めて、視覚障碍者の方の参加があった。その人それぞれの状態・状況によると思われるが、今回は対話において、ほとんど違和や停滞を感じなかった。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇なぜ話したいか?⇒聞いてほしいから⇒なぜ聞いてほしいのか?⇒承認、解放、孤独の解消

 

〇私はやはり話したいんだなぁ!人間だもの!!

 

〇聴くことが難しいことを理解するのが難しい。

 

〇話すこと、聴くことを、改めて考えさせられました。話をする場をどう作るかについて、これから考えてみたい。

 

〇「考えること」「話すこと」「聴くこと」のバランスが重要だと感じた。

 

〇物言えば唇寒し秋の風(芭蕉)

 

〇話す(言語化)とは…  ❔ ⇒ことばにする⇒独り言⇒話す人を探す⇒聴く人、受容、クッション⇒話す人が気づいていく  人間の自己修復力?

 

〇人の話を聞くのはなぜ難しいのか? 受け止めることの大切さ。

 

 人と話ができるのは『何て素晴らしい』のだろう!

 

(記録:本間正己)

【第156回記録】本:夏目漱石『道草』

 

156回目の人生カフェは、令和元年10月26日()午後130分~430分、3名で、新宿区消費生活センター分館にて実施された。(進行:本間正己)

 

  この日は夏目漱石『道草』を読んだ上での読書会という形式で行われた。

 

この作品は漱石が48歳の時に、『硝子戸の中』の後、途中で断筆となった遺作の『明暗』の前に書かれたものである。漱石唯一の自伝的小説と言われているが、単なる私小説ではなく、多面的な視点を持つ奥行きの深い作品である。

 

 

 

参加者からこの作品の中で気に入っているところ、あるいは気になっているところを挙げてもらい、フリーに話し合った。

 

 

 

【過去について】

 

〈15・後〉

 

「こんな光景をよく覚えているくせに、なぜ自分の有っていたそのころの心が思い出せないのだろう」

 

〈91・後〉

 

「しかし今の自分はどうして出来上がったのだろう」

 

 

過去がどうしてこの現在に発展してきたかを疑った。

 

【これからについて】

 

〈57・最後〉

 

彼は金持ちになるか、偉くなるか、二つのうちどっちかに中途半端な自分を片付けたくなった。

 

 

金の力で支配できない真に偉大なものが彼の眼に這入ってくるにはまだ大分間があった。

 

〈97・前〉

 

「お前は必竟何をしに世の中に生れてきたのだ」

 

彼の頭のどこかでこういう質問を彼にかけるものがあった。

 

【夫と妻】

 

〈93・最後〉

 

「子供をもったお前は仕合せである。しかし、その仕合せを享ける前にお前は既に多大な犠牲を払っている。これから先もお前の気のつかない犠牲をどのくらい払うか分らない。お前は仕合せかもしれないが、実は気の毒なものだ」

 

〈94・中〉

 

「ペネロピーの仕事」という英語の俚諺が何遍となく彼の口にのぼった。

 

【片付かない】

 

〈82・最後〉

 

彼の心のうちには死なない細君と、丈夫な赤ん坊のほかに、

 

 

そうして自分とこれらの人々との関係がみんなまだ片付かずにいるということもあった。

 

〈102・最後〉

 

「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こったことはいつまでも続くのさ。ただ色々な形に変わるからひとにも自分にも解らなくなるだけのことさ」

 

健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。

 

「おお好い子だ好い子だ。お父さまのおっしゃることは何だかちっとも分りゃしないわね」

 

細君はこう云い云い、幾度か赤い頬に接吻した。

 

【表現の面白さ】

 

〈26・後〉

 

「来たか長さん待ってたほい。冗談じゃないよ。使いでも出そうかと思ってた所です」

 

〈38・後〉

 

或日彼は誰も宅にいない時を見計って、不細工な布袋竹の先へ一枚糸を着けて、餌とともに池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼を水の底に引っ張り込まなければ已まないその強い力が二の腕まで伝わった時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿を放り出した。そうして翌日静かに水面に浮いている一尺余りの緋鯉を見出した。彼は独り怖がった。……

 

 

 

●養父の島田が突然現れたことにより、過去から未来まで、時間軸で我が人生を考えるようになる。そして、いつまでも「片付かない」自分や周囲の人間を見渡している。人間同士のすれ違いも当然生じる……

 

 

 

 最後に、参加者に感想等を書いてもらった。

 

〇夫婦だけでなく、すれ違い男女は面白い。

 

 仕事とか、社会的出世とかではなく、日常や人生の不気味さ、片付かなさなどについて書いている漱石はすごい!

 

〇哲学カフェなので、漱石の哲学と思っていた「則天去私」がこの『道草』でどのように議論できるか楽しみだったが、思想と小説は次元が異なるという結論になった。

 

〇『道草』や漱石について、色々と話ができて楽しかった。自分では気付かなかった所も発見できてよかった。

 

 

 

(記録:本間正己)

 

 【第155回記録】テーマ「自分」

 

第155回目の人生カフェは、令和元年10月23日(水)午後7時~9時、12名(男性9名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「自分」であった。(これは109日の哲学対話・入門編の際のテーマと同じである。)

 

今回は、哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇どうして自分は自分だと分かるのか?

 

〇「自分」だと自覚するのはどのような条件の時か?

 

〇自分の知り方?分かり方?認識の仕方?

 

〇自分はどうして今の自分になったのか?

 

〇自分はどこからきたのか?(生を受けるとは?死ぬとは?)

 

〇この世の中で自分はどうして自分なのか?

 

〇なぜ自分という概念が生まれたのか?

 

〇自知と結論付けることの違いとは何か?

 

〇肉体としての自分を自分だと考えてよいのだろうか?

 

〇「自分」と「他人」の本質的区別はあるのだろうか?

 

〇自分しか考えられないのに、なぜ自分と他者との関係・区分を考えるか?

 

〇もう一人の自分とは誰か?

 

 

 

以上を踏まえて、今回は進行役の本間が若干リードして、以下のテーマに決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:「「自分」と「他人」の本質的区別は何か?」

 

 

 

☆今回は深掘り編ということもあって、多方面にかつ深く、活発な対話が展開した。どれもが刺激的な穴掘りであり、さらに深掘りしたい穴もいくつかあった。しかし、穴は穴であり、文字化は難しい。この面白さは、文字で読むものではなく、参加して対話として味わってもらうしかない。新たな参加者を誘いたいという意味合いも含めて、今回はこの対話部分の記録はあえて割愛する。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの気づいたこと、新たな問い、感想等を述べてもらった。

 

〇「自分」とは、私が思う私。

 

〇肉体を離れた自分に会いたい。

 

〇自分を知りたいという人は、希望する自分を見ればよい!!

 

〇コントロールできること、できないことを自分が考えて行動する、しないの自由が自分にあることは幸福だと感じた。

 

〇自分が死ぬこと、他人が死ぬこと、もう一度考えてみたくなった。

 

〇聞きたいこと:何歳くらいで他者が自分と同じように(例えばロボットではないと)、思いましたか?気が付きましたか?

 

〇意識とは自分の中の「他人」を眺めている状態かな?

 

〇自分は他人の寄せ集めからできているのではないか?(本質的区別はない?)

 

〇他人を自分として考えられるか?

 

〇自分とは何か?の議論はわからなかったが、たいへん面白かったです。

 

〇久しぶりに自分とは何かについて話せ、考えられたので、面白かった。

 

(記録:本間正己)

【第153回記録】テーマ「自分」

 

第153回目の人生カフェは、令和元年10月9日(水)午後7時~9時、9名(男性4名・女性5名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「自分」であった。

 

哲学対話・入門編と銘打って実施された。

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

〇自分を大切にするとはどういうことか?

 

〇自分らしく生きることとは、どういうことだろうか?

 

〇(日常生活の中で)自分をより知るためには、何をしたらいいのか?

 

〇自分の意見や個性は持つべきなんだろうか?

 

〇コミュニケーション力とは何なのか?

 

〇地球に100億人くらいいるのに、なぜ自分は自分なのか?

 

〇自分は何のために生まれてきたのだと思いますか?

 

〇一番良い自分は存在するのか?

 

〇自分とは一人称か?

 

 

 

以上を踏まえて、多数決の結果、テーマ「自分の意見や個性は持つべきなんだろうか?」に決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:「自分の意見や個性は持つべきなんだろうか?」

 

 

 

●いい意見・個性、悪い意見・個性というのはあるのだろうか?

 

●意見や個性に対しては、どうしても他者からの評価が下されてしまう。

 

●力の強い人の評価はその集団・社会においての影響力は大きく、その集団・社会に所属したいと望むならば、それを無視することは難しい。

 

●若い人の方が他者評価からの影響は大きいし、気にせざるを得ない状況にあることが多い。年を重ねると他者評価より自己評価の方に重点が移っていく傾向がある。これは周囲に対して鈍感になっていったということか?

 

●年配者も自分に対する関心はあるし、自分に関する「謎」に対しての問いはいつまでも続いていく。

 

 

 

☆今回は「入門編」ということもあって、心理学風、人生論風な話題も多く、話が広がっていった。これは入門編の特徴になりそうだし、面白かった。2週間後の「深掘り編」では、話の抽象度が上がり、哲学風(?)になっていくと思われるが、今回の対話が生かされるように思われる。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇生きていること、それだけで個性を持っている、自分がある、という気がする。

 

〇(日々回すことを優先しすぎて)自分に鈍感になっていたかもと反省…。たまに立ち止まり、向き合いたいと思いました。

 

〇自分というテーマで皆様とお話ができて、とても有意義な時間でした。皆さんのお話を聞かせていただきながら、年代によって「自分」の考え方が変わってきているし、これかも変わっていく / 残っていく のかなと思いました。

 

〇自分に対しての結論は出さなくて良いのだと思いました。進化し続けるとしたら、終わりがないから。

 

〇やっぱり他者や社会とのことは気になるんだなぁと思った。

 

〇自分だけでは自分は成り立たないのでは?

 

〇「自分とコミュニケーションと人間関係」の話し合いが新鮮で楽しかったです。

 

〇意見を言う、主張することでの周りとの協調性って難しいと思っていましたが、ヒントを得られました。また、人は評価を気にするものなのかなと思いました。

 

〇ひたすら、出た問いの「自分とは一人称か?」が気になっています。2人称、3人称でもあるのでは?を探りたいです。

 

(記録:本間正己)

 

【第152回記録】本『紙の月』(角田光代著)

 

152回目の人生カフェは、令和元年928()午後130分~5時、計6名(男性2名・女性4名)で新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行:高橋あずさ)

 

この日は本『紙の月』(角田光代著)の読書会という形式で行われた。

 

 

 

この小説を読んだ上での問いを出してもらい、多少分類した上で、順次フリーに対話を行っていった。

 

〇「紙の月」とは何か?

 

〇「紙の月」というタイトルが暗示するものについて考えてみたいです。

 

*「紙の月」とは、一般には、舞台で使用するような紙で作った月であり、本物の月ではなくて、作り物の月のことを言う。その紙の月が本物以上にリアルなものに感じられることもある。

 

*この小説では、「紙」は「紙幣」の意味もあるかもしれない。

 

 

 

〇お金とは何か?

 

〇お金を使うことで気分が高揚するのはなぜか?

 

〇お金以外で他の人とつながれる方法ってありますか?たとえば、どんな?(P330和貴)

 

*この小説ではお金による支配関係を描いている。

 

*夫の正文は妻である梨花をお金の力で支配しようとしていた。それと同じ関係を梨花は光太にした。お金の力で光太を支配しようとした。

 

*お金の力に頼っていると、相手は甘やかされ、スポイルされている気持ちが強くなっていく。依存心も高まっていく。

 

*(お金以外の)目に見えないもので、人はつながることはできるのか?

 

  言葉や行動で……? 意志を示すことや契約を交わすことによって……?

 

 愛で……?

 

 

 

〇自由とは何か?(万能感か?)

 

〇「万能感」とは何か?

 

*解放の自由(□□からの自由)だけでは万能感は得られないだろう。

 

*支配している感覚、コントロールできている感覚が万能感か?

 

 

 

〇梨花を突き動かしていた欲望はどんな欲望か?

 

*それはお金に対する欲望か? 自由への欲望か? 支配(コントロール)したい欲望か?

 

 

 

〇“居場所”って、どう確認してますか?(P274 梨花)

 

*本当の「居場所」がどこかに一つだけあるなんてことはあるのか?

 

*平野啓一郎さんがいう「分人」のように、それぞれの場でのそれぞれの自分、どれもが本当の自分である。それからすると、居場所はいくつも存在することになる。

 

 

 

〇この小説が好きじゃないのはどうしてか?

 

*その小説が好きでないことは素直に表明しよう。なぜ私はその小説を好きでないかを分析してみよう。そうすると自分の特質が少し分かってくる。

 

 

 

最後に対話を通しての自分なりの感想を述べてもらった。

 

〇角田光代さんに興味が出てきました。

 

〇たくさん違和感を覚え、そこから自分というものが逆に少し発見できました。

 

〇私もそれほど好きな小説ではないが、「お金」と「自由」を考えるのにはいい小説だと思った。

 

〇短い時間でしたが、色々な見方や意見を聞けて楽しかったです。自由な雰囲気がよいです。

 

〇☆慣れてしまうと形がほしくなる

 

 ☆どこに居ても自分は自分と思えたら強い

 

 などなど…お金/つながり/万能感/自由/本当・ニセモノ をキーワードにいろんな学びがありました。

 

 

 

(記録:本間正己)

 

 

 

【第151回記録】テーマ「死」

 

第151回目の人生カフェは、令和元年9月25日(水)午後7時~9時、9名(男性6名・女性3名)で、新宿消費生活センター分館にて実施された。(進行役:本間正己)

 

 

 

この日のテーマは「死」であった。

 

中高年哲学対話・深掘り編と銘打って実施された。

 

深掘り編ということで、いつもの対話のルールに以下の3つを付加した。

 

    問いを大切にする

 

    経験から、そもそもを考える

 

    人それぞれはなし

 

 

 

まずは各自に、自由に問いを出してもらった。

 

今回は参加者に紙に書いてもらうのではなく、進行役が出された問いをホワイトボードに書いていった。

 

出されたものは以下の通りである。

 

◇私が死んだ後も、この世界は続くのか?

 

◇死は終わりなのか?始まりなのか?

 

◇死んでも自分の意識は続くのか?

 

◇人は死んだら、本当に無になるのか?

 

◆なぜ哲学カフェでは死のテーマが多く取り上げられるのか?

 

◆死生観と身体の状況の関係は?

 

◆人はいつから死者となるのか?

 

◆みんなはどれくらい死を意識して生きているか?

 

◆生きているものの中にも死はあるのではないか?

 

◆死について考えることで、よりよく生きるとは本当か?

 

 

 

◇は「死後」の問題である。

 

◆は「生きている」中での「死」の問題である。

 

 

 

以上を踏まえて、話し合いの結果、テーマ「生きているものの中にも死はあるのではないか?」に決定し、フリートークへと入っていった。

 

 

 

対話の入り口のテーマ:「生きているものの中にも死はあるのではないか?」

 

 

 

●死には、「身体死」(細胞の死など)、「心の死」(意識の死など)、「社会的死」などがある。

 

●人々の記憶の中にある間は、その人は生きていることになるのか? 記憶を持っている人が全員死ねば、その人は死んだことになる? 歴史上の人物以外のほとんどの人は数世代後には誰も覚えていない、いわばお墓の中の人(ご先祖様)になる。

 

●自分にとって特定の人の死(二人称の死)、一般抽象的な人の死(三人称の死)がある。二人称から三人称までの間にも様々なバリエーションがある。二・五人称の死もある。

 

●そして、一人称の死、これは特別な死である。

 

●死は恐いゆえに、何かしら自分が継続していってほしいという願望はある。

 

 

 

最後に今回の対話を通しての自分なりの感想等を述べてもらった。

 

〇「死」のことを考えるときに、死後のことを考えている。(「死」そのものは体験できない)

 

〇なぜ私は死後のことを考えたくなるのか?

 

〇死後を考えることは、今どう生きたいかにつながっているような気がする。

 

〇死生観についても、願望という欲求が大きく影響するのだろうなぁーと感じた。

 

〇自分が他人の評価に無頓着で、死を前向きにとらえているようだ。新たな冒険の始まり?

 

〇魂はあるのかわからないが、死ぬ時に良い人生だった思えるように、これからの人生を生きたい。

 

〇死はナゾ! 自分が糧にしているのは「死の先駆」

 

〇死は頭で理解できても、生き物なので、生物(意識)としての継続を考えているのではないか。老いた体がなくなっても心は?

 

〇 ?

 

(記録:本間正己)